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Crawler's  作者: 水川湖海
リリィ編
134/241

人功機に乗ろう! はじまり編

 冬。

 雪が全てに白のヴェールをかける季節。

 こんこんと降りしきる白が風を舞い、一寸先に何があるのかすら覆い隠してしまう。自然が生み出した白い妖精たちは、風のゆりかごから落とされた後も、潔く散ろうとはしない。身を寄せ合い、脂肪の塊のように醜く変貌し、意地汚く地上に居座るのである。

 春の雪解けに、引導が渡されるその時まで。

 冬。

 雪によって、全ての作戦行動が制限される季節。

 俺はヘイヴン居住区の廊下を歩きながら、白く濁る息を吐いた。

「わずか百キロしか離れていない場所に、未確認勢力がいるというのにな。膠着状態が続くのは気持ちがいいものではないが――」

 外から差し込む光に釣られて、窓の方に視線をやる。ここは地上七階。普段ならヘイヴンが屹立する赤茶けた盆地と、その向こうに広がる草原、そして地の果てを覆い隠す森が見えるはずだ。しかし窓ガラスの向こうでは、白銀の礫が空を荒れ狂い、世界に白い帳を降ろしていた。今や森が本当にあるのかどうかすら分からないし、盆地は雪で埋まってしまったため、草原との境目は消えてしまっていた。

 これが普通なのか、経験がないために判断ができない。しかしゼロで迎えた冬と比べると、大雪という奴だった。

 いずれにしろ外がこの状態じゃ、行軍はおろか偵察ですら無理だ。

「やっこさんも何もできない……か」

 AEUとのやり取りは、春まで持ち越しということだ。

 何もできないということは、何もすることがないと同義ではない。春の行軍に合わせた作戦を練らないといけないし、それに合わせた訓練もしなければならない。そして何よりも――どのようなことが待ち受けていても、決して我々が離ればなれにならないように、結束を固めなければ。

「人として……人として……」

 俺はそううそぶくと、ローズの姿を探してヘイヴン内を歩き回った。

 しかし……本当にヘイヴンは広い。アメリカ共和国のアリゾナ州が運営するドームポリスだけあって、全高五十メートル、建築面積約八千平方メートルと巨大である。規模的には我が祖国日本にかつてあった、「トーキョートチョー」よりやや小さめといったぐらいだ。

 広いとはいっても、我々が使っているのは全十階の内、七階居住区の一部、二階の保管庫、そして一階倉庫だけである。それ以外の階は封鎖しているので、歩きまわっていればいずれローズとはちあうはず――なのだが、一向に姿が見えない。

「探せるところは探し終えたし、一体どうしたものか。自室にこもっているのか……立ち入り禁止区画をうろついているのか……」

『マム・ローズの動向をお教えいたしましょうか?』

 頭を抱えると、癪に障る合成音声が、俺の耳朶を打った。反射的に顔を歪めて舌打ちし、虚空を睨み上げた。

「やめろ。もう昔みたいな恥じらいのない餓鬼じゃないんだ。プライバシー侵害になる。俺がチョーカーを暴徒鎮圧以外で使わない理由を少しは推論しろ」

『サーの考えは分かりますが、マム・ローズはかなり不安定な状態です。いつ爆発してもおかしくありませんわ。早急に事態を解決する必要があると考えられます』

 俺は廊下を歩む足を一旦止めて、視線を俯かせた。早急に事態を解決する必要がある……ね。しかし俺にできることは、限られているのだ。そして彼女に許されている選択すら、そう多くないのである。

「シンプルな問題だが難しい。アイアンワンド。早急な解決とは何を指す?」

『マム・ローズを正常な状態に戻すことです』

「ではアイアンワンド。『正常』とは何だ?」

『マム・ローズが、かつての平穏を取り戻すことですわ』

 即答。俺は嘲笑を吐く。だから貴様はブリキの人形なんだよ。

「だがこのユートピアでは、優しいローズは『正常』ではないんだよ。悲しいことにな」

『サーの回答を理解できませんわ。意味の説明を願います』

 俺はこれから口にする矛盾を躊躇い、軽く唇を食む。だが大きなため息とともに唇を割り、苛立ちをぶちまけるようにやや大きな声を出した。

「何が正常かは、我々が何を追い求めるかによって変わるのさ。資本主義なら金を稼ぎ、共産主義なら労働力の提供が第一だ。今俺たちは戦い、前に進むことを目的としている。戦えず全体の利益を追求できない奴は、まともじゃない。異常者ということになる」

 アイアンワンドが俺に不信感を抱いてか、スピーカーから息を飲むような雑音をこぼした。

『しかしサーは平和を望んでおられ、マムたちも平穏に暮らせることを信じて、サーに従っております。戦いが第一というのは間違っているのでは?』

「理想と現実は違う。外敵がいる今、戦力がなければ平和が維持できないし、平和を守るためには戦わなければならない。そして皆が銃を持って目的を達成しているのに、独りがのほほんと平和ボケしているのは異常だろう」

『サーの回答を理解致しました』

 アイアンワンドは柔らかく答える。そして俺と悩みを共有するように、悶々とした吐息の音声を流した。

「もう耳に良い嘘はつけない。しかし銃を持てとも言えない。ローズには……彼女に相応しい戦いが必要なのかもな……」

 俺はなおもローズを探して、無言でヘイヴン内を彷徨った。静けさに包まれた廊下を、軍靴が立てる金属音が引き裂く。緑溢れるユートピアにいるはずだが、俺の胸中を汚染世界の要塞を歩く、特有の虚しさが支配していた。

 居住区周辺の廊下の警邏を終えて、エレベーターに入る。そして管理区画に上がろうと、登りのスイッチをプッシュした時だった。

『あ。サー。倉庫の消費電力値が跳ね上がりましたわ。場所は駐機所です。誰かが不正に人攻機を運用しているものと思われます』

 アイアンワンドが不意にそんなことを呟いた。

「リリィだな……」

 俺は足を止めて、思案に視線を上向かせた。プロテアの報告によれば、俺が帰るまでにやたらめったら人攻機を起動していたそうじゃないか。過剰躯体を片付けさせた後も、隙を見ては新しい躯体を起動させているようだ。監督者が気付かないはずがないのだが、サクラが咎める様子はない。一体どういうつもりか、確かめる必要があるな。

 俺は昇りのボタンをキャンセルし、一階倉庫へと向かう下りのボタンを押し直した。

 倉庫階で足早にエレベーターを降りる。道中は静かで、女たちとすれ違うこともなかった。そのはずだ。倉庫になんて仕事しかないし、俺の部屋に近いから、誰も近寄ろうとはしない。そこに好きこのんで足を運び、俺に怒られる危険を冒しているのだから、よっぽどの理由があるのだろうな。

 倉庫のドアを開け、素早く中に視線を巡らせた。天井に張り巡らされた光ファイバーが眩く輝き、倉庫全体を照らしている。倉庫シャッター近くのアラートハンガーでは、待機人員がゲームに興じているらしく、和気あいあいとした笑い声が聞こえていた。また俺から見て右手にある駐車スペースからは、誰かが整備をしているのか、やかましい機械いじりの音がした。

 その中で、左手の駐機所の方から、場違いな電子音が小さく響いていた。耳に慣れた、ディスプレイのタップ音だ。どうやらリリィが、人攻機のセットアップをしているらしい。今度は何を引っ張り出したことやら。

 俺は大股で駐機所へ向かおうとして――足を止めた。

 ここでノコノコ出て行ったら、リリィは俺を恐れて悩みを胸の内に隠してしまうのではないだろうか。そうなると悩みはいずれ膨れ上がり、ローズのようにリリィを壊してしまうだろう。

「かといって……こそこそリリィを監視するのも、何か違う様な気がするんだよな……もっと直接的なアプローチがあるはずなんだが……」

 俺はぼやきながら、倉庫内を見渡せる中二階への階段を上がっていく。階段を上がるごとに視線の位置が高くなっていき、次第に倉庫の様子が眼下に広がるようになる。すると駐機所の一つに、真新しい人攻機が格納されているのが確認できた。

 躯種はキドニーダガァ。教習用ダガァであり、主に新兵訓練施設に配備された。まぁ簡単に説明すると、ダガァの出力を70パーセントまでに落とし、不要なオプションをオミットしたものである。遅速配分で遅筋が多めに設定され、そのテンションも甘く設定されているため、乗り心地はすごぶるいい。歩かせても、中でコップの水がこぼれないほどである。しかしそのぶん緩慢な動きしかできないし、バランス維持のための躯体の予備動作が大きくなる。

 これがどういうことか具体的に説明すると、人攻機がその場で踏ん張ったとする。普通の人攻機の場合、人工筋が即座に緊張し、足を地面につっかえ棒のように立てて、文字通り踏ん張る。その時コクピット内では、ご主人様がコンソールに叩き付けられるがお構いなしだ。しかしキドニーダガァの場合、人工筋はすぐに緊張せずに、緩やかに緊張する。一度膝を曲げて衝撃を殺してから、徐々に人工筋を緊張させて、踏ん張るのである。戦場ではこのような時間を食う機動は命取りだが、ノウハウを学ぶ教習にはもってこいだった。

 ロールアウト当初、キドニーはブートダガァという真っ当な名前で呼ばれていた。しかし大戦末期になると、生産の追いつかないダガァの数合わせをするため、前線へと配備されたのだ。もちろん習熟躯が戦場でまともな働きをできるわけもなく、ブートダガァは汚染空気の塵となり、それを知る兵士から介錯用短剣(キドニーダガァ)と呼ばれるようになったのである。

 つまりところ、キドニーは戦闘に不向きである。一体リリィはキドニーなんぞ、何に使おうというのか? 駐機所の足元には、躯体設定のためのコンソールパネルがある。そこではリリィがディスプレイに覆いかぶさるようにして、タッチパネルをタップしまくっていた。

 何というか……明らかに楽しそうな雰囲気ではない。泣きべそをかきながら、口をいの字に広げて、まるで指でアリを押し潰すようにコンソールを操作している。意地になっているというか、やけになっているという言葉がぴったりだった。

「一体何をそんなに必死になっているんだ? サクラにやらされているのか、自分の躯体が欲しいのか、それとも何か開発しているのか……」

 憶測を口にしながら、中二階の廊下を踏んだ。すると廊下の欄干に身体を預けて、遠巻きにリリィを見つめるサクラの姿が目に入った。

 俺は自分の顔つきが、やや険しくなるのを自覚した。ドームポリス内活動は、サクラの管轄だ。まさか無理難題を課して、部下の忠誠心を試しているのではないだろうか。俺は速足でサクラの元へ近寄っていった。

 傍らまで来ると、サクラの表情がハッキリと見える。彼女は端正な顔を、心配ともどかしさに歪ませて、無念に細る視線をリリィに注いでいた。その姿は威厳を振りかざしているようにはとても見えず、まるで運動会に出た子供を遠巻きに眺める母性を感じさせた。

 俺のバカが。そういう風に疑ってかかるから、彼女たちから嫌われるんだ。

 俺は顔つきから険をとると、そっとサクラの隣に並んだ。

「何をさせている?」

 サクラは俺が近づいている事に気付かなかったらしい。驚きに背筋をピンと伸ばして気を付けをすると、こっちを振り向かぬまま大声をあげた。

「な! ナガセ! これから止めるところです!」

 阻止するのが正しいと思っているということは、サクラがやらせているわけではないのだな。リリィが勝手に行動して、あの厳しいサクラが何らかの理由でそれを見逃しているのだ。ますます気になってきた。

「おい。リリィに気付かれるだろ。大声を出すな」

 俺は唇に人差し指を当てて、静かにするようにジェスチャーを送る。まずサクラに気を付けを止めさせると、リリィのいる駐機所の方を指した。

「お前が人攻機をいじるのを許しているのには、何か理由があるんだな?」

 サクラはぎくりと表情を強張らせ、言うべきか否か迷う様に口元をもぐもぐさせた。やがて彼女は話さないことに決めたらしい。悄然と肩を落として、視線を俯かせた。

「いえ……それは……その……ただ単に、私の監督不届行きなだけです……」

「お前に限ってそんなことがある訳ないだろう? それに明らかな越権行為を庇うなんてお前らしくない。もう一度聞く。何か理由があるんだな?」

 俺は出来るだけ優しい声色で問い詰めると、サクラは敵わないといった様子で、気恥ずかし気に頭をかいた。そしてリリィへと目線をやった。ちょうどその頃リリィは、コンソールから離れてキドニーの足に取り付いたところだ。彼女は慣れた手つきで、ふくらはぎの脚部装甲を引き剥がし、内部にある人工筋を弄りはじめた。

「リリィは人攻機に興味があるようです」

「結構なことだ。人攻機は我々の主力だから、慣れ親しむうちに習熟することには、大きな意義がある。しかしそれなら、予備に展開してある躯体を使えばいいだろう?」

 それについてなんですが――とサクラは前置きし、悲し気に瞳を曇らせた。

「彼女はいささか要領が悪いようで……我々が普段使用しているダガァや、現在習熟中のレイピアを上手く扱う事ができないのです。私は人攻機を諦めて、キャリア運転手に専念するよう進言しました。しかしリリィは、人攻機に興味があるのです」

 サクラは一旦リリィから視線を外し、過去の軌跡をなぞるように、つつぅーと、指の腹で中二階の欄干を撫でた。

「それからリリィは、ヘイヴン内の人攻機を手当たり次第に起動し始めました。どうやら自分にあった人攻機を探し求めているようでして……一応、人攻機の起動確認とプリセット設定作成を同時にやらせることで、起動を許しました。しかし思い通りに動かせる躯体とは出会えなかったようです……そこにナガセが帰って来られて、人攻機は片付けられてしまいました……」

 ははぁ。それで俺が帰った時に、妙に人攻機の躯数が多かったわけか。プロテアが人攻機の過剰待機を報告してくれたが、こんな裏があったとは。プロテアはサクラがバイオプラントにかかりっきりで、リリィに気付いていないと思っていたようだが、サクラはしっかりと監督業務をこなしていたのだ。

 俺はあそこまで疲弊した状態で、仕事をしっかりとこなしていたサクラに舌を巻きつつ、そこまで面倒見の良くない自分に劣等感を覚えた。俺は彼女たち相手に、初めて抱いた嫉妬を誤魔化すため、尊大に咳を払ってしまった。

「それで? 今はどうしているところだ?」

「リリィはナガセが帰られてからも、やっぱり諦めきれないようです。しかし必要最低限の躯体しか展開していない今、彼女の勝手を許すことはできません。そこで人攻機の研究という名目で、一躯分の余剰展開を許可しました……すいません……電気もただではないのに……」

「別に隠すような事でもないだろう」

 俺が呆れた様子で呟くと、サクラは否定するように激しく首を振った。

「ロータスの反乱後、皆武器の管理にうるさくなっていますから、あまり大っぴらに出来ないのですよ……かといって――」

 サクラはここで何もできない自分を責め立てるように、強く自らの腕を握りしめた。

「頑張っている者に、やめろとはいえません。しかし私にできることは、せいぜいこの不正を見逃すことぐらいなのです。私は努力が報われると信じています。ですから私もナガセに……この前ありがとうって――その……それで……」

 サクラは声を嬉しさで上ずらせ、眼つきを柔らかく変化させた。しかしそれも束の間だ。彼女の言葉尻の調子が沈んでいき、瞼が儚くすぼまった。彼女が俺へ向き直った時、その瞳の先で濡れた睫毛が揺れた。

「ナガセ……彼女は、いつ報われますか……?」

 俺はサクラの視線を真正面から受け止めて、浅く首肯した。

 俺は兵士としてではなく、人間として戦うと誓った。

 その時が来たのだ。

「今、すぐだ」

 俺は礼の代わりに、サクラの背中を軽く叩いた。そして踵を返すと、リリィのいる駐機所へと足を向けた。

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