プッシーラビッツ その4
この機を逃すことはできない!
窓口の二人までの距離は四十メートル。静止射撃ならヨユーだけど、走りながらだと自信がない。それでも昂る激情を抑えきれず、僕は引き金を絞った。
受付の周囲の壁が、銃弾を受けてかん高い悲鳴を上げる。はずしたか。僕がスピードリローダーを取り出すと同時に、ポリーが援護で射撃を始める。彼女は銃の扱いが上手くないので、牽制程度と考えておこう。
二人組はいきなりの銃撃に度肝を抜かれたようで、振り返って豆鉄砲を食らったような顔を見せた。
「ラル! 来ちゃったわよ!」
「わかってるよベルヌ! ホラ! 早く手続きをして、空港に入れてくれ!」
ラルと呼ばれた悪徳業者が、秘書のベルヌに急かされて、バンバンと受付の防護ガラスをぶっ叩いた。
馬鹿じゃねぇーのこいつ。そんなことしたって開けてくれるはずがないでしょうに。さてはAEUを旅行するのは初めてだな?
齢二十歳を数えるぐらいだろう受付の男は、この出来事を特に珍しくも思ってない様子である。僕たちをちらと横目に見るだけに留めて、仕草で次の書類を提示するように促していた。
「馬鹿言ってんじゃねーよ旦那! 後ろ見ろよ後ろ! イカれた暴徒が俺のことを狙ってるだろうが! 早いとこ通してくれよ! 中でたっぷり書類は見せるからよ!」
「えー。手続きを済ませていないものは。あー、たとえそれがお宅の大統領であっても。えー、入れることはできません」
受付の男が眉一つ動かさずに呟くと、ラルの目が驚愕で見開かれた。
あったり前だろバカ野郎。相手は公務員様だぞ? 義理人情じゃなくて法律で動いてるんだ。
ポリーが銃弾を撃ち切った。一発も当たってないが、それでも連中を怯ませることはできた。隣から弾倉が外れ落ちる音がして、ポリーがごそごそと代えの弾倉を取り出す気配がする。
私のリボルバーも装填が完了。相対距離二十メートルちょい。これなら当てられる。再び狙いを定めてぶっ放した。
二人組は受付窓口から飛びのくと、懐から銃を抜き放つ。二人ともモーゼル自動拳銃か。大型の拳銃で狙いを定めやすいが、走りながら振り回せるような代物じゃない。機動戦ではこっちに利がある。
物陰に身を隠さぬまま銃撃を続け、突撃を敢行。二人組が逃げられないように、受付窓口からドッキングベイの方へと追い払う。
二人ともたまらずに、外壁の骨格に身を隠した。バカめ。受付窓口に固執しないで逃げればいいものを。これからひどい目に合わせてやる。
「ポリー! やっちまいな!」
「おっけー」
ポリーが胸の谷間に手を突っ込み、今度は手榴弾を二つ取りだした。一つを僕に投げてよこし、二人そろって口でピンを抜く。そして敵が潜む物陰へと投げ込んだ。
水没した巣から這い出るアリのごとく、二人組が物陰から飛び出してくる。一寸遅れて手榴弾が、派手な爆炎と共に破片をまき散らした。
ラルとベルヌだっけ? 爆風のあおりを受けて、大きくよろけている。隙だらけだ。すかさずありったけの銃弾を叩きこもうと、銃を構えて狙いを定めた。
しかし僕は、引き金を絞るすんでのところで、リボルバーの銃口を下げた。
「あの野郎ぉぉぉ! アタッシェケースを盾に構えやがった! それでも貴様プロか!」
ベルヌもちゃっかりラルの背中に隠れているし!
「うるせぇ! テメェらが無茶苦茶するからだろ! とっとと失せろ!」
ラルが悲鳴混じりの罵声を返してくる。二人はそのまま足をもつれさせながら、ドッキングベイの鉄のジャングルへと逃げ込んでいった。
ポリーがあきれた様子で、抜いたピンの輪に指を通して、くるくると回している。
「あんたアタッシェケースを壊す覚悟で、私にやれって言ったんじゃないんだ……」
「何いってんの? あのまま膠着状態だったら憲兵呼ばれてゲームセットよ! 結果オーライ! ぶっ殺してやる!」
ポリーは一つため息をつくと窓口に流し目をやり、相変わらず人形みたいに突っ立っている受付にウィンクした。
「はろー、おにーさーん。生きてたらまた後でお茶でもしなーい?」
「今の爆発で……憲兵が来ますから……近寄らない方が良いですよ……」
ポリーが満面の笑みを浮かべて、僕の背中をバンバン叩いた。
「あっはっはー。やっさしー。これって脈ありだよねキャスぅ。市民の彼氏ゲットだよ」
「あんたと関わり合いになりたくないだけだってぇの。馬鹿言ってないで追うよ!」
「ということでチャオ~」
ラル達が遺していった後塵を追いかけて、ドッキングベイへと再び舞い戻る。ハチの巣型に組まれた鉄骨と、それに渡された鉄板がいくつもの層を作る冷たい世界。我らプッシーラビッツ――違う! トワイライトジェミニからものを盗んだことを、あの世で後悔させてやる!
銃撃戦を交えながら追撃を続けるうちに、周囲の景色がより荒んでいく。
これまでもベイエリアは赤さびが浮き、空気は淀み、少し歩くだけで粉塵が舞った。しかし僕たちが進んでいる方角は鉄骨が朽ち果て、空気の層が目で見えるほどになり、足取りが淀みで重くなっていくのだ。それに比例するように光が失せていき、やがてあたりは暗闇へと飲み込まれていった。
ライフスキンの胸部に取り付けられたライトを点灯。暗闇が円形に切り取られ、逃げ惑う二人組の後姿を、暗闇の中から引き上げる。
追っていくうちに、あの気色の悪い喧騒は、闇に吸い込まれていくようだ。鼓膜をうつのはドームポリスが放つ微震と、送風ファンの耳障りな音だけ。それまで死んだように息を潜めていた、空気の根底にある異様な静けさが、強くなって僕の魂を揺さぶってくる。
ぞくり。ぞくり。
このドームポリス自体が、実はでっかい卵で。
ぞくり。ぞくり。
孵ることなく、腐り落ちる運命にある。
ぞくり。ぞくり。
そうとも知らずに必死に生きる人々は、神様の暇つぶしにでも作られたのだろうか。
違う違うと喚いていても、しょせん僕もおもちゃの一人。
――死ぬためだけに生まれてきた。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
背筋を走る悪寒が、僕が走る足に力を込める。やがてポリーを置いてけぼりにして、先行して闇の中へと突っ込んでいった。
「ちょっと! キャス! 不用意すぎるわ!」
ポリーの警告が耳に届いたとき、僕は罠にかかった後だった。
急に強烈なライトの光が、四方八方から叩きつけられた。眩しさのあまり手で目元を覆い、本能が身を丸めさせる。僕に追いついたポリーも小さい悲鳴を一つ上げて、身を縮こまらせて足を止めた。
光で照らされた中、無防備なままで足を止めるのが、どれだけ危険なことかはわかっている。だけど僕がそのことに気づいたのは、ライトの向こうから一斉に撃鉄を上げる音がしてからだった。
クソ……結構いるな。新手はおそらく六人。ラルとベルヌを合わせると、総勢八名の大所帯になるのか。こりゃ逆転を狙うのは無理かも。
僕たちは眩さに目を細めながらも、ライトの方へ顔を向ける。するとコツコツと気取った靴音を立てて、ライトの前に人型のシルエットが浮かび上がった。
「銃を捨てろ。抵抗するのはやめとけ」
声の主はどう考えても、ラルのものではない。しゃがくれていて、なまりが酷くて、とっても聞き取りづらい。煙草で喉をやられているみたいだ。さらにドッキングベイのきつい金属臭に混じって、独特な大麻の芳香が漂ってくる。
「普通に死ぬのと、女として生まれたことを後悔しながら死ぬの。どっちがいいかって聞いてやってんだ。銃を捨てろ。ゆっくりと……ゆっくりとだぞ?」
この女を奴隷か何かと思っているような口ぶり。中東の古い文化だな。おそらく……アル=ハザード。なんで東方のマフィアが、ジャンクヤードのシマにいるんだよ。胸中で毒づきながら、ポリーとそろって拳銃を床にそっと置いた。
「この方々は東方の、さる巨大マフィア組織の方々だ」
ラルが得意気になって、ご丁寧に答え合わせをしてくれる。シルエットの男は不機嫌そうに舌打ちして黙らせると、芝居がかった仕草で指を振った。
「これからの予定だが……積み荷に目のくらんだお前らは、それをもって国外逃亡するんだ。それから行方不明になってしまうんだが……その積み荷がどこで見つかろうと、それは欲に目のくらんだアバズレに責任がある……ということだ」
シルエットの男は煙草を口にくわえると、先端をライターであぶった。
まるで他人事みたいに言いやがって。こういう奴は嫌いだ。かと言ってこの反吐の出るクソヤローが、僕の命運を握っていることは間違いない。
生きていればまたチャンスはある。何とかこいつを言いくるめて、この場を脱しないと。
「あの……その……僕らの死体が残ったら、それを元に追跡されるよ。あんたらを見たことは誰にも言わない。だからここは大人しく帰らせた方が良いんじゃないかな?」
「そーよ、そーよ!」
ポリーが便乗してくれるが、シルエットの男は僕らの必死さを笑った。
「安心しな。帰りの飛行機で、死後硬直が始まるまでは可愛がってやるからよ。頭ぁ狙え。身体には傷をつけるな」
ライトの向こうで、銃を構える音がする。
クソ。クソ。クソ。
よりにもよって、全てを失った人間が流れ着く、こんなゴミみたいなところで死ぬのか。
きつく噛み締めた唇から、じんわりと血の味が滲む。頼りの相棒はもう諦めたようで、肩をすくめて薄ら笑いを浮かべている。もうちょっとあがけっての!
あー! こんなことだったら、ポリーの言う通りもっと遊んでおけばよかった。
きつく目を閉じて、襲うかもしれない痛みにきつく拳を握る。
そして――
チャコ。
聞きなれない音がした。ポンプアクションがたてる金属とプラスチックの擦過音、ボルトアクションが放つ金属のかち合う音。その間をとったような、独特な装填音。
レバーアクション。ヨーロッパでこの給弾方式を好むのは、ジャンクヤードファミリー。
ドン! っと重い銃声に目を開くと、正面に立っていたシルエットの男が、肉片の影をばら撒きながら横に吹っ飛んだところだった。
「誰だ!」
アル=ハザードの誰かが叫ぶ。しかしそれはエコーロケーターの探針音である、カンッカンッという甲高い音にかき消された。
僕とポリーは慌ててライトが照らす空間から、柱の影へ逃げ込もうとする。しかしそれよりも早く、足元で散弾が跳ねた。
「動いたら殺すぞォ!」
暗闇から初めて聞く声色で、罵声を浴びせられる。おそらくジャンクヤードの刺客だろう。
その鋭さでピンときた。このジャンクヤードの刺客――森で僕らを待ち伏せしていた奴だ!
刺客は暗闇での戦いを想定しているくせに、ライトには一切手を付けていない。暗闇でアル=ハザードを、ライトで僕たちを拘束して、好き放題暴れるつもりだ。
こんな手練れを送ってくるなんて、ジャンクヤードもマジで荷物が欲しいんだ!
絶叫と銃声、そして人が慌ただしく駆け回る騒々しさの中。ジャンクヤードの刺客が立てるショットシェルが転がる音だけが、僕の全感覚を虜にしている。そしてショットシェルが一つ転がるたびに、一人分の物音が確実に消えていく。
隣で手を上げるポリーを横目で見ると、暗闇に視線を凝らして戦いの行く末を見守っているようである。どれどれ……見せしめでばらされるか、死体ごと拉致されるか、僕たちの行く末を見てもらおうじゃないか。
「ジャンクヤードの使いは見えた?」
「ちらっと。一人。武器は古そうなウィンチェスターショットガン。切り詰めて銃剣つけてる。その癖ながぁ~いストック装着してるんだけど、取り回し良くしたいんだか安定性高めたいんだか――そろそろ目が慣れて……うっげぇ!」
滅多なことでは動じないポリーが、喉に空気を詰まらせて驚いている。
「近づいたらダメ! あの人散弾で怯ませてストックでぶんなぐったところ、銃剣でめった刺しにして殺してるわ! だから音がしなくてアル=ハザードが嬲られているの! めっちゃ手慣れた感じ! うわぁー! 銃ぶっ放したところに死にぞこない放置して囮にしてるよ! えげつなーい!」
えぇ……そんな聞く耳を持ってそうにない化け物を、相手にしたくないんですけど……。刺客が勝ったら、次は僕たちが対応しなきゃいけないんでしょ? 荷物ついでに殺されちゃう!
「でも……アル=ハザードは六人もいるんだよね……?」
「もう四人もやってる! 普通じゃないよ! ここはケースを渡してジャンクヤード様に命乞いしましょう!?」
「ケースって……そういやあの悪徳業者はどこに行った!?」
暗闇になれた目で周囲を見渡すと、どうやら広間のような場所に誘導されていたらしい。平坦で遮蔽物のない空間に、たまに鉄骨が立ち並んでいる。その鉄骨の隙間から辺りを観察していると――いた!
ラルとベルヌがよろめく足取りで、よりドッキングベイの奥へと逃げようとしている。大事なのはラルがその胸元に、大事そうにケースを抱えていることだ。
銃は捨てたから丸腰で、下手に動くと刺客から銃弾が飛ぶ。僕には叫ぶことしかできない!
「まぁて! そのケースは置いてけぇ!」
張り上げた絶叫に、生き残ったアル=ハザードの面々が過敏に反応した。
「待てラル! 逃げる気か!」
ジャンクヤードの刺客は反応しない。それもそうか。ここはジャンクヤードのシマ。ドッキングベイにブツがあるうちは、圧倒的に有利だからね。
一方アル=ハザードの生き残った面々は、銃口をラルへとむける気配がした。いいのかお前ら。仲間が銃剣でめった刺しにされている、生々しい音がずっと続いているぞ? それにその悪徳業者は、荷物を盾どるような――
「バカ! うっちゃダメ!」
僕の悲痛な叫びは、複数回の銃声に飲み込まれる。案の定ラルはケースを盾に構え、銃弾を弾いて火花を散らせた。
『あーッッッ!』
現場には、ジャンクヤードの刺客を除いた人々の絶叫がこだました。




