帰還-3
部隊はY字の隊列を作り、草葉を散らしながら草原を走っていく。俺は機動戦闘車の荷台から、次第に小さくなっていく森をぼんやりと眺めていた。機動戦闘車は隊列の最後尾に就いているので、鬱蒼と生い茂る緑が良く見えた。
木々たちは豊かな大地に根付き、蒼天を勇ましく突き上げていた。その深い懐は多くの命を感じさせ、もぬけの殻となった今でさえも、動物たちの息遣いがここまで届いてきそうだった。自然は悠然とそこにあり、無言で偉大さを物語っているのだった。だからこそ俺は最後の仕上げをするのに、とてつもない躊躇いを覚えたのだった。
感傷に浸って黄昏ていると、呼びつけたプロテアがおずおずと近寄ってきた。彼女はしまった敬礼をすると、片膝をついて視線を合わせてくる。そして俺が内股に隠している左腕を、しきりに気にしながら口をもごもごさせた。
「あの……ナガセ……腕……」
気遣いはありがたいが、まだ作戦は継続中だ。俺はプロテアの言葉を一旦無視すると、森の方を顎でしゃくった。
「貴様ら……俺の命令を無視して……バイオプラントに……来たわけでは……なかろうな? ちゃんと……ナパームを……仕掛けたか?」
「ん。それは、もちろん……」
プロテアは表情を曇らせながら、俺にスティックタイプの起爆装置を差し出した。結構。
「起爆しろ」
プロテアは命令を聞くと、真っ青になって生唾を嚥下した。彼女は手中の起爆装置を見つめながら、苦悩で腕を戦慄かせた。やがて親指をスイッチにあてがったが、どれだけ待とうとも押し込もうとしない。しばらくしてプロテアは肩を落とすと、力なく首を振った。
「お……俺には……出来ねぇよ……あれが全部灰になるんだぜ……あれが……全部……」
プロテアはスイッチが巻き起こす惨事を、理解して怯えていたのだった。俺の胸中には落胆に勝る、愛おしさで溢れかえった。俺が繰り返してきたことを、彼女は自らの意志で否定したのだから。
「すまん……俺が悪かった……俺がやる……貸せ……」
俺は無意識のうちに、左手をプロテアに差し出していた。俺とプロテアは改めて、失われた肘先を目にした。未だに左手の感覚は、指先に至るまで残っている。しかし消えうせた肉は感覚に応えられず、激しい違和感となって心を抉るのだった。プロテアはそんな俺の心情を察したのだろう。まるで自分の腕が食い千切られたかのように、悲痛な顔をして自身の左腕を抑えつけたのだった。
失くしたばかりとは言え、傷口をプロテアに見せるとは……俺は底抜けの間抜けだな。自らの無神経さと、気まずくなった雰囲気に舌打ちをした。
「二度言わすな……貸せ……」
これ以上の問答をして、プロテアに負担をかけたくない。俺は右手を差し出すと、ぶっきらぼうに言い放った。
プロテアは大人しく従って、俺の手に起爆装置を乗せようとした。彼女は責任から解放されて、緊張の解けた手から起爆装置が滑り落ちていく。そして俺の指先にスティックが触れた時、プロテアは何かに気付いて眼を見開いた。
「繰り返してたまるかってんだ……」
プロテアは呟くと、咄嗟に起爆装置を握り直した。彼女は自らの横っ面を殴りつけて、相貌を凛々しく引き締めた。そしてスティックを手にしたまま、俺へと差し出してきた。
「言っただろ。お前独りではいかせない」
俺はプロテアの真意を悟り、双肩にかかる重圧が和らぐのを感じた。責任を分散させたのではない。喜びと同じように、苦痛を分かち合えたのだ。俺はプロテアの手ごと、起爆装置を包み込んだ。そしてスイッチに親指を添えて、二人で一緒に力を込めた。
「やっと……受け取ってくれたな」
プロテアは今にも泣きそうな顔をしながら、口元を喜びで綻ばせた。
地平線に消える森から、複数の巨大な火の玉が膨れ上がった。炎は空を焦がしながら、次第に球を大きくしていく。そしてある大きさまで膨れると、黒煙に変化して風に流れるのだった。爆破地点からは飛散したナパームが、白煙の尾を引きながら放射状に広がっていく。それらもやがて地上に落ちて、新たな火種となるのだろう。炎は森を飲みこんで、辺り一面を火の海へと変えていった。
クロウラーズの面々も、森の異変に気付いたのだろう。彼女たちはキャリアの荷台から顔を出して、空を舐める炎を瞳に映していた。
「怖い……」
プロテアが、か細い声で言った。彼女は自らが生み出した光景に飲まれ、手から起爆装置を取り落した。そして恐怖で震える手を、救いを求めて虚空に彷徨わせたのだった。
「大丈夫だ……」
俺はそう言うと、反射的にプロテアの手を握りしめた。プロテアは信じられないと目を丸くして、繋がった二人の手をまじまじと見た。やがて軽く微笑むと、ゆっくりと瞳を閉じて、繋げたままの手を自らの額に当てた。
「お前は……怖くないのか……?」
プロテアが祈るように呟いた。残念なことに今回は、彼女の真意を悟ることはできなかった。俺はきっとその気持ちを、過去で焼いてしまったのだろう。
「とうの昔に……忘れちまった……だがお前は……絶対に忘れるな……」
「絶対に……忘れるもんか……」
プロテアは繋いだ手により力を込めて、きゅうと喉を鳴らした。そして低い嗚咽を上げて、肩を震わせはじめた。彼女はきっと大丈夫……俺のようにはなれないだろう。
「俺は……しばらく寝る……問題があれば起こせ」
俺はぐったりと壁に身体を預けると、襲い来る睡魔に身を委ねて微睡の中に沈んでいった。
「あ……灰の雨が降る……」
プロテアのそんなうわ言を最後に、俺の意識はぷっつりと途絶えたのだった。
*
ざざぁん。ざざぁん。
波の音が聞こえる。
ざざぁん。ざざぁん。
胸に懐かしく響く。
皆で生まれた、浜辺だから。
だけど寂しさを感じるのは、何でだろうか?
ざざぁん。ざざぁん。
帰りたい。帰りたいよ。
あの頃に。あの場所に。
大丈夫。きっとナガセが帰ってきて、今に私を助けてくれるだろう。
ナガセは嘘ばかりつくけど、約束を破ったことはないんだ。
だから私はおかえりといって、約束通り迎えてあげよう。
あの頃に。あの場所に。
ざざぁん。ざざぁん。
自由を奪う戒めが解けて、身体が動かせるようになった。
顔が痛い。痛いんだ。なくなっちゃえって思うぐらい。
掻き毟ってしまいたいけど、我慢するって約束した。
私は約束を破ったことが多いけど、今回だけは守りたいんだ。
ざざぁん。ざざぁん。
波の音が聞こえる方に、歩いて行こう。
そうすればこの痛みも、和らぐはずだ。
だってそこには、痛みの知らない私がいたのだから。
ざざぁん。ざざぁん。
ああ。耳に心地いい。すぐ真下に海がある。
飛び降りればきっと、下には海があって。
私を優しく包み込んでくれるだろう。
私の身体を蝕む毒を。潮がもみくちゃにして、波が攫って、飛沫が散らして。
綺麗に流してくれるに違いない。
ざざぁん。ざざぁん。
ああ。身体が軽い。鳥になって、空を飛んでいるみたい。
煌めく太陽。眩い緑。輝く海。
ずっとずっと。待ち望んでいた。
ずっとずっと。憧れていた。
それがここにある。
身体を蝕む毒が消えて、痛みが嘘のように引いていく。
あれほど生きるのが辛かったのに、こんなにも幸せを感じられるなんて。
あれ? ナガセ? そんなところで何してるの?
私を助けてくれたんだ?
あは。初めてだね。
嘘つかなかったの。
おかえりなさい。
*
「説明……してくれ」
午後十九時二十二分。部隊はヘイヴンに無事帰還し、中庭に集合していた。
夕日が大地を赤く照らして、緑の草原は灼灼と燃え上がっていた。その景色は、火の海に沈む森とよく似ていた。おかげで俺は抜け出したはずの辺獄に、引きずり戻されたと錯覚したのだった。
炎の揺らめく平原には、小さな水たまりがぽつんとあった。水面は斜陽を反射して、鮮やかな紅色に輝いていた。ルビーよりもきらめいて、水そのものが持っている生臭い赤を、微塵も感じさせなかった。
「待機組はどこだ? 何をしている?」
紅玉の輝きの中、女がうつ伏せに倒れていた。俺はその肩に手を置いて、身体を仰向けにひっくり返した。もう誰かすらも分からない。何故なら頭が木っ端微塵に砕けて、跡形もなくなっていたからだ。
どうやら高所から飛び降りたらしい。手足は地面に高速で叩き付けられ、あらぬ方にへし曲がっている。しかし四肢は胴体と繋がったままで、人間の頑丈さを痛ましさで実感する事ができた。
俺はマリアの死体を、抱きかかえながら言った。
「アイリスを連れて来い」




