表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Crawler's  作者: 水川湖海
三年目前半【ECO編】
186/241

思慕-2

「ローズはきっとマリアと別れたのがつらくて、精神的に参ってンだと思う。だから多少のオイタは勘弁してやってくんねぇか?」


 俺の機嫌がみるみる悪くなっていくのを感じたのか、プロテアが後を追いかけながらささやいてきた。俺は歩く速度を緩めぬまま、浅く首肯だけをした。


「オイタも何も、間違ったことを止めるだけだ。変に構えなくてもいい」


 プロテアがごくりと生唾を嚥下する。サンも青ざめた顔を、力なく左右に振った。どうやら想像以上のことを、ローズたちはやっているようだった。俺がさらに表情を厳しくすると、プロテアは場を和ますように、わざとらしく明るい声を出した。


「よっしゃ分かった! オーケイ、全部元通りになるよう手伝うからよ、穏便に済まそうな。ローズの野郎、死ぬのが怖くないみたいに、やりたい放題やってるから」


「うん……ナガセが見たら卒倒すると思うよ……」


「それは楽しみだな」


 俺は肩を怒らせながら、初等部の廊下を突き進んでいく。モップでもかけたのか、床に積もっていた埃はさっぱりなくなっていた。天井にかかっていた蜘蛛の巣も見当たらず、格子で封がされた電灯には、新しい導光チューブが嵌められていた。


 チューブを通う柔らかい太陽光に照らされた廊下で、デージーとリリィが忙しなく動き回っていた。二人は協力してカラフルな家具を、教室の方へと運んでいた。仕事をすることで仲間を亡くした、暗い気持ちを紛らわしていたのだろうか。汗の滴る表情は、どこか明るく輝いていた。しかし俺が脇を通り抜けると、石像のように硬直し、労働の汗に冷や汗を滲ませたのだった。


「急ぎすぎたか……」


 俺は誰にも聞こえないように、小声で独りごちた。こんなつまらん仕事で士気が上がるなら、やりたいようにやらせておけばよかった。どうせ俺は学校の部屋を使わない。彼女たちに自由にやらせても、何も問題はなかったのだ。今となっては乗り掛かった船。俺は喧騒の源である、初等部最初の部屋――一年教室のドアを開け放った。


「おい……こんなところに我々の机を並べてもいいのか……? あいつは独りで部屋にこもるのが好きだったよな……? 顰蹙を……ねぇ……あの……聞いていますか?」


 真っ先に聞こえたのが、初めて聞くアジリアの恐縮した声だった。見るとアジリアは及び腰になって、てきぱきと指示を下すローズを、眺めることしかできないでいる様子だった。アジリアは異形生命体はもちろんのこと、俺にすら屈する姿勢を見せたことはない。口では従いつつも、何らかの方法で反意を示してきた。俺は世にも珍しい、アジリアが圧倒されて、屈する様を目撃したのだった。


「あの……本当にナガセがやれと仰ったのね……? 私少し怖くなってきたんだけど……」


 サクラはローズの指示に従って、学習机を教室に並べていた。ローズの嘘を信じて手伝いはしているものの、疑念が強まってきたに違いない。表情には疲れとは違う陰りが見え、動きはひどく緩慢だった。


「そうよぉ~、ナガセがやれって言ったのよぉ~。この部屋から新しく始めるつもりなんだってぇ~。だから気にしないで続けて続けてぇ~」


 当のローズはというと、余裕の満面の笑みを浮かべつつ、壁を雑巾で掃除しているのだった。


 教室をざっと見渡すと、すでにあらかたの家具が運び込まれた後のようだ。黒板を背にした教壇と向かい合って、十五脚の学習机が整列していた。壁には棚が並べられており、すでに書類が収められている。教室はすでに、授業が始められそうな状態にまで出来上がっていた。


「何をしている?」


 俺は怒りに声を引きつらせながら、教室にいるアジリア、サクラ、ローズの三人娘に声をかけた。アジリアとサクラが俺に気づいて小さな悲鳴を上げたが、ひとりローズは朗らかに笑いかけてきた。


「あ。今頃起きたの? もう十時回ってるわよ? ここはやっておくから、あなたは休んでいたらどう?」


 ローズは挨拶はすんだと、再び壁を雑巾でこすり始めた。俺は苦笑いを浮かべると、サクラの名札を取り出して、注意を引くため空で二回振って見せた。


「部屋替えの件だが、俺はそのような話はしていないぞ。サクラ。それ持って部屋に帰れ」


 俺は机を手にしたまま棒立ちになるサクラに、名札を投げ渡した。サクラは名札を掴み損ねて、数回宙でお手玉をした。やがて手にした名札を恥ずかしそうに、ライフスキンの胸にしまい込んだ。彼女はローズを凄絶な顔で睨みつけると、低い声で静かにうなった。


「後で殺してやる」


 ローズは深いため息をつくと、雑巾をいったん腰のベルトに挟んだ。彼女は両の手のひらをサクラに向けて、落ち着くようになだめる仕草をする。それから俺に視線をやり、不服そうに唇を尖らせたのだった。


「昨日話したでしょ? ナガセの部屋は、みんなが集まって相談するに狭すぎるでしょ? 物も増えて足の踏み場も無くなってきたし、せっかくだから広いこの区画に引っ越そうって」


 ピロートークもリップサービスもした記憶はないぞ。俺がラリっている間に何を口走ったかは知らんが、命令の根拠である書類は作成も交付もしていない。明らかな規律違反だ。サクラも正式な手順を経ずに行動したので、監督不行き届きで罰せられるべきだろう。


「俺が命令を下すときは、書類を作成し、みんなに告示していただろう。大体俺はあの部屋に不自由したことは――オイ……何で資料室の書類がここにあるんだ……?」


 俺はローズの肩越しに見える本棚に、見慣れた背表紙が並んでいることに気づいた。駆け足で近寄り、適当な一冊を手にしてまじまじと見る。間違いない。ここに並んでいるのは、俺の部屋に隣接する、資料室にあるべき書類だった。


「大変だったよ。ナガセを起こさないようにこっそり運ぶの」


「寝てるところ邪魔しちゃ悪いから、資料室直通のドアから運んだの。そうやれってローズが……」


 サンとデージーのおずおずした声が、教室の外から聞こえてきた。だが二人を気にする余裕なぞなかった。資料の表紙には俺が綴った、厳めしい表題があるはずなのだ。しかしそれを覆い隠すようにして、不細工なクマのフェルトが貼られていたのだ。


「ファー!? バインダーにクマちゃんのアップリケがしてある! やめて下さい! かさばるじゃないですか!」


 俺は反射的に表紙から、アップリケをむしり取ろうとした。しかしそれを遮るように、ローズが俺の腕の中に、別のバインダーを数冊放り込んできた。


「項目ごとに分かりやすいよう、アップリケを貼り分けたの。探索関係が鳥で、生産関係が牛、報告書類は蛇という風にね」


 ローズの押し付けてきたバインダーには、禿げた鳥と萎びた牛のアップリケが貼ってあった。俺の達筆より、この異形生命体の親戚のほうがわかりやすいとでもいうのか!? 俺はバインダーをまとめて床に投げ捨てると、他にもいじられていないか棚をくまなく調べ始めた。


「黙れクソが! 俺が文字を読めないと思ったのか! うぉおおおお! 報告書にシールを張りまくるんじゃねぇ! ヒェ~! サンプルにリボンが括りつけてある! 俺をどうしたいんだ!?」


 提出者ごとにまとめられる日報には、個々人ごとに異なる動物のシールが、やたらめったらに貼られていた。アジリアなら猫、サクラなら犬、プロテアなら牛、リリィならウサギといった具合にだ。地質標本や植物標本を収めたガラスのサンプルケースは、リボンで装飾がされている。いったい俺をおちょくる以外に、何の意味があるってんだ。


「ねぇこれ見てよ! ナガセの新しいデスクよ!」


 俺が棚を漁り続けていると、不意にローズが手を引っぱってきた。彼女は活力みなぎる腕で、俺が抵抗する時間を与えず、教壇のある黒板の方へと引きずっていく。そこには生徒と向かい合うように、教職員役の机があったのだが――


「ワーォ!!!?」


 自分でも情けなくなる程、変な声が出た。ローズが用意したデスクは、無骨なパソコンデスクでもなければ、重厚なワークデスクでもなかった。子供が落書きをしてプレイドゥ(幼児用粘土。小麦粉を主成分とし、誤飲しても害がない)を捏ねたくるための、キャラクターの絵があしらわれたプレイデスクだったのだ。


 ローズは俺に眩しい笑顔を見せて、俺の背中を机へと押し出した。


「どう? 喜んでくれた!?」


「ンな訳ねーだろ! 俺はこんなもの使わんぞ! お前これ全部元通りに戻せるんだよな!? 昔あった通りにできるんだよな!?」


 俺は大股でローズに歩み寄ると、その胸倉を乱暴に掴んだ。彼女は涼しい顔をして、けらけら笑っているのだった。


「はいはい。過ぎたことを後悔してもどうしようもないでしょ?」


 俺は軽く地団太を踏むと、辺りを見回した。教室内で固まるアジリアとサクラに、割って入るタイミングを窺うプロテア。廊下の窓からは、サンとデージーが成り行きを見守っている。こいつら全員同罪だ。


「お前ら全員説教だ! 部屋に来い!」


 ローズが胸倉を掴まれたまま、笑顔で床をさした。


「ここでしょ?」


「違ェわ!」


 俺は腕に力を込めて、ローズを片手で宙に釣り上げた。彼女たちの小さい悲鳴が、そこかしこから上がった。俺は止めに入ろうとするプロテアとアジリアを、左腕の断面でけん制する。そしてローズに鼻先を近づけて、どすの利いた声でうなった。


「貴様。調子に乗るのも大概にしておけよ。今すぐ元に戻さなければ――」


 ローズの絶えることがなかった笑顔がさっと消えて、彼女は攻撃的なジト目になった。ローズは俺の言葉を遮って、押し殺した声でつぶやいた。


「ばらすわよ」


 ばらす? 俺の過去をか。結構なことだ。この際皆には知ってもらった方がいいだろう。俺は救いようのない化け物で、マリアを殺した過去の悪意の象徴だと。そうすれば俺という共通の敵を得て、クロウラーズの結束を再び固めることができる。この絶望的な環境を、一気に覆せるかもしれない。それしか方法はない。俺はせせら笑った。


「好きにするがいいさ」


 ローズは一度うつむいて、深い、それは深いため息をついた。そして俺に再びジト目を向けると、やや軽蔑を込めて言った。


「私とエッチしたこと」


 俺の脳内に雷が落ち、思考が吹き飛んで真っ白になってしまった。ばらす? 何を? 関係を持ったことを? それはまずい……のか? 別にばれてもいいのではないか?


 クロウラーズに与える影響は、未知数だと考えられる。俺の自惚れでなければ、アカシアとプロテア、サクラに好意を寄せられている。アカシアとプロテアなら理解してくれるだろうが、サクラは嫉妬で暴走するに違いない。二年前はカットラスで済んだが、今回はハートノッカーを持ち出すかもしれないのだ。痴話喧嘩で大地震を起こされたら、たまったものではない。


 いや。問題はそこじゃないだろ。俺はかぶりを振って、頭を支配した無駄な考えを振り払った。俺がこのケースで考えるべきは、俺自身がローズをどう扱うかだ。ローズと持った関係を、俺がどう受け止めたうえで、彼女とどのように相対するかなのだ。


「まさかお前……」


 ローズはその通りと、目を細めて口の端を釣った。俺を二度殺そうとしただけあって、彼女は俺の性格を熟知していた。俺は追い詰められたことを知って、身体から血の気が引くのを感じた。


 ローズとの関係を認めたうえで、突っぱねたとしよう。俺は彼女を慰み者にしたことになる。関係を否定して突っぱねても同じことだ。俺は快楽のためだけに、ローズを貪ったことになるのだ。俺が今まで費やしてきた、彼女たちを守る戦いを否定することになる。俺はそれだけを支えに、この三年を戦い抜いてきた。しかし守ることを否定したならば、俺は自分で自分を許せない。彼女たちを導く、精神的支えを無くしてしまう。


 AEUの脅威がある現在、俺は指揮を降りることはできない。俺が彼女たちの指揮を続けるためには――なんということだ。彼女の沈黙という、慈悲に縋るほかはないのだ!


「で……許可はもらったよね?」


 ローズは言葉を失った俺に、畳みかけるように睨みつけてきた。俺は彼女から視線を逸らすと、口をもごもごとさせるしかできなかった。


「あ……その……すまん……寝ぼけていたようだ……確かに……俺は許可した気がする……ただちょっと……いや物凄く……想像していたのとかけ離れていたから……」


 教室内で軽いどよめきが起こり、ローズを除くクロウラーズが驚きに目を丸めた。それもそうか。俺は指揮の結果で間違いを犯しはしても、事務処理でミスをしたことは一度もなかったからだ。アジリアが驚愕で口をあんぐりと開き、サクラが訝しんで目を細める中、ローズは俺が胸倉を掴む手を気安くはたいた。


「じゃ、おろしてくんない?」


 俺は腕に込めた力を緩めて、ローズを地面に降ろすしかなかった。ローズは俺を非難がましく横目で見てから、乱れた胸元を大仰な仕草で整えた。それから両の手打ち鳴らして、固まったままのクロウラーズを急かした。


「は~い。皆許可が下りたわよ~。続けて続けて~」


 クロウラーズは事の真意を問うように、俺に視線を注いでくる。俺はやめさせるように、ローズに視線で訴えた。しかし彼女は愛用のノートを、『いらない』と書かれたダンボールに押し込めるのに集中していた。


「待って……そのノートを捨てないでくれませんか?」


 俺はローズの背後に忍び寄って、情けない声でつぶやいた。ローズは『あたらしいの』と書かれたダンボールから、ネズミのキャラクターがあしらわれた、子供用のボードを俺に差し出した。それは子供が落書きに使う、小さなホワイトボードだった。


「こっちの使ってね」


「いやです」


 俺は即座にキャラクターのボードを、わきに放り捨てた。ローズは頬を膨らませて、俺を一瞥した。何をキレてるんだ? 泣き喚きたいのは俺の方だ。俺とローズはしばらく睨み合ったが、何を思ったか彼女はサクラに視線を移した。


「ねーサクラ。あなたはもうしたの?」


「何を?」


「決まっているじゃ――」


 勘弁しろ! それを言われたら全部ご破算になっちまう!


「わー。素敵なボードですね。俺気に入ったよ」


 俺は酷い棒読みで、ローズの言葉を遮った。ローズは呆気にとられているサクラを残して、満足そうに頷いたのだった。


 やがてローズは壁を拭き終えると、プロテアに目配せをした。プロテアは事態についていけずに立ち往生をしていたが、我に返るとバネが跳ねるように動いた。彼女は駆け足で廊下に飛び出し、クロウラーズの旗を手に戻ってくると、ローズへと渡したのだった。


「後これ……ネ。確認して」


 ローズは磨いたばかりの壁に旗を飾り、手で押さえて俺に見せてきた。旗は制作当時から、さほど変わりないように思えた。上半分は木漏れ日を表現して薄緑に塗られ、下半分は大地を現し深緑に染められている。丘陵を意味する中央の緑には、角の短い牡鹿が描かれていた。彼女の言わんとしていることはわかる。


「みんなの象徴をここに置くからには、俺も逃げずに居を構えろということですか?」


「よく見て!」


 俺の辟易とした口調に、ローズは憎しみや軽蔑ではなく、激しい怒りを見せた。彼女は旗に描かれた、牡鹿の角の間を指し示した。そこにはいつの間にか黄色い星が、新しく付け加えられていたのだった。


 俺はそれ以上言われなくとも、黄色い星が何を意味するか分かった。マリアの胸に添えて、空に送り出した花と一緒の色だ。マリーゴールド。それが旗の空にまたたいて、誇らしげに咲き誇っているのだった。


「マリアか……」


 俺が答えると、ローズはパギに見せる、柔らかい笑みを返したのだった。


「あなたが教えてくれたのよ。忘れようとするから辛いのよね。だから、形に残した」


 俺は旗に歩み寄ると、輝く星にそっと手で触れてみた。ローズが縫ったのだろうが、彼女が持てる全てを注ぎ込んだのが、布越しに伝わってくる。星は奇麗な真円を描いており、針の通る間隔も均等で、実に丁寧に刺繍されていた。


 俺の指先が、縫い目に沿って動いていく。するとその滑らかな感触が、『懐かしき』マリアとの記憶を呼び覚ました。


 物事の発起人になることはなかったが、女たちの活動の場には、大抵その姿があった。一年目に畑の前身となる室内プラントで、アカシアとともに植物の世話をしていたな。二年目から訓練を始めたが、俺の予想に反して貴様は最後まで耐え抜いた。三年目にお前は故郷に帰ろうといい、そこが浜辺にあると言った。お前は故郷に帰ろうと必死になって――星になってしまった。


 目頭が熱くなり、胸の奥から熱い何かがこみあげてきた。それは空しい吐息となって口からこぼれ、マリアの星に吸い込まれていった。俺を押し潰そうとする重圧が少し和らぎ、気持ちが楽になったような気がした。


 俺は名残惜しさに躊躇いつつも、マリアの星から指を離した。そして自分でも驚くほど、緊張の解けた顔でローズを振り返った。


「自分の教えたことで、自分が助けられるとはな……俺も老いたものだ。助かった」


 ローズは微笑みを返して、俺の腕を優しくとった。しかし急に表情を険しくすると、手に力を込めて俺を出口へと引っ張っていった。


「じゃあ、お部屋の準備をするのに邪魔だから、とっとと出てってくれるかしら?」


 逆らうのは容易だが、苦手な教室ということもあり、踏ん張る気力もなかった。俺はあっという間に、ローズに教室から追い出されてしまった。ローズはドアを閉める前に、その隙間から顔を覗かせて、廊下で棒立ちになるサンを睨みつけた。


「サン。いつまでもそこにいないで、ナガセの部屋のもの全部持ってきてちょうだい」


 サンがびくりと肩を震わせて、許可を求めるように俺に視線を移した。俺は首を横に振るが、ローズはサンを急かして、手で追い払う仕草をした。俺はローズの恩情にあやかろうと、口をいの字に広げて、情けない声でつぶやいた。


「どうしてもやるの……?」


 ローズが視線を、サンから俺に戻した。


「は? あなたが命令したのよね?」


「そうだったね……じゃあ銃だけ返してくれ……」


「あれは私が貰いました。弾なら返してあげる」


 ローズはそう言って、懐から実弾の入った透明なビニルを取り出した。ざっと見てモーゼルに込められていた、二十発全部がまとめられているようだ。彼女はビニルを俺の手に押し付けると、有無を言わさずドアを閉めてしまった。


「え? え……えぇ~……」


 もはや何を言っても無駄だし、俺にできることもなさそうだった。俺はがっくりと肩を落とすと、教室を離れることにした。すぐに背後から、二人分の足音が追いかけてくる。そしてサンとサクラが、俺の両隣に並んだのだった。


「部屋に戻るんだったら、触って欲しくないの教えてね。ナガセのプライバシーは守るからさ……でも本当にいいんだよね? 後で取り消して怒るの無しだよ」


 サンは複雑な表情をしながら、俺に念を押してきた。本音を言えば今すぐやめさせたいが、俺が選択できる立場にないのだからしょうがない。力なく頷くことしかできなかった。しかし自室がもぬけの殻となり、新しい部屋の教室が準備中ときたら、俺はどこで仕事をすればいいんだ? それ以前に、どこでいじけていればいいんだ?


 俺のげんなりした顔を素早く読み取ったのか、サクラが素早く寄ってきた。彼女は俺にそっと耳打ちをした。


「管制室の機能はそっくりそのまま、教室に移せますからご安心ください。しかしながらお部屋の準備が整うまで、ナガセの業務に支障が出ると思われます。逆に機会ととらえて、お休みを取られてはいかがでしょうか?」


「それしかないだろうな」


 俺は額に青筋が浮かぶのを感じながら、やりどころのない苛立ちに肩を震わせた。ローズのやつが、ここまで計算して事に及んだなら褒めてやりたいことだ。奇麗に仕事を奪い、休みを押し付けやがって。


「移転作業中の報告は、私がまとめておきますので……それで……その……」


 サクラは躊躇いに言い淀み、俺の顔色を何度か盗み見るそぶりを見せた。やがて俺が投げ渡したネームプレートを取り出すと、許可を願うように俺に見せてきた。


「私の部屋なんですが、ナガセが好きにしろと仰ったとローズが申しまして……学校のホールに移してしまったんです……私があそこに居を構えるのは、ダメなのでしょうか?」


 ローズが頭の固いサクラを書類無しで、いかにして丸め込んだと思ったら――サクラが秘書の振る舞いをできるように話を振ったのか。この調子だとアジリアの方も、俺の力を削げるとでも抜かして、賛同させたのだろうな。


「ダメに決まって――」


 喉を出かかった声を、俺はすんでのところで抑え込んだ。サクラの引っ越しを反故にしようものなら、それをダシに使ったローズに何を言われるかわかったもんじゃない。今の状況は俺が圧倒的に不利だから、大人しくやりたいようにやらせておいた方がいい。


「好きにしろ。だが私物は元の部屋においておけ。仕事とプライベートは、物理的にも分けておくんだ」


 しかしながら逆転の可能性は、限りなくゼロに近かった。事実を否定すれば俺の負けだし、ローズが秘密を守ってくれる以外に、穏便に済ます方法がないからだ。消すか? と、心にもない計画を思い浮かべてみた。俺は馬鹿げた考えに時間を費やす前に、胸に渦巻くやりきれなさを、ため息とともに吐き出した。


「ローズと何かあったのですか?」


 サクラが声を潜めて、俺に聞いてきた。俺はぎくりと身を強張らせて、サクラを横目に見た。彼女は初めて見せる懐疑の眼差しを、俺に投げかけている。教室で不自然なやり取りをしたから、疑われるのは仕方ない。これ以上ボロを出さないようにしなくては。


 俺は小さな咳ばらいを一つ払うと、普段の尊大な態度を取り繕う。そして取るに足らないと言いたげに、そっけなく言った。


「心配をさせるような物言いになってすまないが、疲れのせいで間違いを犯しただけだ。特に何もない」


「普段お見せにならない、かなり狼狽したご様子でしたが……」


「初歩的な失敗をしたからな。指導者として致命的だし、情けないが狼狽えて然るべきだ」


 サクラは納得がいかない様子だった。顎を引いて質問をやめたが、疑いで細る視線は俺を向いたままだった。これ以上詮索されては敵わないので、俺は歩幅を広めて足を速め、サクラとサンを置いて先に進んだ。


 サクラとサンは慌てて俺を追いかけてくるが、俺が会話を避けているのを気にしてか、隣に並ぶことはなかった。ただサクラのこぼしたつぶやきが、風に乗って耳に届いたのだった。


「ローズの時と雰囲気が違う……ずるい……」


 クロウラーズの前では、ローズのご機嫌の取り方を考えねばならんな。そして彼女が部屋を移動させた狙いも、早く探らなければなるまい。ローズは絶対に俺を憎んでいる。俺を破滅に追いやるだけならいいが、AEUとの決着がつくまで待ってほしいのだ。


 自らの心の弱さが招いた事態とは言え、えらい爆弾を抱え込んでしまった。俺は明日からの生活を思うと、鬱屈とせざる得なかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ナガセの考えを変えるのはこれくらいしかなかったのかもしれないな…
ヒューマンドラマが特に面白く、設定も細部までしっかり詰められており面白く感じていたが、この辺りは正直読む気が失せてしまった。ナガセが薬中になっている事を分かっていてローズは性行為をした癖に、それを棚に…
[良い点] ローズにやり込められるナガセいいじゃない。初かな?ニヤニヤしてしまった。 [気になる点] ローズの髪が一定までしか伸びないというのはなんかヤバそうなの想像するよね。ナガセ繰り返すなよ。萎え…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ