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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目前半【ECO編】
159/241

辺獄-5

 プロテアも薄々、悪い予感がしていたのだろう。気を静めるためか息を飲んで、しばらく黙り込んだ。やがて緊張のこもった溜息を吐くと、抑揚のない淡々とした口調で答えた。

『サー。イエッサー――全部隊に通達。作戦は一時中断。繰り返す。作戦は一時中断。全部隊は今の持ち場を維持し、別命あるまで警戒を厳にせよ。これよりアルファリーダーはLWに指揮権を委譲。以降はアルファヘッドとしてアルファチームを統制する。各隊長はLWリーダーの指示を待て。オーバー』

 プロテアの通信が終わると、レイピアの関節固定の警告灯が消えた。そして二躯の人攻機はすっくと立ち上がり、キャリア護衛のためMA22を森へと構えた。だがサン機とデージー機の双方が、作戦中止の理由を問う様に俺に一瞥をくれたのだった。キャリアからも、運転席のマリアが不安そうにこちらを見つめている。

 浮足だっているな。ここは遮蔽物が多いし、木々が密集して身動きがとりにくい。防御するには最悪で、奇襲を受けたらひとたまりもない。プロテアの持っている情報をとっとと受け取って、すぐにでもここを離れるべきだ。

「プロテア。お前も違和感がしていたのだろう? 何かに気付いたのか? 不審点があれば教えてくれ」

 プロテアは考え込むように、間の伸びた唸り声をあげる。そして首を左右に振ったのか、ミスリルダガァが小刻みに首を振った。

『いや……ここまで来るのに、何の障害も無かったからさ。上手くいっている時って、逆に不安になるだろ? 俺が思ったのはそれだけ。非常事態っていうけど、何が非常なんだ?』

「今のところ俺にも分からん。ただ木の腐食が捨ておけん。最初は古木が腐っているのかと思ったが、若木も腐り落ちている。動物がいなくなったのが木の腐食と関連あるのならば、生物にも影響のある毒物が散布されているかもしれない」

 ここでプロテアは、暗闇を怖がるパギを笑う様に、乾いた笑いをこぼした。

『それはちょっと……神経質すぎるんじゃねぇのか? 検知器に反応はなかったんだろ? だったら問題ナシだ。それに毒とバイオプラントは関係ないじゃないか』

 お前たちユートピア生まれ(暫定的だが)、ユートピア育ちには分からんだろう。俺のような汚染世界生まれ汚染世界育ちは、毒物に極めて敏感で不快感を持っている。何故なら毒の危険と常に隣り合わせで、その存在に気付いたときは、既に手遅れになっていることが多いからだ。『あの時、もっと注意しておけばよかった』と嘆きながら、くたばっていった連中の顔は、忘れようとしても忘れられないものだ。

「関係はないが、関連はある。バイオプラントを軸にして、ここで何かが起こっているのは間違いない。それを特定できねば、思わぬ攻撃を受けて壊滅する恐れがある。しかし残念だが特定するには、時間がなければ設備もない。ここは防御に不向きだし、腰を据えるなら基地の設営が先だ。よってバイオプラントは後回しだ。何か質問は?」

『分かった。とりあえずアルファチームに意図を伝えて、基地の設営予定地までの護衛に任務を変更する。今から準備を整えるよ』

 護衛のアルファチームはプロテアに任せておけばいいだろう。俺は指揮車に移って隊を掌握しないと、不安に負けた隊員が独断専行に走るかもしれない。ここで崩れたら立て直すのが面倒だ。

 本来なら俺が指揮車に戻るまで、指揮権の委譲を行うべきではなかった。しかしレイピアからサンとデージーを降ろすまいと、つい先走ってしまった。してはいけないポカをやらかしたな。

「そっちはもうアルファヘッドとして機能してくれていい。俺は指揮車に移る」

『了解。やっぱこっちのほうが俺は落ち着くわ。頼んだぜ。隊長さん。オーバー』

 プロテアの通信が切れた。俺は次いで指揮車に連絡を入れた。

「サクラ。ロータスを偵察チームに編入し、以降LWを委任する。ロータスに代われ」

『サー、イエッサー』

 サクラは一切の口を挟まず了解する。むしろ俺が指揮車に来ると聞いて、安堵しているようだった。少しのノイズの後、ロータスの声が聞こえた。

『はぁい、こちら美女。ドブスさん、なんか用ですか?』

「俺だ」

 デバイスから無線機を何度かお手玉する音が聞こえた。どうやらサクラだと思って、おちょくろうとしていたらしい。最後は床に落としたのであろう、派手な金属音を終止符に雑音は収まる。それからロータスの、甘ったるい声が耳朶を打った。

『ダーリンあっははぁ! 今のは違うのよん! ちょっと混線してたみたいでさァ!? サクラがこのクソ忙しい時に、世間話ふって来るからさぁ! アタシもついつい悪口言っちゃってぇ!』

 言い訳も戯言も聴きたくない。偵察を任じた後はなおさらだ。貴様、勘だけは天性のものを持っているようだが、先入観が強く思い込みが激しいところがある。土壇場で信頼をおけないのだ。本来なら偵察にしたくないが、プロテアは部隊長を外せん。サクラには意見を問いたい。アジリアには殊更護衛に気を払ってもらう必要があるし、デュランダルに乗れるのは彼女だけだ。他に適任がいない。

「ロータス。俺と交代で偵察にはいれ。持ち場はLW、コールサインもそれと同じだ。分かっていると思うが……俺を失望させるなよ?」

 釘を刺すと、ロータスの喉が生唾を飲み込んで、こくりと鳴るのが聞こえた。彼女はいつぞやの様に、へらへらと余裕なく笑った。

『も……もちろん張り切るにきまってるじゃなァい! やぁだも~! こんな使えるアタシに何てこというのよ! 今すぐ行くから待っててねん!』

 これでふざけた真似は慎んでくれるといいが。

 一度ヘイヴンに引き返した方が良いかもしれないが、手ぶらで帰ることはできない。バイオプラントが占領できなくとも、前線基地だけは設営する。AEUが森に侵攻した可能性が高くなった今、地形的にこの森に拠点がなければ、クロウラーズの防衛ラインはヘイヴンになってしまう!

 ロータスの到着を待つ間、全部隊に現状報告をするべきだな。デバイスを操作して、クロウラーズ全員に通信を送った。

「全員に告ぐ。我々はバイオプラントの占領を断念し、これより前線基地の設営に移る。繰り返す。バイオプラントの占領は断念する。これより前線基地設営ポイントまで行進する!」

 アルファヘッドのプロテア、シエラヘッドのサクラ、そして偵察隊のアカシアから、了解の通信が返って来る。各員戸惑いつつも俺の指示に従い、無用な口を挟まなかった。

 しかし、唐突にその声は上がった。

『待ってよ旦那! え……!? バイオプラントを手に入れないの!?』

 マリアが慌てた様子で通信をかけてきたのだ。マリアはキャリアを運転しており、当然そこには通信機がある。しかし使ってもいいのは緊急時のみだ。俺にくだらない文句を垂れるのは、当然緊急時に含まれない。

「作戦行動中だ。私語は慎め!」

 俺は叱りつけるが、マリアは珍しく食い下がった。ガラスに爪を立てたような金切り声で、喚き散らし始めた。

『知ったことじゃないよ! バイオプラントを手に入れるんでしょ!?』

「貴様はリーダーではない。余計な口出しをするな」

『リーダーじゃないけど! メンバーだよ! 《クロウラーズ》だよ! 私たちのことだよ!? 自分だけ知った風な顔して! 何でもかんでも決めて! いい加減にしてよ!』

「おい! 不要な通信をするな! 傍受の危険性がある!」

『うるさい、うるさいうるさい! 旦那言ったよね! 世界はいいもので溢れているって! バイオプラントもその一つだって! だから前に進むんだって! 今ここで手に入れないでどうすんの!? また帰ってギスギスするの!? これで終わりって言ったじゃない!』

 マリアは喚くだけでは感情を抑えきれなくなったのか――キャリアを何度か殴りつける音が聞こえた。

 俺の脳裏に、壁をめちゃくちゃに殴りつけるローズの姿がよぎった。もうあんなのは勘弁だ。マリアは完全にキレている。こうなったらもう何を言っても無駄だ。本当のことを教えるしかない。

「バイオプラント周辺の森が腐食を起こしているんだ! わかるか!? 木が腐っているんだ! 原因が毒によるものか、薬品によるものか、AEUの仕業か、バイオプラントに問題があるのか、自然現象なのか、皆目見当もつかんのだ!」

 マリアは俺の言葉の合間を縫って反論しようとしたが、俺は語気を緩めず声で圧倒することで封じ込めた。今は時間がないんだ! 後でお前の愚痴は聞いてやる! 今は黙って俺に従え!

「危険と判断したため! 当初の予定通り基地の設営だけを行う! 基地を拠点に腐れ木の解析を行い! 占領を実行する! 理解したか!?」

 俺は無言になったマリアの反応を窺った。彼女は喚くのをやめて、すっかり上がった息をマイクに吐きかけていた。マイクはその他にも、サクラがドアを叩いていると思しき、硬い金属音を微かに拾っていた。やがて疲れ切った声が沈黙を破った。

『それはいつ終わるの?』

「じきに終わる。そのためにも前線基地を――」

 軽蔑の引き笑いが、俺の言葉を遮った。

『はっ……ふざけんな。バーカ』

 無線機が床に落ちたのであろう反響がして、すぐにドアが開く音が続いた。まさか――俺の全身の毛が逆立ち、胃袋がひっくり返るような吐き気が込み上げてきた。

「ダーリンおまたせぇ!」

 同時にアサルトライフルを担いだロータスが、俺の元に駆け寄って来る。指揮車の様子を知りたいが、ロータスの姿に隠れてよく見えない。ただ不安を煽るように、サクラの怒声が聞こえてきた。ロータスを押し退けて指揮車を確認すると、マリアがミスリルダガァの広げた道を、全速で走っているのが見えた。彼女が身に纏うのはライフスキンだけで、拳銃はおろかヘルメットすら着用していない。ほぼ丸腰の状態だ。彼女はミスリルダガァの足元をすり抜けて、根の洞窟へと向かっていった。

「待て! マリア! 勝手に動くな!」

 俺は怒鳴りつけたが、マリアは止まらない。指揮車からはサクラが止まるように怒号を飛ばし、俺の足元ではロータスがひたすら謝っている。この騒ぎを目にしてレイピアたちがたじろいで、アカシアは警戒を忘れてマリアと指揮車を交互に見やっていた。

 いかん! 統率が乱れた!

 そうこうしているうちにも、マリアは根の洞窟の中に身体を滑り込ませ、どんどんバイオプラントに近づいていく。このままではマズい。かといって本隊を放置することもできん。今全体を俯瞰し、待機に適切な命令を下せるのは――

「サクラ! 一時的に指揮をとれ! 現状維持に努めろ!」

「マリアとまりなさい! 持ち場を離れ――さ……サー! イエッサー!」

 サクラからすぐしまった返事がした。そして俺は落ち着けるように、ロータスの肩をひと撫ですると、オストリッチを根の洞窟に走らせた。入り口でオストリッチを乗り捨てて、懐中電灯で洞窟内を照らす。洞窟が孕んでいる闇が薄れて、木の根が連なって出来た天然の回廊があらわになった。

 俺は急ぎ一歩進んだ。すると足元の木の根が砕けて、大きくたたらを踏んでしまった。恐る恐る足を持ち上げて確認すると、そこには黒ずんだ腐れ木が粉々になっていた。ここも腐ってやがるのか!

 楽観視をしていられない。マリアが危ない。足元を注意深く確認しつつも、転がるようにして奥へ進んでいった。

「もう限界! いい加減にしてよ!」

 奥からマリアの悲鳴が聞こえた。そして金属に力がかかる重厚な響きと、錆びた鉄が擦れて粉の落ちる音がした。俺は昨年、通用口の外殻を剥がしたので、エアハッチのハンドルが露出しているはずだ。それを回しているに違いない。

「マリアやめるんだ!」

「うるさい! 念のため念のためってさァ! そうやって皆を疑って! ありもしないことを恐れて! 自分で敵を作って! だから皆も喧嘩してるんでしょバーカ! 旦那は人類とも喧嘩がしたいのか!?」

 俺はやっとのことで、バイオプラントの前まで辿り着き、入り口の闇を懐中電灯で払った。マリアはエアハッチの前で仁王立ちになり、ハンドルに手をかけていた。腕は全身の力が込められて震え、足はそれを支えるために強張っている。ハンドルはマリアの渾身の力を受けて、隙間から赤さびを落としながら、少しずつ回っていった。

「やめろ!」

 俺の絶叫がこだまする中、ハンドルが回りきった。エアハッチの溝から鋭い風切りと共に、間欠泉のごとく空気が噴出する。その有様といったら――一万年の永きに蓄えたダストを、木の根から滴る水をからめて噴きだすのだから――下水が逆流したような身の毛もよだつものだった。

 ダストが黒い雪となって降りそそぐ中、ハッチが枠から外れる重い金属音がした。エアハッチの扉が、ゆっくりと内側にスライドしていく。マリアは俺を振り返ると、そこでにっこりとほほ笑んで見せた。

「はいバイオプラント手に入れた! これでおしまい!」

 一切の陰りがない心からの笑みに、俺は状況を忘れてホッとしてしまった。ひょっとしたら俺の考えすぎかもしれん。マリアの言う通り、俺が過去を引きずって警戒するから、ありもしない危機を想定してしまったのかもしれない。そうして俺はまた、過去の戦いを――


 は?


 扉がマリアの背後で、エアハッチの内部に固定された。そしてバイオプラント内の空気が、外に流れ出てくる。

 不思議な光景だった。その空気は雲のように目に見えるが、白色ではなく黄土色をしていたのだ。さらに霜でも含んでいるのか、懐中電灯の光に微細な反射光を返してきた。空気は極めて重く、粘度が高いのだろう。まるでスロー再生した雪崩のように、天井から地面へとゆっくりと落ちていった。

 空気はエアハッチの枠を乗り越えて、根の回廊の上を滑るように流れた。空気の触れた場所は、まるで永年の埃が積もったように、びっしりと七色の粉末がこびり付く。同時にマリアは鼻を抑えて、周囲の空気を手で払う仕草をした。

「むぎゃっ! 何これくっさい! ひどいにおいがずる!」

 俺は反射的にマリアへ肉薄した。そうしている合間にもマリアは激しく咳込み、身体をくの字に折った。やがて彼女の身体に塗られた対汚染ジェルに、茶色の斑点が浮き始める。それは瞬く間にシミとなって広がり、マリアの全身を染めあげていった。

 マリアの顔にも茶色の斑点が浮かびだしたころ、彼女は目を激しく擦り始めた。最初は表面を擦る程度だったが、次第に目を抉るような強さになり、その手の甲からは赤い血が滲み始めた。

「い……痛い? いた……痛い!? 痛い! 痛い痛い痛いぃぃぃぃぃ!」

 マリアはかすれた咳の合間を縫って激痛を訴えだす。彼女は針のむしろで包まれたように身悶えし、気が触れたように踊り狂った。

「みぎゃああああああああ!」。

 汚染空気だ!

 俺の頭は真っ白になった。何でこんなものがここにある? マリアを傷つけている?

 何故? 何故? 何故!?

 E……C……O……?

「呪 わ れ ろ ! こ の ク ソ バ カ ヤ ロ ー ! ! !」

 俺は吠えながら、マリアの身体を抱きかかえた。

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[一言] いやなんでヘルメットかぶってないの?
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