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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目前半【ECO編】
201/241

変身-1

 重い鉄扉に背を預けて、深いため息をついた。


 アイリスの容態は峠を越したのはいいんだが、結構前から薬に手を出していたらしい。典型的な薬物中毒の症状があらわれていた。元に戻るには……時間がかかりそうだな。


 懐から煙草を取り出すと軽くふかして、宙を踊る紫煙を視線で追った。


 不思議だ。幻覚は見ない。代わりに傷ついた彼女たちの姿が、ありありと脳裏に浮かんでは消える。


 いつしかアロウズの幻覚が諭した。私がお前を掴んで離さないのではない、お前が私に執着している。アロウズがいなければ、俺は赤き竜たりえない。彼女の存在こそが、俺の生きる価値を保証してくれるのだから。


「AEUか……」


 奴らに赤き竜と呼ばれても……さほど嬉しくなかったな。俺に残された唯一の名誉なのに。それよりかは彼女たちにナガセと呼ばれるほうが――って、人の優しさに縋るなんて、根元まで腐っちまったか。


 俺は彼女たちを支え、その背中を押し、そして見守るだけでいいんだ。


 引き留めてはいけないんだ。


 ならさっさと人類を見つけて送り届けるべきだが――面倒なことになってきたな。


「あいつら……多分AEUじゃねぇな……」


 俺は祖国やアメリカ、東欧では敬意を払われた。しかし西欧ではえらい嫌われようだった。ハイランダー迎撃作戦で足止めをするAEUごと敵を吹き飛ばし、226避難所で暴徒とはいえ西洋人を虐殺したからだ。


 その俺を『誉れ高き赤き竜』だと? 冗談がきつい。西欧の人間はもっとパンチの利いた嫌味を吐くぞ。


 ちなみに東欧で人気があるのは、かつて護送したマリカ・セレンのおかげである。彼女は嫁ぎ先で力をつけ、政治的影響力を持つまでのし上がった。そんな彼女が兵士の激励で俺の話を用い、遺伝子補正プログラム奪還作戦の審問で人物の保証までしてくれたんだ。マリカ・セレンの小国がある付近では、補給に困ったことがなかった。


 もっとも俺は合わせる顔がなくて、できるだけ彼女の国を避けたがな。


 正体がAEUかどうかはさておき、連中の練度はかなり高い。保有する人工衛星全てを撃墜できたかもわからんし、まともにかち合えば歯が立たんだろうな。交渉で決着をつけるのがベターなんだが、相手の正体がわからん以上それも難しい。


「ナガセぇ……アイリスの具合はどうなの?」


 くいと袖を引かれて顔を上げると、デージーが暗い顔で俺を覗き込んでいた。


「ん。これから薬を抜く。一週間ほど軟禁して、様子を見ようと思う。それからじゃないとまだわからんな」


「あ……その……その……私も看病するよ!」


 デージーが鉄扉のノブに手をかけるが、俺はすかさず振り払った。


「今のアイリスは……とても人には見せられん。あいつが元気になって戻った時、醜態を見られたと知ったら、それは物凄い苦痛だと思う。だからまだ待つんだ」


「でもでもでも!」


「でももくそもない。ここにお前のできることはないぞ。そんなことしている暇があったら、サンと仲直りしてきたらどうだ? お前とリリィだけだぞ? まだわだかまりが解けていないのは」


「うるさぁぁぁい! うるさいうるさいうるさぁぁぁい!」


 デージーが癇癪を爆発させて、激しく地団太を踏んだ。


「どうしていいのか……わからないんだよぉ! サンは無視するし! パンジーは先に仲直りしちゃったし! リリィは私に対してもよそよそしいし! 他に何をしろっていうんだよぉ!」


「だからといって仲直り目的で看病される方も、たまったもんではないと思うがな」


 デージーがきゅっと唇を結び、壁に拳で苛立ちを叩きつけた。


「そうやけになるな。サクラとアジリアに相談するんだ。あいつらならきっと、話を聞いてくれるさ」


「相談したよぉ! でも二人とも! それは私個人の問題だってぇ! 私が悪いのを認めないと、手を貸す気はないって――私が悪いってなんだよ! 私一個も悪くないじゃん! ないじゃんないじゃん! 意味わかんないよ! ピオニーが許されたから次は私を虐める番だってこと!? ふざけないでよ!」


「そうやって責任を人に押し付けるから前に進めんのだぞ? まずは認めるんだな。何をとはいわん。何があったかは俺は知らんしな」


 我々は全てを知ったうえで、知らない振りをしなければならない。そうしなければやっていけないのだから。だから知っているとはいえない。証拠を突き付けることもできない。あとは本人の成長に期待するしか。


 煙草の火を始末すると、涙ぐむデージーを残して部屋の中に戻った。


 入ったとたんに鼻腔を異臭が刺激し、激しい湿気が全身を包み込んだ。薬を抜くわけだから、湿度を高く保って汗が出やすいようにしているのだが、なかなかの地獄だ。ときおり換気と掃除をしているが、とても人が長居できる環境じゃない。それこそ――


「尋問を思い出すな……」


 中央のベッドでは、アイリスがバンドできつく縛られている。耳をつんざく悲鳴を上げて、身体が壊れても構わないと言いたげに、身をよじらせて暴れていた。金切り声に紛れるようにして、ベッドからは汗と尿が滴る水音が虚しく響く。


「クスリー! クスリヲヨコセー! コエガスルー!」


 俺が戻るや否や、アイリスは目を剥いて絶叫した。幻覚に狂っているようだ。


「何も聞こえない。何も見えない。お前は存在しないものに怯えて、費やそうとしている」


 かつての俺のように。


「ダマレー! キコエテイルンダー! クスリヲヨコセー!」


 アイリスの飛ばした唾が顔にかかるが、拭わぬままベッドに屈みこみ、唯一露出している手を握りしめた。


「仮に何かが見えたり、聞こえたりしているのならば、それに恥じない自分になるべきだ」


 反応はない。だがそれも今だけと信じて。


「アイリス。皆が待っている。だからがんばれ。がんばれ」






 三日が経過した。






 俺は水きりで汚物を排水溝にかきながら、気晴らしに唸る換気扇を見上げた。


 アイリスはなおもベッドを軋ませて暴れている。だが徐々に呂律が回るようになり、発する言葉も意味を持つようになってはきた。


 しかしながらまだ幻覚に苛まされているようで、場にそぐわぬうわごとを吐き続けていた。


「あいつら! あいつらの声がする!」


「あいつら? 誰だろうな?」


 受け流す返事をして、アイリスに負担をかけないように気を払う。下手に突っ込むとまた暴れてしまうからな。吐いて喉に詰まらせるかもしれんから食い物はやれん。水と点滴で持たせているが、体力が尽きたらそこでお陀仏だ。


「避難所ッ! 避難所に私の薬使いやがってッ! みんな死んだ! みんな死んだんだぞ!」


 物騒な話だな。繊細なアイリスには、とても耐えられそうな内容ではないな。そもそもヒステリー気質があったが、汚染世界で経験した悲惨な出来事のせいかもしれない。


 話が振られたからには、受け流しても延々と続ける。ここは自分の経験を話して、苦痛に共感を示すのがいいな。


「俺も昔226避難所でな――」


「知っているのッ!?」


 がたりとベッドが跳ねた。


「ああ……よく知って――あ?」


 知っているのって……お前何を……それに急に声のトーンが跳ね上がったぞ!? 何でいきなり暴れ出す! このままではまずい!


「赦してぇ! 赦してぇ! 赦してぇ!」


 獣のように吠え猛りながら、アイリスは激しく暴れ狂った。慌てて覆いかぶさって身体を抑え込み、落ち着かせようと耳元で囁いた。


「どうした。大丈夫だ。大丈夫。226避難所はもうない。ここはヘイヴン。お前の家だ。安心していい。皆が待っている。皆がお前の帰りを待っているんだ」


「帰りを待ってる……? やめてよ……祝賀パーティなんて……あそこは難民の受け入れ先よぉ! いくら収容施設が足りないからって! こんな! こんな! こんなこと! 許されるわけがないじゃない!」


 さもあの事件の引き金を担ったような口ぶりだが、俺は耳を貸すつもりはないぞ。貴様が何をしでかしたか興味はあるが、ピオニーのできつく反省した。俺は知ってはいけないし、知らない振りをしなければならない。


「レッド・ドラゴンが全員倒した。もう大丈夫だ。誰も殺されたりしない」


「あ――」と、アイリスが掠れた息を吐いて、急に静かになった。心配になって顔を覗き込むと、彼女は目に涙をためて震えているのだった。


「そう……私の作ったバーサーカーウイルスで……レッド・ドラゴンに……みんな殺されてしまった」


「な……に……を……?」


 血錆の匂いが、鼻腔をついた。ついで暴徒の狂った笑みが頭蓋を焼き、跳ねる薬莢の金属音が心に響き、あの子の顔が胸を締め付けた。あの惨劇を、お前が生み出したというのか。あの地獄を、お前が作ったというのか。


 驚愕で言葉を失う俺をよそに、アイリスは泡と共に言葉を吐きだす。


「私の作ったバーサーカーウイルスでッ! 避難民が暴徒になっちゃったのよぉッ! 何が試験運用よぉっ! 私は! 領土亡き国家に使うからッ! 開発したのにッ! そもそも領土亡き国家はすでに感染してるからッ! 効きっこないのにおかしいと思ってたのよぉッ!」


 すべてを吐き出し尽くすと、アイリスは荒い呼吸をつきながら、狭まった瞳孔を虚空に向けた。


「汝、何者よりも害すことなかれ……私は医者として最も侵してはならないことを……犯した……」


 アイリスは暴れるのをやめて、もぬけの人形となって横たわった。


 俺は軽く、歯を食いしばった。テメェのせいで……俺は……避難民は……あの子は……! あれだけのことをして、なぜのうのうと生きてられる? 答えは明白、記憶を消したからだ。しかしその罪からは逃れることはできない。


 こいつもピオニーと同じ戦争犯罪者だ。俺は知った。なら果たさなければならない。何を? 相応しい罰をだ。


『イッツ、オーダー!』


『イッツ、オーダー!!』


『イッツ、オーダー!!!』


 殺しても死なない不死身の兵士が、俺に命じてくる。


 俺の身に降りかかった災難は、貴様のせいだったのか。その報いを受けさせなければ、腹の虫がおさまらない。お前にはユートピアでの生より、惨めったらしい死が相応しい。


 しかし――マリアが俺を止めるよりも早く、わいた憎しみは虚しく霧散していった。


「もう終わった……終わったことだ」


 俺が言えた義理はないが……それが真実なんだ。


 ないものに費やしたところで、悲しみを繰り返すだけだ。あるものを受け取って、相手に返せる何かを作らなければ。


 ただ、ただ虚しいだけだ。


 暗闇で蠢く俺に、お前たちは手を差し伸べてくれた。


 今度は俺の番だ。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


「いいんだ。いいんだ。お前は赦された。過去を悔いていいが、過去に縋るな。もうない。虚しいだけだ。過去はどうあがいても、明日に勝つことはできんのだ」


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


「もう謝る必要はない。お前は赦された」


 アイリスの視界を手のひらで覆った。彼女はしばらく身体を戦慄かせていたが、やがて身体を弛緩させて、安らかな寝息を立てたのだった。


 ふぅ……落ち着いてくれたか。それはいいんだが、とんでもないパンドラの箱を開けちまったな。あのクソッタレな出来事の遠因が、こんなに身近にいたとは。


 煙草に火をつけて、一心地つける。しかしピオニーの件といいアイリスといい、ゼロのドームポリスには国の暗部から逃げてきた連中が多いな。この調子で全員の身元が判明したら、俺たちを受け入れてくれる人類なんていなくなるんじゃないか?


 アイリスには後で口止めするとして、全てを知ったうえで何も知らない振りをする――か。


 言うに易しくて、やるに厳しい。


「それとアイリスのいったことが本当なら、仮称AEUのボケども……そのバー何とかウイルス、使ってくるかもしれんな」


 長いこと戦場にいたが、そんな幼稚な名前のウイルス聞いたこともないぞ。また時間の余裕を見つけて、ヘイヴンのデータベースで調べてみるか。






 さらに三日が過ぎた。





 アイリスは落ち着きを取り戻して、小康状態が続いている。今なんかも俺が差し出す流動食を、上品に口にしていた。トイレに行きたいといえば、安心して拘束もとけるぐらいだ。


 食事を終えたアイリスが、せがむように唇を尖らせる。俺はナプキンで口元を拭うと、部屋の隅にあるパイプ椅子に腰を下ろした。


「ナガセ……」


 データーベースから印刷したBⅭ兵器のリストに目を通していると、不意にアイリスが俺の名を呼んだ。声色はしっかりしている。だが迷いに口調が弱い。薬のうわごとじゃなくて、何か不安があるようだな。


「ちゃんとここにいるよ。どうした?」


「そう……ならいいです」


「そうか」


 手元の資料に視線を戻す。しかし――バーサーカーウイルスってなんだ? 人間が暴徒化したことを考えると幻覚ガスの可能性が高いのだが、化学剤だと継続した効果は望めん。それにウイルスと銘打たれているからにはバイオ兵器だと思うのだが、該当する兵器が一つもない。


 第一あの地獄で過ごしていた俺や避難民が、罹患しないはずがないんだ。まるで訳が分からんぞ。


「ナガセ……」


 また名を呼ばれた。うわごとで汚染世界での罪を口にしたことに、気づいているのだろうか? 繰り返しになるが、俺は何も知らない振りをするだけだ。


「ここにいる。どうした?」


「昔のこと……思い出した……」


 突然の告白に、言葉を失った。だがアイリスは続ける。


「私は……シャルロッテ・ベルナトット。AEUの医者、そして生物学者です」

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