ユートピアの祭典 破
そうして訪れた翌日の夜。
ご存じヘイヴンの中腹には、タワーから張り出すようにテラスがある。土を敷いて牛を飼っているわけだが、実は反対側にも同じテラスがあるのだ。そちらも土を敷いて、予備の放牧地としている。
本来なら土だけの閑散とした場所だ。しかし今や巨大な円卓が置かれて、ごちそうのいい匂いが辺りに漂っていた。
卓上にはヌードルや具だくさんのスープ、ローストミートなどの贅沢な料理が所狭しと並べられ、規制されている酒もボトルで揃っている。既に不埒なつまみ食いがあったようで、奇麗に盛り付けられていたはずのサンドイッチには欠けが目立ち、ローストミートは略奪を誤魔化すために盛り付けが崩されている。せっかくの準備を台無しにされて、円卓の傍らでピオニーが崩れ落ちていた。
「だ……大丈夫。味。変わらない。から」
パンジーが必死で慰めているが、お前は犯人がバレる前に、口元にこびりついたパンくずを拭った方が良いぞ。
テラスに入って真正面にそびえるのが、例のモミの木だ。彼女たちが作った紙の切り抜き、毛糸の縫い玉などで装いを正して、粗野な針葉樹が本場のクリスマスにも負けない変身を遂げていた。頂点には五角形の星がサンサンと光っているのだが、感動を胸に眺めていると、パギが俺の元まで駆け寄ってきた。
「あれ私が作ったんだよ!」
パギの無邪気な姿を見ただけで、もう樽一杯のビールを飲み干した心地だ。こりゃもう酒がなくても十分自分に酔えたな。
「ほー。よくできてるな」
「あれさ。パーティが終わったらナガセにあげるよ!」
「それは困るな。来年掲げる星がなくなってしまうだろ?」
不意にパギが俺を見つめる目から、幼稚な無邪気さが抜ける。そしてアジリアやサクラが互いになじり合うような凄まじい鋭さを帯びると、ドスの利いた声でうなった。
「お前が大事に持ってるんだよ。来年ツリーに飾るまでね」
……。
来年までに俺が狂ったら、約束を破ったことになるわけだ。
聡い子である。
女たちの醜い争いの中で育てばこうなっちゃうか。
円卓の淵とテラスの手すりは電飾で飾られているのだが、異形生命体やAEUに対しての灯火管制なんて知ったこっちゃない。備蓄にあった電飾を連ねたロープを、やたらめったらに括りつけてピッカピカに光らせていた。
テラスの欄干に寄り掛かるようにして、すでに酒を啄んでいる女の後姿が二つ。やさぐれてボトルから直接酒を煽るデージーと、その背中を撫でるプロテアだ。
「あいつら……」
デージーはサンとよりを戻したいようだが、肝心な相手にとりつく島がなく、ずっと袖にされている。今日だってパーティー用の魚を釣りに出ようとしたが、全く相手にされていなかった。長引けば辛いわな。
プロテアは俺の来場に気づくと、項垂れたままのデージーの腕を引いて円卓へ近寄ってくる。しかしデージーはちっとも楽しくなさそうで、すぐにでも部屋に帰りたさそうだった。
今日はせっかく騒ぐんだ。嫌なこと全部忘れて、過去のしがらみも断ち切って、存分に楽しんでもらいたい。
俺が円卓のグラスをとると、クロウラーズの全員が習ってグラスを手にする。すかさずピオニーがワインボトルを手に素早く駆け巡り、グラスをルビー色の液体で満たしていった。
保管カプセルに入っていなかった、推定一万年物の超熟成安物ワインである。
確実にピークを過ぎて渋みと苦みしか感じられんだろうが、ユートピアで我々が飲むにはこいつが最適ではなかろうか。
こいつを開けちまう前に、要看護チェック。
素早く一堂に視線を巡らせて、アルコール耐性や酒癖の悪さなどをできるだけ把握する。
デージーはほぼ出来上がっちまってる。プロテアの肩を借りなければ立っていられない有様で、よたよたしながら遠く離れたサンの肩に捕まろうとしていた。あまり早く退場させたら可哀そうだから、こいつを中心に俺は動くとするか。
他にも軽く酒が入っているのは、サンとプロテア、パンジー、ロータスぐらいだ。しかしこいつらは酒に強いのか、肌も火照らぬままケロッとしている。雰囲気で酒に飲まれる阿呆ではなく、好きだから酒を飲む生粋ののんべぇだな。あとで声をかけて、酒の無理強いだけはしないように釘を刺しておくか――
くいっと袖を引かれて我に返ると、アカシアが心配そうに俺を見上げている。
「顔怖いけど。またなんか問題なの?」
「何でもないぞ。全体の確認をしていただけだ」
「あ……うん……そうなの? ならいいんだけど……」
アカシアは頷きながらも、どこか納得がいかないように盗み見てくる。その不安はあっという間にテラスに広がっていき、彼女たちが掲げたグラスを深刻そうに胸元に抱きしめた。
まぁ俺が全体を俯瞰するときは、大抵悪い事が起こった時だからな。このままではいかんが、監視の目は光らせないといけないし。しかし饗宴に混じっていないと、彼女たちは不安がるだろうし。身体が後二つは欲しい。アイアンワンドに頼んで、俺に似せたアンドロイドを用意しておけばよかった。
だが待てよ? 多少ぐらいハメを外しても、彼女たちは良識と良心のある大人だ。大惨事にはならんだろ。
ま、いっか。
サクラとアジリアをチェックしかけた視線を、蒼天へと打ち上げた。
澄み切った夏の空が、不安をあっという間に吸い込んで行き、後に残ったのは幼稚な胸の高鳴りだけ。
そう。饗宴に身を委ねて、ただ今を楽しみたいという欲望だけだ。
「あー。諸君。今日は存分に楽しんでくれ。乾杯!」
グラスを掲げて、高らかに祝宴の始まりを宣言する。
クロウラーズは手に持ったグラスを掲げかけたが、ふと何かを待つように胸元に引き留めた。じっと俺に視線を注いで、何か別の合図を待っているようだ。
「どうした? 乾杯だぞ乾杯」
もう一度グラスを掲げると、おずおずとクロウラーズはグラスを掲げて、その淵を唇で食んだ。しかし上目遣いで俺を気にして、一向に飲み干そうとはしない。
「どうしたんだ?」
全員を見渡しながら訪ねると、サクラがおずおずと手を挙げた。
「いつも演説をぶつではありませんか? よろしいのですか?」
「つまらんだろ。そんなの」
バッサリと切り捨てると、クロウラーズの面々は喜びに顔をほころばせた。しかし普段と異なる俺の態度に引っ掛かりを覚えたのか、その笑顔には苦々しさがにじみ出ている。
俺の行き過ぎた監督が原因なのは確かだ。しかしお前らにももう少し反骨精神を持ってもらわないと困るぞ。
「あのなぁ。お前らこのパーティを終えた後で、真っ先に思い出すのが俺のつまらん説教なんて嫌だろ? ん?」
『いやだ』『いやです』『いやに決まってんだろ』
クロウラーズが口々に賛同する中、サクラだけが唖然としている。
「それが目的だったんだけど……」
そろそろサクラも乳離れさせなきゃな。いや……父離れになるのか?
「何度も繰り返すが、今回は純粋な慰労と親睦が目的だ。それ以外の理由は一切ない」
俺がはっきり言うと、彼女たちが取り巻く雰囲気が明るくなった。しかしなぜかプロテアが眉間に皴を寄せて、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「そう言うなよ。ホラ。こっち来ていつもみたいに一席ぶってくれや」
プロテアはテラスの物陰から礼拝堂の物と思しき演説台を引っ張り出してくると、俺にむかってしきりに手招きをしてくる。サクラさもありなんと、俺の背中を演説台へと押し出した。
「プロテアもああ申しておりますことですし、どうぞ正式な開会式をお願いします」
にわかにクロウラーズから、サクラに向けたブーイングが巻き起こる。
『ぶー! ぶー!』『なんだよせっかくかたっ苦しいの抜きで楽しめると思ったのに』『余計な事しないでよインテリのノータリン』
「なんとでも仰いなさい。締めるとこは締めて、緩めるところは緩めるの。終わりと始まりはきっちりとしないといけないでしょ? ささ、ナガセ。アホどもは黙らせますので、演説台へどうぞ」
と言われてもだな。プロテアがしたり顔で待ち受ける演説台をよくよく観察すると、設置した場所は何故か一同を見渡せる円卓の正面ではなく、ややツリーに寄った不自然な位置だ。汚染世界で培われた警戒心が、視線を持ち上げてモミの木の飾りを視線で撫でさせた。
ああ。納得。飾りにマリモに似た球状の植物が混ざっている。モミの葉に上手く擬装しやがって。危うく大事なものを奪われるところだった。
「う~ん。今日は喉の調子がどうも悪い。サクラ。一席頼む」
そう言ってサクラの背中を演説台の方へ押す。
「え……? いいんですか……?」
さすが俺に憧れるだけあって、その特権である演説に興味津々なようだ。だがにわかにプロテアがしかめっ面になり、腕をぶんぶん振り回してサクラを追い払う仕草をした。
「よくねーよ! お前はこっちにくるんじゃねーよ! ナガセにやってもらわないと始まんねーんだから!」
サクラが唇を尖らせて、肩を怒らせながら演説台へと走っていく。
「なんでよー! 私だってやればできるんだから! 妙ないちゃもんつけないでよ!」
「バカッ! 来るな!」
プロテアはサクラが演説台に上がれないように、張り手を繰り出して壁を作る。しかし酔っぱらいの悪あがきに手こずるサクラではなく、するりとその脇をすり抜けて難なく演説台へと昇った。
その瞬間。俺はサクラとプロテアのちょうど頭上にある、モミの木に飾られたヤドリギを指した。
クロウラーズの視線がヤドリギに集中するなかで、プロテアはしまったと顔を手で覆い、サクラの顔からさぁっと血の気が引いていくのだった。
アカシアがヤドリギをぼんやりと眺めながら、ぽつりとつぶやいた。
「あ……あれ……ヤドリギだよね。その……確かその下でキスを迫られたら、拒んではいけないんだったっけ? で……するの? サクラとプロテアで」
「するわけねーだろーが!」
プロテアは面白くなさそうに演説台を蹴りつける。
「でもさー、そういう決まりなんだよね? だからわざわざ持ってきたんだよね? 発情メスブタさんよ」
ロータスが面白そうに騒ぎの尻馬に乗ると、クロウラーズが騒めきだし、サクラとプロテアを煽り立てるようにキスコールを始めた。
サクラが両手を打ち鳴らして、皆の注目を引きつつ騒ぎに釘を刺した。
「私たちに互いにキスをする意思はありませーん! 互いにそのような意思がないのなら、この風習は無効でーす! つまんないこと言ってんじゃないわよ!」
風習にかこつけて俺にセクハラしようとしていたんだから、それ相応のしっぺ返しは覚悟してもらうぞ。
「嫌なら別にいいんだ。パーティーもまだ経験が浅いことだし、そういった細かい事実を前例にしていこうと思う」
これは面白い。サクラとプロテアが、穴が空きそうなほど俺を凝視してから、青くなった顔でお互いを見つめ合った。ここで嫌と言えば、俺にもいやという権利が生まれるわけだからな。
それにしても二人とも必死だなぁ……唇を触れ合わせることに、そんなに特別な意味があるとは思えんけどなぁ。懸命に笑ってしまいそうになるのを堪えていると、二人は決心したのか唇を固く結んでその視線を重ね合った。
「あとで殺してやる……」
「こっちの台詞だボケ」
二人は相手の背中に手を回しあい、瞳を閉じながら唇を近づけていき――
「カンパーイ!」
饗宴の幕が上がった。




