プッシーラビッツ その3
マルセイユドームポリスは嫌いだ。
ヨーロッパによくみられるセフィロトタイプのドームポリスで、大樹みたいな円柱型をしているのはいいんだ。だけど外壁に違法増設されたドッキングベイがあって、これが問題なのだ。
ドッキングベイはマルセイユの非市民が、正規の港に並ぶようおっ建てたものだ。ここには入港許可は下りたものの、ポリス内の立ち入りを禁じられたものや、受け入れを拒否された避難民、ポリス居住条件を満たせず強制退去させられた元市民が、身を寄せ合って暮らしている。
嫌な気持ちが、ため息となって吐き出される。
つまりここは、死を待つ者の街ということになる。
あとはジャンクヤードのシマだからというモノもあるかな。いつ顔を見られるか分かったもんじゃないので、フルフェイスのヘルメットが手放せない。まぁ……どんなに馬鹿な組員でも、僕らのバニーコスで見当をつけてくるんだけど。大人しくしてよう。
最後に駐機所! 僕らのような立ち寄った非市民には、まともな駐機所なんてあてがってくれない。
見てよコレ! 駐機所があるのは違法建設のドッキングベイ! そこかしこに錆が浮いていて、全体的に景観が茶色く、あちこちに『気密解除厳禁』の看板が立てられまくっている。ここでヘルメットを脱いだら死ぬぞと言う、心優しい警告だ。何で政府管轄外の、無法者が支配するエリアに通されたんだ!?
さらにロケーションは最外殻の近く――っといっても正規品の外殻なら、僕たちは今壁の中にいることになっちゃうんですけどね!? つまり僕らと汚染世界を隔てているのは、スカスカの薄い板だけだということ! いつ放射能に侵されて血反吐はいてもおかしくないぞ!?
駐機所自体は鉄骨を組み合わせただけのハリボテ! 日用品で例えると、針金のハンガーみたいなもんだふざけんなぶっとばすぞ! 四肢のロックはおろか、躯体の固定すらできないんだ。こんなところに躯体を置いておいたら、いつ盗まれてもおかしくない。
さっさとプロペラントタンクをとっかえて、立ち去りたいところだ。だけどこっちも問題ありだ。
唾を駐機所の床に吐き捨てて、入国審査官がくれたマジカルステッキの写真に視線を落とした。
エアロックで汚染除去を受ける様子が映されているのだけど、写真は背中へとスポットを当てている。拡大されたプロペラントタンクは円筒形で、下部にはいつの間にか真円の弾痕が複数穿たれている。腰にもいくつかもらった痕があることから、森に背中を向けた一瞬を狙われたらしい。
「クッソ。汚染されたタンクを捨てなければ、当ポリスへの入場を認めず……か。廃棄料とかほざいてボッタくりやがって……」
写真を懐にねじ込んで、頭の後ろで腕を組んだ。幸い悪徳業者から、代えのタンクと燃料は調達できた。だけどこの荷物を狙ってくる、敵の認識を改める必要があるなぁ。
「撃たれてたわねぇ。キャスが整備を見落としたわけじゃなかったから、タンクの費用は割り勘でいーわよぉ?」
ポリーが両手に安っぽい紙コップをもって、ドッキングベイから戻って来た。胸元に一つ押し付けられるが、ここらで売ってるのは汚染混じりの、ミネラルならぬケミカルウォーターだ。それどころか僕たちはうら若き乙女。レイプドリンクということも十分にあり得る。
差し出されたコップを床に叩き落とすと、神妙に頷き返した。
「ミサイルの爆風受けたとき、まぎれるように下からやられたっぽいね。凄腕。大胆。そして命知らず。どんな相手か気にならない? ミューセクトの群れの中に、躯体を埋めて死体のようにじっとできる人物だよ」
「そいつナニもでかい?」
ポリーが紙コップの中身をちびちびとやりながら、僕の顔を覗き込んでくる。そういえばポリーは無防備に飲み食いしているけど、一度も苦しんでいるところを見たことがないな。ひょっとしたら目利きができるのかもしれないけど、僕が手を出した時に限ってアタリを引いちゃうから笑えない。
「きっと心臓の毛もすごいだろうよ……飲むのはいいけど僕の見えないところでやって」
「ほーい。分かったけどぉ」
ポリーが少し不満そうに、唇の先をすぼめた。
「あなたアタッシェケースから離れてもいいのぉ? いっつも私には口うるさくいうくせにぃ」
「はぁ? アタッシェケースならここにあるじゃない」
僕は後ろ手に持った、依頼の品を胸に抱く。ご丁寧に手錠で持ち手と腕をくっつけているんだぞ? 片時も離れたことはないし、僕から離すには手首から切りおとすしかない。
ポリーはきょとんと眼を丸めると、つまらない冗談を笑うように口の端を歪めた。
「これぇ全然違う奴じゃない。だから別の仕事かなって思ってたんだけど……それとも何? ケースを入れ替えたの?」
「は? どういう事よ」
慌ててケースの取っ手を持って、目の前に下げてまじまじと眺める。全体的な汚れは受け取った時と変わらないように思えるんだけど――ちょっと待て! ケースの傷が、明らかに減った気がする! なんかおかしい!
食い入るようにケースを睨みつけると、金属が割れる音と共にふと手が軽くなった。ケースは取っ手を残して落ちると、派手な音を立てて床の上を跳ねた。
蝶番がイカれて、中身の重しの粘土がさらけ出される。様々な憶測が飛び交った私の頭は、一瞬にして真っ白になってしまった。
ポリーがお上品におててで口を覆う。
「あらー。取っ手を残してすり替えられたのねぇ~。アバズレの相棒よりも、先にやらかしちゃったかぁ!」
「あ……あの……その……ふふふふふざけるな! 相手は軍なんだよ!? ミスったら悪い評判が広がっちゃうでしょ!?」
いったい何時!? それも何処で!?
ここに来てからは入国審査官と話して、ドッキングベイのみの行動を許可された。プロペラントタンクを変える必要があったから、電話で仲介業者に依頼してぇ……そいつがナシをつけた悪徳業者と取引をしてぇ……その中東系の男に会ってぇ……。
ドッキングベイの小部屋で交わしたやり取りを反芻する。
確か商品のカタログと現品の写真を確認して、AEU軍が使っているもので一番安いものを取り寄せたはずだ。入荷は明日で取り付けに半日、早ければ明日の晩にはここを発てる段取りをつけた。そこで悪徳業者の秘書とやらが入ってきてぇ、二人で何か内緒話を始めたのだ。
認めよう。その時僕の意識は手元の荷物ではなく、二人のヒソヒソ話の方にあったことを。
結構長かった。時間にして二十分ちょっとぐらいだろうか? 秘書が気を使って出してくれたお茶を断り、ソファに座るよう勧められたのも無視して、その内緒話が僕らとの取引に関わるものではないか神経をとがらせていた。よくあるんだ。女だからって舐められて、金はおろか体までもっていこうとする奴が。
さて情報が揃ったところで推理の時間だ。
悪徳業者はなんで長いこと話していたのか? それはカモに隙を作るためだ。
どうしてそんな長い時間を話す必要があったのか。カモが薬入りのお茶を断り、ソファに座って隙を見せなかったからだ。
じゃあ悪徳業者はどうしたのか? 私が話しを盗み聞きしている隙をついて、こっそり工具を使い、取っ手を残してケースをすり替えたのだ。
「あの悪徳業者だ!」
溜まらずに地団太を踏み、腰に吊ったホルスターから愛用のリボルバーを抜く。
「はぁ~い。追撃と行きましょうかぁ~」
ポリーも胸の谷間にしまったグロックを取り出し、スライドを後退させた。そのままちょっと困った顔になり、銃床でコリコリと頭を描いた。
「でもさ、あいつら何処に行ったか分かるの?」
「あいつら中東系だった。ぜってぇAEUの市民権もってないからドームポリスには入れない! だから空港で張ってれば捕まえられる!」
「ほえぇ~。じゃあ政府の施設で戦うわけだ。保険の確認なかったでしょ? 写しも渡されてないし? これは自分のモノだってごねられたらどうするの? 証明できないわよ」
「何寝ぼけてんだ!? 僕らは傭兵だよ! ぶっ殺してでも取り返すんだ!」
「よっしゃ。プッシーラビッツ出撃ね」
「その呼び名を使うな! 行くぞぉ!」
空港目指して駆けだすと、ドッキングベイの床がぎしぎしと悲鳴を上げる。今にも踏み抜いてしまいそうな脆さだ。
ここに来てから吸う空気は、ずっと嫌な金属の味がした。違法建設がゆえに空気清浄機なんて回ってなくて、ドームポリスの排気を勝手に引き込んでいるのだろう。こんなところにいたら、大人になる前に死んじゃうんじゃないだろうか。
気になって周囲を見渡すと、ドームポリス外殻の中には、異様なジャングルジムが形成されている。骨格の間にクモの巣をかけるように基盤が敷かれて、その上に安普請の鉄板を敷いて足場にしていた。その上で蹲るのは、市民が捨てたライフスキンを身にまとう、鶏ガラのような体をした人々。荷物は毛布と食事用のカップだけで、血走った目を走らせながら暗闇を睨みつけている。ネズミか虫を探しているのだ。
空気には金属の味以外にも、いろいろなものが溶けている。子供の泣き声、男の怒号、女の嬌声。そしてそれらの根底に渦巻く異様な静けさだった。
嫌だ。胸の中で荷物への執着が膨れ上がる。
僕はこんなところで死にたくない。死にたくない。
ドッキングベイの最外殻から、ドームポリスの内壁がある内側へとひた走る。やがて人の手形がたくさんついた灰色の壁の前までくると、入国審査官のいる窓口へと視線を向けた。
神様! ありがとうございます! わたくし尼になって、処女をあなたに捧げとうございます!
まさに例の悪徳業者とその秘書が、壁面を四角に切り取った窓口に手をついて、受付とやり取りをしているところだった。




