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Crawler's  作者: 水川湖海
リリィ編
135/241

人功機に乗ろう! 基礎編

 俺は足音を殺しながら、リリィのいる駐機所へと近づいた。距離を詰めていくと、駐機所からは人工筋肉の通電音に混じって、リリィの嗚咽が混じった悪態が聞こえてきた。

「なんでだよぉ……こんなに大事に取り扱ってやってるのに……何で上手く動いてくれないんだよぉ……どうして思い通りに動いてくれないんだよぉ……」

 俺は現場に辿り着くと、じっくりと現場を確認した。ジャングルジムの様に格子がめぐらされた駐機所の中で、キドニーダガァが降着姿勢で格納されていた。容姿はダガァと同じ鋭角の目立つ凛とした佇まいだ。しかしキドニーは、装甲から必要最低限な機能以外すべてオミットされているため、ダガァよりさらに華奢だった。ダガァの装甲を剣道着に例えるなら、キドニーはフェンシングスーツといったところだろう。

 駐機所のコンソールにはリリィの物と思しきデバイスが接続され、近くには無造作にピンク色のペンキが塗られた工具箱が、開いた状態で置かれていた。道具箱は両開きのタワー式で、中にはよく手入れのされた工具と、使用頻度の高そうな細々としたパーツ、そして油の入ったボトルが押し込まれていた。道具箱は真新しいが、使い込まれて細かい傷がついており、所々塗りたてのペンキが剥げていた。

「機械いじりが……好きなようだな……」

 俺は工具箱に落とした視線を持ち上げると、駐機所のコンソールに向けた。コンソールは躯体の調整中で、ディスプレイには人攻機の全体図が映し出され、各所のコンディションが簡潔に表示されている。それによればリリィは、キドニーの足回りの人工筋を調整していたようだ。

「なになに……あー……。人工筋肉のテンションを、初期設定よりもきつく張っているな」

 この張り方だと、ダガァのテンションと変わりない。キドニー唯一の長所である、乗り心地の良さが完全に死んでいるぞ。これだとパーツの品質が良いぶん、ダガァの方が乗りやすい。どれだけ頑張っても、上手く乗れないのは当たりまえだ。

 問題点が分かったところで、後はリリィに教えてやるだけだ。俺は駐機所の格子を潜ると、中で尻もちをつく、キドニーの股下に足を進めた。キドニーのまたぐらにある搭乗口は解放されており、そこからリリィの小柄な脚が投げ出されて、空を遊ぶようにゆらゆら揺れていた。

 普段通りに口をつこうとした横柄な声色を、グッとのど元で抑えつける。そして気取らず、偉ぶらない、柔らかい声を出した。何故かその声が咽喉を絞り出るとき、俺の腕はサクラを抱く感覚を思い出していた。

「手伝わせてくれ」

 声に反応するように、リリィがずるりと搭乗口からずり落ちた。彼女はコクピット内に這い戻ろうとして、躍起になって空を蹴りつける。しかし慌てふためいた足は、結局足掛けを蹴る事ができず、重力に引きずられ目の前に落ちてきた。

 リリィは怯えで僅かに引きつる顔を、不貞腐れたように捻じ曲げていた。

「ナ……ナガセェ? 別にいいよぉ。起動確認していただけだし、こればっちり動くって分かったから」

「人攻機が好きか?」

 ここでリリィに合わせたら、逃がしてしまう。俺はやや強引に話題を捻じ込んだ。リリィは突然の問いかけに間を丸くしたが、おずおずと首を縦に振った。

「え……あ、うん。人間と違って素直だからね。きちんと設定すればその通りに動いてくれるし……裏切らないし……」

 リリィは『裏切り』の言葉に妙に力を込めて、ぎりりと歯を食いばった。

「キドニーを選んだ理由は?」

 俺はキドニーの内股を、裏拳で叩いて鳴らした。

「え……振動が少なくて……制動も楽だし……乗りやすいから」

「良し。躯体の特性を理解しているな。座学の必要はなさそうだ。しかしそれを殺すような整備をしている」

 俺はリリィの首根っこを摘まみ上げる。相変わらずチッコくて軽いな。リリィは俺に片腕で吊りあげられる。これで耳がついていれば子猫ちゃんだ。

 彼女を一度、キドニーの外に出して、近くの格子の上に立たせる。そして自らキドニーのコクピットに座ると、踵で搭乗口を蹴って鳴らした。

「乗れ」

 リリィが戸惑う様に、身じろぐ気配がした。搭乗口からは躯体に隠れて、彼女の全容は拝めない。しかし唯一見える足は、凍えるように微かに震えていた。

 リリィは訓練の成績が悪かったからな。随分とつらく当たった。檻に入れて海に沈めた事があるし、ゲロを吐くまで動かしたこともある。彼女は失敗すれば、俺に罰せられると思っているだろう。

 しかしあれは、お前たちに死んで欲しくないからしたことなんだ。自分を諦めて欲しくないから、生き抜いてほしいからしたことなんだ。でもそれすらも、俺の一人よがりだったのだろう。

「お仕置きは絶対しない」

 俺がポツリとつぶやくと、リリィの足がその場で足ぶんだ。やがて彼女は意を決したように、足に力を込めて震えを止める。リリィは搭乗口に頭を突っ込ませると、俺の足を掴んで中によじ登ってきた。

 リリィはすぐには座らず、コクピットの内壁に立った。背の低い彼女は、直立不動になってもコクピット内でつっかえない。それどころか操縦席に腰を下ろす俺と、ちょうど目線が一緒になる高さだった。リリィは俺と目が合うと、口をいの字に広げて顔をやや赤くし、そのまま動かなくなった。

「何をしている。座れ」

 俺は指でリリィを招き、膝の上に早く座るように急かす。リリィはぷいっとそっぽを向くと、はにかみながら吐き捨てた。

「変なとこ触らないでよ」

 俺は鼻で笑いつつ、生意気を諌めるようにリリィの頭を軽く小突いた。

「それほど立派なものを持ってるとは思わんが」

 つい最近の健康診断で、パギに身長を抜かれたそうじゃあないか。変な所で色気づきやがって。そういうのはプロテアやピオニーが喚くもんだ。

 俺は子供をからかう程度でそう言ったが、リリィの反応は火に油を注いだようだった。彼女はバネが飛ぶように動き、俺の胸倉を掴み上げてきた。

「アァ!? 今なんつったコラァ!?」

 俺は額に冷や汗を浮かべた。よくよく考えたら、リリィも年ごろの娘だった。時代が時代なら、セクハラで訴えられていただろう。俺はすぐにリリィに向かって頭を下げた。

「今のは俺が悪かった。すまん」

「謝るぐらいなら最初っから言うんじゃないよぉ!」

 リリィが突き飛ばすようにして俺から手を離す。そして尻で押し潰すように、どっかりと俺の膝の上に飛び込んできた。

「ん……すまん」

 呟きながら、リリィの身体をシートベルトで俺の上に固定した。

 人攻機のコクピットは、ほぼすべてセミタンデムである。元来人攻機は、二人乗りがデフォルトの起動兵器だからだ。一人が駆動を担当し、残りが火器管制と戦術指揮を行うのがセオリーなのだ。大戦末期になると兵士の減少と、ヴェトロニクスの高性能化によって、一人でも飛翔戦闘が行えるように改良が施されたにすぎない。

 俺は自分のおさらいを兼ねて、コクピット内を見渡した。人攻機のコクピットの構成はこうだ。

 まず中央にどんと置いてあるのが操縦席である。戦闘機と同じ射出座席であるが、股下から座席が射出されるので、『産卵(スポーニング)』なんて洒落た脱出名がついている。操縦席にはひじ掛けがあり、その先端にはスティックタイプの操縦桿が左右に配置されていた。右手は主に武装を、左手は躯体を操作するのに使う。

 右の操縦桿にはメインウェポンのトリガーと、親指で押せる位置に兵装選択ボタン、副兵装のリリースボタンがあった。トリガーは頭部スポッティングライフルと、主兵装である戦歩ライフルの兼用である。副兵装のリリースボタンは、それ以外の武装――脚部マイクロミサイルや、腕部内臓カノン砲、展開型爆裂式短刀などに使われる。

 左の操縦桿には、親指の位置に飛翔時のトリム調整スイッチがある。その隣にはディスプレイの緊急操作に使う親指サイズのタッチパネルがある。これをマウス代わりにメインコンピュータを操作できるのだ。そして操縦桿の腹の位置には、レーダーモード(超音波センサを含む)切り替えスイッチがあった。左の操縦桿にもトリガーがあり、こちらはボタンによって一番から五番トリガーまで切り替え可能である。一番トリガーは現在選択中の武装の装填、二番はレーダーマーカーの指定、三番以降は外部拡張機能用である。追加装甲や特殊武装などの、規格外品の操作に使われるわけだ。

 座席右の尻もとにはスロットルレバーがある。手前からオフ、アイドル、ミリタリーである。オフは文字通り、人攻機の電源が切れる。アイドルは人攻機に最低限の電気が通う。この段階では一部の電装品が起動し、人工筋肉に歩むだけの力を出させる通電が為される。アイドルはもっぱら初期通電、整備点検や、基地内での人攻機の移動に使われた。そしてミリタリーは火器管制を含む全ての電装品が起動、人工筋肉に限界出力に備えたテンションが張られるのだ。

 同様に座席左の尻もとには、飛空用のスロットルレバーがある。しかしこれは使うことはないので割愛してもいいだろう。

 正面には正面、上下、左右で五分割にされた大きなディスプレイがある。正面がマルチディスプレイとなっており、躯体コンピューターの情報と、頭部カメラ、バックカメラ、主兵装の補助カメラ(スコープを含む)が表示される。左右のディスプレイには腕部カメラの情報が、上のディスプレイにはレーダー情報、下のディスプレイには脚部カメラと股間に取り付けられた赤外線レーダーの情報が表示される。

 マルチディスプレイを見ると――コンディションオールグリーン。キドニーは何時でも動かせる状態だ。

 コクピット閉鎖。股下の搭乗口が閉まり、両脇からフットペダルが足元にスライドしてくる。同時にコクピットの内壁が徐々に膨らんでいき、クッションとなって俺たちを包んでいった。このクッションは、操縦者が内壁に叩き付けられないように防護するものだ。膨張してクッション化するのは、コクピットシートの首回りと、座席全体が少しずつ。そしてメインディスプレイの下部から、まるで車のエアバッグのような丸いクッションが、やんわりとリリィを俺へと抑えつけた。

 そうそう。念のため、チョーカーと頭部の連携をしておくか。首に嵌められたチョーカーの、外部接続ボタンをプッシュ。するとコンピューターが信号を探知して、俺の首の動きと、躯体の頭部の動きを連動させた。試しに首を振ってみると、それに合わせて目の前のメインディスプレイが、必ず俺の目の前に来るようにスライドする。その画面では、俺の首に合わせて動く頭部が、外界の倉庫の様子を映し出していた。

 俺は確認を終えると、俺の膝の上で縮こまるリリィに聞いた。

「何ができない?」

 リリィはより俺の上で小さくなる。そして蚊の泣くような声で呟いた。

「走らせること……」

 走らせられないということは、人攻機のバランスがうまく取れないということだ。だったらバランスをとりやすいように、躯体の設定を弄ってやればいい。俺はマルチディスプレイをタッチして、四肢の人工筋肉の設定画面を呼び出す。そして人工筋肉のテンションを緩めて、オートバランサーが制動に必要とする時間を長めにとってやった。

「あっ……ちが……」

 リリィが俺の上で身動ぎした。何が違うもんか。これでいいのだ。

 俺は設定を終えるとスロットルをアイドルに入れて、キドニーを支える格子を操作して立たせた。そして四肢の関節ロックを外し、駐機所の鉄格子を解放した。人攻機を支える鉄格子が、一本ずつ抜けていき、その両足が大地につく。キドニーは自重で、足の関節を軽くたわませつつも、しっかりと立った。

「サクラ!」

『はい! 何でございましょうか!』

 マイクで外に呼び掛けると、控えていたらしいサクラの返事がすぐにした。

「ちょっと外に出る。シャッターを解放してくれ!」

『かしこまりました!』

「いくぞリリィ」

 俺は足元のフットペダルを、グッと踏み込んだ。キドニーはゆっくりと、前に一歩を踏み出す。キドニーは一歩ずつ足を踏み出す静歩行で、着地の衝撃を殺すため大きく腰を沈めつつ、倉庫内を歩いていく。見た目は能の歩みみたいなものだが、これが安定するのだから仕方がない。

 人攻機のフットペダルも、左右に一つずつ配置されている。こちらも操縦桿と一緒で、左右で役割分担がされていた。

 右が駆動を担い、左で特殊駆動だ。フットペダルはボールの上に、板を乗せたような造りをしており、全方向に踏み倒す事ができる。

 右のフットペダルは、押し倒した方向に人攻機を進ませることができる。強く押し込めば押し込むほど、人攻機の速度が増す。よって踏み切れば人攻機は走り出す。

 左のフットペダルは全方向ではなく、十字型にしか踏む事ができない。しかし事前に設定した、特殊な駆動を実行可能である。キドニーだと後ろに押し倒せば腰落とし、屈みこみ、伏せの順に実行する。なお転倒時の復帰に使用するペダルもこれだ。右に倒せば進行方向への緊急回避。左に倒せば進行方向へのスライディング(ヘッドスライディングかどうかはその時の姿勢による)。

 そして前に押し倒すとオートバランサーが切られる。これが一番重要なペダルだ。

 人攻機のような巨大な直立兵器は、重心が高くにあるため、最初からある程度の位置エネルギーを持っている。人攻機駆動の神髄は、オートバランサーを切ることでわざと姿勢を崩して、位置エネルギーを流用することにあるといっても過言ではない。さらにオートバランサーを再度入れると、人攻機は即座に自動的に姿勢を補正しようとする。これをうまく活用すれば、ステップや腹ばい回避、前転などの高度な駆動を実現できた。

 走ることは、駆動の神髄を掴む第一歩なのだが――今のリリィにはまだ早いか。とにかく落ち着かせるために、適当にお茶を濁して満足させてやろう。

 異変に気付いて近寄ってきた、プロテアたち野次馬の見送りを受けて、俺たちはヘイヴンの外に出た。

 空を踊る粉雪が幾万と群れを成して、我々の視界に決して跳ね除けることのできない白のヴェールをかける。雪礫交じりの豪風が躯体を激しくなぶり、コクピット内にチリチリという、目の細かいヤスリで金属を擦るような音がしはじめた。

 ヘイヴンの周囲は、女たちの築いた土塀で囲まれている。塀内に積もる雪は除去させているものの、処理しきれない物がアイスバーンと化して大地に張り付き、土塀も白く染めて凍てつかせていた。

 俺はキドニーが滑らないように、躯体の足裏からスパイクを展開する。スパイクはアイスバーンにわずかながらも爪を立てて、躯体を無事にシャッター右脇の広場まで運んでくれた。

 広場は俺が訓練用に、彼女たちが作った土塀を拡張した場所だ。面積は30メートルほど。まぁちょっとしたグラウンドといったところだ。ここなら人攻機が転ぼうが跳ねようが大丈夫だ。万一擱座しても、スクランブルの邪魔にはならないだろう。

 俺はグラウンドの中央でキドニーを制止させると、膝を持ち上げてリリィの尻を軽く蹴った。

「動かしてみろ」

「サー。イエッサー」

 リリィは何か不満げに声をすねさせながらも、スロットルレバーに手をやり、アイドルからミリタリーに入れる。それから思いっきり、右のフットペダルを踏み込んだ。

 キドニーが大地を踏みしめる予備動作を行い――左足が思いっきり大地を蹴って、躯体が大きく上に跳ねる。そして右足が進行先である前に大きく伸ばされた。

 右足が着地予想点を問題なく踏みしめる――と同時に、キドニーの右膝は衝撃を殺すために大きく曲がり、腰を僅かに落とした。その右足が次第に真っ直ぐ伸ばされていき、大地を蹴って――今度は左脚が前に伸ばされる。それが大地を踏むとやはり膝が曲がって、腰が僅かに沈む。コメディアンのおふざけの様ではあるが、キドニーはきちんと『走って』いた。

 経験したことはないが――象に乗るような感覚とは、このような感じなのだろう。揺れはするが緩やかで、コクピットは電波の波形のような軌跡を描いている。躯体に振り回されるようなことはなく、冷静に、間違うことなく、躯体の操縦ができた。

 リリィはしばらく、グラウンドを円を描くように走り続けた。やがてフットペダルから足を離して、キドニーを停躯させた。

 満足したようだな。

「出来たじゃないか」

 俺が朗らかに笑いつつ、リリィの頭をくしゃりと撫でた。しかしリリィはその手を思いっきり振り払うと、金切り声をあげた。

「馬鹿にするなァ! 馬鹿にするな馬鹿にするなァ!」

 リリィの怒りはそれだけでは治まらないようだ。彼女は操縦席のひじ掛けを、きつく握りしめた拳で何度も何度も殴りつけた。

 俺は呆然として、ただただ彼女が怒り狂うのを見つめるしかなかった。

 分からない。何故リリィが怒っているのか。俺には分からないのだ。

 彼女に寄り添った。そして問題を理解して、共に解決した。キドニーは走ったのだ。彼女の望みが叶ったのだ。

 それなのになぜ?

 リリィの拳は留まることを知らず、繰り返しひじ掛けに叩き付けられる。雪のように白い彼女の肌が、じょじょに赤みを帯びていった。しかし止めることは気が引けた。そうすることで、また彼女を壊してしまうのではと、心の何処かで思った。

 だからといって――まるで――ローズみたいに――やめてくれ――自分を壊すのは止めてくれ!

 俺は無意識のうちに弱い自分に負けて、叩き付けられるリリィの腕を握りしめてしまった。俺は微動だにしないのに、すっかり息が上がって、背筋は冷たい汗でびしょぬれになってしまっていた。

 リリィは俺に腕を握られてもなお、力任せにひじ掛けを殴ろうとする。やがて俺に力負けすると、自由な口で怒りを吐き出し始めた。

「みんなこんな風に走ってないじゃん! みんな人間みたいにキリキリ走らせてるじゃん! できてないじゃん! 全然できてない! できてない! テキトーな言葉で誤魔化さないでよ! もう降りろ! 降りろよ馬鹿! 私は頑張ってんだから邪魔するな!」

 そういうことか! 通常の駆動をさせたいわけだな。だからさっき違うといいかけたのか。

 俺は自らが正しいという自信を取り戻すと、リリィの腕を握る手により力を込めた。

「待て待て待て! 今のはあくまで基礎訓練だ! お前が怒るということは、ここまではできるんだな!?」

 リリィの身体から力が抜けていく。彼女は悄然と俯いて、ぐったりと俺に体重を預けてきた。

「それはぁ……まぁ……初めて走らせられたけどぉ……でも違う……違うんだよ……みんなみたいに走らせたいんだよ……当たり前に出来ることをやりたいだけなんだよ……私には出来るはずなんだよ……だってこんなに人攻機が好きなんだから……じゃないと――」

 ここで彼女は、嗚咽を堪えるように、ひくりとしゃくりあげた。

「報われないじゃないのよ――」

 俺は胸の内で渦巻き始めた、同情と憐憫の念を、溜息に変えて吐き出した。間違っても、それを言葉にしてはいけない。真摯で、一途な彼女を侮辱するからだ。俺は慰めるというよりは、たしなめる意味を込めて、リリィの頭を乱暴に撫でた。

「キドニーを走らせられなかったのは、人工筋肉のテンションを無理やりダガァと一緒にするからだ。何事にも順序というものがあってだな、一つ一つ当たり前をこなせるようにならなければならない。今日のはその一歩だ。急くな」

 リリィは顔の俯きをより強くする。そして肩を小刻みに震わせた。

「みんなができることができないなんて――私ってどこかおかしいんだきっと……」

 手の平で軽く、彼女の頭を叩く。

「自分を卑下するな。それだけは絶対に止めろ。お前はお前以外に替えの効かない、特別な存在なんだ。自分を大事にしろ」

「でもナガセさ。フツーに人攻機に乗れる女の子優遇してたじゃん。乗れない私をほっといてさ。それって私がいらないからでしょ? ナガセが一番馬鹿にしてる。そうやって差別するから、私たちは成長できないんだ」

 恨みがましい声色に、軽く嫉妬に焼け付いた口調。悪いが駄々に付き合うつもりはないぞ。

「異形生命体が目の前にいたからな。出来の悪い奴に構って、全体を危険にさらす訳にはいかん。俺にはお前たちを守る責任がある」

「ほら言った! 出来が悪いって! やっぱ私イカレてんだろ! 戦えないからいらないんだろ!? そうやって腹ン中で馬鹿にしてんだな! 降りろ! 私一人でやる! お前が私をいらないように! 私もお前の力なんていらない!」

 リリィがまたもや、俺の腕の中で暴れだす。

 リリィはちっともおかしくない。俺たちの生きる環境が、それを正常だと許さないだけで。

 人間は好きなように、自分を表現し、世界に反映させる権利を持っている。

 我々の全てを飲み込み、甘やかすほど、世界は優しいのだ。残酷なのは、それを許さない、我々の生き方なのだ。

「幸い今は、異形生命体の危険がない。とことん付き合ってやる。貴様が逃げ出さん限りにな」

 俺が呟くと、リリィの動きがぴたりと止まった。そして恐る恐るといった様子で、ゆっくりと頭上にある俺を見上げてきた。それは期待で明るく輝いていたが、暴力への恐怖と大きな不安に、歪な表情を浮かべていた。

「お前が人並みになりたいといったんだぞ。しかしお前にとっては、それは容易なことではないんだ。率直に言うが、お前は反射神経が良くない上に、異なる動作を並列に処理するのが苦手だ。だから他より苦労をしなければならないのはしょうがないぞ」

「あのさ……何でネチネチ私が出来が悪いって連呼するわけ? その……すっごくムカつくよ! 死ねよお前! サクラよりサイテーだな!」

「お前よりか幾分かましだ。俺はお前ほど、自分を卑下していない。本当に自分が大事なら、自分のことをよく知っているはずだ。辛いかもしれんが、まず自分を認めることから始めろ! 自分を認めずに、理想ばかり追いかけるから躓くんだ!」

「ホラ差別したな! 私は他より出来が悪いって! だから人攻機は諦めろって!」

 リリィが身体を跳ね上げて、俺の顎下を頭で突き上げた。このアマ――上官殿に対して何をしやがる。コクピットから引きずり出して、女たちの目の前で制裁したい衝動に駆られる。しかしそれは兵士のすることだ。俺は人間だ。

「諦めろとは言っていない。だから一から付き合うといってるだろ。馬鹿が」

 俺は顎をかち上げられたお返しに、顎を使ってリリィの頭をぐりぐりと撫でた。リリィはそれっきり何も言わず、黙り込んでしまった。

「躯体を変えるぞ。テンションをダガァと同じにするなら、キドニーに乗る意味がない。そしてダガァは正直すぎる躯体だ。操縦者の入力に率直に答えてしまう。お前の場合、ある程度手心を加えてくれる五月雨のがいいかもしれん。明日準備をしておくから来い。いやなら逃げても構わん」

 俺はキドニーのスロットルを、ミリタリーからアイドルに入れ直した。そしてフットペダルからリリィの足を払いのけて、ゆっくりと体重をかける。キドニーはよたよたと、倉庫の中に戻っていった。

 キドニーを駐機所に駐躯させ、コクピットを解放する。キドニーの股下が開くや否や、リリィはむしり取るようにシートベルトを外し、自らを抑えつけるクッションを押し退けて、人攻機から飛び出していった。

 リリィは床に着地できず、その場で尻餅をついて軽く悶絶する。しかし尻に手を当てながらも気丈に立ち上がり、走り去ろうとした。

「待ってるぞ」

 俺はリリィの背中に呼び掛ける。

「一人でやってろ!」

 リリィは振り返りもせずに、そう吐き捨てた。

「リリィ!」

 俺は無視を許さない強さで、彼女の名を呼んだ。俺に二年躾けられただけあって、彼女の足はその場に縫い止められた。

「俺もな。新兵の頃、よく無刃(日本国の練習躯。ベースは五月雨の前任である一文字)をスッ転ばして、教官殿に出来が悪いと怒られたよ」

 リリィが振り返り、俺をキッと、憎しみの籠った眼で睨み上げた。

「また嘘だ。お前化け物みたいに強いじゃん! お前みたいな強い奴に、私みたいな弱い人間の気持ちがわかるか!」

「お前もいずれ、そう言われることになるさ」

 俺はそれだけ言うと、ぐったりとコクピットシートの背もたれに、身体を預けた。

 物凄く疲れた。これだから女の相手は困る。

 走り去っていく軽い足音を耳にしながら、俺はぼんやりと考えた。

 リリィがそういうことなら、ローズは――どういうことなのだろう。

 彼女は何が報われないのだろうか?

 思案に暮れようにも、霧の中を彷徨う様に、考える足掛かりすら分からない。

 分かる日が、早く来てくれればいいのに。

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