疑念-1
マリアの葬儀を終えて、虚しさを覚えたまま三日が過ぎた。バイオプラントの脅威は消えたものの、AEUとの無言の対峙は続いている。そのAEUからの連絡はなく、クロウラーズとしては相手の出方を窺っている状態であった。
早期警戒網であるaceLOLANを、森という防壁ごと失ったのだ。前線基地の設置を行い、警戒に当たるべきである。しかしクロウラーズはマリアを失った悲しみから立ち直れず、俺自身も作戦の立案をしない約束を守って喪に服していた。
俺は自室で報告書を処理しながら、切ない溜息をついた。手にした書類は『これで最後だ作戦』における、レイピアの整備に関するものだ。紙面にはデージーの筆跡で、とりとめのない内容が書き殴ってあった。
「なんだこの報告書? 作成者と作成日時が丸ごと抜け落ちているじゃないか。内容も要領を得ないし……こんなもの書類ですらないぞ」
クロウラーズは平時の勤務に戻ったものの、マリアのいない生活になれない様子だ。仕事のミスはもちろんのこと、全体の士気も壊滅的なままだ。あのアジリアが食糧確保の探索で、計画にない行動をとった。そしてサクラまでもが、誤字脱字の目立つ報告書を、俺に寄越したのだ。事態は極めて深刻である。
西洋では初七日という風習がないようだが、導入して時が彼女らを落ち着かせるのを待つのも手かもしれない。急いだところで事態は好転しないし、どう足掻こうとAEUには後手に回るしかない。彼女たちが日常を取り戻すまで、時間をかけるのが最善だった。
「ひとまず……この内容を看過はできん。報告書だけは書き直させないとな」
シフト表によればデージーは、居住区七階のテラスで農作業に勤しんでいるはずだ。俺は書類を手にすると、テラスへと向かうことにした。
ヘイヴンを歩いていると、仕事に没入するクロウラーズたちと何度もすれ違う。それぞれ農具だったり、工具だったりを手にしているが、皆一様に浮かない表情をしていた。
悲しみだけが原因ではないだろう。AEUとの敵対的な邂逅は、彼女たちも知るところだ。いつ来るやも分からぬ襲撃に怯えて、毎日が不安でたまらないに違いない。俺だって明日が不安だ。彼女たちがまた欠けるかも知れないと思うと、居ても立ってもいられなくなる。
「どうすればいいんだ……? 切り札はナシ。負債は増えた。手札ももうない」
俺のぼやきは相談相手を見つけられず、吐息に吹かれて空に消えていった。
テラスに出ると、太陽は俺たちの気も知らずにさんさんと輝いていた。俺は目が太陽の光に慣れるのを待ち、テラス全体を望んだ。床には森から運んだ土を土台に、芝生が敷かれて人工の草原が造られていた。そこを捕獲した牛や豚などが、のんびりと歩きまわっている。
マリアはもっぱらテラスにいて、サボらない程度に動物の世話をしていたな。視線は無意識のうちにテラスを彷徨い、彼女の姿を探し出そうとする。俺がその意味のない行動に気付くのは一瞬だったが、そのショックから立ち直るには、十倍近くの時間が必要だった。
俺は軽く頭を振って、顔を支配しかけた悲しみを振り払った。早いところつまらない用事を済ませて、俺にしかできない仕事に取り掛かろう。この時間はデージーとアカシアが勤務中のはずだが、その姿がどこにも見当たらない。
「飼育小屋の方かな……? まだ朝も早いし、放牧作業の途中なのかもしれない」
俺はテラスの隅に立つ、木製の長屋に目星をつけた。サンとデージーお手製の平屋で、支柱に板を張り付けて、屋根を乗せただけの簡素な造りをしている。さらに板の張り目が甘いため、壁には多くの隙間があり、中の臭いも音も駄々漏れという散々な代物だった。
「リリィとプロテアが立て直そうとしても、建てた二人がぎゃんぎゃん喚くもんだからな……まぁ気持ちはわからんでもないが――」
俺が苦笑いしながら小屋に寄っていくと、飼育小屋から話し声が聞こえてきた。俺に盗み聞きの趣味はない。しかしアイリスやピオニーのこともあり、噂に対しては神経質になっていた。俺は歩みを忍び足に変えると、壁の隙間から漏れる声に聞き耳を立てたのだった。
「――アカシアは悪くないって……全部ピオニーのせいなんだから……」
慰めと強迫の入り混じった、強めの声がする。この声はデージーだな。馬鹿な噂を広げやがって。誰かを生贄にして得られる安息など、その場しのぎでしかない。歴史を振り返れば一目瞭然だ。生贄は英雄が現れるまで、捧げ続けられるものなのだ。
「何でそんなこと言うの? ピオニーは自分の仕事をして、ちゃんとご飯作ってたんだよ。僕たちは自分の仕事をしてなくて、ちゃんと見張ってなかったんだ。僕たちが悪いよ……」
アカシアが罪悪感に、語尾を沈ませた。デージーはアカシアの返事に、少し慌てた様子だった。
「待って待って待ってよ。そもそもピオニーがバイオプラントは危険だって、教えてくれればこんなことにならなかったんだよ? マリアも死ななかったし、ナガセも腕を失くさなかった。私たちもこんな思いをしなくても――」
「私たちってくくるの、やめてくれないかな? 僕までピオニーに意地悪してるみたいだ……」
アカシアは強い口調で遮り、はっきりとデージーを拒絶した。デージーは取り繕うように言い訳を並べた後、なおも話を続けた。
「でもピオニーのご飯食べて、お腹を悪くするときもあったじゃない。きっとピオニーは領土亡き国家の一員でさ、私たちに毒を盛っているのかもしれないよ……」
領土亡き国家の名を出されては、流石に看過することはできん。いずれ彼女たちも過去を知る日がくる。その時こんな突拍子もない噂で、仲違いされたらたまったものではない。俺は立て付けの悪いドアを開けて、飼育小屋に飛び込んだ。
アカシアとデージーは俺の闖入にやや驚いたようで、びくりと肩をすくめてこちらを見つめてきた。アカシアはすぐに緊張を解いて、あいさつ代わりに敬礼をした。しかしデージーは気まずそうに、肩をすぼめて後退ったのだった。やましさがあるのなら、初めから言わなければいいものを。
「悪い噂を流すのは感心せんな……文句があるなら本人に直接いったらどうだ? アカシアもそんな話聞かされて、迷惑だと思うがな」
アカシアは俺に同意して、何度も首を縦に振った。デージーは恨みがましく俺を睨み付けたが、すぐに神妙な面持ちをしてすり寄ってきた。
「あのさ……ナガセのいない所で話してたんだけど、噂はみんな知っていた事なんだよ。バイオプラントは昆虫が溢れていて、世界には私たちそっくりな化け物がいるんでしょ。そしてバイオプラントを毒で満たしたのも、その化け物がしでかした事なんだって。ピオニーがその化け物かもしれないじゃん! 今のうちに何とかしないとまずいよ!」
俺は意固地になるデージーに、思わず辟易してしまった。
「俺もピオニーから聞いたよ。それでも取り合わなかった。俺の責任だよ。そして噂はあくまで噂だ。今回は偶然にも、噂が現実になっただけだ。噂だけでピオニーを罰することなんてできん」
俺はあえて、噂の根拠には触れなかった。犯人捜しをされて、ローズが火元だと明るみになれば、今度は歯止めが効かなくなる。ローズはこぞってたかって、クロウラーズに袋叩きにされるかもしれないのだ。しかしピオニーに対する、いわれのない中傷を許すつもりもない。
「これ以上不和を広げるなら、お前には相応の罰を科すつもりだ。言動には十分注意しろよ」
デージーは怯えると、腕で顔を隠して防御の姿勢をとった。そして腕の隙間から、非難の眼付きを覗かせた。
「待って待って待って! バイオプラントは他にもあるんでしょ!? 毒が溢れる可能性は残っているんだよね? ナガセはどう対策するか立てているの!? ナガセはリーダーなんだから、きちんと対策とってあるよね!」
責められたくないが為に、自らの矛盾を正さぬまま、責める相手を変えるときたか。中々優秀な政治『屋』になれる素質を秘めているな。俺は思わず苦笑を漏らした。しかしそれもすぐに、鈍重な溜息に取って代わった。
バイオプラントの毒は、頭痛の種であることは間違いない。バイオプラントは明らかに、ミューセクトが繁殖しやすい構造をしていた。そして仕組んだのがECOか、領土亡き国家かかは分からないのだ。
環境破壊爆弾はあれ一つかもしれないし、複数存在するのかもしれない。だが真実を突き止めるのは、ユートピアの新政府の仕事だ。俺たちは生き残ることが、何よりの使命なのだ。
「マリアのような犠牲を出さないために、バイオプラントの在りかを突き止め、中にあるかもしれぬ毒を無力化する――崇高な考えだと思う。しかし俺はその考えを現実に移し、お前らが傷つくリスクを抱えたくない。毒が届くには対策に十分な猶予がある。十分な準備を以って、迎え撃つ事ができるはずだ」
「でも――」
デージーが食い下がるが、アカシアがその小腹を突いて黙らせた。
「ナガセは汚染対策を、ばっちりしていたでしょ? ちゃんと言うこと聞いていれば大丈夫だよ……」
俺はにわかに表情を、苦々しいものにしてしまった。これまでクロウラーズに死者が出なかったのは、偶然の結果に過ぎないと思い知らされた。アカシアに頼られるのは嬉しいが、応えられるか著しく不安だった。
俺はとにかく持ってきた書類をデージーに突き付けて、用事を終わらせることにした。
「さて、お前はつまらんお喋りをする暇はないぞ。お前の報告書は欠陥だらけだ。今日中に訂正して、お前が自分で俺のとこまで持って来い」
デージーは書類を受け取ろうとはせず、アカシアを盾にしてその背中に隠れた。そして泣きっ面に蜂だと言わんばかりに、金切り声で喚いたのだった。
「書類はサクラが受理したから、ナガセのとこまでいったんでしょ! 悪いのサクラじゃん!」
「サクラも叱りに行く。今はお前の話をしているんだ。おいアカシア。お前は自分の仕事だけをすればいいからな。デージーの仕事を負担して、こいつが報告書を書き直す余裕なんて作らなくていいぞ」
アカシアは背後に隠れるデージーを、鬱陶しそうに後ろ目でみやった。それでもデージーが図々しく隠れ続けていると、無視して姿勢を正し、俺に再び敬礼をした。
「サー、イエッサー」
「何でだよぉ! 仲間じゃんか! 手伝ってくれよくれよくれよ!」
デージーはアカシアを盾にしたまま、不満をぶつけて肩を激しく揺すった。アカシアはツンとそっぽを向くと、デージーに代わって俺の差し出す書類を受け取ったのだった。
「本当に仲間だったら、仲間の悪口言わないもんね」
「そんなぁ~!」
俺はデージーの怨嗟を聞きながら、飼育小屋を後にした。テラスに出た先から飼い放されている牛が、人懐っこく身体を擦りつけてくる。俺はやんわりといなしながら、ヘイヴンへと足を進めたのだった。
「生産的な仕事でもして、噂話に興じることが馬鹿らしいと考えてくれればいいのだが――それにしても」
理解ができん。俺は顎に手を当てて、深く考え込んだ。デージーたちはピオニーを、どうして頑なに責めるのだろう? 俺の知らない何かがあったというのだろうか。元々分からないままで済ますつもりはなかったが、急ぎ事故の調査をする必要があるのかもしれん。
「しかしデージーらに聞いたところで、ピオニーが知っていて止めなかったの一点張り。根拠を求めると、そう噂していたとしか返ってこない。噂話だけでヘイトをここまで買う理由がわからん。同じ噂ならローズも流していたはずなのに、何故ピオニーだけがこうも槍玉にあがるんだ」
同じ噂だ。同じ話だ。同じ内容だ……待てよ。俺の脳内で、ちょっとした疑問が浮かび上がった。
ローズが閲覧した俺の資料は、領土亡き国家と暴徒ととの戦いがほとんどだった。ミューセクトは敵対勢力というよりは、障害の扱いで戦果には挙げられていないはずだ。俺はジェリコ・カーターや、アルバート・ギデオンのように、ミューセクトを専門に狩っていた訳ではない。すると噂のミューセクトの下りは、どこで足された情報なんだ?
「おい……まさか……ちょっと待てよ……」
俺は頭の中にある情報を、急いでまとめ上げた。
ローズを見守っていたアイアンワンドは、確か俺が化け物で、世界には毒が溢れているという噂を聞いた。俺が領土亡き国家であり、汚染世界こそが毒なのだ。全て俺の過去にまつわる出来事を元にしている。
ピオニーの噂話を耳にした、マリアとアカシアはこう言っていた。世界にはたまに毒が溢れ、巨大な昆虫がいて、人の皮を被った化け物がいると。
たまにとは何だ? 巨大な昆虫はどこから入った? そしてアカシアは俺の様な化け物と言わなかった。私たちみたいな姿の化け物と言った。まるで俺以外の人間を指しているようだ。
極めつけにバイオプラントで、ロータスと交わした会話だ。
『……ンじゃあさ、ピオニーが言ってたこと、本当――』
僅かな違いだが、決定的に異なっている。噂の出どころが二つあったと考えるべきだ。俺は順番を間違えたのかもしれない。ローズが広げた噂を、ピオニーとパギが真に受けたんじゃない。ピオニーが噂を広げて、パギが真に受けた。そしてローズがその情報を使って、クロウラーズを足止めしようとした――とするなら納得がいく。
「あの野郎……何かを隠しているのか……?」
俺の胸中で疑惑が深まり、心の底から静かな怒りが湧き上ってきた。俺は身をもって納得した。確かにピオニーが秘密を隠し持ち、仲間を失くした今でも何も語らないのであれば、それはデージーのヘイトに正当な理由をつけるだろう。




