疑念-2
時計に目をやると、午前十時を回った頃だった。そろそろピオニーが、昼食の準備をはじめる時間だ。俺は自室へと向けていた足を、厨房へと急がせたのだった。
厨房は食堂の一角にあり、昼前はピオニーを除いて、誰もいないはずである。しかし食堂からはドア越しに、クロウラーズの争う声が聞こえてきたのだ。奴らめ仕事をほっぽりだして、祭りに興じているらしい。中からは少なくとも、六人ほどの気配がした。
「遅かったか」
迂闊に姿を現しては、拗れる要因にもなる。飛び出したいのはやまやまだが、これ以上複雑になったら本当に収拾がつかなくなるぞ。俺は歯噛みしつつドアの外で、彼女たちの声に耳をそばだてた。
「私やだ。毒。入っている。かもしれない。ピオニー。食事当番。外すべきだ」
パンジーの刺々しい声を皮切りに、サンが尻馬に乗る形で続けた。
「喧嘩したいわけじゃないんだよ。これからは自分の食事は、自分で作らせてほしいってだけ」
拳が机を叩く、物々しい音がする。それから少しの間を置いて、プロテアが押し殺した声色でサンに言い返した。
「そのふざけた提案、喧嘩売ってるのと一緒だろうがよ……」
噂は暴走の果てに成長し、ピオニーが料理に毒を盛っていることになったらしい。考えなくてもでたらめだと分かりそうなものだが、マリアを失ったことで彼女たちははけ口を求めている。そこに理性の割り込む余地はないのだ。
「はぇ~……皆さん機嫌が悪いですねぇ……また何かあったんですかぁ?」
ピオニーののほほんとした声が、殺気立つ雰囲気に差し込まれた。すると椅子を蹴るような物音とともに、リリィが金切り声で叫んだ。
「お前の話をしているんだぞ。とぼけるなよ。お前本当は何か知ってたんじゃないのか? 知ってて黙ってたんじゃないのか? 私たちは命懸けでバイオプラントに行ったんだぞ! ふざけんなよ!」
リリィの剣幕に、食堂で数人がたじろぐ気配がした。すぐにサクラの凛とした声が、言い争いに乱入した。俺はドームポリス内監督者の彼女が、どういった立場にいるのか興味をそそられた。
「待ちなさい。私たちは食事当番の変更を話し合うため、ここにいるんじゃなかったっけ? カンガルーコート(吊し上げ)をするつもりなら、私が受けてたつわよ……つまらない真似すんじゃないわよ」
俺はほっと胸を撫で下ろした。サクラは大丈夫なようだな。クロウラーズが日常に戻れるよう、不穏分子の要求を通しつつも、越えてはいけないラインを弁えている。しかしこの問題は、サクラには荷が重すぎる。
「つまらなくなんかない! せっかくマリアを助ける道具を持って帰ってきたのに、全部台無しになったんだよ!? そしてこいつが何も話さない限り、それが繰り返されるかもしれないんだ! 私は嫌だ! また誰かが死ぬのは嫌だ!」
リリィは怒りを爆発させて、激しく地団太を踏み鳴らしだした。サクラはその騒音に負けまいと、冷徹な声を感情的な悲鳴に変えたのだった。
「それとこれは話が別でしょ!? いい加減にしなさいよあなた!」
「別じゃないやい!」
サクラとリリィはそのまま舌戦をエスカレートさせていき、激しい言い争いをはじめた。内容は問題の解決に寄与するものではなく、お互いの欠点をあげつらう悪口だけだった。そして誰も仲介に入る様子はなく、それどころか二人を無視して、ピオニーを論点に別の口論を始める始末だった。
無茶苦茶な騒ぎがしばらく続いたが、唐突に大きな物音がその場を鎮めた。どうやら誰かが、椅子を派手に蹴飛ばしたようだ。静まり返った食堂では、クロウラーズが椅子を蹴った人物に注目しているようだった。
「どーでもいいけどさぁ。アタシのメシどうなんの? それだけはっきりさせて、この偽善者の巣から出たいんだ。アタシ偽善者アレルギーだから、さっきからアソコが痒くて死にそうなの」
ロータスだ。喚くのが好きなあいつにしては、嫌に長い時間沈黙を守っていたな。それだけ辛抱強くなり、人の話を聞くように成長したのかもしれない。ロータスはしばしの沈黙を置いた。俺にはドア越しに、彼女が値踏みをするようにクロウラーズを眺める姿が見えた。
「釣りキチと根暗の作るメシなんか、アタシぁ食いたくないんだ。アタシのだけでいいから、ピオニーに作らせてよ。他はボケどもで好きにしな」
「毒。かかって。マリア。みたい。なっても。知らない」
パンジーが冷たく言い放った。ロータスが二つ目の椅子を蹴ったらしく、激しい物音がこだました。
「お前さ。アタシと喧嘩したいのォん? 来いよ。アヘ顔にして天国まで連れてってやるよ」
食堂は剣呑さを増していき、一触即発の状態となる。俺がドアを開ける物音でさえ、開戦の合図にならんばかりだった。張り詰めた緊張の中で、唯一取り残されているピオニーが、今にも泣き出しそうな声を上げた。
「わたし……作らない方が……いいんですかぁ……」
「いいから作れよ! お前が一番最初にアタシにメシを作ってくれたんだ! アタシャお前以外のボケカスが作った残飯は食わねぇぞ!」
ロータスが真っ先に反応して、悲痛な声を上げた。どうやら俺に処刑された後、ピオニーに食事を用意してもらったことを、恩を感じているようである。思い起こせばロータスは、送別会で俺を庇うような言論を展開していたな。らしくないとは思っていたが、あいつが守りたかったのは俺ではなく、ピオニーを守れる俺だったのかもしれない。
プロテアもロータスに調子を合わせて、怒りを孕んだ声色で続けた。
「ピオニーももうちょっと怒れよ! 根も葉もないうわさ話で、ぼろくそに言われているんだぞ!?」
リリィがすかさず反論をした。
「根も葉もない噂があそこまで当たる!? 全部当たってたじゃん! ナガセは意に介さなかったそうだけど、神経質に注意はしてた。その注意がなかったら、私たちも死んでたんだぞ!? 他に何を隠してるんだよ! 言えよ! 怖いんだよ!」
俺も怖い。怖くて仕方がない。俺は食堂のドアを開くと、中に足を踏み入れた。食堂にいたのは七人だった。パンジーとサン、リリィがグループを形成して、入り口側にたむろしていた。そして厨房側にたつピオニー、ロータス、プロテアと向かい合っているのだ。その間にサクラが仲裁するように立ち、精悍な顔立ちをほとほとに困り果てさせていたのだった。
「盛り上がっているところすまない」
俺が声を発すると、パンジーを除く全員がこぞって敬礼をした。ピオニーを糾弾する立場にあっても、思惑は一つではないらしい。パンジーは俺も同罪と責めているが、サンとリリィはピオニーだけを問題視しているようだった。
「お前ら……うん……なんだ……?」
俺はかける言葉を探して、床の上に視線を彷徨わせた。しかし適当な文句が、なかなか思い浮かばない。横倒しになった机や椅子のディティールに、意味もなく魅入ってしまった。俺はやがて食堂の奥にある厨房に目を向けると、肩身が狭そうにしているピオニーを手招きした。
「ピオニー……ちょっとこい……」
俺は務めて平静を装ったつもりだった。しかし抑えきれない興奮と焦燥が、俺の声を妖しく上ずらせた。
「お前までピオニーを責めるのかよ……」
プロテアが幻滅で声を震わせた。俺は慌てて首を振ることしかできなかった。
「いや……今回の事故で、聞きたいことがいくつかあるだけだ。ピオニーが特別という訳ではなく、アイアンワンドにもしたことだ。デージーやパンジーにも話を聞く。ひとまず来てくれ」
「私は別にいいですよぉ~。でも今日のお昼ご飯さんの準備は、どうしましょうかぁ~?」
ピオニーは張りつめた場の雰囲気を、微塵も感じていない様子だ。無邪気に微笑み返すと、二の返事で承諾した。それどころか、他人を気遣う余裕すら見せたのだ。とてもクロウラーズを陥れるため、間抜けを演じているようには思えない。
しかし彼女は確実に何かを知っている。
「アイアンワンドにやらせろ。それなら皆文句あるまい」
「はえ~。アイアンワンドちゃんはぁ、お料理できるんですかねぇ~」
ピオニーは小首をかしげて疑問を口にするが、素直に厨房を出て俺の元まで歩いてきた。クロウラーズはピオニーの一挙手一投足に、興味深そうに視線を注いでいた。パンジーたちのグループはこの殺伐とした中、安堵や達成感に気を緩めていた。プロテアたちのグループは逆に固唾を飲んで、慈悲や不安を無言で訴えていた。ただ一人、サクラは全てを俺に委ねて、無感情に徹しているのだった。
長居は無用だ。俺はピオニーが手の届く場所まで近寄ると、その肩を掴んで手繰り寄せて、一足早く食堂から出した。そして残ったクロウラーズに一瞥をくれると、早口できっぱりと言った。
「今日の食事はアイアンワンドが作ることになった。各自仕事に戻れ」
「だ、そうですぅ~」
俺は食堂のドアをやや乱暴に閉めて、ピオニーの腕を引いて廊下を歩いた。何が起こるか分からない。話しを聞く場所は、防音措置が取られたところがいい。床に傾斜のついた水捌けの良い、窓のない密室なんかが完璧だ。それはヘイヴンの保管庫の近くに、尋問室として存在した。
尋問室のドアは黒いペンキで光沢が消されており、鉄扉により強い存在感を付与していた。ドアの上部には『尋問中』と記された赤い表示灯が付いており、うっすらと埃が層を作っているのだった。
部屋を使用する機会がないと思っていたので、ドアは封印されたままノブがはまっていなかった。俺は事前に用意した荷物の中から、ドアの封印レベルに相当するノブをはめて開いた。そして先にピオニーを部屋に入れて、一度ドアを閉じたのだった。
遠方から何者かが、駆け足で近寄ってくる。アジリア辺りが気が付いて、止めに来たのかもしれない。邪魔させるわけにはいかない。ピオニーは明らかに知り過ぎている。その理由を明らかにするまでは、彼女にヘイヴンにおける立場はない。
「サー! サー! どちらにおいででございますか!?」
廊下の彼方から、切羽詰まった絶叫が響いてきた。やがて廊下の曲がり角から、アイアンワンドが銀糸を揺らしつつ姿を現した。アンドロイドは俺を視界に収めると、矢のような速さで突進してくる。そして俺の目の前で膝に手を置くと、汗もかいていないのに額の髪を払う仕草をした。
姿だけを真似るから、人の神経を逆なでしていることに、このポンコツはまだ気づかないようだ。俺の侮蔑の表情に気付いた風もなく、アイアンワンドは必死の形相で訴えかけてきた。
「マム・ピオニーにお話を聞くそうですが……穏やかではありませんね? こんなことは無意味です。おやめになってください」
「ピオニーが正直に話すなら、穏やかに済むさ」
俺は感情を表に出さず、淡々と呟いた。この時アイアンワンドは珍しく、感情にあった仕草をして見せた。眼つきを鋭くして俺を睨み付けると、俺の胸倉を掴み上げたのだった。
「サーは仰いましたね。大事なのは我々が生き残ることだと。真実の追求ではないと。サーは真実を明らかにするために、我々の一人を費やそうとしているのですよ!」
「こうも言った。彼女たちがマリアに逢う日が遠のくよう、最大限努力すると。そのためにはピオニーをこのままにはできん。彼女に隠す気はなくとも、我々に必要な情報を持っている」
俺は胸倉を絞めあげるアイアンワンドの手首を掴み、捻り上げることで外させた。アイアンワンドの腕が、金属の軋む音を上げた。それでもアンドロイドは関節の動きに逆らって、決して背中を見せようとはせず俺と対峙し続けた。
腕を失ってでも、尋問を止めたいのか。ないはずの左腕が、ズクリと痛んだ。俺はアイアンワンドの手首を解放すると、無い左腕でボディを突き飛ばした。
「ピオニーは記憶を取り戻した、領土亡き国家のスパイかもしれない。そうでなくとも、領土亡き国家の有用な情報を持っているかもしれない。お前の言った通り、領土亡き国家ではないとしよう。それでも彼女の持つ情報は、人権を踏みにじってでも知るに値する内容だ」
アイアンワンドは驚愕に目を見開いて、身体を戦慄つつ数歩引いた。
「とても……サーの口から出た戯言とは思えませんわ」
確かに、とんでもないことを口走っているという自覚はある。それでもなお、俺は止まる訳にはいかない。俺の脳裏には、頭がなくなったマリアの死体が思い起こされた。二度と繰り返してはいけないんだ。そのために必要なことなら、俺は何でもする。
「一人……失っているんだぞ……!?」
アイアンワンドは表情を切なげに歪めると、か弱く首を振った。
「二人……失うかもしれないんですよ……?」
「奴が領土亡き国家なら……我々ではないはずだ。止めたきゃ、アジリアを呼べ」
俺はそう言ってアイアンワンドを見限ると、尋問室に入って後ろ手にドアを閉じた。ピオニーが電気をつけたらしく、室内の電灯は灯っていた。電光は白い壁面にまばゆく反射して、目を細めないと辺りを窺えないほどだった。
室内の床は軽く傾斜しており、排水溝に水が流れる造りとなっている。すぐ隣室が監視部屋になっているのか、壁の一面がマジックミラーになっているのだった。部屋ではピオニーが物珍し気に、周囲に視線を配っていた。




