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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目前半【ECO編】
166/241

戦恐-5

 ナガセが部屋を出て数分後、私は身を潜めていたクローゼットをそっと開いた。蝶番は音を立てることなく、滑らかに開いていった。ナガセのクローゼットは、全く使われた形跡がない。中にはかなりの埃が積もっていて、扉が生んだ僅かな風に舞いあがった。私は埃に軽くむせながら、部屋へとゆっくり進み出た。


 軽く咳込むと、タクティカルベルトで体に巻いた荷物が軽く揺れた。私は呆然としながら、保管室とナガセの部屋を隔てるガラスを見つめた。そこには佇む私の姿が、うっすらと反射していた。


「何してるんだろ……私……」


 伸びることのない金髪が、荒れて跳ねている。最後に櫛を手にしたのは、いつだったろうか。お化粧するために鏡を見なくなってから、久しい月日が流れたことを、顔にへばりつく垢や血が教えてくれた。


 服装もかなりダサいんデスケド。あれだけ嫌いだったライフスキンに、袖を通しているだけではない。身体に巻いたタクティカルベルトには、嫌と言うほど爆弾をぶら下げているのだ。


 裁縫と化粧が好きな女の姿は、どこにも見当たらない。もはや私はかつての片鱗を、探すのが難しいほど変わり果てていた。


 自分を見つめ続けることができなくなり、その手へと視線を落とした。力を込め過ぎて白くなった手には、起爆装置が握りしめられている。親指に力を入れるだけで、ナガセを部屋ごと吹き飛ばせたのだ。そうすれば支配者がいなくなり、危険へと突き進むこともなくなっただろう。そして皆が平和に暮らせる、ユートピアへと辿り着けるはずだった。


 でも実際はどう? 私は起爆装置を握りしめるだけで、結局終りを迎えることができなかったのよ。思いとは矛盾する行動に、歯がゆさを通り越して苛立ちすら感じる。私は唇を強く噛みしめた。


「あなたが始めた戦いなのよ……何を被害者ぶっているのよ……あなたが終わらせればいいだけじゃない……」


 あなたが終わらせないから、私が終わらせようとしているの。傷つき荒んでいく私たちを見もせずに、憑りつかれたように進み続けているのはあなた。私たちに傷つく意味はなく、あなたの苦しみは自業自得よ。私たちを巻き込まないで欲しい。


 沸々と怒りが込み上げてくる。今からでも遅くない。ナガセを追いかけて、起爆装置を押し込もう。私は――私達は、全ての苦しみから解放される。


『偵察隊はプロテアとロータスで担え! 機動戦闘車は俺とリリィだ。リリィ! 運転しろ! 俺は荷台のウリエルで待機する!』


『サー、イエッサー!』


『全員搭乗! 出撃するぞ!』


『サー、イエッサー!』


『作戦開始!』


 厚い鉄扉を貫いて、ナガセとあの娘たちの怒号が聞こえてきた。靴が一斉に床を叩く音が、保管庫内に巻き起こる。部隊の足音がキャリアの中に吸い込まれていくと、間もなくタイヤが擦れる嫌な臭いが漂ってきた。やがてエレベーターに部隊が乗り込む、大きな物音を最後に喧騒は収まったのだった。


 訪れた静寂に、緊張の糸が切れた。私は膝から崩れ落ちると、地面にへたり込んでしまった。時間の経過と共に、気持ちが落ち着きを取り戻していく。人心地がつくと、私はとてつもない自己嫌悪に身を震わせた。


「私って……サイテー……」


 私は自爆して、自分を――みんなを助ける事ができた。それなのに自分だけ助かって、ホッとしているんだ。こんなに恥ずかしいことがあるのだろうか? 私にしかできないことがあるのなら、皆のためにするべきでしょう? それが優しさってものじゃない!


 鬱屈した感情が溜まり、はけ口を求めて心が暴走する。私は手首の包帯を解いて、切り刻まれた生傷をさらけだした。そして癒えかけで体液の浮く傷口に、爪を立てて掻き毟った。削れた肉からどろりと、粘度の高い血がこぼれ出てくる。五体に通う血を目にして、私は少し落ち着きを取り戻した。


 大丈夫。私が痛みを感じる傷は、ここにある。そして私は血の通う人間だ。化け物じゃない。


「私にしかできないのよ……ここまで歪んでしまった私にしか……このままだと私……ナガセみたいになっちゃう……その前に終わらせなきゃ……」


 ナガセが帰って来るまで、もうチャンスはない。私は鬱陶しい重りとなったタクティカルベルトを、彼のデスクの上に脱ぎ捨てた。


『俺がやるしかないんだ……俺にしかできないんだ……俺がすべきことなんだ』


 不意に私の脳裏に、ナガセが口にした台詞が甦った。私に認めがたい事実が突き付けられる。つまり私はあいつと同じ言葉を口にして、あいつと同じように苦しんだというの? 悪い冗談だ。全く悪い冗談だ。昂ぶりそうになる気を静めようと、血の滴る手首を何度も掻き毟った。


「私はあいつとは違う……あんな化け物じゃないし……イカレていない……あいつとは違う場所で生まれた……全然違う生き物なのよ……」


 ショックだ。私はどんどんナガセと同じ化け物に、近づいていっているようだ。私は血の滴る手首を凝視した。この世界に目覚めた時は、こんな傷なかったわ。痛みに安堵する歪んだ心も、ナガセを殺したいという狂った思いも! 無垢なあの頃に帰りたい! でも帰り道はおろか、昔の私がどんな人だったかすら思い出せない!


 ナガセは……ナガセは……ナガセは何なのよ! いきなり現れて! 私達を支配して! 好き勝手に暴れ回って! この場にいない人間への怒りをぶちまけて、私は棚に八つ当たりをした。棚は衝撃でぐらりと揺れて、収められていた品物が床に散らばった。


 私には分からない。ナガセのことも、あの娘たちのことも、自分のことすらも。不安は津波となって私に襲い掛かり、恐慌の海へと叩き落とした。


 私は救いとなる答えを求めて、棚に縋って激しく揺らし続けた。資料の山が雨となって降り注ぎ、紙が擦れる乾いた音が巻き起こった。異形生命体の記録や作戦概要、訓練内容やらの資料が宙を舞って、床を埋め尽くしていく。


 私は真実が欲しい。ナガセが穢れた汚染世界からやってきて、この世界を破壊しようとしている事実が欲しいのだ。そうすれば良心の呵責に苦しむことなく、安らかに起爆スイッチが押せるに違いない。


 勉強はしたし、ナガセとも話した。だけど答えは見つからなかった。あの人と過去を繋げる証拠を手に入れるには、一体どうしたらいいのよ! そこで私はあることに思い当たり、棚を揺らす手を休めて固まった。


 そう言えば、一つだけある。


 ムラクモ。彼と共にやってきた、巨大な鋼鉄の戦士。そこに彼の本当の過去が、あるかもしれない。


 疲労は重しとなって、私の身体の動きを鈍くしている。緊張で溢れた汗は、身体をびしょぬれにしていた。私は溺れそうになる身体を引きずって、ナガセの部屋を後にした。


 私は保管庫を歩きながら思った。考えてみれば、物凄く人を馬鹿にした行為だ。人の故郷であるゼロは沈めたくせに、自分の思い出であるムラクモはヘイヴンに残したのだから。私は思い出した様に込み上げてくる怒りに、徐々に肩を怒らせながら足を進めていった。


 ヘイヴンの保管庫はナガセの模様替えによって、いたってシンプルになった。まず中央には移動できない、階下へと繋がるエレベーターが三つ並んでいる。そのエレベーターを囲う様に、いつでも動かせる人攻機を収めた駐機所が配置されたのだ。予備の人攻機が寝かせてあるベッドは、駐機所の外縁へとまとめられたのだった。そして最も外側には武器のロッカーや、キャリアの駐車所、特殊格納庫のコンテナが整列する形となっていた。


 私は駐機所の最も隅にある、スクラップが収められているエリアまでやってきた。駐機所の中には格子に支えられて、擱座したダガァやパーツを抜き取られた躯体が、標本死体みたいに保管されていた。


 私は最も損壊が激しく、辛うじて人の形を保っているムラクモの前で足を止めた。頭部は潰れて原形を留めておらず、頸椎部が残骸として残っているだけだ。スリムで無駄のない胴体には、かつて鉄片が突き刺さっていた亀裂が数百以上も走っている。左の手足は押し潰されたのか、無様にひしゃげて捻じれている。右の手足は爆発で砕けた上に、焼け焦げて真っ黒だった。四肢は骨格と補助パーツで、何とか身体にぶら下がっている有様だった。


 引きつけられるように躯体に近寄ると、足が何かを引っ掛けた。足先に視線をやると、ピンク色の工具箱を蹴ってしまったようだ。作業の途中で放り出されたらしく、開いた箱の口から汚れたレンチやタオルが飛び出していた。


 私はレンチを無造作に持つと、持ち手に書かれたリリィの名前をぼんやりと眺めた。リリィがナガセの許可を得て、ムラクモの修理をしている噂は事実なようだ。ナガセを殺しても、この巨人を代わりに崇めるようになったら意味がない。自分を吹き飛ばす時には、ここにも爆弾をセットしておかなきゃだめみたいね。


 私はレンチを背後に投げ捨てて、ムラクモを支える格子を潜りぬけた。めくれ上がった脚部装甲に足をかけて、股下の搭乗口からコクピットの中に頭を入れた。


 ムラクモのコクピット内は、ナガセの体臭と革の臭いがごちゃ混ぜになって、むせかえりそうだった。それに明かりを消した部屋のように暗い。とても物探しができるような環境じゃなかった。


「本当にこう言う時は便利なんだから、嫌になっちゃう」


 私はライフスキンの胸元に手をやり、取り付けられたライトをつけた。光が円形に空間を切り取り、目の前の暗闇から裸の人間を照らし出した。私は驚いてしまい、思わずコクピットからずり落ちそうになる。慌てふためきながら裸の人間を見直すと、それは内壁に貼られた写真だった。


「驚かさないでよ……」


 私は深いため息をつくと、まじまじと写真を観察した。かなり綺麗な人だな――まぁ多分娼婦だから当然か。髪はどぎついピンク色で、肉ののった身体には一糸も纏っていない。彼女は恥部を曝け出すあられもない姿で、カメラの向こうにいる人物に熱い視線を送っていた。そんなのが五、六枚も貼られているのだった。


 この人がアロウズなのかしら? 手に取って詳しく見ると、どうやら違うようだ。写真には手書きで、次のような文句が書かれていた。


「愛してる。あなたの薬指ピンキーより。二〇△×年、デイドリームにて……か」


 私たちに懲罰以外で触れようとしない、ナガセに情婦がいたのは意外だ。だけど知りたいのは、あいつの爛れた性生活じゃない。彼という生き物の歴史よ。


 正面メインモニタの下にある、埃の浮いたダッシュボードを探ってみた。空になった注射器がたくさん出てきた。危ないので搭乗口から投げ落とす。スティックの資料ホルダーに、留められている紙に目を通す。人類の最終作戦ファイナルカウントダウンとか書かれているけど、黒塗りの部分が多くてよくわかんない。邪魔なので搭乗口から投げ落とした。他に出てきたのは拳銃一丁、とても長い包丁一振り(後々知ることとなるのだが、カタナとか言うらしい)、未使用の薬の束だけだった。全てを搭乗口から投げ落とすと、コクピットには何も残らなかった。


 変じゃないかしら? ナガセがあれほど恋い焦がれて、帰ることを夢見た故郷の品が、一つもないっていうのは。つまり真実は一つだ。私はまた化け物の、玩具にされかけたのだ。


「やっぱり嘘だったのね……」


 嘘つきの化け物を見ると心が疼く。私は手首にできはじめたかさぶたを引き裂いて、肉を掻き毟った。今ではこの鋭い痛みが、気持ちよくすらある。歪んで醜くなっていく傷口が、私の心を現してくれるのだから。


 もう迷うことはない。


「帰ってきたら吹き飛ばしてやる。何もかも終わらせてあげる」


 抑えきれない衝動を呟きながら、私はナガセの部屋に爆発物を取りに戻ることにした。コクピットシートに手をかけて、全体重を預ける。そして下に降りるための足がかりを探して、搭乗口から下半身をぶら下げた。


 ガチャリと、機械的な音がした。いきなりだった。私が手を置いたコクピットシートの、お尻を乗せるシートが座席から外れたのだ。私は身体の支えを失って、手に掴んだシートごと、搭乗口から真っ逆さまに落ちていった。


 後頭部を衝撃が駆け抜けて、追い打ちと言わんばかりに頭上から何かが降り注いでくる。私は脳を押し潰されるような鈍痛の中、降ってきた何かの中をもがきながら、床の上でのたうち回った。痛みが引いて余裕が戻ってくると、私は涙で歪んだ視界で、何が降ってきたのかを確かめた。


 私の身体の上には、分厚い紙の束が何冊ものっていた。一つ手にしてみると、表紙には人攻機の骨格図と、見たこともない文字が記されていた。


「なに……ハッ? 人攻機のマニュアルね! 何なのよ畜生!」


 ここにまできて、兵器が私をいたぶるのか。腹立たしさのあまりに、マニュアルを床に叩き付ける。そして図々しく身体の上に居座る冊子を、乱暴な手つきで払い落とした。きっとコクピットシートの下に、収納スペースがあったに違いない。私が蓋であるシートに体重をかけたから、偶然にも開いてしまったのだ。こんなもの全部燃やしてやるわ!


 私は散らばったマニュアルを、這いつくばってかき集めはじめる。そしてマニュアルの中に、アルバムが混ざっていることに気が付いた。どうせ狂った戦果を収めた、戦場の記録だろう。適当なページを開いて、感情に任せて引き千切った。ページの切れ端を放り投げて、踏みにじろうと睨み付ける。そして私を見上げる無垢な瞳に、狼狽えることとなった。


 引き裂かれたページには、年端もいかない子供たちの写真が貼られていた。私はハッとして、手元のアルバムに視線を移した。


 笑顔、笑顔、笑顔。ナガセが失ったと語り、私ですら追い求めた景色がそこにはあった。ナガセが子供と遊戯に耽る一面や、チョコレートの欠片を分け与える場面、同僚らしき女性と睦まじく映るものまで。記録の中のナガセは険がなく、子供のようなあどけない笑みに、控えめな立ち振る舞いが印象的だった。


 私はアルバムのページを繰っていく。彼はどんな時でも、その雰囲気を変えなかった。涎を垂らして虚空を見つめる子供と映っても、手足のない男と映っても、肌の色が違う兵士と肩を並べても――他の人が少し身を引いたり、苦笑いを浮かべる中で、彼は彼であり続けていた。とても尊大で、差別的なナガセとは、同一人物だとは思えなかった。


 アルバムの中にはケースも存在し、ソリッドメモリがごろごろと保存されていた。私たちが使うような長いバーではなく、短いブロック状のものだ。指でつまんでみると、読み込み面ではない場所に、日付と送り主が書かれている。イツカ・オリミヤ。ほとんどのソリッドメモリには、そんな名前が記されていた。


「アロウズ・キンバリーじゃないんだ……」


 ふ……ふぅん……意外にも真実を語ってくれたわけね。でもそれは残虐行為の言い訳にはならないのよ。むしろ嫌悪感が増すきっかけとなった。だってそうじゃない? 記録を見るにナガセは、私が憧れるほどの愛を与えられる人物だった。そして彼は私たちに愛を与える事ができたのに、あえて憎しみを与えてきたのだから。


 私はアルバムの一つ一つに目を通していく。仲間と共に戦場を生き抜き、子供に囲まれ教鞭をとる、男の全てが込められていた。私はしばしナガセへの憎しみを忘れて、人々の笑顔に心を安らげた。


 やがてアルバムの中でも一番大きい、A3サイズの冊子に手をかけた。それは人攻機のマニュアルをスクラップブックにしたもので、蓄えられた情報量の多さで背表紙よりも大きく膨れているのだった。かなり使い込んでいるらしく、表紙には手の垢がこびりついていた。


 少し困惑しつつ、表紙をめくってみた。まず目に入ったのが名簿だ。ナガセに似たアクセントの名前が、整然と縦に羅列されている。名簿にはチェック欄が併設されていて、強めの筆圧で全て印がつけてあった。さらに奇妙なことだが、紙面には殴りつけたような皺がたくさんよっており、涙の染みも浮いているのだった。私は不穏な空気に震えながら、一ページ目をめくった。


 目に飛び込んできたのは、無残な青年の死体だ。私は軽い悲鳴を上げて、スクラップブックを放り投げてしまった。


「何なの……? これ……?」


 私は恐る恐る、スクラップブックに手を伸ばす。そして息が止まりそうになりながらも、先程のページを再び開いた。紙面にはA4サイズの紙が一枚貼られており、死体の写真と死因、その検分が仔細に綴られていた。なんていう事だろう。このスクラップブックには、死人の報告書がまとめられているようだ。報告書の周囲にはメモがびっしりと貼られており、ナガセの筆跡でよくわからない文字が書き込まれていた。


 私は改めて、一ページ目に視線を落とした。写真はズタ袋に乗せられた、青年の死体だった。


「ちょっと……嘘でしょ……」


 私は青年の顔に、見覚えがあった。アルバムでナガセと花を植えていた、教え子の一人じゃないかしら。私の背筋を怖気が舐めていく。写真の青年は身体から目ぼしい臓器を摘出されていて、大きく切り開かれた胴体から空っぽの中身が見えていた。ナガセのメモには荒々しい筆跡で、なにやら書き殴られている。文字は読めなくても、筆圧と筆運びで分かる。ナガセは完璧にブチギレていた。


 二ページ目。激しい暴行を受けた、男の子の写真だ。三ページ目。性病の女の子の写真で、私はえづきを抑えられなくなった。私はスクラップブックを閉じて、床の上に置いた。ずっとこの調子で続くのだろう。名簿のチェックは、死んだという意味なのだ。


 私は胸にたまった苦しさを、溜息にして口から吐き出した。それでも胸の奥にはどろどろとした何かが残り、心臓を締め付けてくるのだった。


 ナガセに残された全てが、私を取り囲んでいる。思い出の詰まったアルバムと、それに終止符を打つスクラップブック。空の薬物の山、作戦資料、そして僅かばかりの武器。私はガラクタの持ち主の人生を、少し味わう事ができた。そしてその救いようのなさに震えた。


 教え子がどうなったか分からないと、彼は言った。だが彼らの末路がスクラップブックに、まとめられていた。


 自分の罪は認めるくせに、彼らの死は認めたくないのだ。きっと自分の罪が、少しでも彼らの為になったと信じたいのだろう。


 ナガセが身の内に秘める、底知れない憎悪の根源を、私は探り当てたのだ。


 ああ。私。ナガセのことが分かった。


 ナガセは故郷を、自分を全て失ったのだ。


 ナガセは悔いないんじゃない。悔いる過去すら失くしたのだ。


 ナガセは省みないんじゃない。省みる昔すらないのだ。


 ナガセは憎しみをばら撒きたいんじゃない。憎しみしか残らなかったんだ。


 そして昔の自分に帰る事ができないから、進むことしかできないのだ。


 愛を持たない人間が、果たして人を愛せるだろうか。自分すらも。


 もう死ぬことを夢見て、傷に喜びを見出しながら、戦い続けるしかないじゃない。


 今の私と同じように。


『お前たちに……こうなって欲しくないだけ……ほんのそれだけ……』


 その言葉の意味が、重みを伴って、私の胸に届いた。

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