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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目前半【ECO編】
152/241

暴露-1

 廊下を全力で駆け抜けていき、行く手を阻むドアを乱暴に開け放った。早鐘を打つ心臓に身体は熱く火照り、呼吸は荒くなっていく。それなのに背中を伝う汗は異様に冷たく、足先は恐れで小刻みに震えた。

 七階の間取りは単純だ。田の字に大きな公共通路が通っており、通路に区切られた四角いスペースが居住区だ。そして公共通路の外側に、政府の施設が集中しているのだ。

 居住区の外縁である公共通路にでると、廊下の幅が居住区画のものより広くなった。さらに廊下に並ぶドア同士の間隔が大きくなり、一部屋当たりの面積も増えたことが窺い知れる。ドアにはそれぞれ売店や、分署、消防署などの、白い質素なプレートが掲げられていた。

 デバイスが映す地図の導きに従って、曲がり角を過ぎる。するとドアや窓が一切ない、長い、長い壁が俺を出迎えた。この壁の中が学校らしいが、かなり大きな施設のようだ。

 壁面には広い面積をいっぱいに使って、緑の平原と空を舞う鳥、笑顔で駆けまわる子供が描かれていた。この壁画を描いた人物は、穢れる前の空の色を、知らなかったのかもしれない。子供たちの頭上には、ユートピアの象徴である青空と白い雲などなく、ただ壁の地である灰色が無骨にむきだしになっていた。

 壁沿いに足を急がせると、門を模した両スライドの格子戸が見えてきた。ドームポリスの常設学校――ベーシックスクールの玄関である。門の両脇には壁をくりぬいて、警備員の詰め所が設けられていた。

「誰かいるのか?」

 虚空に問いかける。返事はしない。辺りに人の気配もない。静けさの中、俺の荒い呼吸だけが空しく響いた。

 ベーシックスクールの格子戸を改めてみると、片方が僅かにスライドしており、小柄な人間が通り抜けられるほどの隙間が開いていた。さらに人が通った痕跡として、埃を踏んだ足跡が幾条も内部へと伸びていた。

「やっぱりここか……くそったれめ……」

 足跡を追おうとするが、俺が通るに隙間は少し狭い。鉄格子に手をかけて、自分が通れるほど隙間を広げようとする。だが腕の力だけではびくともしなかった。

 格子戸は車輪で動いているのではなく、ギアによる機械制御らしい。放置された年月がそのまま重りになったように、扉は頑として動かなかった。俺は低い唸り声をあげながら、全身の力を込めて格子戸を押し開いた。

 予想外の運動に、額を幾筋もの汗が伝っていく。俺はそれを手の甲で拭い落としながら、ポツリと呟いた。

「俺ですらここまで苦労するのに……一体誰が……」

 執念を感じる。ここに入った誰かは、確固たる信念と、明確な目的をもっていたに違いない。そしてここで得た情報は、そいつに進軍の妨害を選ばせたのだ。

 だが進むことをやめて、一体どうするつもりなのだろうか。人類と合流するまでは、我々に帰るところも、仲間も、すべきこともないというのに。それとも思い出したのだろうか? 本当に帰る場所、自分が何者か、それゆえに何をすべきかを。

 ベーシックスクールの門を潜ると、出迎えたのは真四角の大きなホールだった。中央には案内所と事務所を兼ねた、円柱形のカウンターが置かれていた。中をちらと覗いてみると、酷く荒らされている。棚と引き出し、全ての封印シールが剥がされ、室内には備品が散らかしてあったのだ。俺は散らかされたガラクタの中、ひときわ目立つ叩き壊されたデバイスを、しばらくの間ぼんやりと見つめていた。

 ホールから先は正面と左右にと、道が三又に分かれていた。左側からそれぞれ初等部、中等部、高等部となっているらしい。廊下の壁の基底部には、非常灯が設置されており、緑色の燐光で足元を淡く照らし出していた。目を凝らしてそれぞれの廊下を見やると、三つ全ての道に埃の足跡が残されていた。

 初等部の痕跡は一番細い。きっと数回往復しただけで、特に何かを触ったりしなかったのだろう。そして足跡の上から、微かに新しい埃が積もっていた。人通りがあったのは前のことだ。違う。

 中等部への廊下は、何度も人が行き来を繰り返して、埃が払われていた。さらにそこら中の部屋を荒らしたのか、廊下が物で散乱している。廊下には足の踏み場もないほど、封印シールの切れ端と、室内にあったのであろう備品が放り出されていたのだ。

 しかしここも違う。放り出されている備品は、壊れたデバイスなどの電子機器が圧倒的に多かった。情報制限されているデバイスからは、何も得られるものがない。答えに辿り着いていない証拠だ。

 高等部。一番廊下の埃が少なく、そして散らかっていなかった。ただ薄暗闇の中、緑のリノリウムの床が真っ直ぐ伸びている。散らかっていないのは、行き来するのに邪魔だからだろう。そして答えを見つけたから、物を荒らす必要も無くなったわけだ。

 ここに違いない。

 俺は腰のホルスターに手を伸ばし、親指でモーゼルを固定する留め金を外そうとして――やめた。だが手は怯えて震えたままだ。足がすくむ。

 心細さを打ち消すために、俺はホルスターに置かれた手を、自らの心臓の前まで持っていく。そして深い深呼吸を何度か繰り返した。

「怖いな……初陣を思い出すよ」

 高等部の廊下を進んでいく。左右に並ぶ教室には窓はなく、ドアが前後に一つずつ取り付けられているだけだった。ドアの封印シールは剥がされているものの、きちんと閉じられていて、荒らされた形跡もなかった。

 歩き続けるとやがて、『視聴覚室』のプレートが掲げられた部屋が見えてきた。室内では映像を流しているのか、白い光がきらめいて機械音声が外に漏れだしていた。誰かさんはポルノを見るみたいに、コソコソするつもりはないようだった。

 俺はゆっくりと、視聴覚室に近づいていった。距離を詰めていくほどに、機械音声の内容がハッキリしていった。

『――このフォールダウン7は領土亡き国家の欺瞞作戦で、我が国際連合軍の戦力をヨーロッパに集結させることが目的でした。領土亡き国家は手薄になった太平洋に集結しており、ハワイに強襲を仕掛けました。ハワイ基地は侵攻を受け、二日で内部の70パーセントを占領され、三日目にアメリカ共和国統合作戦本部より、放棄が決定されました』

 視聴覚室のスライドドアに手を伸ばし、取っ手に指をかけた。冷たい金属の感触が、神経を逆なでする。まるで汚水に指を浸したかのように、怖気が全身を駆け巡った。

 カラーンと。ベルが鳴った。

 聞き覚えのある、心を貫くような音色。それでも俺は、懐かしいと思えない。むしろ疎ましいとすら思える。

 頭の中が真っ白になる。俺は手の平で顔を覆って、顔面を剥ぎ落とさんばかりに指に力を込めた。そうでもしないと、泣いてしまいそうだった。

 幻聴だ。もう思い出せないのに、神の計らいか、悪魔の悪戯か、聞こえてくる。きっと、こんな音色だったのだろうという、憶測を確信に変えて。

『先生』

『先生ェ』

『永瀬先生!』

 胸の中で、何かが千切れそうだ。戦ってもいないのに、どす黒い血を吐きたくなってくる。幻聴から逃れるために、ドアをスライドして中に足を踏み入れた。

 視聴覚室は階段教室となっており、床に固定された聴衆席が規則正しく並んでいた。俺が開いたドアは、聴衆側の出入り口だった。手前から奥にかけて、段差を下げながら長机が整列し、最奥部には教壇があった。

 教壇の背後の壁は、スクリーンを兼ねており、懐かしい戦場の風景が映し出されている。汚染によって腐った土。その上を闊歩する人攻機。飛び交う銃弾の中、オストリッチで突撃をする兵士たち。狂ったような怒号。耳障りな金属の悲鳴。大小問わず連続する爆発。

 幻聴の鐘の音色が、戦場の混沌に飲み込まれて消えてしまう。この時俺は、確かにホッとした。そう。安堵して、顔に貼り付けた手を、離すことができたのだ。

 視界が開けて、視聴覚室の全容が目に入ってくる。そして階段教室の中央で、授業を受ける勤勉な生徒を見つけた。

「誰だ――」

 そいつは俺の呼びかけに反応し、ゆっくりと振り返った。さらりと流れる黒い長髪に、その隙間から儚げな表情が覗いている。雪のように白い肌を、熱き血でほのかに色づかせた女性だ。古く朽ちかけた記憶が一瞬だけ息を吹き返し、俺の心臓を万力のように締め付けてきた。

『おかえりなさい。恭一郎さん』

 教師だったころの同僚――織宮がそっと微笑んだ。

 しかしそれは一瞬のこと。幻想は現実に徐々に蝕まれ、笑顔は瞬く間に無表情で塗りつぶされていく。黒い長髪は短い金糸になり、瞳の色も黒から青へと変容する。そして蜃気楼のように顔が揺れると、感情を押し殺したローズになった。

「遅かったネ……」

 映像のマズルフラッシュが、彼女の横顔を妖しく照らした。彼女は普段の様な、自らが裁縫したひらひらした服を身に纏っていなかった。ただライフスキンに袖を通して、衣装用の布すら飾らず、その艶めかしい肢体をさらけだしていた。

 俺の知っているローズなら、今の恰好を恥ずかしがるはずだ。しかし彼女は自信に満ち溢れて、堂々としていた。きっと手首に巻かれた包帯を、俺に見せつけたいのだろう。包帯は巻いては外し、洗っては乾かしてを、幾度となく繰り返したに違いない。しわくちゃのよれよれで、ボロ雑巾だといっても信じてしまうほど、擦り切れて土色の汚れが目立った。

 言葉を失う俺を余所に、機械音声はマイペースに朗読を続けた。

『国際連合軍は自沈させるハワイ基地から、機密物資を回収する『ブーメラン部隊』を招集しました。メンバーは、ジェリコ・カーター二級特佐、ナヴァロ・ギンスキー三級特佐、シェリル・レスラー三級特佐、キョウイチロー・ナガセ三級特佐――検索ワード――キョウイチロー・ナガセ――一時停止。続けますか?』

「保留にして」

 ローズは慣れた口ぶりで言うと、席を立って俺の元へと歩み寄った。そしてまるで心を見透かそうとするように、真正面から見つめてきた。

 しばらく視線が重なる。やがてローズが侮蔑に口の端を釣り上げた。

「さんざんここに連れ込もうと、あなたの目の前をぶらついていたのに……いざ近寄ると逃げちゃうんだもん」

 言葉がない。実際その通りだからだ。俺にとってこの場所は、敵の潜むジャングルや、薄暗い出撃前のコクピットよりも怖いものだった。

「怖かったんだ。でしょ?」

 確信をついてくる。俺は視線を伏せて、自分でも分からない何かを拒んで、首を微かに左右に振った。

「ばれるのが怖かったんだよね!」

 ローズは怒鳴り声をあげて、近場の机に拳を振り下ろした。骨と木がぶつかる硬い音が、視聴覚室にこだまする。俺は柄にもなく、驚きに軽く身をすくめてしまった。

「ここで何をしている? 答えろ」

 俺は精一杯の威勢を張って命令する。だがローズは俺の動揺を察知したようで、嘲笑うように鼻を鳴らした。

「分かっているくせに。だからここに来たんでしょ?」

 ローズは速足で俺の脇をすり抜けると、胸の谷間から鍵を取り出して、入って来たドアを閉めた。ドアと向き合うことで俺に向けられた背中が、興奮に荒々しく上下している。彼女はその激情が治まるのを待たずに、凄絶な表情で俺を振り返った。

「いろいろ分かったわ。あなたがひた隠しにしていたコト」

「何故鍵を閉める?」

「汚染世界とか……領土亡き国家とか……国際連合とか……何よりあなたのことが……ネ」

 知られた……? ドクンと、心臓が跳ねた。全身が総毛立ち、皮膚が沸騰したかのように泡立つ。俺がどの世界からやってきて、一体何者で、どんなことをしてきたかがばれただと? 言いようの知れない不安が、胸中から溢れ出てくる。後戻りのできない、崖っぷちに立たされた気分だ。しかしこの不安の正体は何だ?

 俺の悪行が知られた? だから何だ。俺は彼女たちに嫌われているし、そうなるように仕向けている。俺を嫌悪する材料が増えたところで、何とも思わない。

 人類の醜い過去を知られた? だからどうした。汚染世界のことが知られてもいいよう、俺は備え、クロウラーズという組織を作った。それにいつかは過去と、向き合わなければならない時が来る。恐れることなどあるか?

 俺は一体何を恐れているんだ!

 分からないというもどかしさが、身体から怒気を溢れさせる。ここにいたくない。何もかもが分からなくて、頭がおかしくなりそうだ。早くこの場から逃げ出したい。

「鍵を……寄越せ……」

 俺はローズへとにじり寄っていく。残った理性――というよりは相手に余裕を見せたいと思う矮小な心が、辛うじて逃げ足を落ち着いた歩みにしてくれた。しかし次の瞬間、眼に入った光景に俺の胆は冷え上がった。

「逃がさないよ。今日は絶対に逃がさない。さぁ……歴史の授業の時間よ……」

 ローズは手中の部屋の鍵を、俺にかざして見せる。彼女はその手を頭上高くに掲げ、天を仰いで口を大きく開けた。鍵を摘まむ指が緩み、小さな鍵は重力に引かれて口の中に吸い込まれていく。こくりと喉が淫靡に蠢き、この部屋を出る手段が、彼女の中に閉じ込められた。

 ローズは手の甲で口元を乱暴に拭うと、教壇に向かって吠えた。

「サリバン先生! タグの81番を再生して!」

『分かりました。スチューデント・ローズ』

 教壇から教師である人工知能の声が上がり、再びプロジェクターが稼働を始めた。閃光が薄暗闇を切り裂き、俺とローズの合間を縫って情報をスクリーンに叩き付けた。

『20XX年。十二人の英雄に、新たな一人が選ばれました』

 その声を皮切りに、映し出されたのは格納庫の映像である。まさに一躯の人攻機が、壊れかけの躯体を駐機所に固定したところだった。

 見覚えがある。監禁状態を解かれた時、トムが俺のプレゼンテーション資料だと言って見せてきたな。

 人攻機は五月雨だ。改造に改造を重ね、修理をひたすら繰り返し、五月雨の面影は残っていない。カットラスの頭部装甲に、無刃の物を引っ張って来た胸部装甲、腕部には固定装甲はなく、代わりにシャスクの装甲タイルが滅茶苦茶に張られていた。脚部装甲は何だっけ。乗っていた俺ですら良く分からないのだから世話がない。マフィアが紹介した業者は、実験の許可が下りなかった試作品だとかほざいていたな。結構役に立った。

 人攻機の股座の搭乗口が開き、のそりと人影がおりてくる。

『レッド・ドラゴン。キョウイチロー・ナガセです』

 特別佐官が袖を通す黒のライフスキン。不機嫌そうな仏頂面。黒のザンバラ髪をした日本人兵士。そいつは自分を撮るカメラに気が付くと、眉間に寄せた皺をより深くした。

 俺は身体の向きを、ローズから映像の方へと変えた。

『彼は英雄に数えられながら、敵へ機密物資を渡そうとした大罪人、アロウズ・キンバリーを粛清し、彼女と入れ替わる形で英雄となりました』

 映像が切り替わる。そして俺が暴れ狂う、戦闘資料が流れ始めた。映像は戦場となった施設の監視カメラを回収したものらしく、ノイズが激しくちらついていた。赤い竜は汚染空気の靄の中、雄叫びをあげながらショットガンを乱射していた。

『彼の功績を一言で表すのなら、その圧倒的戦果に他なりません。王妃マリカ・セレンの単独暗殺阻止。生還率十七パーセントのハイランダー迎撃作戦に参加。226避難所単独鎮圧――そして遺伝子補正プログラム単独奪還です。単独という単語が目立ちますが、これは彼が置かれた過酷な状況を現しています』

 機械音声によるナレーションが途切れ、戦闘資料だけがしばらく流れ続けた。俺の過去がスクリーンで奔流する中、ローズは淡々とした口調で聞いてきた。

「これ。あなたよね」

「そうだ」

 俺は上の空で答えてしまう。意識はスクリーンに流れる映像へと、釘付けにされたままだ。

 こんなことがあってたまるか? 同じ過去のはずなのに、戦場には恐れを抱かないのだ。それどころかとにかく懐かしい。ここに俺の全てがあると確信できるのだ。

 確実に何かがおかしい。確実に何かが狂っている。ボタンを一つ掛け違えたまま、服を身にまとったような違和感が、心をざわつかせる。

 あれ? ひょっとして、これが俺の問題の核心なんじゃないのか? 俺が今まで見まいとしてきた、根本的な彼女たちとのズレなんじゃないのか?

 逃げることしか考えなかった頭に、少しだけ戦う気持ちが湧き出てくる。俺は少し視線を彷徨わせてから、ローズへと向き直った。

「英雄なんだ。あんな酷いことしておいて……英雄になれるんだ!?」

「あんなこと。あんなこととは何だ?」

 知りたい。彼女が何を知ったかではなく、知った結果どう思ったかを。俺と同じ立場になって、何を想ったのかを。聞き返すと、ローズは嫌悪を顔中に広げて、俺に指を突きつけながらにじり寄ってきた。

「人間のすることじゃないわ! マリカ・セレンの結婚相手調べたわよ下種野郎! 彼女は一二歳で相手は八十過ぎの変態ジジイじゃない! 子供に何してくれてんのよクソ馬鹿野郎!」

 ずるりと、俺の脳ミソに見えない手が突っ込まれ、記憶が引きずり出される。そういえば、初陣の任務はそんな内容だった。アロウズの野郎が、俺のコクピットに子供を放り込んだ。そのまま転任先のAEU領まで護衛の任務だ。

 いい子だったなァ……あの頃はまだ兵士になりたてで、教師としての雰囲気が体に染みついていた。玩具であやして、教師だった時の話をして、仲良くなって……いつの間にかアロウズに置いてきぼりにされ――そこを暗殺者に襲われた。殺すつもりだったんだろう。帰還後、セレンはこのまま護衛を続けてくれと誘ってくれた。だけど断った。俺には他に帰る場所があったから。

「ハイランダー迎撃作戦はトドメの役でしょ!? 仲間がゴミの様に殺されるのを眺めて、美味しいところを持っていただけでしょ! 226避難所であったのは鎮圧じゃない! 虐殺よ! 千人近く殺したってあなた狂ってるわよ!? しかもガスも爆薬も使わずにですって!? 頭おかしいんじゃないの!?」

 あったなぁ。アメリカ本土へ特攻を仕掛けたハイランダーを、爆弾で吹き飛ばした。嫌だった。どうしてもリリースボタンを押す手が鈍った。だってハイランダーには、足止めをする仲間がまとわりついていたから。結局もろとも吹き飛ばして、俺は発狂寸前まで追いつめられた。それでも自分を取り戻すことができたのは、故郷の教え子から手紙を受け取れたからだ。

 二二六避難所はしょうがないよ。だってあそこにいたのは避難民じゃない。食人鬼どもだ。だから俺に出来る限り殺してやった。あれ? なんか狂ってきていないか? そんなはずはない。だって俺は変わらないように、故郷から届くボイスメールを、何度も何度も繰り返し聞いたんだ。あいつらが知っている、俺のままでいられるように。

「極めつけに自分の恋人を殺したんでしょ!」

 アロウズのことか。恋人じゃないが、その方がドラマチックだから、情報に手が加えられたのかもしれない。殺したよ。殺したとも。それが正しいと信じて、俺がやったんだ。

 俺は英雄となり、念願の帰郷が許された。

「ナガセ……もう一度キクワヨ……あなたはここから来たのね?」

「そうだ」

 俺は戦場から、念願の故郷へと帰って来た。

 でもな、遅すぎた。誰も待っていてくれなかった。何も残っていなかった。

 俺たちはすれ違い、もう永遠に巡り合うこともない。

「私たちを……ここに連れて帰ろうとしているのね?」

「そうだな……」

 ポロリと、口から言葉がこぼれる。でも本当は、無様に泣き出したかった。

 俺と彼女たちの、ズレが分かった。

 彼女たちは、忘れているだけで、帰るべき場所がある。彼女たちは進んでいると勘違いしているが、実は懐かしき故郷に帰っているのだ。そして進むたびに過去に触れて、元の自分に戻っていくのだろう。

 俺にはもう、忘れたうえに帰る場所などない。ただひたすら突き進むだけ。だから殺されたいと宣うんだ。安らぐ場所などなく、引き留めるものも誰もいないから。進むうちにきっと俺は、彼女たちすら忘れてしまうのだろう。

 胸の内がやるせない思いでいっぱいになり、身体から力を奪っていった。

「帰りなよ! あなた独りで! 独りで帰ればいいじゃない! そこで好きなだけ争えばいいじゃない! 殺し合えばいいじゃない! 私たちを巻き込まないで! それとも私たちを犠牲にして、もう一度英雄になりたいのこの変態!」

 いつかアジリアが吐きつけた台詞を、ローズが金切り声で繰り返した。脱力の余り、口の端から唾液が垂れた。手の甲でそっと拭い、こびり付いた唾を虚ろな目で眺める。今なら分かる。俺自身のことが。もう一度英雄になりたいのではない。もう一度教師に成りたかったのだ。

「あなたこそが領土亡き国家よ! 私たちの尊厳を踏みにじって! 私たちの一生懸命を嘲笑って! 領土亡き国家が粘菌をばら撒いたように、あなたは憎しみをばら撒いているのよ! そうやって私たちを汚染して……化け物にして……殺し合わせようとしてるんでしょ!」

 昔は笑顔を振りまいていたんだぞ? 子供に囲まれて、笑いながら、こういう辛い時代だからこそ、人として共に生きようとしていた。

「わたっ……私たちは平和に生きていたいだけなのに! あなたが戦場に帰りたいからってッ! 戦い続けたいからってッ! 私たちまで化け物にしないでよッ! 私ッ……私こんなになっちゃった! あなたのせいでこんなんなっちゃったよッ!」

 ローズは両の手首に巻かれた包帯を乱暴に剥ぎ取り、隠されていた傷を見せつけてきた。白い手首には、幾筋もの生々しい赤い傷が並んでいた。鋭いナイフを使ったのか、傷口は細くて滑らかだった。しかし古いものを覆い隠すように新しい傷が重ねられていて、まるで挽肉の様に傷口はぐちゃぐちゃになっていた。

「心が痛くて痛くてしょうがないの! でも傷が見えないから不安で不安で! だから血が……傷が見たいの! 誰でもいいから傷つけたいの! そんなのおかしい! 間違ってるよ!」

 俺がこう育てたのだ。彼女たちと出会って、軍服に袖を通したまま、指揮棒を振り回した。俺はその間、自分が間違っているとは、欠片も思っていなかった。誰かを傷つけても、それすら進むための犠牲だと割り切った。

「誰も傷つける事ができないなら、自分で自分を痛めるしかないじゃない! 笑うためにいっぱいいっぱいなんだよ! もう限界! もう限界なのよぉ! こんなこと思うなんて、私はもう化け物になっちゃったのよぉ!」

 過去に戻ってやり直すチャンスはいくらでもあった。だが俺は結局、戦場であったことを繰り返しただけだった。俺はもう戻れない。帰る場所もないし、帰り方すら分からない。

 俺は人間じゃない。

 帰るべき国を持たない、領土亡き国家のクソヤロウと、大差ない化け物なのだ。

 慣れた絶望に、ヘラリと笑った。すると何を想ったのか、ローズもヘラリと笑った。

「外に出たら全部いいふらしてアゲル! あなたが来たところ! あなたが行くところ! そしてあなたがどんな生き物か! 大変ね! 行軍前なのに全部が滅茶苦茶になっちゃうわ! それが嫌なら殺しなさいよ……殺しなさいよ!」

 ローズは腰の後ろに手を這わして、サバイバルナイフを取り出した。彼女は景色を反映する刀身に映る、自分の顔を一瞥してから、俺の足元へと投げつけてきた。ナイフは乾いた金属音を立てて床の上を転がり、俺のブーツに当たって止まった。俺は何も考えずにナイフを拾い上げると、ぼうっと刀身を眺めた。

「ホラ! 鍵はここよ! ここで終わらせてあげる!」

 ローズは自らの腹をひと撫でした。彼女は胃袋を指したのかもしれないが、俺にはどうしても子宮を指しているように思えた。

 耳にほんのり熱を帯びた、吐息が吹きかけた。

『私は待っている。お前が何度も繰り返すのを』

 彼女はそのまま、腰からもう一本のサバイバルナイフを取り出すと、逆手に構えてもった。そしてナイフを持つ手で俺を指さすと、唾を撒き散らしながら吠えた。

「行くわよ化け物!」

 ローズは叫ぶと、俺に突撃してくる。凄まじい表情だった。特攻前の兵士の覚悟、死期を悟った兵士の悲壮、終わりのない戦いに対する疲弊――それらがない交ぜになって、暴れ狂う、想像を絶するような顔だ。

 反射的に身構えてしまう。教官に教わった通りに、ナイフを逆手に持って、懐に誘い込むように前かがみになる。敵がナイフを突き出して来たら、その伸びきった腕の血管を切り裂くスタイルだ。

 ローズは嬉しそうに笑った。恐らくだが、彼女は勝てるとは思っていない。これで死ねると思っている。その証拠に、俺が構えた瞬間、凄絶な表情に安堵が滲んだのだ。

 このまま繰り返すのだろうか。どこまでも、どこまでも、俺が敗れ去るまで。

 そして繰り返されるのだろうか。いつまでも、いつまでも、俺が殺された後も。

 ローズが目の前まで肉薄し、ナイフを空高く掲げる。白刃がプロジェクターの光を反射して、眩いきらめきを見せた。

 大きな隙だ。このまま懐に潜り込んで、心臓をひと突きにすれば終りだ。

 弱い。弱すぎる。

 だからこそ。俺は必死になって守った。でもその結果がこれなんだ。思考が終わりのない螺旋に、眩暈を起こす。

 そうこうしている内に、白刃が俺の胸目指して振り下ろされた。こうなったら懐に潜り込めない。その腕をとって背負い投げ、倒したところを、のどを切り裂けばいい。

 でも身体が動かない。なんか酷く億劫だ。でもいいのか? こんな弱いアバズレに殺されるなんて、レッドドラゴンの名が泣くぞ? だがどうでもいいんだ。

 子供たちの笑顔が、なぜか鮮明に脳裏に甦った。


 故郷に帰れるのなら、それだけでよかった。


 ローズの腕が振り下ろされ、俺の胸に白刃が埋まっていく。

 胸に鋭い痛みが走り、呼吸が止まった。

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