戦恐-4
大量破壊兵器保管庫へと降りて、真っ直ぐに左手にあるラックへと近寄った。強靭な金属の格子棚には、大量破壊兵器のコンテナが収められている。全てがコンソールと鍵で二重に封がされており、保管している物品の危険性を物語っていた。
俺は歯抜けになったラックの中で、髑髏のハザードシンボルが刻印されたコンテナを選んだ。
汚染環境下変質性ガス――リンボガスだ。コンテナの直径二〇センチ。全長約一メートル。この中にリンボガスのガスシリンダーが保管されている。俺は慎重にコンテナを二つ、台車へと乗せかえる。そして大量破壊兵器の保管庫内にある、別室へと運んでいった。この多目的の別室は、大量破壊兵器の保守点検や移し替えに使われるものだ。
二重構造の出入り口を念入りに封鎖して、中央の作業机にコンテナを乗せた。中に収められているガスシリンダーを露出させると、リンボガスをプロペラントタンクに移し替える作業をはじめた。
コンテナに同梱されていたマニュアルを、禁書を相手取るように目を通した。頭は感情にすらならない雑念で覆われて、作業手順が全く頭に入ってこない。腕は泥をかくように重く、簡単な作業すら困難にした。
ガスシリンダーの保護キャップを外し、ノズルを露出させる。そしてウリエルのプロペラントタンクと、チューブで接続しようとした。腕が震えて狙いが定まらず、ノズルと接続金具を何度もぶつけてしまった。
「落ち着け……落ち着け……」
自分の頬を引っ叩きながら、小声で繰り返した。しかし気持ちに反して心臓は早鐘を打ち、思考にかかる霧はいっそう濃いものになった。新品でぴかぴかだった接続金具が、細かい傷で輝きを鈍らせたころ、俺はようやくチューブを接続できた。
ガスを移す前に、機器の点検をした。ノズルに金具がロックされているか、チューブに亀裂がないか細かに確認する。普段なら五分もかからない簡単な作業だが、今日の俺の視線は油のように滑った。前に進むのを拒んで、確認したはずの箇所を繰り返し見てしまうのだ。
それでもようやくチェックを終えて、リンボガスシリンダーの安全弁を解放した。中に詰まった悪意の塊が、プロペラントタンクへと流れ込んでいく。俺は何かトラブルが起きて、作業が中断しないかと、心のどこかで祈った。しかし神は奇跡を起こさず、一本目の充填が終わった。
プロペラントタンクに封をして、二本目の充填を開始する。液化したガスがチューブの中で擦れる、乾いた音が癇に障った。不幸は起こらず三本目、そして最後の四本目の充填が終わった。俺は全身汗まみれになり、大規模な作戦を終えた時よりも憔悴していた。
滴る汗を拭いながら、残ったリンボガスをコンテナの中にしまう。そしてラックへと戻して、封印をしなおした。俺はガスでいっぱいになったプロペラントタンクと共に、リフトで保管庫へと上がっていった。
保管庫ではクロウラーズが整備を終えて、ナパームの積載を行っている最中だった。この調子なら十数分で、地獄の再出撃が可能だろう。俺はやや急いでプロペラントタンクを、ウリエルの格納庫へと転がしていく。そして格納庫の前まで来たところ、待ち受けていたようにアイアンワンドが飛び出してきた。ブリキは首を折られて不安定になった頭を、両手で挟み込んで固定している。何とかして首を繋ぎ直そうとしているらしく、頭に胴体を強く押し付けていた。
「ポンコツ。表面剥離装甲を吸着させたか?」
「仰せの通りに……だいぶ消耗なさったようですわね……」
アイアンワンドは左手で自分の頭を支えて、空いた右手で俺を労わろうとした。俺は汗の玉を散らしながら振り払うと、プロペラントタンクの乗った台車を押しつけた。
「次の仕事はこれだ。ウリエルにプロペラントタンクを装着しておけ……俺は着替えてくる」
頭の霧は晴れないまま。考えることはおろか、ただ歩くだけでも多大な労力を強いてくる。俺は酔いつぶれる寸前の、危うい足取りで自室へと逃げていった。
部屋に滑り込んで、背中でドアを閉めた。やがてずり落ちるようにして膝をつき、俺は地べたに座り込んだ。
抑え込んでいた震えが、せきを切ったように身体を支配していく。俺は恐怖に凍えて、自らを力強く抱きしめた。
「クソが……怖ェ……」
ユートピアでも、恐怖を感じた事はあった。初めてマシラと会敵した時、アイリスの運転する車に乗った時、サクラがカットラスで転倒した時――アメリカドームポリスに単独潜入した時もそうだな、ウリエルを駆るロータスとの戦闘もなかなか怖かった。俺は命懸けで戦い、その全てを乗り越えてきた。
俺はこのユートピアで、生まれて初めて恐怖に震えていた。汚染を抱えたバイオプラントに、AEUの脅威、そしてなによりユートピアで大量破壊兵器を使用することが、とても恐ろしかった。そして俺は恐怖に立ち向かうことなく、敗北を認めようとしているのだ。
「落ち着け……落ち着け……変わらん……為すべきことを為すだけだ……今までだってこなしてきただろ……」
子供に戻って泣き叫びたい衝動を、責任感によって打ち砕こうとした。頭を抱えて蹲ると、自分を洗脳するために口先で繰り返した。
「俺がやるしかないんだ……俺にしかできないんだ……俺が果たすべきことなんだ」
俺に何ができた? 俺は何を果たした? 乾いた笑いがおのずと浮かぶ。そうさ。そうやって幼子を変態ジジィの妃にして、敵を仲間ごと吹き飛ばした。暴徒を手あたり次第殺しまくって、挙句の果てに妊婦を惨殺だ。しかも俺の子をだ!
今回も俺の行動によって、マリアは死に、彼女たちは囚われ、世界が再び汚染されるかもしれない。そんな重責を俺に背負えと言うのか!? 進んだのは俺だが、始めたのは奴らだぞ!? いい加減にしてくれないかなクソッタレが! もう我慢の限界だ! 俺は涙を浮かべながら、発作を起こして過呼吸になった。
「ハッ!? ハッ! ハッ!! 怖ェ……怖ェ怖ェ! 何なんだちくしょーめ! 神様も意地が悪いな! 戦争が終わったのに! 猿みたいな女どもの世話をさせて! 化け物どもと殺し合いか!? お次は人類と揉め事をさせて、毒霧でいっぱいの缶詰よこしやがって!」
俺は狂ったように喘ぎながら、がむしゃらに地面を殴りつけた。マリアが出迎えてくれる。終われるんだ。俺は帰る事ができるんだ。居場所を求めて、戦場を彷徨う必要もない。終止符をもたらす強敵を、探す必要もないのだ。
なのに……なのに怖くて仕方がない! 帰る事ができると分かった瞬間、急に恐ろしくなった! 何かをするのが怖い! どうにかなってしまいそうで怖い! そして――死ぬのが怖い!
「何で俺なんだよ! どうして! なんでなんだ! もうたくさん選択した! もうたくさん責任をとった! もうたくさんなんだ! 何でさらに……これ以上……どうして俺が――なんで……?」
なんて無様だ。俺は赤い竜と呼ばれて、戦場で崇められた。それが故郷を前に全ての責任をかなぐり捨てて、死に怯えているのだった。
「もうたくさんだ……もう嫌だ……終わりにしてくれ……もうやめてくれぇ……何もさせないでくれぇ……」
救いを求めて祈りを捧げた。だが誰も受け取ってくれない。俺は着替えることもせずに、独りで虚しく震え続けた。
『ナガセ……出撃準備、整いました』
サクラの声が、スピーカーから流れた。俺は心臓を鷲掴みにされて、凍り固まった。自分を憐れむ時間はもうおしまいだ。支配者ナガセに戻り、皆を導かなければならない。
「クソッ! 俺ェ! 俺か! やっぱ俺なんだな!」
俺はドアを力いっぱい殴りつけて、悪態を吐いた。床を這いずってデスクへと向かい、鍵のかかった引き出しから注射器を取り出した。針を覆う庇護膜を歯でむしりとり、ライフスキン腕部の薬物注入口に突き刺した。
薬は覚醒剤。死を恐れた新兵から、恐怖を奪い取るためによく使われた。よもやベテランとなった今、縋ることになるとは思わなかったぞ。当然覚醒剤を使えば判断力が低下し、指揮は執れなくなる。しかし薬の力なくしては、この部屋から出ることすらできなさそうだ。
覚悟を決めて、身体に覚醒剤を流し込んだ。鈍い痛みと共に血管を、冷気が駆け巡る感触がする。ゾクゾクと背筋を撫でる悪寒。不自然に沸騰する皮膚。頭を埋め尽くす霧が強烈な光で払われるころ、俺の全身は根拠の分からない自信でみなぎっていた。
薬でキマッちまう前に、サクラたちに指示を下さなければ。俺はデバイスを取り出すと、サクラへと通信を繋げた。
「今すぐ出る」
『はい。それで編成の方をまだ伺っていないのですが……』
「部隊は偵察隊と指揮車、機動戦闘車の三つだ。作戦指揮官はアジリアで、副官はお前だ。アジリアが意思決定を行い、お前は提言に徹しろ。今回お前らはヘイヴンとバイオプラントを、往復することだけを考えろ」
『サー、イエッサー。各部隊の編成はいかがいたしましょうか?』
「俺が直接指示する。今から行くぞ。整列して待機しろ」
『サー、イエッサー……』
サクラが不満そうに、声をくぐもらせた。しかし俺は気に留める余裕すらなかった。俺を幻想が包み込み、遠い過去へと連れ去ってしまったからだ。赤い竜に心を蝕まれ、引きずった罪に己を見失う。
『おかえりクズ野郎』『ここがアンタの故郷でしょ?』『何を今さら血迷うね』
久しく聞かなかった幻聴が、耳元で囁いてきた。言い聞かせるように優しく、無視できないほど威圧的に。光で真っ白になる視界に、アロウズが天使のように舞い降りた。彼女は黒いライフスキン姿で、膨らんだ腹を優しく撫でている。彼女は咥えた煙草を口先で揺らすと、満足そうに微笑んだ。
『何度でも繰り返すがいい』
恐怖が嘘のように消え去り、俺は凶悪な笑みを浮かべた。俺はレッド・ドラゴン。楽園を追われた悪魔。命ある限り殺戮に明け暮れ、どことも知れない地で果てるのみ。
身体に力が戻ってきて、汚い地べたから奮い立たった。俺は拳を握りしめ、大地を強く蹴る。そして殺戮の待つ戦場へと踏み出した。




