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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目前半【ECO編】
212/241

三年目 ECO編総括

 パーティ開始から二時間が経過。ヘイヴンを賑やかした騒ぎは収まり、テラスには静けさが戻って来た。


 円卓の皿はほとんどが空になり、食いカスだけが残るばかりだ。床にはすっからかんの酒瓶が散乱しているんだが、それに混じってパンジーとリリィが酔いつぶれていた。


「楽しんでもらえたようで何より……明日からはまた戦いの日々だ。俺も他の連中の無事を確認して、とっとと寝るか」


 居場所の見当がついているのは、サクラ、プロテア、アカシア、サンらだ。この四人娘は俺と踊り終えると、逃げるように部屋に帰ってしまった。多分ドレスを汚すのが嫌だったのだろうが、せっかくのパーティだというのにもったいない奴らだ。


 まずこいつらからチェックするか。椅子から重い腰を上げると、不意に声をかけられた。


「終わりましたね……」


 テラスの隅に視線をやると、アイリスが急設の看護テントの下で、ジンをちびちびとやっていた。彼女の足元には寝袋が敷かれており、完全に潰れたデージーが寝かされていた。


「お前は楽しめたのか? 急患に備えて控えていたようだが」


「ええ。久々に羽を伸ばせました」


 本当か? せっかくのパーティなのに、お前はおめかしもせずに、ぶかぶかの白衣に袖を通したままだ。きっとマリアの事件と同じ過ちを犯すのが怖くて、酔うに酔えなかったのだろう。


 本心を探るように顔を覗き込むと、アイリスは気まずそうにそっぽを向いた。そのまま床に転がっていたライターを拾い上げて、咥えている煙草をあぶった。


「ただローズを含んだあの五人の臓物を、引きずりだしたいとは思いましたがね……私も誘えっての」


 なら話は簡単だ。


「踊るか?」


 紐がついたままの左腕を差し出す。アイリスはじっと左腕に視線を注いでいたが、結局手を取ろうとはしなかった。


 俺と彼女の間を、煙草の紫煙が流れていく。


「ええ。ウェディングドレスを用意しておきます。あなたは指輪の準備をしておいてください」


「何をそんな……俺は――」


 俺はあくまで保護者で、お前たちと未来を築く関係にはなれない。言いかけた言葉は、アイリスのやや怒り混じりの声に遮られた。


「あなたは気づいていないかもしれませんが、そういうことなんですよ」


 アイリスはまだ吸いきってない煙草を地面に吐き落とすと、かかとで踏みにじって火を消した。そして苛立ちを紛らわすように、ジンをグラスに注がず瓶のままであおった。


「彼女たちと踊った瞬間、そういう段階に進んだんですよ……」


「しかしだな。俺にそんな甲斐性はないし……今はそんな余裕がない……」


 アイリスはフンと鼻を鳴らして笑う。


「それはあなたが決めることではないんですよ。私たちが……そしてAEUが決めることです。ああ、それと」


 アイリスはそこで言葉を区切って、足元のデージーに視線を下ろした。


「すいませんが、ヘイヴン中で酔いつぶれている馬鹿どもを連れてきていただけませんか? あれだけ飲んで食べたんです。ゲロをのどに詰まらせて窒息されたら大変ですので、今日一日はここで面倒を見ます」


「ん。分かった」


 確かにあれだけ騒いだんだ。どこかで誰かがぐったりしていてもおかしくない。


 それにしてもアイリスの奴、言うに事欠いて「あなたが決めることではない」か。


 その言葉の重みを反芻しながら、ヘイヴン内を歩き回った。


 踊った四人娘の安全を確認。そんなに酔ってないし、興奮もしていない様子だ。そのまま部屋で休んでいるように指示する。


 パギの安全を確認。パーティが荒れる前に部屋へ帰したのだが、それから大人しく眠っていたようだ。寝ぼけまなこを擦りながらも、俺を出迎えてくれた。おやすみのキスを交わして次に向かう。


 ロータスを回収。一体何がどうなったのかは知らんが、便器に顔を突っ込んで気を失っていやがった。アイリスの元へ連れていく前に、ゲロまみれの顔を拭いてやろう。


 ロータスに肩を貸してテラスへと向かう途中、妙な二人連れとはちあった。


「ぎゃーっはっはっはっは!」


 安っぽいドレスを身にまとい、下品な笑いをあたりに響かせるアジリアと。


「おい……静かにせんか。もうみんな寝とるんだぞ?」


 やけに理知的な表情で、アジリアに肩を貸すピオニーだった。


 ピオニーが放つ、空気を鞭打つような引き締まった雰囲気が気にはなる。だがそれよりも俺の目は、アジリアに釘付けになってしまった。


 だって……アジリアの着ているそれ……子供用の玩具のドレスだぞ……?


「あ……アジリア……?」


 おずおずと声をかけると、アジリアは茹でダコのように赤くなった顔を、より真っ赤にして吠えた。


「あじりあぁ? 違う! わらしはぁ! エアキュアのキュアコスモだぁ!」


「お前はキュアコスモではない。あれは幼児番組の架空のキャラだ」


「なにおぉ!? ちゃんとキュアウェーブきているだりょうがッ!」


 アジリアが胸を張ると、衣装の腰の部分が音を立てて裂けた。ピオニーがずり落ちそうになるスカートをさっと抑えつける。


 アジリアの馬鹿。子供用の服でピッチピチだから、下着をはく余裕がなかったようだ。


「わかったわかった。とにかく胸がはちきれてこぼれる前に着替えろ」


「なんだきしゃま。服を脱がそうってか? そうやって私にパイルダーオンするつもりか?」


 それがどういう意味なのか俺には分かりません。


 思わずげんなりとしてしまうが、アジリアは構わずに続けた。


「いや……テックセット……あるいはビルドアップかもしれん……はっ! オープンゲットか!?」


 最後のは分裂しているぞ。お前はなんでそんなにチャイニーズアニメ(この世界ではアニメの起源は中国にあると誤認されている)に詳しいんだ?


 アジリアは腕で胸を隠して後ずさり、グヘグヘと鼻を鳴らして笑った。


「らめらめらめ。わらしはドクター・フーとけっこんしゅるときめてるんだ。あへへへ。わらしもドクター。旦那様もドクター……うへへへへへ。あ、スポックのこともしゅきー……でも愛人にしかしてやれないんだぁ。だってスポックはドクターじゃないんだもぉん!」

 お前博士号もってたんだな。それにイギリスのドラマまで……結構なナードだな……。


 アジリアが恥ずかしがって体をくねらせると、ブツブツと音を立てて体中の布がほつれていく。


 まずい。パンティすらはく余裕がなかったんだ! ブラジャーを着けてるとは思えんぞ!?


「ピオニー!」


 叫ぶと、ピオニーはやれやれと首を振った。


「この馬鹿は私が始末をつけておく。貴様もそいつを始末してくるがいい」


「ぴ……ぴおにー……?」


 お前も様子がおかしいぞ? いつものホンワカした雰囲気はどこに行った? 要領を得ない冗長なおしゃべりもどうしたんだ? 無駄の一切ない、簡潔で明瞭な会話をしやがって。


 そういえばピオニーの目は、普段は塞がっていて奇麗な切れ目をしているんだが……今ははっきりと開いていて、知性を感じさせる瞳が覗いていた。


「はぁ。何でここの連中は、私をピオニーと呼ぶんだ? まぁ中国の国花というのはわかるが、人の呼び名にはいささか安直すぎやせんか? ステレオタイプ的な差別を感じなくもないぞ」


「ご……ごめんなさい」


「何で貴様が謝る……って確か貴様がつけたんだったな。むぅん。私も結構飲んだから、記憶が混濁して上手く思い出せん。まぁいい。後で話をしたいことがある。部屋で待ってろ」


 ピオニーが俺を二本の指で差す。重要な話があるから、覚悟しておけと言うジェスチャーだ。ピオニーはその仕草をし慣れているようで、厭味ったらしい大仰さは感じられない。むしろ態度にあっているぐらいだ。


「マム。イエスマム」


 反射的に敬礼すると、ピオニーは満足そうに頷いてアジリアを連れて行った。


 あれ。何で動悸がこんなに激しくなっているんだ? 何でこんなに緊張しているんだ?


 ピオニーの残り香を求めるように、彼女が歩き去った空間を目で追いかける。


 多分あれが趙・麗虎だな。酒の影響で普段隠れている人格が出てきたのかもしれないが……毅然とした態度に、無駄のない振る舞い。とても頼りがいがありそうだ。ずっとあのままでいてくれると助かる。


 そして何より……可憐だ……。


 確か部屋で待っていろとか言っていたな。ローズだけ安全を確認していないが、彼女は酒を飲んでいないし、馬鹿をやったりもしないだろう。とっととロータスをアイリスに預けて、麗虎を部屋で待たなければ。


 麗虎に期待しているのは過去の話だ。ECOで何があったのか分かれば、AEU相手に有利に立ち回れるかもしれない。それともバーサーカーウイルスについて何か知っているのかも。ひょっとしたらバイオプラント並みの人類の罪科を暴露されるのかもしれん。


 だがなぁ、これは過渡な期待だ。酒程度で記憶が蘇るのなら、今頃パーティどころの騒ぎではなくなっているはずだもんな。現実的に考えると、大方俺の組織運用に対する批判だろう。


 とはいえピオニーは元ECOの高官だったから、そのような人物に仕事を批判してもらえるのは嬉しいものだ。


 テラスにロータスを置いてくると、急ぎ足でエレベーターに飛び乗った。


「ちょっと待って! 私も乗るわ!」


 ドアが閉じかけたところで、待ち受けていたようにローズが押し入ってきた。俺がボタンに触れるより早く、一階倉庫行きのボタンを勝手に押してしまう。そうして澄ました顔で、俺の隣に並んだ。さも『あなたの行き先もここでしょ?』と言いたげだ。


「俺は……九階の教室に戻る予定だったんだが……」


「あら失礼。まぁ十分近くエレベーターで待つことになるだけだから勘弁してネ。それよりパーティ、とてもよかったわよ。ありがとう」


「別にお前が礼を言うことではない。今まで取り上げていた楽しみを、お前たちに返しただけだ」


「ふーん。そうなんだ。じゃあちょっとあなたから取り上げても、文句は言わないよね?」


「は? 何を?」


 ローズが俺に向き直って、悪戯っぽく微笑んだ。それから視線を持ち上げて、ボックスの天井を見上げる。


 そこには――ああッ!? クソッタレ! 全く気付かなかったぞ!


 ヤドリギが飾ってあるなんて!


 けたたましいブザー音と共に、エレベーターボックスが激しく揺れた。視線をローズに戻すと、彼女の指がコンソールの緊急停止ボタンを押しているのだった。


 背筋に悪寒が走るとともに、全身を冷や汗が濡らしていく。


「ねぇ……私悪い子でしょ?」


 ローズがゆっくりとにじり寄り、俺の背中に腕を回してくる。彼女の紅を引いた唇が、頬をかすめて耳を甘く噛む。そして熱い吐息を吹きかけてきた。


「どんなお仕置きをする?」




 幻覚はもう見ない。







 それから――ナガセはますます変わっていった。


 物腰はいっそう穏やかになり、声を荒げることもなくなった。それに比例するように思考は鋭さを増して、後ろにも目がついているかのように仲間に気を配りだした。


 ナガセは理知的でありながら、感情豊かに自らを表現しはじめる。その子供っぽい振る舞いを追い求めて、女たちの視線は自然とナガセを追うようになった。


 ナガセは絶対強者であり続けたが、君臨はしなかった。ただ存在し、女たちはそれを受け入れた。


 こんな日がずっと続けばいい。


 誰もがそう思っているようで、ナガセの悪口はとんと聞かなくなった。



 そんなある日――



「なに……あれ……?」


 アカシアはテラスで牛の面倒を見ていたが、空に浮かんだ黒い点に気づいて視線を上げた。


「どうしたのン? 卑猥な形をした雲でもあった?」


 ロータスがアカシアの肩に手を回して、冗談を吐きながらいやらしく笑う。しかし空に浮かんだ点が刻々と大きくなっていき、コンテナを吊って浮遊するバルーンがはっきり見えると、くわえていた煙草を落とした。


 ヘイヴンに警報が鳴り響き、住まう人々が慌ただしく駆け巡る。


 バルーンはそんな喧騒など全く気にせず、自らの役目を終えて爆発する。そしてへイヴンの正面に、白く輝くコンテナを残していったのだった。


「下手に触らないで! 誰かナガセを呼んできて!」


「ナガセはぁ?」


「ピオニーに酔っぱらうように迫ってたよ」


「あのバカッ! 私には誘わないくせに!」


「ンなこと言ってる場合かぁ!?」


「ねー。お姉ちゃん。ロータスが近づいてみてもいいかって」


「いいわきゃねーだろーが! マリアがどんな目にあったか見てただろ! 近づくんじゃ――」


 蜂の巣をつついたような騒ぎが、一人の男が姿を現すと嘘のように静まり返っていく。


 男はまず、テラスから双眼鏡でコンテナを確認した。そして白金に輝く表面に、刻印された文字を読み上げた。


「『我が親愛なる人類同胞。クロウラーズへ。AEUフランスより』だとよ」


 男――ナガセは隣に佇むサクラに双眼鏡を預けると、素早く指示を下していった。


「アルファチーム。コンテナ回収の準備。防護服を身にまとい、回収用の大型コンテナに対象を収容しろ。アルファチームは人功機で出撃。丘の上でAEUが、コンテナの回収を狙って潜んでいるかもしれん。収容完了まで警戒に当たれ。シエラチームは俺とこい。ともにコンテナを解放する役を演じてもらうぞ」


 それから。


「来たぞ」


 ナガセは楽しい時間の終わりを告げるように、虚しいため息を一つはいた。


『応ッ!』


 クロウラーズはそんな悲しき声を励ますために、声を揃えて叫んだ。


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[良い点] よかった
[良い点] めちゃくちゃ面白いです。海外ドラマとかにありそうな感じですね、ワンハンドレッドとか思い出しました。 [気になる点] 人功機と人攻機、作中で結構表記ゆれしてるようですが、どちらが正しいのでし…
[良い点] パイルダーオンくそわろた。 [気になる点] ピオニーを酔わせようとしたのは、最初は文脈通り口説いてるのかと思ったけど、ローズがエロいせいで、元の人格のピオニーと話せなかったんだろうか。 […
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