人功機に乗ろう! 体験編
翌朝。
外の吹雪は、相変わらず収まることを知らない。激しく吹き付け、ヘイヴン全体を細かく揺らし、チリチリと粉雪が砕ける音をそこら中に響かせている。早朝だというのに、厚い灰色の雲が空を覆い隠したせいで、外は異様に暗い。ヘイヴン内では電灯がつけられ、眼に障る人口の光で満たされていた。
俺は昨晩、駐機所に展開した五月雨のコクピットシートに腰を下ろして、朝食のサンドイッチを貪っていた。一昨日つぶした牛の肉が、ふっくらとした柔らかいパンにはさまれている。調味料には塩と、例の良く分からん茶色の粉が使われていた。未だに何の粉か判明していないが、このエビのような風味はたまらん。病みつきになってしまう。ひょっとしたらエビそのものを粉にしているのかもしれない。いやしかしそんなにエビをとった記録はないし……かといってこの粉について言及された資料はないし……気になる。
「昨日はごめん」
食材について思いを馳せている内に、五月雨の股下からあどけない声が上がった。搭乗口から外を覗くと、躯体の足元でリリィが所在なさげに視線を俯かせていた。
「ごめんって……なにがだ?」
謝られるいわれはない。お前の怒りは正当だし、俺はそれを承知で手伝うといった。喚かれたり、殴られたぐらいを、いちいち根に持っていられるか。
リリィはとぼける俺に、頬をぷくっと膨らませて拗ねた。やがてコクピットに上がるための足掛けを乱暴に踏み、中に這いあがってきた。
「……教えてくれるんでしょ……さっさとしよ」
「わかった。その前にちゃんと飯は食ったか?」
俺はサンドイッチを口に捻じ込みながら聞いた。リリィは浅く頷く。そして俺の指先についた、茶色の粉をちらりと見て、軽くえづいた。
「うん。食べた――うげ……良くそれ食べれるね」
「何? それはどういう――」
「いいから早くしてよ。時間がもったいない」
リリィは俺を遮ってまくし立てると、急かすように操縦桿をガチャガチャと動かした。
俺は引っかかるものを覚えながらも、シートベルトを締め、スロットルをオフからアイドルに入れた。躯体に十分な電圧がかかるのを待つ間、俺はリリィに聞いた。
「歩かせることはできるんだな?」
「馬鹿にしないでよ!」
結構なことで。
「走行には、三つの段階がある。軸足が踏ん張り、踏み足が前に出る第一段階。重心がシフトする第二段階。踏み足に重心が移り、軸足となる第三段階だ。どこで躓いている?」
リリィは俺の問いかけに、首をひねって考え込む。彼女は自分の走行を省みたことがないのか、しばらく黙り込んでいた。
「ん……そういう考え方したことないけど、多分第一段階か、第二段階のどっちか。走らせようとしてペダルを踏むと、踏み足が前に出たところで、バランスが崩れちゃうんだ」
俺は顎に手を当てて、少し考えこんだ。
「基本的に人攻機の歩容は、フットペダルを踏むだけで、後はコンピューターがオートで構成してくれる。踏み続ければ、オートバランサーを切らない限り、走り続けられるはずだが……お前何か余計なことしてないか?」
リリィは氷漬けになって微動だにしなくなる。だろうと思ったよ。そうでもなければ、人攻機なんてめったに転ばない。俺はじっとリリィの返事を待つが、彼女は石のように口をつぐんで頑として話さなかった。
「上手く乗りたいんだろ?」
俺は膝を持ち上げて、彼女の身体を軽く揺らした。リリィは俺にされるがまま、ぐらぐら揺れていた。やがて深く首を垂れると、おずおずと唇を割った。
「オートバランサー……切ってる……」
「オートバランサーを切って、フットペダルのテンションで躯体を動かすのは、上級者の駆動方法だ。どうしてそんなに先を急ぐ?」
「早くみんなみたいに走りたいから……私だって……私だって……」
「昨日も言ったが、何事も段階があるんだ」
躯体の人工筋に十分な電圧がかかり、コンディションパネルに緑色のランプが灯る。俺は駐機所から、人攻機を歩き出させた。
「お前にはお前のやり方と道がある。他なんざ気にするな」
倉庫のシャッターを解放し、五月雨はヘイヴンの外へと出た。五月雨の全身を、吹雪が包みこんでいく。ヘイヴンを囲む土塀の中は、警備のシフトが綺麗に雪かきをしてあり、足場はしっかりとしていた。広場を歩むと劣悪な視界の中、突風で躯体が微かに揺れた。リリィは緊張してか、俺のライフスキンの飾り布を、きつく握りしめた。
俺は昨日、人攻機を走らせたグラウンドへと、五月雨を歩ませる。そこにはブルドーザーが一機、今朝の雪かきを終えてアイドリングしていた。
塀内に積もった雪は出撃の邪魔にならないように、ヘイヴンの排熱装置の近くか、塀の外に捨てられる。だが今日ばかりはグラウンドの一角に、積もったばかりの粉雪がこんもりと盛られて、白い巨大なクッションが作られていた。
ブルドーザーの運転席では、ジャケットを着こんだプロテアが、退屈そうに煙草をふかしている。彼女は五月雨が立てる地響きに気付いたのか、不意に顔をあげた。そして視界に俺たちを収めると、窓から身を乗り出して手を振ってきた。
『おーナガセ! 言われた通りに、ここにかいた雪集めといたぞ!』
「雪かきの仕事ですら大変なのに、余計なことを頼んですまんな」
外部スピーカーで、プロテアに返事をする。彼女は大したことをしてないといわんばかりに、肩をすくめて見せた。
『い~んだよこれぐらい。リリィ。応援してるから頑張れよ。俺にできることがあったら遠慮なく言ってくれよな!』
プロテアは陽気に五月雨に向けて、サムズアップをくれる。本当に面倒見がよく、気のいい女だ。俺は外気の冷たさを忘れるほど、ほんのりと胸が暖かくなるのを覚えた。しかしリリィは違うようで、ギリリと歯を食いしばる音が聞こえた。
「うるさいぞおっぱい女……」
「おい。お前のためにわざわざ手を貸してくれてるんだぞ。その言い方はないだろう?」
俺はリリィの頭を顎で小突き、軽くたしなめる。だが彼女はより身体に力を込めて、唸り声をあげた。
「あいつは最初っからできたんだからさ……何かムカつく……」
「そういう人間もいる。そしてだからと言って、プロテアも努力をしなかったわけではない」
あいつも訓練当初は、おどおどとフットペダルを踏んでいた。それが失敗という経験を積み重ね、今の実力を手にしたのだ。
俺は五月雨を、雪のクッションの前で停躯させた。
「人攻機を上手に動かすには、バランスを上手く取ること。バランスを上手く取るには、人攻機が持つ位置エネルギーをきちんと理解することだ。バランスは重心を中心にとられ、重心が動くときに位置エネルギーが動作に余分な力を加える。そこで」
俺は左フットペダルに足をかけ、前に押し倒す準備をした。つまりオートバランサーを切ろうとした。
「一回人攻機を転倒させる。しっかりと気を張って、どのように倒れるか肌で感じろ」
リリィが泡を食ったように目を白黒させ、シートに固定された身体を、無理やり俺に振り向かせようとした。
「何で倒すの! 危ないでしょ! それに人攻機に傷がつくよ! やめてよ!」
「人攻機は重力に引かれて、ゆっくり倒れる。しかし一定の傾きを越えると、急速に地面に引かれていく。走るという動作は、地面に急速に引かれる段階に入る前に、次の足を差し出さなければならない。だから身体でそのタイミングを覚えろ」
「いや! でも! 怖い! ムリムリムリ! 他の方法はないの!」
「じゃあ人工筋肉のテンションを緩めるか?」
「クソッタレェ!」
「という訳だ。ホレ。とっとと覚悟を決めろ」
俺はリリィの決心がつくまで、待つことにした。リリィはまるで注射を恐れる子供のように、そわそわ体を揺らしながら、しきりに俺を気にしていた。どうやら俺が折れて、転倒以外の冴えたやり方を、教えてくれるのを待っているようだ。しかし残念ながら、経験に勝る勉強はない。俺はリリィの期待を取りあわず、ぼけーっと今晩の献立のことを考えていた。
今日はカレーらしい。どんなカレーだろう? あの茶色の粉がかかっているといいな。
リリィは俺の注意を引くために、尻をぐりぐり俺の腰に押し付けたり、貧乏ゆすりをしたりした。余程嫌なのか、彼女の肌を通して、激しい動機が伝わってくる。それでも俺が無視を決め込むと、涙声になって叫んだ。
「やって!」
俺はリリィの激励し、安堵を誘うため、優しく顎で頭をさすった。
「身体から力を抜け。下手に力むと傷めるぞ。深く深呼吸して、数字を十数えろ」
リリィが大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出していく。そして浅く短かった呼吸を整えた。それからたどたどしく、数字をカウントアップさせた。俺は数字を数える声から緊張が抜けていないのを感じると、もう一度読み上げさせる。リリィが三十を数えた頃、ようやくその身体から力が抜けてきた。
「ではいくぞ」
俺は左のフットペダルを前に踏み込み、オートバランサーを切った。そしてコンピューターを操作して、五月雨にゆっくりとお辞儀をさせた。コクピットが軽く前に傾斜する。五月雨の重心は胴体から前に移り、躯体は重力に引かれて、ゆっくりと前に倒れていった。
「ヒェ……」
リリィが小さな悲鳴を上げて、緊張に身を固くした。いかん。これだと体を痛める。俺は素早くリリィの両脇に手を滑り込ませると、くすぐってやった。
「あひゃ!? アハ! アッハッハッハッハ! バカ! くすぐったいよ! こんな時に何を――はえ……」
五月雨の傾きが一定を越えた時、倒れる速度が倍増する。そして叩き付けられるように、雪のクッションにうつ伏せになった。激しい衝撃がコクピットに駆け抜ける。リリィは自らを抑えるクッションに頭を叩きつけられて、まるで不良品の首ふり人形のように首をぐらぐらさせた。俺はリリィの後ろから身体を使って、リリィが無駄に揺れないように抑えつけてやる。
衝撃の振動が次第に収まっていき、残響となって耳鳴りを残す。それも空気に溶けていくと、やがて静寂だけが残った。
俺は膝の上で放心するリリィに囁いた。
「分かったか?」
「ほえ? 何が?」
リリィは直前の記憶がないように、間の抜けた返事をする。
「タイミングだ。傾いてから一定の傾斜を越えると、速度が増しただろ。そうなるちょっと前にオートバランサーを入れ直すんだ」
「はい? どういうこと?」
「人攻機を走らせることだ」
「はぁ? そうだったね――分かるわきゃないでしょこの馬鹿チンが!」
リリィががばっと身体を跳ね上げると、頭を前後に激しく振って、俺の胸板に叩き付けてきた。俺はリリィの頭を鷲掴みにすると、ぐいっとクッションに押し付けた。
「分かるまで繰り返すぞ。もう一回倒すからな」
「いぃぃぃ!? やだよ! 怖いよ!」
「人攻機に乗れば、常に転倒の危険性が付きまとう。そしていざという時に、わざと転ばさなければならないこともある。転倒はアクシデントではない。プロセスの一つだと覚えておけ。プロテアはこの恐怖を克服したんだ。もう彼女の悪口をいうなよ」
音響センサ、オン。周囲の地盤情報を探る。躯体の下にはスカスカの雪の山、足元に硬いアイスバーンがある。左の操縦桿の、マーカー機能をオン。それで比較的固まっている、足元付近に照準をやり、トリガーを引いてマーキングした。それから復帰ペダルを入れる。躯体が自動で、マーキングした地面に手をついた。ゆっくりと上体を持ち上げ、膝を畳んで腰の下に入れる。人攻機は膝立ちの姿勢になり、そしてすっくと立ちあがった。
「次はこの動作をやってもらうぞ」
「はぁい……」
リリィは上の空で答える。どうやらすでに、次の転倒に怯えているようだ。やれやれ。これじゃあ先が思いやられるな。
三回。転倒を繰り返した。プロテアが用意した雪山には、人攻機の型が三つつけられた。人攻機の重みにつぶされて固まってしまったので、これ以上の転倒はいたずらに躯体を傷つけるだけだろう。いびつな形のアイスバーンは残したくないし、掃除もしなければならない。
これで理解できていなければ、明日に持ち越してまた雪山を作らなければな。
「感覚がつかめたか?」
リリィは憔悴にぐったりとしながら、弱々しく頷いて見せた。
「うん……だいたい三秒……ぐらいかな……」
う~む。おぼろげながらに理解はしたようだ。しかし感覚を得るのに、だいぶ神経を使ったようである。判断力と思考力が低下しているかもしれない。
「休むか?」
俺はその提案に飛びつくことを祈って、そっとリリィに囁いた。しかしリリィは強く首を横に振り、操縦桿に手を添えて、フットペダルに足を乗せた。
「ううん……やっと走らせられるんだよね……できるんだよね……がんばる」
リリィの疲れ切った口調とは裏腹に、彼女の背中からやる気が熱気となって伝わってくる。それまでの怯えや恐れはすっかりと鳴りを潜め、期待と喜びを身体中に滾らせていた。
やめろとは言えない――か。サクラの気持ちが、痛いほどわかった。
「まず俺がお手本を示すからな。しかし知っての通り、人攻機の走行は苛烈だ。今のお前の体調だと、耐えられんかもしれん。気分が悪くなったら言うんだぞ」
リリィはお預けを食らった犬のように、黄色い悲鳴を上げた。
「えぇ!? まだ駄目なの~? だったらまず私にやらせてよ~」
「何事も手本を真似ることから始まる。一歩ずつ。一歩ずつだ」
俺は諭すと、フットペダルにかかるリリィの足を横に払い、ゆっくりと踏み込んだ。




