表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Crawler's  作者: 水川湖海
三年目前半【ECO編】
163/241

戦恐-2

 俺は医務室から出て真っ先に、キャリアの整備が行われている駐車場に向かった。現場では彼女たちの衣擦れの音に混じり、機械いじりのさびしい金属音が粛々と響いていた。指揮車ではアジリアとプロテアが協力して、タイヤとバッテリーを取り換えていた。機動戦闘車にはサクラとアイアンワンドが当たっており、荷台の中の銃器を整備しているようだった。そんな中ロータスは近くの壁に背中を預けて、大きな口を開けていびきをかいていた。


 アジリアは俺が近づいてくるのに気が付くと、プロテアに眼でそっと断りを入れてキャリアから離れた。そして俺の元に駆け寄ってくると、悲しげな表情を一瞬見せてから、顔を俯かせたのだった。


 気持ちの整理をつけているのだろうか。彼女は俯いたまま何も口にしなかった。肩は小刻みに震え、呼吸は大した運動もしていないのに乱れていた。彼女はやがて呼吸も震えも整わぬまま顔を上げた。しかしその双眸は未だに憤りと悲しみの間で揺らめいており、訴えたい事を口にするのを迷っていることが窺いしれた。


 しばらくの沈黙をおいて、アジリアは囁くように言った。

「まだ……続けるのか……?」


 その問いはもうプロテアに答えたはずだ。進むのは止めない。この世が汚染されるか否かの瀬戸際なんだぞ。俺は軽く鼻を鳴らすと、邪魔だと言わんばかりにアジリアを脇に押し退けた。だがアジリアは足に力を込めて踏ん張り、俺の目の前に居座り続けた。そして気丈な彼女が始めて見せる、今にも泣きそうな顔で俺のことを睨んだのだった。


「バイオプラントを封鎖して……どうするんだ……? 次はAEUか……? それともECOを探すのか……?」


「何が言いたい?」


 急いでいるときに、要領の得ない問いかけをされることほど、人を苛立たせる事はないと思う。俺の両腕は感情を抑え込むあまりに、空気を圧縮できそうなほど強く握りしめられた。


 アジリアは訴えを口にするのを、未だに迷っているようだ。前歯で下唇を抑えつけ、視線を左右に彷徨わせている。彼女はふんぎりをつけるためにか、一度きつく瞼を閉じた。そして開いた眼に涙を滲ませながら、諸手を広げて訴えてきた。


「ヘイヴンを手に入れ、異形生命体の危険は薄れた。もう十分だろう? これで終わりにしてくれ。これを最後に、進むのをやめてくれ」


 アジリアがどうして躊躇ったか分かった。その一言で俺の頭に血が上り、交渉ができなくなるほど逆上すると分かっていたからだ。事実俺は火山の如く怒りを噴きだした。


「それはできんと言っているだろう! 俺が止めても敵は止めん!」


 口調は無意識のうちに、荒々しく乱暴なものになった。バイオプラントに封をしただけで、全ての問題が解決するわけではない。むしろバイオプラントを失ったことで、AEUとの交渉は極めて不利な立場になったのだ。さらにバイオプラントの毒に対する嫌疑を、人類からかけられてもおかしくないのだ。それに『領土亡き国家』が存在する危機がより強まったことは言うまでもない。


 平和を望むなら戦いの準備をしておけ! 我々は止まる訳にはいかないのだ!


「全てが終わるまで作戦は続行だ! 全てとは楽園ユートピアに辿り着くまでだ! それまでこの世に安全な場所などない! 真の幸せも! 生きる喜びも! 帰る場所すらな!」


 アジリアは目を乱暴に擦って、湿り気を拭い去った。そして俺よりも激しく、怒りを爆発させた。


「じゃあどこまで進むんだ!? ECOとか言うキ○ガイに責任を取らせるまでか!? AEUとの決着をつけるまでか!? その時また誰かが怪我するかもしれないんだぞ!? そいつらを片付けた後は何だ!? またアルファベット三文字のクソカス共と戦うのか!?」


 アジリアの瞳が再び湿り気を帯び、涙が一筋の流星となって頬を伝っていった。彼女はもう堪え切れないようで、普段の凛々しい表情を女々しく歪ませていた。


「そうして積み重ねた死体の山を引きずって、どう幸せを感じろと言うのだ!? 何を喜べと言うんだ!? 帰る場所だ!? そんなもの死体に埋もれて見えなくなってしまうに違いない! きりがないんだ!」


 アジリアは一旦言葉を切って、軽く嗚咽を上げた。彼女はどっと疲れたように、悄然と肩を落として俯いた。


「きりがない……きりがない……もうたくさんだ……」


 聞き分けのないアホが。何度も口にしたが、ユートピアと言う終りがあるんだ。そこに帰りつくまで、俺たちは荒野を彷徨う羊なのだ。アジリアを殴りとばそうと、腕を振り上げた。しかし不思議と振り下ろす力が籠らず、俺の手は掲げられたままで止まってしまった。


 アジリアの言う事にも一理ある。脅威は消えないが、それは進んでも同じことだ。困難を乗り越えたところで、新たな障害が立ちはだかってくる。きりがないのは事実だ。


 俺は全てを乗り越えた先に、皆が幸せに暮らせる理想郷があると信じている。だが同時にここが選ばれた者だけが行ける天国ではなく、悪意ひしめく地獄の過去と、繋がっていると理解し始めていた。


 不意にこくりと生唾を嚥下する音が、俺の注意を引いた。物音の主を探して視線を周囲に走らせる。するとプロテア、サクラ、アイアンワンド、そして眠っていたロータスすら目を覚まして、俺とアジリアの行く末を見守っている事に気付いた。


 クロウラーズはアジリアではなく、俺の一挙手一投足に釘付けになっていた。つまるところ、アジリアの意見に同調し、俺がどう答えるのかを気にしているのだ。あのサクラですら無表情を保ってはいるが、沈黙を以ってアジリアに賛同しているのだった。鋼より硬かった俺の決意に、亀裂が走るのを感じた。


 俺は深いため息をつくと、振り上げた拳をゆっくりと降ろした。口先で自分に言い聞かせるための言葉をつぶやく。


「理想郷にもわしはいるぞ(et in arcadia ego)……」


 画家、ニコラ・プーサンの絵だ。理想郷にも墓があり、墓石にそう文字が掘られている様が描かれている。『わし』とは死のことで、理想郷に訪れた旅人は目にして驚く。今の俺みたいにな。


 ユートピアには死もあれば、それを囁く悪魔もいて、彼らが潜む闇が存在する。彼女たちはその闇に立ち向かうには……非力かもしれない。バイオプラントに潜んでいた過去からの悪意は、確実に俺の足から活力を奪い去っていた。


 俺は今まで考えた事も無かった方針を、頭の中で素早く組み立てていった。ヘイヴンという居住地を得て、周囲に敵が多いと分かった。進むリスクに対して、リターンが少なくなったと考える事もできる。ならばアジリアが言った通りに、守りを固めて人類の救いを待つのも手だ。人類が過去の科学力を維持しているのなら、異形生命体ごときに負けはしない。長い年月がかかるのは間違いないが、きっと彼女たちいかず後家になる前に、迎えに来てくれる可能性は高かった。


 最終防衛ラインがヘイヴンまで下がるが、まだまだ要塞化の余地がある。加えて策源地をヘイヴンから、海岸に沈むゼロまで下げれば、AEUを相手に防衛戦はできるだろう。


 これで終わりだ。


 俺はどうするべきだろうか? 内なる竜を抑え込み、彼女たちとの生活に耐えられるだろうか? 兵士としてではなく、人として歩む事ができるのだろうか? ヘイヴンに――クロウラーズに帰ることができるのだろうか? 胸の内に不安が溢れる。


 だがそれは全て、マリアにあの言葉を貰ってから決めることだ。


 俺は無造作にアジリアの頬を掴むと、顔を俺の方へ向けさせた。そうしてアジリアらしくない萎れた表情を、軍人の冷たい顔つきで出迎えた。


「アジリア。貴様の一番大切なものは何だ?」


 アジリアは一変して険しい顔つきになると、頬を摘まむ俺の腕を振り払おうとした。


「皆に決まっているだろう! いいか? たわけた事を抜かすのもこれまでにしておけよ!? こっちは一人重症にされて頭にきて――ムググ……」


 アジリアの頬を掴む手に力を込めて、口を挟み潰して黙らせた。アジリアは目を白黒させながら、鼻息荒くもがき始めた。


「それに誓う。これを最後に、俺はもう二度と作戦を立案することはない。これで最後にしてやるからには、俺の好きなようにやらせろよ? 次喋ったら、その舌を食い千切るからな」


 俺はアジリアの頬を挟み潰したまま、腕に力を込めて脇へと押し退けた。さしものアジリアも堪える事ができず、数歩ふらついてから、少し離れた場所で立ち止まった。彼女は潰された頬をさすりながら、訝しそうな目で俺のことを見つめていた。よもや俺が馬鹿正直に、進軍を止めると言うとは思わなかったのだろう。


 だがもう終わりだ。俺は敵を異形生命体だと想定し、対処可能だと判断して進軍した。しかし人類も――焼いたはずの過去も脅威だと言うのなら、対処できるとは思えなかった。


 俺は整備の手を止めて立ち尽くす彼女たちに、てきぱきと指示を下していった。


「指揮車はそのまま。機動戦闘車は荷台に手を加えて、内部を二室に分け、両方とも密室にしろ。一室は弾薬庫として使用する。ナパームを積めるだけ積載。もう一室はウリエルを搭載してくれ」


 彼女たちは呆然と俺を見つめたまま、一向に動き出そうとはしない。俺は腰のモーゼルを抜くと、銃把で壁を殴りつけて、身もすくむような大音を立てた。


「さっさとしろ! 貴様らにマリアと、ユートピアの未来がかかってるんだ!」


 プロテアはバネが跳ねるように動くと、すぐに大きな返事をして整備を再開した。アジリアもしばらく俺を睨んでいたが、頬をさすりながら指揮車へと戻っていく。ただサクラは手を上げながら、俺の元へと走ってきた。彼女は遠慮がちに聞いてきた。


「密室の作り方は分かりますが――どういった運用を為さるのですか? それによって方法が変わります」


「バイオプラントの攻略に毒ガスを使用する。毒ガスはウリエルで運搬するため、隔離室を大きく取ってくれ」


 そう口にした瞬間、指揮車に足を向けていたアジリアが勢いよく振り返った。


「毒ガスだと!? 貴様正気か!? そんなものを使って、AEUを刺激したらどうなる!? 奴らと事構えては、勝てんと言ったのは貴様だぞ!? それに汚染世界で使用可能なガスと言ったら、リンボ――」


「アジリア!」


 俺は強い口調で、彼女の言葉を遮った。分かり切った説教はもうたくさんだ。リスクを承知でなお、それを選択せざるを得ないのだ。


「早く取りかかれ……」


 アジリアはそれでも何か言いたげに、声にならない言葉を吐き出して、小さく口をパクパクさせていた。しかしそれも束の間で、納得がいかないように首を振りながら、指揮車へと戻っていった。


 俺は直立不動の気を付けをするサクラに、詳しい密室の作り方を説明した。ウリエルを乗せるからには、出入り口を大きく取らなければならない。それに汚染された物品を回収するからには、洗浄室と陰圧隔離室が必要になる。機動戦闘車に二つの密室を用意したが、行きはナパームとウリエルを積み、帰りは洗浄室と回収した物資を積むのに使うのだ。一通り手順と意図を話し終えた後、俺は彼女に確認した。


「サクラ……他に質問は?」


 サクラは首を振って敬礼すると、すぐに仕事に戻ろうとする。しかし不意に立ち止まると、潤んだ瞳をしながら口元を震わせた。


「あの……さっき仰ったことは……本当ですか?」

 さっき言った事――? 進軍を止めることか。俺は軍人の強面を幾分か和らげて、サクラに笑いかけた。


「ああ。もう内陸部へ進み、人類を捜索するのは止める。助けが来るまで、ヘイヴンで暮らすことにした」


 サクラは嬉しそうに頬を綻ばせたが、すぐに不安そうに顔を曇らせた。


「その……そうしたら……ナガセはどちらに……行かれますか……?」


「さぁな……どうするかな……」


 帰る事ができたのであれば、俺は強敵を探さなくてもいい。敵に敗れて死なずとも、俺を受け入れてくれたものが、罪を裁いてくれるからだ。その結果が死か、禁固か、懲役かは俺が決めることではないのだ。


 サクラは曇った顔を、より一層暗くする。しかし彼女は何かを思いついたように目を丸くすると、闇に沈んだ双眸に明るい微笑を灯した。


「私! ナガセとやりたい事があります! また昔のように、勉強を教えて欲しいのです!」


 俺はこの場に似つかわしくない提案と、必死な彼女の様相に気圧されてしまった。お前は誰の教えを受けずとも、自分で道を切り開く力はあるはずだが――もし俺に赦されるなら、それもいいかもしれない。


「何を言い出すかと思えば、それぐらい容易い事だが……」


 サクラは久々に満面の笑みを浮かべた。彼女は張り切るように腕を振り回すと、密室に使うビニルシートを掴んで駆けまわった。プロテアも疲れ切った双眸に花を咲かせると、大声で檄を飛ばした。


「みんなァ! 聞いただろ! 作戦はこれで終わりだ! 終りゃ天国だ! 気合い入れていけよ!」


 整備中の全員が、気合の入った返事をした。彼女たちが整備をする手に活力が戻り、動きも打って変わってきびきびしたものとなる。あのロータスですら惰眠を貪るのをやめて、嫌悪しているはずのアジリアに手を貸し始めた。駐車場では冷たい機械音を掻き消すほどの、彼女たちの活発な声で満ち溢れたのだった。

 戦略的にどうとか、理想的にこうとか、関係ないのかもな。

 もう。これで終わりでいいのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] まだまだ先が気になり過ぎる 続きが読みたくてたまらないです
[一言] 更新ありがとうございます 待ってました あなたの作品が一番好きです 作者様が納得いく内容を書いてください 完結まで、何年かかろうと読み続けていきます
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ