送別-1
俺はマリアの死体を担架に横たえると、へし曲がった手足を真っ直ぐに伸ばしてやった。死後そう時間が経っておらず、肉はまだ硬直していなかった。俺はマリアの手足が自由に動く内に、両手を組ませて腹の上に置き、安らかに眠らせてやった。
タオルを使って、マリアを濡らす血を丁寧に拭きとっていく。身体は全ての血を出し切ったらしく、拭きとった傷口から新たな血が溢れて来ることはなかった。そして傷口から痛ましく飛び出た骨が、俺の視界に入ったのだった。
「こんなの……こんなのってないだろう……」
マリアが溌剌と、草原を駆けていた姿が脳裏に甦った。この手足じゃあ……あの世でも立つ事すらできないじゃないか。俺は飛び出た骨を、傷口の中にそっと押し戻した。エイドキットから針を取り出して、傷口を縫おうとする。しかし右手に持った縫い針に、失くした左手は糸を通すことができなかった。俺は凄まじい無力感に苛まされ、癇癪を起して左腕を地面に叩き付けた。
助けが欲しくて部隊員たちを振り返ると、彼女らはそんな俺とマリアを、じっと見つめていたのだった。アジリア、サクラ、プロテア、ロータス、リリィ――誰もが人形と化して、草原に佇んでいた。彼女らの視線は呆けて定まっていなかったが、顔つきは苦痛に歪んでいた。きっと受け入れがたい現実と、必死に戦っているのだろう。あのロータスですらショックを受けて、軽口も叩かず唇を噛みしめていたのだった。
やがて暮れなずむ夏空の下、俺の目の前にアイリスが引き出された。彼女は白衣を脱がせられて、身に纏うのはライフスキンだけだった。どうやら来るのを拒んだらしい。一悶着あったのか、手を後ろで縛られている。頬には殴られた跡があり、口の端からは血の糸が垂れていた。
俺はアイリスを連れてきた、パンジーとデージーを横目に睨みつけた。二人は俺の視線に応えずに、神妙な顔つきでアイリスをねめつけていた。まるで他人事で、自分には一点の非もないと言いたげだ。俺には二人がアイリスを差し出すことで、マリアの赦しを乞うているように見えたのだった。
胸糞が悪い。
「貴様らは後だ。部屋に失せろ」
俺はそう呟いて、パンジーとデージーを追い払う仕草をした。パンジーは担架に安置された、マリアの死体をしきりに気にしていた。アイリスを視線で責めながらも、何度も盗み見ていた。やがて居た堪れないように顔を背けると、ヘイヴンへと走っていった。
デージーは案山子のように突っ立ったまま、この場から離れようとしなかった。彼女はマリアの死体より、俺の動向を気にしているようだ。怯えて強張る顔で、何度も俺を盗み見てきた。やがて大地に視線をさまよわせた後、必死に訴えかけてきた。
「わ……わたし……ちゃんとローテーションで看護して……見回りもして……私は悪く――」
俺はホルスターからモーゼルを抜き、地面に向けて一発ぶっ放した。轟く銃声にデージーは身をすくめて、戯言を引っ込めて押し黙った。俺はモーゼルを握りしめたまま、ドスの効いた声で唸った。
「俺は今非常に疲れている……頼むから俺の忍耐力を試すな。とっとと失せろ」
デージーは俺に敬礼すると、足をもつれさせながらヘイヴンへと逃げていった。
俺は邪魔者がいなくなると、改めてアイリスに向き直った。彼女は草の上にへたり込んで、担架に乗るマリアの死体を呆然と眺めていた。口元は声にならない言葉を吐いて、ぱくぱくと無駄に動いていた。
俺はアイリスの拘束を解き、ひとまず自由にしてやった。それから彼女の前に屈みこむと、その顔を覗き込んだ。
「アイリス。話してくれ。何があった?」
子をあやせるほど、優しい声だったと思う。アイリスは俺に気付くと、絶望に追い詰められた、凄絶な表情を浮かべた。そして金切り声を上げて、座ったまま四肢をばたつかせた。
「お前のせいだ! お前のせいで死んだんだ! お前のせいで! お前のせいで!」
「アイリス。説明してくれ。何があった?」
「どーすんだよ! 死んだ! 死んだんだぞ! お前が殺したんだ!」
アイリスが拳を振り上げて、俺の顔を殴ってくる。俺は両手で彼女を抑えようとしたが、左腕がアイリスを素通りした。くそ。いまだに慣れない。俺は舌打ちをすると、アイリスに好きに殴らせてやり、必死で語り続けた。
「説明できないのか?」
「責任取れ! 何とかしろ! マリアを返せ!」
話しにならん。俺は今回ばかりは、封印した暴力を解禁した。無造作に腰の水筒を引っ掴むと、水をアイリスの顔に浴びせた。彼女は一瞬黙り込んだが、また喚き散らそうとして、大きく息を吸うのが見えた。らちが明かんな。俺はアイリスの胸倉を掴み、右腕の力だけで持ち上げた。そして地面に背中から投げ落とし、彼女の首を腕で抑えつけた。
アジリアが非難の声を上げるが、一向に襲い掛かって来ない。サクラかロータスが擁護してくれたのだろうが、どうでも良い事だ。
「このままではマリアが浮かばれん。死を賭したチームもだ。説明してくれ。何があった?」
アイリスは恐怖の眼差しで俺を見上げて、身を護るように首をすぼめた。それでも彼女は固く口元を結んで、頑なに沈黙を守り続けた。俺には興奮と息苦しさで荒くなった、鼻息だけを噴きつけてきた。
「黙るな答えろォ!」
俺はアイリスの鼻先に顔を近づけて、物凄い形相で恫喝した。ぼろっと……アイリスの眦から、玉のような涙がこぼれ落ちた。彼女は苦しそうな息の合間に、切なそうにしゃくりあげた。そして消え入りそうな声で話し始めた。
「立って歩いたと思ったら……陰圧室のビニル破って……そのまま窓に……」
「縛っていたはずだぞ……とるなとも言ったよな!」
アイリスがまたもや口をつぐむ。彼女は逃げ道を探して、辺りに視線を泳がせた。足をばたつかせて、抑えつける俺を押し退けようともした。やがて助けになるものが、何一つないことを悟ると、力尽きてぐったりと横たわった。
「マリアはもがき苦しんでて……ベルトと身体が擦れて……ライフスキンから血が……薬打ったけど効かなくてッ! これ以上診ていられなくてッ! 傷! 傷! ベルトを解いたらそのまま走って行ってッ! あ……あ……わぁぁぁぁぁぁあぁぁぁあああ!」
アイリスの頬を大粒の涙が滑っていく。彼女はヒステリーを起こして、咽喉が裂けんばかりに泣き叫んだ。俺はアイリスを解放して立ち上がったが、彼女は身体を大地に投げ出したままだった。壊れた人形となって、延々と泣き叫び続けた。
「そうか……そうか……」
俺は自分を納得させようと、何度も独りごちた。だがやりきれない思いが胸の中で渦巻いて、敵意となってアイリスに牙をむこうとした。アイリスの責任にするのは簡単だが、彼女を責めるのはお門違いだ。元を辿れば、ここまで導いた俺の責任なのだ。むしろ俺は彼女の盾となって、いわれなき敵意から守らねばならないのだ。
「分かった……もういい……この件は終わりだ」
俺が部隊の方を振り返ると、詰め寄ろうとしていたアジリアと視線が合った。彼女は両脇からサクラとロータスに抑えられており、戒めから逃れようともがいていた。アジリアは俺がアイリスから離れたのを見て、ひとまず暴れるのを止めた。しかし身体から緊張を抜かず、いつ俺が爆発してもいいように身構えていた。
俺はアジリアに取りあわず、号泣するアイリスを顎でしゃくった。
「アジリア。アイリスを監禁しろ。お前はつきっきりで監視だ。人を好きに使えばいい。だが慎重に人は選べ。俺が戻るまで誰にも会わせるな」
アジリアは言われるまでもないと、不機嫌そうに鼻を鳴らした。彼女はサクラとロータスを振り払うと、大股でアイリスに駆け寄っていった。そして助け起こそうと手を差し伸べたが、俺はある懸念からその腕を掴んだ。
「頼むぞ。この言葉の意味は分かるな?」
「うるさい気安く触るな――ッ」
俺の手をアジリアが、乱暴に跳ね除けようとした。俺は素早くアジリアの腕を捻り上げた。関節が極まって、彼女は苦悶の呻きと共に大人しくなる。俺はなおも力を込め続けて、彼女の身体を胸元に手繰り寄せた。そして左腕の断面を突きつけながら、獣のように吠えた。
「返事をしろクソッタレが! 二人目を埋葬することになったらッ! テメェ人の形をしたまま埋めてもらえると思うなよッ! 返事をしろォ!」
俺の剣幕にアジリアはひるみ、額に脂汗を薄っすらと滲ませた。俺とアジリアはしばらくの間、互いの視線を絡ませた。やがてアジリアは浅く首肯すると、鬱陶しそうに身動ぎした。
「十分承知している。手を離せ」
俺はアジリアを突き放すと、残った部隊員たちに視線をやった。彼女たちは俺に見られると、すぐに背筋を伸ばして気を付けの姿勢をとった。
「作戦終了。デブリーフィングはナシだ。後始末を終えたら、各自で休養をとれ。うんと贅沢な飯を食うといい。俺が許したとピオニーに言え」
俺は次に、サクラとプロテアに視線をやった。二人はピンと張った背筋を、さらに伸ばした。
「サクラ。プロテア。すまないがお前たちの休養は後だ。交代して内部状況の確認と、治安維持に努めてくれ。マリアの死で混乱が想定される。翌朝俺は復帰するので、それまでどうか頼む。お前らも人を好きに使え」
二人は何とも言えない表情を浮かべながら、俺に敬礼で返事をした。
「かしこまりました……後はお任せください。ナガセは早く休養を……」
サクラは俺の左腕を、痛ましく見つめている。
「一週間ぐらいなら踏ん張れるから、お前はもっと休めよ。腕千切れてんだぞ……? フツーなら安静だぞ! 失望はさせねぇ! 俺らで頑張るから!」
プロテアは高らかに声を張ると、頼れと言わんばかりに自らの胸に手を当てた。彼女は不安を打ち払って、健気に笑って見せてもくれた。だが一週間は遅いんだよ。マリアの死体が傷む前に、葬儀を終わらせてやりたいのだ。俺はそれをばっさりと切り捨てた。
「明日だ。以上。解散」
不意にロータスが挙手し、俺に発言を求めた。俺が先を促すと、彼女は担架のマリアを一瞥した。
「マリアはどうすんの……このままにしとくの……なんつーか……カワイソーだし……」
「俺が連れていく。明日告別式。明後日に……葬儀を執り行う……」
リリィもロータスに続いて、遠慮がちに手を上げた。発言を許可する。
「回収した物資は――」
今一番聞きたくない話題だ。
「捨てちまえッ!」
俺が吐き捨てると、リリィはびくりと肩をすくめた。
俺はマリアの傍らにかしずくと、そっと頬のあった場所に手を添えた。俺は砕け散った頭部を目にして、耐え難い喪失感に胸を締め付けられた。胃を突き上げる不快感に負けて、マリアから顔を背けて嘔吐した。俺に釣られてプロテアも軽く吐き、ロータスは辛うじてえづくだけに留めた。
過去にたくさんの死体を運んできた。首の後ろに胴体を乗せ、手足を持って安定させるやり方。肩に担ぐやり方。引きずるやり方。そのどれもを、マリアにする気にはとてもならなかった。俺は彼女の背中に手を回し、膝の裏を抱えて優しく持ち上げた。そして血の軌跡を残しながら、ヘイヴンへと帰っていった。
エレベーターに乗り込んで、倉庫から保管庫へと上がっていく。到着を待つ合間に、俺はボックスの隅に取り付けられた、監視カメラを睨み上げた。
「アイアンワンド……貴様が付いていながら、なんてざまだ……」
『申し訳ありません……サー……』
俺は苛立ち任せに、激しく地団太を踏んだ。
「黙れクソが! 俺は謝罪を聞きたいわけじゃねぇ! 今すぐにでも貴様をスクラップにしてやりたい……ぶち壊してやりたい……だがまだだ……まだダメだ……今の俺はラリっているうえに疲弊している……正常な判断を下せるようになるまで、一日時間をくれ……それまでみんなを頼む……」
「畏まりました。全ての機能を駆使し、命令を遂行します」
エレベーターボックスが揺れて、ベルが保管庫に到着した事を知らせた。俺はドアを抜けて、自室へと足を進めていった。廊下の彼方から、ピオニーの音程の外れた鼻歌が聞こえてきた。きっと彼女はまだ、何も知らないのだろう。俺は元気を分けて欲しくて、彼女の旋律にハミングを重ねた。気分は晴れなかった。それどころか、より重く沈んだ。
俺の部屋の前で、立ち尽くす人影が見えた。涙の滲む目を凝らすと、アカシアが嗚咽を上げながら俯いていた。彼女は俺が戻って来たことに気が付くと、泣きはらして真っ赤になった顔を上げた。そして相貌を悲痛に歪めると、俺――というより、マリアに何度も頭を下げた。
「僕のせいだ……僕がちゃんと見てなかったから……ごめんなさい……ごめんなさい……」
アイリスが捕まるのを見ていたのか、アカシアはマリアの死を知っていた。彼女はその死を確かめる勇気はなかったが、罪悪感を迎え入れる強さはあったようだ。だからこうして、俺の部屋の前で待っていたのだろう。俺はアカシアにこれ以上負担をかけないよう、失くした左腕をマリアの影に隠した。
「貴様は午前中の作戦に参加し、休養が必要だった。全ての責任は、指揮を執った俺にある。貴様が気に病むのは間違いだ」
「でもぉ……でもぉ……」
アカシアは泣きじゃくりながらも、ドアの前から動こうとしなかった。俺にはアカシアの気持ちが痛いほどわかった。彼女は罰を下して欲しいのだ。そうしないと胸の内で膨れる、罪悪感に押しつぶされそうになるからだ。
でもなアカシア。お前はそれを背負って、生きていかなければならないんだ。責任を負えと言いたいんじゃない。それは俺が取る。ピコのように、その死を負って欲しいのだ。俺はアイリスを交えて、詳しくその話をしたかった。
「ひとまず休んでくれ。俺も酷く疲れて、指揮をとれる自信がないんだ。翌朝詳しい指示を出すから、それまでに気持ちを落ち着かせてくれ。ドアを開けてくれるか?」
アカシアは目に手を当てたまま、小さくこくりと頷いた。彼女はドアを開けると、俺に道を譲った。俺は暗い自室に入って、後ろ足でドアを閉じた。
マリアの死体をベッドに寝かせて、俺は左腕の処置に取り掛かった。医者があのザマだ。自分でどうにかするしかない。ベッドの下から救急箱を取り出すと、簡易ギプスを取り出した。コンドームに似た円形のゴムで、四肢を包みこめるほど収縮する医療品だ。俺はゴムの中央に、専用の軟膏を塗りつける。そして切断面に軟膏が当たるようにして、簡易ギプスで左腕を包み込んだ。
後は痛みに耐えて、時の経過を待つだけだ。断面に当てたカーボンナノシートを土台にして、肉が成長して切り口を塞いでくれる。半月もギプスを取り換えれば、完全に塞がるだろう。もっとも整形をしていないので、義肢の装着は難しいかもしれない。
俺は深いため息をつくと、ソファに身体を沈めて瞳を閉じた。考えねばならないことがたくさんある。でも今はとにかく休みたい。俺は睡魔に誘われるまま、深い眠りに落ちていった。
その夜、俺は夢を見た。大切な人の夢。故郷の夢。未来の夢。
緑溢れるユートピア、失われた日本の地で、皆でピクニックに行くのだ。行進する教え子たちの微笑みに、マリアが新しく加わっていた。彼女は幸せそうに笑い、他の教え子と仲睦まじくしていた。
俺は左手を伸ばした。もう届かないのに。教え子たちは笑いながら、光の中に消えていく。輝きは俺の左腕を焼き、俺の肘から先は痛みで燃え上がった。
明けない夜がないように、覚めない夢もない。永遠を夢見ていたいが、それは死者の特権だ。
ライフスキンのアラームが鳴り響き、俺に明日が訪れた事を教えてくれる。
俺はゆっくりと目を見開くと、気だるい体を奮い立たせた。




