行進-4
ピオニーはきょろきょろと室内を見渡し、俺の姿を探しているようだった。そしてアジリアの肩越しに俺を見つけると、複雑そうに苦笑いを浮かべた。用事はあるが、出来れば会いたくなかった。そんな矛盾した内心が、手に取るようにわかった。
一方でアジリアは、ピオニーの顔ではなく、彼女が持つトレイに視線を注いでいた。彼女はクスリと軽く笑みをこぼすと、嬉しそうに明るい声を出した。
「私とナガセの食事を持ってきてくれたのか? だがもう用事は済んだんだ。持ってきた所をすまんが、食堂に戻ろう」
ピオニーはびっくりしたように、残像ができそうなほど首を激しく振った。
「はぇっ!? 違いますよぉ~。これは私とナガセのご飯さんですよぉ~。アジリアのはちゃぁ~んと食堂に用意してありますからぁ~。人のご飯さんまで食べようとするなんてぇ、食いしん坊なんですからあ~。メっですよメっ!」
ピオニーの言葉に、アジリアの足から力が抜けていく。彼女はぐったりと壁に寄りかかり、小刻みに肩を震わせだした。俺は彼女の背中を見だけで、その顔が引きつった笑みを浮かべているだろうと、容易に想像ができた。
「そうか。食い意地が張ってすまんな。おかわりは食堂でする。先に失礼するぞ」
アジリアはピオニーの身体をやんわりと押し、後退りさせて通り道を確保する。彼女はするりとそこを抜けて、俺の部屋を出ていった。
ピオニーはホッとした様子で、アジリアの足音が遠ざかっていくのを見送っていた。やがて廊下にこだまする靴音が絶えると、いそいそと俺の部屋に入ってきた。
ピオニーは資料が広げられたままの円卓に、食事のトレイをどっかり置いた。おいおいおい。報告書が汚れるだろ。俺はトレイを軽く持ち上げて、下敷きになった紙を救出する。そのまま穴あけパンチで穴をあけると、棚からファイルを取り出して綺麗に綴じた。
ピオニーはそんな俺を見て、ぷくりと頬を膨らませる。
「ナガセェ……お行儀悪いですよぉ~。ご飯さんの時に仕事をするなんてぇ……」
いや。いつ俺がいただきますをした? げんなりとした溜息が出る。いつ食事が始まったのか、どうしてここで食うことになっているのか、そもそも何で俺の部屋で食おうとしているのか。色々と疑問は尽きない。ピオニーは俺からしても行動に脈絡がなく、信じがたい理由でとんでもないことをする、扱いにくい女だった。
「ピオニー。俺も食堂で食うよ」
あいにくお前に構っている暇はないんだ。ローズと早く会話ができるようになりたいし、パンジーの態度も気になる。それにプロテアとアジリアの仲も取り持ってやらねばならない。皆が一堂に会し、一時的にだが穏やかな雰囲気が流れる食事の場ほど、うってつけの場はないのだ。
トレイを手に席を立たとうとする。ピオニーは慌てて俺の手の上からトレイを抑えつけ、円卓に叩き付けた。その膂力はすさまじく、不意を突かれたといえど、俺が力負けするほどだった。
トレイを激しく叩きつけられて、円卓が鈍い音と共に揺れた。俺が胆を抜かれている間に、ピオニーはいつものマイペースで続けた。
「でも私はここで食べますよぉ~。ナガセもここで食べるんでぇす!」
勝手な事を言われても困る。俺はどうしても食堂で飯を食わなければならないのだ。進軍の予定日まで、もうそんなに時間がない。それなのに統率は取れていないうえに、士気は去年とは比べられないほど落ちている。何とかして事態に収拾を付けたいのだが、体罰や策謀はもう使いたくない。残されたのは、彼女たちの声に耳を傾けることだけなのだ。
「ここでなくてもいいだろ。お前もみんなのいる食堂で食おう」
再びトレイを持ち上げようとする。ピオニーはまるで、トレイごと俺の手を握りつぶさんばかりに、さらに力を込めて抑えつけてきた。彼女は力に合わない、のんびりとした声で続ける。
「だぁめぇ~だぁめだぁめぇ~。ここじゃないとぉ~、二人きりさんに慣れないじゃないですか~」
「お前……意外と力が強いな。俺とお前が二人きりになってどうする……バカなこと言ってないで、とっとと食堂に行くぞ」
「でもないしょさんのお話がぁ、あるんですよぉ~。ないしょないしょのお話ですぅ~……」
「お前がぁ……? 俺にぃ……?」
あまりにも胡散臭くて、声色はおのずと間延びしたものになった。お前の持っている秘密とは何だ? 良い意味でも悪い意味でも、能天気なお前のことだ。大したことじゃないだろう。
心の中で苦笑する。お前の秘密なんて、腐りかけの肉を鍋に放り込んだり、食材をちょろまかして新メニューを勝手に作ったりする程度だろう。俺にはそれよりももっと大きな、クロウラーズを左右する問題が立ちはだかっているのだ。お前ごときに構っていられるか。
と、ひと昔の俺なら考えた事だろう。だが今では違う。
人間なんて、分かりあえる生き物じゃないんだ。威嚇するため、気を使わせないために見栄を張り――支配するため、保護するために命令を下す。それぞれの思いが胸にあるが、直接見ることは叶わない。それは行動でしか表し、そして受け取ることしかできないのだ。だからどんなことでも尊重し、真摯に対応しなければならない。
俺は椅子に深く座り直し、両手を軽く揺すってピオニーの拘束を優しく振りほどいた。自由になった手を、トレイからフォークに持ち替える。それから頬杖を突きながら、今日のディナーである鶏肉のソテーを突っついた。
「それで? 何のようだ?」
「お行儀さん悪いですよぉ~。肘ついて食べたらだめでぇす。あとないしょさんのお話なんですよぉ? 他に誰もいないですかぁ~?」
俺の部屋――つまり旧管制室にあった監視カメラとマイクは、アイアンワンドに申告されてから取り外した。あの痴女には心を許していないしな。隣の資料室にパギがいるが――まぁいいか。ピオニーの話を聞かれたところで、悪影響を受けたりしないだろう。
「大丈夫だ。話してくれ」
ピオニーはここには俺たち二人しかいないと知って、安心して清冽な溜息を一つついた。それも束の間、彼女は緊張を思い出したように身を固くし、ごくりと生唾を嚥下した。いまさら話すことを迷い、視線を膝の上に落とした。
俺は彼女の覚悟が決まるのに、しばらく時間がかかると踏んだ。ピオニーが語れるようになるまで、腹を満たすことにする。黙々と鶏肉をナイフで切り分け、フォークを突き立てて口へと運んだ。実に美味い。野生の鶏肉なんて、汚染世界では考えられないほどの高級食材だ。味気ない合成保存食とはわけが違う。
ピオニーもそのまま固まっていては、緊張も口もほぐれないだろう。俺は鶏肉を頬張りながら呟いた。
「いつもうまい食事をありがとうな。俺ばかり食っていては悪いし、せっかく二人きりの食事なんだ。お前も食ったらどうだ?」
ピオニーは上の空で、生返事だけを返してくる。彼女は未だに何かを戸惑い、想いを口にするのを躊躇っているようだ。いや――それとも分からないから戸惑い、言葉に出来ないから躊躇っているように見えるのか? これから内緒の話をする人間にしては、彼女の態度はどうも曖昧すぎるような気がした。しばらくの間、俺が食べ物を咀嚼する音が無機質に響いた。
やがてピオニーが顔をあげた。その瞳の色は物悲しく、失望で色を失っている。俺はピオニーが見せることのなかった暗い表情に驚きに息を詰まらせた。
彼女は唇を割って、擦れた息を吹く。俺はその時、開いてはならない扉が、開いた気がした。
「ナガセ~……本当にバイオプラントを手に入れるんですかぁ~?」
張り詰めた雰囲気にのまれて、少しの間言葉を失ってしまう。口の中いっぱいに鶏肉を頬ばっているはずだが、全く味がしない。泥を噛んでいるようだ。俺は味を思い出すように、ゆっくりと鶏肉を嚥下した。
「そのつもりだが? どうかしたのか……?」
「あれに手を出すのはぁ~……やめた方が良いと思うんですよぉ~」
「どうして? 何か気になることがあるのか?」
「あれってそんないいものじゃないですぅ~……絶対ぃ~」
「それは理由ではない。ただの憶測と偏見だ。そう思う理由は何だ?」
俺はやや詰問するように、声色を低くする。ピオニーは予想外の質問をされたように、目を白黒させた。そして適当な理由を見繕ってか、うんうんと唸り出す。
「えっ? えぇ~っと……中に化け物がいるかも知れないからでぇす!」
その可能性は低い。ECOのバイオプラントは、その国家中枢で建築、保管され、ポールシフト爆弾の起爆と共に、磁気で衛星軌道に運送された。その後、地球の環境が整ってから、大地に再突入するように設定されているのだ。あの忌まわしいクソッタレ共が、介入できる余地はない。
「化け物なんざいない。あるのは高価な機械と、それに使う動植物だけだ」
「その動植物さんに問題があると思いまぁす!」
ECOの動植物に問題があるか――確かにそれは正鵠を得ているな。俺は汚染世界での出来事を思い出し、口元に柔らかい笑みを浮かべる。ピオニーは恐らくECOの中枢国である、中国の出身だと思われる。その時の記憶がよみがえったのかもしれない。
「成程。ECOの動植物は確かに問題がある。爆発するスイカに、四足の鶏……おお、豚と牛を掛け合わせたチュニウなんかもあったかな? それに奴ら、ミューセクト(突然変異昆虫。ミュータントインセクトのこと)を食用に転するため、養殖を試みていたらしいな。まぁ何にしても、料理しがいがあると思わんか?」
ピオニーの目が、無邪気にキラキラと輝いた。
「ホントですかぁ~! どんな味がするんですかねぇ~? ワクワクさぁん、ワクワクでぇ~す……じゃなくてぇ……とにかくぅ~、やめた方が良いと思うんですよぉ~。きっと危険さん……危険さんたくさんあると思いまぁす……」
俺はほっとした。ピオニーは何が怖いのか分かっていない。つまりこの先何が待ち受けているか分からないから、見えない脅威に恐れているだけなのだ。理由があって怖がっているわけではない。
海底から引き揚げられるように、俺の身体から緊張が抜けていく。代わりにどっと疲れが沸いてきた。普段見せない表情で、改まって話があるとかいうものだから、ついつい身構えてしまった。だが蓋を開けてみれば何のことはない。いつもと変わらない。まだ見ぬ世界への恐れが、歩みを鈍らせていたに過ぎなかったのだ。
「進むのは反対か?」
声が威圧的にならないよう、細心の注意を払う。俺は戦友に語り掛けるように、出来るだけ気さくに言った。ピオニーはぶんぶんと、幼稚に首を振って否定した。
「いんえぇ~。進むのは賛成ですよぉ~。ですけどバイオプラントさんは反対でぇす。あんなもの――あんなもの――的事情……無慈悲……之……」
ピオニーが深く首を垂れて、視線を膝の上に落とした。彼女の長髪がさらりと流れて、顔の前に川を生み出す。その黒のヴェールに隔てられ、彼女の顔は見えなくなってしまった。ピオニーは俯いたまま、ぼそぼそと小さい声で何かを繰り返している。何を言っているか聞き取れないが、大方不満や不安をこぼしているのだろう。
「まず。行って。見て。確かめて。それから決めよう。それでも遅くないじゃないか?」
一生懸命になだめる。ピオニーはしばらく小言を繰り返していたが、急に頭をあげて何も考えてない間抜けな顔を見せた。
「はぇ? 今何か言いましたぁ~? すいません~、ちょっと考えごとしていましたぁ~」
俺はがっくりと肩を落とすと、少し苛々しながらフォークで鶏肉を転がした。
「あのなぁ……お前が話しをしたいといったんだぞ? 真面目に聞くべきだぞ?」
ピオニーは慌てて背筋を伸ばすと、申し訳なさそうに何度も頭を下げた。彼女の長髪がばっさばっさと揺れて、部屋の埃を巻き上げたうえに、抜け落ちた毛が俺の料理に降りかかる。俺は苦笑いを浮かべながら、鶏肉にへばり付いた毛を箸で挟んで床に捨てた。
「は……はえぇ~、ごめんなさいですぅ~。私どうしてもぉ、この話になると頭さんぼぅ~っとしてしまってぇ~」
「他に何か疑問は? せっかくだから聞くぞ?」
「他にはぁ? はえぇ~……他には……他には……はえ!」
ピオニーの視線が、ふと円卓の上のトレイで止まる。俺の皿には食いかけの肉が、ピオニーの皿には料理が手つかずで残っている。そのどちらもが湯気が消えており、空腹を刺激するような芳香も無くなっていた。それだけならいいのだが、ピオニーの皿には、俺の皿よりも多くの髪の毛がふりかかっていた。
「お料理さん冷めてしまいましたぁ~! しかも髪の毛さんぱらぱらぁ~! なんでですかぁ~!? どうしてぇ~!?」
ピオニーは子供のように喚き散らし、箸で髪の毛を皿からつまみ出す。しかし肉の油を吸った髪が、箸にぴったりと張り付いて、彼女はよりやいのやいのと騒ぎ出した。
ちょっと頭が痛くなってきた。こいつの面倒を見ているのは、ドームポリス内活動を監督しているサクラだ。彼女が発狂していない所を見ると、なにかコツでもあるのだろうか? 俺は箸を振り回すピオニーを見つめながら、おぼろげながらに考えていた。
隣の資料室のドアが、唐突に開け放たれる。そしてお絵かき道具を片手にまとめたパギが、お腹をさすりながら出てきた。
「お腹減った~。ピオニーご飯」
ピオニーは突然の闖入者に驚き、今度は箸を放り投げて椅子から飛び上がった。そのまま円卓の裏に足をぶつけて、がたりと大きく料理トレイを揺らす。結構な強さで足をぶつけたのだろう。ピオニーは足を庇おうと身を屈めて――激しく円卓に額をぶつけた。ピオニーは軽く悶絶すると、地面の上でのたうち回りはじめた。
いかん。本格的に頭が痛くなってきた。今日中にでもサクラに、ピオニーの取り扱いについて聞こう。
俺とは反対に、ピオニーの頭痛は治まったらしい。彼女はのたうつのをやめて、床に転がったまま恨みがましく俺を見上げてきた。
「はぇえ! ナガセ! 他には誰もいないといったじゃないですかぁ~! 何でパギちゃんがいるんですかぁ~!?」
「子供だから気にするな。隣の部屋にいたし大丈夫だろ」
それに大して隠すような話でもなかったしな。俺は席を立つと、ピオニーに手を差し出した。彼女は戸惑っていたものの、おずおずと俺の手を取って立ち上がった。
異常がないか、ピオニーの顔を覗き込む。赤く腫れた額を押さえているが、足取りはしっかりしているし、眼つきも確かだ。リリィに見せなくても大丈夫だろう。
「俺たちも食堂で食おう。皆でいくか」
俺は冷めた料理の乗ったトレイを持つと、皆を率先するように一足先に部屋を後にした。
「お前は来るな!」
ドアを蹴り開けるような激しい音と共に、パギが後を追って来る。彼女は俺の背後まで来ると、ふくらはぎに蹴りを見舞ってきた。パギは転ばせようとしたのかもしれないが、俺の足は筋肉でかなり硬い。逆にパギの方が、軽い悲鳴を上げて転んでしまう。その拍子に彼女の抱えていたお絵かき道具が、廊下に散らばった。
「ふはは。駄々をこねる子供は可愛いな」
トレイを一旦床に置いて、散乱した道具を拾ってやる。パギは触るなと言わんばかりに、俺の手から拾い上げた色鉛筆を叩き落とした。
「きしょいンだよ死ね!」
パギが絶叫する。そして俺に触られる前にと、這いつくばって道具をかき集め始めた。俺はその様子を優しく見守っていたが、ふとパギの背後に視線をずらした。そこではピオニーが所在なさげに立ち尽くしている。いつもなら無理やりこの輪に混じろうとして来るのに、彼女は何かに引き止められるように、そっと遠巻きに俺たちを眺めていた。
どうやら先程の会話では、不安は払拭できなかったようだ。またピオニーのために時間を作ることにしよう。




