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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目前半【ECO編】
187/241

思慕-3

 ローズ主導の部屋替えが終了し、はやくも一週間が経とうとしていた。俺は保管庫を追い出されて、不貞腐れながら教室で執務をとっている。サクラから上がってきた書類に目を通して、確認のハンコを押し、分類ごとにまとめるだけの簡単な仕事だ。だが俺はなかなか集中できずに、慣れた捺印すらてこずる有様だった。


 俺は手元が狂って、ずれた捺印を目にして舌打ちをした。そして大きなため息をついたのだった。


(クソ……事務机だけは、俺の部屋のものを用意させたまではいいが――)


 俺の仕事場である教室では、書類をめくりスタンプ台が擦れる音だけが響いて、静謐な空間を生み出しているはずだ。しかし今ではクロウラーズのひそひそ話が、あちこちから聞こえているのだった。


「それ豚?」


 デージーの小声が、意識しなくても耳に入ってくる。それに答えたのは、プロテアの大声だった。


「ばぁか! ピコだよピコ!」


 プロテアがむっとした声で言うと、がたりと椅子を蹴って、パギの黄色い悲鳴が上がった。


「ピコはそんなデブじゃないよ! プロテアお姉ちゃん、ピコのこと忘れちゃったの!?」


「忘れるもんか! 俺の絵がへたくそなだけだ!」


 プロテアが慌てて弁明するころには、俺のこめかみにはやかましさのあまり、青筋が浮いていた。俺の様子を注意深く窺っていたのだろうか、サンが声を潜めて呟いた。


「シー……ナガセ仕事してるから……声を抑えて。またローズに説得してもらう羽目になるよ」


 それすら俺に聞こえてしまうていたらくだ。サンの一言で教室は一時的に静けさを取り戻したが、変わらず女たちのひそひそ話は続いたのだった。


(これだから嫌になる)


 俺は顔を机に向けたまま、上目遣いで教室を眺め渡した。対面に並べられた学習机では、サンとデージー、パギ、プロテアが、お絵かきに勤しんでいた。教室の壁にはクロウラーズの旗と一緒に、彼女たちがここ数日で描いた絵が飾られている。別に芸術的価値があるわけではない。ローズが勝手に張り付けていくのだ。


 俺は頭を抱え込んで、机の上に視線を戻した。そして手短な報告書を、腹立ちまぎれに握りつぶしたのだった。


 ローズの引っ越し計画によって、学校の初等部には大幅に手が加えられた。入ってすぐの一年教室は、俺の執務室兼、会議室兼、談話室となった。仕事中だというのに女どもが出入りをし、好き勝手遊ぶようになってしまった。


 ちなみに隣の二年教室には、元居た管制室の機能がそっくり移されている。ここで仕事をしたいが、ローズの目もあって難しいことだ。そして最奥の三年教室が、俺のプライベートな私室として割り当てられた。


「それにしても……この馬鹿ども何か勘違いしてるんじゃないか……」


 黒板と真向いの壁には、生徒のための用具入れが置いてある。そこにはクロウラーズ個々人の私物が、いつの間にか保管されている。ローズの縫いかけの服や、プロテアのギターはまだわかる。アジリアの読みかけの本までしまってあるのだから腹が立つ。


「俺の執務室を談話室代わりに使いやがって。最初こそ遠慮が見られたものの、最近では楽しそうにはしゃぎやがるんだからもう……」


 ローズしかいなかった頃はまだ平和だった。彼女の裁縫は音がしないし、石のようにいるだけで一言もしゃべらないんだからな。だが彼女が執務室でくつろいでいても、俺が文句を言わないとわかると、女どもはこぞって押しかけてきやがった。サクラやアカシアは手伝いが目的だったが、プロテアやパギは遊びに来ている。もちろんアジリアどもは休みながら、俺を監視しているという寸法だ。


「仕事に身が入らない……かといってローズには逆らえんし……くそ……」


 俺が机に膝をついて頭を掻きむしると、ノックもなしに教室の引き戸ががらりと開いた。


「ナガセ~。報告書だよ~」


 アカシアが鼻歌を奏でながら、友達の部屋のように入り込んでくる。上官を上官とも思わぬ無礼極まりない態度に、正座させてせっかんすべきだとは思う。しかし俺は感情の抜けた顔になって、彼女を迎え入れることしかできなかった。


「うん。ありがとう」


 部下に接する際の、横柄な口調と態度がどうしてもできない。書類を手に駆け寄ってくるアカシアが、どうしてもテスト用紙を手にした教え子と重なってしまうのだ。アカシアは無邪気な子供みたいに、自らの報告書を俺に手渡した。


「はい。さっき出してって言われたやつ」


「ああ……飼育小屋の修繕に関するやつか。確認したよ。確かアカシアは、リスのハンコだったな……」


 俺は気の抜けた声でつぶやくと、机の隅に置かれたポップなハンコ入れに手を伸ばした。中には可愛らしくデフォルメされた、動物のハンコが十五個収められている。俺はリスのシールが貼られたハンコをつまみつつ、ざっと書類に目を通した。


「うん。僕リス好きだよ。小さくてかわいいから」


「それはようございました」


 俺は慣れた手つきでリスの印を押すと、棚へと歩いてアカシアのバインダーに書類を収めた。俺が机に戻ってくると、微笑みを投げかけてくるアカシアと目が合った。


「ナガセ。ほのぼのしてるね~」


 はにかみながらも、溢れんばかりの満面の笑みだ。アカシアは俺の心境などつゆ知らず、心から現状を楽しんでいるようだった。彼女の無邪気さには拍車がかかり、感情を下手に押し殺すことは少なくなった。そして生のままに振舞うことが増えた気がした。


「そうだね」


 俺は無表情のまま機械的に受け答えしたが、アカシアはしょげることなく爛漫に笑い続けた。


「僕その書類通ったら、午後の動物の世話まで休みなんだ。だからここでちょっと勉強していくね。ナガセの邪魔はしないから」


 勉強していくね……か。前はしてもいいかなって、おどおどと聞いてきたんだがな。すっかり慣れてこのざまだ。俺はそれ以上喋る気になれず、浅い首肯を繰り返した。


「好きにしろ……」


「ありがと~」


 アカシアはニコリと微笑んで、駆け足で用具入れへと向かった。彼女は家畜育成記録のコピーの束と、ノートを手に自らの椅子に腰かけた。そして絵描きにふけるプロテアたちに交じって、黙々と勉学に打ち込み始めた。


 こうしてぼやいても、悪戯に時間を浪費するだけか。手元の書類に意識を集中して、仕事に没頭しようと試みる。しかし向かいに座るプロテアたちの気配や、ページをめくる物音に、どうしても気を引かれてしまうのだ。


 書類に目を通す振りをして、彼女たちの様子を盗み見た。すると同じようにこちらを窺っていた、アカシアと視線がはちあった。彼女は頬を真っ赤に染めると、気恥ずかしそうに俯いてしまった。


(集中するよう叱責すべきだが……普段の調子が出ない。それもこれも、この教室が俺の古巣に似ているのが悪いんだ)


 思い起こせば俺が教鞭を振るった教室と、この部屋はよく似ている気がする。支給された少ない教材を酷使して、懸命に授業を行ったものだ。壁一面には生徒の習字が貼られていて、用具入れには親の居ない子たちの私物が詰め込まれていた。そして俺が採点をする傍ら、子供たちは遊びに励んでいるのだ。


 細かいところに差異はあるが、生み出される空気はそっくりそのままだ。今まで追い求めてきた幻想が、現実となって俺を包み込んでいるのだ。俺は忘れてしまった感情に、心を激しく揺さぶられていた。しかしその感情の名を思い出せずに、ひどく悶々とした気持ちにさせられていた。


「こんなことになったのも、ローズが悪いんだ。俺が手を出したのが、原因なのは間違いない。しかし人がラリっているのをいいことに、弱みに付け込むような真似をして。ああ、人を導く立場の人間が、ラリっていていいはずないだろう。駄目だ。どう考えても俺が悪い」


 俺の脳裏に笑顔を取り戻した、ローズの顔が思い浮かぶ。昔の彼女の表情には、優しさの見返りがない淋しさと、満たされない虚しさが影を落としていたものだ。それがすっかりと余裕を取り戻して、無償の愛を周囲にばらまいているのだった。


「何がローズをあそこまで変えたが知らんが、あのヤロー……なんで俺の過去を知っていやがる? 教室のライブラリにあるはずはないし……俺の私物に過去に関するものはないはずだ。薄気味の悪い……何が目的でこんなことをしているんだ……」


 俺が愚痴をこぼしていると、不意にアカシアがすまなさそうに手を挙げた。俺は教師時代の癖で、席を立つと彼女の机に近づいて行った。


「どうした?」


 俺がぶっきらぼうに聞くと、アカシアは気まずそうに口元をもごもごさせた。


「あの……その……冬に備えて飼料をね、どれくらい用意すればいいか調べたいんだ。それで去年の報告書を調べてるんだけど、ナガセから何かアドバイスはあるかな?」


 なんだそんなことか。それぐらいの質問でもあれば、いくらでも答えてやれるぞ。


「今年は家畜の数も種類も増えたからな……去年の総消費量は出したか?」


「もちろんだよ。この数値から増えた動物の分を足そうと思うんだけど……単純に平均とるだけじゃだめだよね?」


「当たり前だ。動物ごとに飼料の種類も、消費量も違う。それに収集可能な飼料の量には限りがあるし、損失する可能性もあるんだ。全ての動物の飼料を用意することより、我々がどれだけの動物を囲えるかを考慮した方がいい」


 俺はアカシアの目的に、必要な前提を提示してやった。するとアカシアは背中を丸めて、ノートに顔がくっつかんばかりに机に伏した。いきなり難しい話をされて、くじけたのかと思った。だが彼女の顔を覗き込むと、嬉しそうに相好を綻ばせているのだった。


「へへぇ……ローズの言ったことほんとだ」


 アカシアが何かつぶやいたが、俺の耳にまでは届かなかった。まぁ何をほざこうが、課題が軽くなるわけでもない。俺は拳骨ではなく、手の甲で優しくアカシアの頭をはたいた。


「集中しろ。まず何から手を付ければいいかわかるか?」


「はぁい! 必要な飼料の総量を算出するんだね!」


 アカシアが上体を起こして、嬉しそうに答える。俺は腰に手を当てて、首を振って見せた。


「違う。収集可能な飼料には限界があるといっただろう。俺たちは飼料に適した作物を発見しておらず、生産した穀物の一部を飼料に転用している。つまり俺たちと同じものを、家畜も食ってるわけだ」


 前回の越冬では、家畜を囲い始めてすぐ冬が来たので、大した数がいなかった。それゆえ無計画で臨んでも、全ての家畜が冬を越すことができたのだ。しかし今では数が膨れ上がり、牛や豚が十数頭ずつ、羊も数頭もいる。そして鳥に至っては、三十を超える数がいるのだ。きちんとした計画を立てないと、生き物が餓死する陰惨な光景を目にする羽目になるだろう。


「だからまず出すべきは、冬までに貯蓄できる、俺たちの総食糧の数だ。そこから俺たちが越冬に必要な量を引き、残った分が家畜に使える分となる。まずそこから始めろ」


「もし今いる家畜の量をまかないきれなかったら?」


「人に慣れすぎた。逃がしても野生には還れん。屠殺して保存食にするのが一番だな」


 アカシアが唇を軽く噛んで、物思いに沈み始めた。優しく責任感の強い彼女のことだ。自分で連れてきた動物たちを、自分の都合で殺すことに抵抗があるのだろう。俺は自然にその意をくんで、アカシアの背中をそっと撫でてやることができた。まるで俺ではない誰かが、俺の身体を操っているようだった。アカシアは唇を噛むのをやめたが、代わりに肩を小刻みに振るわせだしたのだった。


 しかし失敗したな。いい年こいた大人がこれしきの計算、一人でできて然るべきだ。振り返れば今の今まで、彼女たちには戦闘と、道徳しか教えてこなかった。国語は読み書き程度で、数学は算数レベル。歴史を教える必要はないが、社会を学ばせた方が団体行動に利するだろう。基本的な勉学を叩きこんだ方が良さそうだ。


(俺は作戦を立案できないし、問題のAEUからは音沙汰がない。AEUに対しては個人で偵察を行うが、体力が回復するまでまだ時間はある。俺も彼女たちも、時間は有り余っているということだ。乱れた指揮をまとめ、地盤を固めるのにいい機会かもしれない)


 彼女たちには一般的な、教養を身に着けてもらうか。見張りと業務のシフトを考慮し、午前と午後に分けて二コマずつ授業の枠をとろう。俺は元教師だし、教鞭をとるのは難しくない。問題は場所の設定だが、全員が気兼ねなく、一堂に会せる場所なんぞあったか?


 食堂はダメだ。料理の匂いにやられて、彼女たちの集中力が削がれる。談話室も論外だ。遊び道具が多すぎて、集中することができないだろう。新しい場所を設定しようにも、手間がかかるし、反発者が呼びかけに応じるとは考えにくい。


 ふと俺の視界に、教室の風景が目に入ってくる。ここは人に教えるために作られた場所だから、勉学に必要な道具はそろっている。それに俺はここで執務をとっているので、彼女たちも来ざるを得ない。まさにおあつらえだった。


「腹が立つ」


 俺は歯ぎしりをして、小声でうそぶいた。俺は強大な運命に圧し潰されて、最早出来ることがないと悲観に暮れていた。そんな俺にもできることがあると、ローズの成したことが意味をもって、俺の前に道を作り上げているのだ。


「いぃッ!? 僕何か間違えた!?」


 俺のつぶやきを耳にして、アカシアが肩をはねて驚いた。俺はぶっきらぼうに首を振ると、今の自分の顔を見られないよう、乱暴にアカシアの頭をなでて俯かせたのだった。


(左腕の傷が塞がり、体力が戻るまであと二週間といったところか。俺が偵察をできるころには、『これで最後だ作戦』から四週間が経過することになる。AEUは森の焼け跡に前線基地の設営を試みるだろうが、粘菌汚染の可能性が捨てきれないので、実行には多少の時間がかかるはずだ)


 AEUとの約束を果たし、バイオプラントは封鎖したので、多少なりとも交渉の余地はある。しかし攻撃される可能性を捨てきれないので、戦闘に突入した際の達成目標も、定めておかなければならない。戦争の勝利は不可能。孤島では逃げられる場所は限られている。人類が残っていそうな孤島の最北端――天風に辿り着くには無理があった。となると一番現実的なのは、戦争を膠着状態に持ち込んでしまうことだ。


 幸か不幸か、手札にはジョーカーがあった。


(局地型ポールシフト爆弾――ハートノッカー。やつら環境再生用のポールシフト爆弾で、こいつの脅威は嫌というほど知っているはずだ。こいつをちらつかせれば、AEUの動きを制限できるだろう。時間さえできれば、こちらの選択にも幅が増えるはずだ)


「なぁ、ナガセ。アカシアだけずりぃよ。俺にも絵の描き方を教えてくれよ」


 物思いに沈んでいた俺を、プロテアの拗ねた声が現実に引き戻した。振り返るとプロテアが、鼻と唇の間にペンを挟んで、ジト目で俺のことを睨んでいた。しょうがない奴だな。


「アカシア。お前はサクラのところに行って、去年の冬季総消費食糧を調べてこい。プロテア。俺には絵心がないから、大したことは教えられんぞ。ひとまずペンを持ってみろ」


 俺はアカシアを教室から送り出し、プロテアの机に向き直った。そして机の上に置かれた紙を指で叩き、何か書くように促した。プロテアは「やりぃ」と言うと、あろうことかペンをこぶしで握りしめて、紙に突き立てたのだった。


 プロテアの字は汚いと思っていたが、そういう風にペンを使っていたのか。眩暈がするが、教えなかった俺の責任だ。


「お前は鉛筆の持ち方がなっちゃいない。絵が上手い奴は字も奇麗だ。字が奇麗な奴は、正しいペンの持ち方をしている。なんたって、道具を正しく使っているわけだからな。そこから始めるぞ」


 俺がプロテアに正しいペンの持ち方を教えていると、サンが興味深そうに机を覗き込んでくる。しかしデージーは複雑な顔をして、プロテアに近寄ろうとはしなかった。むしろサンの興味をとられたことで、俺とプロテアに怒りを覚えたようだ。横目に苛立ちをのせて、こっそりとぶつけてきたのだった。


 俺に対しては、デージーはアジリアに組みしているので、相いれないのだろう。プロテアとはアイリスとピオニーの処遇について、真っ向から対立している。きっとサンがいなければ、彼女はこの場に近寄ろうともしないだろうな


 授業の開始と共に、彼女たちの不和も解決すればいいのだが。俺はプロテアの手を取りながら、一番の悩みの種に思いを馳せていた。

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― 新着の感想 ―
ナガセがもう一度、故郷を作り直せれば良いな。
[良い点] ほんわか癒されました。 [気になる点] ドSっぷりが天元突破していることに定評のある作者様だから、ホンワカさに馴らした後の鬼畜展開が今から恐ろしい限りです。 [一言] 社会生活も大事なので…
[一言] ナガセ先生と生徒たち…てえてえなぁ… ほんわか回のうちに落ち込んでる保険の先生の先生が元気になるのかな それと言葉遣いが汚い不良少女とロボット大好きワクワクさんがどうしてるかも気になる
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