送別-2
俺はソファから体を起こすと、真っ先にベッドの上を見やった。そこには就寝前と変わらず、マリアの死体がそっと横たえられていた。胸をやるせなさが貫いた。
「夢なら……良かったのに……」
俺はぼやくと、汗でべたつく頭髪を乱暴に掻き毟った。身体が異様に熱く、額からは脂汗が滲み続けている。左腕の断面は依然ずくずくと痛み、無いはずの肘先も燃えるようだった。
これが幻肢痛という奴か。棚からバイコディン(鎮痛薬)の入った瓶を手に取り、数錠を口に放り込んだ。錠薬を噛み砕きながら、虚空に向けて語りかける。
「起床した。状況を報告しろ。あれから暴動やいさかいは起きていないか」
『グッドモーニング・サー。暴動は今のところ発生しておりません。しかしクロウラーズ内で、軽い問答が起きております。どうかご対応をお願いします』
アイアンワンドのホッとした声が、スピーカーから聞こえてきた。どうやら俺が目を覚ますのを、心待ちにしていたようだ。アイアンワンドは普段と比べると、余裕がなくてやや早口だった。
俺は額に手を当てると、現実を否定したくて首を左右に振った。やはり内部衝突を避けられなかったか。きっと責任を押し付け合って、言い争いをしているのだろう。アイリスがリンチにかけられる前に、監禁して正解だったな。俺はギプスを新しいものに取りかえながら、話を続けた。
「アイリスの処遇を巡っての問答か?」
『マム・アイリスにつきましては、監禁が功を奏して落ち着いております。現在就寝したマム・アジリアに代わって、私が監視を引き継いでおります。ただ――マム・ピオニーの処遇を巡って、マム・デージーとマム・プロテアの間で対立が深まっております』
俺は自らの耳を疑って、アイアンワンドに聞き返した。
「おい待てよ。何故ピオニーが槍玉に挙がっている。あいつは今回の作戦に、一切関与してないんだぞ。普段戦闘に参加していないことを責められたのか? それとも喪中に口笛を吹いたりして咎められたのか?」
アイアンワンドは言いにくそうに、一瞬言葉を詰まらせた。機械ですらどう話していいのか、戸惑っている様子である。どうやら論理的な問答ではないようだ。アイアンワンドはしばらくの沈黙の後、静かに語りはじめた。
『マム・デージーが仰るには、マム・ピオニーはバイオプラントがミューセクトの巣だと、ご存知だったそうなのです。マム・デージーはマム・ピオニーが注意を喚起し、占領作戦を止めるべきだったとの持論を展開しております。マム・マリアが命を落とし、サーが腕を失くしたのは、マム・ピオニーが責務を果たさなかったせいだとのことです』
俺はにわかに顔をしかめた。バイオプラントが危険だというのは、ローズが俺を引き留めるためについた嘘だ。ピオニーはそれを真に受けて、噂を広げただけにすぎない。バイオプラントがミューセクトで溢れていたのは、不幸な偶然が重なっただけなのだ。
「俺の口から疑惑を晴らせば、今度はローズが矢面に立つことになる……それにデージーは糾弾したいのではなく、マリアの死を押し付けたいだけだ。彼女が責任と向き合わない限り、延々とスケープゴートを探し続けるぞ……」
下手に抑え込むと、俺の目が届かないところで責め続ける。陰湿ないじめの始まりだ。状況を丸く収めるには、誰かが責任を負うのが手っ取り早いだろう。俺にヘイトが集まるように、また彼女たちを煽り立てるしかない。
全体の把握を急いで、事態の収拾がつかなくなる前に手を打つべきだ。クロウラーズは鋭利なカミソリの刃の上で、ぎりぎりの綱渡りをしている状態だ。問題を取り巻く環境と、蠢く各々の思惑を正確に知る必要があった。
「サクラとプロテアはどう対処している?」
『マム・サクラとマム・プロテアは、協力して現状回復に勤めておられます。目立って反抗的なマム・デージーとマム・パンジーに、重点的に仕事を割り振ることで、行動の制限を試みました。しかし仕事効率は極めて悪く、二人は騒動を起こしております』
まず一つ。マリアの死に、余計な意味を持たせてはならない。革命家や政治家が為すように、犠牲に思想を付与させないように気を付けなければ。俺たちが重視すべきは、マリアを失った悲しみなのだ。死の悲しみを蔑ろにすることは、マリアに対する最大の侮辱でもあるだろう。
「デージーとパンジーには引き続き、葬儀とは関係のない仕事を続けさせろ。妙な演出や雰囲気を作られたら困る。プロテアはつきっきりで二人の拘束。サクラは全体の監視を継続だ。アジリアは?」
『マム・アジリアはマム・アイリスの監視を私に引き継ぎ、現在就寝中です。心労がたたったのでしょう。よくお休みのようで、あれから連絡がございません。起こしましょうか?』
もう一つ。マリアの死を彼女たちに、受け入れてもらうことだ。こだわったところで、マリアは帰ってこないのだ。クロウラーズはこれからも、ユートピアで生きていかなければならない。この告別式でどのような形であれ、理解を得られないといけないのである。
「そうしてくれ。予定通りに本日中、告別式を行う。アイアンワンド。貴様はアジリアとアイリスの監視を交代し、告別式の準備を手伝ってくれ。とりあえず保管庫にある棺を、俺の部屋まで持ってくるんだ」
機械にアイリスを慰めることはできまい。ここはアジリアに期待して、アイリスの気を静めてもらうことにしよう。告別式にはアイリスにも立ちあってもらわないとまずい。彼女が参加しないと、決定的な差別の原因になるだろう。
『サー・イエッサー』
アイアンワンドの声が途絶えて、室内では静寂が息を吹き返した。俺は軽い溜息をつくと、切り落とされた左腕を見つめた。バイコディンが効いて、切断面の凍えるような痛みは引いた。しかし肘先は相変わらず、焼くような痛みに包まれたままだ。幻肢痛は精神的なもので、薬が効かないようだった。
それにしても――こんな時まで策謀か。本当に胸糞の悪い。俺は何で彼女の死を、純粋に悲しむことすらできないんだ。
俺は歯を食いしばって痛みを堪えると、マリアの死体を整えることにした。マリアのライフスキンを脱がせて、生まれたままの姿にする。彼女の身体は硬直してしまい、大変な作業だった。
一晩でマリアの身体から滲み出た体液を、タオルで丁寧に拭きとっていく。それから傷口に骨を押し込めて、体液がこぼれないように綿を詰め込んだ。仕上げに傷口を縫いあげて、対汚染ジェルを塗りこんだ。ただ、頭だけはどうしようもない。首の断面にカーボンナノシートを貼り付けて、簡易ギプスで塞ぐことしか出来なかった。俺は整ったマリアの身体を、新しいライフスキンで包み込んだ。
「マリアを清めた。そっちの準備はどうだ?」
俺が虚空に語りかけると、ドアをノックする音がした。アイアンワンドは棺を用意して、部屋の前で待機していたらしい。俺が入るように指示すると、アイアンワンドはストレッチャーで、棺を室内に運び入れた。
「棺に横たえるのを手伝ってくれ」
俺がマリアの肩を持ち、アイアンワンドが足を支える。俺たちは協力して、高級な木製の棺にマリアを収めた。俺はマリアを寝かせてなお、棺に目立つ隙間に苦々しいものを感じた。
「このままでは寂しすぎる……遺品も一緒に詰めよう。それと花のストックはあるか?」
「マム・アカシアが、個人で育成している花々がございます。マム・マリアの名の由来となった、マリーゴールドも育てているはずです」
「分かった。アカシアには俺から掛け合おう。花を用意してから、マリアの部屋による。お前は会場の準備をしてくれ。場所は談話室だ」
アイアンワンドは神妙な面持ちで、軽く首を縦に振った。そして思いつめた表情のまま、恐る恐るといった様子で話しはじめた。
「サー……それとここに来る道中で、マム・ローズにお会いいたしました。サーとの面会を求めております。部屋の前でお待ちですが、如何なさいますか? 今騒ぎを大きくされては、事態の収拾が難しくなると思われますが」
ローズか……結局彼女が危惧した通りの結果になったな。行軍の果てに憎しみをばら撒き、彼女たちの仲を引き裂いてしまった。そして彼女たちを故郷に帰すどころか、危険に導いて無残に死なせてしまったのだ。領土亡き国家と、どう違うと言うんだ。
俺の身体から自信と共に、力が抜け落ちていく。俺はがむしゃらに頑張ったところで、マリアに何もしてあげることはできなかった。それどころか間違った方向に、彼女たちを導いていたのだ。途方もない無力感は、身体を蝕む傷よりも、遥かにきつい毒だった。
「機械がいらん気を回すな壊すぞ。彼女の怒りはもっともだ。会って話をしよう」
俺を責めるなら、願ったり叶ったりだ。俺にヘイトが向けば、そのぶんアイリスやピオニーから注意がそれる。皆が俺を憎めば、そのぶん正しい道に戻れる。俺はストレッチャーを転がして、アイアンワンドと共に自室を後にした。
ローズはドアの隣で、壁に背中を預けて待っていた。彼女は両手に白いドレスを抱えながら、ぼんやりと天井を眺めていた。耳にはイヤホンをつけており、ソリッドプレイヤーで何かを聞いているようだ。恐らくマリアとの思い出が詰まった、ソリッドメモリを再生しているに違いない。
ローズは俺が出てくると、イヤホンを外して歩み寄ってきた。彼女はマリアの棺を一目見て、悲しげに視線を伏せた。その途中で、俺の失われた左腕も目に入ったのだろう。食い入るように患部に視線を注いで、苦痛に唇を噛みしめたのだった。
残念ながら今同情されても、アカシアたちの立場が悪くなるだけだ。俺は何食わぬ顔で、棺の影に左腕を隠した。そしてややぶっきらぼうに、ローズに顔を向けた。
「俺と話がしたいそうだな……どうしたんだ……?」
ローズは俺の不躾な態度を、意に介した様子がなかった。それこそ怒りに顔を歪めもしなければ、憐れみで嘲笑を浮かべもしなかった。彼女はただただ悲しんで、失われた犠牲を悼んでいるのだった。俺が肩透かしを食らって途方に暮れていると、ローズは抱えていたドレスを差し出してきた。
「ナガセ……これ急いで作ったんだ……ドレス……あの子、こういうの好きだったから……」
ドレスは胸元が開いた、ロングスカートの一品だった。ゴシック様式というのだろうか。白い布をふんだんに使って、スカートにはいくつものプリーツが刻まれている。袖や胸元には鮮やかな飾り紐が結わえられており、豪華な出来栄えだった。
「はは……すまない。ライフスキンなんかでおめかしをしたら、マリアに怒られるところだった。きっとマリアも喜ぶだろう。ありがとうな」
俺はマリアのことを、何も理解していなかったのだな。ローズから震える手で、ドレスを受け取った。どうやらローズはドレスの他にも、贈り物を用意していたようだ。衣装で隠れていた彼女の手は、丸いぬいぐるみを大切そうに持っていた。
ぬいぐるみはマリアの頭を模したもので、その頭の形や肌の色を上手く再現していた。黒い毛糸の髪を垂らして、瞳には大きなボタンの瞳が輝いている。彼女は赤いフェルトの口を大きく空けて、屈託なく笑っているのだった。
「マリア……笑顔が眩しかったから……顔のないまま……マリアは送れないから……」
ローズは声を震わせながらそう言った。俺はしばらく呆気にとられて、マリアのぬいぐるみをじっと見つめていた。最初はぬいぐるみが、つたない誤魔化しとしか映らなかった。しかしマリアとの思い出を視線に乗せて、ぬいぐるみに注いでいくうちに、それが血肉の通ったマリアの一部だと思えてきたのだった。俺は抱きしめるようにして、ローズの手からマリアの頭を受け取った。
「ありがとう……本当にありがとう……」
俺はローズに背中を向けると、棺を開いて眠るマリアにドレスを重ねた。そしてぬいぐるみの頭を、あるべき場所に戻したのだった。俺の置き方が悪かったらしく、マリアの頭がころりと傾いた。まるで彼女が寝返りを打ったようで、俺の目頭が不意に熱くなった。
「他にも……あるだろう……?」
俺は涙を堪えながら、振り返らぬままローズに言った。背後でローズが身動ぎをして、床が擦れる音がした。先ほどからローズの様子がおかしい。彼女は自らを切り刻むほどの衝動を、俺に対して持っていた。分かりあうことはできないと、憎悪によって袂を別ったはずだ。そのローズがマリアを悼みつつ、俺のことを気にかけているのだった。
「遠慮なく言ってくれ……全て受け止める……」
ローズが何かを口にしようと、固唾を飲んだ音が俺の耳に届いた。俺は彼女が何を言っても受け入れられるように、背中に力を込めてじっと待つことにした。やがてローズは、虚しく息を吐くだけに留まった。
「ごめんなさい……それだけ……私まだ現実を……受け入れられないみたいだから……どうしていいのか……何て言っていいのか……分からなくて……」
それも……そうか。俺は大きな深呼吸をして、緊張で凝り固まった身体をほぐした。そしてマリアの棺の蓋を、ゆっくりと閉じたのだった。
「もうすぐマリアを談話室に連れていく……お別れの言葉を考えておいてくれ……」
俺はストレッチャーを転がして、アカシアに花を分けてもらいに行くことにした。俺の背後からは、アイアンワンドとローズが言葉を交わすのが聞こえた。
「アイアンワンド。私も手伝うわ。何をすればいいの?」
「助かります。では椅子と机を私が用意しますので、装飾をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「分かった……ワ。うんと綺麗にするわ……」
しかし――ローズが外したイヤホンから、懐かしき日本語が聞こえた気がする。だが幻聴に違いない。大事なマリアの葬儀の前に、妄想に狂ってたまるか。俺は急ぎ足で、ローズの元から去っていった。




