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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目前半【ECO編】
182/241

疑念-3

「はえ~……変なお部屋さんですねぇ。鏡の窓がひとつあってぇ、そのくせ電気さん強くて眩しいですねぇ。私知ってますよぉ、地面が傾いているのはぁ、これケッカンジュータクっていうんですよねぇ!」


 俺は無邪気にはしゃぐピオニーを無視して、気を静めるために大きな深呼吸を繰り返した。やがて腹を据えると、室内の備品保管庫に向かい、椅子と机を一組運び出した。椅子にはひじ掛けが付いており、手足を拘束する金具が付属していた。机は脅しで叩いても壊れないほど重厚で、むしろ容疑者の頭を叩き付けやすいような高さをしているのだった。


 俺が隻腕で運ぶのにまごついていると、ピオニーが無邪気に笑いながら駆け寄って来た。


「手伝いますよぉ~」


 ピオニーの姿が教え子と重なり、俺の胸は刺されたように痛んだ。私情を挟んではいけない。今だけは自分を殺すんだ。俺はピオニーの申し出を断ると、独りで尋問室に椅子と机をセッティングした。ピオニーは待つ時間、所在なさげに室内を歩き回っていたのだった。


 準備が整うと、俺はピオニーを椅子へと顎でしゃくった。


「座れ」


「はぇ? でも椅子さん一つしかありませんよぉ? ナガセの分の椅子さんはぁ、どうしますかぁ?」


「座れ」


 俺はきつめの口調で、ピオニーを恫喝した。ピオニーはクロウラーズの悪態を聞いても、気にしないほどおおらかな人物である。しかし俺の口調に異質なものを感じ取ったのか、畏怖に肩をすくめて大人しく従った。


 俺はひとまず、時間で圧をかけることにした。ピオニーが無邪気な姿を演じているのならば、何らかの反応が望めるかも知れない。重苦しい沈黙が、尋問室を支配していく。


 ピオニーは変わらずあっけらかんとした様子で、のんびりと俺が本題に入るのを待っていた。焦りで視線を彷徨わせなければ、隠し持つ凶器に手を這わせるしぐさも見せなかった。それしきで尻尾を出すようなスパイなんていない――と言われればそれまでだ。だが……俺だってやりたくないんだよ!


「それでぇ……お話しって何ですかぁ? ここリフォームさんするんですかぁ? 私ももちろんお手伝いしますけどぉ、もっと手先が器用な人がいいと思いますよぉ?」


 俺が黙っていると、ピオニーは靴の裏で床を叩きながら、無垢な笑顔を見せた。この調子だと丸一日監禁しても、何も望めないに違いない。俺は机に両手を乗せて、ピオニーへと身を乗り出した。


「お前がクロウラーズに噂を流したそうだが、その内容を詳しく教えてくれないか?」


 ピオニーの表情が緊張で強張り、咽喉が生唾を嚥下してこくりと鳴った。彼女は噂に関して罪悪感を覚えているようで、珍しく悩まし気に視線を伏せたのだった。


「あっ……はいぃ……あの……私……何でか知らないですけどぉ、バイオプラントにはたくさん魔昆虫(ミューセクトの中国語読み)がいると思ったんですぅ。それに毒も一緒にぃ、積まれているってぇ……」


 ピオニーは視線を上げて、俺と視線を合わせてきた。その目の色に犠牲を出したやましさや、人を謀る妖しさは見受けられない。むしろ義憤に燃えて、熱い輝きを宿しているのだった。


「それをやった悪い人もいるんですぅ! マシラみたいだけどぉ、マシラとは全然違ってぇ、私たちとそっくりな姿をしているんですぅ~! あの人達は危ない危ないさんなんです! だからこれで最後だ作戦に出る皆さんにぃ、一応注意した方が良いかなぁって……それで勝手なことを……」


 俺の推測通りだ。ピオニーの話には、俺の過去を基にした情報が少ない。そして今知ったことだが、俺ではない『人の皮を被った獣』に、敵意に近い感情を抱いている様子である。そうなると問題は、ピオニーがこの情報をどこから仕入れたかだ。


「その根拠は? 何故そう思ったんだ?」


 俺が訪ねると、ピオニーは困ったように首を傾げて見せた。そして自らの記憶を漁るように、唸ったり視線を泳がせたりした。やがて根拠を探り出すことができなかったのか、彼女は済まなさそうに頭を下げた。


「ふぇぇぇ……わかりませぇん……」


 残念ながら芝居をしているのか、本当に知らないのか判別できん。俺はピオニーに抵抗する暇を与えず、ひじ掛けの拘束具で彼女の腕を抑えつけた。さらにピオニーが目を白黒させた隙をついて、足も椅子にがっちりと固定した。ピオニーは拘束された四肢をばたつかせて、金具をやかましく鳴らした。


「はえ!? なんで縛るんですか!? 私何か悪い事しましたかぁ!?」


「必要なことだ。暴れられたら困る。今の俺は……力加減ができん……」


「暴れたりしませんよぉ……ちゃんと知っていることは話しますからぁ……ねぇナガセ。はぇ……ナガセ……?」


 俺はピオニーに取りあわず、懐から尋問道具を入れた革のケースを取り出した。机の上に置いて、三つ折りになっているケースを開く。ケースの右側には針やペンチ、注射器などの小道具がまとめられている。左側には試験管に入った薬剤が、数本まとめられていた。中央には道具の使用法が仔細に綴られた、手書きの便箋の束が収められているのだった。


『愛している。あなたのピンキーより』


 便箋の表紙を飾る、道具の送り主の手紙を、俺は震える指でめくった。この道具を使うのは、何度目だろうか? マフィアの敵対勢力に数回、部隊員に対して一回……いずれにしてもろくな使われ方はしなかった。俺はそれを、ピオニーに使おうとしているのだ。


 俺はしばらくの間、無言で道具に視線を注でいた。ピオニーは物々しい雰囲気の中で、自由を奪われたまま無視されていることに、凄まじい不安を覚えたのだろう。声を震わせながら、濡れた瞳を俺に向けたのだった。


「ながせ……こわいです……」


 俺は小道具の中から注射器を取り、試験管の一つに差し込んだ。注射針がコルクの封を貫通して、中のバルビツール系薬剤に浸される。俺は器用に片手だけで、薬液を注射器に吸い上げた。


「お前の最も尊いものは何だ?」


 ピオニーに問いつつ注射器を指で弾き、薬液に混じる気泡を追いだした。ピオニーは口元をいの字に広げて、声を上ずらせた。


「い……命さんです」


「それに誓う。決してお前に乱暴はしない。そしてお前から聞いたことで、誰にも危害を加えない」


 俺はピオニーに薬剤を静注した。確かチオペンタールとか言う薬剤で、沈静・催眠効果がある。薬が効いている間は暗示にかかりやすくなり、現在に近い新しい記憶が薄れるのだ。演技をしているのなら本性を露わにするし、旧い記憶があるのならそれを引き出しやすくなる。さて……何が飛び出して来ることやら。


 ピオニーは薬効により気分が高揚したらしく、頬を紅潮させてケラケラと笑い始めた。


「お前は誰だ?」


「ふへへへへ……ぴおにーれすよぉ……なんでしゅかこれ……おしゃけのんでるみたい……ふへへへへへ……ふわふわしゅる~」


 薬が足りないらしい。俺は追加でバルビツールを、ピオニーに静注した。ピオニーは頭をふらふらさせて、軽い笑い声を響かせる。そしてだらしなく開いた口角から、唾液を垂らしたのだった。


「お前は誰だ?」


「わた……わたし……? わた……麗虎……趙麗虎……」


 薬が回ったな。俺は自分の顔が逆光で隠れるように、ピオニーの顔をライトで照らした。手酷い扱いだが、こればかりはどうしようもない。知り合いである俺の顔を見せたら、意識が現在の記憶に傾くからだ。それでは真実を探ることはできない。


「貴様の姓、名、所属を答えろ」


 俺はピオニーが、汚染世界では軍関係者だったと踏んでいる。共産主義のECOでは、指導側である軍部と、労働者の間に大きな隔たりがある。一介の市民では、機密に触れる機会すらないはずだ。仮に違ったとしても、神の存在を認めないECOで、軍属は神様みたいな存在だ。俺自身が軍関係者に成りすませば、三回廻ってワンと言わせることすらできるだろう。


 俺は軍関係者特有の、やや高圧的な口調で命令した。ピオニーは俺に気付いて、眩しそうに視線を細めながら顔を上げた。


「お前は……誰だ……?」


 トムに身をもって教えてもらったから、尋問の要領は心得ている。こちらの情報を一切出さず、愚直に質問をしてはいけない。尋問対象が答えを出すように、ガイドを続けるのだ。


「さっき教えたばっかりだろ。それより君のことを教えてくれ」


「趙麗虎……ECO運営委員の……中佐だ……」


 俺は驚きに舌を巻いた。ECO参加国の中佐ではなく、ECO運営の中佐と来たか。なかなか高位の人物が出てきたな。民主主義国家で言う、官僚の地位に当たる役職だ。俺のような三級特佐からすれば、雲の上のような存在だった。


 面白い話が聴けそうだ。俺がバイオプラントで見た辺獄に、一体どのような真実が隠されているというのか。俺はピオニーと麗虎の意識が重なり合わないように、慎重に言葉を選んだ。


「麗虎。例の積荷のことなんだが……確か二つあったんだよな? 食料を作れる奴と、たくさん積んだ奴。そうだよな?」


 ピオニーの切れ目が、敵意によってより細まった。彼女は歯を見せながら、威嚇するように唸った。


「貴様――王浩宇か……?」


「違う。お前の味方だ。それはお前が良く知っているはずだ」


 俺はぼかした返事で、ピオニーの質問をかわした。役目はあくまでガイドするだけ。そうすればピオニーが、記憶の中から適した人物を選んでくれる。ピオニーは敵意を和らげ、急に俺に哀願し始めた。


「恩俊熙か……分かった……何度でも話す……だから頼む……シャスクを……シャスクを融通してくれ……」


 ゼロのシャスクはピオニーが用意したのか。この調子だともう一のECO製人攻機――ダオを用意したのも彼女かもしれない。うまくいけばゼロ誕生のいきさつを知る事ができるかも知れない。焦りは禁物だ。俺は彼女が話したいことを、そのまま話させることにした。


「シャスクの件はお前次第だ。包み隠さず、バイオプラントについて話してくれ」


「諸外国に譲渡するバイオプラントは……食料の生産工場を積んでいない……魔昆虫が詰め込まれているんだ……!」


 俺は全身の毛が逆立つのを感じた。バイオプラントの奇妙な構造から、薄々感じとってはいた。しかし改めて人の口から聞かされると、愕然とするほかになかった。


 あの非情な環境破壊爆弾は、盟友であるはずのECOが用意したのだ。


 俺はにわかに跳ねあがった心臓を、胸元を鷲掴みにして落ち着かせた。そしてピオニーの答えに飛びつかず、話を掘り下げるために疑問をぶつけた。


「納得がいかん……あの軟弱な資本主義者どもに、我々ECOが負けるはずがないだろう。ユートピアの覇権を握るのは我々のはずだ。どうしてユートピアを汚染する危険を冒して、魔昆虫を用意する必要があるんだ?」


 ピオニーはECOに対する賛美を、鼻で嘲笑った。そして隠そうともしない侮蔑で、表情を満たしたのだった。


「達者なのは口だけだ……我々ECOの資源は乏しく……米国や日輪連(ミクロネシア連合の中国読み)に比べて……技術力も大きく引けを取っている……環境再生後の劣勢は必至だ……だからそのままで強力な兵器となる……汚染空気と魔昆虫を転用する計画を立てたのだ……」


「それをなぜ諸外国に? 兵器として運用するなら、手元に置くべきだ。悪事が暴かれてしまうぞ?」


「阿呆が……環境再生後の領土の割り当ては……既に国際会議で決まっていた……どこに我らが担当する……バイオプラントを送るかもだ……なら汚染してしまえば……それだけ相手の生産力を削ぐ事ができる……」


 これは事実だ。ポールシフト爆弾による地殻の再生成は、コンピューターによって綿密なシミュレートが行われたそうだ。故に環境再生後に、地球がどのような地図を描くかは、ある程度分かっていたらしい。


 国際連合国はユートピアでの争いを避けるため、新大陸の国土配分を、当時の国力を元に決定したのだ。そして各国のドームポリスが、配分領土に漂流するように設定したそうだ。


 無論現実がシミュレート通りに再現されるはずもない。運の要素を神の配分として受け入れることで、紛糾する議論をまとめたのである。我々がいる島は各国のドームポリスが集結しているが、計画上珍しい事例なのかもしれない。それともお偉いさん方で、取り決めがあったのかもしれない。


 いずれにしろだ。ECOのしでかしたことは、ユートピアで戦争をするのに十分なものだった。俺は湧き上る憎悪を抑えきれず、ピオニーに鼻先を近づけて唸った。


「贈り物にそのような物を詰めて、諸外国が黙っているはずはない。環境再生後、世界を相手にドンパチをするつもりなのか?」


「証拠が少ないからな……多分無理だろう……バイオプラントの半数はきちんと……食料の生産機能を持っている……残りの半数に魔昆虫を積んだのだ……戦時中だ……領土亡き国家の仕業にすればいい……それに事故で……亀裂から魔昆虫が入り込むことだってあり得る……」


「調べればわかることだ」


 現に俺は見抜いた。しかしピオニーはなおも嘲笑った。


「魔昆虫を積載した施設にも……設備はすべて揃え……機能もちゃんとするようにしてある……多少不都合な点があろうが……ECOは魔昆虫が自ら出るまで……バイオプラントの在りかを明かさない方針だ……証拠は全て魔昆虫が溶かした後だ……それに自国領で起爆するバイオプラントも用意した……誰もECOを責めることはできない……」


 ピオニーは空を見上げて、虚しくケラケラと笑い声を上げた。その眦から、涙の雫がほろりとこぼれた。


「メガロミルミギ……パプ……モスマン……ヘカトンケイル(蜘蛛のミューセクト)……そして証拠隠滅と拡散の起爆剤となるフラッド……私は現場を目撃した……こんなことが許せるか……私の部下は青空を夢に見て……死んでいったのだぞ……ふざけるなッ……」


「それから……お前はどうした……?」


「私はそれを公表しようとしたが……軟禁状態になった……コニーだけが頼りなんだ……あいつだけがこの悪事を暴けるんだ……」


「コニー?」


 新しい名前が出てきたな。名前だけで判断すると、中国人ではなさそうだ。同じECOの東欧人か、それとも公表の窓口とする西欧人なのか。俺が先を促してピオニーに視線を注ぐと、彼女は初めて口をつぐんだのだった。


「しまった……それだけは口が裂けても言えんのだ。恩俊熙……例え貴様であってもだ。だがぶったまげるぞ……なんたってユートピア計画の関係者だからな……そいつが国からのエクソダスを……計画していたんだ……」


 自白剤は暗示によって話しやすくする薬剤であって、真実を強要できる代物ではない。強要するには、彼女を脅せる立場に俺がなりすまさないといけない。だが趙麗虎の階級と、彼女を取り巻く環境を鑑みるに、それは難しいと言えた。ECOの高官を恐喝できる下士官なぞおらず、そして彼女は明らかに上官と反目しているからだ。そして――俺は彼女を拷問できない。


「エクソダスはアイアンワンドが持っていた、ユートピアにおけるクロウラーズの活動計画だ。仮にコニーとやらが、環境再生前のクロウラーズの一員だとしよう。すると候補に挙げられるのは――アジリアか?」


 口の中で情報を整理し、考えをまとめていく。アジリアがコニーだという確証を得たいが、その二つを結びつけるミッシングリンクが思いつかない。アジリアの昔の呼び名は何というのだろうか? ゼロの記録は入念に消されていたし、ヘイヴンのデーターベースにクロウラーズに関する記述はない。アジリアを意味する古い名前は、一つしか思い浮かばなかった。


「ナンバーゼロか?」


「何の話だ……?」


 俺の問いかけに、ピオニーは眉根を寄せて聞き返してきた。外したか。失敗を重ねると、彼女は暗示から覚めてしまう。コニーの名は尋問後、マザーコンピューターで検索するとしよう。こっちはもう少し粘れないか?


「それではシャスクの引き渡しができんぞ……教えてくれ……」


「会え……話しはそれからだ……国を裏切っても……損はさせんぞ……私は……青亀ラングイを一つ融通した……元はECOの高官のための……ハーレムだ……あとはシャスクのパッケージさえあれば……自衛さえできれば……我々の間違いを正せる……亡命を希望した奴らも頼む……コニーに引き渡してくれ……」


 青亀は彼女たちが冬眠していた、ドームポリスのことで間違いないだろう。ゼロを用意したのは、ピオニーだったのか。しかしゼロが元々青亀だったとは、言われるまで全く気付かなかった。亀型のドームポリスは内部を四つのエリアに分割しているが、ゼロは中核を部屋で包んでいくマルチラップ方式だ。随分と思い切った改造を施したものだな。


 改造を行った工場や、その資材を含めて、まだ謎が残っている。ピオニーは薬効によって朦朧としており、尋問の終わりが近いことを知らせていた。俺は思い切って、聞きたいことを聞くことにした。


「青亀を渡したところで、どうにもならんぞ? AEUのポリス管理システムがなければ、ユートピアまでの冬眠はできん。遺伝子補正プログラムもだ。それにガワだけ用意しても、骨格がなければ人攻機は動かん(この質問は意図的に、事実を捻じ曲げた)。忌々しい小日本シャオリーベンが造った、ドータヌキがいるのではないか? それはどこで手に入れた?」


「分からない……注射を打たれた……何もかも……分からない……」


 ピオニーは頭痛に苦しむように、表情を痛々しく歪めた。その様子は失くした腕の幻肢痛に、もがき苦しむ俺とよく似ているのだった。どうやら薬を使って、廃人にされたらしい。そうして汚染世界での威風凛々とした麗虎は死に、ユートピアでのピオニーが生まれたようだ。だが勝手にくたばってもらっては困るぞ。お前には事実を伝える義務がある。


「思い出せ!」


「凪に……揺蕩いて……空を舞う……」


 ピオニーはユートピアの歌を口ずさむと、瞳を閉じて安らかな寝息を立て始めた。彼女は背もたれに身体を預けて、そのまま昏々と深い眠りに落ちたのだった。


 タイムリミットだ。これ以上は何も引き出せそうにない。まぁ……もうどうでもいいか。こいつはもう俺たちの仲間、ピオニーではない。趙麗虎という名の、戦争犯罪者だ。ユートピアに汚染空気を持ち込み、約束された未来を汚した、赦されざる大罪人なのだ。


有罪ギルティ……」


 俺は明日を夢見て必死に戦った。故郷も、仲間も、自分すら失ってなお、戦い抜いた。俺だけではない。多くの兵士が同じ志の元に、命を捨てたのだ。何故か? その先に理想郷が約束されていたからだ。こいつは我々人類同胞が勝ち取った、ユートピアを奪ったのだ。


『貴様は知った。ならば果たさねばならない』


 耳元でアロウズが囁く。そうだろう。この悪を見過ごすことができるか。


これは命令だイッツ・オーダー!』


 何度でも繰り返すがいい。腰からモーゼルを抜き放ち、ボルトを後退させた。


これは命令だイッツ・オーダー!!』


 アロウズが待っている。左腕でピオニーの額を押さえ、だらしなく空いた口内に銃身を捻じ込んだ。


これは命令だイッツ・オーダー!!!』


 仲間の仇を討つのだ。引き金に力を込める。


 その時――失った左腕がずきりと痛んだ。俺は舌打ちと共に、痛む左腕に一瞥をくれた。そして驚きの余り、息を飲んだのだった。


 マリアがいた。彼女はピオニーの座す椅子にそっと寄り添い、砕け散ったはずの頭に苦笑いを浮かべていた。マリアはないはずの俺の左腕に、優しく手を重ねていた。二人の手が重なる場所が、まるで焼きごてを当てられているかの如く痛むのだった。


 マリアは俺を見つめると、切なそうに首を左右に振った。


『繰り返さないで』


 彼女はそう呟くと、優しく微笑んで見せる。そしてしじまも立たぬ空気に揺れて、宙に溶けて消えたのだった。


 俺は気が付くと全身を汗で濡らし、荒い呼吸を繰り返していた。ピオニーを見ると、口内には銃身が差し込まれたままだ。このまま引き金を引けば、相応の報いを与えることができる。歯ぎしりをして、引き金を何とか絞ろうとする。それでも指に力を込める事ができない。


 何故だ! どうして!


「クソッ!」


 俺は悪態をつくと、ピオニーの口から銃身を引き抜いた。そしてモーゼルをホルスターに押し込んで、近くの壁に寄りかかった。


「ECOが建造したバイオプラントは、大小合わせて二十を超える。甘く見積もってその半数に、ミューセクトが積載されているとしよう。直にフラッドが内部から溢れ、ユートピアの大地は腐り落ちるだろう」


 いずれこの世界も汚染世界になる。ここは理想郷ではない。あの世と地続きの、正真正銘の地獄だったのだ。何もかも無駄だ。俺たちが必死で得た勝利は、何の意味も持たなかったのだ。


 残念なことに、俺にできることはもうなかった。事実を受け入れ、その脅威に震えることしかできない。時はもうその段階まで進んでしまった。


 俺はその場に蹲って、声を上げて泣いた。レッド・ドラゴンと呼ばれ、英雄と讃えられたこの俺が、もはや泣く事しかできなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 今回の情報は場合によってはAEUとの交渉の糸口に……? ユートピアは果てしなく遠いっすね、というか無かったね
[一言] 薬使って本人が自覚してないかもしれない別人格を呼び出して、情報引き出し終わったらかっとして殺そうとするのは相変わらずナガセはかなりヤバいな 早く過去を振り切るか向き合うか、本当の意味で彼女た…
[良い点] ピオニーがかわいい. [気になる点] ナガセが趙麗虎を殺害しようとするのは前の文脈からするとおかしいように感じたが、前話の感想のピオニーに不安のはけ口を求めているがヒントかもしれない.そう…
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