辺獄-7
俺は素早くオストリッチに跨ると、その首にマウントされている機関銃を確認した。一つの弾帯で、12.7ミリ弾が三百発まとめられている。弾帯を見やると、雑にスプレーで黄色に着色されているのが分かった。三百発を百発ずつに区切った内、真ん中の百発という証だ。これからエアハッチを封じに行くのだから、弾帯を変えた方が良い。俺は機関銃の弾帯を取り換えながら、ロータスの隣に並んだ。
「ロータス。これからの任務を告げる。我々二人でバイオプラントの入り口である、エアハッチを封鎖するのだ。手段はエアハッチの作動による封鎖。それが不可能な場合ダミーバルーンを膨らませ、蓋として封鎖する。現在サクラが必要な物資を運搬中。それまで入り口から進出する、ムシケラどもを足止めするぞ」
「あはん。やっぱり命令聞かされるならあんたねん。こっちの残りの弾帯は一つ。アサルトライフルはマガジン二つだけよん」
ロータスは鼻を鳴らして笑うと、オストリッチの翼下に取り付けた、アサルトライフルの弾倉を新しいものと取り換え始めた。しかし彼女は装弾の手をぴたりと止めて、驚愕に限界まで目を見開き、俺を凝視してきた。
「ダーリンマジ!? 突っ込むの!? 馬鹿じゃねーの、お前さては汚染空気吸って頭がパーになったな!? このゴミムシの中に突っ込むなんて正気じゃないわよぉン! 撤退撤退ィ~! ダーリンがパーになったから早いとこ治療しないと!」
パーはテメェだ。敵前逃亡したら、今度は本当に処刑するぞ。残念だが貴様の他に代わりがいないのだ。地獄には俺が突っ込む。お前はその見届け人になってもらうぞ。
「泣き言なんざ聞きたくない! ここで止められなければ、手遅れになってしまう!」
「ンなこと言ったってぇ……」
ロータスが及び腰になってぐずる。ちょうどその時、背後から重いものを引きずって来る音が聞こえた。
「お待たせしましたぁ!」
サクラの声と共に俺のオストリッチの足元へと、円盤型のパッケージがごとりと転がされた。マンホールを六枚ほど重ねた程度の大きさで、金属のケースに厚いゴムのバルーンが折り畳んで収納してある。
このパッケージがダミーバルーンで、膨らませるとキャリアを模したデコイとなる。汚染世界での運用を前提にしているため、標準で表面にはジェルが塗布してある。これなら汚染空気による劣化に耐えて、時間稼ぎをしてくれるだろう。
「ブスが余計なもの持ってくんなテメェのせいでアタシゃあ……ぐぇえ! ダーリンきたわよぉ!」
ロータスの悲鳴に、根の洞窟へと視線を向けた。バイオプラントから第二波が這い出てくるのが見える。種類は先頭を切るメガロミルギルが二匹。そして後ろに続いてくるのは――マットレス並みのでかさのダンゴムシが一匹だ。ダンゴムシは錆がかった蛇腹の外殻を波打たせ、風のように走るメガロミルギルの後ろをぴったりとつけていた。
パノプリア(鎧虫)か。こいつらと共生関係にあるパプ(根絶やしカマキリ)、モスマン(蛾人間)もいると考えた方が良い。パプもモスマンも人攻機で相手をしても、不覚を取りかねない相手だ。これは大変な事だぞ!
ロータスが怖気づいて、生唾を飲み込む音が聞こえた。そして後退ったのか、腐れ木を踏み砕く乾いた音もした。俺は機関銃の照準を、先頭を切るメガロミルギルに合わせる。そしてロータスに向かって怒号を飛ばした。
「殲滅後前進し、洞窟内に突入する! その後入り口を封鎖して脱出だ。覚悟を決めろ!」
「うぅえ! 突っ込む気かよ……アタシアンタと違ってまともなんだけど? 冗談きついわよォ嫌だ
嫌だ! じ……人攻機の銃使わないのん? そうよ! 虫けらに相応しいわよ!」
「バイオプラントに傷が入ったら困る! あの中には恐らく汚染空気と、ミューセクトが積載されている! 貫通して崩壊したら一気に溢れ出るぞ!」
瞬間。ロータスは泣き言も駄々も捏ねるのをやめて、突然黙り込んだ。俺はパノプリアに注視しているため、ロータスがどんな様子かは窺えない。しかし彼女の戦慄きがオストリッチの揺れとなって、機体を軋ませ地面を踏み潰すことで、離れた俺にも伝わってきた。想像するにロータスは、思いもよらない真実に言葉を失ったようだった。
「……ンじゃあさ、ピオニーが言ってたこと、本当――」
戯言は後で聞く。今聞きたいのはお前の銃声と、虫けらの断末魔だけだ。
「撃てェ!」
俺はロータスの言葉を遮って、機関銃の引き金を絞った。相対距離五十メートルの所で、先頭を切るメガロミルギルの頭が、細切れになって吹き飛んだ。怯んで尻餅をついたところを、すかさず片足を吹き飛ばしてやる。ロータスもすぐに俺に倣い、二匹のメガロミルギルは行動不能となった。
お次はパノプリアだ。奴は装甲と地面の隙間から、何百もの小さい脚を忙しなく動かして突っ込んでくる。パノプリアの行く手には、先行して足を潰されたメガロミルギルが、数匹へばっていた。
パノプリアは仲間を気にする素振りすら見せず、突進を続けてメガロミルギルの上に乗り上げた。足蹴にされたメガロミルギルは、その重さに耐えきる事ができなかった。ぐしゃりと湿った音を立てながら外殻を歪ませて、パノプリアの下敷きになって潰れてしまった。
「うぉ! 想像以上に重いのねんアイツ……」
ロータスが呻き声を漏らす。パノプリアの通り過ぎた後は、大変な汚れようだった。大地は抉れて土が剥き出しになり、生えていた草木は細かく砕かれて散乱していた。さらに先ほど巻き込まれたメガロミルギルが、細切れの残骸となって土の中に埋もれていたのだった。奴の自重で潰されてから、その細かな脚で寸分にまで刻まれたのだ。パノプリアは超重量の芝刈り機に、命が宿ったようなものだった。
俺は冷静に機関銃で、試しにパノプリアを撃ってみる。12.7ミリの三点バーストが、パノプリアの頭部外殻で弾けた。一発は装甲の傾斜に弾かれ、二発目は表面を抉って削るのみ。装甲に直角で命中した一発が貫通したが、パノプリアは気にした風もなく突進を止めようとしない。俺は一万年前と変わらぬ結果に、思わず舌打ちした。
あのころと変わらない――か。パノプリアは餌に含まれる汚染物を濃縮し、自らの体液と練り合わせて外殻を生成している。おまけにこいつらは外殻を固くするため、重金属の汚染物を好む。12.7ミリ弾をもってしても、食い止めることは難しい。
ならば――俺はベストから手榴弾を外してピンを抜いた。ロータスにも倣う様に、指示を下そうとする。しかし彼女は既に手榴弾を取り、口でピンを抜いたところだった。
「ダーリン! 数えて!」
彼女はピンを吐き捨てると、俺に号令を乞うてきた。まるでこれからどうするか、知っているかのようだ。やはり貴様、汚染世界では傭兵をしていたようだな。ミューセクトの相手など慣れているという事か。
「構え!」
俺の号令と共に、二人の手の中から安全レバーが滑り落ちた。手榴弾の撃鉄が信管を叩き、5秒後の爆発に備えた。
「さん! にぃ! いち! 投げ!」
俺の掛け声に合わせて、二つの手榴弾がパノプリアの目の前に転がされた。パノプリアは鼻先で起こった振動に気取られて、自ら手榴弾の上に乗った。そして五秒が経過した。
パノプリアの腹の下で、手榴弾が爆発した。パノプリアは手榴弾の爆風のあおりを受けて、僅かに地面から持ち上がった。パノプリアと地面の隙間からは、爆風と血の霧、そして千切れた小脚が一斉に吹き出してくる。数秒後、パノプリアは小さな地響きと共に崩れ落ちると、足を痙攣させるだけで動かなくなった。
硬いのは外殻だけで、中身は他のミューセクトと変わらない。こいつらの弱点は地雷だ。
「ブッ殺したわよん!」
ロータスが興奮しながら喚く。俺はオストリッチの手綱を引くと、タイミング合わせのためにその両翼を広げた。
「突撃!」
ロータスの顔が恐怖に引きつる。しかしそれも一瞬のこと。俺が凄絶な表情でひと睨みすると、不貞腐れた顔は青くなりつつも引き締まった。彼女は覚悟を決めるように、自らの頬を殴りつけた。そして口の端から垂れた血を手の甲で拭いとると、真正面を向いてオストリッチの翼を広げた。
「クソが……クソがクソがクソが! こうなったらもうヤケクソよん! テメェらの返り血で激しくオナってやるぁ!」
俺とロータスは一斉に、根の洞窟めがけて突撃した。走りつつタクティカルベストから、ケミカルライトを取り出した。棒状で衝撃を加えると、蛍光を発する照明道具だ。膝で叩き割って光らせ、突入に先駆けて洞穴の中に何本も投げ込んだ。
俺は焦る気持ちを抑えて洞穴の縁で一度止まると、注意深く中を覗き込んだ。洞穴内にはバイオプラントから溢れ出た、汚染空気が充満していた。視界は黄土色の空気で遮られており、手を伸ばした先に何があるかすら分からない有様だ。
汚染空気にケミカルライトの明かりでは、焼け石に水だったか。蛍光は汚染空気に阻まれてしまい、洞穴内の様子を窺い知ることはできない。それでもケミカルライトの光は、汚染空気に含まれる重金属に反射して、黄土色の空気を七色にきらめかせていた。
ミューセクト共がバイオプラントから出てきているのならば、ケミカルライトの反射光が大きく揺らぐはずだ。今の所汚染空気は自らの重さと、僅かな風に揺らぐだけ。ミューセクトは洞穴に出てきていない。
「オストリッチでは洞穴は走れん! 徒歩で突撃するぞ! 先陣を切る! ロータスはダミーバルーンを持って続け! 絶対に離れるな!」
「あ、あ、アイサー! クソがァ!」
俺は悲鳴に近い返事を背中に受けると、オストリッチを乗り捨てて汚染空気の中に突っ込んでいった。汚染物が身体を包み込み、まるで水の中を歩くように体が重くなる。さらにヘルメットの風防には汚染物がこびり付き、徐々に視界を塞いでいった。俺はそれでも空をかいで風防を拭い、壁を手で探りながら奥へと突き進んだ。
背中からは張りつくように、ロータスの駆ける音が追いかけてくる。離れるなとの言いつけを、きちんと守っているようである。その上「置いて行かないで」とか、「ふざけんなよチ○ポ野郎、アタシを守れよ」などほざく余裕もあるようだ。
やがて俺の足先が、硬い金属の壁を蹴った。どうやら洞穴を抜けて、バイオプラントのエアハッチに辿り着いたようだ。冷たい金属に手を這わせて、エアハッチの入り口を探り当てる。その頃には流出した汚染物は、相当な量になったのだろう。這わせた手の平には、汚染物の塵が山のように溜まった。
俺はドア枠を乗り越えて、エアハッチの中に身体を潜り込ませた。洞穴内に満ちていたものよりも、いっそう密度の濃い汚染空気が俺を出迎える。一瞬で風防には汚染物がこびり付き、身体の動きは泥の中を這うようにかなり鈍いものとなった。
一体どれだけの汚染空気が、このバイオプラントに収められていたのだろうか。普通空気より重い汚染空気は、時間と共に下の方に溜まっていき、目の高さでは視界が開けるものだ。しかし未だ汚染の濃霧は晴れず、黄土色の壁が目の前に立ちはだかっているのだ。これが全て放出されたら、この島を汚染しきる恐れすらある。
不意に背中へと、後続のロータスが追突した。彼女は悲鳴を上げて飛び退ったが、すぐに俺だと気付くと、背中をめちゃくちゃに殴りつけてきた。
「でぇ! ち……チ○ポヤロォォォ! 置いてくなって言ってんだろォォォ! 言う事聞いてるじゃねぇかよォォォ! 酷いことすんなボケぇぇぇ!」
さらりと聞き流して、エアハッチの扉を確認するために壁沿いを歩いた。バイオプラントの扉は内側へと沈み、天井に持ち上がったはずだ。ならば空いたスペースである、入り口の左右どちらかに、開閉用のコンソールがあるはずだ。
「置いてくなっつってんだろぉン! 殺すぞ腐れチ○ポ!」
ロータスが離れまいと、慌てて俺のタクティカルベルトを掴んでくる。俺はロータスの手に自らの右手を添えてやり、残った左手を壁に当てた。そのまま左手をあてがった壁を道標にして、入って左側を慎重に進んでいく。右手からはロータスの震えが、タクティカルベスト越しに伝わってくる。左手は壁にこびり付いた汚染物を撫でて、不愉快なざらつきを感じていた。
思った通りだ。左側を壁沿いに歩いて数十歩の所で、コンソールパネルらしき四角い筐体に行き当たった。しかし筐体は長い時を汚染空気に晒された事で、表面には霜が降りたように、びっしりと鈍色の粉末がこびり付いていた。
バイオプラントの奥から、微かに震角を打ち鳴らす音が聞こえてくる。俺は急いで筐体にへばり付いた、汚染物をこそぎ落とそうとした。だが汚染物は錆のように凝り固まって、びくともしない。これでは文字盤を読むどころか、スイッチも押せやしないし、これがコンソールかどうかすらも分からない!
バイオプラントの奥から聞こえる、震角を打ち鳴らす音が徐々に大きくなっていく。新たなミューセクトが、エアハッチに近づいているに違いない。
「ダメだ! ここでは閉められん! ダミーバルーンを使うぞ!」
「アイアイ!」
ロータスが汚染の霧の中、ダミーバルーンを俺に押し付けてきた。俺はダミーバルーンをロータスの身体ごと抱き寄せて、来た道を壁沿いに引き返した。俺は根の洞穴に飛び出すと、ロータスを外に引きずり出す代わりに、ダミーバルーンをエアハッチ内に投げ落とした。それからダミーバルーンの、ガス発生装置の点火線を思いっきり引いた。
発煙筒が燃えるような軽い音がしたかと思うと、ダミーバルーンのパッケージに亀裂が走ったであろう、パキリと硬い金属の悲鳴が聞こえた。やがてゴム同士が擦れあう鈍い物音と共に、バルーンが見る見るうちに膨らんでいき、エアハッチの空間を埋めていった。
ダミーバルーンは一分も経たないうちにエアハッチいっぱいに広がって、入り口の枠からはみ出すほどになった。俺は隙間に指を差し込んで、しっかりと封がされているかチェックした。指はドア枠とダミーバルーンの間に、潜り込ませることができなかった。そして隙間からはこびり付いた汚染の粉末がこぼれるだけで、新たな汚染空気が溢れてくる様子はなかった。
俺はほっと一息をついた。ひとまず封じ込めには成功したようだ。緊張が解けると全身から力が抜けていき、俺はだらしなく洞穴の根の壁に寄りかかった。
だがこんなもの、所詮時間稼ぎに過ぎない。時間が経てばミューセクトがダミーバルーンに傷をつけて、汚染空気と共に外に出ようとして来るだろう。早く中にひしめくクソ共を根絶やしにしたうえで、地中に埋めてしまわないといけないな。
「ダーリン……もうこれで終わりよねん? これ以上はちょっと……無理なんだけどん……」
足元でしたロータスの声に引かれて、俺は視線を下の方にやった。そこでは汚染に塗れて真っ茶になったロータスが、尻餅をついてへたり込んでいた。エアハッチへの突撃だけで、精根尽き果てたらしい。死の恐怖に戦慄くことも、生還の喜びに打ち震えることもせず、魂の抜けた人形のように茫然と座り込んでいた。
「これからもっと悪いことが起きる。慣れておけ」
ロータスは乾いた笑みを浮かべると、どうしようもないと言いたげに首を左右に振った。
「もっと悪いことって……え? これから何するのよん……お前ひとりでやれよ馬鹿……ひとまず立
たせてよ……こんなとこすぐ離れたいけど……腰が抜けて……」
戦闘もしていないのにか。ただ汚染空気に突っ込んだだけで、腰を抜かすとは随分と育ちのよろしいことで。この有様ではミューセクトの相手はできても、バイオプラントへ俺と共に突入させることは止めた方が良いな。
俺独り。俺独りで、この難物に対処しなければならないのか。
多難な前途に気分が重くなる。俺に出来るのか? このバイオプラントを独りで封印するなんて。戦力的には圧倒的に劣っているし、地形的にも圧倒的に不利だ。とても――とても出来ることではない。
そう。今の俺には。
俺は腰をかがめると、ロータスに肩を貸して立たせてやった。
「入り口を対汚染ジェルで固めてから、一時撤退する……急ぐぞ。マリアが危ない」
俺はバイオプラントに背を向けて、洞穴の外に出ようと坂道を上がりはじめた。
「ダーリン……あれ……」
ロータスが身体を揺らし、俺の注意を引いた。彼女は残された気力を全て振り絞り、小刻みに震える腕で、エアハッチの上方を指していた。俺は眉根を寄せながら、ロータスが指し示す方に目を向けた。俺は驚愕に目を見開き、大きな口を空けてしまった。
「腐る……わけだ……」
どうやら昨年、俺が外殻を剥がした時に、既に内部から汚染物が漏れていたようだ。マリアを止めに来たときは、バイオプラントに夢中で気がつかなかった。
エアハッチ上部にあたる巨木の根元には、まるでカラスバチ(ミューセクト。スズメバチの変異体で、大きさはサッカーボールほど。カラスの嘴に似た震角を持つ事からこの名がついた。巣はスズメバチのそれと同様である)の巣のような、奇妙なこぶがへばりついていたのだ。
こぶは黒と黄土色の層を重ねて出来ており、おうとつの多い歪な形をしていた。見たところの質感はスポンジに似ていて、呼吸をするように緩やかに胎動していた。こぶの表面には微細な穴が、クレーターのように口を開けている。その穴の中からは毛に似た白い糸が、三メートルほども伸びているのだった。
世界を腐らせた、領土亡き国家の最終兵器――粘菌の群体である。
「ナパームで森ごと焼き払うか……」
午前11時39分。我々は作戦の続行を断念し、撤退を決心。これを実行した。
作戦目標何一つ達成できず。負傷者もひとり。
初めての敗戦だった。




