表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Crawler's  作者: 水川湖海
二年目 休暇
122/241

二年目休暇ー総括

 俺は椅子に身体を預けながら、壁に飾られた彼女たちの旗を眺めていた。

 旗はマリアの下書きをベースに、染料で染め上げられ、鮮やかに仕上がっていた。白地の布は、上半分を木漏れ日を思わせる眩しい緑、下半分は大地の恵みを感じさせる鬱蒼とした緑という具合に、綺麗なグラデーションをかけられていた。

 中央に君臨する鹿の色塗りは、布地の染と違い酷く拙い出来だった。下書きから色が滲みでて、濃淡のムラが強く、洗練された元の絵を歪めてしまっている。おそらくパギが塗ったのだろう。それでも彼女が筆に乗せた、忘れないという想いは、力強く表現されていた。

 美しい背景に、ぐちゃぐちゃの鹿の絵。ちぐはぐな出来栄えだが、綺麗な旗だった。

 あれから一週間ほどして、サクラがこれをもって来たときには、あまりの出来に愕然としたものだ。当たり障りのない言葉でその場を流したが、じっくり見てみるとどうしてなかなか。

「彼女たちらしいな……飾らずに、本質を射抜いている」

 俺もそろそろ、この旗に相応しい名を考えなくてはな。一日時間をくれと見栄を切ったが、結構な時間が経ってしまった。俺は中身の詰まっていない頭を掻いた。

 初めて出会った時のように、適当に花の名前を付けることはできない。彼女たちは成長し、誤魔化しがきかなくなっている。俺がその名前を付けた意味を、問うてくるに違いない。

 作戦の立案をするときは、戦場の情報を元に簡単にできる。だが彼女たちの情報と言われても、ピンとくるものがない。今まで避けてきたツケが回ってきたか。眉間の皺をいっそう深くしながら、椅子から腰を上げる。そしてヒントを求めて室内を見渡した。

「名前……名前ね……何かいいものはないか……」

 俺の部屋は保管庫の管制室を改造しただけあって、居住に適したものではなかった。部屋は長方形をしており、保管庫側の長い壁面がモニタとなっていて、忙しなくヘイヴン内の情報を映し出している。その下にはモニタや各階の施設を遠隔操作できるコンソールパネルが、星の煌めきのように明滅を繰り返していた。気が休まるような内装ではないが、中央コントロールルームがオシャカになった今、俺が仕事をするにはここが一番都合が良かった。

 壁面モニタは部屋の中央辺りで、窓ガラスで左右二つに区切られている。俺が何気なくガラスの外を覗き込むと、保管庫で作業にいそしむ彼女たちが見えた。

「俺の見ているところでは、てきぱき動いているようだな」

 見えるのは俺に対する恐れだけだ。ここにヒントはない。

 苦笑しながら、モニタの対面を振り返った。そこには俺が持ち込んだ大型のファイルキャビネットと、本棚がずらりと並べられていた。ファイルキャビネットの三つは、この二年の活動で作成された資料でいっぱいになっている。そろそろ新しいファイルキャビネットを追加しないと、溢れてしまいそうだった。棚の方には地質や植物、異形生命体の標本に混じって、俺自身が勉強するための本がまとめてあった。

「彼女たちに……相応しい言葉か……」

 ファイルキャビネットへ適当に目を滑らせていく。銃、食料、異形生命体、人攻機、地図、資料、交戦録――駄目だ。全部相応しくない。こんなもの、不自然極まりない。

 ならば歴史から取るか? かつて一つの大地だった古代大陸パンゲア。国連の象徴でもある植物オリーブ。だが彼女たちの歴史と接点がない。

 次は棚を視線で舐める。しばらく視線を彷徨わせるうちに、眼は棚の中段に置いてある二つの筒で止まった。長さ二十センチほどの、金属製の円筒――遺伝子補正プログラムだ。

 一つは俺が国際連合軍から預かった積荷である。中央から真っ二つにへし折られ、内部のソリッドメモリが砕けた状態で露出していた。もう一つは俺の命を救った、メディカルポッドに差し込まれていたものだ。無傷で垂直に立ててあり、表面にはラベルをこそげ落とした痕跡として、粘着面が残っていた。

「遺伝子補正プログラム――か」

 俺は棚から、無傷の遺伝子補正プログラムを手に取ると、様々な角度から眺めてみた。正規品の証拠であるシリアルナンバーが、外殻に刻印されていない。ナンバーさえわかれば、その数字にとある方程式を使うことで、輸送先と担当者が分かるのだがな。代わりにラベルが貼られていたようであるが、余程力を込めて剥ぎ取ったようだ。粘着面を貫通して、外殻には爪の傷が残っていた。

「どうしてそこまで隠す必要がある? こんなに強く削ってまで……まるで恐れている様じゃないか」

 この遺伝子補正プログラムの出所を探したが、誰もが知らないと首を振った。そして俺の質問に答えなかったのは、アジリアとパンジーだ。まぁ……アジリアだろうな。ロータスに対抗するために、俺を呼び戻したのだろう。

「どうしてこれがここにある? 何でお前が持っているんだ? 本当にお前らは何者なんだ」

 遺伝子補正プログラムは大戦末期に、全てのドームポリスと機動要塞に、物資として配布された。データ送信がされなかったのは、汚染世界の放射線でノイズが紛れ込む恐れがあるのと、汚染空気によって安定した通信が望めなかったこと、そして領土亡き国家の傍受を恐れたからである。今考えても物理輸送とは、思い切ったことをしたものだ。

 つまり遺伝子補正プログラムは、それを必要とする冬眠施設の数である、五十一個しか作られなかった。さらに聞いた話では、全ての部隊は襲い来る領土亡き国家を撃退し、無事任務を果たしたそうだ。

 俺たち、第666独立遊撃部隊を除いて。それは一度敵の手に渡り、血染めにして取り返した。敵の手に渡った間、何があったのかは神のみぞ知るところだが、異形生命体が跋扈しているところを鑑みるに、複製され領土亡き国家の手に渡ったと考えるべきだろう。

 俺は口の端を吊り上げて笑った。ひょっとして彼女たち、いや貴様らは――唾棄すべきイカレゲノムどもだったというオチではあるまいな。

 俺は虚しい溜息をつくと、棚に残っていた壊れた遺伝子補正プログラムも取り上げる。そして部屋の突き当りにある、壁面の埋め込み金庫へと歩いた。

『壊れた遺伝子補正プログラムは、お捨てにならないので? もう使用不能ですが……』

 俺が金庫のテンキーを押し終えた時、頭上から癇に障る合成音声が聞こえた。俺は機嫌が悪くなったのを隠さぬまま、適当に天井へ視線を走らせた。監視カメラとスピーカーらしきものは見当たらない。きっと巧妙に偽装されているのだろう。

「アイアンワンド……心臓に悪い奴だな。ここにカメラなんぞあったか?」

 虚空から、クスクスと忍び笑いが聞こえる。

『管制室ですもの。当たり前ですわ。気になるのでしたら、早めに取り除くことをお勧めいたします』

 帰ってきて、神妙に黙りこくっていると思ったら、覗き見に没頭していたということか。まったくもって、油断のならない奴だ。ずっと俺たちの観察を続けて、学習しているのだろうか。それだけなら無視すれば済むが、こいつはかなり能動的だから気が抜けない。俺がいない間に勝手なことをしていないか、調べる必要があるな。

 俺はアイアンワンドにも見えるように、無傷の遺伝子補正プログラムを掲げて振った。

「彼女たちを含め、俺たちが使ったのは、出所不明の不正規品だからな。第三者の手によって、手が加えられていないとも限らない。万が一に、俺たちの体に異常が起きた場合、正規品からデータをサルベージするしか助かる術がない」

 彼女たちは全員、遺伝子を補正済みである。恐らくこの不正規品を使ったに違いない。だからもしもの事があったら、俺が持つ正規品で補正し直すしかないのだ。

 俺の心配をよそに、アイアンワンドは酷く落ち着き払って言った。

『この仮称『不正規品』を、サーに使用する際に解析いたしましたが、不審な点は見られませんでした。詳しい分類は省きますが、白人系、黒人系、黄色人種系からベースデータがとられ、全ての素体を補正可能な代物ですわ』

「では複製品か?」

 俺の声は、意図せず怒りで棘を帯びた。アイアンワンドは俺の怒気を敏感に感じ取ったのだろう。俺が冷静さを取り戻せるよう、返事までに独特の間を空けた。

『それは分かりかねます。どうしましょう? サーがお持ちの遺伝子補正プログラムと、データを比較致しますか?』

 思いがけない提案に、俺は思わず息を飲んだ。

 真実が分かる。仮に遺伝子補正プログラムのデータが一致するのであれば、彼女たちは裏切り者の仲間ということになる。アロウズ、リタ、ダン、リーと同じように、この手で抹殺しなければならない。自分の子供を殺してまでやり遂げたんだ。ここで引くことはできない。俺は責任を果たさなければならない。

 しかし――俺は最早、その行為に何の価値も見出せなくなっていた。

 もう。終わったんだ。

 彼女たちは、人間としてユートピアに目覚めた。それでいいんだ。

「いい。余計なことをするな」

 彼女たちが国連軍の難民でも、亡命者でも、領土亡き国家のスパイでも、知ったことか。いや、むしろ今の平和を守るために知りたくない。

「過去は綺麗さっぱり流れちまった。一万年の時を経て、熱く滾るマグマに焼かれ、雄大な緑に埋もれて――終わったんだ。俺のいた過去は……もうないんだ」

 未練を断ち切るように、重苦しい息を吐く。ロータスにしたように、再び彼女たちを嬲ることがあってはならない。例え教育のためだとしても、憎しみを膨らませ、苦痛をばら撒くようなことをしてはいけない。

 心の奥底に潜む竜が、決意に異論を挟むように疼いた。しかし負けてたまるか。これからは彼女たちに、愛することで教えよう。さもなければ、彼女たちも俺と同じように、自分すら愛せなくなってしまう。

「大事なのは、彼女たちが生きているということだ。済んだことを不用意に調べて、彼女たちの立場を危うくする必要はあるまい。彼女たちは守るべき『人間』なんだ」

 俺の仕事は、過去の戦いを引き継ぎ、領土亡き国家と対決することではない。彼女たちを無事に、人間たちの元へ送り届けることだ。いつか人類に相対するその日までに、彼女たちが人間として受け入れられるように、教育を施すことだ。

 俺は遺伝子補正プログラムを左手に預けて、右手で彼女たちの旗を握りしめる。そして頭上高く掲げた。旗は無風の室内で、俺の腕にだらしなく垂れ下がった。しかし俺の耳には心地よい風の音が聞こえ、旗がいっぱいにはためく姿が思い浮かんだ。

「来年から、内陸への行進を再開する。俺たちは進まなければならない。ただ生きるためなら、ヘイヴンにこもっていればいいだろう。しかし俺たちが幸せに生きるためには、例え傷ついてでも進まなければならない」

 アイアンワンドはスピーカーから、柔らかく微笑むような吐息を漏らした。

『サー。私、惚れ直しましたわ。過去を振り返らず、前に進む。格好いいです』

「その気色の悪い物言いを止めろ」

『サーって馬鹿ですね』

「あいつらの余計な所を学習するな!」

 俺は旗を元あった場所に戻すと、壁面の埋め込み金庫まで戻った。そして無傷、折れた遺伝子補正プログラムを両方とも、注意深く中にしまった。

「アイアンワンド。この金庫の管理をお前に一任する。俺が命令しても、お前が必要と判断しない限り、絶対に開けるな」

 アイアンワンドはすぐに返事をせずに、考えに耽るように沈黙を俺に聞かせた。時計が時を刻む音が、嫌にはっきりと聞こえる。俺はアイアンワンドの答えを待って、虚空を見上げ続けた。

『ネガティブ。私にそのような高度な判断はできません。サーは重大な過ちを犯そうとしておりますわ。今このヘイヴンにおいて、該当職務に最も適当なのは、サー自身だと考えられます』

 アイアンワンドはきっぱりと断った。確かに人工知能が担当するには、あまりにファジーすぎる内容だ。しかし俺にも考えがあってのことなのだ。

「いや、良く聞け。俺は兵士として優秀だ。汚染世界では十二人しかいない英雄の一人に数えられ、祖国に表彰されたこともある。俺の名を聞けば、誰もが顔色を変えた。そして彼女たちすらも、兵士の俺を恐れて従ってくれている」

 俺は兵士として彼女たちを導いたこれまでを否定して、大きく首を横に振った。アジリアの信頼を勝ち取れなかったのは何故だ。プロテアの不信感を募らせたのは何故だ。サクラをあそこまで追いつめたのは何故だ。

 俺が兵士だったからだ。

「もう一人よがりな兵士は必要ない。だが俺は人間としては未熟だし、馬鹿なんだ。俺はいつか兵士の自分に負けて、彼女たちを嬲る理由を、この遺伝子補正プログラムに求めるかも知れない。それだけは絶対に許すな。だからお前に管理して欲しいんだ」

『そういうことでしたら、お引き受けします。ですが『人間のサー』がお望みでしたら、私にこの権限を手放す準備が、いつでもできていることをお忘れないように』

「残念だが、俺がこの金庫を管理する日は、遠い未来のことになるな。俺も人間としては、彼女たちと同じ、独りでは立って歩けぬ赤子同然だからな。いや……俺は知識があるぶん、狡猾で無様な蛇といったところか――」

 この台詞を口にしたとき、俺の頭に閃くものがあった。

 赤子と蛇か。結構じゃないか。俺は彼女たちに知恵の実を食わせて、神の園から追い出そうとしているのかもしれない。それでもこの未熟な世界には、まだ守ってくれる神はいないんだ。

 彼女たちと共に、楽園を探して這って行くしかないんだ。

「決まった……! これ以上の名はあるまい。アイアンワンド。今すぐ全員を保管庫に集合させろ!」

 俺は自然とほほ笑むと、慌ただしく部屋を飛び出した。

 一刻でも早く、我々の名を知らせるために。



 誰もいない室内で、アイアンワンドはクスリと笑った。

『サー。お気づきでしょうか? 貴方は今、とてもいい笑顔をしておられますよ』

 部屋の奥まったところにある、壁面金庫のランプが灯る。それは開錠中を示す緑の光を放っていたが、施錠音と共に光の色を赤く変化させた。

 アイアンワンドは無意識のうちに、自らの認知をはるかに超える、超常的な力に願掛けをしていた。

 アイアンワンドは自らが、血の通わぬ道具だということを理解していた。

 アイアンワンドは自らが、彼女たちを支えるには、あまりにも冷たすぎることに気付いてしまった。

 アイアンワンドは自らが、ナガセを殺すには、あまりにも非力すぎることを学習していた。

 ゆえに電子回路をフル回転させ、自らの妄想が現実になるようにと、ただひたすらに繰り返し想った。

『もう二度とこの金庫が、開くことがありませんように』

 アイアンワンドは、祈りと呼ばれるその所作を、まだ知らない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ