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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目前半【ECO編】
160/241

辺獄-6

 俺はマリアの両脇の下に腕を差し込んで身体を支えると、バイオプラントの入り口から引きずり離した。マリアは腕の中で顔を掻き毟り、絶叫しながら悶え狂っていた。

「マリア! マリア! 眼を擦るな! 失明するぞ!」

 俺はマリアが自分を傷つけないよう、その手を払いのけた。一瞬だが、彼女の顔が露わになった。黒人である彼女の黒い肌は、こびり付いた汚染空気で黄土色に着色されてしまっていた。さらにその黄土色をカンバスにしてペンキの飛沫を浴びたように、斑点状のカラフルな染みが浮きはじめていたのだ。汚染空気に含まれているわけの分からん物質が、彼女に対して化学反応を起こしているのだ。そして眼の白目が赤黒く変色している。瞳はすっかり光を失って、虹彩の鮮やかさが消えうせていた。目を擦ったせいで眼球に傷がつき、汚染物が擦り込まれたに違いない。目尻からは涙よりもはるかに多く、血が顔を濡らしていた。

「いだぁい! いだい! いだい! いだい! ひぃぃぃぃぃ!」

 マリアは俺の手を振り払い、再び顔を掻き毟り始める。顔に立てられた爪が顔面の肉に食い込み、傷の溝を残していった。

 このままでは眼が潰れてしまう!

「許せ!」

 俺はマリアを抱き寄せると、思いっきりみぞおちに拳を打ち込んだ。マリアはびくりと身体を跳ねさせると、気絶してぐったりと俺の腕にしだれかかった。

バイオプラントからは、汚染空気がどんどんと溢れだしてくる。このままではユートピアが汚染されてしまう! それだけは許さん! 何があってもさせんぞ! この大地には、青空を夢見て朽ちていった、亡き戦友の墓を建てねばならんのだ! 奴らの墓標を日の光で照らし、これから生まれてくる世代にその名を読ませねば、あの世で合わせる顔がない!

 俺は全部隊に通信を入れた。

「LWリーダーから全部隊へ! 全員その場で静止! 何があっても動くな!」

 すぐさま指揮車のサクラのみに通信を切り替える。

「LWリーダーから指揮車へ! マリアをそちらに搬送する。受け入れ準備を整えろ。救急キットと洗浄水を用意しておけ!」

 サクラが息を飲んで、しばらくの間黙り込んだ。あえて口にしなかったが、良くないことが起ったのは理解したようだった。

『ッ……指揮車了解。マリアの収容準備を整えます! オーバー』

 俺はマリアの胴体を首の後ろに乗せて担ぎ上げ、手足を持ってしっかりと支えた。そして洞窟を駆け上がろうとする。

『あんのー……アタシはどーすればいーの? 今アタシは何? どこの配属? 待てっつわれてもどこで待機よ?』

 ロータスから不安そうな通信が入った。クソ。そういえば任務の引継ぎがまだだったな。偵察隊でもアカシアとロータス、どっちがリーダーか決めてないので、決断を下せないでいるのだろう。

「さっきも言った通り、お前はLWに入れ。しばらくしたら俺はLWリーダーから、シエラリーダーになるから、それまでコールサインの混同がないように気を付けろ。ひとまずアカシアの指揮下に入り、情報を共有しろ」

『おっけぇ。ケッ……ガリチビ陰キャの下かよ……』

 こんな所でもたついていたら、マリアがお陀仏になってしまう。これ以上の作戦続行は不可能だ。全員でヘイヴンまで撤退し、マリアに治療を施してから、部隊を再編成して占領を――うん? 何の……音だ? ふとバイオプラントから、ぜんまい仕掛けが動くような、チキチキという音が聞こえた。俺はハッとして顔を上げると、ゆっくりとエアハッチを振り返った。

 エアハッチの内部は、とても汚染空気の密度が濃い。洞窟の隙間から差し込む木漏れ日すらも、汚染空気に溶け込まないほどだった。汚染空気は濃茶の霧となって、エアハッチの中に何があるか隠し続けていた。俺は懐中電灯の光を当てるが、汚染空気の霧は光を跳ね除けて、外に流れ出るその動きが分かるだけだった。

 しかし懐中電灯の光が、呼び水となったようだ。チキチキという音が大きくなり、濃茶の霧は中で何かが蠢いた。そして揺れる霧の幕を割って、巨大なアリが姿を現した。

「な……なんで……テメェが……こんな所にいやがる……」

 アリの容姿はユートピアで見るものとほぼ差異はない。頭と胸、腹があり、触覚が空で遊び、脚の関節もきちんと二つだ。しかし体躯は汚染物をまとうことでざらざらしており、それでいて鮮やかな玉虫色をしているのだ。見る者の不快感を強烈に刺激した。頭には巨大な複眼の他に、眉間に角のような鉱石が埋め込まれている。それがときおり振動して、あのぜんまい仕掛けのようなチキチキという音を発するのだった。そしてそのサイズ、犬ほどのデカさもある。

 汚染世界で何度も可愛がってやった。爆弾で吹き飛ばし、ナパームで焼き払い、銃弾で細切れにしてやった。それでもこいつらは尽きることを知らず、俺たちに襲い掛かって来た。

 メガロミルギル(巨大化アリ)。ミューセクトだ。

 俺はモーゼルを素早く抜くと、汚らしく蠢く触覚に向けてぶっ放した。銃弾は狙いを違わず触角を撃ち抜き、根元からちぎり落とした。メガロミルギルがチキチキと眉間の鉱石を鳴らし、まるで鉄パイプのような太い足で、ちぎれた触覚を擦りはじめた。ヤロウいきなり触角を吹き飛ばされて、パニックに陥っているな。俺はその隙に眉間にある鉱石に、モーゼルの全弾を叩きこんだ。

 ミューセクトの眉間には、必ず『震角』と呼ばれる鉱石状の器官がある。汚染世界では視覚がほぼ役に立たない。何故なら眼に汚染物が付着して、すぐにやられてしまうからだ。そこで発達したのが震角だ。この器官はまさに鳥の嘴の様に、尖った形をして上下に分かれている。そして打ち合わせることで音を発し、その反響で周囲を探る事ができるのだ。

 メガロミルギルの震角は銃弾を浴びて砕け散り、奴はショックを受けたのか、脱力してその場にへたり込んだ。

 退却しようとすると、エアハッチの霧を割って、新たなメガロミルギルが姿を現した。確認できるだけで五匹だが、こいつらの生態を考えると『最低』で100匹はいる。

 バイオプラントにこんなものを積み込みやがって……何を考えているんだECOは!?

「ふざけるなァ! クソッタレのア○共が! 見つけ次第ブチ殺してやる! 殺してやる!」

 俺はモーゼルをしまいマリアの腕を握り直すと、一目散に洞窟の出口へと駆けだした。こんな豆鉄砲では殺せん。アサルトライフルでバラバラに引き裂かないとこいつらは死なない。

 洞穴から飛び出ると、俺にクロウラーズの視線が集中した。人の首はもちろんのこと、人攻機の首までもが俺の方を向いている。発砲したからな。知らんぷりしている方がおかしい。そういえばさっきから、デバイスが着信を知らせて振動している。無視だ。今はミューセクトと、汚染空気の流出を止めるのが先だ!

「偵察隊! 臨戦態勢! バイオプラント前に急行せよ!」

 俺はのどが裂けんばかりに絶叫した。アカシアとロータスは何事かと戸惑っていたが、俺の命令を耳にしてすぐにオストリッチで駆け寄ってきた。

「洞穴を包囲せよ! 出てきた化け物が敵だ! 撃ち殺せ!」

『サー。イエッサー!』

 アカシアは洞窟の東側に陣取り、ロータスは西側を担った。彼女たちは素早く、オストリッチの首にマウントされた機関銃を構えて、洞窟の入り口に狙いを定めた。しかしアカシアは浮かない顔で、俺のことを見つめてきた。

「ねぇ、それって――」

「人類ではない! 存分に戦え!」

「サー、イエッサー!」

 アカシアは安堵に笑って、勇ましく返事をした。今のうちに俺はサクラに連絡を入れた。

「LWリーダーから指揮車へ! 敵襲! 繰り返す! 敵襲だ! マリアをキャリアに収容したいが人手が足りん! サクラ! キャリアでバイオプラント前まで急行してくれ!」

『えっ……!? は……はい! サー! イエッサー!』

 次いでプロテアに通信を入れた。

「LWリーダーからアルファヘッドへ! プロテア! 聞こえるか!?」

 応答したプロテアはピリピリしている様子で、俺にいくつもの質問を投げかけようとする。仕方のないことだ。アクシデントが立て続けに起こるなか、何もすることが許されず、人攻機での待機を命ぜられているのだから。自分も打開に向けて何かしたいと、気持ちがはやることとだろう。しかし問題はバイオプラントだけではない。異形生命体とAEU――そして今ではECOの脅威も加わったのだ。お前達は周囲の警戒に努めていて欲しい。

『オイ銃声がしたぞ!? 何がどうな――』

「今お前とくっちゃべる余裕はないんだ黙って聞け! 指揮系統が滅茶苦茶になった上に、指揮車が無人状態だ。立て直す時間も糞もない! 作戦は失敗だ! 我々はこれより撤退する! アルファチームはキャリアを護衛しつつ、撤退の準備を整えろ!」

「き……きたぁ! 何あれぇ!」

 アカシアの引きつった悲鳴に、俺はバイオプラントを振り返った。今まさに根の洞窟から、メガロミルギルが三匹這い出てきた。先頭は完全な個体。それに先導されるように、俺が触角を潰した個体が続く。そして後詰めに完全個体が一匹だ。メガロミルギルは急に開けた周囲に戸惑ったようだ。その場で足ぶんで震角を打ち鳴らした。やがて偵察隊を見つけ出したのだろう。頭をアカシアに向けると、馬に負けない速さで襲い掛かってきた。

 アカシアとメガロミルギルとの距離は、すぐになくなっていく。そして相対距離が七十メートルを切った頃、俺は大声を張り上げた。

「撃て撃て撃てェ!」

 俺が号令を下すと、アカシアとロータスは機関銃を乱射した。12.7ミリの弾丸が、嵐となってメガロミルギルに降り注ぐ。先頭の個体は集中砲火を受けて、頭がザクロの様にはじけとんだ。メガロミルギルは一瞬怯みはしたものの、前進を続けてオストリッチに肉薄していく。触角や震角を潰しても、脚で振動を拾い目標を定める事ができるのだ。

 人間なら瀕死の傷を負わせても、なお立ち向かって来る。ここまではクロウラーズも、異形生命体で慣れている。

 絶え間なく浴びせられる銃弾の嵐は、先頭のメガロミルギルの頭を叩きつぶし、その根元にある胸までもをズタズタに引き裂いた。メガロミルギルは脱力して、地面に崩れ落ちる。しかしまだ脚は活発に、空を引っ掻いていた。

 アカシアは唯一残った腹に、集中砲火を浴びせた。腹には大穴が穿たれて、周囲にオイルのような鈍色の体液が撒き散らされる。メガロミルギルは潰れた頭を垂れて、傷だらけの胴体を横たえ、穴だらけになった腹を地面に引きずった。異形生命体ですら絶命は必至だ。しかしメガロミルギルの脚は六本とも、胴体につながったままだ。『構造上』歩けるのだ。

 奴は震える足で立ち上がると、なおもオストリッチめがけて突っ込んできた。

 これがミューセクトの厄介な所だ。昆虫と一緒で、神経中枢が身体中に分散している。首を切り落としても、三十分は身体だけで動き回る。どれだけ加害しても、胸に脚がついてバランスが取れるのなら、平気で歩き回るのだ。

「こっ……殺したのに生きてるよぉ!」

 アカシアは攻勢を緩めないメガロミルギルに及び腰となる。彼女は射撃の手を緩めて、数歩後退った。

「ただデカいだけの虫にビビってんじゃないわよアホ!」

 ロータスの叱咤が飛ぶ。彼女は俺が触角と震角を潰したメガロミルギルに、機銃を撃ち終えたところだった。見るとメガロミルギルの右側の脚が、根元から綺麗に吹き飛ばされていたのだ。哀れメガロミルギルは残った左側の脚で、無様にのたうちまわることしかできなくなっていた。

 ロータスはアカシアが撃ち漏らしたメガロミルギルに、横から機銃による攻撃を加えた。アカシアを狙っていたメガロミルギルは、胸部を細切れになるまで撃ち砕かれ、脚を四方八方にばら撒きながら絶命した。

 ロータスの快進撃は止まらない。彼女は続けて、最後尾のメガロミルギルに狙いを定めた。的確に震角を撃ち抜いて怯んだところを、片側の脚を集中して吹き飛ばし、身動きをとれなくしてしまった。

 ロータスは機関銃を撃ち終え、銃口を上に向けると嬉々として叫んだ。

「はァい! いっちょ上がりィ!」

 手慣れてやがるな……以前そういった経験があったかのようだ。ロータスは汚染世界で、このクソ忌々しい虫けらの相手をしたことがあるに違いない。そうなると不慣れなアカシアは後退させて、サクラの補佐をさせた方が良い。

 俺の背後で、タイヤが地面を削る音がした。振り返るとサクラがキャリアから飛び出して、荷台から担架を引っ張り出しているところだった。彼女は俺の元に駆け寄ってくると、その足元に担架を広げる。俺はその上にマリアを寝かせて、じっくりと容体を確認した。

 マリアは気を失って、ぐったりと担架の上に身体を投げ出していた。その身体に塗布されたジェルは、表層が汚染を吸ってくすんだ茶色になっている。さらに魚のうろこみたいに固まり、めくれ上がっていた。ジェルは汚染を吸うとこのように剥離して、セーフエリアに汚染を持ち込まないようにするのだ。

 肝心のマリアは、たった数分の間にかなり悪化していた。彼女の肌には緑色の腫瘍が浮き上がっていたのだが、擦ったことで膜が破れて、中の膿が顔中に広がっていたのだ。膿は付着した皮膚を爛れさせて、崩れた肌からやや青がかった血を流させていた。そして――眼。マリアの白目は内出血で、白目と黒目の境界があいまいになっていた。その眼球の中では暗雲のように、黒い不純物のもやがゆらゆら動いている。水晶体に……汚染物が入り込んじまった……これを治すなんて……新しい目玉とそれを取り付ける医者がいる。もう――彼女は外の景色は拝めんかもしれん。

「ひ……ひどい……」

 サクラがえづくのを堪えるように、咽喉に手を当てながら呟いた。彼女は手持ちの洗浄水(対汚染ジェルの粘度を下げて、液化したもの)を使って、マリアの顔を洗い流す。そして身体をさすって、汚染で固まったジェルをこそぎ落とした。

 俺はアカシアを手招きすると、オストリッチの手綱を寄越すように顎でしゃくった。

「アカシア。俺と交代だ。オストリッチを降りて、サクラと共にマリアを後送してくれ」

 アカシアは未だメガロミルギルと相対したショックを引きずっているのか、顎を震わせながら小刻みに頷いた。

「えっ……あっ……うん……何でぇ!? 確かに僕、今手際悪かったよぉ! でもずっと一緒に訓練してた僕の方が上手くやるよ! もっかいチャンスちょうだいよぉ!」

 辛い訓練を乗り越えて、任務に臨んでいるのだ。更迭されればその努力が無駄になったと思い、受け入れられないのは分かる。だがこれ以上の命令違反は、暴力に訴えてでも止めてやる。

「アカシア。俺と交代だ。オストリッチを降りて、サクラとマリアを後送しろ。マリアの命がかかっている。これ以上は優しく言えんぞ?」

「あ! は……はぁい! ごめんなさい」

 アカシアに対して久々に、不機嫌そうな声を出す。彼女は顔面蒼白になりながら、慌てて敬礼をすると、オストリッチの手綱を預けてきた。

「アカシア。マリアを付きっきりで見てやれ。目を覚ましたらモルヒネを打て。じゃないと彼女は暴れる。サクラ。マリアを安置したら、ダミーバルーンもって来い」

『サー、イエッサー』

 二人は声を揃えて返事をすると、協力して担架を担いで、小走りで指揮車へと向かっていった。

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