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Crawler's  作者: 水川湖海
アイアンワンド編
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クロウラーズは電気柳の下で幽霊を見るか? 結〔続遭遇編〕

 プロテアが先陣を切り、恐れを知らないように、ずんずん暗闇を進んでいく。私はその背中を頼もしく眺めながらも、何かあればすぐに対応できるように気を張っていた。サクラは最後尾をぴったりとつけていた。純粋に後方を警戒しているのではなく、私が逃げ出さないようにしているのだろう。余計なお世話である。


 三人がヒールでリノリウムを一斉に叩く音が、不気味に夜にこだました。私達はサクラたちが来た道を、黙々と引き返していく。すると嫌に陽気な話声が、遠くから聞こえてきた。片方は明るいマリアの物で、もう片方は――


「まぁ。確かにサクラは手続きにうるさいし、体裁にこだわる。しかし記録に残すと言う事は大事だ。問題があった時、原因を突き止めやすいからな。それに体裁も軽視はできん。仕事に当たるに、必要があって身だしなみを整えるだろう? それに許可なく好き勝手やった結果、このような幽霊探しをするハメになっているわけだ」


 私の声だ! やめろ馬鹿! 私の声であの雌犬を褒めるんじゃない。虫唾が走るわ!


「ふぅん。私にしたらめんどくさいってだけなんだけどね。サクラは字が書けるし、その意味もきちんと押さえている。自分の得意分野をひらかしたくて、書類にうるさくなっているだけだと思うんだけど……」


 マリアがへへっと陰のある笑いを吐いて、厭味ったらしく言った。私の背後から軽い舌打ちの後、「なんですってぇ……」と憤る声が聞こえた。サクラの怒りは届かずとも、我々の足音は聞こえているはずだ。それでもマリアと偽の私の会話は続いた。


「自慢したいだけなら、仕事の合間に時間を見つけて、お前に文字を教えたりしないはずだがな。そういう奴は、出来ないままの人間を嘲笑うものさ。お前の言う通り、奴の態度に問題はあるかもしれん。しかしそこは好意として受け取っておけ」


 私の背中が、軽く小突かれる。それからサクラは、「あんたと交換するのもありね」とくすりとも笑えない冗談を吐いた。


 マリアは納得できないように、言葉とは言えない呻き声を漏らした。


「ふぅん。私はあいつあんまり好きじゃないけどねぇっと……足音が大きくなってきた。そろそろ来たかな? さっきのは内緒だからね」


 マリアがそう言ったところで、プロテアの懐中電灯が二人の姿を照らし出した。光が円形に切り取った空間の中で、マリアと私が仲良く並んで歩いていた。


 マリアはブリーフィングルームで会った時と、さして変わらない姿だ。飾らない作業着姿のままで、私たちを見ると安堵と忌避感の入り混じった複雑な顔をした。


 一方で私の偽物だが――まるで鏡を見ているようだ。髪型や顔の形、目や鼻の配置に至るまで、どこをとっても寸分違いない。違うと明言できるのは服装だけで、偽物が身に纏っているのは作業着ではなく、真新しい純白のライフスキンだった。偽物は私を一瞥すると、引き締めていた相貌と雰囲気を、ゆったりと和らげた。


「あらぁ。こういう時だけは素早いですねぇ……」


 幽霊め。本当に存在したのか!


「いたぞ! いたぞぉぉぉぉ~!」


 プロテアの絶叫が響き渡り、場の空気が一気に沸騰した。プロテアは腰から拳銃を抜き、サクラも援護するように懐中電灯の光を現場に向けた。かくいう私も懐から、用意していたペイントボールを取り出した。


「こっちが偽物だ!」


 私は偽物めがけて、ペイントボールを投げつけた。野球ボールほどのカプセルが割れて、中の蓄光塗料が偽物の胸ではじけた。瞬く間にそいつの白いライフスキンは、グリーンの燐光を放つ液体で派手に彩られた。


「あ……アジリアが……二人……いる……?!」


 呑気に談笑していたマリアだったが、本物の私と偽物が相対しているのを目の当たりにして、ようやく事態を把握し始めたらしい。隣に並ぶ偽物と、プロテアの背後に立つ私を、姿形を見比べるよう交互に見やった。やがて一声大きな悲鳴を上げたかと思うと、彼女は私たちに背を向けて、独り廊下の暗闇へと逃げ出してしまった。


 阿鼻叫喚の騒ぎの中、偽物は柔らかい笑みを浮かべたままだ。彼女は堂々とした佇まいで立ち尽くし、じっと私たちに視線を注いでいるのだった。



「ああっクソ! マリアがどっかいっちまったぞ!」


 プロテアが偽物に対して、油断なく格闘の構えをしながら叫んだ。サクラは私に懐中電灯を押し付けると、偽物と一定の距離を保ちながら、その脇をすり抜けていった。


「全く本当にあの子は! 私が追いかけるわ! あんたたちで幽霊を何とかして! アジリア! 区別付くように合言葉!」


「言われなくともわかっている! バイオプラントの部品だバカヤロー!」


 バイオプラントのいざこざについては、私とサクラが綿密に議論と罵倒を重ねた問題だ。私たちしか知らない単語はいくらでもある。


 サクラの足音が暗闇に遠ざかっていく中、プロテアはじりじりと偽物との距離を詰めていく。重心低く落とし、手は胸の前で前後に揃えて構えていた。このスタイルから察するに、ジュージュツで投げてから抑え込もうとしているのだろう。


「おっしゃ! 後はふんじばってから考えるぞ! ひとまずお前にゃ悪いが、ちょっと痛い目見てもらうぞ!」


 プロテアは稲妻のように素早く動いた。まず偽物が腰の横で遊ばせている手首を、左手で力強く引っ掴んだ。プロテアは手首を思い切り引いて偽物を前のめりにさせると、その懐深くに潜り込み身体を背負い込んだ。


「食らいやがれクソ幽霊! ナガセ直伝の一本背負いだぁぁぁぁぁ!」


 裂帛の気合いと共に、プロテアの腰が跳ね上げられた。


 しゅポン!


 茶筒という、ティーの葉を保管する円筒形の容器がある。入れた葉が湿らないように、密封構造になっているので、蓋を開けると『ポンッ』という小気味が良い音がするのだが――プロテアが背負い投げると同時に、それによく似た間抜けな音がした。


 プロテアは一本背負いの体制のまま急にバランスを崩して、頭から床に倒れこんだ。頭蓋をリノリウムにぶつける鈍い音が、廊下に重く響いた。


 本来ならプロテアの身を案ずるところだが、私の眼はプロテアの腕の中に釘付けになっていた。プロテアの手には肩口から千切れた、人間の腕が握られていたのだ!


 プロテアはいつもナガセにされているように、偽物が投げに合わせて跳んだと思ったらしい。私が呆然とする中で、彼女は掴んだ手首を離さずに、果敢に腕ひしぎ十字固めに持っていこうとした。そして幽霊の胴体に引っかけようとした足が、空中をすかしたことでようやく異変に気付いた。


「ふぇ?」


 プロテアは動きを止めて、掴んだ手首へと視線をやった。そして死肉のように力なく揺れる腕を見て、毛を逆立てながら凍り付いてしまった。腕はしばらく空を遊ぶように揺れていたが、突然軋むような音を立てて動き、プロテアに向かってサムズアップをした。プロテアの目が限界以上に大きく見開かれ、黒く沈んだ色をした彼女の瞳に、その有様がありありと映された。


「ふぁ……」


 プロテアの身体がぐらりと傾く。彼女は腕をどこかに放り出して、床に大の字になってのびてしまった。


 緊張で凝り固まった時間の中で、私は独りで偽物と対峙した。見れば見るほど瓜二つだ。生き別れた姉妹かと思うほどだ。だが微妙に違う所もある。偽物の眼は濁りがなく、まるでガラスの作り物のように透き通っていた。表情も今の私のように険がなく、深い懐を思わせる柔和なものだ。それは今の私が全てを捨てて追い求めている、疑う事を知らない、平穏を享受するものの貌だった。そのような顔で、そのような目で見つめられると、とても後ろめたいものを感じる。皆を巻き込んで反抗しているのに、何の成果もあげられていない。ただ自分をすり減らし、仲間を傷つけているだけだと思い知らせれたような気分だった。


 私の意識の天秤は、恐慌と理性のプレッシャーをいきなりかけられて、転倒寸前の人攻機のように激しく揺れた。ぐちゃぐちゃになった頭の中で、私は偽物を自分だと思い込む、妙な錯覚の中に落ちていった。


 こいつは何だ? 幽霊なのか? もう一人の私なのか? 幽霊だとしたら何故ここにいる? 何の未練があり、私の姿を借りているというのだ。私だとしたら何故出てきた? 私よりうまくクロウラーズを救えるというのか!?


 いずれにしろ、ナガセに手も足も出ない私を笑いに来たのか? それでも私は犠牲を悔いて、二度と悲劇を起こさないように頑張っている。違う考えに縋り、あいつを受け入れていく他の奴らと違って。そんな私を非難するのか? 他の女と同じように、私だけをを非難するのか? あり得ない。私はクロウラーズの最後の良心と良識だ。私は負けるわけにはいかないんだ!


「おい……この幽霊……!」


 狂気じみた決意が幽霊に立ち向かわせようと、私を奮い立たせてくれる。しかし不安と恐れが、その決意をすぐさま挫いていった。どうして私はこうも揺らいでいるのだ? 簡単に折れてしまうんだ!? 私は正しい――はず――なのだ――。


 刹那の逡巡、脳裏をかすめたのはクロウラーズの顔だった。昔はよく笑っていたが、最近は久しく見ない。だがマリアは偽物と、あんなに親しく話していた。私に向けられるものは、煙たそうなふくれっ面だ。


 私は――正しい――?


 結局、私は「もう一人の私」に立ち向かう事ができず、数歩後退ってしまった。


『クククククク。ウフフフフフフ。アハハハハハハハ』


 私の後退に合わせて、偽物は突然高笑いを始める。そいつは踵を返して、暗闇の中にゆっくりと消えていった。回廊にかかる闇の帳の向こうから、ドアの開閉音が聞こえた。どうやら幽霊は、近くの部屋の中に逃げ込んだようだ。


 ドアが閉まる硬い物音に、私は気を取り戻した。腰に手を這わせて、拳銃を握りしめる。手の平に冷たい鉄の感触が走り、親指でゆっくりと撃鉄を起こした。


 投げ捨てた懐中電灯を拾い上げて、廊下の暗闇を光で切り裂いた。そして幽霊が逃げ込んだと思しき近場のドアによると、ノブに恐る恐る手をかけた。


 自らの荒い呼吸を耳にしながら、ノブを握る力を徐々に強いものにしていく。やがて意を決すると、ドアを開け放ち室内に向けて拳銃を構えた。室内は真っ暗で、この部屋が何の部屋かすらも分からない有様だ。私は拳銃を手にしたまま、壁に手を這わせて電気をつけた。


 天井の電灯がともり、室内の様相が露わになる。部屋はどうやら物置だったようだ。部屋には雑多に段ボールが積み重ねられ、開いた口からはドームポリスの開拓で見つけた雑品が、滅茶苦茶に押し込められているのが見えた。ここは最近まで使われていたらしく、埃は積もっていなかった。


 私は拳銃を構えながら、段ボールの影や部屋の隅に出来た暗がりに、素早く視線を走らせていく。


「はっ? え? ヘ?」


 どういうことだ? 拳銃を持つ腕から力が抜けていき、だらしなく腰に垂れ下がる。それだけに留まらず、事実は私の脚から立つ力も奪っていき、その場にへたりこんでしまった。


 室内に人の姿など、影も形も無かったのだ。


 私は肩で荒く息をしながら、ぼんやりと幽霊のことを考えていた。あれは一体何だったのだろうか。為す術がないと言う現実が、とりとめのない思考の渦の中に私を叩き落してくる。


 少なくとも分かった事は、私よりも偽物の方が好かれていたという事だ。その事実を重く受け止める必要がある。

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