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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目前半【ECO編】
179/241

送別-3

 平時の談話室は、床にマットを敷いただけの簡素な部屋だ。他愛のない談笑が、響き渡る時もある。プロテアが奏でる、ギターの音色が聞こえる時もある。アカシアが作るポプリの匂いで溢れたり、リリィが機械を弄ってオイルの匂いが充満する時もあった。クロウラーズのほとんどは、休憩時間をこの部屋で過ごしていた。


 送別会場となった談話室は、教会のように長椅子が整然と並べられていた。長椅子と向かい合わせて、最奥にはマリアの棺が置かれているのだった。


 会場はアカシア手製のアロマで、甘く切ない芳香で満たされていた。クロウラーズを落ち着ける役割を、想像以上に果たしているようだ。涙ぐむ彼女たちは、よくよく鼻で深く息を吸い込んでいるのだった。部屋の隅にはピオニーのサンドイッチが、トレイに載せてまとめてあった。しかし食欲をそそる肉が多めの具も、今ばかりは例外らしい。ほとんど手付かずの状態で残っていた。


「全員……揃ったようだな」


 俺は談話室のドアを閉じながら、長椅子に腰かけるクロウラーズたちを見渡した。アイリスとピオニー、そしてアイアンワンドを含む、ほぼ全ての姿が確認できた。彼女たちは一様に視線を俯かせて、軽い嗚咽を静寂に響かせていた。ときおり彼女らは言葉にならない想いを視線に乗せて、壇上の棺に注ぐのだった。


「はぇぇー……出発の時ぃ……もっと美味しいご飯さん作っておけばぁ……」


 ピオニーの両サイドには、サクラとアカシアが腰かけて、しっかりとガードを固めていた。ピオニーは普段と変わらぬおおらかな雰囲気をまとっていたが、柳眉を下げて悲しみに耽っているのだった。


 アイリスの両サイドは、アジリアとプロテアが守っている。アイリスは酷く周囲を気にして、落ち着かない様子だった。血の滲む親指の爪を噛み砕いては、やんわりとアジリアに止められる。それを幾度となく繰り返しているのだった。


 棺の蓋は開かれており、マリアは生前愛用した物に囲まれて眠っていた。私物は靴、衣装、飾り布、カラフルなヘアピン――女性らしいアクセサリーがほとんどだった。しかしその次に多かったのは、彼女に似つかわしくないガラクタだった。


『マリアはね……結構誰とでも仲が良かったから……』


 俺がマリアの部屋を整理した時、アカシアは手伝いながら目頭を押さえた。分かりやすい注釈が書き込まれたマニュアルは、サクラから送られたに違いない。人攻機のプラモデルは、きっとリリィからもらったのだろう。他にもボロボロのピコのぬいぐるみや、空の薬莢、ポプリの袋、釣り針、手書きのレシピなどが出てきたのだった。


 俺は上ずりそうになる声を、深呼吸することで無理やり整えた。そして告別式の始まりとなる、静謐な言葉を紡いでいった。


「マリアと皆は親交が深く、多くの苦楽を共にした仲間だ」


 気を許さない人間とは、趣味を共有できないはずだ。マリアはクロウラーズの面々を理解して、その楽しみを分かち合っていたのだろう。だからこそ彼女は平和の大切さを知っていて、誰よりも争いで壊れるのを恐れていたのだ。


「最近はクロウラーズで不和があり、身内で言い争いが絶えなかったと思う。その中でマリアは皆が笑いあえるよう、必死で頑張ってくれていた。最後まで皆の仲が戻るように、切に願ってくれていた」


 俺の脳裏には、涙ながらに訴えるマリアの姿が思い浮かんだ。昔に戻って笑いあい、仲良く過ごしたい。彼女はその気持ちに従って、バイオプラントまで走っていった。マリアは未来を作るために、懸命に戦ったのだ。そして過去に縋る俺が殺したんだ。


「一人ずつ献花して、お別れの言葉を述べてくれ。アジリア。お前からだ」


 俺が呟くと、アジリアはのそりと席を立った。普段のきびきびとした動作ではなく、まるで寝ぼけているような所作だ。まだマリアの死が受け入れられず、足元が定まっていないようだった。


 アジリアは棺までゆっくりと歩いて行くと、近くのテーブルに用意したマリーゴールドを一輪手にした。そしてマリアの胸元に、そっと添えたのだった。


「守れなくてすまん……」


 アジリアは悔恨で声を強張らせた。彼女は懐から、パギをあやすのに使っていた人形を取り出した。そしてマリアの脇の下に置いて、抱かせてあげたのだった。


「向こうの世界がどうなっているかは知らん……だが独りでは寂しいだろう……連れていくといい。なァに。また返してもらうさ……いずれそちらに行くさ……待ってろ」


 アジリアが席に戻ると、サクラが棺へと歩いて行った。サクラの足取りはしっかりとしていて、動きにも淀みはなかった。しかし彼女がマリーゴールドを手に取る際、指が震えて取り落としてしまった。サクラは拾い上げようとして屈んだが、そのまま泣き崩れてしまった。そうして気丈に振る舞っていたことが、露呈してしまったのだった。


「私があの時……うまく捕まえてさえいれば……こんな事には……バカよね……バカよね……」


 サクラは花を添えて、声を震わせた。そして手にした紙袋を、マリアの棺の中に入れた。


「私が一番お気に入りの服……ナガセがご褒美に下さった物……すごく欲しがってたよね……いつかそっちに行くから……着ているところ見せてね……」


 サクラが席に引き返し、プロテアがアイリスの手を取って腰を上げた。しかしアイリスは立ち上がることを拒んで、首を振りながらプロテアに抵抗したのだった。


プロテアはアイリスの肩に手を置くと、耳元で優しく囁いて立つように促していた。それでもアイリスは椅子から尻を持ち上げようとはせず、見えない暴力に怯えて身を縮めているのだった。


「早くしてよ」「これ以上迷惑かけるな」


 誰かが心無い言葉を吐いて、俺は目の奥が悲哀で熱くなるのを感じた。アイリスを取り巻く環境は、かなり厳しいようだ。マリアの死をいたましい事故ではなく、裁かれるべき事件だと考えているのだ。


「アイリス……聞いてくれ――」


 俺はアイリスに近寄る振りをして、足元の椅子を軽く蹴飛ばした。椅子が大きな音を立てて床に転がり、談話室はしんと静まり返った。俺は空気が険悪になる前に、申し訳なさそうに言った。


「すまん……躓いてしまった。アイリス。お前は出来うることはやったんだ。きっとマリアも感謝している。お別れを言ってやってくれ」


 アイリスは軽い恐慌に陥っており、抱えた頭を激しく左右に振った。「違う……違う……」首が振れるたびに、彼女の虚しい言葉がこぼれる。そして決して椅子から離れまいと、背もたれをきつく握りしめた。


 プロテアは困り果てて、助けを求めて周囲を見渡した。それでも彼女は俺を巻き込みたくないのか、露骨にこちらには視線をくれなかった。プロテアはアイリスを取り巻く気配に、同情よりも敵意が多いと悟ったようだ。だから自らの頬を張って、気を奮い立たせると、クロウラーズにも聞こえるように話し始めた。


「よぉ。今日はマリアを送ってやる日なんだ。お前がマリアの事でどう責任を感じてるとか、どう頑張ったとかはその後の話なんだよ。お前はマリアがいなくなって、俺と同じようにすんげぇ悲しいと思っている。それでよ、今日を最後にマリアとはもう会えねぇんだ」


 プロテアは堪え切れずに、鼻をすすって涙ぐんだ。


「だからここでちゃんとお別れしねぇと、きっと……きっと後悔すっから……な……?」


 アイリスは頭を抱えたまま、微かに頷いて見せた。そしてふらつきながらも立ち上がると、プロテアと互いに支え合って、棺の前まで進んでいった。


 プロテアは棺まで辿り着くと、マリーゴールドをマリアの胸に沿えた。


「ゆっくり休んでくれ。また上の世界から、パギの面倒見てくれよ。これ。俺の曲はいっているから、暇潰しに聞いてくれや……また陽気に歌おうぜ……」


 プロテアは棺の中に、ソリッドメモリを入れた。


「あ……う……あ……」


 アイリスは何も言えなかった。たださめざめと泣きながら、マリアの胸元にマリーゴールドを添えたのだった。彼女の指先からマリーゴールドの茎が離れた瞬間、ようやく失った事実を受け入れたのだろうか。アイリスはその場にへたり込むと、声を上げてむせび泣いた。プロテアはそんなアイリスを抱きかかえて、長椅子へと戻っていった。


 ローズが五本目を添える。


「ごめんなさい……私があなたのように優しい人だったら……一緒に皆の為に動いていたら……今さらこんなこと言われても困るよネ……困っちゃうよネ……」


 パンジーが六本目を添える。


「もっと。進む。やめる。強く。言うべき。だった。こんな。行進。やめさせる。べきだった」


 パンジーが声に棘を込めて、入り口に立つ俺を意識しているのが分かった。俺を責める分には問題はない。儀式を乱してもいないし、俺は見逃した。


 サンとデージーが七、八本目を添える。


「私……マリアが大変だったのに……目を背けていたと思う……怪我する前も……怪我した後も……自分がやりたいように……やりっぱなしで――」


 サンが悔いを述べると、デージーがその背中を撫でて慰めた。


「サンは悪くないよ悪くないよ悪くないよ……あの……マリア……酷い目にあったね……もう……大丈夫だから……」


 アカシアがピオニーと共に、九、十本目を添える。


「あの……その……ごめんね……僕がもっと気を配っていれば……これからも遊べたのに……」


 アカシアが涙を流しながら、棺に縋るようにもたれかかった。ピオニーはそんなアカシアを抱きしめながら、自らも滝のような涙を流しているのだった。


「ご飯さん……これからもたくさん作りますからねぇ……私がそっちに行く時……たくさんのおいしいものの作り方覚えて……食べさせてあげますからねぇ……」


 ロータスが十一本目を添える。彼女はチョーカーの外れた首を、自慢げにさすって見せた。今回の働きが認められて、アジリアとサクラ、プロテアが監視の解除を認めたのだった。


「やるよオカチメンコ。お前ェ~と取りあった靴だよ。アタシはまだ生きてるしィ? これからは好きな服も着放題だからァ? そんなゴミクズいらないんだよねぇ~……はぁ……」


 ロータスは棺に靴を乱暴に投げ込むと、深いため息をついた。俺は咎めなかった。アジリアも文句を言わなかった。ぞんざいな態度で暴れそうになる感情を、懸命に抑え込んでいると伝わってきたからだった。


「バカ野郎がよ……ダーリンの忠告聴いときゃあ……取り合いの続きができたのにね」


 ロータスは去り際に、そのようなことを口走った。俺は眼つきを鋭くすると、ロータスを睨み付けた。


「ロータス。余計な事を言うな」


 ロータスはびくりと肩を震わせて、気まずそうに俺を見返した。だが我慢がならなかったようで、悲憤と畏怖をない交ぜにした苦笑いを浮かべた。


「ごめんねん……今アタシダーリンの悪だくみに気ィ使えるほど、頭回ってないから。パンジーの戯言はよくてアタシだけお叱りかよ。そんなに悪役を買って何が楽しいのよん!」


「ロータス!」


 俺が叱りつけると、ロータスは諸手を上げて降参のポーズをとった。


「あー! はいはいごめんなさい! 後でしゃぶってあげるから落ち着きなよッ!」


 ロータスはポケットから汚れた袋を取り出すと、鼻先に持っていって匂いを嗅いだ。アカシア手製のポプリの包みらしい。しかし芳香で気を静められなかったのか、座ると同時に隣のアカシアにポプリを投げつけた。


「おいガリ陰キャ。これ中身入れ替えてちょーだいね。全然いい匂いがしないから……クソッ」


「あ……うん。分かった……」


 アカシアは嫌な顔一つせず、汚れた袋を大事そうに懐にしまったのだった。


 リリィが十二本目を添える。


「もう少しキャリアを飛ばせば間に合ったかなぁって……いまだに思ってるんだ……こうなった今、そんなこと考えたって意味無いのにね……私はまだこの世界にいるから、お土産たくさん持ってそっちに行くよ……」


 アイアンワンドとパギが、十三、十四本目を添えた。


「マム・パギ。何か言わないのですか……?」


 ひたすらしゃくりあげるパギを抱きしめて、アイアンワンドがそっと囁いた。パギは胸の内で渦巻く、言葉にできない想いを表すように、アイアンワンドの胸を何度か叩いたのだった。


「何を言えばいいんだよぉ……死んだんだぞ……何も聞こえないに決まっているだろ……」


「いいえ……きっと聞こえますよ……だから申し上げて下さい。いずれマム・パギが神の国に赴く時、マム・マリアはきっとその言葉が本当だったのか、お確かめになるでしょうから……」


 パギは咽喉を締め付けて、きゅうと切なげな呻き声を上げた。そしてマリアの遺体を食い入るように見つめて、お別れの言葉を考えているようだった。


 数分の対峙の後、パギは決意を固めて唇をきつく引き締めた。そして頬を伝う涙を拭い、泣くのを必死でこらえると、はっきりと口にしたのだった。


「私が……私がマリアの分もみんなを助けるから……約束するから……」


「そうです……」


 アイアンワンドはパギを抱きしめる手から力を抜き、身体をゆっくりと離していった。そして大人のクロウラーズと接するように、その背中に手を添えるだけに留めたのだった。アイアンワンドは近いうちに、パギの命令を聞くことになるのかもしれない。


 マリーゴールドは、残すところ最後の一本となった。


 俺は談話室のドアから離れると、マリアの棺へと歩いて行った。背中にかかる視線は、憤慨が半分、悲哀が半分といったところだろうか。お前がどのツラを下げてと思う者もいれば、あれだけ頑張ったのにと同情するものもいたようだ。


 俺はマリーゴールドを手に取った。太い茎が、黄色い大輪の花を頂いている。俺は指で花を回転させ、その全体を眺めながら、ふと昔のことを思い出した。


『あのさァ旦那。私たちの名前って、花に由来しているんだよね』


 自室で書類仕事をしていると、珍しく不機嫌そうなマリアが訪ねてきた。俺は書類から目を離さないまま、首だけで返事したのをよく覚えている。当然だがマリアの機嫌は、さらに悪くなった。


『なンで。私とローズだけカブってんの?』


『え。ローズとマリアって、違う花ではないのか?』


 俺はそこでようやく書類から顔を上げて、間抜けな顔でマリアをみた。マリアは顔を真っ赤にして『バカヤロー』と叫んだ。俺は滅多に見ない剣幕に、ペンを取り落して震えた。


『あちゃー……やっぱり勘違いしていたのね。アイアンワンドが言うには、マリアって薔薇の呼びかたの一つらしいのよね……それとも何? ダリアにしようとして間違えたの?』


『う~ん……あっ! あ……ああ~……そうかもしれん……』


『フザケンナよこのトンチキがよぉ……いーい? 名前だよ名前! 私の個性だよ! それがローズの小分類みたいな扱いで良いわけないでしょーよ!』


 俺は慌てて席を立ち、マリアに深く頭を下げた。そして両の手をてんやわんやさせながら、マリアに弁明をしようとした。


『すまん。悪かった。では新しい名前を――』


『いーよ。そう言うのって、違うから変えるもんでもないでしょ。だから花の方を変えることにしたの。これからこれが私の花だから。間違わないでよね』


 マリアはそう言うと、俺に花を一輪差し出してきた。マリーゴールド。俺はマリアの象徴を、その胸にできた花束に加えた。


「お前を殺したのは俺だ」


 するりと出てきたのは、考えていた事だった。自らの高慢、失策、そして監督不足。何が悪かったのか。


「引き止めるお前を省みず、危険へと盲進し、忠告を怠った。お前はきっと……俺を恨んでいるだろう――」


 背後から何かが飛んできて、俺の後頭部を穿った。俺が頭を押さえて振り返ると、プロテアが投擲後の姿勢のまま俺を睨んでいた。床を転がる物音を視線で追うと、拳銃の弾倉が転がっていた。どうやらこれをぶつけられたらしい。


「いい加減にしろよこのタコが……」


 プロテアが怒りを露わにして、肩を小刻みに震わせた。俺は鼻を鳴らして場を区切ると、再びマリアに向き直った。


「俺はお前に約束した。より良い明日、暮らし、そして安全を。俺は約束を果たせず……お前を裏切ってしまった――」


 二度目。俺の後頭部に衝撃が走る。俺の足元に二つ目の弾倉が、からからと音を立てて転がった。


「マリアはそんな言葉で送って欲しくない……と僕は思うよ……」


 アカシアが俺の背中に、おずおずと声をかけてきた。俺は皮肉気な笑みを浮かべると、力なく首を振った。俺が口にしたことは、紛れもない事実だからしょうがない。行く先により良いものがあると約束し、マリアに毒を浴びせたのだから。


「勝手に決めつけるな。マリアは俺のせいで逝ったんだ」


 背後で長椅子を蹴って、立ち上がる音がした。俺が振り返ると、いきり立つプロテアと視線が合った。彼女は悲しみで顔をしわくちゃにしながら、ホルスターから拳銃を抜き、大きく振りかぶった。


「ナガセ。お前言ったよな。ここは人を非難する場所じゃない、マリアを送る場所だって。本当にマリアの死を悼んでいるのなら、心からの声を聞かせてやれよ……」


 三度目。拳銃が胸元にぶつけられた。プロテアの投げる力はかなり弱く、拳銃は大きな放射線を描いて俺の胸に当たった。それでも弾倉をぶつけられた時よりも、遥かに重い衝撃が走ったのだった。プロテアは続けた。


「責任を感じているのは分かる。俺らのはけ口になろうとしているのも分かる。でも俺らはまだ生きてるんだぜ……? まだこれからどうにでもなるだろうがよ。今は死んじまったマリアに声をかけてやれよ……お前についてきた……マリアに声をかけてやれよ……」


 一分の反論の余地もない。ただ、戸惑わざるを得ないのだ。俺がなんと、声をかけるべきなのか。どのような言葉を、贈れるというのか。


 考えていたことはたくさんあった。俺の犯した間違いと、取り返しのつかない失敗、その上でどのような答えを出して、マリアにどう終りを迎えさせるか。複雑な問いは答えを求めて、ミノタウロスの迷宮を彷徨っている。


 だけど。想っていたことは一つだった。それを口にすることが憚れて、あまりの白々しさに、答えにしてしまうのが躊躇われた。俺はマリアの棺に手をつくと、恐る恐る中を覗き込んだ。


 マリアは美しいドレスに袖を通して、ただ優しい笑みを浮かべている。俺は生唾を嚥下すると、覚悟してその想いを口にすることにした。


「もっと……いいものを見せたかった……楽しい思いをさせたかった……喜ばせたかった……」


 ただそう言うことが、マリアの遺体を前にすると、自分の内臓を引きずり出すよりも難しかった。俺はその理想の為に、マリアの命をいたずらに費やしてしまったのだから。


「俺には出来なかった……すまない……」


 マリアにあの世で詫びることはできるだろうか? いや、絶対無理だ。


「俺はきっと地獄に堕ちる……天国のお前には会いに行けない……だから……だから……」


 残された俺には、もうマリアにできることがない。同じく残された者たちと、その記憶を悼むことしかできないのだ。だから残されたものとして、その痛みが連鎖しないように、断ち切らないといけないのだ。


 過去に狂って、痛みを繰り返した俺が? 彼女らに耳を貸さず、いたずらに費やした俺が?


 重い。


「すまん。酷い事を言う。他の皆とお前が合う日が、少しでも遠のくように努力する。その分楽しい話を、持っていけるようにしたいと願っている」


 俺は言い切ると、棺の蓋をそっと閉じた。そして談話室のクロウラーズを振り返り、感情を気取られないよう淡々とした口調で言った。


「告別式は終わりだ。明朝マリアを連れて、最南端の浜辺へと向かう。かつてゼロのあった浜辺だ。そこで火葬にして……皆で灰を撒こう……」


 アジリアはそれまで粛々と葬儀に参列していたが、俺の言葉を聞いて露骨に顔をしかめた。


「待て。他の仲間は埋めたのに、マリアだけは燃やすのか?」


 俺がマリアの死を、失敗として残したくないと思っているのかもしれない。だがアジリアのことだ。それ以上にマリアの身体を、跡形もなく破壊してしまうのが耐えられないのだろう。俺は唇を食みながら、その意見はもっともだと頷いて見せた。


「そうだな……だが俺は……その方が良いと思った。顔のないまま埋めるより……風になって世界を旅して欲しいから……他にいい案があるなら、出発までに教えてくれ……」


 アジリアは意外そうに目を丸くすると、しばらく黙考していた。やがて表情から険をとると、両膝に肘をついて顔を俯かせた。


「悪かった」


 俺は改めてクロウラーズを見渡した。他に意見があるものはいないようだな。俺は部屋の隅にある椅子に、どっかりと腰を下ろした。ここなら談話室全体を見渡して、状況を把握する事ができる。何か問題があっても、すぐに対処する事ができるだろう。


「今日マリアはずっとここにいる。後悔のないように、別れの時を過ごしてくれ」


 痛む左腕をさすりながら、そう締めくくった。





 次の日。俺たちはキャリアに乗って、護衛のカットラス二躯と共に出発した。東の海岸から海を航行し、かつてゼロのあった南の浜辺を目指した。


 懐かしき浜辺。皆と出会った場所。全ての始まりの地。ゼロがなくなっただけで、あの頃と何ら変わりはない。それどころがここに居を構えていた頃の、生活の痕跡が未だに残っていた。


 俺とアジリア、サクラ、プロテアで、火葬の準備を始めた。その間クロウラーズは方々に散って、過去を懐かしんでいるのだった。彼女たちは朽ち果てた乾燥台を組み立てたり、迎撃棚を駆けまわったり、ゼロのあった場所を歩きまわったりした。そしてマリアとの思い出話に、花を咲かせているのだった。


「マリア。お前が正しかった。お前達の故郷は、ここにあった」


 死にたくなった。というより、マリアに殺して欲しくなった。


 やめるんだ。痛む左腕をさすって、必死で自らを戒める。アロウズの幻影に、マリアまで参加させるつもりか。


 浜辺を望む岬で、火葬の準備が整った。棺に薪を立てかけて、ナパームを少量仕込む。その上から飼料の枯れ草で、隙間なく覆い尽くした。


 一つの松明をみんなで回して、火を点けた。


 炎は延々と燃え続ける。思い出をくべて、心残りを焼き、虚しさの煙を上げて。


 焼け跡から棺の残骸を取り出して、骨と骨粉を手で掬った。骨は俺がゼロに来る前に召された、女たちの所に埋めた。そして灰は岬の先端から、皆で撒いた。


 マリアはユートピアの空を舞い、青の彼方へと溶けていった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ほかのだれでもなく彼女でなければならなかった。 これまでに積み上げたものが、弔いの形を。 とても悲しい。
[良い点] よかった
[一言] ロータスの心境の変化も気になるけど語録を聞けたからなんかもうどうでもいいや
感想一覧
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