送別-3
平時の談話室は、床にマットを敷いただけの簡素な部屋だ。他愛のない談笑が、響き渡る時もある。プロテアが奏でる、ギターの音色が聞こえる時もある。アカシアが作るポプリの匂いで溢れたり、リリィが機械を弄ってオイルの匂いが充満する時もあった。クロウラーズのほとんどは、休憩時間をこの部屋で過ごしていた。
送別会場となった談話室は、教会のように長椅子が整然と並べられていた。長椅子と向かい合わせて、最奥にはマリアの棺が置かれているのだった。
会場はアカシア手製のアロマで、甘く切ない芳香で満たされていた。クロウラーズを落ち着ける役割を、想像以上に果たしているようだ。涙ぐむ彼女たちは、よくよく鼻で深く息を吸い込んでいるのだった。部屋の隅にはピオニーのサンドイッチが、トレイに載せてまとめてあった。しかし食欲をそそる肉が多めの具も、今ばかりは例外らしい。ほとんど手付かずの状態で残っていた。
「全員……揃ったようだな」
俺は談話室のドアを閉じながら、長椅子に腰かけるクロウラーズたちを見渡した。アイリスとピオニー、そしてアイアンワンドを含む、ほぼ全ての姿が確認できた。彼女たちは一様に視線を俯かせて、軽い嗚咽を静寂に響かせていた。ときおり彼女らは言葉にならない想いを視線に乗せて、壇上の棺に注ぐのだった。
「はぇぇー……出発の時ぃ……もっと美味しいご飯さん作っておけばぁ……」
ピオニーの両サイドには、サクラとアカシアが腰かけて、しっかりとガードを固めていた。ピオニーは普段と変わらぬおおらかな雰囲気をまとっていたが、柳眉を下げて悲しみに耽っているのだった。
アイリスの両サイドは、アジリアとプロテアが守っている。アイリスは酷く周囲を気にして、落ち着かない様子だった。血の滲む親指の爪を噛み砕いては、やんわりとアジリアに止められる。それを幾度となく繰り返しているのだった。
棺の蓋は開かれており、マリアは生前愛用した物に囲まれて眠っていた。私物は靴、衣装、飾り布、カラフルなヘアピン――女性らしいアクセサリーがほとんどだった。しかしその次に多かったのは、彼女に似つかわしくないガラクタだった。
『マリアはね……結構誰とでも仲が良かったから……』
俺がマリアの部屋を整理した時、アカシアは手伝いながら目頭を押さえた。分かりやすい注釈が書き込まれたマニュアルは、サクラから送られたに違いない。人攻機のプラモデルは、きっとリリィからもらったのだろう。他にもボロボロのピコのぬいぐるみや、空の薬莢、ポプリの袋、釣り針、手書きのレシピなどが出てきたのだった。
俺は上ずりそうになる声を、深呼吸することで無理やり整えた。そして告別式の始まりとなる、静謐な言葉を紡いでいった。
「マリアと皆は親交が深く、多くの苦楽を共にした仲間だ」
気を許さない人間とは、趣味を共有できないはずだ。マリアはクロウラーズの面々を理解して、その楽しみを分かち合っていたのだろう。だからこそ彼女は平和の大切さを知っていて、誰よりも争いで壊れるのを恐れていたのだ。
「最近はクロウラーズで不和があり、身内で言い争いが絶えなかったと思う。その中でマリアは皆が笑いあえるよう、必死で頑張ってくれていた。最後まで皆の仲が戻るように、切に願ってくれていた」
俺の脳裏には、涙ながらに訴えるマリアの姿が思い浮かんだ。昔に戻って笑いあい、仲良く過ごしたい。彼女はその気持ちに従って、バイオプラントまで走っていった。マリアは未来を作るために、懸命に戦ったのだ。そして過去に縋る俺が殺したんだ。
「一人ずつ献花して、お別れの言葉を述べてくれ。アジリア。お前からだ」
俺が呟くと、アジリアはのそりと席を立った。普段のきびきびとした動作ではなく、まるで寝ぼけているような所作だ。まだマリアの死が受け入れられず、足元が定まっていないようだった。
アジリアは棺までゆっくりと歩いて行くと、近くのテーブルに用意したマリーゴールドを一輪手にした。そしてマリアの胸元に、そっと添えたのだった。
「守れなくてすまん……」
アジリアは悔恨で声を強張らせた。彼女は懐から、パギをあやすのに使っていた人形を取り出した。そしてマリアの脇の下に置いて、抱かせてあげたのだった。
「向こうの世界がどうなっているかは知らん……だが独りでは寂しいだろう……連れていくといい。なァに。また返してもらうさ……いずれそちらに行くさ……待ってろ」
アジリアが席に戻ると、サクラが棺へと歩いて行った。サクラの足取りはしっかりとしていて、動きにも淀みはなかった。しかし彼女がマリーゴールドを手に取る際、指が震えて取り落としてしまった。サクラは拾い上げようとして屈んだが、そのまま泣き崩れてしまった。そうして気丈に振る舞っていたことが、露呈してしまったのだった。
「私があの時……うまく捕まえてさえいれば……こんな事には……バカよね……バカよね……」
サクラは花を添えて、声を震わせた。そして手にした紙袋を、マリアの棺の中に入れた。
「私が一番お気に入りの服……ナガセがご褒美に下さった物……すごく欲しがってたよね……いつかそっちに行くから……着ているところ見せてね……」
サクラが席に引き返し、プロテアがアイリスの手を取って腰を上げた。しかしアイリスは立ち上がることを拒んで、首を振りながらプロテアに抵抗したのだった。
プロテアはアイリスの肩に手を置くと、耳元で優しく囁いて立つように促していた。それでもアイリスは椅子から尻を持ち上げようとはせず、見えない暴力に怯えて身を縮めているのだった。
「早くしてよ」「これ以上迷惑かけるな」
誰かが心無い言葉を吐いて、俺は目の奥が悲哀で熱くなるのを感じた。アイリスを取り巻く環境は、かなり厳しいようだ。マリアの死をいたましい事故ではなく、裁かれるべき事件だと考えているのだ。
「アイリス……聞いてくれ――」
俺はアイリスに近寄る振りをして、足元の椅子を軽く蹴飛ばした。椅子が大きな音を立てて床に転がり、談話室はしんと静まり返った。俺は空気が険悪になる前に、申し訳なさそうに言った。
「すまん……躓いてしまった。アイリス。お前は出来うることはやったんだ。きっとマリアも感謝している。お別れを言ってやってくれ」
アイリスは軽い恐慌に陥っており、抱えた頭を激しく左右に振った。「違う……違う……」首が振れるたびに、彼女の虚しい言葉がこぼれる。そして決して椅子から離れまいと、背もたれをきつく握りしめた。
プロテアは困り果てて、助けを求めて周囲を見渡した。それでも彼女は俺を巻き込みたくないのか、露骨にこちらには視線をくれなかった。プロテアはアイリスを取り巻く気配に、同情よりも敵意が多いと悟ったようだ。だから自らの頬を張って、気を奮い立たせると、クロウラーズにも聞こえるように話し始めた。
「よぉ。今日はマリアを送ってやる日なんだ。お前がマリアの事でどう責任を感じてるとか、どう頑張ったとかはその後の話なんだよ。お前はマリアがいなくなって、俺と同じようにすんげぇ悲しいと思っている。それでよ、今日を最後にマリアとはもう会えねぇんだ」
プロテアは堪え切れずに、鼻をすすって涙ぐんだ。
「だからここでちゃんとお別れしねぇと、きっと……きっと後悔すっから……な……?」
アイリスは頭を抱えたまま、微かに頷いて見せた。そしてふらつきながらも立ち上がると、プロテアと互いに支え合って、棺の前まで進んでいった。
プロテアは棺まで辿り着くと、マリーゴールドをマリアの胸に沿えた。
「ゆっくり休んでくれ。また上の世界から、パギの面倒見てくれよ。これ。俺の曲はいっているから、暇潰しに聞いてくれや……また陽気に歌おうぜ……」
プロテアは棺の中に、ソリッドメモリを入れた。
「あ……う……あ……」
アイリスは何も言えなかった。たださめざめと泣きながら、マリアの胸元にマリーゴールドを添えたのだった。彼女の指先からマリーゴールドの茎が離れた瞬間、ようやく失った事実を受け入れたのだろうか。アイリスはその場にへたり込むと、声を上げてむせび泣いた。プロテアはそんなアイリスを抱きかかえて、長椅子へと戻っていった。
ローズが五本目を添える。
「ごめんなさい……私があなたのように優しい人だったら……一緒に皆の為に動いていたら……今さらこんなこと言われても困るよネ……困っちゃうよネ……」
パンジーが六本目を添える。
「もっと。進む。やめる。強く。言うべき。だった。こんな。行進。やめさせる。べきだった」
パンジーが声に棘を込めて、入り口に立つ俺を意識しているのが分かった。俺を責める分には問題はない。儀式を乱してもいないし、俺は見逃した。
サンとデージーが七、八本目を添える。
「私……マリアが大変だったのに……目を背けていたと思う……怪我する前も……怪我した後も……自分がやりたいように……やりっぱなしで――」
サンが悔いを述べると、デージーがその背中を撫でて慰めた。
「サンは悪くないよ悪くないよ悪くないよ……あの……マリア……酷い目にあったね……もう……大丈夫だから……」
アカシアがピオニーと共に、九、十本目を添える。
「あの……その……ごめんね……僕がもっと気を配っていれば……これからも遊べたのに……」
アカシアが涙を流しながら、棺に縋るようにもたれかかった。ピオニーはそんなアカシアを抱きしめながら、自らも滝のような涙を流しているのだった。
「ご飯さん……これからもたくさん作りますからねぇ……私がそっちに行く時……たくさんのおいしいものの作り方覚えて……食べさせてあげますからねぇ……」
ロータスが十一本目を添える。彼女はチョーカーの外れた首を、自慢げにさすって見せた。今回の働きが認められて、アジリアとサクラ、プロテアが監視の解除を認めたのだった。
「やるよオカチメンコ。お前ェ~と取りあった靴だよ。アタシはまだ生きてるしィ? これからは好きな服も着放題だからァ? そんなゴミクズいらないんだよねぇ~……はぁ……」
ロータスは棺に靴を乱暴に投げ込むと、深いため息をついた。俺は咎めなかった。アジリアも文句を言わなかった。ぞんざいな態度で暴れそうになる感情を、懸命に抑え込んでいると伝わってきたからだった。
「バカ野郎がよ……ダーリンの忠告聴いときゃあ……取り合いの続きができたのにね」
ロータスは去り際に、そのようなことを口走った。俺は眼つきを鋭くすると、ロータスを睨み付けた。
「ロータス。余計な事を言うな」
ロータスはびくりと肩を震わせて、気まずそうに俺を見返した。だが我慢がならなかったようで、悲憤と畏怖をない交ぜにした苦笑いを浮かべた。
「ごめんねん……今アタシダーリンの悪だくみに気ィ使えるほど、頭回ってないから。パンジーの戯言はよくてアタシだけお叱りかよ。そんなに悪役を買って何が楽しいのよん!」
「ロータス!」
俺が叱りつけると、ロータスは諸手を上げて降参のポーズをとった。
「あー! はいはいごめんなさい! 後でしゃぶってあげるから落ち着きなよッ!」
ロータスはポケットから汚れた袋を取り出すと、鼻先に持っていって匂いを嗅いだ。アカシア手製のポプリの包みらしい。しかし芳香で気を静められなかったのか、座ると同時に隣のアカシアにポプリを投げつけた。
「おいガリ陰キャ。これ中身入れ替えてちょーだいね。全然いい匂いがしないから……クソッ」
「あ……うん。分かった……」
アカシアは嫌な顔一つせず、汚れた袋を大事そうに懐にしまったのだった。
リリィが十二本目を添える。
「もう少しキャリアを飛ばせば間に合ったかなぁって……いまだに思ってるんだ……こうなった今、そんなこと考えたって意味無いのにね……私はまだこの世界にいるから、お土産たくさん持ってそっちに行くよ……」
アイアンワンドとパギが、十三、十四本目を添えた。
「マム・パギ。何か言わないのですか……?」
ひたすらしゃくりあげるパギを抱きしめて、アイアンワンドがそっと囁いた。パギは胸の内で渦巻く、言葉にできない想いを表すように、アイアンワンドの胸を何度か叩いたのだった。
「何を言えばいいんだよぉ……死んだんだぞ……何も聞こえないに決まっているだろ……」
「いいえ……きっと聞こえますよ……だから申し上げて下さい。いずれマム・パギが神の国に赴く時、マム・マリアはきっとその言葉が本当だったのか、お確かめになるでしょうから……」
パギは咽喉を締め付けて、きゅうと切なげな呻き声を上げた。そしてマリアの遺体を食い入るように見つめて、お別れの言葉を考えているようだった。
数分の対峙の後、パギは決意を固めて唇をきつく引き締めた。そして頬を伝う涙を拭い、泣くのを必死でこらえると、はっきりと口にしたのだった。
「私が……私がマリアの分もみんなを助けるから……約束するから……」
「そうです……」
アイアンワンドはパギを抱きしめる手から力を抜き、身体をゆっくりと離していった。そして大人のクロウラーズと接するように、その背中に手を添えるだけに留めたのだった。アイアンワンドは近いうちに、パギの命令を聞くことになるのかもしれない。
マリーゴールドは、残すところ最後の一本となった。
俺は談話室のドアから離れると、マリアの棺へと歩いて行った。背中にかかる視線は、憤慨が半分、悲哀が半分といったところだろうか。お前がどのツラを下げてと思う者もいれば、あれだけ頑張ったのにと同情するものもいたようだ。
俺はマリーゴールドを手に取った。太い茎が、黄色い大輪の花を頂いている。俺は指で花を回転させ、その全体を眺めながら、ふと昔のことを思い出した。
『あのさァ旦那。私たちの名前って、花に由来しているんだよね』
自室で書類仕事をしていると、珍しく不機嫌そうなマリアが訪ねてきた。俺は書類から目を離さないまま、首だけで返事したのをよく覚えている。当然だがマリアの機嫌は、さらに悪くなった。
『なンで。私とローズだけカブってんの?』
『え。ローズとマリアって、違う花ではないのか?』
俺はそこでようやく書類から顔を上げて、間抜けな顔でマリアをみた。マリアは顔を真っ赤にして『バカヤロー』と叫んだ。俺は滅多に見ない剣幕に、ペンを取り落して震えた。
『あちゃー……やっぱり勘違いしていたのね。アイアンワンドが言うには、マリアって薔薇の呼びかたの一つらしいのよね……それとも何? ダリアにしようとして間違えたの?』
『う~ん……あっ! あ……ああ~……そうかもしれん……』
『フザケンナよこのトンチキがよぉ……いーい? 名前だよ名前! 私の個性だよ! それがローズの小分類みたいな扱いで良いわけないでしょーよ!』
俺は慌てて席を立ち、マリアに深く頭を下げた。そして両の手をてんやわんやさせながら、マリアに弁明をしようとした。
『すまん。悪かった。では新しい名前を――』
『いーよ。そう言うのって、違うから変えるもんでもないでしょ。だから花の方を変えることにしたの。これからこれが私の花だから。間違わないでよね』
マリアはそう言うと、俺に花を一輪差し出してきた。マリーゴールド。俺はマリアの象徴を、その胸にできた花束に加えた。
「お前を殺したのは俺だ」
するりと出てきたのは、考えていた事だった。自らの高慢、失策、そして監督不足。何が悪かったのか。
「引き止めるお前を省みず、危険へと盲進し、忠告を怠った。お前はきっと……俺を恨んでいるだろう――」
背後から何かが飛んできて、俺の後頭部を穿った。俺が頭を押さえて振り返ると、プロテアが投擲後の姿勢のまま俺を睨んでいた。床を転がる物音を視線で追うと、拳銃の弾倉が転がっていた。どうやらこれをぶつけられたらしい。
「いい加減にしろよこのタコが……」
プロテアが怒りを露わにして、肩を小刻みに震わせた。俺は鼻を鳴らして場を区切ると、再びマリアに向き直った。
「俺はお前に約束した。より良い明日、暮らし、そして安全を。俺は約束を果たせず……お前を裏切ってしまった――」
二度目。俺の後頭部に衝撃が走る。俺の足元に二つ目の弾倉が、からからと音を立てて転がった。
「マリアはそんな言葉で送って欲しくない……と僕は思うよ……」
アカシアが俺の背中に、おずおずと声をかけてきた。俺は皮肉気な笑みを浮かべると、力なく首を振った。俺が口にしたことは、紛れもない事実だからしょうがない。行く先により良いものがあると約束し、マリアに毒を浴びせたのだから。
「勝手に決めつけるな。マリアは俺のせいで逝ったんだ」
背後で長椅子を蹴って、立ち上がる音がした。俺が振り返ると、いきり立つプロテアと視線が合った。彼女は悲しみで顔をしわくちゃにしながら、ホルスターから拳銃を抜き、大きく振りかぶった。
「ナガセ。お前言ったよな。ここは人を非難する場所じゃない、マリアを送る場所だって。本当にマリアの死を悼んでいるのなら、心からの声を聞かせてやれよ……」
三度目。拳銃が胸元にぶつけられた。プロテアの投げる力はかなり弱く、拳銃は大きな放射線を描いて俺の胸に当たった。それでも弾倉をぶつけられた時よりも、遥かに重い衝撃が走ったのだった。プロテアは続けた。
「責任を感じているのは分かる。俺らのはけ口になろうとしているのも分かる。でも俺らはまだ生きてるんだぜ……? まだこれからどうにでもなるだろうがよ。今は死んじまったマリアに声をかけてやれよ……お前についてきた……マリアに声をかけてやれよ……」
一分の反論の余地もない。ただ、戸惑わざるを得ないのだ。俺がなんと、声をかけるべきなのか。どのような言葉を、贈れるというのか。
考えていたことはたくさんあった。俺の犯した間違いと、取り返しのつかない失敗、その上でどのような答えを出して、マリアにどう終りを迎えさせるか。複雑な問いは答えを求めて、ミノタウロスの迷宮を彷徨っている。
だけど。想っていたことは一つだった。それを口にすることが憚れて、あまりの白々しさに、答えにしてしまうのが躊躇われた。俺はマリアの棺に手をつくと、恐る恐る中を覗き込んだ。
マリアは美しいドレスに袖を通して、ただ優しい笑みを浮かべている。俺は生唾を嚥下すると、覚悟してその想いを口にすることにした。
「もっと……いいものを見せたかった……楽しい思いをさせたかった……喜ばせたかった……」
ただそう言うことが、マリアの遺体を前にすると、自分の内臓を引きずり出すよりも難しかった。俺はその理想の為に、マリアの命をいたずらに費やしてしまったのだから。
「俺には出来なかった……すまない……」
マリアにあの世で詫びることはできるだろうか? いや、絶対無理だ。
「俺はきっと地獄に堕ちる……天国のお前には会いに行けない……だから……だから……」
残された俺には、もうマリアにできることがない。同じく残された者たちと、その記憶を悼むことしかできないのだ。だから残されたものとして、その痛みが連鎖しないように、断ち切らないといけないのだ。
過去に狂って、痛みを繰り返した俺が? 彼女らに耳を貸さず、いたずらに費やした俺が?
重い。
「すまん。酷い事を言う。他の皆とお前が合う日が、少しでも遠のくように努力する。その分楽しい話を、持っていけるようにしたいと願っている」
俺は言い切ると、棺の蓋をそっと閉じた。そして談話室のクロウラーズを振り返り、感情を気取られないよう淡々とした口調で言った。
「告別式は終わりだ。明朝マリアを連れて、最南端の浜辺へと向かう。かつてゼロのあった浜辺だ。そこで火葬にして……皆で灰を撒こう……」
アジリアはそれまで粛々と葬儀に参列していたが、俺の言葉を聞いて露骨に顔をしかめた。
「待て。他の仲間は埋めたのに、マリアだけは燃やすのか?」
俺がマリアの死を、失敗として残したくないと思っているのかもしれない。だがアジリアのことだ。それ以上にマリアの身体を、跡形もなく破壊してしまうのが耐えられないのだろう。俺は唇を食みながら、その意見はもっともだと頷いて見せた。
「そうだな……だが俺は……その方が良いと思った。顔のないまま埋めるより……風になって世界を旅して欲しいから……他にいい案があるなら、出発までに教えてくれ……」
アジリアは意外そうに目を丸くすると、しばらく黙考していた。やがて表情から険をとると、両膝に肘をついて顔を俯かせた。
「悪かった」
俺は改めてクロウラーズを見渡した。他に意見があるものはいないようだな。俺は部屋の隅にある椅子に、どっかりと腰を下ろした。ここなら談話室全体を見渡して、状況を把握する事ができる。何か問題があっても、すぐに対処する事ができるだろう。
「今日マリアはずっとここにいる。後悔のないように、別れの時を過ごしてくれ」
痛む左腕をさすりながら、そう締めくくった。
*
次の日。俺たちはキャリアに乗って、護衛のカットラス二躯と共に出発した。東の海岸から海を航行し、かつてゼロのあった南の浜辺を目指した。
懐かしき浜辺。皆と出会った場所。全ての始まりの地。ゼロがなくなっただけで、あの頃と何ら変わりはない。それどころがここに居を構えていた頃の、生活の痕跡が未だに残っていた。
俺とアジリア、サクラ、プロテアで、火葬の準備を始めた。その間クロウラーズは方々に散って、過去を懐かしんでいるのだった。彼女たちは朽ち果てた乾燥台を組み立てたり、迎撃棚を駆けまわったり、ゼロのあった場所を歩きまわったりした。そしてマリアとの思い出話に、花を咲かせているのだった。
「マリア。お前が正しかった。お前達の故郷は、ここにあった」
死にたくなった。というより、マリアに殺して欲しくなった。
やめるんだ。痛む左腕をさすって、必死で自らを戒める。アロウズの幻影に、マリアまで参加させるつもりか。
浜辺を望む岬で、火葬の準備が整った。棺に薪を立てかけて、ナパームを少量仕込む。その上から飼料の枯れ草で、隙間なく覆い尽くした。
一つの松明をみんなで回して、火を点けた。
炎は延々と燃え続ける。思い出をくべて、心残りを焼き、虚しさの煙を上げて。
焼け跡から棺の残骸を取り出して、骨と骨粉を手で掬った。骨は俺がゼロに来る前に召された、女たちの所に埋めた。そして灰は岬の先端から、皆で撒いた。
マリアはユートピアの空を舞い、青の彼方へと溶けていった。




