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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目前半【ECO編】
177/241

送別-1

 俺はマリアの死体を担架に横たえると、へし曲がった手足を真っ直ぐに伸ばしてやった。死後そう時間が経っておらず、肉はまだ硬直していなかった。俺はマリアの手足が自由に動く内に、両手を組ませて腹の上に置き、安らかに眠らせてやった。


 タオルを使って、マリアを濡らす血を丁寧に拭きとっていく。身体は全ての血を出し切ったらしく、拭きとった傷口から新たな血が溢れて来ることはなかった。そして傷口から痛ましく飛び出た骨が、俺の視界に入ったのだった。


「こんなの……こんなのってないだろう……」


 マリアが溌剌と、草原を駆けていた姿が脳裏に甦った。この手足じゃあ……あの世でも立つ事すらできないじゃないか。俺は飛び出た骨を、傷口の中にそっと押し戻した。エイドキットから針を取り出して、傷口を縫おうとする。しかし右手に持った縫い針に、失くした左手は糸を通すことができなかった。俺は凄まじい無力感に苛まされ、癇癪を起して左腕を地面に叩き付けた。


 助けが欲しくて部隊員たちを振り返ると、彼女らはそんな俺とマリアを、じっと見つめていたのだった。アジリア、サクラ、プロテア、ロータス、リリィ――誰もが人形と化して、草原に佇んでいた。彼女らの視線は呆けて定まっていなかったが、顔つきは苦痛に歪んでいた。きっと受け入れがたい現実と、必死に戦っているのだろう。あのロータスですらショックを受けて、軽口も叩かず唇を噛みしめていたのだった。


 やがて暮れなずむ夏空の下、俺の目の前にアイリスが引き出された。彼女は白衣を脱がせられて、身に纏うのはライフスキンだけだった。どうやら来るのを拒んだらしい。一悶着あったのか、手を後ろで縛られている。頬には殴られた跡があり、口の端からは血の糸が垂れていた。


 俺はアイリスを連れてきた、パンジーとデージーを横目に睨みつけた。二人は俺の視線に応えずに、神妙な顔つきでアイリスをねめつけていた。まるで他人事で、自分には一点の非もないと言いたげだ。俺には二人がアイリスを差し出すことで、マリアの赦しを乞うているように見えたのだった。


 胸糞が悪い。


「貴様らは後だ。部屋に失せろ」


 俺はそう呟いて、パンジーとデージーを追い払う仕草をした。パンジーは担架に安置された、マリアの死体をしきりに気にしていた。アイリスを視線で責めながらも、何度も盗み見ていた。やがて居た堪れないように顔を背けると、ヘイヴンへと走っていった。


 デージーは案山子のように突っ立ったまま、この場から離れようとしなかった。彼女はマリアの死体より、俺の動向を気にしているようだ。怯えて強張る顔で、何度も俺を盗み見てきた。やがて大地に視線をさまよわせた後、必死に訴えかけてきた。


「わ……わたし……ちゃんとローテーションで看護して……見回りもして……私は悪く――」


 俺はホルスターからモーゼルを抜き、地面に向けて一発ぶっ放した。轟く銃声にデージーは身をすくめて、戯言を引っ込めて押し黙った。俺はモーゼルを握りしめたまま、ドスの効いた声で唸った。


「俺は今非常に疲れている……頼むから俺の忍耐力を試すな。とっとと失せろ」


 デージーは俺に敬礼すると、足をもつれさせながらヘイヴンへと逃げていった。


 俺は邪魔者がいなくなると、改めてアイリスに向き直った。彼女は草の上にへたり込んで、担架に乗るマリアの死体を呆然と眺めていた。口元は声にならない言葉を吐いて、ぱくぱくと無駄に動いていた。


 俺はアイリスの拘束を解き、ひとまず自由にしてやった。それから彼女の前に屈みこむと、その顔を覗き込んだ。


「アイリス。話してくれ。何があった?」


 子をあやせるほど、優しい声だったと思う。アイリスは俺に気付くと、絶望に追い詰められた、凄絶な表情を浮かべた。そして金切り声を上げて、座ったまま四肢をばたつかせた。


「お前のせいだ! お前のせいで死んだんだ! お前のせいで! お前のせいで!」


「アイリス。説明してくれ。何があった?」


「どーすんだよ! 死んだ! 死んだんだぞ! お前が殺したんだ!」


 アイリスが拳を振り上げて、俺の顔を殴ってくる。俺は両手で彼女を抑えようとしたが、左腕がアイリスを素通りした。くそ。いまだに慣れない。俺は舌打ちをすると、アイリスに好きに殴らせてやり、必死で語り続けた。


「説明できないのか?」


「責任取れ! 何とかしろ! マリアを返せ!」


 話しにならん。俺は今回ばかりは、封印した暴力を解禁した。無造作に腰の水筒を引っ掴むと、水をアイリスの顔に浴びせた。彼女は一瞬黙り込んだが、また喚き散らそうとして、大きく息を吸うのが見えた。らちが明かんな。俺はアイリスの胸倉を掴み、右腕の力だけで持ち上げた。そして地面に背中から投げ落とし、彼女の首を腕で抑えつけた。


 アジリアが非難の声を上げるが、一向に襲い掛かって来ない。サクラかロータスが擁護してくれたのだろうが、どうでも良い事だ。


「このままではマリアが浮かばれん。死を賭したチームもだ。説明してくれ。何があった?」


 アイリスは恐怖の眼差しで俺を見上げて、身を護るように首をすぼめた。それでも彼女は固く口元を結んで、頑なに沈黙を守り続けた。俺には興奮と息苦しさで荒くなった、鼻息だけを噴きつけてきた。


「黙るな答えろォ!」


 俺はアイリスの鼻先に顔を近づけて、物凄い形相で恫喝した。ぼろっと……アイリスの眦から、玉のような涙がこぼれ落ちた。彼女は苦しそうな息の合間に、切なそうにしゃくりあげた。そして消え入りそうな声で話し始めた。


「立って歩いたと思ったら……陰圧室のビニル破って……そのまま窓に……」


「縛っていたはずだぞ……とるなとも言ったよな!」


 アイリスがまたもや口をつぐむ。彼女は逃げ道を探して、辺りに視線を泳がせた。足をばたつかせて、抑えつける俺を押し退けようともした。やがて助けになるものが、何一つないことを悟ると、力尽きてぐったりと横たわった。


「マリアはもがき苦しんでて……ベルトと身体が擦れて……ライフスキンから血が……薬打ったけど効かなくてッ! これ以上診ていられなくてッ! 傷! 傷! ベルトを解いたらそのまま走って行ってッ! あ……あ……わぁぁぁぁぁぁあぁぁぁあああ!」


 アイリスの頬を大粒の涙が滑っていく。彼女はヒステリーを起こして、咽喉が裂けんばかりに泣き叫んだ。俺はアイリスを解放して立ち上がったが、彼女は身体を大地に投げ出したままだった。壊れた人形となって、延々と泣き叫び続けた。


「そうか……そうか……」


 俺は自分を納得させようと、何度も独りごちた。だがやりきれない思いが胸の中で渦巻いて、敵意となってアイリスに牙をむこうとした。アイリスの責任にするのは簡単だが、彼女を責めるのはお門違いだ。元を辿れば、ここまで導いた俺の責任なのだ。むしろ俺は彼女の盾となって、いわれなき敵意から守らねばならないのだ。


「分かった……もういい……この件は終わりだ」


 俺が部隊の方を振り返ると、詰め寄ろうとしていたアジリアと視線が合った。彼女は両脇からサクラとロータスに抑えられており、戒めから逃れようともがいていた。アジリアは俺がアイリスから離れたのを見て、ひとまず暴れるのを止めた。しかし身体から緊張を抜かず、いつ俺が爆発してもいいように身構えていた。


 俺はアジリアに取りあわず、号泣するアイリスを顎でしゃくった。


「アジリア。アイリスを監禁しろ。お前はつきっきりで監視だ。人を好きに使えばいい。だが慎重に人は選べ。俺が戻るまで誰にも会わせるな」


 アジリアは言われるまでもないと、不機嫌そうに鼻を鳴らした。彼女はサクラとロータスを振り払うと、大股でアイリスに駆け寄っていった。そして助け起こそうと手を差し伸べたが、俺はある懸念からその腕を掴んだ。


「頼むぞ。この言葉の意味は分かるな?」


「うるさい気安く触るな――ッ」


 俺の手をアジリアが、乱暴に跳ね除けようとした。俺は素早くアジリアの腕を捻り上げた。関節が極まって、彼女は苦悶の呻きと共に大人しくなる。俺はなおも力を込め続けて、彼女の身体を胸元に手繰り寄せた。そして左腕の断面を突きつけながら、獣のように吠えた。


「返事をしろクソッタレが! 二人目を埋葬することになったらッ! テメェ人の形をしたまま埋めてもらえると思うなよッ! 返事をしろォ!」


 俺の剣幕にアジリアはひるみ、額に脂汗を薄っすらと滲ませた。俺とアジリアはしばらくの間、互いの視線を絡ませた。やがてアジリアは浅く首肯すると、鬱陶しそうに身動ぎした。


「十分承知している。手を離せ」


 俺はアジリアを突き放すと、残った部隊員たちに視線をやった。彼女たちは俺に見られると、すぐに背筋を伸ばして気を付けの姿勢をとった。


「作戦終了。デブリーフィングはナシだ。後始末を終えたら、各自で休養をとれ。うんと贅沢な飯を食うといい。俺が許したとピオニーに言え」


 俺は次に、サクラとプロテアに視線をやった。二人はピンと張った背筋を、さらに伸ばした。


「サクラ。プロテア。すまないがお前たちの休養は後だ。交代して内部状況の確認と、治安維持に努めてくれ。マリアの死で混乱が想定される。翌朝俺は復帰するので、それまでどうか頼む。お前らも人を好きに使え」


 二人は何とも言えない表情を浮かべながら、俺に敬礼で返事をした。


「かしこまりました……後はお任せください。ナガセは早く休養を……」


 サクラは俺の左腕を、痛ましく見つめている。


「一週間ぐらいなら踏ん張れるから、お前はもっと休めよ。腕千切れてんだぞ……? フツーなら安静だぞ! 失望はさせねぇ! 俺らで頑張るから!」


 プロテアは高らかに声を張ると、頼れと言わんばかりに自らの胸に手を当てた。彼女は不安を打ち払って、健気に笑って見せてもくれた。だが一週間は遅いんだよ。マリアの死体が傷む前に、葬儀を終わらせてやりたいのだ。俺はそれをばっさりと切り捨てた。


「明日だ。以上。解散」


 不意にロータスが挙手し、俺に発言を求めた。俺が先を促すと、彼女は担架のマリアを一瞥した。


「マリアはどうすんの……このままにしとくの……なんつーか……カワイソーだし……」


「俺が連れていく。明日告別式。明後日に……葬儀を執り行う……」


 リリィもロータスに続いて、遠慮がちに手を上げた。発言を許可する。


「回収した物資は――」


 今一番聞きたくない話題だ。


「捨てちまえッ!」


 俺が吐き捨てると、リリィはびくりと肩をすくめた。


 俺はマリアの傍らにかしずくと、そっと頬のあった場所に手を添えた。俺は砕け散った頭部を目にして、耐え難い喪失感に胸を締め付けられた。胃を突き上げる不快感に負けて、マリアから顔を背けて嘔吐した。俺に釣られてプロテアも軽く吐き、ロータスは辛うじてえづくだけに留めた。


 過去にたくさんの死体を運んできた。首の後ろに胴体を乗せ、手足を持って安定させるやり方。肩に担ぐやり方。引きずるやり方。そのどれもを、マリアにする気にはとてもならなかった。俺は彼女の背中に手を回し、膝の裏を抱えて優しく持ち上げた。そして血の軌跡を残しながら、ヘイヴンへと帰っていった。


 エレベーターに乗り込んで、倉庫から保管庫へと上がっていく。到着を待つ合間に、俺はボックスの隅に取り付けられた、監視カメラを睨み上げた。


「アイアンワンド……貴様が付いていながら、なんてざまだ……」


『申し訳ありません……サー……』


 俺は苛立ち任せに、激しく地団太を踏んだ。


「黙れクソが! 俺は謝罪を聞きたいわけじゃねぇ! 今すぐにでも貴様をスクラップにしてやりたい……ぶち壊してやりたい……だがまだだ……まだダメだ……今の俺はラリっているうえに疲弊している……正常な判断を下せるようになるまで、一日時間をくれ……それまでみんなを頼む……」


「畏まりました。全ての機能を駆使し、命令を遂行します」


 エレベーターボックスが揺れて、ベルが保管庫に到着した事を知らせた。俺はドアを抜けて、自室へと足を進めていった。廊下の彼方から、ピオニーの音程の外れた鼻歌が聞こえてきた。きっと彼女はまだ、何も知らないのだろう。俺は元気を分けて欲しくて、彼女の旋律にハミングを重ねた。気分は晴れなかった。それどころか、より重く沈んだ。


 俺の部屋の前で、立ち尽くす人影が見えた。涙の滲む目を凝らすと、アカシアが嗚咽を上げながら俯いていた。彼女は俺が戻って来たことに気が付くと、泣きはらして真っ赤になった顔を上げた。そして相貌を悲痛に歪めると、俺――というより、マリアに何度も頭を下げた。


「僕のせいだ……僕がちゃんと見てなかったから……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 アイリスが捕まるのを見ていたのか、アカシアはマリアの死を知っていた。彼女はその死を確かめる勇気はなかったが、罪悪感を迎え入れる強さはあったようだ。だからこうして、俺の部屋の前で待っていたのだろう。俺はアカシアにこれ以上負担をかけないよう、失くした左腕をマリアの影に隠した。


「貴様は午前中の作戦に参加し、休養が必要だった。全ての責任は、指揮を執った俺にある。貴様が気に病むのは間違いだ」


「でもぉ……でもぉ……」


 アカシアは泣きじゃくりながらも、ドアの前から動こうとしなかった。俺にはアカシアの気持ちが痛いほどわかった。彼女は罰を下して欲しいのだ。そうしないと胸の内で膨れる、罪悪感に押しつぶされそうになるからだ。


 でもなアカシア。お前はそれを背負って、生きていかなければならないんだ。責任を負えと言いたいんじゃない。それは俺が取る。ピコのように、その死を負って欲しいのだ。俺はアイリスを交えて、詳しくその話をしたかった。


「ひとまず休んでくれ。俺も酷く疲れて、指揮をとれる自信がないんだ。翌朝詳しい指示を出すから、それまでに気持ちを落ち着かせてくれ。ドアを開けてくれるか?」


 アカシアは目に手を当てたまま、小さくこくりと頷いた。彼女はドアを開けると、俺に道を譲った。俺は暗い自室に入って、後ろ足でドアを閉じた。


 マリアの死体をベッドに寝かせて、俺は左腕の処置に取り掛かった。医者があのザマだ。自分でどうにかするしかない。ベッドの下から救急箱を取り出すと、簡易ギプスを取り出した。コンドームに似た円形のゴムで、四肢を包みこめるほど収縮する医療品だ。俺はゴムの中央に、専用の軟膏を塗りつける。そして切断面に軟膏が当たるようにして、簡易ギプスで左腕を包み込んだ。


 後は痛みに耐えて、時の経過を待つだけだ。断面に当てたカーボンナノシートを土台にして、肉が成長して切り口を塞いでくれる。半月もギプスを取り換えれば、完全に塞がるだろう。もっとも整形をしていないので、義肢の装着は難しいかもしれない。


 俺は深いため息をつくと、ソファに身体を沈めて瞳を閉じた。考えねばならないことがたくさんある。でも今はとにかく休みたい。俺は睡魔に誘われるまま、深い眠りに落ちていった。




 その夜、俺は夢を見た。大切な人の夢。故郷の夢。未来の夢。


 緑溢れるユートピア、失われた日本の地で、皆でピクニックに行くのだ。行進する教え子たちの微笑みに、マリアが新しく加わっていた。彼女は幸せそうに笑い、他の教え子と仲睦まじくしていた。


 俺は左手を伸ばした。もう届かないのに。教え子たちは笑いながら、光の中に消えていく。輝きは俺の左腕を焼き、俺の肘から先は痛みで燃え上がった。


 明けない夜がないように、覚めない夢もない。永遠を夢見ていたいが、それは死者の特権だ。


 ライフスキンのアラームが鳴り響き、俺に明日が訪れた事を教えてくれる。


 俺はゆっくりと目を見開くと、気だるい体を奮い立たせた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 作者さんの好きなように書いてるのは良いとは思うが 流石にナガセが過去の教師時代の自分を取り戻さないと言うか成長しなさ過ぎて酷い 優しくする→俺の中の竜が→キレて女たちに暴力を振るう→優…
[気になる点] 物語は作者のものだからどうするのも自由なんだけど公開してる作品である以上はある程度読む側の望む展開というのも必要であってだな… あまりにもやり過ぎると読むのがキツい辛いになってしまうの…
[良い点] なるほどー。結果論ですが、アイリスは救命医療の適正がないタイプですね。目の前の苦痛を無視して患者の生命の最大化を行える冷酷さがない。 ここまで書いて、やっぱアイアンワンドが無能すぎるとい…
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