辺獄-4
広葉樹の森は枝葉が横に広がるため、木々同士の間隔が広く、三メートルから八メートルほどもあった。木自体の高さは、目測一〇メートルほど。木の枝は幹の大体八メートルほどの高さから伸びているので、森の中といえど人攻機が闊歩し、キャリアが通行できるほどの余裕があった。しかし広葉樹は規則正しく並んでいないので、俺たち偵察隊が広い場所へと誘導する必要があるのだ。
乱立する木々をすり抜けながら、生い茂る草葉を蹴りつける。森は恐ろしく静かで、葉の擦れる騒めきや、そよ風の蠢きがはっきりと聞こえるほどだった。
俺は去年、この森を散々散策した。ユートピアに来てまだ二年と半年だが、この静けさがどれだけ異常なことかは分かる。本来あるべき声が聞こえない。野犬の遠吠えや、豚の身動ぎ、鳥の囀りすらも。生き物の声が全くしないのだ。
胸に差し込んだデバイスが振動し、着信を知らせた。俺は顎でチョーカーの、通話ボタンをプッシュした。プロテアの声が耳朶を打つ。
『アルファリーダーからLWへ。今から森に侵入する。誘導を頼む』
返事ついでに、森の異変を教えておいた方が良いだろう。
「LWからアルファリーダーへ。森の中から動物の気配がしない。明らかな異常である。森の中に何かが潜んでいる可能性が高い。アンブッシュが想定されるので十分に警戒せよ」
『アルファ了解』
次いでサクラにも同じ内容の報告を入れた。するとサクラは心配そうに声を上ずらせて、俺におずおずと進言してきた。
『指揮車からLWへ。偵察隊と本隊の距離を縮めてはいかがでしょうか? 森に生き物の気配がせず、AEUとの接触の可能性が高いのなら、即応できるよう密集すべきです』
思わず乾いた笑いを浮かべてしまう。俺に対して越権行為をするとは、お前もボケたものだな。それだけプロテアの締め付けが甘く、そしてサクラの発言力が大きいという事だ。俺は軽いため息をつくと、やんわりとサクラに問い質した。
「お前は本作戦の指揮官か?」
『はっ? いえ……違いま……す』
サクラの消え入りそうな声が耳をくすぐる。それからしばらく、彼女は言い訳しようと何かを発しかけては、思い止まって唇を食む音を立てた。サクラはドームポリス内を監督しているし、指導者としての振る舞いも板についてきた。プロテアもサクラを同格とみなしているため、彼女の出しゃばりを大目に見ているフシがある。サクラも力を身に付けたのならば、それに振り回される事無く立場を自覚して、指揮系統を乱すようなマネは慎んでほしい。
「統率を乱すな。進言はプロテアにしろ。オーバー」
これで懲りてくれよ。AEUと接触した際に、二つの指示が出てパニックを起こし、間違いが起ってからでは遅い。不安が俺の頭を抑えつけて、この場に足を留めさせようとする。同時に耳元で弱音が囁いた。引き返せ。今ならまだ間に合う。引き返して安全な場所に引きこもれ。
「引き返してたまるか……」
囁きを振り払って、雑草を踏みしだく。
「彼女たちには帰る場所があるんだ。そこに帰してやりたいんだ。俺という戦場から、故郷へと連れてってやりたいんだ」
そして――俺ができなかったことをして欲しいんだ。
願いと呼ぶには必死過ぎ、使命と呼ぶには執念深い想い。そこから湧き出る不思議な力は、まるで誘う様に俺を前へと駆り立てる。
森を進むうちに、行進の妨げになりそうな木々の密集地と出くわした。本隊の出鼻が抑えられないように誘導しつつも、敵が潜んでいそうな草場はマーキングしておく。後から来る索敵能力の高いミスリルダガァに、現場を捜査してもらうためだ。
俺たち偵察チームが送る情報を、サクラは上手く処理してくれているようだ。俺のデバイスには本隊の位置情報と、マーキングした草むらの索敵結果が表示されていく。結果は全て問題ナシ。異形生命体、AEUはおろか、動物すらいなかったそうだ。安心を通り越して、逆に恐怖にかられた。
プロテアもいい仕事をしている。想定される脅威からキャリアを守るように率先し、敵の潜んでいそうな場所の索敵も滞りない。そして本隊の移動が困難になり、進行方向の修正を余儀なくされた場合、速やかに偵察チームの移行先を命令してきた。
しかし、それらの努力は全て無駄だった。
木々の間隔が次第に狭まっていき、木の幹も少しずつ太くなっていく。それでもなお歩を進め、オストリッチでの歩行がやや困難になった頃、目前に三本縦に連なった、天を突くような巨木が現れた。その巨木の根に、目的のブツが埋まっている。
10:16。バイオプラントに到達。行進開始から二時間が経過していた。
俺はアカシアと共に巨木の周辺を回り、待ち伏せされていないか丹念に調べた。そして何もないことを確認すると、アカシアと並んで巨木の前へと歩み出ていった。
アカシアはオストリッチに揺られながら、目を輝かせて巨木に視線を巡らせていた。これほど立派な木は、お目にかかったことがないのだろう。圧倒されているようだった。
「はぇ~……すごぉぉい……あっ? 変に根っこが分かれてるところがあるね。あそこかな?」
アカシアは巨木の根元で、根っこが不自然に左右に反れている場所を指さした。そこは俺が昨年見つけた、根の下に埋まるバイオプラント入り口である根の洞窟だった。
「ああ。あそこがバイオプラントの入り口だ。本隊をあそこまで誘導するぞ」
「サー。イエっ――きゃあっ!」
その時、急にアカシアが悲鳴を上げて、オストリッチごと地面に倒れこんだ。
「おい、どうした!?」
俺はオストリッチの足を止めて、アカシアの方を向いた。彼女のオストリッチは脚を畳み、翼を広げた姿勢で座り込んでいた。これはオストリッチの乗り手が振り落とされた時、すぐに乗りなおせるよう屈むよう設定されているのだ。そのすぐ隣ではアカシアが四つん這いになって、腰をさすっていた。
「大丈夫、大丈夫。ちょっとバランスを崩しちゃっただけ……でもなんでかなぁ。今までも草むらとかじゃなきゃ、足引っ掻けたことなかったのに。爪先のセンサーが壊れちゃったのかなぁ」
アカシアはオストリッチの足元に屈みこみ、その爪先を調べ始めた。そして顔をあげると、手にいっぱいに何かを握りしめて呆然としていた。あれは――おがくずか? いや、腐った木の根か。根は湿り気を帯びて黒ずんでおり、彼女の握りしめる力にすら耐えられず、ぼろぼろと崩れ落ちていた。
「これ……根っこ……腐ってる。オストリッチが踏んだところが砕けて、バランスを崩しちゃったんだ……AEUがなにかしたのかな?」
アカシアが心配そうに俺に聞いてくる。バイオプラントから機械類を運び出すには、密集した森の木々は邪魔である。ひょっとしたらAEUもここを見つけ、バイオプラントの物資を回収するために、枯葉剤を散布したのかもしれない。
「その可能性もある。検知器に反応は?」
アカシアは腰から下げた検知器を、腐れ木の前でぶらぶらさせた。しばらく待って何も反応がないと、彼女は腐れ木を握りつぶして木っ端を振りかける。それでも検知器は黙り込んだままだった。
「あの……その……何も反応ないよ。化学薬品もホーシャノー(放射能)も検知されないけど……」
ますます訳が分からん。枯葉剤や放射汚染もないのに、木が枯れているのか? そんなことがあり得るのだろうか? 腐った根の出どころを目で追うと、どうやらバイオプラントに乗っかる巨木から伸びてきているようだった。俺自身、植物に対する知識がまるでないからな。ひょっとしたら木にも寿命というものがあって、齢を重ねると死に、動物の死体の様に腐るかもしれない。バイオプラントに乗っかっているのは、かなりの年月を経た巨木だ。偶然が重なったとも考えられる。
腐れ木を凝視して思案する俺に、アカシアは小首を傾げながら質問を重ねた。
「冬……かな……?」
「まだ早い。それに冬で木が腐った事はない。念のためその腐れ木は、サンプルとして回収しておいてくれ」
「あ……うん。イエッサー」
アカシアはバックパックから小瓶を取り出して、腐れ木の欠片を採集した。それから彼女は手に残った木っ端を払い落とすと、オストリッチの火器がいつでも発砲出来るように、手綱を腕に引っかけてたぐり寄せた。
検知できないだけで、何らかの毒が作用しているのかもしれない。せっかく対汚染装備できたのだ。使わない手はないだろう。
「アカシア。しばらくヘルメットを密閉し、ボンベによる呼吸に切り替えろ」
「あ……はぁい。検知できない……毒……かな……」
俺とアカシアはヘルメットの吸気口を閉じる。そして腰のボンベのバルブを開き、酸素をヘルメットへと送りこんだ。
巨木の外縁で待機している本隊に、ひとまずは安全だと知らせるか。俺はサクラに通信を入れた。
「LWから指揮車へ。バイオプラント周辺に敵影ナシ。進出に問題はない。それとバイオプラントに乗っかる、巨木の一部が腐敗しているようだ。腐敗の原因は不明。汚染は確認できず。しかし汚染の可能性を否定しきれないので、ヘルメットを密閉するよう各員に通達せよ」
『指揮車了解。対汚染の準備完了後、アルファリーダーに進出を許可します。オーバー』
サクラからの通信が切れて数分後、今度はプロテアから通信が入った。
『アルファリーダーからLWへ。今からバイオプラント前へ進出する。援護せよ』
「了解。アカシア。今からミスリルダガァが進出してくる。バイオプラントに乗る巨木を中央遮蔽物とし、俺は西側の警戒をする。東側の警戒を頼む」
「はぁい」
アカシアは手綱を握る手により力を込めると、オストリッチの動きを確かめるように、その場でぐるりと一回りした。そしてプロテアたちを背中に庇い、バイオプラントに乗る巨木と、森々に銃口を向けた。
俺たちの背後から森の枝をへし折って、人攻機の立てる地響きが近づいてくる。背中をちらと振り返ると、枝葉の隙間から陽光を反射する白銀の装甲が見えた。やがて行く手を遮る緑の帳を押し割って、眩く輝くミスリルダガァが姿を現した。
ミスリルダガァは顔のカメラアイを赤く光らせて、巨木周辺を索敵しているようだった。そして安全を再度確認したのか、重々しい一歩を巨木に向けて踏み出した。ズムっと、ショックアブソーバーとクッションが沈む、人攻機独特の足音が響く。ミスリルダガァは続いての二歩を踏み出して、広葉樹が張る根の上に足を乗せた。体重がかけられた次の瞬間、木が砕ける悲鳴と共に、根が一踏みで分断される。踏み抜かれた足は地面に叩き付けられ、接地の衝撃で木っ端が空高く舞い上がった。
俺は空から降りそそいでくる黒ずんだ木っ端を、一身に浴びながら唇をきつく噛みしめた。今しがたミスリルダガァが踏んだ根も腐っていたのだ。
ミスリルダガァは根っこが踏んだだけで砕けた事に驚いたのだろう。一瞬だけオートバランサーがよろける仕草をした。しかしすぐに体勢を立て直すと、後続のキャリアが通りやすいよう、地上に張り出た根を踏みつぶしながら進んだ。
プロテアは道中まばらに生える若木も、進行の邪魔になると思ったのだろう。脇をすり抜けざまに、乱暴に蹴倒していく。若木はあっさりと根元から折れて、腐って黒ずんだ断面を俺に見せた。
「若木も……腐ってやがる……何がおこってやがる……」
俺の胸中では不安が結集し、鉛の様な重い塊となりつつあった。死んだ木が腐るのではないのなら、腐食の原因は別にあるはずだ。そして木の腐食が、動物がいなくなったことに関係しているのなら、汚染は広がりつつあることを意味している。
これは偶然ではない。必然だ。何かが起こっている。それが何か判明するまで、バイオプラントに手を出すべきではない。作戦は変更だ。
ミスリルダガァはバイオプラントの入り口である、根の洞穴の前まで到達していた。その後ろにはキャリアが続いており、両隣にレイピアが、背後にはぴったりとデュランダルがつけていた。
作戦通りプロテアとアジリアはバイオプランと周辺の警戒に当たり、レイピアに乗躯しているサンとデージーが占領に移ろうとしている。レイピアたちは背中にキャリアを庇う形で膝をつき、関節をロックして警告灯を光らせたところだった。
俺はサンたちが降りてしまう前に、プロテアに通信を入れた。
「プロテア。非常事態を宣言する。指揮権を俺に返還せよ」




