自立-4
ヘイヴンから救援にきたダガァたちが、擱座したレイピア二躯の回収を終える。搭乗員はコクピットから救出されて、一息つくと皆の注目はパンジーに集まった。
パンジーは項垂れたままで何もいわず、泣きはらした目で床を撫でている。その様子がいじめられていたピオニーとアイリスに重なって、とてもいたたまれない気持ちになる。そのせいか誰も声をかけられずに、ただ見つめることしかできない。
あぐらをかいて水を飲んでいたプロテアが、意を決したように立ち上がった。
「よぉ。お前何で危ないことしたんだよ」
途端どこからともなくナガセが現れ、無言で彼女の脳天に拳骨を振り下ろした。
「ってぇぇぇ! あにすんだよ!」
「お前はあっちで説教だ。こいバカモン」
ナガセは軽いため息とともにプロテアの首根っこを引っ掴むと、そのままずるずると管制室へと連れていく。
「ええっ! 何で俺が!?」
「ほほぉ~理解できてないんだな。これは叱らんといかんなぁ。お前はただ叱るよりも、じっくりと時間をかけた方が効果があるのを知っている。まぁ茶でも啜りながら話を聞け」
「今それどころじゃないだろ! パンジーを独りにはできないだろ! 説教なら後で受けるから勘弁してくれ!」
プロテアの奴、子供みたいにじたばた暴れて抵抗しているが、いかんせん地力の方はナガセの方が強い。ずるずると引きずられていく。だがナガセも左手がないので、手こずっているようだ。やがてナガセは頬を引くつかせて、大きな声で言った。
「あと俺は命知らずなバカは嫌いだからな」
プロテアが真っ赤になり、腰砕けになって尻もちをついた。
「ちがっ! あれは! ひぇぇぇッ!」
ナガセはその隙を逃さず管制室へと引きずり込むと、乱暴に後ろ足で扉を閉めた。
しんと辺りが静寂に包まれる。静かになったのはいいが……気まずい雰囲気だ。
私自身パンジーに声をかけるきっかけを見失ってしまったし、他の女たちもどこか所在なさげで後始末に専念している。誰もが関わり合いになりたくないオーラを発して、背中を向けていた。
パンジーはだだっ広い倉庫で、独り孤立している。気遣う者もなく、そもそも存在しないものとして扱われて、ただただ自分で消えるという惨めな選択しかとることを許されない。
これも――あいつらのした虐めと変わらんではないか。
私は何を地べたに座って見ているんだか。両手で頬を張ると、軋む身体を圧してパンジーに駆け寄ろうとした。
「さっ! 行ってきなさい!」
サクラの澄んだ声が倉庫に響いた。見ると倉庫の入り口で、サクラがピオニーの背中を押したところだ。
ピオニーは軽い悲鳴を上げて脇腹をさすった後、辺りをきょろきょろ見渡してパンジーに目を止める。そして初めて見る険しい顔つきになると、小走りで駆けて行った。
おいおいこれはまずくないか。止める間もなくピオニーはパンジーの胸ぐらを掴んで立たせると、思いっきり頬に平手打ちした。パシーン、と小気味のいい音が倉庫にこだまする。周囲の女たちは作業を忘れて、丸くなった目を二人に注いだ。
パンジーは茫然自失でされるがままだったが、相手がピオニーだと気づくと唇を噛んで視線を伏せる。
ピオニーはそうはさせまいと掴んだ肩に力を入れて、無理やり自分と向き合わせた。
これは――どうしたものか。ピオニーの心情を考えると無暗にとめがたいし、かといって虐めを看過するわけにいかんし。そもそもサクラが焚き付けるようなことをしたのが悪いと思うのだが、あいつはこんな腐れたことをするはずもない。
真意を探ってサクラを見やると、あいつにしては珍しく晴れやかな笑顔で見守っている。
つまり――
「何であんな危ないことさんしたんですかぁ! 死んじゃったらどうするんですかぁ!」
ピオニーの悲鳴が辺りにこだまする。掴まれているパンジーはもちろん、遠巻きに眺める女たちも、目を丸めて息を飲んだ。
「ぺしってされて痛い痛いさんですよねぇ! でも死んだら痛い痛いさん無くなるんですよぉ! 痛い痛いさん無くなって……むしゃむしゃもされなくて……何にもなくなって……それで……それで……えぐっ」
ピオニーが涙ぐんで、鼻水をすすりながら顔を拭った。
パンジーも我慢できないように軽く嗚咽を上げる。そして乱暴にピオニーの手を振り払った。
「そんなこと。いわれなくても。わかっている。でも! 私は! もう生きたく……続けたくない。辛いよ。こんな生き方。痛みに耐えるの。嫌だ。私は……嫌だ!」
お前の気持ちもわかる。マリアの死に一枚かんで、その責任をなすりつけて、人を傷つけたのは否めない。悲しいことにパンジーは、自らに罪悪感を抱けるほどまともなのだ。その罪を抱えて生きて行けなんて、面と向かっていえたものではない。
だがピオニーは唇を結んで涙をのむと、訳が分からないようにきょとんとした。
「はえ? 痛いから生きていくんじゃないんですかぁ? 痛くないのに、生きていく意味があるんですかぁ?」
あ。ピオニーがまた頓珍漢なこといおうとしているな。空気もあったまったことだし、収拾がつかなくなる前に助け舟を出さないと。
のそりと二人に歩み寄ろうとすると、いつの間にか隣にいたサクラが手で私を制した。
「黙って見ていなさい。無能な雌猫」
「そうもいかんぞ。ここが正念場なんだから」
サクラの手を押しのけようとしたが、彼女は頑として離そうとしない。
「伊達にドームポリス内活動を任されていないのよ。ピオニーなら心配ないわ。あの子はあの子で、ちゃんと考えているのよ」
サクラは目を細くして、二人のやり取りを見守っている。そうは言われても……ピオニーに何かを期待すること自体が間違っているような気がするのだが――いつでも割って入れるように脚に力を込めつつ、腕を組んで静観することにした。
「痛いから……やめるんですか? 痛くても……しなくちゃいけないことがあるんですよ? ご飯さん作る時、私たくさんたくさん痛いさんします。殺しますしぃ、時には生きたまま血を抜きますぅ。私はもちろん……生き物さんはそれ以上に辛いです。それでも痛い痛いさん止めることできないんです」
ピオニーは柔らかな笑みを浮かべると、そっとパンジーの頬を撫でた。
「ほっぺ。痛い痛いさんですよねぇ。やっちゃったことは忘れちゃいましょう。もう終わっちゃったんですから。でもその痛い痛いさんは忘れないでください。その痛い痛いさん。きっとこれからパンジーを助けてくれますからぁ」
パンジーは受け入れられないように首を振った。そんな都合のいい解釈はできない。自らの罪に押しつぶされて、生かされることを拒むように。
しかしピオニーは笑顔のまま、折れた脇腹をさする。
「私もあれからいろいろ気を付けていまぁす。えと、忘れ物さんしないようにメモ取ってますしぃ。大事なことはいうようにしてますしぃ――ちょっと細かすぎだとサクラには怒られましたけどぉ」
「お黙り」
「はえぇぇぇ~。さっきぺしってしたのだって、パンジーにもうあんな危ないことさんしてほしくないからでぇ。私のやっちゃったことさん、忘れろなんて都合のいいことさんいえないけどぉ……パンジーは私と一緒に乗り越えて欲しいから、痛い痛いさんしてくれたんですよねぇ」
パンジーの瞳が、限界まで開かれる。横に振られる首が、激しい拒絶から、弱々しい否定に意味が変わったような気がした。
「違う……違う……私は……私は……」
「わかってますってぇ。パンジーも痛い痛いさんした時、心痛い痛いさんだったんですねぇ。分かります分かります。でも、それも必要な痛い痛いさんです。だからここでやめちゃうなんていわないでください」
ピオニーが腕を伸ばして、がばっと力強くパンジーを抱きしめた。
「だから……私が間違ったら、また痛い痛いさんして下さい。私を止めてくださいねぇ」
「そうだけど……違う……違う……私が痛いのは……私が醜いからで……私が殺したからで……私……私……私のことしか……考えて」
パンジーの嗚咽が再び激しくなり、ボロボロと大粒の涙をこぼした。
もう……大丈夫だろうな。私が納得して足から力を抜くと、サクラもようやく阻む手をどけた。
ピオニーはにわかに慌てると、パンジーの涙を拭いながら、その頬を優しく撫でる。
「何で泣くんですかぁ……ぺしってしたの……そんなに痛かったですかぁ……」
パンジーは首を振る力をさらに弱々しいものに変えると、ピオニーにしなだれかかって縋りついた。
「痛い……そっち……私は……私は……結局……私のことしか……」
「私のことしかってぇ……今私のこと気遣って泣いてくれてるじゃないですかぁ。忘れちゃいましょう。忘れちゃいましょう。痛みさえあれば、いつだって心さんに残りますからぁ……ふえぇぇぇ!? 何でさらに泣いちゃうんですかぁ!」
パンジーはついに立っていられなくなり、その場に尻もちをついてしまう。そのまま天を仰ぐと、人の目も気にせず号泣した。
ピオニーは助けを求めて視線をさまよわせたが、女たちは誰も助けようとはしない。どこか安心して胸を撫でると、各々の作業に戻っていく。
ああ、ほっとする。皆気づいているんだ。パンジーを許せるのは、ピオニーを許せるのは、お互いしかいないんだとな。
「そういやお腹すいたなぁ」
誰かが助け舟を出すと、ピオニーはすぐに飛びついた。
「あ! そうですよ! ご飯さん! ご飯さん食べましょう! そうすればみんなニコニコ元気もりもりでぇす! ね!? そうしましょう!?」
ピオニーはパンジーの腕を引いて、食堂へと誘おうとした。
パンジーは溢れる涙を拭いながら、何度も、何度も、頷いたのだった。
「食べる……食べる……」
「やったぁ! ねぇ。あれからいろいろ新メニューを作ったんですよぉ! ビーフシチューとかぁ、ポークシチューとかぁ、チキンシチューとかぁ、どれが食べたいですかぁ!」
「何でもいい……何でもいい」
よろよろと危うい足取りで歩くパンジーを、ピオニーはそっと背中に手を添えて支えた。私は二人が身を寄せ合って、倉庫を後にするのを見送ることにした。
「ね。大丈夫だったでしょ?」
サクラが得意になって胸を張る。嫌味の一つでもぶつけてやりたいところだが、認めざるを得ないな。ナガセの命令に忠実な肉人形だと思っていたが、人の心を思いやる力が私よりもあるようだ。サクラのことを理想主義者と罵っていたが、人のことを言えた義理ではなかった。
「ああ。すまんな。ぶち壊すとこだった」
「じゃあすることがあるわよね」
サクラは私の前で仁王立ちになると、より胸を張ってふんぞり返る。腹が立つんだが――混乱を招いたのは私だしな。つまらん意地で人を傷つけたばかりだ。流石に学習したぞ。
「ん。すまん。この通りだ」
腰を折って深々と頭を下げた。即座にスパーンとさくらの平手が振り下ろされて、脳天に軽い衝撃が走った。
痛いな。こちとらマクスウェルシステムのせいで、全身鞭打ち状態なんだぞ。立っているのがやっとなのに、何をしやがるんだこの雌犬は。顔を上げるとサクラは腕を組んで、不機嫌そうに鼻を鳴らしていた。
「何バカやってんの? 軽い頭下げてもらっても嬉しくも何ともないんだけど。これでアンタはリーダーの器じゃないってわかったでしょ? とっととナガセに具申して、私にドームポリス外活動の指揮権を委任するようになさい」
「貴様なぁ……」
軽くジンジンする頭をさすりながら、ナガセの消えた管制室に流し目を送った。十分ぐらい時間がたったが、説教とやらはまだ続いているらしい。今のあいつが暴力を振るうとは思えんが、ことがことだけに多少の体罰が加えられているのかもしれん。あんまり度が過ぎるようなら止めんといかんな。
サクラに手招きをして、連れだって管制室まで足を運んだ。このボケ私が指揮権を譲ると思っているのか、スキップしながら鼻歌まで奏でやがって。またあの化け物が気まぐれを起こして狂ったなら、止められるのは私しかいないんだからな。当分はこの権利は手放すつもりはないぞ。
ドアノブに手をかけたとき、向こう側から扉が勢いよく開いた。そしてプロテアが青ざめた顔で躍り出て、倉庫に逃げ出そうとした。
「たっ! 助けっ! 死ぬ! このままだと俺は殺され――」
管制室の暗闇からナガセの腕がにゅっと伸び、プロテアの襟首を掴むと室内へと引きずり込んだ。
「どこに行くんだプロテア。まだ説教は終わっていないぞ。あと二時間も残っている」
「ひえええええっ!」
プロテアの断末魔を残して、管制室のドアが乱暴に閉じられた。
まぁ……暴力を受けている様子はなかったし……またあんな真似をされたら困るし……ナガセに任せておけばいいか。しかしプロテアのあんな怯えた顔は久々に見たな。一体中では何が行われているのだろうか。
不意にドアが開かれて、ナガセが顔を覗かせた。私は驚きのあまり軽く飛び上がった。
ナガセは私とサクラに一瞥をくれると、ない左腕で順々に差した。
「ああ。お前らは休んでいいぞ。特にアジリア。医務室で横になっていろ。今は何ともないかもしれんが、数日後確実に鈍痛で動けなくなるからな」
了解したが、室内の電気をつけないのは何か意味があるのか? それにあれだけうるさかったプロテアの声がせず、しんと静まり返っているのも怖いんだが。ナガセの肩越しに中の様子を伺おうとしたが、それよりも早くドアが閉じられてしまった。
「あ! ナガセお待ちください! アジリアが――あー……あ~あ……チャンス逃しちゃった」
サクラがしょぼくれて肩を落とし、ややきつく私を睨みつけてきた。私の落ち度はないと思うんだがなぁ……こういうところが好きになれないなぁ。
軽くため息をつくと、小言を吐くサクラを無視して医務室にむかった。
*
音声記録 オクシタニー議会 新暦一年・六月十二日
「クロンダイク作戦は無事終了。領土亡き国家をクロウラーズの本拠地まで誘引し、威力偵察を実行した」
「結果は?」
「クロウラーズは本拠地として、アメリカ所属アリゾナ22ドームポリスを使用と判明した。迎撃に出たのは三名。驚くべきことに使用した人功機は、デュランダル一躯にレイピア二躯だった」
「……なぜ我がAEUの躯体を所有している。彼らがアメリカ人なら、ダガァを出して然るべきではないのかね?」
「残念ながらそこまでは……迎撃時の指揮を鑑みるに、軍隊としての統率は全く取れていない模様。これなら我が軍は被害を出さずに、勝利することはたやすいと思われる」
「いずれにしろ奴らが領土亡き国家である疑いが増したわけだ。我々は躯体を融通したりしない。そして封印されているはずのアメリカの最新鋭機を扱っている。敵の素性はアリゾナ22を占領した、領土亡き国家だと考えるべきだろうな」
「成程。これ以上の問答は不要だな。バイオプラントの粘菌殲滅作戦が進行中だったな。終わり次第、ゴミどもの掃除と行くか」
「一つ。気になることが」
参考資料:D‐789の表示。
タワー型ドームポリスのテラスで、通信機を片手に佇む成人男性の写真。
人種、日本人。照合――ミクロネシア連合所属、キョウイチロー・ナガセと判明。
「こいつは……驚いたな……」
「レッド・ドラゴン? レッド・ドラゴンがいるのか!?」
「なんだと! なぜレッド・ドラゴンがこんなところにいるんだ!?」
「それは何とも。ただクロウラーズの指揮を執っているのは、レッド・ドラゴンである可能性が高い」
「馬鹿め。奴が指揮していたのなら、このていたらくはない。私は奴をよく知っている。なぜなら我々のドクトリンは、奴の戦闘データを解析して作られたのだからな」
「ああ。奴が指揮を執っていたのなら、領土亡き国家なぞ楽に蹴散らし、斥候に出したレイピアも蹂躙されていただろう。きっと奴も領土亡き国家に謀られ、人類と信じているに違いない」
「ひとまずフーシェ中尉はレッド・ドラゴンに待つように通達し、引き上げたそうだ」
「と、なると先のバイオプラントの騒動も説明がつくな。領土亡き国家がレッド・ドラゴンを騙し、粘菌爆弾を起爆した。しかしレッド・ドラゴン自身が拡散を防いだのだろう」
「どうする? 攻撃を控えるか?」
「しかし領土亡き国家をのさばらせるわけにはいかない。それに資料によれば、レッド・ドラゴンは左腕を失ったようだ。226避難所を単独鎮圧した猛者とはいえ、いつ寝首をかかれるかわからんぞ?」
「彼は人類の英雄だ。救出しなければならない」
「しかしながら、現状はわからん。レッド・ドラゴンが領土亡き国家に脅されているのか、それとも人間に扮した領土亡き国家に騙されているのか、はたまた心を売り領土亡き国家に与しているのか。我々は二度と同じ過ちを犯してはならない」
しばしの沈黙。
「領土亡き国家は感染しない……そうだな?」
「使うのか? 例のウイルスを。私は好かんな。ヨーロッパの騎士道精神に著しく反する」
「黙れ。そんなものはとうの昔に腐り落ちた。話を聞こうじゃないか」
「領土亡き国家は、開戦と同時に感染している。ウイルスのレセプタ(受容器。この場合ウイルスが感染するのに必要な器官)にはすでに塞がっているんだ。感染の仕様がない」
「なら結構。仮にレッド・ドラゴンが感染しても、こちらでアフターケアを行えば良し」
「よし。バーサーカーウイルスを使うぞ」
記録終了。




