クロウラーズは電気柳の下で幽霊を見るか? 結〔始動編〕
私の説明が済むと、サクラは並んで立つのも我慢ならないと言いたげに、さっとそばを離れた。彼女は真っ直ぐ正面だけを見て廊下へと出ると、軽く振り返って自分のメンバーを手招きした。
「行きましょう、マリア、プロテア」
プロテアは私とサクラを交互に見た後、やれやれと首をすくめて席を立った。マリアは気まずそうに愛想笑いを浮かべると、トコトコと速足でプロテアの背中を追いかけていった。フフフ。そちらの結束は緩そうだな。
「落ち着きのない奴らだ……」
私はサクラたちが出ていくのを見送ると、残ったアイリスとロータスに皮肉気な笑みを向けた。マリアとプロテアの反応を見るに、幽霊騒動にそんなに詳しくなさそうだ。となるとサクラが一人で、ナガセの手足になっているのだろう。
「一人ではさすがに、隠し通すことはできまい……」
サクラは恐らく、頃合いを見て問題を起こし、場を掻き回してくるに違いない。そうして人目から逃れたところで、幽霊となって現れるか物資の移動を行うはずだ。現場を抑えられれば私の勝ちだ。
「我々も行くぞ。アイリス、ロータス」
私は指先で長机を撫でながら、ゆったりと出口へと歩いていった。長机を通り過ぎざま、対面に座るアイリスとロータスに、付いてくるよう視線で促した。しかし二人とも怪訝そうな視線を返すだけで、椅子から腰を上げようともしなかった。
もし鏡があったのなら、私は苦虫を噛み潰したような自分の顔を、拝む事ができただろう。こっちはこっちで幸先が悪いな……一体何が不満なんだ。お前たち二人とも、ナガセとサクラが嫌いだろうに。
アイリスはすっかり不貞腐れていて、机に頬杖をついて濁った眼で私を睨んでいた。関わり合いになりたくないようで、彼女は私と目が合うと気がなさそうに視線をそらした。
「だから出るわけがないでしょうが……こんな簡単な理屈も分からないんですか? 私にだって仕事があるんです。降りさせてもらいますからね。他の暇な人を探してください」
暇な人を探せと言われても、あいにくお前以外に適当な人間がいないのだ。口も意志も固く、ナガセにも物怖じしない慎重な人間はな。
「アイリス……お前も賢いならわかるだろう? ナガセが。留守の間。私とサクラの二人で。事に当たれと言ったのだ。奴が外出し、私たちだけでなんとかせねばならない。幽霊の出現状況と似ていると思わないか?」
アイリスはすぐに理解して、雲った表情をハッとさせた。彼女は歪んだ笑みを浮かべると、だらしなくテーブルに広げた手を、怒りを堪えるようにきつく握りしめた。
「ははぁ……なるほど、やっぱりそういう事ですか。またあいつが幽霊を隠れ蓑に、良からぬことを色々としていた訳ですね……」
「お前も嫌だろう? 本来出るはずのない怪我人を、文句を垂れながら治療するのは」
私が駄目押しで聞くと、アイリスは意を決したように眉を引き締める。そして重い腰を上げて立ち上がった。
「分かりましたよ。で? 何をすればいいんですか?」
「私はサクラに警戒されているからな。囮として独りでパトロールをする。それで独りでいる隙をついて、幽霊が襲ってくるなら良し。襲ってこなくとも仕事は果たせるわけだ」
「成程……サクラと幽霊、その両方に対して釣り針を垂らすと……それで私とこのクズはどうするんです?」
アイリスが離れた席で、椅子の背もたれに寄りかかるロータスを顎でしゃくった。幸いロータスは呆けたように天井を見上げており、アイリスの暴言を聞いていなかったようだった。
「アイリスとロータスは、パトロールするサクラたちを遠巻きに監視してくれ。奴らが二手に分かれたり、幽霊の気配があれば、すぐに連絡してくれ。通信はデバイスの物を使えばいい」
アイリスは軽く溜息を吐くと、困ったように眉根を寄せた。
「私もロータスもこっそりと動くのが苦手です。尾行はそう長く続けられないと思いますよ。見張っているのがばれたらどうします? 下手したら私たちが幽霊だと思われるかも……」
「幽霊を見たから、報告にきたと言えばいい。つじつまは私の方で合わせて、アリバイも作っておくから心配しなくてもいい。言い訳が通用しないと思ったら、私がアテにならないから、そっちのチームに入りたかったというんだ。傲慢なサクラのことだ。チームには受け入れないが、話は聞き受けるだろう」
アイリスは私の的確な予想を聞いて、思わず浮かんだであろう嘲笑を、上品に口元を手で覆って隠した。
「違いありませんね……それで、どうやって幽霊の陰謀を暴くんですか?」
「お前たちをサクラ側に貼り付けて、動きを封じるつもりだ。ナガセが何とかしろといった以上、幽霊にも何らかのお達しが来ているかもしれん。それを果たすためには、パトロールにムラが出るだろうし、そうでなくとも下手に動けなくなる。後は根比べだ」
アイリスは現状の厳しさを実感してか、眉間に深い皺を刻んで視線を俯かせた。しかしそれは一瞬で、すぐに決意に顔を引き締めた。
「相手の失態を待って確信に迫ると言う、消極的なやり方ですか……まぁ証拠が皆無な今、受けの手しか出せないのは仕方がありませんね。分かりました。行きましょう、ロータス」
ロータスは声をかけられて、面倒くさそうに私とアイリスを交互に見やった。先ほどまでのアイリスと同じで、あからさまに関わり合いになりたくなさそうだった。だがロータスも私に味方してくれるだろう。ロータスはナガセに虐待され、その腹心であるサクラに顎に使われているのだ。相当鬱憤が溜まっているに違いない。また反乱を起こす前に、ここいらで発散したほうがいいだろう。
「どうした? 早く行こうではないか」
私は自らが何を見ているか分かるように、ロータスと目を合わせてから、その視線をゆっくりと太腿に動かしていった。私には彼女の作業着を透かして、太腿についた毒沼のような痣が見えていた。私はお前と同じ『人間』だから分かる。身体に消えない傷を負うことが、どれだけ心苦しい事かを。あの時お前がやり過ぎたのは間違いない。だがナガセも同様に――いや、私たちが止めなかったらきっと殺していただろうから、もっとやり過ぎたのだ。奴は反省している素振りを見せてはいるが、ここで抗っておかないとまた好き勝手やりだすに違いない。
「お前の太腿――まだ痣が落ちないようだな。復讐できるチャンスだぞ? いいのか?」
ロータスは思い出したくもない過去に触れられてか、急に眼つきを厳しくすると不愉快そうに口をいの字に広げた。彼女は胸元で指遊びをするのを止めると、今まで抑え込んでいた鬱憤を晴らすように、隣の椅子を思いっきり蹴り飛ばした。
「アタシに命令したけりゃ、ナガセを連れてくるんだなクソボケ」
ロータスの意外な言葉に、私は目を剥いて驚いてしまった。何でそうなる。ロータスの怒りは、ナガセとそれに従うサクラに向けられるべきだ。ナガセは多少丸くなったが、依然暴君として君臨している。サクラはそれを確固たるものにするため、刃向かう者に対して高圧的に振る舞っている。二人の態度には私のみならず、他の女たちも苦々しく思っているのは間違いない。
だからこそ分からないのだ。どうして私にその怒りが向けられるのか。私は皆が胸中にしまっている、不満を代弁しているはずだ。平和に暮らしたい。戦いたくない。進みたくない。私と同じ皆の願いを、実現しようとしているだけなのに。
「どうして……私は……ただ……皆と……」
弱音を吐き切る前に、口をつぐんで歯を食いしばる。思うに私とナガセの決定的な違いが、そこにあるのだろう。私がナガセを越えるためには、それに気付いて克服するか、習得しなければならないのだ。
私がこうしてまごついている間にも、ナガセはどんどん先に進んでいく。今は幸い人死には出ていないが、そんな幸運が長く続くものか。早く奴を止められるほど、私は強くならなければならない。
「……腹を割って話そうではないか」
私はロータスを落ち着けようと、彼女の肩に手を伸ばした。だがロータスは触られるのを嫌う様に、私の手を跳ね除けた。
「触んなボケ。アタシゃあんたと話すことなんざないわよん」
ロータスは椅子を蹴って立ち上がると、自分を取り巻くこの空気が気に食わないと言わんばかりに、髪を掻き乱すようにして頭をかいた。そして肩を怒らせながら、足早に出口へと向かっていった。
「待て!」
引き留めたが、ロータスは聞く耳もたない。両耳の穴に指を突っ込むと、振り返りもせずに大声で喚き散らした。
「お~くせーくせー。テメェのお漏らしも始末できないアマは、臭くて困るわぁ~ん。鼻が曲がっちゃうわよん――死ね!」
ロータスはブリーフィングルームを出ると、脚で乱暴にドアを閉めた。ドアが枠にぶつかる激しい物音が、夜の静けさを破って空気を激しく震わせた。私はその残響を産毛の震えとして感じながら、ただ閉められたドアを見つめることしかできなかった。
本当に――私以外の人間が理解できない! サンは平和を望んでいるはずなのにナガセに従うし、私を嫌っているフシがある。リリィも訓練と称してナガセに虐げられたというのに、あいつに教えを請いに行っている。そしてロータス。普通あんな目に遭わされたら、許すことなんてできないはずだ。私は害を被ったものと、同じ気持ちになって事に当たっているつもりだ。しかしこうまで空振りするのは一体なぜなんだ。
ひょっとして、私以外皆イカレているのかも。私以外まともじゃないから、こんな間違いがまかり通ってしまうのではないか――
「こんな所にいても、どうしようもないでしょう。早く行きましょう」
鬱屈とした気持ちから邪悪な推察を始めた私を、アイリスの落ち着いた声が現実に引き戻した。彼女は妙に冷めた眼付きで私を見つめていて、まるで私の無様に呆れているような印象を受けた。いや、口調がパギを諭す時の、丸っこさを帯びていたので、アイリスは私を憐れんでいるのは確かだった。
「作戦はそのままで構わないと思いますよ。ロータスが密告しようと、パトロールをして報告することに変わりはないんですから。それをとやかく言う権利はサクラにありません」
アイリスの口調はとても同情的で、私の自尊心を痛く傷つけた。もしアイリスの心の声を聞く事ができたのなら、きっと『あなたしかナガセに対抗する人がいないのだから、しょうがないから付き合ってあげます』とでも言っているのだろう。
私はにわかに羞恥心で、胸がざわつくのを覚えた。同時に何もできないでいる自分と、理解してくれない他人への苛立ちが募っていった。
私は棘の塊のような嫌な思いが、八つ当たりとして口や四肢へと伝わる前に、大きな深呼吸を繰り返した。やがて身体に充満した負の感情は、爆発して外に飛び出ることはなかったが、やるせなさとして身体から力を奪っていった。
ここのところ、失敗続きでいいところがないからな。何の成果も出せない私が悪いのだ。こんな有様でいいリーダーになれるわけがない。私はもっと強く、もっと気高く、そしてもっと多くの結果を残さないといけない。
ふと、サクラのことが気になった。あいつはナガセが戻ってきてから、目立つ失敗はしていない。それどころか前よりも仕事の手際は増し、少しずつだが実績を積んで、皆の信頼を集めるようになっている。あいつはナガセから何を学んだというのだろうか。
「なぁ、何でロータスが、サクラの言うことを聞くか知っているか?」
アイリスに聞いてみた。彼女はサクラの話をするのも嫌そうに唇を尖らせた。
「悪い意味でナガセに似てきたのでしょう」
アイリスは人差し指と親指を立てて、手でピストルの形を模した。それを自らのこめかみに押し当てて、引き金を引く仕草と共に上へ跳ね上げた。
「多分脅されているんですよ」
「どうやって」
ちょっとやそっとの脅しじゃあ、ロータスはびくともしないと思うのだが……サクラの性格を考えると、ナガセを引き合いに出すとは考えられない。あいつはナガセを引き立てるが、ナガセの威を借るほど下種じゃない。何か秘密を握っているのか? それとも幽霊騒動にはロータスも一枚噛んでいるのかも。
渦巻く憶測に飲み込まれそうな私の腕を、アイリスが力強く引いた。
「さぁ? 知りたくもないですね。さ、私たちも行きましょう」




