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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目前半【ECO編】
173/241

回帰-6

「くたばれ! 人鬼ども!」


 俺はサバイバルナイフを抜き放ち、最も近くにいた暴徒へと斬りかかった。暴徒は俺に背中を向けて、一心不乱に死肉を貪っている。それが最後の晩餐だ。精々味わえよクソ野郎。俺は暴徒の首に狙いを定めて、白刃を振り下ろした。


 サバイバルナイフが肉に突き刺さる瞬間、暴徒は幻のように霧散した。俺は虚しく空振りしてしまい、バランスを崩してぐらりと傾いた。そのまま立て直すこともできず、仰向けに大の字になってひっくり返った。


 もう何が現実で、何が幻想なのかすら分からない。そしてどちらであろうと、俺にできることはもうなかった。限界だ。立ち上がる力どころか、身動ぎをする余裕すら残っていなかった。俺は迫りくる死を受け入れて、汚染の煙る天井をぼんやりと見上げた。


「ドウシテ。助ケテ。クレナカッタ?」


 再び誰かが、下手糞な英語で囁いた。俺が避難所に連れてきた子供だろう。暴徒に捕えられた時に引き離され、俺だけが逃げることに成功した。そして俺は――その子を助ける事ができなかった。


「他に……どうしたら……良かったんだ……?」


 暴徒どもの降伏勧告に従い、投降して一緒に死ねば良かったのかもしれない。だが俺は故郷に帰りたかった。そのために出来ることがあった。そして奴らの暴虐が、どうしても許せなかった。子供の声が、悲鳴に取って代わる。俺はその声を忘れようと、必死で言葉を絞り出した。


「俺は……出来うる限りの……ことはやったぞ……」


 俺の周囲では、暴徒の幻が再び姿を現し、身内で争いをはじめていた。


『食糧庫に汚染空気が注入されている! 干し肉がまとめて殺されたぞ! 殺すか普通!?』


『あの三級特佐がやったんだ! あいつが背負っていたガキを連れて来い! 必要なら嬲れ!』


『駄目だ! 野郎止める気はないらしいぞ! 今日もトラップで三人死んだぞ!?』


『潜伏場所が分からん! 捜索隊はもう出すな! これ以上の怪我人は収容できん!』


『また暗殺だ! リーダーばかり狙いやがって……化け物かアイツは!』


 暴徒たちを取り巻く雰囲気が、次第に険悪になっていく。食料もなく、怪我人は増え続け、指導者は一人ずつ減っていく。俺は体力が持つ限り、奴らを脅かし続けた。やがて暴徒のストレスは臨界点を迎え――一気にはじけた。


 暴徒が互いに掴みあい、殺し合いを始める。手に取れるものを武器にして、戦争に不可欠な達成目標もなく、ただ相手の命を奪う事を目的に。銃撃音に、鈍い撲殺の音が混ざる。悲鳴がこだまし、断末魔がそこかしこから聞こえた。


「仇は……とった……」


 226避難所は殺戮の渦中に陥り、俺は満足感に笑った。


 集団ヒステリーだ。これがガスも爆薬も使わずに、独りで千人以上を殺したトリックだ。暴徒どもは尽きることのない悪意を、互いにぶつけ合って果てていく。ある者は生きたまま貪られ、ある者は自ら死を選んだ。そしてある者は殺戮に混ざる、俺の手によって処されたのだった。


 掃いて捨てるほどいた人鬼どもは、あっという間に数を減らしていく。そして全てが地に倒れ伏した頃、独りの男が死体を踏み越えて現れた。そいつは特佐の証である、黒いライフスキンに袖を通し、手元でピストルを回しながら鼻歌を奏でていた。胸元には確認殺害数の赤い線が、網目になるほど大量に引かれている。決してその数が誇張ではないことを、全身を濡らす赤い血潮が物語っていた。


 黒いザンバラ髪に、愛想のない仏頂面をした日本人――『俺』だった。


 『俺』は殺戮の後を歩き回り、生存者を見つけてはその頭を撃ち抜いていた。『俺』は暴徒どもが生きる価値のない、クソッタレだと固く信じていた。そしてその無価値を証明するために、ひたすらに殺し続けていた。


 俺は『俺』の後始末を、他人事のように眺めていた。すると『俺』と相対するように、暗闇から独りの女が姿を現した。こちらも特佐の証である黒いライフスキンを身に纏い、その上に黒い外套を羽織っている。


 白いミドルヘアに、氷の無表情を貼り付けた女――アロウズ・キンバリー……。


「そして……貴様だけが生き残った」


 アロウズは冷めた口調で呟くと、鋭い目つきで『俺』のことを睨み付けた。


『俺』はアロウズに気が付くと、口の端を釣って凶悪な笑みを浮かべた。くつくつと喉を鳴らして笑い、アロウズの注意を顔面に引きつける。そして死角となった背中で、そっとサバイバルナイフを握りしめた。


「これはこれは隊長殿。遅いお着きですな。見ての通り、暴徒の鎮圧は完了しましたよ……クソがテメェ! ブチ殺してやる!」


『俺』は吠えるとナイフを逆手に構え、アロウズに飛び掛かっていった。彼女は素早くリボルバーを抜き放ち、腰だめで発砲してきた。『俺』は床の上を転がって、死体に隠れて銃弾を躱す。そして死体を抱えて立ち上がり、そのまま盾に取ってアロウズへと肉薄していった。リボルバーの銃弾を死体で受け止め、手の届く距離まで接近する。『俺』は死体をアロウズに投げつけて、よろめいたところを馬乗りになった。


『俺』は目を血走らせて、凄絶な表情でアロウズの首にナイフを押し当てた。しかしアロウズは俺の剣幕を目にしても、凍てついた表情のままだった。彼女は首筋に当たるナイフの刃を、まるでオモチャを扱う様に指でつまんだ。


「迎えに来た上官に向かって、その態度は何だ? 貴様は重大な規律違反と、反逆の罪を犯している。故郷のガキがどうなってもいいようだな。反逆者を出した学校だ。関係者には厳しい尋問が課せられるだろう」


 『俺』はたったその一言で、すっかり委縮してしまった。触れるのも躊躇う凶暴さはなりを潜め、届くことのない望郷の念が息を吹き返す。俺はアロウズに跨ったまま、放心してしまった。アロウズは俺を押し退けて立ち上がると、襟を正して乱れた服装を整えた。そして声を張って叫んだ。


「気を付けェ(アテンション)!」


 『俺』は両手を太腿の横に揃えて、背筋をピンと張った。アロウズは『俺』によく見えるように、リボルバーに銃弾を一発装填する。そして『俺』の太腿に銃口を押し当てて、引き金を絞った。『俺』は鈍い銃声と共に、霧となって虚空に溶けた。


 アロウズはリボルバーをホルスターに収めた。そしてなんと暴徒の死体に埋もれている、俺にへと視線を向けたのだった。傍観者に徹していた俺は、驚きの余り身構えてしまった。


「何度でも繰り返すがいい。私は待っている。お前が辿り着くのを」


 アロウズは無表情のまま、淡々と決まり文句を繰り返した。もううんざりだ!


「いい加減……俺から……離れろ……!」


 俺は荒い息を突きながら、死に物狂いで喚く。アロウズは必死の俺を一笑に付した。


「私を離さないのは貴様だ。貴様は私無しでは生きられない。何故なら私こそが、貴様の全てだからだ」


「自惚れが過ぎるなアロウズ……貴様にいったいどれほどの価値がある……? 俺も……お前も……薄汚い人殺しだ……あの暴徒と同じ……生きる価値のない人間だ……」


 アロウズがヒールを鳴らして、俺の方に歩み寄ってくる。やがて俺の目と鼻の先で、ブーツの爪先が止まった。見上げたアロウズは逆光を背負っており、表情は影に埋もれて読めなかった。ただ闇に瞳が爛々と輝いて、俺のことを見下しているのだった。


「だろうな。己だけの物にするなら、命に価値なぞない。貴様は正義と理想の為に、あいつらは欲望に――自らのためだけに費やした。ただ……費やしただけだ」


「費やしただけだと……? ふざけるなよ……俺は全てを捧げて……レッド・ドラゴンと……呼ばれるようになった……貴様こそ……俺を費やしただけだ……一体貴様が……何を捧げたというんだ!?」


 アロウズは微笑に軽く息を吹くと、煙草を取り出して口に咥えた。ライターが先端を炙り、一瞬アロウズの表情が露わになった。俺は心臓を鷲掴みにされて、呼吸を止めた。彼女は泣いていた。そして愛おしそうに、膨れた腹をさすっているのだった。


「貴様は……本気で人を愛したことはあるか?」


「それは……どういう……意味だ……?」


 俺は答えに詰まって聞き返した。アロウズは俺の問いに答えず、弱々しく首を振った。そして唇から吸いかけの煙草を、俺の目の前に落としたのだった。


「昔のお前は、受け取る人もいないのに捧げた……今のお前は、受け取る人がいるのに費やしている。無価値だ。お前は無価値を証明するために殺す。そして同様に無価値だと証明されたいがために死を望んでいる。お前が捧げたって……? 笑わせるな」


 不思議だ。煙草の煙が鼻先をかすめているのに、あの嫌な臭いがしない。アロウズがすぐそこにいるはずなのに、その存在を感じることができなかった。俺はにわかに焦りはじめ、震える腕をアロウズに伸ばした。俺の本心は確実に、アロウズを失うことを恐れていた。


「お前は命を費やし続け、いずれここに辿り着く。そして私の愛を受けるだろう。私は待っている。お前が何度でも繰り返すのを」


 アロウズは俺の手から逃れると、踵を返して暗闇へ歩いて行った。


「待て……行かせるか……」


 俺は迷い子となる恐怖に突き動かされて、必死で寝返りを打ちうつ伏せになった。そして震える足に喝を入れて、膝に手を当てながらも立ち上がった。


「そうか……そう言うことか……」


 俺は悟った。お前がいなければ、俺はレッド・ドラゴンに変わらなかった。そしてお前という終着点がなければ、俺は終わらせることすらできないのだろう。だから繰り返すのだ。お前を殺して竜となり、竜となる前に死ぬために。アロウズの存在こそが俺の全てで、この輪廻に費やし続けるのだ――。


 俺は殺意で赤く火照った顔を上げ、アロウズの背中を追いかけようとした。そして、目に飛び込んできた光景に、思わず息を飲んでしまった。


「な……何で……?」


 いつの間にか避難所のエントランスは、夢幻と消えうせていた。代わりに澄んだ青空が広がり、豊かな大地が広がっていたのだった。緑を彩るのは、精一杯に咲き誇る花々たちだ。どっしりと根を下ろす桜に、大輪のプロテア、燃えるように赤いアザレアに、水面に生意気に浮かぶ蓮――花々は地平線の果てまで続き、風にそよいで花弁を散らしていた。


「何で……こんな所に……花が咲いているんだ……?」


 風に遊ぶ花弁は意識を持って、俺へと浴びせかかってくる。俺はまとわりつく花びらを振り払い、なおもアロウズに追い縋ろうとした。するとそよ風は強風に変わり、より多くの花弁を俺に吹き付けてきた。悲しみの青、喜びの黄、怒りの赤。色彩豊かな花びらは感情となって、俺に何かを訴えかけてくる。


『もう一回だけ。信じてあげる』


 懐かしい声に足を止めると、美しい花束が腕の中に飛び込んできた。俺は無意識のうちに、花束を抱き留めた。


「ナガセェ!」


 サクラの声が耳朶を打ち、俺は我に返った。俺は汚煙のくすぶるバイオプラントの中、独りで取り残されていた。ウリエルの狭苦しいコクピットは、赤い非常灯でほんのりと照らされており、異常警報がやかましく鳴り響いていた。荒い呼吸を整えつつモニタに視線をやると、モノクロの景色の中、人型が俺に抱き付いているのが見えた。そっと人影の肩に手を置くと、体型から相手がサクラだと分かった。


「やっと正気に戻ったか! お前キチ○イみたいに喚き散らしてたぞ……大丈夫か?」


 プロテアの声と共に、ウリエルの肩に手が置かれる。そして心配そうな仕草で、モニタを人影が覗き込んできた。


「いってぇーな畜生! 突き飛ばさなくたっていいじゃないのよん! だからアタシは来たくなかったんだ!」


 俺の足元でロータスの怒声が上がる。同時に俺の背中から、アジリアの引き締まった声がした。


「目標を発見。『帰還』するぞ! そのボケの面倒はサクラが見ろ!」


 どうして……?


 吐き気をもよおすこの世の地獄で、俺たちは再び巡り合った。

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― 新着の感想 ―
[一言] 予備知識なしでこんな地獄に何処にいるのかも分からない武装したラリパッパを連れ戻しに行くとかどれだけ怖かったことか
[良い点] 良かった
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