人功機に乗ろう! 座学編
翌日。俺はヘイヴンの空き部屋で、ホワイトボードを前に教鞭を振るっていた。時おり教壇に広げた教科書をめくり、ボードの人攻機の絵に教鞭の先端を叩きつける。それ以外は全くの無音だ。リリィは静謐な空間の中、俺の向かいで真剣に講義に聞き入っていた。
俺は相変わらず、ライフスキン姿だ。一方リリィはローズの縫った服という、ラフな格好をしていた。そういえば汚れ仕事に専念している彼女が、仕事着以外を身に着けているところを初めてみた。白いタイトの長ズボンに、緑のセーターを着ている。セーターの毛糸は、捕まえた羊の毛を使っているらしい。
リリィはセーターのタートルネックに首を埋めて、黙々とノートに文字をかきこんでいる。その姿が談話室でお絵かきをするパギと重なり、俺はふっと口元を笑みで緩めた。
「パギとおそろいだな。良かったじゃないか」
リリィがノートから視線をあげて、半眼で俺を睨み付けた。
「怒るよ」
「え? す……すまん」
リリィを子ども扱いするのは駄目か。俺は軽いため息をつくと、場をとりなすために教鞭で空気を掻き混ぜて、風鳴り音を立てた。
「いいか。人攻機を操るには、その構造をロボットと考えるより、操り人形と捉えたほうがいい。ギアで骨格を支えているんじゃなく、筋肉で地面から吊っているんだ」
「どう違うの?」
リリィはノートにペンを走らせながら、質問してくる。
「レスポンスが違う。ロボットは支点が関節部分のギアにある。反応が固い上に支点が分散するため、バランスをとりにくい。比べて操り人形は支点が地面にある。地面を支えに全身の人工筋肉を緊張させているんだ。反応が柔らかく、駆動も滑らかだ。その分揺れるがな」
「はえ~……アッ! 地面を支点にしているから、躯体は地面を中心にふらふら揺れるんだ!」
「その通りだ。その揺れをオートバランサーが、制御しているのさ。そして躯体の揺れは様々な理由で発生する。人工筋の駆動、風、足場の沈下、パイロットの身動ぎ、躯体の腕をふる。果てには外部装甲の荷重や、武器の使用による反動によってもな。揺れを把握して、それを助長せず、治めることを思考の隅に置いておくと、危険はぐっと減る」
リリィが顔を青ざめさせ、ごくりと生唾を嚥下した。
「……そ……その……私はそんなに……躯体の挙動を意識できない……」
「俺だって無理だ。だが経験を積めば、勘で人攻機の動向が掴めるようになるし、自らの駆動が躯体にどのような影響を及ぼすか把握できるようにもなる。そのためには実習実習!」
リリィはペンを机の上に放り投げる。カラカラと、卓上をペンが転がる乾いた音が響く中、彼女は唇を尖らせた。
「でも私結構知ってるよ。骨格、人工筋、装甲の役割とかぁ、電装品のプログラムとかぁ。人攻機ごとのスペックとかぁ……それでもできないんだよ」
「技術的な面で知っていても、実践的なことを知らなければ意味がないぞ。例えば――コクピット内の振動で、人攻機の状況がある程度分かるのは知っているか?」
「何それ!」
リリィが机に両手をついて、椅子を蹴って立ち上がる。俺は落ち着けとなだめる代わりに、リリィの机を教鞭で軽く叩いて、座るように促した。リリィは足から力を抜いて、ストンと椅子の上に尻を落とす。そして拳に力を込めて、期待の籠った眼差しを俺に向けてきた。
「人攻機が駆動すると、当然コクピットが揺れる。そしてその揺れは状況によって全く異なる。チリチリと細かく震えている場合、風か人工筋の電圧が乱れている。風向きに注意を払うか、そうでなければすぐさま整備を行うべきだ。掴まれて引っ張られるような感じは、四肢に振り回された結果だ。人攻機が保持する装備品に振り回されているか、足場の沈下によって感じることが多い。そして鳴っている鐘の中にいるように衝撃が突き抜ける感覚は――装甲に打撃を受けた証拠だ。倒れたり、攻撃されたり、障害物にぶつかった場合がこれだ。どれも感覚で、大体の方角を予想できる。まだまだあるぞ」
「聞かせて聞かせて!」
リリィが黄色い悲鳴を上げる。俺は苦笑しながら、教鞭を振るい続けた。
座学は一日一時間のペースで行われ、座学の合間を縫って人攻機による実践も行った。リリィは当初、黙々と俺の講義に耳を傾けるだけだった。ホワイトボードを見るために顔をあげ、それはすぐ複写のためにノートに落とされる。その往復の繰り返しだった。しかし余裕がでてくると、黒板とノートの視線の往復に、俺が混ざるようになってきた。
ここまでならまだいいんだが。
「それでさァー、ロータスが牛の乳を搾ろうとしたんだけどさ、あいつ初めてなのに見栄張ってできるっていっちゃったんだ。それでやり方が分からなくて、しばらくうろうろした後、雄牛に後ろから近づいて行って、その――タマを――クスクスクス! それで蹴られたんだよ! おかしいでしょ!」
彼女は講義中に、関係のない私生活の話をすることが多くなった。
「ふーん。そうか」
つまらなそうに聞き流す。そんな暇があったら、夢の実現に尽力して頂きたいものだ。
俺が無視を決め込むと、リリィは笑い声を次第に潜めていき、清冽な溜息と共に無表情に戻った。そして様子を窺うように、俺を上目遣いで見つめてきた。
「ナガセもいっぺんやってみたら?」
「人手が足りないのか?」
リリィがきょとんとする。そして素早く首を左右に振った。
「え? そうじゃないけど……あのさぁ……」
「何だ?」
「何でもない――続き教えて」
彼女は呆れたように頭を抱えると、ペンを握り直してノートを軽く叩いた。
遊びたいのは分かるが、今は勉強の時間だ。まぁ、真面目に続けているのだから、小言をいうのは勘弁してやるか。
座学が二週間目を迎えた頃のことだった。
「音響センサの結果は、空気の濃淡や地質、温度並びに湿度、そして風によって大きく変化する。だから正確な情報を得るにはこれらの条件を頭に叩き込むことが大事だな。と言いつつこればっかりは、俺もうまくできていないのだが――どうした?」
座学の最中、ふとリリィが視線を明後日の方にやり、下唇にペンを当てて考え込んでいた。何か分からない所があったのだろうか? 彼女は俺に声をかけられて、リリィははっと顔をあげる。そして申し訳なさそうに軽く頭を下げた後、遠慮がちに口を開いた。
「その……五月雨に乗せてもらった時から思ってたけど。ナガセ。教えるの上手いね」
当たり前だ。俺が何をしていたと思っている。
「昔取った杵柄だ」
リリィは再びノートに視線を落とし、眉根に皺を寄せて唸り声をあげた。どうやら俺の過去のことを考えているらしい。しかし俺がその話題を避けているだけあって、彼女は何も思いつくことはなかったようだ。やがて降参したかのようにばんざいをすると、背もたれに寄りかかって足をぶらぶらさせた。
「昔何してたの?」
あまり過去のことは話したくない。過去に固執すると、俺のようになる。しかしそれぐらいなら答えても問題あるまい。
「教師だ」
「誰を教えていたの?」
「パギみたいな子供さ」
リリィの目が軽蔑に鋭くとがった。
「結局、何人殺したの?」
「殺せるわけないだろ。大事な人様の子だぞ?」
「大事……あっ……うん。そうだね……」
リリィは意外そうに目を丸くした後、声を悲しさに沈ませる。そしてやや泣きそうに表情を歪めて、机の上に突っ伏した。その様はまるで、泣き顔を見られないように、隠しているみたいだった。
「私たちのこと……大事じゃないの?」
またその話か。俺は過ちを突きつけられた気分になり、リリィから顔を背ける。そして乱暴に頭を掻きむしった。
「俺は自分よりも、お前たちを大事にしているつもりだった。自律、自省、自衛。全てできて初めて人として扱ってもらえる。尊厳を奪われずにな」
それが俺のいた過去だった。当然それを知らないリリィは、うつ伏せになったまま、愚痴り続ける。
「ナガセの言うような難しいことは、よくわかんない。だけどこんなに優しく教える事ができるじゃん。ゼロにいた頃、何でそうしてくれなかったの? 大事じゃないからじゃないの? 私すごく苦しかったし、辛かった。何でなの?」
何故そんな当たり前なことを聞く? 時間も、物資も、人手も足りなかった。そして俺のような人間を、いつまでも頼りにさせるわけにはいかなかった。
ああするしかなかった。そう言おうとして、俺は言葉に詰まった。
俺はここに生きていない。口先だけで、俺は過去を繰り返し、ここで何かを生んだことがない。新しく何かを生み出すことができないから、過去に縋るのだろう。悩まされるのだろう。
楽だからそうした。それだけだ。
俺が黙り込むと、リリィはそれ以上問い詰めようとはしなかった。彼女は突っ伏した顔をあげて、ぼんやりと虚を見やる。その顔は自分の正しさを実感したように、どこかホッとしていた。しかしそれも束の間、彼女はまたもや眉間にしわを寄せて、首をひねった。
「ナガセ。昔はどんな感じだったの?」
突然の問いに虚をつかれ、俺は思わず唇を食んで固まってしまった。やがて質問の意味を理解すると、過去に対する忌避感が、俺の態度を硬化させた。
「質問の意味が解らんな」
「教師していた頃だよ。どうだったの? 今みたいに嫌なヤツ――違ッ……厳しい人だったの? 皆に嫌われていたんでしょ? 友達いなかったよね」
人を何だと思っているんだか。俺は国連に徴兵される前の、楽しかった記憶に思いを馳せた。
「まぁ俺は気難しいし、友人は多い方ではなかったな。片手で数えるほどしかいなかった。ジョーシマ、コクブン、マツオカ。いい奴らだったよ。ヤマグチとコジマって奴もいたが、どっかいっちまった」
「そいつらもナガセみたいな――」
「おっと、あいつらを侮辱するなよ。あいつらは俺とは違うんだ。誇り高く、潔癖で、愛で溢れていた」
リリィは矛盾に苦しむように顔をしかめたが、確信を持ったようにはっきりした口調で呟いた。
「じゃあナガセも、昔は優しかったんだね」
予想もつかない返事に、俺は真顔になってしまった。
「どうしてそうなる? 上品な奴らと付き合っていたからと言って、俺が上品だとは限らんぞ。そいつらに嘘をつき、騙して、取り入っていただけかもしれない」
「んーん。優しい人とは、優しくなければ友達になれないよ。私今でもロータスが嫌いだけど、昔と違って友達になれると思っている。お互いに似通ったものがないと、お付き合いするの難しいから」
リリィは身体のコリをほぐすように、大きく伸びをする。そして魂が抜けたように肩を落とすと、小声でこぼした。
「何でそんなんなっちゃったの……?」
時代が俺に許さなかった――というのは簡単だ。しかし俺が時代に負けたと認めるには、勇気が必要だった。自分に負けたと受け入れるには、得たものが多すぎた。
「何でだろうな……」
俺は恥じるように額に手を当てると、きつく目を閉じて顔を伏せた。
俺は時間を最大限活用して、出来うる限りを尽くしてきた。しかし大切な時間を浪費した気分だ。だがそれが何に対してなのか、どうしてそう思うのかは、今の俺には理解できないようだ。ただ耐えがたい喪失感が、胸の内から込み上げてきた。
「何でだろうな……」
二度目のつぶやきは、堪えた涙で軽く震えてしまった。
「ごめんね。もう聞かない」
リリィは急に居住まいを正すと、無邪気に明るく言った。俺もそんな彼女につられて、苦悩を笑みに変えて顔をあげた。
「おいおい……何で謝るんだ?」
「ナガセ……すごく辛そうだから……」
リリィは俺に共感するように、声のトーンを合わせてくる。
「ナガセ……昔……したかったこと……出来なかったんだね……」
「そうかな?」
「口調変わったね」
「ん? つまり?」
「ほら。私が聞いているのに、逆に質問して、はぐらかそうとしている」
見抜かれて、ばつが悪くなり、俺はげんなりとため息をついた。まぁたフォローしないといけないのか。胃薬の量を増やさないとな。
しかしリリィは俺の失礼を咎めようとはせず、ただおかしそうに咽喉を鳴らして笑った。
「ナガセ物凄く単純だからね。分かりやすいよ」
今日はこれ以上、座学をする雰囲気ではないな。俺は教壇に開いていた、人攻機の教科書を閉じる。そしてホワイトボードの文字を全部消した。
「最後に。もひとつ教えて。どんな気持ちだった?」
引き留めるようにリリィの声がかかる。その声色は今までとは違って、愚痴る訳でもなく、問い詰めるようでもなく、ただ縋るような弱さが込められていた。
「殺しの……話か?」
「違う。そんなもの知りたくもない。ナガセが……したいことできなくなった時の……話」
だとすると、俺が国連に徴収された時の話になるな。教師でいられなくなり、兵士にさせられた。
そしてあいつらと出会った。
初日に足を撃たれ、生徒からもらった鉢巻きでケツを拭かれた。そんなものは序の口に過ぎない。囮にされ、躯体に悪戯をされるのはもちろん、故郷に勝手に別れを告げたのもあいつらだ。まだまだある。もっと、もっと、屈辱的なことをされた。
それでも――それでも俺は――俺は――俺は――
「それでも。俺は俺であり続けようとした。そうすれば自分を赦せると思っていた」
そして負けた。
だからこそ勝てた。
後ろめたさで小さくなった声は、絶対的な自信に揺るぎない声色で表現されて、矛盾の塊として咽喉を滑り出た。リリィはどう反応していいか困っているようで、後には戸惑いが籠った沈黙だけが残った。
俺は教壇の教科書をまとめると、それを片手に部屋の出口へと歩いて行った。ドアをスライドさせて、身体の半分を外に出したところで、俺は教室内を振り返った。リリィは釈然としない表情のままで、俺を見つめていた。
俺はリリィに軽く手を振って、別れの挨拶の代わりにした。
「また明日な。俺はローズを探してくる」
その一言にリリィは表情を引き締めた。まるで優しい俺との別れを、恐れるように。
「ナガセ……昔一体何があったの?」
「これだけは言っておく」
語れる過去は少ない。だって――あんな穢れた事実、知って欲しくない。俺が教えなければ、それは存在しないことになる。もう何もかも消えてなくなったんだ。ありもしない過去を教えてどうなる。俺みたいに引きずり、満たされない想いで飢えるだけだ。
「お前たちがそれを知らずに済むのならば、俺は敵の血を何万ガロンも流すし、それを浴びて、化け物と呼ばれることも辞さないだろう。俺は過去もその思いを胸に戦ってきた。だから――安心して寝な」
俺はそう言い残して、ドアを閉めた。
ローズはどこにいるだろうか? 夕闇に赤く染まる廊下を、独りで歩いた。
「やっぱバカだ。安心できるわけないだろ」




