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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目前半【ECO編】
145/241

行進-1

 神よ。

 我々の生が罪深いと仰るのなら、

 一体いかなる罪を犯して、

 我々はこの世に生み堕とされたのでしょうか?

 ナイフの刃が、手首を滑る。

 鋭い痛みが走り、皮膚に割れ目が生まれた。

 一拍遅れて、湧き出る赤い水。それはとめどめなく溢れ、手首を伝っていく。

 私の脳裏で、爆発のような衝撃と共に、とある記憶がフラッシュバックする。

 ナガセの腕に抱かれるピコ。首筋を走るナイフ。噴水のように飛び散る血。

 血が――私を濡らしていく。

 不意に腕に籠る力が、手首から流れる血を、飛沫のように跳ね上げた。顔に水滴が張り付く感触がして、私の心から熱を奪っていく。するとまるで体の芯が凍りついたかのように、私は酷く無感情に、滴る血を見つめる事ができた。

 ピコの死に、誓ったはずよ。

 こんなことがあってはならない。自分の為に、他に犠牲を求めてはいけない。犠牲にした命を、無下にしてはいけない。命に対して、真摯にあらなければならない。

 そのはずなのに。

 ナガセは自分の目的のために、私たちを使ってる。私たちの想いを無下にしている。そしてナガセは私たちに、ちっとも真摯じゃない。繰り返される裏切りと、それを当たり前だと言わんばかりの不遜ぶり。私たちに真摯に向き合おうともしない。

 私は誰もいない閉鎖エリアの近くで、独り嘆いていた。周囲はロータスが自律誘導爆弾で焼き払った現場らしい。焼け焦げた壁は中央でぱっくりと割れており、部屋の中へと食い込んでいる。床には灰と埃がない交ぜになった粉塵で酷く汚れていて、ナガセの物らしい血痕が、さらに奥へと線を引いていた。

 ここは閉鎖エリアの中でも、ロータスが立て籠もった管理区画。ナガセが立ち入りを禁じているうえ、かつての内乱を思い起こさせるから、女の子たちは誰も近寄らなかった。私が一人で腐るには、うってつけの場所だった。

 手首で鋭い痛みが渦巻いている。私の気持ちと共に。

「痛い……イケないことよ……そう……痛いのは駄目……駄目なの……」

 傷と血を眺めながら、熱に浮かされたように呟く。

 なら、私の中で渦巻く、このどす黒い感情は何なの?

 私はこの感情を、とにかくぶちまけたい。

 裏切られて! 私はこんなにも傷ついているんだって! 痛いんだって知らしめたい!

 胸の内で膨らむ憎悪が、再び四肢を滾らせる。手首は血の潮を噴き、私の顔を、身体を、床を、しとどに濡らした。

 数分後、貧血になった私の頭から血の気が引いていく。すると波が引くように、私の胸を焦がす衝動も静まっていった。

 今はまだ大丈夫。こうして自分を傷つけている間、私は私でいられる。

 さ。嫌なことは終わった。笑わなきゃ。口角を無理やり上げて、瞳に優しさの灯火を宿そう。私はまだ頑張れる。そうやって優しさを失わずにいれば、皆もきっと笑ってくれる。最近自分に余裕がなくて、皆との関係がぎくしゃくしているけど、こうして笑っている限りは安心してくれる。

 朦朧とした頭で、ぼんやりと思った。表面だけ取り付くって、中身のことなんて二の次。

 私、ナガセに似てきたんだな。

 私は笑顔を浮かべた。温かみから来る笑いではなく、冷たさを帯びた嗤いを。

「僕たちはナガセに頼まれてやってるんだよ!? 邪魔しないでよ!」

 私が手首に包帯を巻いていると、そんな怒声が廊下から響いてきた。この甲高い声はアカシアのものね。昔の彼女は引っ込み思案で、大人しく、優しい性格だった。だけどナガセが銃を持たせてからは、彼のために激情を露わにすることが多くなった。

「それがどーしたんだよ! もうナガセなんていらないだろ! 見ろよ見ろよ見ろよ! 充実したヘイヴンを! これあいつがいない間、私たちの力だけでやったんだぞ! もうあいついらないだろ!?」

 矢継ぎ早にまくし立てているのはデージーの声だ。彼女はちっとも変わらない。ちょっとだけ安心した。だけど変わってないのに、どうしてそんなに怒って、人を責めてるの? やめてよ。争わないでよ。

「恩知らず……誰がここまで連れてきてくれたと思っているの……!?」

「それは違う違う違う! あいつ一人ではここまで来れなかった! だから私たちが血反吐はいて頑張ったんだ! ヘイヴンはその働きに対する報酬だろぉ!?」

「あの……その……それアジリアの受け売りでしょ? 人の言葉を使って、何を偉そうに僕に説教するの? それにここはいいところだって認めるんだね! じゃあナガセが僕たちを連れて行こうとしてくれる場所は、もっといいところに決まっているよ!」

「なっ……確かにそうだけど……ナガセは違うぞ! ナガセは戦うのが好きなんだ! だから敵を探しているんだ! 倒した敵から分捕っているんだから、いいものを貰えるのは当たり前だろ! もう戦わなくてもいいんだよ! だから戦いの手伝いなんてするなよ!」

「そうだ。アカシア。ナガセ。手伝う。やめろ。ロクなこと。ならない」

 デージーの他にも、パンジーが現場にいるらしい。アカシアは金切り声をあげた。

「うるさいな! 手伝わなくてもいいから、僕の邪魔しないでよ!」

 やめてよ……喧嘩しないでよ……そんな事するために、必死に生きてきたんじゃないわ……。

 私の想いを余所に、三人の言い争いは苛烈になっていく。最初は互いの方針の違いを、言い争っていた。しかしそれは次第に違う考えをもつ相手への非難へと軸を移し、やがて論が尽くされると、相手の身体的特徴をあげつらう悪口へと変わっていった。

「何その真っ白な髪の毛! 何にも考えていないくせに白髪なの!? バカ!」

「おい。悪口。議論。違う。やめろ!」

「チビの引っ込み思案のくせして! お前こそおしっこみたいな黄色い髪しているだろ! ビビったお漏らしで頭染めたんだろ! サクラみたいに!」

「サクラの悪口をいうな!」

 揉みあう音がする。お願いヤメテヨ。そんなことのために、強くなったんじゃないでしょ?

「アカシア~? まだ目的のパーツ見つからないの~? アイアンワンドもナガセもそこにあるって言ってたでしょ~……デージー? それにパンジーも。ここで何してるの?」

 サンの声が増える。場に似つかわしくない呑気な声色は、争いの現場を眼にして緊張に硬くなった。

「サン!? いやその……私は……なんでも――」

「デージー。ナガセに。従えない。そういうこと」

 パンジーが冷たく言い放つ。デージーは激しく反応した。

「やめろよ馬鹿! 変なこと言うなよ! サン! 違うよ! 私はサンと一緒だから!」

「私も違うよ。アジリアの子分になった覚えはないからね」

 サンの声が、やや棘を帯びた。デージーが即座に挙げたショックの悲鳴が、私の鼓膜を貫いた。

「偵察から帰ってきて、確かにナガセは丸くなったよね。去年の冬みたいにさ。それって見せかけだよ。また厳しい訓練が始まるんだから。調子に乗るのはいいけど、そうなったら痛い目見るのはそっちだからね」

「虐待。横暴。弾圧。また。始まる。なのに。ナガセ。従うか?」

 パンジーが呆れを声色に乗せた。デージーがまるでサンを説得するように語調を強くした。

「サン! 今度は絶対そんなことはさせない! アジリアに付いて行けば守ってもらえるんだ! アジリアはヘイヴンで安全に暮らすことを考えているんだからさ!」

 サンに語り掛けるデージーを邪魔するよう、アカシアが割って入る。

「守ってもらえるって……アジリアが僕たちに何をしたか覚えている? ナガセの手の平で踊って、私たちを叩きつぶそうとしただけだよ。模擬戦の時助けてくれたのはサクラだよ。そして結果的に僕たちを守ってくれたのはナガセだよ」

「ナガセナガセうるさい!」

 デージーの悲鳴。しかしそれは、より大きなサンの悲鳴にかき消された。

「みんなうるさい!」

 珍しいサンの激情に、しんと辺りが静まり返った。

「ナガセは怖いよ。でもアジリアより正しい。このままじゃ危ない。敵と、ナガセがいるから……でも行進が終われば敵はいなくなって、ナガセの支配も終わる。だから前に進むの」

「ちょっと待って……ナガセは何にも悪いことしてないのに、そんな風に言わないでよ。僕怒るよ!」

「アジリア。怖くない。それは。仲間だから。ナガセ怖い。敵だから。あいつ。違う。仲間。じゃない!」

「な……もうやめようやめようやめよう! サンちょっと二人で話そうよ! 話そう話そう!」

「もういいよ! そうやって陰でコソコソ悪口言ってるのに、話して何になるの!?」

 皆バラバラだ。何もかもめちゃくちゃだ。団結を象徴するピコの旗が、ものすごく滑稽に見える。

 こんな所には居たくない。それにまた胸の中で疼きがぶり返してきた。別の閉鎖区画に行って、もう一回手首を切ろう。

 立ち上がろうと床に手をつくと、指先がかさつく何かに触れた。何かしら? ここには灰と塵と、乾いた血しかないのに。私は反射的に腰を下ろして、指に触れた何かを手で探り、目の前まで持ってきた。

 紙――? 大きさは封筒ほどで、焼けて上半分が消失している。焼け残った封筒の中には、数枚の紙が綺麗に折り畳まれて入っていた。改めて封筒に目を凝らすと、可愛い字で宛先が綴ってある。

「何とかの……私へ……? ほとんど焼けてて読めないわ……」

 中身を読めば何か分かるかも。私は好奇心に駆られて、手の平に封筒の中をあけた。

「入っているのは……手紙に、大きな写真? あ、ポスターか……なにかしら……」

 まず手紙を開いてみる。半分焼けていて読めないが、大体の内容は分かる。昔大きな戦いがあって、それを生き抜いたことに対する喜び。そして明日への夢と希望に溢れた、心躍る自分へのエールだった。

「こんなこと……ナガセは一言も教えてくれなかった……」

 むしろ隠していた――と考えるべきなのかしら? ナガセは私たちが、蔵書やデータベースにアクセスするのを厳しく管理している。技術書や学術書は読ませてもらえるが、それ以外の書物は手に取った事すらなかった。

 手紙によると、大きな戦いは終わり、後には広大な自然が残って、笑って生きていけるそうだ。だけど戦いは続いている。ナガセと、私たちと、異形生命体の間で。とても笑って生きていけるような状態ではない。いったい何を間違ってしまったというの。

 私はひとまず手紙を脇に避けて、ポスターに目を移した。ポスターはA2の大きなもので、こちらも折り畳まれたうちの上半分が焼失している。残された紙面には、人間の写真が整然と並べられ、彼らの紹介がびっしりと書き込まれていた。

 タイトルは分からない。ただ写真に振られたナンバーを見るに、全部で一二名を紹介しているようだった。

 手紙の主は、ポスターの人物を崇拝しているようだ。ポスターの写真のほぼ全てに、本人のサインが記されているからだ。僅かな空白に、びっしりと鉛筆の文字が書き込まれている。残念ながら文字は擦れて、今や読み取る事ができなかったけど、筆跡はとても穏やかだった。

「どうしてかしら……この人達知ってる……とっても、素晴らしい人たちだわ」

 『鉄壁(ジェリコ)』カーター。『巨人殺し(ダビデ)』ミハイル。『剣豪(ヨシュア)』レーデ。この名を唱えるだけで、畏敬の念が胸に溢れてくる。私がかつてナガセに抱いていた気持ちが、溢れ出てくる。

 ポスターに視線を滑らせると、白い肌の人間が次々に紹介されていき、業績が羅列されていく。しかし最後の一人だけは、肌の色が黄色かった。そして良く見知った顔だ。その人だけサインがなく、書き込みが異様に少ない。それを補う様に、業績の所が文字で埋めつくされている。暴徒の単独鎮圧。重要人物救出、並びに護送。そして機密物資の奪還。

 彼は笑顔で映る他の面々と違った。不機嫌そうに口をへの字に曲げ、仏頂面でカメラを睨み、軽蔑に口元を歪めていた。

『ナンバー一三……『赤き(レッド・ドラゴン)』。キョーイチロー・ナガセ……』

 ポスターを持つ、私の手が震えた。なんでナガセが映っているの? 一体何をしていたの? そしてどうやって――私たちの所に来たの? 何よりおかしい。

「……だって一二人目は、『賛美者(ミリアム)』、アロウズ・キンバリーのはずだもの……何でナガセが? どうして……え? 私は一体何を……?」

 ズクリと脳内を、火かき棒で掻き混ぜられたような鈍痛が走った。

 痛い。頭が痛い。私は思わず考えることを止めて、頭を抱えて蹲った。

「遅いと思ったら――一体何をしている! 何故喧嘩になっているんだ!」

 遠くから、ナガセの声が聞こえた。次いでデージーの絶叫と、逃げ去る足音。その音が止むと、パンジーがナガセを非難する小声が微かに聞こえた。

 ここにいたら見つかってしまう。私は跳ね上げるようにして顔をあげて、慌ただしく床から腰を上げた。手紙とポスターを丁寧に封筒に戻し、胸の隙間に捻じ込む。ナガセはここを無理やり探そうとしないので、私たちのかっこうの隠し場所だった。私は音を立てないように注意しながら、ナガセのいる場所から離れていった。

 閉鎖エリアを行きながら考えた。分かったのはナガセが過去、英雄と呼ばれて尊敬されるべき人物だったということ。分からないのはナガセがここにいる理由、そして戦いが続いている原因だ。

 そう言えば、私は昔のことを何も知らない。気付いたらここにいて、流されるままに生きてきた。そろそろ知るべきなのかも。過去に何があったのか。ナガセが何のために隠すのか。そして私たちがどこに進むべきなのか。

「そうじゃなきゃ……もう前に進めない。何が正しいか……分からないよ……」

 追い詰められた心が、私を涙声にした。

 私はナガセが怖い。ナガセを何も知らないから。私たちを知らないものに変えようとするから。知らない所に連れて行こうとするから。

 だけど知ることさえできれば、私は恐れずに済むんじゃないかしら。

 誰もいない閉鎖区画を歩く。貧血なのか足取りは危うく、身体は幽鬼のように揺れた。でも自分なりに進みたいという決意が、床を強く蹴った。

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ナガセへの反乱は、ナガセとしては是非ともって感じだろうけど、その後どうするかの答えがないってのが気になる。 せめて明確に何処に行きたいかどうなりたいかが決まってないとナガセ排除しても別のことで揉めそう…
[一言] ローズにとっての元の状態とは何時のことなのか、ナガセが来てから制圧戦に向けての戦闘訓練を課されるようになる直前までのことなのか? それすらもナガセが来る前の獣の状態からは変えられた後なのだ…
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