回帰-4
俺は管理施設の入り口で、膝をつく一匹のモスマンに狙いを定めた。トゥームビルダーを右手で振り回し、走り過ぎざま横なぎに叩き付ける。手応えは一瞬。トゥームビルダーはモスマンの胸に、短刀を残して振り切られた。
俺は振り切ったトゥームビルダーをより加速させて、走りながら一回転した。左腕に食らいついたメガロミルミギが、どこかへと振りとばされる。同時に背後に迫っていたメガロミルミギが、細切れになる感触が伝わってきた。回転を終えて正面に向き直ると、二匹目のモスマンがちょうど剣の軌道上にいた。俺はトゥームビルダーを両手に持つと、もう一回転してモスマンを胴体から上下真っ二つに分断した。もう一匹いるが距離が遠いので、仕留める余裕はない。
後追いのメガロミルミギを倒したことで、僅かな時間の余裕が生まれた。全ての時を姿勢の立て直しに費やし、トゥームビルダーを下段で引きずるように構える。そして切っ先に炸裂短刀を展開し、管理施設の中へ飛び込んでいった。
邪魔をされたら困る。俺はトゥームビルダーをすくい上げるように振り、炸裂式短刀を入り口の敷居に叩きこんだ。それから入ってすぐ右にある、コンソールパネルに飛びついた。予想通り筐体は汚染物でコーティングされており、パネルはおろかキーパッドの凹凸すら見えなかった。
一回目の爆発が、管理施設外で巻き起こった。モスマンに埋め込んだ短刀が、起爆したのだろう。周囲のメガロミルミギも巻き込まれて、奴らの動きが一拍鈍るはずだ。ウリエルのセンサーを、エコーロケーターからパッシブレーダーに変更した。コンソールの中から幾つかの、微弱なシグナルが発信されている。差し込まれているプログラムの識別信号だ。汚染世界では視覚は奪われて、ラベルを読むなんてことはできない。だから重要物資は特殊なシグナルを、発信するようにできているのだ。
俺はトゥームビルダーをコンソールに押し当てて、筐体ごと汚染物を切り裂いた。刀身がコンソールを二つに引き裂き、やがて切っ先が床に到達する。トゥームビルダーを引き抜くと、果物を割ったように中の精密機械が剥き出しになった。
二回目の爆発が入り口で発生し、ウリエルが衝撃で吹き飛ばされた。右脚部装甲損傷。走行能力が七十パーセントに低下したとの情報が、ヘッドアップディスプレイに表示される。移動に支障が出ないように、損傷に合わせて両脚の限界値を下げるべきだ。しかし逼迫した状況が、それすらも許してくれない。入り口で虫けらが足止めを食っているうちに、物資を回収しなければ。
俺は急いでコンソールの前に戻ると、その断面に腕を突っ込んだ。薬で呆けた頭では、シグナルを判別する余裕なんかない。詰まっている精密機械を掻き出しながら、シグナルの発信源を手当たり次第に引っ張り出した。回収物をウリエルの収納スペースに押し込んで、急いで背後の一時保管タンクを振り返る。タンクは上半分が切り取られて半円形になっており、容器には得体の知れないゴミがへばりついている。中を覗きこむと、汚染物の浮いた培養液が、少量蓄えられていた。この培養液は使えない。俺は怒りに任せて、タンクを殴りつけた。
他の食肉プラントも、モスマンの支配下にあると十分に予測できる。たった三匹相手にしただけでこのザマだ。完品の一時保管タンクを求めたら、命がいくつあっても足りるものではない。培養液の回収は諦めて、ヘイヴンにある冬眠用を使い回した方がいいだろう。培養液の用途は異なるが、溶質は似ているので使えないことはない。だが船のスクリューを飛行機のプロペラに使うようなもんだ。マリアの助かる確率は下がる。
自らの無力を実感し、胸が引き裂かれたように痛んだ。だが――自分を憐れむのは後だ。今はできることをやるしかない。任務をガスの散布に限定し、バイオプラントを一巡して離脱する。俺はタンクに見切りをつけると、逃げ道を探して素早く室内を見渡した。
管理施設はモスマンの住処になっているらしく、床には柔らかい何かが敷かれていた。一時保管タンクの下部には、団子がまとめて置かれている。踏み潰してみると水分を含んだ肉が、崩れる感触がした。俺はふとメガロミルミギが咥えていた、肉団子のことを思い出した。
「モスマンが肉団子を取引材料に、メガロミルミギと棲み分けをしているようだな……」
さすが人間、イルカに次ぐ、地球で知性を持つ生命体といったところか。恐らく栄養供給元を占有し、メガロミルミギを囲うことで、天敵であるパプを遠ざけているのだろう。ガスを散布するルートは、プラント施設から離れた方が良さそうだ。もっとも管理施設から逃げ出せればの話だがな。
メガロミルミギがついに入り口を抜けて、数匹管理施設に侵入してきた。アリどもは横並びに整列して、震角を打ち鳴らしながらにじり寄ってくる。俺はトゥームビルダーで牽制するが、メガロミルミギたちは止まらない。削りとんだ肉片を踏み越え、ガスで弱った仲間を押し出し、徐々に距離を詰めてきた。
メガロミルミギと向き合って突破口を探すも、虫の垣根に切れ目は見えない。強引に突っ込むにしては、表面剥離装甲が心もとない。ガスが効く時間を待つ暇も無さそうだ。俺はゆっくりと後退を始めた。
俺が数歩引き下がった時、足が柔らかい床を踏んで軽く沈んだ。床板が傷んでいるのだろうと推測し、俺は気にせず埋まった足に体重を乗せた。すると足はさらに深く沈んで、危うく床を踏み抜きそうになってしまった。エコーロケーターで足元をチェックしてみると、敷物に覆われて分からなかったが、床に大きな穴が空いているようだった。大きさはウリエルが辛うじて抜けられるほど。深さは敷物のせいで判然としない。
「何の穴だ……? クソ。判断する時間が惜しい」
別室に繋がる通路なら天の助けだが、袋小路ならただの墓穴だ。俺はスモークディスチャージャーから手榴弾を一つ転がすと、穴の中に蹴り落とした。一秒前後の自由落下の後、手榴弾が下層の床で跳ねたらしい。震角とは異なる反響を、エコーロケーターが拾った。
起爆が決断の時だ。穴が貫通していないのなら、行き場を失くした爆風が、管理施設に吹き荒れる。そのタイミングに合わせて反撃だ。穴が下層に繋がっているのであれば――反撃よりも割のいい賭けができる。
メガロミルミギがさらに接近してきたので、俺は一旦穴を跨いで引き下がった。アリどもの肉の波は、満ち潮となって穴を覆い隠してしまう。俺は来るべき時に備えて、両足の限界値を合わせた。
手榴弾が起爆し、下層から重い地響きが伝わってきた。管理施設全体が細かく震え、天井から埃の雨が降り注ぐ。しかし衝撃は穴を逆流しなかったようで、その上に居座るメガロミルミギは微動だにしなかった。
穴の下に空洞がある。
俺はバネが跳ねるように動いた。トゥームビルダーを振り回して、立ち塞がるメガロミルミギの壁を薙ぎ払う。削げた肉の分だけ空間が生まれたが、奴らが後退する気配はない。依然穴はメガロミルミギの足元にあった。
「南無三!」
俺はトゥームビルダーを中段に構えて、メガロミルミギへと突っ込んでいった。トゥームビルダーを腕だけの力で振り回し、アリの群れに叩き付ける。強い手応えと共に血飛沫が上がるが、全てを両断してトゥームビルダーを振り切る事ができなかった。それどころかチェーンが異物を噛んだようで、刃の回転が止まってしまった。トゥームビルダーは肉壁に埋まったまま、動かなくなってしまった。
止まると死ぬ。俺はトゥームビルダーのチェーンソーを柄から切り離し、肉壁の中から炸裂式短刀の収まる峰だけを引き抜いた。引き換えにウリエルの機体を捻じ込んで、激しく放電した。ガスの影響を受けたアリどもは、いとも容易くよろけた。だが部屋の密度が下がった訳ではない。肉の波はうねりを上げて、俺を下敷きにしようと包み込んでくる。俺は圧力に屈して、地べたに這いつくばった。
メガロミルミギに圧殺されて、エコーロケーターの反響が拾えなくなる。モニタは夜を迎えたように黒く染まり、何も見えなくなってしまった。俺は諦めずに地べたを這って、手探りで穴の位置を探し求めた。そして――伸ばした手が、穴の縁に引っかかった。
表面剥離装甲を全て放出。アルミ箔が潤滑油となり、ウリエルとメガロミルミギの摩擦を、限りなくゼロへと近づけた。俺は蛇のようにのたうちながら、密集するメガロミルミギの中を滑り、穴へと身を躍らせた。
穴の口はウリエルよりも。多少小さかったらしい。機体がつかえる。心臓が凍りつく。仕方なく装甲を幾つか切り離すと、ようやく機体は重力に引かれて落下を始めた。安堵で緊張が一瞬緩んだ。しかし俺は高速で流れていく壁面を見て、驚愕の悲鳴を上げた。
「通風孔!? 何でこの位置に!? おかしいだろ!」
そうさ。確かに俺は、疲労困憊の上にラリっている。しかし見たのだ。メガロミルミギやフラッドの手による、爛れた壁面をではない。四角く縁取られた、人工の滑らかな壁面をだ。階層を跨いで通風孔を繋げるような馬鹿な話があるか!? しかも管理施設の床にだぞ!? 正気の沙汰じゃない!
ウリエルが穴を抜けて、下層の床に叩き付けられた。俺の予想が正しければ、第三層は居住区のはずである。混乱した頭を周囲に巡らせて、辺りの反響を拾ってみた。モニタに浮かび上がったのは、ミューセクトの卵で足の踏み場もない部屋だった。
床、壁、天井。場所を問わずにビリヤード玉ほどの球体が、びっしりとへばりついている。卵の大多数は手榴弾に引き裂かれて、粘液と幼虫の死骸をこぼしていた。しかし難を逃れた卵も少数ながら存在し、怪しい胎動を続けているのだった。そうしないと汚染で膜が張られ、窒息してしまうが故の進化らしい。いつ見ても胸糞の悪くなる光景だった。
ウリエルの足元では何かが蠢いている。ちらと視線を落とすと、ペットボトルほどのパノプリアの幼体が、うじゃうじゃと這いまわっていた。
「パノプリアの……巣か……」
俺は嫌悪感に身を任せて、パノプリアを踏みつけた。生まれて間もない幼体は、いとも簡単に潰れて、床に溜まる汚泥に混じった。多分この汚泥は――モスマンの糞と、奴らが作った肉団子が混じった物だろうな。パノプリアはこれを糧に成長し、上層へと這いあがる。そしてモスマンに使役されていた訳か。
俺は乾いた笑いを浮かべた。出来過ぎている。床に転がるトゥームビルダーを拾い上げて、ふら付く足取りで廊下へと出た。俺はもはや解放されているドアに、疑念を抱く事すらなかった。
廊下はやや大きく、キャリアが二台並んで走れそうなほどの幅があった。長さはこのエリアを縦断しそうなほどの勢いで、エコーロケーターの届かない彼方まで続いている。ふと床を視線で撫でると、そこかしこにパノプリアの抜け殻が散乱しているのだった。
ミューセクトの気配はするが、脅威を感じるほどではない。俺は二つ目のリンボガスタンクを切り離し、ここで散布することにした。任務完了まであと二エリア。
俺は呆然としながら、次のガス散布場所――Eエリアのある北へと足を引きずっていった。道すがら両サイドに並ぶ、開け放たれたドアの中を覗き込む。いずれもパノプリアの卵で埋めつくされており、家具の類は見当たらなかった。部屋の天井をチェックすると、場違いな通風孔が口を空けている。これらも第二層のバイオプラントに繋がっているのだろう。
俺がよろけて近くの壁に寄りかかると、虚しい反響が耳朶を打った。どうやら壁内はがらんどうで、生活に必要な配線すらしていないようだ。これは居住区と言うより……もはや――
「檻だ。ミューセクトを閉じ込める……檻だ」
俺はふと思った。第三層にミューセクトを保管し、二層に栄養源であるバイオプラントを配置する。ミューセクト共は生態系を形成しながら、上層を目指して繁殖していくわけだ。第一層にインフラがあるのなら、光合成によるエネルギー生産施設もあるのかもしれない。増殖したミューセクトは、さらなる栄養を求めて地表に近づいていく。
「ククク……嘘だと言ってくれよ……何でこんなに辻褄が合うんだ……」
光合成によるエネルギー生産には、植物が欠かせない。するとどうだ? バイオプラントを覆い隠す、不自然な巨木にも説明がつく。こいつはミューセクトが増殖するまで、その存在を隠蔽するにももってこいだ。
「嘘だと言ってくれぇ!」
何でこんな事をするんだ? どうして。戦友は新たな戦場を夢に見て、眠りについたのではない。安息を求めて、生き抜いたはずだ。なのにどうして。俺の虚しい問いかけが、廊下にこだまする。
『ナガセ。ユートピアは実現すると思うか?』
アロウズが呟いた。俺は不快感を堪えられず、音を掻き消すために壁を殴った。壁はいとも容易く裂けて、がらんどうの中身を露わにした。むしゃりと、ドラゴンが俺の心を食い千切った。
『何も協力をしていないじゃないか』
俺は逃げるように廊下を走り出した。高速で過ぎ去っていく部屋の中には、グロテスクな卵で溢れている。俺の狂気が加速していく。
『救えねェ。人類は繰り返すのさ』
「黙れェェェ!」
行く手に廊下を遮る、巨大な影が見えてきた。突進を続けるとモニタの像がハッキリとして、パノプリアの成体だと判明した。大きさはメガロミルミギ大ほどで、身体をうねらせてこちらに近づいている。俺はトゥームビルダーのトリガーを絞りながら振り回し、先端に短刀を展開した。そしてパノプリアに肉薄すると、切っ先を振り上げてその脳天に叩きこんだ。短刀はパノプリアの頭を潰して深く突き刺さり、トゥームビルダーから分離した。
俺はトゥームビルダーを振り切ると、失速したパノプリアを踏み越えて猛進し続けた。背後で巻き起こる爆風を追い風に、パノプリアの徘徊する回廊を疾走していく。やがて別エリアへの連絡路へと到達し、俺はEエリアへと突入した。
「あ あ あ あ あ あ ッ ッ ッ!」
知らぬうちに咽喉からは、絶叫が迸っていた。俺は……俺は……もはや自分が人なのか獣なのか、分からないほど逆上していた。




