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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目前半【ECO編】
147/241

行進-3

 左手側には資料棚が整然と並び、良く整頓された書類が収められている。微かに香る紙の臭い、生乾きのインクの異臭が鼻を衝く。

 右手側には管制用の大きなコンソールデスクがあり、その壁面に配置されたモニターがヘイヴン内の様子を映している。星の様に瞬く信号の光、七色に揺らめく映像が視覚にちらつく。

 その二つに挟まれて小さな円卓が一つ置かれている。彼女たちの拙い工作物だが、技量は確実に進歩しているらしい。脚に物をかまさなくてもぐらつくことはなく、上に置かれたマグカップとボトルは、中のお茶を水平に湛えていた。さらに机の縁には鹿のエングレーブまでほられている。中々の凝りようだった。

 俺は卓について、向かいに腰かけるアジリアに視線を注いだ。彼女は人形のような仏頂面のまま、感情のこもらない冷めた眼付きで俺と相対していた。侮蔑にきつく細る眼差しに、警戒にきつく口元を引き締めている。

 この表情には見覚えがある。幾度となく、鏡に映して見てきた顔だ。俺はまるでもう一人の自分と、向かい合っている様な錯覚に陥ってしまった。

 心臓が悲哀で締め付けられると同時に、口の端が狂喜で吊り上がる。

 育っているのだ。善くも。悪くも。そして。いつか。きっと。

 俺は胸中にもたげ始めた考えを振り払う様に、彼女が差し出した日報を受け取った。

 アジリアが作成した日報を受け取り、訓練の進捗を確かめ、記載された内容の不明な点を質問する。毎日の日課である。

 アジリアは俺の質問に淀みなく答え、たまにボトルに入れたお茶を啜った。彼女の返答はどれもが簡明で、その時の状況と意図を付与して説明してくれるので、とても分かりやすかった。

 最後に彼女は、俺がヘイヴンを留守にしてから多発している、立ち入り禁止区画を出入りする不審者の話をした。

「――それでその不審者だが、未だ誰かは分からん。立ち入り禁止区画には電気が通っていないから、監視カメラも動いていない。現場を確認しに行くが、いつも逃げられた後だ」

 立ち入り禁止区画か。俺は低く唸った。我々では管理しきれない過去の遺物が、手付かずのまま放置されている場所だ。彼女たちが手にするべきではない、銃器や爆発物、そしてアイアンワンドに干渉可能な高クラスなセキュリティカードがあるかもしれないのだ。不審者の存在を、見過ごすことはできなかった。

 だが待てよ。そう言えばアイアンワンドが、慰安用ガイノイドという外出用ボディを手に入れたな。俺が留守の間、その身体を使って彼女たちを守ってくれていたそうだし(ロータスが見た黒い影がこれである。詳しくは後日掲載)、それを誤認しているのかもしれない。

「アイアンワンドじゃないのか? 最近身体を手に入れて、調子に乗っているだろ? 俺が注意しておく」

 アジリアは見当違いだと言いたげに軽く舌打ちをする。彼女は俺の注意を引き、かつ緊張を高めるためにか、机をノックして良く通る音を立てた。これも俺の癖だった。

「そいつが立ち入り禁止区域にいると分かるのはだな、ヘイヴンのデータベースに接続を試みているからだ。アイアンワンドから報告があった。今はデータベースで満足しているかもしれないが、アイアンワンドへの干渉をするかもしれない。ひょっとしたらそれが目的かも知れないのだ。ロータスの反乱もあるし、あまり楽観視はできない」

 一大事だな。しかしそれにしては、彼女たちは呑気なものだ。犯人捜しをしようとせずに、呑気に身内同士で喧嘩している。ということは――

「その様子だと、立ち入り禁止区画に侵入者がいるのを、周知していないようだな?」

 アジリアが分かり切った事を聞くなと言わんばかりに、鼻を軽く鳴らした。

「知らせてどうなる? アイアンワンドを掌握できれば、やりたい放題に出来ると分かっているんだぞ? それなのに犯人の正体は皆目分かっていない。不安を煽るだけだ」

「だから調査チームもなしと」

 俺は軽くため息をつくと、手にしていたペンを卓上に転がし、背もたれに身体を預けた。

「公になるからな。人手も足りているとは言い難いし、不安と手間で統制が乱れるのが嫌だった」

 まぁ、治安を愛するお前が、何もしていないということはないだろう。

「指をくわえて座視していた訳ではあるまい。進捗は?」

「臭い順番に探ることにした。まずロータスを24時間監視していたが、禁止エリアには近寄ろうともしなかった。次にサクラを監視していたが、怪しい動きはなかった。となると残るのはお前だけなんだが――何か隠してないか?」

 アジリアは怒りに毛を逆立てて、威圧感を高めて詰問してきた。これ以上我々で遊ぶなと、その双眸は物語っている。俺は苦笑いを浮かべて頬をかいた。

「俺が偵察に出ている間は、特別お前らに何かしたことはない」

 アジリアはフンと鼻を鳴らすと、ひとまずは怒りを治めてくれた。

「振り出しだな。早いうちに対応を練らなければなるまい」

「心配しなくてもいい。アイアンワンドへのアクセスは、サブコントロールルームのコンソールか、口頭命令に限られている。それに登録されたデバイスしか、入力を受けつけないよう設定済みだ。立ち入り禁止区画の端末をいくら使っても、アイアンワンドはおろかデータベースにすらアクセスできないのさ」

 アイアンワンドはヘイヴンの中枢である。そして機械であるために、命令には逆らえないのだ。おいそれと人目に晒すことはできない。そこで俺は出かける前に、サブコントロールへと続く監督区画の非常扉を全て締めた。さらに個別にパスコードを設定し、24時間ごとに自動でパスが切り替わるようにもした。これを乗り越えるには壁をいくつも吹き飛ばさないとダメだし、そんなことしようものならバレる。音声入力にしても、あの性悪電子頭脳がいうことを聞くとは考えにくい。

「ハッキングも無理だな。一番電子機器に詳しいサクラですらも、電子ロックを開けられなかったのだから」

 これはサクラの能力を正しく知るため、あえてやらせて検証してみた。彼女は申し訳なさそうに、悄然と肩を落とす結果になった。自前のプログラムを組めるサクラが無理なら、それすらもできない彼女たちは無害だろう。

「しかしだな――」

 アジリアが口を開いたところで、いきなり部屋のドアが開け放たれた。ノックも呼びかけもない。俺とアジリアの視線が、同時に入り口の方に向けられる。そこではパギが無遠慮に部屋に足を踏み入れ、ドアを後ろ蹴りで閉めたところだった。彼女は右手にピコのぬいぐるみをぶらぶらさせて、左手にはお絵かきのセットを持っており、俺とアジリアの視線を無視して適当に床に寝っ転がった。そして画用紙を広げて鉛筆で引っかき始めた。

「……ほっとけばいいのか?」

 アジリアはパギから視線を外さぬまま、恐らく不正アクセスとパギの両方に向けていった。

「ああ。サブコントロールルームに行けなくすれば、アイアンワンドの方はそのうち諦めるさ。だが宝探しをされたら困る。俺も目を光らせておこう」

 アジリアは顎を引いて、自らの胸元に視線を落とす。やがて軽いため息とともに、肩の力を抜いて浅く首肯した。

 しばらく俺とアジリアの間で、仕事後の緩やかな雰囲気が流れた。アジリアはボトルのお茶を二度、三度と口に入れて一息をついている。おれもマグのお茶を啜り、次の議題に入る準備を整えた。

「俺からも一つある。バイオプラント制圧部隊からパンジーを外して欲しい。態度が極めて悪く、部隊に悪影響を与えている」

「は? 何だって? パンジーの態度が悪い?」

 アジリアは自らの聞き違いを疑う様に、眉間にしわを寄せて聞き返してきた。思わず俺も顔をしかめてしまう。あんなに派手に反抗したら、お前の耳に届いてそうなものだがな。

 嫌な予感に胸が重くなる。ドームポリス外活動を管理するアジリアが、事態を把握していないようなのだ。

「パンジーの態度が悪い。ドームポリス外活動はお前の担当だろ? 外してくれ」

 俺が繰り返す。アジリアやっと理解したようだが、問題だと思っていないようだ。気にした様子もなく、それどころか俺が些細な問題で責め立てていると言いたげに、鬱陶しそうに口をいの字に広げた。

「他に適当な人材もいないだろ。それに奴が進むのに反対なのは承知のはずだ。多少の駄々や愚痴は見逃してやってくれないか?」

 どうやらアジリアは、パンジーの反抗が普段と同じ、陰口と無言の圧力でとどまっていると思っているようだ。俺の脳裏では、だみ声で発せられる幼稚な悪罵が、繰り返し想起されていた。

「自らの失敗を認めず、罵詈雑言を返すのは、駄々というには醜いな。それにプロテアはまだ未熟だ。聞かん坊の対処ができんのだ」

 俺が主張を曲げずにいると、アジリアの苛立ちは次第に募っていくようだった。彼女は膝の上に置いた手に、力を込めて指を食いこませた。

「命令を聞くならそれで構わんだろう。どうしても黙らせたいのなら、お前がやれ。そういうのが得意なのは、よーく知っているからな。私ではなく、アイアンワンドに命令したらどうだ?」

 アジリアは俺のことを、よく理解しているようで。

「悪いが暴力にはもう頼りたくない。そこでお前たちを頼りたいんだよ。危険極まりないグレーゾーンを進軍するのに、士気を下げられたら困る。皆の前でヘルメットを蹴っ飛ばしたり、これ見よがしにプロテアを挑発されたりしてな。そのうち命令すらも聞かなくなるかもな」

 アジリアは目を剥くと、椅子を蹴って立ち上がった。そして両手の平を机に叩き付けると、上半身を俺の方へ乗り出した。

「何だと! そんな話――かけらも聞いていないぞ!」

 その大声の中――べきり――と鉛筆の芯が砕ける小さな音が、やけに大きく響いた。俺とアジリアは反射的に、音のした方を見やった。

 パギが画用紙に覆いかぶさったまま、描きかけの鹿の絵の上に、プラスチック製の鉛筆を放り出していた。鉛筆の芯は並みならぬ筆圧に負けて、根元に近いところからぽきりと折れてしまっている。彼女は鹿の絵を守るように身を丸めて、怯えた視線で俺たちを盗み見ていた。

 俺は机の上に乗り出したアジリアの額を指で押し、椅子の方に戻した。

「騒ぐな」

 アジリアは汚れを払う様に、額を押す俺の指を振り払う。そして氷のように冷たい表情を、温かみで融解させて笑った。

「パギ。外で遊んできなさい」

 パギは首をぶんぶん振ると、床に大の字に突っ伏して、手足をばたばたと振り回した。

「ヤダ。外でケンカ始まると嫌だもん」

 アジリアは頬を引きつらせたが、笑顔を崩さぬままさっきよりも優しい声で続けた。

「こんな所にいてもつまらんぞ。お前の大嫌いな悪魔もいるしな」

「ヤダったらヤダ。静かだからここでいいよ」

 パギは床の上で手足をばたつかせるのを止めると、ペンケースから鉛筆削りを取り出す。そして鼻歌を奏でながら、鉛筆の先を尖らせ始めた。

「談話室で遊べばいいだろう……あそこにはリリィが作ってくれた、おもちゃ箱があるだろ?」

「うるさくしてないし、邪魔もしてないでしょ? いいじゃん別に」

「我々は良くない。行きなさい」

 アジリアの声が棘を帯びる。今までだったら、パギはこれで大人しく言うことを聞いた。しかしパギは両手で耳を覆い、口をつぐんで再び蹲ったのだ。思わぬパギの反抗にアジリアも困ったようだ。苦虫をかみつぶしたような顔になって、言葉にならない呻き声を漏らした。

 これ以上邪魔をされては困るので、俺は丁度アジリアの背後にあるドアを顎でしゃくった。

「資料室で遊ぶんだ。だけど資料を入れ替えたり、お絵かきしたりするのはナシだぞ」

 パギは慌ただしくお絵かき道具をかき集めると、両手に抱えて資料室のドアへと走っていく。彼女はドアの前で、何度か足踏みをして、助けを求める視線をアジリアに向けた。どうやらお絵かき道具で手が塞がって、ドアを開けられないようである。アジリアは助けようとはせず、無言でもう一度外へと出るドアを指した。

 パギはアジリアにあっかんべーをすると、道具を一度床に投げ出してドアを開ける。そして資料室に入ってから、四つん這いになって画用紙と鉛筆、ピコのぬいぐるみをかき集めた。彼女はドアを閉める前に、その隙間から顔を出して俺を睨み付けた。

「うるさいぞボケナス。死ね」

「早く行け」

 俺が手で追い払うと同時に、ドアは乱暴に閉められた。

「最近俺の部屋にいる時間が増えたが……どう思う?」

 乾いた笑みを浮かべつつ、アジリアに意見を求める。彼女は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、口をへの字に曲げた。

「調子に乗るな。ここで喧嘩をする命知らずがいないだけだ。その話はもういい。それよりさっきの続きだ。プロテアから報告が上がっていない。そして当人からは真面目に訓練に参加していると聞いている。どういうことだ?」

「プロテアは俺に相談したぞ。そしてパンジーからは編成替えをお前に申告したと聞いている。どういう事だろうな……?」

 アジリアが俺を困らせようとしていないか試すため、わざとぼやけた返事をする。アジリアは唇をきつく噛みしめると、俺に見切りをつけて外へ続くドアに足を進めた。その歩みには焦りが、風を切る肩には怒りが溢れ出ていた。

「私はこれで失礼する」

 はっきりした。どうやらプロテアはアジリアに相談せず、パンジーは口から出まかせを言っていたらしい。

 何故か? アジリアなんぞより俺の方が頼りになり、強い権限を持っていると考えているからだ。蚊帳の外にされたアジリアは、頭にきている事だろう。きっとプロテアたちに、事の真意を問い質しに行くつもりに違いない。俺の時は女狐の様な奸計を弄するというのに、身内である女にはとことんストレートな性格だな。

 俺はドアノブに手をかけたアジリアの背中に、そっと声をかけた。

「待て。そろそろ進軍する。駄々っ子を矯正するほどの時間がない。だからパンジーを外して欲しい」

 アジリアは顔を俯かせ、じっとドアノブに視線を注いでいる。落ち着きを取り戻しながら、考えをまとめているようだった。やがて彼女は俺を振り返った。その顔つきは迷いがなく、焦りと怒りは抜け落ちていた。

「私はパンジーを、部隊編成から外すのは反対だ」

 俺は無言で頷き、その後に続く理由を語るよう促した。

「パンジーが一番技量が高く、適性もあるからだ。それにパンジーの代わりをこなせる人材がいない。サクラは指揮を執るし、アカシアは歩兵戦の方が向いている。デージーはそそっかしく注意が散漫だ。やらせない方が良いだろう」

 ここでアジリアは慌てて付け加えた。

「ロータスは適性があるが論外だ。皆が信用せん。情報が錯綜する」

「お前が後詰めを担うのは駄目か? 代わりにアカシアを斥候に出せばいい。あいつは自分の面倒を見られるし、俺も補佐しやすい」

 アジリアは首を振った。

「性格に難がある。あの引っ込み思案で、正確な報告ができるとは思えない。我々に遠慮して言いたい事を言えなかったら本末転倒だ」

「俺が教育する。駄々っ子の矯正より早く済むぞ」

 アジリアはとても嫌そうに表情を歪めた。そして視線を右往左往させて、代案を探るように黙りこんでしまった。時計の針が、時を刻む音がやけに大きく聞こえる。時折り隣の部屋からは、パギがママゴトに耽る黄色い声が響いてきた。

 やがてアジリアは俺に視線を戻すと、吐き捨てるように言った。

「どうしようもないようだな……死人を出したくないのは私も同じだ。好きにしろ。私も用事が出来た。これで失礼する」

 俺は無言で手を振って、彼女を見送った。これからアジリアは大変だ。ドーム外活動の監督者として、自らが抱いていた理想と厳しい現実をすり合わせねばならないのだから。

 俺もあれこれ世話を焼きたいが、こればかりは助けられない。ここで手を貸せば、アジリアの評価ではなく、俺の評価が上がる。それではアジリアの権威が育たず、悪循環に陥ってしまう。堪え時なのだ。

 激励を視線に乗せて、アジリアの背中を見つめる。小さく、頼りない、触れれば壊れてしまいそうな後姿だ。いつしかそれが、クロウラーズ全体の命運を、背負えるようになることを切に願った。

 アジリアはドアノブにかけた手を捻り、外へと押しひらく。

「はわぁ!」

 彼女が出ようとした廊下から、甲高い悲鳴が上がった。アジリアは驚いて、ドアから飛び退く。そしてドアの向こうに視線を向けて、呆れたような声を出した。

「あっ……すまん。って……お前こんなところで何をしているんだ?」

「しーっですぅ。しーっ!」

 ドアの向こうの人物は、アジリアに静かにするように要求しているらしい。繰り返し窄めた唇で、息を吐く音が聞こえてくる。俺はそこに誰がいるのか気になり、椅子を傾けてアジリア越しに廊下を見た。

 今日一番の珍客だ。

 ドアとアジリアの隙間から見えたのは、長身で黒い長髪の女性――手には盆を持ち、その上には料理の満載された皿が載せられていた。

「ご……ごはんさんン~……」

 ピオニーだった。

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