回帰-1
エアロックを埋め尽くしていたダミーバルーンはすでに萎みはじめ、たるみが目立つようになっていた。エアロックとダミーバルーンの隙間からは、汚染物が黄土色の粉末となってこぼれはじめていた。
想定していたよりも、ダミーバルーンの損傷が早い。おそらくミューセクトが、エアロックの近くにたむろしている。
俺はダミーバルーンにウリエルの手を押し当てると、指先の電撃端子から放電した。絶縁素材で作られたダミーバルーンは、瞬く間に白熱化していく。やがて発火したかと思うと、炎は瞬く間にバルーン全体へと広がっていった。数秒も経たないうちにダミーバルーンは消し炭となり、微量の灰となって姿を消した。
暗い口を開けるエアロックの奥に、バイオプラント内部への通路が見える。通路はまるで土砂が詰まっているかのように、汚染空気の濃い霧がかかっている。俺は意を決するとウリエルを駆って、霧の中に身体を突っ込ませた。
汚染空気が全身を包み込んでいき、視界が黄土色に染まっていった。それだけではない。メインカメラに汚染物がこびりつき、モニタに表示される映像が真っ暗になってしまった。
俺はモニタに表示する情報を、カメラからエコーロケーターに変更した。ウリエルの全身に装備された超音波発生装置が作動し、コンピューターが反響を元に外界の景色を生成する。同時にウリエルの身体から、鳥の群れが一斉に囀るような異音が鳴りはじめた。ウリエルに電磁吸着した表面剥離装甲が、超音波で共鳴しているのだ。
モニタにはバイオプラントの廊下が、モノクロの輪郭で映し出されていた。景色は白黒の濃淡によって、立体感と距離感が表現されている。残念ながら細部は省略されて分からないうえ、共鳴のノイズで輪郭には歪みが生じた。それでも行く手の通路を塞ぐ、三体のメガロミルミギは視認できる。俺は疾走しながら、背部ラックのトゥームビルダーを手に携えた。マスターアームオン。トゥームビルダーの安全装置を解除する。巨大なチェーンソーの刃が高速回転し、モニタに走るノイズが一層ひどくなった。
俺はちらつく画面の中で、狼狽えて旋回する虫どもに狙いを定めた。廊下の幅は三メートル。十分に振り回せる広さだ。トゥームビルダーを中段に構えて力を込めると、先頭の一匹を薙ぎ払った。メガロミルミギの頭部に回転する刃が食い込み、肉を細切れの飛沫に変えて消し飛ばした。俺は疾走を緩めずに、頭を失くしたメガロミルミギを踏み越えた。そして振り切ったトゥームビルダーの勢いをより加速させて、大きく回転しながら奥の二匹に切りつけた。確かな手応えと共に、トゥームビルダーが押し戻されそうになる。俺はウリエルに力を込めて、がむしゃらにトゥームビルダーを押し切った。固体と液体が混ざり合う下品な音と共に、辺り一面に肉片と昆虫の足が飛び散った。二匹のメガロミルミギは腹部を残して削りとばされ、びくびくと痙攣しながら床を転がった。
俺は直線の通路を駆け抜けて、バイオプラント最初の部屋へと進入した。突然モニタに映し出される景色が、自分の周囲を残して白く染まってしまった。これは超音波の反響が拾えないため、映像が生成できずに起こる現象だった。どうやら広いホールに出たようだ。俺は一旦足を止めて、モニタを埋め尽くす白を見つめた。
バイオプラントが、どういう構造をしているかは知らない。だがドームポリス系の建造物は、大抵が玉ねぎ皮の階層構造をしている。例え汚染が外周を侵食しても、階層を閉鎖することで内部を守るためだ。入り口の通路を抜けてすぐに巨大なホールがあるのは、明らかに異質な構造だった。
「どういうことだ……」
俺は生成された映像である足元の床と、虚空である白との、境界線に視線を注いだ。写っているのは、ただの滑らかな曲線だけだ。エコーロケーターでは実像が簡略化され、輪郭でしか再現されない。視界は確保できても、観察はできないのだ。その境目が廊下の端か、破断面かを判断するのは難しかった。俺は屈みこんで、境界線に触れようと手を伸ばした。
どんと、肩に何かがのしかかってきた。警報がウリエル内に鳴り響き、表面剥離装甲が被害を受けていることを訴えてくる。肩の異物の大きさは水筒ぐらい、重さは……赤ん坊程度か? 天蓋にこびり付いた汚染物が、ジェル化して滴り落ちたのかもしれない。俺は落ち着いて身体を揺すり、装甲の表面ごと降ってきた異物を床に落とした。俺は異物をモニタに捉えて、ぎょっと目を見開いた。
床の上にはアルミ箔にまみれた、巨大な蛆が蠢いていたのだ。フラッド(洪水ナメクジ)――ナメクジのミューセクトだ! 身体の節から腐食性の粘液を分泌し、大地にアリの巣状の巨大な巣を作ることで有名である。粘液は金属をも腐食させて、奴らは場所を問わずに坑道を作りだす。そして出来上がった構造物は、他のミューセクトが好んで利用した。
つまりミューセクトはバイオプラントの殻を破って、外へ進出しようとしていたのだ。
「この巨大な空間は、フラッドが作った巣の一部か」
フラッドは地中に住むため、宙に浮く人類の構造物に入り込むことはあり得ない。やったのが神様か人間かは、この際どうでもいい。何てことしやがるんだ。フラッドがいたのでは外から開けなくても、いずれ内部からミューセクトが放出されただろう。このバイオプラントは、巨大な環境破壊爆弾と化していたのだ。
封鎖はできない。それどころかバイオプラントのミューセクトを、一匹残らず駆除しなければ。俺はウリエルのヴェトロニクスで、リンボガスの詰まった増槽をチェックした。タンク一つの容量は五百リットル。四本用意したから合計二千リットルだ。それぞれウリエル尾部の、パイロンに取り付けられている。
当初は侵入経路から一階層下った場所でガスを散布し、十分に浸透してから探索することを計画していた。使用目的が敵の弱体化だったからだ。しかし駆除が目的となると、バイオプラントの各所で散布を行う必要がある。
「足りるか……?」
俺が思考に耽っていると、不意にウリエルの足元が沈下した。ウリエルのバランスが崩れて、俺は機体の膝を床につけてしまう。その衝撃は廊下全体に伝播して、瞬く間に足場が崩れ去った。ウリエルが虚空に包まれ、モニタが真っ白に染まった。俺は真っ逆さまに、バイオプラントへと落ちていった。
「しまっ――」
落下する俺と並んで、フラッドの雨が降り注いだ。恐らく天井や、廊下の裏に潜んでいたのだろう。俺も鈍ったものだ。フラッドがいたのなら、周辺の地形が脆くなっていると推測すべきだ。その場に留まらず、いったん退避するべきだったのだ。
俺は落下しながら、なんとか姿勢を立て直す。そして何とか脚から着地して、衝撃を殺すために転がった。落下までの時間は約三秒。推定落下距離は四十メートルぐらいだ。床に叩き付けられた際の金属反響を察するに、まだまだ下には階層があった。
今回は解決を急いだため、碌な調査をしていない。戦いながら状況を見極めるしかなかった。達成目標はマリアの治療に必要な物資の回収と、ミューセクトの根絶。そのためにまず知るべきは、バイオプラントの全容を把握することだ。
「ECOが建造したドームポリスで、楕円形をしているのは中国製のみだ。四十メートル落下しても、反対側の外殻に達しない所を見るに、一番大きなサイズの赤亀か、その一個下の黄亀がベースだな」
中国製の亀型ドームポリスは、中心のコアから全体を四エリアに分割して構成されている。コアにはバイオプラントのマザーコンピューターと、リアクター、インフラの大元があるはずだ。そしてコアを取り巻く四つのエリアが、バイオプラントの生産施設になっているはずだ。
落ちた場所はエリアの一つ。バイオプラントの西側なので、便宜的にWエリアと呼称する。 俺はエコーロケーターで、周囲の様子を探ってみた。真っ白なモニタに、徐々に外の景色が生成されていく。やがて映し出されたのは、辺り一面に散乱する棚の残骸群だった。棚は全て同じ規格の物らしい。四つの段が備えてあり、それぞれ配線の繋がったプランターと、給水装置らしきパイプが収めてあった。棚の損傷は激しくほとんどが倒壊しているか、足が折れて傾いているのだった。
「植物の生産プラントか……」
目的の食肉プラントは、一体どこにあるのだろうか。常識で考えれば、エリアごとに生産機能はまとまっていない。そんなことをすれば一つのエリアが汚染されただけで、機能不全に陥るからだ。と言う事は食肉プラントを求めて、エリアを練り歩く必要がある。
「このバイオプラントが赤亀か黄亀かだけでも見分けないと――エリア同士を繋ぐ連絡路の規模で、型式が分かるはずだ。そうすれば現在地の把握に役立つ」
バイオプラントのベースが赤亀なら、全長一.二キロの巨大建造物を彷徨う事となる。しかし黄亀なら、全長八百メートルだ。距離にしては約一.五倍、体積にして二倍の違いが生まれてくるのだ。作戦時間が長引くほど、俺の生存率は下がっていく。はっきり言うがミューセクトの巣内では、一時間後の生存確率はゼロなのだ。
連絡路に行くため数歩走ったところ、床に無数の大穴が空いていることに気が付いた。フラッドが作った坑道だろう。俺がそう思った瞬間、近傍の大穴からメガロミルミギが、ひょっこりと頭を出した。
「野郎……すぐ下に巣を構えてやがったかッ……」
メガロミルミギは首を巡らせながら、震角を数回打ち鳴らした。そして侵入者である俺を捉えると、震角で特徴的なリズムを刻んだ。
胆が冷えて、胃袋が浮き上がった。エコーロケーターで確認した全ての大穴から、メガロミルミギが続々と這い出てきたからだ。メガロミルミギは一糸乱れぬ隊列を組んで、真っ直ぐに俺へと突撃してきた。そしてウリエルを押し潰さんばかりに取り囲むと、機体の四肢に食らいついて地面へと抑えつけてきた。
所詮デカくなっただけの蟻で、戦法は変異前と変わらん。獲物の足を抑えつけ、動けなくしたところを噛み砕く。そして巣へと運んでいくのだ。
俺はリンボガスの散布を開始した。液状のガスがスラスターから噴きだされ、即座に気化して汚染空気に混ざっていく。そうしている間にも、メガロミルミギの猛攻は激しさを増した。手足は完全に動きを封じられ、関節にメガロミルミギのあぎとが食い込んだ。このままではガスの効果が表れる前に、俺は寸分に噛み砕かれてしまう。
俺は表面剥離装甲を、一層全部切り離した。アルミ箔が装甲から分離して、突き立てられたメガロミルミギの牙が滑る。俺は拘束から逃れて、群がるメガロミルミギを蹴散らそうと、手にしたトゥームビルダーを振り回そうとした。しかし間髪入れずに別のあぎとが、ウリエルの四肢に食らいついた。俺はろくに身動きをとれぬまま、再び床に抑えつけられた。
数が多すぎる。すっかり取り囲まれてしまったようだ。このままでは死ぬ。
「仕方あるまい――!」
俺はもう一層、表面剥離装甲を切り離した。アルミ箔がエコーロケーションを阻害して、視界が黒く染まっていく。俺は一度、強烈な超音波を放射してから、ウリエルの電撃端子で放電した。
超音波がアルミ箔を粉砕し、紫電がアルミ粉末に火を点けた。瞬間凄まじい閃光が巻き起こり、群がったメガロミルミギが仰向けになってひっくり返った。
表面剥離装甲を活用した閃光弾だ。ミューセクトは処理できないほどの光を直視して、気を失ったのだ。アルミを使用しているので明度は低いが、モグラ同然の生活をしているミューセクトにはよく効いた。
俺は拘束が解けると、閃光で怯んでいる目の前のメガロミルミギを蹴りとばした。包囲網に針に通す穴のような、小さな隙間が生まれた。俺は急いでウリエルを隙間に捻じ込むと、メガロミルミギの囲いから脱した。
ウリエルの計器に目を通しながら、とりあえずWエリアの南東へと疾走した。その先には仮称Sエリアへの連絡路があるはずだ。俺が通った後にはリンボガスが尾を引いて、薄い白濁色の線が伸びた。それをしるべにして、ぞろぞろとメガロミルミギの群れが追ってくる。進行先で口を開ける巣穴からも、メガロミルミギが先回りして這い出てきた。
俺は襲いかかるメガロミルミギだけをトゥームビルダーで薙ぎ払い、袖下ショットガンではね飛ばした。百メートルほどを駆け抜けて、返り討ちにしたメガロミルミギは十を越えた。
その時。変化が訪れた。
俺が通り過ぎた空間から、妙なラップ音が立て続けに聞こえてきたのだ。俺は恐る恐る、モニタで背後を確認した。モニタには迫りくるメガロミルミギと、空中で小爆発が乱発する様子が、克明に表示されていた。やがてメガロミルミギたちは失速し、脱力して床に頭を擦った。俺は走る速度を緩めると、ゆっくりと背後を振り返った。
立ち尽くす俺の前で、メガロミルミギには様々な変化が起こっていた。とあるメガロミルミギはひっくり返って、呼吸に喘ぐように脚をばたつかせた。別のメガロミルミギは頭部が腐り落ちて、残った胸から下を激しくよじらせていた。そしてあるメガロミルミギは、幻想に狂って味方の腹に牙を立てているのだった。
俺は生唾を飲み込みつつ、怖気に数歩退いた。程なくして警報が俺の鼓膜をつんざき、ウリエルの左腕が被害を受けていることを知らせてきた。俺が震えを堪えてきつく手を握りしめると、腐食した左手の装甲から金属粉がこぼれていった。
大戦中――
国際連合は汚染環境下で使用可能な、ガス兵器の開発を迫られた。従来のガス兵器は大気中の汚染物と反応してしまい、敵を加害する前に効力を失ってしまったからだ。科学者は汚染物に反応しないガスの開発に着手したが、その研究はすぐに行き詰まったそうだ。何故なら汚染物は加害対象である領土亡き国家や、ミューセクトの体内にも含まれており、対汚染性のガスはその威力が減少したからだった。さらに汚染物は空間ごとに異なり、ガスに全ての汚染耐性をつけるのは不可能だった。
悪魔が生まれた日、とある男の科学者が言った。
「それならば、汚染空気と反応するガスを作ろう。ガスそのものは無害だが、大気中の汚染物と反応することで、殺傷能力を持たせてはどうだろうか? 汚染空気が毒ガスに変化したのなら、殺傷範囲は格段に広がる。そして使用環境を選ばない」
完成したガスは汚染空気に反応して、七種類に変性した。血液剤(細胞呼吸の障害)。びらん剤(皮膚の爛れ)。神経剤(神経伝達障害)。窒息剤(呼吸器障害)。嘔吐剤、催涙剤(呼吸器の刺激)。無力化剤(幻覚作用)。
科学者は言った。まるで虹のようだ。それはすぐにガスの名前となり、大量に生産され、前線へと配られた。
ガスシリンダーには、虹色の風と銘が打たれた。
戦場でガスは七色に変性し、この世とあの世をまたぐ橋をかけた。幻想的な虹の中で、生命は踊り狂った。
ガスが何に変性したかは、侵されないと分からなかった。故に多くの人類同胞が、糜爛変性ガスによって蝕まれた。
空より虹の詰まったシリンダーが落とされ、兵士たちは魔法の国に赴く。自らが侵されないよう祈りながら、狂気の進軍が始まるのだ。腐食性糜爛ガスで、ライフスキンごと腐り落ちる者。粘着性糜爛ガスで、生きた彫像になった者。彼らを横目にしながら、兵士たちは言った。まるで地獄のようだ。それはすぐにガスのあだ名となり、瞬く間に広がった。
俺たちはガスを、辺獄の風と呼んだ。




