思慕-6
俺は出席簿と教科書を片手に、軽い足取りで教室を後にした。
時分は昼時。この世界で数少ない娯楽の一つ、昼食の時間である。そんな俺の背後を、プロテアとローズ、アカシアたちがぞろぞろと続いてきた。サンとデージーの姿が見えないが、彼女たちはパンジーたちと作った食事をとるのだろう。
「パンジーたちと言えばだが……」
俺は手元の出席簿に視線を落とした。サクラ、アジリア、プロテア、アカシア、ローズは皆勤で、全ての授業に顔を出していた。プロテアは責任感だけだが、サクラ、アカシアは熱心な生徒。アジリアは俺の動向を監視しているのかもしれないが、授業中はしっかりと勉学に励んでいた。ローズもローズで引っ越しの思惑があるのだろうが、俺の授業に口を出すことは一切なかった。ちなみにパギは慕っている姉貴分が教室に顔を出すので、教室の隅で遊んでいるのだった。
サンとデージー、ロータス、そしてリリィの出席率は、半々といったところだ。サンは他にやりたいことがあるようで、欠席の旨を伝えてから休んでいる。やりたいことの成果を見せることを条件に、俺はそれを許した。デージーはサンが出席するときだけ顔を出していた。リリィはサクラとプロテアが、授業にいない時だけ校舎に訪れる。ロータスは完全に気まぐれで出席しているようだった。
問題なのがパンジーとアイリス、そしてピオニーだった。彼女たち授業をはじめてから、一度も教室に顔を見せなかった。俺は顎に手を当てると、考え込んでうなった。
「パンジーやアイリスが顔を見せんのはわかるが……ピオニーが出てこないのが解せん。お前ら。ピオニーが何で授業に顔出さないか、知っている者はいるか?」
俺が肩越しにプロテアたちに聞いてみると、彼女たちは少し考えるように間を置いた。やがてプロテアが、カラカラ笑いながら俺の背中を叩いた。
「受けても意味がないから、控えているんじゃないの? あいつ俺と同じくらいアッパラパーだからよ」
仮にプロテアとピオニーが、同じくらいアッパラパーだとしても、同じくらいまじめな性格をしている。俺に何の断りもなく、授業を休むとは思えない。俺が難しい顔をしたのを気取ってか、アカシアが思い出したようにつぶやいた。
「そういえばピオニーって、いつも厨房にいるはずなんだけど……ここ最近どっか行っちゃうときあるよね。珍しいことだよ」
「ほんとか?」
俺が聞き返しながら振り返ると、ローズが不安そうに眉根を寄せながら答えた。
「うん……私よくピオニーの手伝いをするから、ちょいちょい気にはなっていたんだけど。食事前の時間と、午後の夕暮れ前ぐらいかな? 厨房を空けて、どこかに行っているみたい。空けるといってもほんの十数分で、今まで気にも留めていなかったけど」
ピオニーのシフトは、他のクロウラーズと違って特殊である。彼女は手先が不器用で、物覚えもいい方ではない。何より判断力が乏しい。必然的にミスが多いので得意の料理の他は、簡単な備品の修繕や、洗濯物の始末をさせていた。
「おかしいな。備品の修繕なら保管庫の連中と顔を合わせるはずだし、洗濯物の始末に行っているのならテラスの奴らが見ているはずだ。誰か思い当たる節などないか?」
女たちは揃って首を振り、表情に不安をにじませる。やがてアカシアが、声を潜めながら俺の袖を引いた。
「ピオニーに限って、そんなことはあり得ないと思うんだけど……ロータスの前例があるからね。危ないことしていないか、いっぺん確かめた方がいいかも」
「そうだな。手伝いがてらに聞いてみるよ」
俺が何気なく呟くと、プロテアが軽く吹き出した。
「ナガセが……お手伝いだと……? 明日雨でも降るんじゃねぇか?」
アカシア興味津々といった様子で、俺の袖を人懐っこくゆさぶりはじめた。
「ナガセ……ひょっとして暇なの? だったら僕と一緒に動物のお世話しようよ! 楽しいよ! ねぇ大変だから手伝ってよ!」
「やかましい。事務に採点、現状確認でバリバリ忙しいわい」
俺が無下に突っぱねると、アカシアは不服そうに頬を膨らませる。そして「なんでなんで?」と口やかましく聞き返してきた。ローズは俺たちのやり取りを遠めに眺めながら、くすくすと上品な忍び笑いを漏らしているのだった。
俺たちは足音を重ねながら、談笑をまじえつつ、食堂へと入っていった。食堂に人の姿は少なく、アイアンワンドが空の食器を片付けている姿だけが見えた。奥の厨房からは食材を刻む規則正しい音と、食器を洗う水の跳ねる音が響いている。俺がやや背伸びをして厨房を確認すると、ピオニーとアジリアが並んでいるのが見えた。
ピオニーは厨房の調理台で、鼻歌混じりに野菜を細かく刻んでいた。彼女は俺たちが食堂に入ってくると、目を輝かせながらキッチンから身を乗り出した。そしてメンバーにサンとデージーがいないことに気づいて、悲し気に視線を伏せたのだった。彼女は先ほどよりも鈍い手つきで、野菜を刻むのを再開した。
「はえ~……今日もパンジーさんたち来ないんですねぇ……やっぱ私の料理さんの腕、落ちちゃったんでしょうかぁ~……」
アジリアはピオニーの暗い声を耳にして、スポンジごと手を上げて、注目を引くようにひとさし指を立てた。
「そんなことはない。貴様の料理は美味い。アイアンワンドの作ったものとは、比べ物にならんほどな」
アイアンワンドは機械の分際で、不服そうに唇を尖らせた。アンドロイドは汚れた食器を、アジリアの構える流し台に叩きつけた。
「マム・アジリア。聞こえておりますよ。お言葉ですがこの私、きちんとマム・ピオニーのレシピ通りに調理いたしました。差など生まれるはずがないのです」
「そこが腕の差だ。お前にピオニーの代わりは務まらんということだ」
アジリアは鼻で笑いつつ、置かれた食器を流しに張られた水に沈めた。そして邪魔するなと言いたげに、アイアンワンドをしっしと追い払った。
「左様にございますか。しかし最近マム・ピオニーも、料理の焦げや崩れが目立つようになってきたと思います……調子が戻るまで、私が代理を務めることもできますが……」
アイアンワンドは自信あり気に、大げさに胸を張って見せた。機械として、人間の負担を軽くしたいと思ったのだろう。しかしピオニーは軽くため息をつくと、蚊が鳴くようにつぶやいた。
「はえ~……やっぱりそうですかぁ~。私の料理の腕さん……落ちちゃったみたいですねぇ……」
ピオニーはあっけらかんとした様子を見せてはいるが、精神的に参ってきているようだ。調理ではミスしたことのない彼女が、ここ最近手際の悪さが目立つようになったのだ。表には出さないが、絶え間なくぶつけられる敵意に、疲弊してきているのだろう。
アジリアはピオニーを励まそうと、手を尽くして手伝いまでしていたに違いない。アジリアは努力を台無しにされて、誰にでも落胆がわかるように、大きく肩を落として見せた。そしてアイアンワンドを睨み据えると、ドスの利いた声でうなった。
「ぶち壊すぞ……」
アイアンワンドは機械特有の無表情を浮かべて、自らの行いを振り返ったようだ。すぐに後悔で口元を震わせた。
「申し訳ありません……過ぎた真似をいたしました……」
ピオニーが無力を痛感してか、歯を噛みしめて首を横に振った。
「アイアンワンドちゃんが謝ることはないですよぉ~……私がちゃんと仕事出来ないのがいけないんですからぁ……」
それっきり食堂はしんみりとした空気に包まれてしまい、ピオニーの包丁がまな板を叩く音だけが、虚しく響くのだった。
俺は一緒に来た女たちを、食卓へと強引に座らせた。そして厨房へと入り込み、ピオニーの手元を覗き込んだ。彼女は緩慢な手つきで、キャベツを刻んでいる最中だ。近くにはポークソテーと、茹でたジャガイモの乗った皿が五枚用意してあり、残りの一枚にはローズ用の焼き魚がこしらえてあった。後はキャベツを盛るだけで完成だろう。
俺は手伝いをする名分があるうちに、身体をアジリアとピオニーの間に滑り込ませた。そして水の張られた流しの中に手を入れて、適当な皿を洗うことにした。
「近寄るなボケ……」
アジリアが喉に怨嗟を絡ませて、押し殺した声で言った。俺は特に気に留めず、むしろ身体で彼女を押して、俺の作業スペースを空けるように要求した。
「そう邪険にするな。ほれ。洗ったやつを拭いてくれ」
俺は一枚のプラスチック皿を洗い終えると、アジリアに押し付けた。彼女は今にも爆発せんばかりに、顔を真っ赤にして髪の毛を逆立てた。しかししょぼくれたままのピオニーを一瞥して、これ以上空気を壊すまいと考えたのだろう。大きな深呼吸で怒りを吐き出し、俺からひったくるようにして皿を受け取った。
食卓ではプロテア、アカシア、ローズたちが、料理が運ばれてくるのを、軽く談笑を楽しみながら待っている。ピオニーはその様子を、どこか羨ましそうに盗み見て、キャベツを刻む手をさらに鈍くしたのだった。
ピオニー自身が、クロウラーズと関わるのを嫌がっているわけではないみたいだ。ならばなぜ、授業に顔を出さないのだろうか。俺は三枚目の皿を手に取りながら、ピオニーを横目に聞いてみた。
「ピオニー。どうしてお前は授業に顔を出さないんだ?」
「はえ? なんの話ですか?」
ピオニーはまな板に視線を落としたまま聞き返してきた。上の空で、俺の言葉なぞ聴いていない様子だ。俺は苦笑いを浮かべると、ピオニーの肩を叩いて注意を引いた。
「貴様らに一般教養を教えるために、ちょっと前から授業を始めたのは知っているはずだ。特に用がなければ出席し、欠席の際はその旨を事前に伝えるよう言ったはずだ。どうして顔を出さないんだ?」
ピオニーは一瞬顔に怯えの色を浮かべてから、それを無邪気な笑いで塗りつぶした。
「ちょっと用事があるんです」
俺は不安で胸がかき乱されるのを感じた。天衣無縫なピオニーが、明らかに隠し事をしているのだ。俺は皿を洗う手を止めて、ピオニーに向き直った。
「その用事とはなんだ?」
「内緒ですぅ!」
ピオニーは俺の追及から逃れるように、まな板を叩く包丁を速めた。しかし千切りにされるキャベツは、見るからに不揃いになっていき、本人の動揺が見て取れるのだった。
「どうして? どうして内緒なんだ?」
「どうしてってぇ……内緒だから内緒なのでぇす!」
ピオニーの声がにわかに大きくなる。その騒ぎを耳にしてか、食堂でプロテアたちの談笑がやんだのだった。
「最近料理の支度が遅いな……用事に関係することか?」
「ごめんなさいぃ! すぐ作りますからぁ! ちょっと待って下さいねぇ~!」
ピオニーはまな板に覆いかぶさるようにして、包丁を動かす手をさらに早めた。キャベツが不細工な千切りになって、まな板の上に飛び散っていく。千切りは料理に必要な分量を超えて、まな板の上に山と積まれていった。
「おい……どうした……嫌なら言わなければいいんだ……おい! ピオニー!」
やがて包丁の刃がピオニーの指を掠めて、ぴっとまな板に鮮血が散った。ピオニーは軽い悲鳴を上げて、包丁を取り落とす。そして彼女は身体をくの字に追って、切った左手をかばった。しかしそのまま蹲ることはなく、脇腹をかばうように急に体を跳ね上げたのだった。
俺はピオニーに寄り添うと、脇を圧迫して止血してやった。指先から滴る血は勢いを弱めて、傷口はアジリアの差し出したナプキンで覆われた。しかしピオニーはその際にも、苦痛に身をよじらせたのだった。
「なぜ脇腹をかばう?」
俺は上ずる声で、恐る恐る彼女に聞いた。ピオニーはニコリと微笑むと、何でもないように首を振って見せた。
「ぶつけたんですぅ~」
ピオニーは千切りにした不揃いのキャベツを、丁寧に皿に盛りつけていく。そして鼻歌を奏でながら、食卓で待つプロテアたちの元に運んで行った。俺とアジリアは訝し気に眉根を寄せて、その後姿に視線を注いだのだった。やがて俺は、そっとアジリアに耳打ちした。
「シャワーは大抵、一緒に使っているよな。ここしばらく彼女の裸を見たことあるか?」
「いや……一人で済ますのが……多くなった気がする……」
ピオニーが配膳を終えて、厨房に戻ってくる。彼女は俺とアジリアが黙りこくったまま、自分を見つめていることを知ると、気恥ずかしそうに頬を掻いた。それだけではなく、卓につくプロテアやアカシア、ローズまでもが料理に手を付けずに、心配そうに様子を窺っていることに気づいた。彼女は食堂の視線を一身に集めて、気まずそうに身を縮めたのだった。
「はえ? 私また何かやっちゃいました……?」
俺がアジリアに目配せすると、彼女は浅く頷いて見せた。
「ピオニー。指の傷を私が見てやる。保管庫の医療室までは遠いし、シャワー室までちょっと来い」
「へぁっ! これぐらい平気平気さんですよぉ~。大丈夫ですから気にしないでくださいぃ~」
「そういうわけにもいかん。行くぞ」
アジリアは嫌がるピオニーを強引に引きずり、急ぎ足で食堂を出ていった。焦りで短いテンポを打つアジリアの足音が、ピオニーのよたよた歩きを伴って、次第に遠ざかっていく。やがて足音が廊下の奥に消えたころ、ローズが神妙な顔つきで言った。
「ナガセ……どうかしたの?」
「お前たちは飯を食え」
俺は質問を受け付けず、彼女たちの前に置かれた湯気たつ皿を顎でしゃくった。三人はこれから食事をするというのに、緊張できつく口元を引き締めた。そして食堂のドアを見つめたまま、フォークを手に取ったのだった。
プロテアたちはナイフで料理を切り分けはするものの、フォークの先端でつつくだけで、なかなか口にしようとはしなかった。時間だけが刻々と過ぎていき、料理からは湯気が途絶えてしまう。彼女たちはアジリアとピオニーの帰りを、食事の合図にせんばかりに、じっと待っているのだった。
「誰だ! こんなことをしたのは! ただでは済まさんぞ!」
アジリアの悲鳴が、廊下を駆け抜けた。すぐに廊下を蹴る荒い足音が続き、アジリアが鬼の形相で食堂になだれ込んだのだった。彼女はまっすぐ俺の元まで駆け寄ってくると、普段の嫌悪をかなぐり捨て、俺の手を取ったのだった。
「脇腹にひどい痣だ! おそらく肋骨がイっている!」
俺は不思議と、冷静なままでいられた。というのも、不安が現実のものになったわけではないからだ。ピオニーはただ転んだだけかもしれない。誰かが 彼女を傷つけたという確証はまだないのだ。ひとまず医者に彼女の様態を見せて、それから詳しい話を聞くことができるのだ。
「アイリスを呼べ」
そこまで言って、俺ははっとした。
アイリスは……アイリスはどこだ……!?




