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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目前半【ECO編】
167/241

戦恐-6

 リリィの運転の腕は、相変わらず最高だ。揺れが少なく、いきなり加減速もしない。おまけに急ハンドルを切る時には、通信で注意を入れてくれる徹底ぶりだ。俺は機動戦闘車の荷台の中で、暗闇と静寂に微睡んでいた。


『LWから指揮車へ。前方に異形生命体の群れを確認。構成はマシラ四匹、ジンチク十五匹から二十匹。ムカデが十匹未満。判断を仰ぐ。オーバー』


『指揮車から各員へ。前方の異形生命体を迂回する。進路修正二時の方角。本隊が異形生命体を迂回し次第、本来の行軍ルートへと復帰する。以上』


『了解』『了解』『了解』


 オープンチャンネルからウリエルを介して、彼女たちの通信が流れ込んでいた。俺は専用の回線を使う様に、彼女たちに教えていた。つまりアジリアかサクラの判断で、オープンチャンネルを使っているのだろう。俺がヘマを見つけたら、諌めて欲しいに違いない。しかし今はそれどころじゃあないんだ。


『こちらスネークヘッド。スケープ・ゴート。そろそろ出番だ。囮になる準備はできたか?』


 俺の耳元では、アロウズが侮蔑たっぷりに囁いている。誰かに殴られたのか、唐突に頭に衝撃が走った。驚いて辺りを見渡すと、汚いひげ面が俺を見下していた。


『返事をしろよ黄色いの。隊長殿が口を利いて下さっているんだぞ?』


 ダンのクソヤロウめ……もう一回殺してやるからな。


「マム……イエスマム……」


 俺は上の空になって、アロウズに返事をした。ずっとこの調子だ。俺はウリエルの内壁に、思い切り頭をたたきつけた。幻聴を無視しても、答えるまでしつこく迫ってくる。しかし相手にすると、より現実に近づいて囁いてくるのだ。


 確実に覚醒剤の副作用だな。使うんじゃなかった。後悔してももう遅い。


 受け答えを数回繰り返しただけで、囁くだけだった声は肉と息吹を得た。今や俺だけしかいないはずの荷台では、かつての仲間が自由に闊歩し、悪罵をぶつけてくるのだった。俺の注意は完全にアロウズたちに奪われて、クロウラーズの通信はラジオのノイズ以下の価値しかなかった。


『あーあ。早くおっちんでくれねぇかな?』『ねー。アッチもソッチも役立たずじゃねぇ』『お前生きる無駄。お前配給。私らで使うね』


「生き残ってやる……生きて帰るんだ……皆でユートピアに行くんだ……」


 必死に生に縋る俺を、アロウズが嘲笑する。


『手柄? 貴様には不要だろう。報告書を書き直せ』


 手柄なんてくれてやるさ。お前は讃美者と呼ばれて、一生戦場で遊び続けるがいい。俺には帰る場所があるんだ。皆が待っているんだ。


「帰るんだ……絶対に帰るんだ……オリミヤが……皆が待ってるんだ……」


 うそぶくと、唐突にリタが、真横から俺の顔を覗き込んできた。俺が驚いてすくんで見せると、彼女は満足そうに鼻を上向かせて笑った。リタはそのまま、どこか淫靡さを漂わせるステップで、俺の正面へと躍り出た。


『オリミヤはあなたを待っていないわ。彼女はあなたを忘れて、先に進んだのよ。もう何回も教えたじゃない』


「うるさい! 黙れ!」


『人……攻……機……?』


 アロウズたちとの会話に混じり、妙なノイズが走った。


『こちら指揮車リーダー。通信は簡潔な内容で、明瞭な発音を持って行うこと。もう一度繰り返せ! 何がどうした!?』


『こちらLW! 人攻機を視認! 繰り返す! バイオプラント周辺にて、人攻機を視認した!』


『何だとぉ!? 詳細を早くしろ!』


『数は四。陣形はアローヘッド。躯種は……クレイモアだ! AEUの国籍標識をつけているぞ!』


『刺激するな! 銃は持ったままでいろ! だが決して銃口は向けるな! 向こうはどのような様子だ!?』


『全員戦歩ライフルで武装していやがる……でも銃口は下に向けているな。頭部スポッティングライフルも展開していない。今すぐは攻撃されないみたいだが……だが……だが怖ェ。殺されるかもしれねぇ。頼む! 早くナガセを呼んでくれ!』


『しばらく堪えろ! お前らが手出ししなければ攻撃はされん! そして弱みを見せなければつけこまれることもない! プロテア頼むぞ! ロータスを抑え込んで余計な真似はさせるな!』


『オッケェ……ロータス! 相手をリリィだと思って、いつもの調子で頼むぜ!』


『おいやめろ。イジメたくなっちゃうじゃないのよん』


『アジリアからナガセへ! AEUの人攻機と遭遇した! 至急対応を求む!』


 ラジオではドラマが盛り上がっているようだ。うるさいので切ってしまいたいが、どこにスイッチがあるのか分からない。俺はノイズを聞き流しながら、目の前で煽りたててくるリタを睨み付けた。


「オリミヤねぇ……あの女。ちゃあんと私がサヨナラ言ってあげたじゃない。もうどれだけ電話しても、あの子は出ないのよ」


 俺の身体に、激しい不安と衝撃が走った。おかしいと思っていたんだ。織宮からは四半期に一回、必ず子供たちの近況を収めたメモリを添えて、便りが送られてきたのだ。それが急に途絶えたのは、貴様のせいだったのか!


「どうして……どうしてそんなことを……!」


「あんた馬鹿でしょ? 配給のほとんどを遠距離電話に費やしてまで縋っちゃってさァ。古い女のことは忘れなよ。私が相応に可愛がってあげるから」


 リタは俺がくれてやった、ダイアの指輪を見せつけてきた。


「テメェなんかにくれてやるんじゃなかった……殺してやる……殺してやる」


『ナガセ! 応答しろ! おい! ふざけるなよ貴様! 返事をしろこの馬鹿! くそぉ!』


『ナガセは? こっちはもう待たせらんねぇ。連中は外部スピーカーで、さっきからずっと交渉を呼びかけてくれている。だけどイラついてきているみたいだ。俺だってそうなるぞ。罠を仕掛けられるかもって、疑っちまうからな』


『さっきからナガセを呼んでいるんだ! でも応答がない! リリィ! 叩き起こして来てくれ!』


『ナガセ! どうしたの!? AEUだよ! 交渉をお願い!』


 荷台の運転席側から、ガンガンと壁を叩く音がする。ラジオの通信障害だろうか? スイッチを切りたい。本当にどこにあるんだ。


『ダメ! 荷台の内側から鍵がかかっていて開かない!』


『おおぉーっと……連中我慢の限界を迎えたみたいだぜ……スポッティングライフルが展開した。早くしてくれ!』


『でもナガセがいないと……私達は……』


『サクラ……もういい。私が……交渉する……!』


『あなた! 勝手な真似は――』


『今は私が指揮官だ! プロテア。向こうが指定した回線は?』


『今送るよ――おい待ってくれ! 今からこちらの指揮官が交渉に応じる! ちょっと待ってくれ! ふー……話の分かる奴で良かったよ……まったく……』


「俺の心の拠り所を奪いやがって……たった一つの拠り所を……故郷を……このアバズレがァ!」


 俺は溢れ出る怨嗟を腕に込めて、リタへと殴りかかろうとした。リタは怒り狂う俺を目にしても、どこ吹く風と言った様子だ。彼女は肩をすくめると、どこからともなく一冊のスクラップブックを取り出した。そして流れるようにページを捲り、二四ページを開いた。


「でもあんた。調べちゃったんでしょ?」


「知らんぞ……何だそれは!?」


 そのスクラップブックは存在しないはずだ。存在してはいけない物だ。何でお前がそれを持っているんだ。当惑が俺を包み込み、見えない枷となって手足を抑えつけた。


 俺が怯むと、リタは顎に指を当てて満足そうに笑った。そして開いたページを、目の前に突き付けてきた。


「とぼけちゃってぇ。自分で作った癖に。オリミヤ・イツカの検死報告書よ」


 内容を思い出す前に、突き出された本を払いのけた。


「そんなわけない。彼女は生きているはずだ!」


「私が電話したころには死にぞこないだったのよ。かあいそーに。兵士にレイプされちゃってまぁ。少女の心をした繊細なあんたが知ったら、呆然自失で戦場に出て、殺されていたでしょうねぇ。だからサヨナラしたって言ってあげたのよ」


 そんなの……まるで俺を守る、優しい嘘をついたみたいじゃないか。全く理解できない。お前は他の連中と一緒に、俺がくたばるのを心待ちにしていただろう!? だから俺も、お前を喜んで殺せたんだ!


「どうして……どうして……どうして……」


 俺は放心して疑問を重ねるが、リタはクスクスと上品に笑うだけだった。


『AEUに告ぐ! 我々はクロウラーズ! 人類からはぐれた避難民である! 我々に交戦の意思はない! 話し合いを求めたい!」


『我々はAEUフランス・オクシタニードームポリス所属の、オクシタニー防衛軍第三機動部隊である。私は部隊長を勤めている、セドリック・フーシェ中尉だ』


『フーシェ中尉殿、私はクロウラーズのこの部隊を指揮している。アジリアと言う者だ。話し合いに応じてくれた事を感謝する。繰り返すが我々は貴君らと交戦する意志はない。我々が武装しここにきているのは、毒物が積載されたバイオプラントに対応するためである』


『そのようだな……我々も森林から動物が失踪する異変を調査して、毒物の発生源であるこのバイオプラントを突き止めたところだ』


『そうか! なら話は早い。バイオプラントには汚染された空気が充満しており、正直我々の手に余るのだ。協力して事の解決に当たりたい!』


『しかしだな――同時に疑問が三つある。一つ。何者かが我々の偵察衛星を破壊したこと。一つ。この森を中心に、AceLOLANが展開されていた事だ。よって我々は慎重な行軍をとらざる得なくなり、事態の把握が遅きに失したのだ。この二つは君たちクロウラーズの所業かね? 確認したい』


「キョウイチロー。あなたは変わったわ。生贄の羊から、最強の獣へと。同時に私達だって、変わる可能性を秘めていたのよ?」


 長い沈黙の合間を縫って、リタは言った。


『偵察衛星もAceLOLANも、貴君らの動向に起因する事象だ。貴君らが我らの偵察衛星を破壊しなければ、自衛に報復することはなかった。AceLOLANの展開もなかった。むしろ我々が貴君らの暴挙を問い質したいぐらいだ』


『成程……では三つめの疑問であるが、貴君らが忌々しき領土亡き国家のクソ共ではないという証拠はあるのかね?』


『何を言う!? 今はそれどころの問題ではないのだぞ!?』


『偵察衛星の破壊とAceLOLANの展開は、我々にその疑念を抱かせるに十分すぎる。繰り返し問う。貴君らが領土亡き国家ではない、証拠はあるのかね? 国際連合に割り当てられた、コードの提示を求める』


『……残念ながら、コードは紛失した。互いが潔白である証明は、後ほど時間ができた時にすればいい。我々にはユートピアを脅かす、バイオプラントに対処する義務がある。違うか?』


『クハハ……話にならんなアジリア殿。私が考えるに――バイオプラントの件は、貴君らの動向に起因する事象だ。貴君らは我々とバイオプラントを共有する機会があった。しかし貴君らは偵察衛星を破壊し、レーダー網を張り巡らせて、我々を阻害した。そして占有に走ったのだ』


『何が言いたい……?』


『これは貴君らが始めた事だ。よって貴君らで対処すべき事象である。我々は撤退する』


『耳が遠いのか、目が悪いのかは知らんが中尉殿。今まさにバイオプラントから、毒が溢れようとしているのだぞ? 悠長な事を言っている暇はないと思うが……?』


『もし貴君らが、我が人類同胞が血肉を払って築き上げた、ユートピアを汚染したとしよう。貴君らは最早、救助すべき難民ではない。侵攻する領土亡き国家である。我々は貴君らクロウラーズに宣戦を布告し、その邪な思想ごとこの地上より抹殺するだろう。撤退は我々の決断であるが、宣戦布告はオクシタニードーム・ポリス議会の事前の決定である。それを忘れないように』


『おい待て! 話はまだ終わっていないぞ!』


『我々は一時撤退する……ちなみに――AceLOLANに接触すると、どのような攻撃がなされたのかね?』


『長距離弾道ミサイルが、発射される予定だった。弾頭を搭載しない、警告ミサイルがな』


『フン。どうだか。きた時同様、ひっそりと帰ることにしようか』


 重い地響きが、遠ざかっていく。音に合わせて、リタも数歩遠ざかった。


「時間よ。レッド・ドラゴン。あなたの大好きな殺戮の時間。それともどうする? 私とこのままおしゃべりを続ける? あなたに真実と向き合う勇気はあるかしら?」


 そんなのはごめんだ。俺が赤い竜になったのは、正当な理由があったからだ。お前と時間を無駄にするくらいだったら、俺は今すぐにでも戦いたい。


 足に力を込めて立ち上がった。ウリエルを荷台に固定するハーネスが、留め金の位置で壊れて弾け飛んだ。タシッ、タシッと、蒸気が地面に叩き付けられるような、独特な足音が密室に響く。俺は目の前で踊るリタを振り払いながら、暗闇を出口目指して手探りで歩いた。


『クソ! 最悪の第一印象だな……』


『勝手なことして……私は責任を取れないわよ……』


『サクラ! だったらお前は隅っこで震えていろ! どけ!』


 外が騒々しいな。目的地のバイオプラントに辿り着いたに違いない。俺は荷台の出入り口である、ハッチのロックを乱暴に解除した。そして開閉レバーを握りしめた。


「ね。キョウイチロー」


 ハッチを開けると、外界の光に包まれてリタの姿が薄れていく。彼女は消え際にこうささやいた。


「本気で人を愛したことはある?」


 機動戦闘車の荷台から飛び降りて、空を見上げた。世界は赤く染まり、まるで天が血の涙を流しているようだった。夕日は森林の枝葉に遮られ、拝むことはできない。それでよかったのかもしれない。黄昏は今よりも、俺の気分を暗くさせただろうから。


 ウリエルのコンディションを確認する。システムオールグリーン。頭部サブマシンガンOK。胸部近接防護散弾OK。スモークディスチャージャーOK。両腕炸裂式短刀OK。袖下散弾砲OK。増槽プロペラントタンクを確認。充填されたガスはいつでも噴射できる。背部ウェポンラックに武装を確認。コードからトゥームビルダーと判明。機体表面の表面剥離装甲をチェック。問題ナシ。


 正面には作戦区域である、天を衝く壮大な巨木が見えた。俺は巨木の下に身体を横たえるバイオプラントに入るため、侵入経路である根の洞窟へと足を進めていった。


「今になってご登場か! 随分早いお出ましだな! おい貴様! 何でお……うと……ぅ……」


 脇から躍り出て来た小娘が、俺の行く手を遮ろうとする。俺は即座に火器管制を起動させて、頭部サブマシンガンの照準を小娘へと向けた。幸運にも鉛弾で引き裂く前に、別の黒い小娘が飛び出してきて、彼女を俺の進行路から引きずり出した。


「アジリアやめろ! 今機嫌を損ねたら……間違いなく殺されるぞ」


 邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな。


 俺は荒々しく大地を蹴りつけながら、根の洞窟を下っていく。そしてダミーバルーンで密閉された、エアロックの前に佇んだ。

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肝心な時に役に立たねえ……
[良い点] 凄い面白いし、読みやすい文章なので 引き込まれて一気に読んでしまった。 [一言] 教師時代の同僚の女の子の殺され方が ちょっと辛すぎて続きを読むのは少し時間をあけないと難しそうです笑
[一言] これは最悪のタイミングだったのか、 それとも奇跡的な神回避だったのか 向こうがナガセを遺伝子補正プログラムを届けた英雄と見なすか、殺戮者と見なすか 判断付きませんね……
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