ユートピアの祭典 急
「キャーハッハハッハッハッハ!!!」
「いいぞー! もっと飲めもっと飲め!」
「ねぇ! スコーンもうないの!? さっきロータスが皿ごと持ってっちゃって!」
「はぁいはぁい! 言ってくれればすぐ焼きますからねぇ!」
女性の黄色い奇声が、テラスにこだまする。今まで溜め込んでいた鬱憤が、場の熱気を伴って空へと打ち上げられていくようだ。こうして見上げる月明りは、いつもより眩しいように思えた。
乾杯で打ち付けられるグラス、酒が喉を滑る音、上品に料理を頬張る音がそこかしこから聞こえてくる。
誰かがグラスを空けたかと思えば、即座に誰かが酒を注ぐ。料理の皿が空いたかと思えば、即座にピオニーが補充する。
パーティ開始からわずか十数分で、円卓は食いさしや飲みこぼしで派手に散らかってしまった。
クロウラーズも酒に酔って真っ赤になったり、食べ過ぎて「けぷっ」と軽いげっぷをする者がちらほら出てくる。いくら段取りもクソもないからと言って、最初っからそんなにとばしては最後までもたんぞ? モノの楽しみ方を知らないようだが、それを教えるのも俺の仕事か。
酔っぱらったデージーは――ああ、早くもダウンだ。酒瓶を片手に、円卓で突っ伏している。ちょっと目を離しても大丈夫か。
忙しなく料理を補充するピオニーを呼び止めると、彼女の手から補充皿を奪い取った。
「しばらくは追加せんでもいいぞ」
「はえ! まさかここに来て、料理を出すのが惜しくなったんですか!?」
「せっかく皆が用意したお楽しみが、このままだとパァになるんでな。ほれ。派手に鳴らしてこい」
その手にライターを押し付けると、ピオニーは俺の言わんとしたことを察して顔を輝かせた。
「わぁ! そういえばパンパンしたかったんですぅ!」
その言い方は怪しいからやめろ。
「花火もあるぞ。色付きの爆発を起こす奴だ」
「ほんとですかぁ! どれですか!」
円卓の下から色あせたダンボールを取り出して、中に詰まった様々な花火をピオニーへと見せてやる。おうおうそんなに嬉しいのか! 子供みたいに飛んだり跳ねたりしやがって。
「おいノータリンブス。キ〇ガイみたいにはしゃいでんじゃないわよ。スコーンがなくなったから追加お願いねぇン……ってなんだよそれ」
ロータスが両手に皿、口にチキンを咥えた状態で段ボールを覗き込んでくる。
「爆竹と花火ですよぉ! ロータスこういうの好きでしたよねぇ! 一緒にパンパンしませんかぁ!?」
ロータスは悩むように、咥えたチキンを歯で揺り動かしていた。やがてふいっとそっぽを向いて、塞がった両手の代わりに首を振った。
「んー? アタシパース。パギやリリィとかの、お子ちゃまグループでやれよ。アタシは銃とかミサイルの方じゃないと満足できないしぃ? てめーら馬鹿どもがクソみてーなお遊戯してるの見て笑ってやるからよ」
「そんなこと言わないでくださぁい!」
ピオニーが歩み去ろうとするロータスを、後ろから抱きしめて引き留める。ロータスは軽い悲鳴を上げて振り払おうとしたが、持った皿から料理がこぼれるのを恐れてあまり力を入れられないようだ。口からチキンを落として、唾と肉片をまき散らしながら吠えた。
「パスっていってんだろうがブス! 離せよ皿からスコーンがこぼれるだろうが……痛い痛い痛い! お前意外と力強いな!? 止めろって!」
「いいから楽しんで来いよ」
俺はロータスから皿をかすめ取り、ピオニーの方へ身体を押してやる。
「ダーリン!? だからアタシはこんなガキの玩具にキョーミないって! 痛い痛い痛い! すごく力が強い! 何でお前虐められてたんだ!?」
ピオニーがニコニコ笑いながらも、鼻息荒くロータスを引きずっていく。料理の補充役がいなくなったことだし、ごちそうは出ている皿でとりあえず打ち止めだ。パーティイベントを先に進めてから、ピオニーには再補充を頼むとしよう。
ロータスがピオニーに引きずられていくのを見送ると、リリィとローズが円卓の脇で酒を交わしているのが視界に入った。珍しい組み合わせだな。こっそり背後から覗き込むと、円卓にマリアの遺影が置かれていた。二人はマリアの前で酒を注いでは、彼女の代わりに一気に飲み干しているのだった。
マリアは……俺が招待した。皆に気を遣わせないように、テラスの影にこっそりと連れてきたのだが――彼女に気づいてテラスに連れてきた者がいる。そんな彼女の存在を、当たり前と受け止めた皆がいる。そして飲めない彼女のために、献杯までしてくれているのだ。
隠すように招待した、自分が恥ずかしくなった。
「本当に……気のいい奴らだ」
リリィとローズの間に身体を割り込ませて、俺もビールを一杯注ぐ。そして二人が見守るなか、一気に飲み干した。
物凄く気分がいい。何事も勢いが大事だ。このまま行けるとこまで行っちまおう。
「アイアンワンド。音楽をかけてくれ」
虚空に向かって語りかけると、ヘイヴンのスピーカーから懐かしの『ジングルベル』が流れ出す。
真夏にソリで競争する音楽をかけて、パーティをするとは思わなかったな。なかなかに狂っているが、それもまた一興。
クロウラーズが一斉に音楽の流れる宙を見上げて、料理を口にする手をピタリと止めた。
「ププ。なんか季節外れの曲ぅ~。雪も降ってないのに、ソリよ早く走れだってさぁ」
アカシアがワイングラスを片手に、口元を上品に隠しながら笑った。
「でもさ。この曲聞くとなんかウキウキしてくるね! あったかくて……楽しくて……そして懐かしい」
リリィが両手で包み込んだビールジョッキに視線を落としながら、ぽつりとこぼした。
「この曲知ってるー! 聞きながらツリーの周りで踊ったー!」
パギが軽やかなステップを踏みながら、ツリーの周りをくるくると回る。
一瞬。クロウラーズ全体に、妙な緊張が走った。
サクラ、プロテア、アカシア、サンが面持ちを硬くし、その他のクロウラーズが神妙に見守っている。この四人娘が何かをおっぱじめそうな雰囲気だ。
期待に胸を高鳴らせながら待っていると、不意に四人娘が酒を円卓に置いて叫んだ。
『ローズッッッ!』
ローズは円卓に腰かけて呑気にヌードルを啜っていたが、必死の形相の四人に詰め寄られて頬を引きつらせた。
「はいはいはい。ちゃんと準備してあるわよ。一気に四人分だったから大変だったのよ。感謝してよねぇ」
『感謝ならしまくったでしょッッッ! 早くいきましょッッッ!』
四人はローズが逃げないように取り囲み、ヘイヴンへと引きずっていく。何をやらかすかすごく楽しみだ。
胸を高鳴らせながらサプライズをじっと待ち受けるが、十分近く過ぎたが誰も戻ってこない。そうこうしているうちに、皆は四人のことなど忘れて饗宴へと戻っていった。
俺もピオニーとロータスが、パギの面倒を見ながら爆竹を放り投げるのをぼんやりと見守る。
爆音とともに空気が爆ぜ、辺りに火薬のにおいが漂うと、興奮してしまうのが人のサガなのだろうか。ピオニーは髪を振り乱しての狂乱ぶりを見せているし、あれだけガキ臭いと馬鹿にしていたロータスも、爆竹が爆ぜるたびに黄色い悲鳴を上げてはしゃいでいる。
パギも最初のうちは大人しく見ているだけだったが、それだけでは我慢できなくなったみたいだ。地面に転がっている爆竹を拾い上げると、予備のライターで火をつけようとした。
危ないな。パギから爆竹を取り上げようと思った矢先、ロータスが動いた。俺の代わりにパギの手からライターを奪い取り、目の前で振って見せてたしなめた。
「おいクソガキ。初心者は先輩に挨拶しねーと駄目だろ? サクラのクソヒスやアジリアのメスブタにお仕置きされても知らねーからな。それにこんな楽しーことが禁止にされたらやだしよ。ほれ。導火線むけな?」
それがお前の台詞かね……変わったな。
ロータスはライターを点火し、炎を揺らめかせて誘った。
「うん。分かったよお姉ちゃん」
パギもあんなにロータスのことを忌み嫌ってたはずなのに、嫌な顔一つせずに素直に頷いている。ひょっとして……パギに一番嫌われているのは俺なのか……? だとしたら……自業自得とはいえ……キッツいな。
仲睦まじく戯れるパギとロータスを遠巻きに見守っていると、不意にロータスと視線が合った。彼女は気恥ずかしそうに真っ赤になると、チロっと舌を出してあっかんべーをした。
別に……恥じることは何もないと思うんだがな……。
「じゃじゃん! お待たせしました!」
ローズの自信たっぷりな声と共に、テラスにどかどかと四人娘が戻ってくる。
さてサプライズはなんだ? 四人娘の方に向き直ると、緊張で脳が凍り付いた。
美しい四人の女性がきらびやかなドレスに袖を通し、俺の反応を上目遣いに盗み見ていた。
サクラとプロテアは大きく胸の開いた、丈の長いドレスで着飾っている。衣装にはスパンコールが散らされて、アクセントのブローチまでつけちゃって。スカートにも奇麗にプリーツが刻まれていて、彼女たちが身じろぐたびに扇情的に揺れた。
小柄なアカシアは前が開いた丈の短いスカートをはいて、はだけた肩にヴェールをかけている。控えめな性格で子供っぽい彼女の色っぽさを、露出を多めにとることで引き出そうとしたらしい。その効果はてきめんで、一目見ただけでめまいを覚えてしまった。
サンはボタン付きのシャツの上にコートドレスを羽織る、いかにも男装の麗人といういでたちだ。本人は不服なのか唇を尖らせているが、これがどうしてなかなか。他の三人にはない妙な色香が漂っているのだった。
しみじみと思う。今までだったら口にはしなかったであろう想いが、今夜だけは喉から滑り出た。
「本当に……お前ら奇麗になったな」
四人娘が、顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。そのまま四人で寄り集まって、コソコソと内緒話を始めた。
「私先でいいよな?」「は? 殺すわよ。ジャンケンで決めたでしょ?」「でも一回逃げられたらもう相手してもらえないよ?」「あなたなら上手くできるって? うぬぼれもいい加減にしたら?」
やがて相談がまとまったのか、サクラがおずおずと俺の目の前に歩み出た。
口元をもごもごさせてはにかみつつも、潤んだ瞳で俺を真正面からとらえている。その初々しい所作から感じられるものがある。
触れてしまうことを躊躇わせる尊さ、ずっと眺めていたい永遠、そして今にも消えてしまいそうな儚さだ。
クロウラーズが見守る中、サクラはそっと白い手を俺に伸ばした。
「あの……踊っていただけませんか?」
ふと。
脳の奥で、記憶が業火のごとく燃え上がった。俺は気が付くとヘイヴンのテラスではなく、閑散とした駅のホームで佇んでいた。後ろにはこれから乗車する空港行きのモノレールが到着しており、けたたましい発車ベルを鳴らしている。
出征する人々が足早にモノレールへ乗り込む中、俺は流れに乗れず取り残されていた。周囲の喧騒が耳に届かず、まるで絵画に封じ込まれたような心地だ。
目の前では、織宮がじっと俺のことを見つめている。
触れてしまうことを躊躇わせる尊さ、ずっと眺めていたい永遠、そして今にも消えてしまいそうな儚さを秘めて。
やがて時間に急き立てられ、逃げ込むようにモノレールに飛び乗る。そして隣を見てぎくりとした。織宮もモノレールに飛び乗ってしまったのだ。
「乗っちゃったよ……」
しばらく見つめ合って、やっと出た言葉がそれだった。
織宮は相も変わらず沈黙を守って、俺を見つめ続けている。
俺も何も言えないまま、彼女の視線に応えた。
出征する仲間たちの視線に晒されながら、ただただ二人の視線だけが交わされ続ける。
俺も。
彼女も。
何も。
何も言わなかった。
何も。
何も言えなかった。
ただ。
虚しかった。
君のいなかった過去がどれだけ色あせていて。君がいなくなる未来に絶望しか覚えられず。それが決定づけられる今が激しく恐ろしい。
全てが。
虚しかった。
そのまま。時は過ぎ去った。俺と彼女の明日は来ない。
だから……さよなら。
もう……会えないんだ。
助けられなくてごめん。
さよなら。
意識が現実に戻ると、俺は扉を背にして暗闇に佇んでいた。どうやらテラスに併設された、倉庫の中に逃げ込んだらしい。薄い戸板を通して、テラスからの声が聞こえてくる。
「ホラ逃げちゃった」「やっぱ無理だよ」「人はそうそう変われないって」
和気あいあいとした雰囲気も、このわずかな間に興を削がれたようだ。爆竹の音すら聞こえなくなり、痛ましい空気に虚しく音楽だけが流れている。
「せっかくのパーティだ。食べるだけ食べて、飲めるだけ飲んどけ」
これからの戦いを知っているアジリアが、冷たい声でそう告げる。
ちょっと待て。まだ俺は逃げてはいないぞ。
なくなった左腕に携帯している捕縛縄を結び付ける。これで片腕の俺でも、彼女らと手を取って踊ることができる。意気揚々と倉庫を出て、サクラの前に舞い戻った。
「すまん。片手で結ぶのは難しくてな」
左腕からぶら下がる紐を、得意げに見せつける。それから片膝をついて、彼女に恭しく手を差し出した。
「踊っていただけませんか。お嬢さん」
君にはもう会えない。
だからせめて。こいつらには君と同じ思いをさせない。
それで十分だ。それしかできないんだ。それでも……救われるんだ
胸をつく虚しさは、一体誰を偲んだものなのか、俺には分からなかった。
「よっ……喜んで……!」
サクラが俺の手を取り、そっと胸元に身を寄せる。
これで
唖然とした空気の中、アジリアが叫ぶ。
「決めた! 今日は酔うぞ!」
それまで一滴も酒を飲まなかった彼女が、ガチャリとジョッキを大きく鳴らした。




