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Crawler's  作者: 水川湖海
二年目 休暇
119/241

私たちー1

 談話室の机にはまっさらな布が、いっぱいに広げられていた。その白さといったら、蛍光灯を反射して眩く、汚すことを躊躇うほどだ。布は巻いて保管されていたらしく、一つも折り目がない。それどころか一枚ものらしく、ツギハギの跡すらなかった。

 私たち全員の女は、広げられた布を取り囲み、白い布地に視線を注いでいた。

「アジリア……ナガセはこの布をどうしろって」

 マリアが不思議そうな顔をして、私にそう問いかけてくる。

「旗を作れとさ。我々の象徴となるシンボルをかいて」

 ナガセは我々の組織に名前を付けたいそうだが、それに何の意味があるのか分からない。ナガセは人類と合流するに、我々の呼称が『我々』のままでは、格好がつかないといった。だが『我々』を定義することは、それに対する『相手』を生むことになるのではないか? 我々をこちら側、人類をあちら側と定義しては、合流するのに不都合ではないだろうか。

 私はふぅと、一息ついた。

 理由は分からないが、私は人類が怖い。できれば会いたくない。恐ろしいのだ。

 思うにナガセも同じように、人類を恐れているのではないだろうか。あの化け物のことだ。戦うことは微塵も恐れていないに違いない。恐れているのは、我々が変わってしまうことだ。

 ナガセ。お前がしたように。

 我々は我々だけだからこそ、うまくやってこられた。我々しか知らなかったからこそ、仲良くできたのだ。もしナガセと同じくらい強い人類を受け入れたら、きっと彼女たちはどっちにつくかを揉め、別々の人間についていくだろう。そうしたら我々は引き裂かれてしまいそうな気がする。違うものを信じ、違った生活をして、違った夢を見る。

 そうなったら私たちは、再び出会った時、笑顔で話し合えるのか――

「俺たちの象徴だろ? 一目見て俺たちと分かる物って何だ?」

 プロテアが全員に向けてはなった言葉が、私を現実に引き戻した。女たちは私の心配をよそに、純白の布を前にはしゃいでいる。私の心は和んだ半面、失うことの辛さに傷んだ。

 ナガセの歩みは、いずれこの私が頓挫させてみせる。私たちとあいつは、違った道を進むべきだ。だが今は――少なくとも旗を作るという点には賛成だ。我々と、あいつを、区別するために。

「ひとまず適当に意見をあげてけ」

 私たちの象徴か。考えた事も無かったな。他の女たちが、何を胸に抱いているかを知るいい機会だ。私は我々が一つになることへの期待で、自然に笑みを浮かべた。

「おっぱい」「洋服」「釣り」

 すかさずマリア、リリィ、デージーが答えた。

 私はにわかに起った頭痛を堪えるため、こめかみに手を当てた。お前ら……普段そんなことを胸に抱いていたのか?

「発言する時は手を挙げろ。アホは一人ずつしかさばけん」

 デージーがさっと手を挙げる。いい度胸だ。相手になってやる。

「はい。デージー」

「アホっていうな」

「お前から発言権を取り上げる」

「えー! なんで!」

 デージーが両手を机に叩き付けて喚く。

「時間の無駄だからだ。他に意見は?」

 頬を膨らませるデージーを放置し、私は周囲の女を見渡した。

「はぁいぃ!」

 元気よくピオニーが手を挙げた。私を含めて、ほとんどの女たち――博愛的なプロテアやサンすらもが、面倒くさそうに口をいの字に広げた。もう嫌な予感しかしないぞ。こいつは旗を作るといった後、理由をつけて部屋から閉め出すべきだったかもしれない。女たちは繊細だから、一度士気が下がると盛り上げるのに苦労するんだ。お前には喋って欲しくないが、みんなの手前差別するわけにはいかないし。

 ピオニーは女たちが向ける忌避の視線の中、嬉しそうに笑って発言の許可を待っている。仕方ない。私は作り笑いを顔面に貼り付けた。

「ピオニー。何だ?」

「こういうのはどうでしょうかぁ~!?」

 ピオニーはおもむろに、身に包むエプロンの腹ポケットに両手を突っ込む。彼女はたくさんの虫やミミズ、カエルなどの爬虫類を鷲掴みして引っ張り出した。

 ピオニーの悪い癖。屠殺する前に寵愛している食材たちだ。

 部屋中の女たちが悲鳴を上げて、一斉にピオニーから距離をとる。だが悲しいかな。ピオニーの手からは、掴み損ねた生き物たちがこぼれ落ちる。虫は翅を広げて飛翔し、ミミズは床の上をのたうち回る。そしてカエルは元気よく跳ね回りはじめた。

 談話室は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

 まず隣にいたアカシアの背中に、こぶし大ほどの大きさもあるカエルがへばり付いた。よくこんなものが、エプロンポケットに収まっていたな。私は無駄に感心してしまう。アカシアは涙目になりながら、背中で手を振り回して払い落とそうとする。しかし触るのが嫌なのか、手はカエルを叩くぎりぎりのところで、風を巻き起こすだけだった。

「誰か! とってぇ! カエルとってぇ!」

 アカシアが絶叫し、近くでおろおろするリリィに手を伸ばす。リリィはぎくりと表情を強張らせると、あっさりとアカシアを見捨てて飛び退いた。

「嫌だよ! そんなキモいもの触りたくないよ!」

「薄情者の上に裏切り者ぉ!」

「そのあだ名は止めろ!」

 リリィの怒声が響く中、私のすぐ横ではサンが棒立ちになっていた。彼女の身体では、散々飛び回ったバッタや甲虫、コウロギなどの虫たちが、群がって羽を休めている。サンはそれを冷たく見下ろしながら、頬をひくつかせていた。

「へぇ~……こんなの……食べさせられていたんだァ……へぇ~……キレていいかなぁ……」

「キレるなキレるな! 今払ってやるから――」

 私はサンに群がる昆虫たちを、手の平で払い落としてやる。すると昆虫たちは一斉に飛び立ち、談話室の空を駆け巡る。女たちは飛翔する昆虫に、甲高い悲鳴を上げた。

 しまった。後先考えて行動するべきだった。こんなんだからナガセに嘲笑われるし、女たちに信頼されないんだ。私はもっと日頃の行いに注意すべきだな。反省しつつ、檄を飛ばして女たちを落ち着かせようとする。

「虫ごときで騒ぐな……あ? ひぃッ……」

 ふと私の足元で、細長いロープのような物がうねっているのに気付いた。ミミズ……か? いや、違う。私はその正体に気付いたが、焦りがそれを認めるのを数コンマ遅らせる。やがて私の心がその存在を認知すると、軽い悲鳴を上げた。

 光沢を放つ緑の鱗。チロチロと空を舐める割れた舌に、つかみどころのない三白眼。私の背筋が凍りつく。

 蛇だ!

 マシラやジンチクなんぞ怖くない。だが私はこれだけは駄目だ! 理由は分からん。だが生理的に無理なんだよ!

 サンにへばり付く昆虫を、叩き落とす手がぴたりと止まる。足に至ってはすくんでしまって動かない。文字通り蛇に睨まれたカエルのように、私は凍りついてしまった。

 しばらく睨みあいが続いた。

 不意に誰かが手を伸ばして、蛇の首根っこを摘まんだ。手は器用にそのまま顎の付け根を、親指と人差し指で抑えつけ、噛み付かれないように掴んでいた。

「こんなのが駄目なの……意外にヤワなのね……」

 勝ち誇ったサクラの声がする。私は渋い顔をしながら、手の持ち主の顔を睨み付けると、彼女は見下した視線をくれていた。

「蛇一匹でまぁ、情けない悲鳴あげちゃってぇ……」

 サクラは上機嫌にふふんと鼻を鳴らすと、ピオニーの元へ歩み寄っていく。そして彼女のエプロンポケットに蛇を捻じ込んだ。

「さぁ、アジリアはビビって動けないようだし、ここは私が仕切って――」

 サクラがエプロンポケットから手を引き抜く。そしてカッと目を見開いた。サクラの手から蛇は消えていたが、ポケット内に残っていたのであろう蜘蛛が新しくへばり付いていたのだ。蜘蛛は全身毛むくじゃらで、わさわさと野暮ったく手足を動かし、サクラの腕を這い上がろうとしている。タランチュラとかいうやつだ。

 サクラは無表情になって、一旦手をエプロンに戻した。数秒後また引き抜く。蜘蛛は相変わらずへばり付いたままだ。再びエプロンに腕を突っ込む。引き抜くと蜘蛛は二匹に増え、先程捻じ込まれた蛇が、仕返しと言わんばかりに指に噛み付いていた。

 サクラは顔を青くすると、無言のまま談話室を速足で出ていった。

 悲鳴をあげなかったのは認めてやろう。

 ピオニーは泣き叫ぶ女たちを見渡して、理解できないように眉根を寄せた。彼女は胸の前できつく拳を握りしめると、大声で主張した。

「騒がないで下さいよお~。皆さんがむしゃむしゃしてる生き物さんたちですよぉ~? これから私たちのシンボルさんになるんですからぁ、邪険さんにしないで下さいぃ~!」

「このボケェ! 誰がこんなもん掲げるか!」

 ロータスが両手を組み合わせてハンマーを作り、ピオニーの後頭部を一撃した。ピオニーは大きく前のめりになったが、倒れずに踏みとどまる。彼女は頭を抑えつつ、涙目でロータスを見上げた。

「なァにするんですかぁ~!」

「こっちの台詞だアホンダラぁ! この地獄絵図を旗にして掲げろってか! 馬鹿じゃねぇのか? さっさと片付けろ!」

 ロータスは喚きながら、足元を這いまわる昆虫を踏みつぶしている。その顔に喜悦の色はなく、ただ気色悪さを堪えて嫌々といった様子だ。あいつがなぁ、こんな顔をするとはなぁ。

「わわぁ! 殺さないで下さいよぉ! 食べるんですからぁ!」

 ピオニーはロータスの足元の屈みこみ、踏み潰されゆく昆虫を庇う。このままだと、虫ごとピオニーを踏みつぶしてしまう。ロータスは舌打ちをしてストンプを止めると、ピオニーの胸倉を掴んで立たせ、自分の顔の前まで引き寄せた。

「じゃあこのクソ虫共さっさとポケットに戻せ! そしてクセェ厨房で独りでオナってろ!」

 ロータスの剣幕に、ピオニーは悄然と肩を落として俯く。そして小さく頷くと、近くの虫から鷲掴みにして、次々とポケットに放り込んでいった。虫にたかられていたサンが、とってもらうためかさっとピオニーの近くまで移動する。

「ちょっと待ってよぉ! 先にこっちを助けてよぉ!」

 部屋の隅でマリアが悲鳴を上げる。見るとどうしてそうなったかは分からないが、マリアが部屋の隅で蹲っており、周囲をミミズに囲まれていた。彼女は涙目になりながら、部屋の角に背中を預けて、蛇のいる方角へ蹴りを繰り返していた。

 あのノロい生き物に、どうして追い詰められたのか。まぁ蛇でないのなら、私にも対処できるぞ。マリアを助けに向かう。道すがら、四つん這いになるアカシアの近くを通った。彼女はぼろぼろと泣きながら、嗚咽の合間にかすれた声を吐き出していた。

「かえる~……かえる~……とってぇ……」

 私は溜息をつくと、アカシアの背中に鎮座するカエルを引っ掴む。そしてピオニーのいる方へ投げた。


 結局。昆虫を全部始末し、ぐずるピオニーを厨房に追いやるまで、一時間の時間を浪費した。

 ちなみに談話室から逃げたサクラは、30分の捜索の末、ナガセの部屋で発見された。

 タランチュラは嬉しそうに笑うナガセの腕で、ゆったりとくつろいでいた。

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