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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目前半【ECO編】
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暴露-2

 戦場において、人間は二種類に分別される。

 まず優秀な兵士。的確に命令を理解し、適切に任務をこなし、敵を殺すために最大限の努力をするタイプだ。彼らは兵士に相応しいが、人間としては極めて異常だ。

 そして無能な兵士。命令を曲解し、任務をサボタージュし、反射的に敵の急所を外すタイプ。彼らは兵士として使い物にならないが、人間としては至極真っ当で、ほとんどがこのタイプに類しているのである。誰もが殺しは嫌いなのだ。

 ローズはまさに、無能な兵士だった。

 振り下ろされたサバイバルナイフは、恐らく狙いだった心臓を大きくそれた。白刃は腋の辺りに突き刺さり、肋骨の上を滑って、胴体の肉を切り裂くだけに終わった。ローズのサバイバルナイフは俺の脇腹のあたりで止まり、噴血を浴びて先端から赤い雫を垂らした。

 俺の胴体には、冷たい棒が刺し入れられた感触が走った。それは即座に灼熱の痛みとなって燃え上がり、苦痛に身体をくの字に折ってしまった。

 俺の胸の前で、ローズは状況が理解できないように、ナイフを振り下ろした姿勢のまま固まっていた。やがて俺が煩悶の呻きを漏らすと、呼応するように意味のない声をこぼしだした。

「わ……ぁ……ぁ……」

 ローズのナイフを持つ手が震えているらしい。俺の傷口に小刻みに刃が当てられて、チクチクと細かい痛みが連なった。彼女はまるで縋りつくように、ナイフを握る手により力を込めているようだった。

 かける言葉が見当たらない。だからそっとローズの肩に手を置いた。すると彼女は冷水を浴びせられたかのように反応し、俺の手を振り払って跳び退いた。ローズはナイフを握りしめたまま、腕をぶんぶんと振り回し、俺が近づけないように威嚇してきた。

「何で反撃しないんだよばかばかばか! あ……殺してよ……殺しなさいよ……もう終わりにしてよぉ!」

 ナイフの反射光がきらめく中、涙の雫が珠のように散った。その無様な有様を見ていると、まるで子供の駄々の様で、こんな状況にもかかわらず笑いが込み上げてきた。クロウラーズからは、俺がこういう風に見えるのだろうか。パンジーにみっともないと罵られるわけだな。

 俺は手が出せないまま、ローズを見守った。すると彼女は突然、サバイバルナイフを両手で逆手に構え、切っ先を自らの喉に向けた。

「もういい! 自分でやる!」

 真っ直ぐに突き刺そうとする。

 それだけはいけない。辛くとも、痛くとも、苦しくとも、それだけは許されない。

 だって彼女にはきっと、故郷で待っている人がいる。帰ることで、絶対に幸せが待っているのだから。今の偽りの生活で、人生を諦めるようなことをさせてたまるか。

「それは駄目だ」

 俺はナイフごとローズの手を鷲掴みにして、その切っ先が彼女の首に埋まるのを防いだ。ローズは激しく首を振りながら、俺から逃れようと激しく暴れた。

「は な せ ば が ぁ ぁ ぁ !」

 俺は全力で握りしめ続けた。筋肉が緊張して、腋下の傷から血潮が上がる。失血によって意識が眩み、身体から力が抜けていくが、俺は力を緩めなかった。やがてローズの体力が先に切れ、彼女は抵抗を弱めて肩で息をし始めた。

 力では勝てないと悟ったのか、ローズは自分の喉をナイフの方へ持っていこうとする。刀身に向かって、身を乗り出してきた。

 俺は反射的にローズを突き飛ばした。ローズは尻餅をついて倒れ、床の上に突っ伏すように倒れ込む。それから胃の中に溜まった悪意を吐き出すように、大声で泣き始めた。

 これからどうすべきか。俺は軽いため息をつくと、二本のナイフを腰のベルトに挟んだ。ドアを閉めたところで、通信までは妨害できまい。アイアンワンドを呼んで、ここを開けさせるのは簡単だ。しかしこのままでは、ローズは同じことを繰り返すだろう。

 俺と……同じように。

 脚に自分を支えるだけの力が入らず、その場でふら付いてしまう。さらに悪いことに、脇の傷からは依然として血があふれ出している。このままだと失血で、倒れてしまうかもしれない。

「ここ。座るぞ」

 俺は泣き崩れるローズから少し距離を取り、床に手をついて腰を下ろした。再び自殺を試みてもいいように、念のため彼女の動向に気を配る。だがもう喚く気力すらないようで、低い嗚咽を上げるだけだった。

 俺はライフスキンの、肩サポーターに手をやった。サポーターはライフスキンの関節部に取り付けられた、クッションの様な装飾品である。様々な機能が備わっており、薬物を空圧注入するための取り付け口や、手足を挟まれて逃げ出せなくなった時のための切断装置、そして動脈を圧迫して止血する止血帯の起動スイッチだ。

 サポーターの外殻を取り外し、中にある四つのボタンを露出させる。ボタンはとてもカラフルで、赤、白、青、緑に塗装されていた。白色のボタンを押し込むと、ライフスキン内の人工筋が駆動して、ギシギシと布ずれの音を立てた。そして左脇の下に仕込まれた止血帯が、きつく俺を締めあげた。

 傷口から溢れる血の勢いが弱まる。今度は腰のパックから、ライフスキンの裂け目を補修する、非常用保護膜を取り出した。厚手のハンカチの様なそれを患部に押し当てて、電磁吸着させるとひとまず応急処置は完了だ。

 一息つくと、伏せったままのローズを遠巻きに見つめた。

 俺に出来ることは何か。

 慰めること? 出来ないだろ。

 奮い立たせること? その結果がこれだ。

 嘘で取り繕うこと? 彼女をどこに導く気だ。

 アジリアの言った通りだ。俺と彼女たちでは、行く先が違う。

 彼女たちは帰る。俺はひたすら進む。

 今の俺に、教師として人を導くことが叶わないなら。人間にすら戻れないと、思い知ったのなら。それでも何かしてやれることがあるとするなら。

 人間だった過去を教えること――もはやそれだけだ。

 それをどう判断するかを、彼女に委ねるだけだ。

「ちょっと……ちょっとだけ……聞いてくれるか?」

 ローズは答えず、伏したまま肩を震わせ続ける。俺は少し間をおいてから、続けることにした。

「資料で見た通り、俺はがむしゃらに戦った。生き残るために何でもやったし、利用できるものはすべて使った。英雄になる前はマフィアに飼われていて、その報酬で補給をしていた。俺がいたのは遊撃隊で、安定した補給なんざないからな。自分で何とかしなきゃいけなかったのさ」

 密輸や契約殺人、果てには抗争に加わったこともあった。ああ。戦場では何とも思わなかった過去が、教室では何と異常に思えることか。この場所を避けるわけだ。そして言い訳になるが、犯罪に手を染めたのには、ちゃんとした理由がある。

「そこまでしたのは、ただ故郷に帰りたかったからなんだ。俺は昔な、教師をしていたんだ。子供の面倒を見て、いろんなこと教えて、一緒に苦楽を共にする仕事さ。あの頃に戻りたかった。仕事を綺麗に終わらせて、ユートピアに辿り着きたかったんだ。俺の仕事の結果、陽気にはしゃぎまわる子供たちを見たかったんだ」

 ローズの姿勢は変わらない。聞いているのかどうかすら分からない。それでも俺は、自分の勝手な懺悔にならいように、そして同情を誘わないように、声色に媚びや悲しみが混ぜずに言葉を紡いだ。

「いろいろあって俺は英雄に選ばれた。兵役が免除され、帰ることが許された。念願の帰郷だった」

 久しぶりに帰った機動要塞天嵐は、以前と様変わりしていた。設備や間取りはそのままだったが、行き交う人、駐躯された人攻機、案内板の言語などが、見たこともないものに変わっていた。俺は駐機所にポツリと取り残され、時間の流れの中、誰かが迎えに来るのをひたすら待ち続けた。

 でも――

「誰もいなかったよ。誰も待っていてくれなかった。何がどうなったか聞こうにも、顔見知りすら消えていなくなっていた。死んだんだよ。みんな死んだ。知らないうちに、俺の故郷はアメ公どもに接収されていた」

 ふと気が付くと、ローズの肩の震えが止まっている様な気がした。聞いていてくれるのかな。そうだと嬉しいんだ。お前にはして欲しくない経験だから、ここで踏みとどまってもらいたいんだ。

「日本人は死に過ぎた上に、遺伝子異常で出生率も低かった。クローン人間を量産する計画も議題にあがるほど、俺たちは減り過ぎたのさ。皆消えてなくなっちまった。教え子がどこに行ったのか、英雄になった俺ですら突き止めることはできなかった。アメ公どものコンバットスクール入って、前線に送られてからはプッツリだ。優しいいい子たちだったからな……俺のようになれなかったんだ……」

 気を静めるために深呼吸をする。すると切り裂かれた脇腹が激しく痛み、俺は苦痛の呻きを漏らしながら身をよじらせた。患部を手で圧迫し、懸命に痛みを抑え込んだ。

 苦痛が引いていくと、霞む視界にローズの姿が入ってくる。彼女はいつの間にか、俺と反対側の聴衆席に背中を預け、三角座りをしていた。ローズは膝と胴体の間に出来た谷間に顎を埋めて、真っ赤に泣きはらした眼で俺を睨んでいた。

 ローズの雰囲気は話を聞くものではない。お前の罪悪感なんか知らない、そしてお前なんかに同情しない。とっとと消えろと物語っていた。

「しばらくスナックで腐っていたな。昔はそこによく来たはずなのに、懐かしい気持ちがしない。とにかく英語が煩くて、初めて嗅ぐ安物の葉巻の煙でむせそうだった。隅っこでちびちびやってると、白豚どもが絡んできやがった。おい。この酒場では猿を飼い始めたのかってな。誰も俺を知らない。誰も名前を読んではくれない。居場所がなかった」

 教師の俺のままだったら、嘲笑われるがままだったに違いない。殴られて、とぼとぼと教室に帰り、織宮たちに慰めてもらっただろう。

 だが帰るところを失くした俺は、もはや俺ではなかった。気に入らない奴を叩きのめし、そいつから搾り取った血を酒に混ぜて飲み干してやる事ができた。絡んでくる阿呆をブチのめし、報復にきた馬鹿を半殺しにしてやり、店を半壊状態にしてやった。それから酒場では竜を飼い始めたというジョークが広まり、一切触れられなくなった。

「しばらくして、トムが来た。ああ。俺を英雄に推したオッサンだ。そいつが帰らないかって。みんなお前を待っている。みんなお前を必要としている。みんな……みんなお前のことを分かってくれるって――あいつは新しい五月雨と共に、俺を迎えに来た」

 君ほどの人材を、遊ばせておくには惜しい。トムは笑う。

 まだまだ敵はいるのだから。君も暴れ足りないだろう? 任官の書類を渡され、チョーカーの情報が退役軍人から、三級特佐に戻された。

 懐かしいんだよ。何もかもが懐かしいんだ。爆音は風の音、腐臭は空気の香り、悲鳴は団らんの肴。みんな俺の所に集まってきて、和気あいあいと戦果を語る。まるで家族のように。

 俺の心は人の温かみで、血の気を取り戻していく。

「戦場に戻ると、みんな俺の名前を呼んでくれる。みんな俺を知っている。みんな俺を迎えてくれる。お会いできて光栄です。レッド・ドラゴン。クソッタレ共がお待ちです。派手に逝きましょう」

 第666独立遊撃部隊の復活だ。隊長は俺、部下は全員三級特佐。みんな俺のように、故郷を失くした根無し草。各地を転戦し、終わることのない殺戮に明け暮れる。着任してから一週間も待たずに、マフィアがコンタクトを取ってきてくれた。『おかえり、キョウイチロー。何が欲しい? 言えよ。俺とお前の仲じゃないか!』

 帰って来た。俺は帰って来たんだ!

 それからの毎日は夢のようだった。

「楽しかった……楽しかったよ……サクラとプロテアがショーギをやるような感覚だ。殺しまくった。殺しまくった。殺しまくった。気持ち良かったなぁ……みんな俺の名前を呼んでくれる。みんな俺を尊敬してくれる。みんな俺を必要としてくれる。でもな……でもな……」

 足りない物がたった一つ。

 ここで俺の瞳から、涙がポロリとこぼれた。さらにみっともなく、一度しゃくりあげる。

「誰も俺を止めてくれないんだ……」

 俺は汚染世界で、終わりなき殺戮の道を進み続ける。振り返る必要はない。安らぐ場所はもうない。引き返す必要もない。出迎える者もいない。

 今ここに俺だけがいて、戦禍だけを残していく。

 だから頼む。これ以上俺が戦禍をもたらす前に。

 殺してくれ……殺してくれ……殺してくれ……。

 よこしまな竜が首をもたげる前に、俺は過去に思いを馳せるのを止めた。

 失血の上に、涙で霞む眼で、ローズを捉える。視界がぼやけて、彼女がどんな顔をしているのかは分からない。ただ互いの視線が、重なったような気がした。

「今は俺が止めたけど、故郷に帰れば、きっと、もっと、お前に相応しい奴が止めてくれる」

 分かってるよ。俺には彼女たちに触れる資格すらないことを。そんな俺が教育するなんておこがましいにもほどもがある。それでも、このユートピアには俺しかいないんだ。俺が彼女たちを、無傷のまま故郷へ送り届けねばならないんだ。

「そしてお前を大事にして、幸せにしてくれると思うんだ」

 俺はがっくりとうなだれる。ついに堪え切れなくなり、俺はさめざめと泣き出してしまった。

「進む理由は……それだけ……なんだ……お前たちに……こうなって欲しくないだけ……ほんのそれだけ……」

 もう抑えがきかない。俺は低い嗚咽を上げながら、溢れる涙を止めようと、躍起になって目を擦った。

「だから汚い過去を知って……憎しみを思い出して……欲しくなかったんだ……」

 それでも瞳からこぼれ出る雫は止まらない。俺は両手を使い、激しく顔面を擦った。やがて顔を擦る気力すら潰え、力尽きた兵士の様に聴衆席に身体を預け、ぐったりと天を仰いだ。

「それだけ……なんだよぉ……」

 俺はむせび泣いた。

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