ナガセたちの決断
まだ一人、意見を聞いていない。俺はアジリアに流し目を送った。
「お前はどうしたい?」
アジリアは腕を組んだまま、伏せた視線を虚空に彷徨わせた。それから自嘲気な笑みを浮かべて、寂しげに息をついた。
「私の意見はクソの役にも立たんぞ」
「聞くだけなら問題ないだろう」
アジリアは顔をあげる。彼女は妙に間の抜けた顔で、俺の部屋の隅々に視線を配った。部屋というよりは、ヘイヴンを――今の生活を改めて見つめているようだった。やがて彼女は俺を捉えて、複雑そうに口の端を歪めた。激しい葛藤に苛まされつつも、苦い決断を下した顔だった。
「私は……このままがいい」
アジリアは呟きつつも、否定するように首を微かに振った。
「ここで魚を獲り、獣を狩り、作物を育てて――歳を重ねる。それでは駄目か?」
それができれば苦労しない。俺だってそうしたい。だが脅威から目を反らしても、消えてくれないのだ。いずれ現実として立ちはだかってくるのだ。
「俺に聞かれても困る。ここにいる皆に意見してくれ」
俺は椅子に身体を預ける、サクラとプロテアを顎で指した。だがアジリアは微かに振っていた首を、はっきりと左右に振った。
「いいや。私はお前にいっているんだ」
アジリアは俺を映す瞳を、大きく見開いた。これから口にすることが、自分でも信じがたいようだった。
「いろんな女がいる。より取り見取りだぞ。私は死んでも嫌だがな。それでいいじゃないか……それ以上何が必要だ? 我々はここまで来て、北は危険だと知った。もう十分だ」
昨日、俺が壊したローズを保護した女の台詞とは思えない。俺を心底憎み、追いだしたいのが本心のはずだ。それがどうして、彼女たちを犯すように仕向けているのか。
アジリアには特別強く当たったが、彼女も壊してしまったのかもしれないな。俺は危惧と悔恨に視線を細らせた。
「正気か?」
「正気さ。貴様は罪深い。だが子供に罪はないだろう? 私は貴様を愛するつもりはないが、その子供なら別だ。故郷のある南に還ろう。そこで慎ましく暮らせば、恐れるものは何もない」
俺の心で、天と地がひっくり返った。大地の裂け目から温泉が湧くように、沸々とどす黒い何かが込み上げてくる。それは俺を包み込んで、全身に殺意を滾らせた。
子供に罪はない? じゃああの子は何で死んだ? お前が勝手に孕んだからだろ!?
怒りで熱くなる身体とは裏腹に、俺は喉をクツクツと鳴らして嗤っていた。目の前にストレスを発散するため、手ごろな肉が三つもあるからだ。
「何が可笑しい……ぃ……ッ? !?」
アジリアが不審がって睨んでくるが、俺の凶悪な笑みを前に軽く身を引いた。アジリアの椅子が、キシリと軽い音を立てる。俺は儚い命が危険から逃れようとする、その小さな音を耳にして微かに理性を取り戻した。
頼むから、アロウズを思い出させるようなセリフは止めてくれ。あいつはもう殺した。殺したんだ。子供と一緒に。
俺は顔を手で覆い、いまだ形作られたままの笑みを隠した。
「少し……時間をくれ……」
深呼吸を繰り返して、気持ちを落ち着けようと躍起になる。それがサクラとプロテアには発作に見えたらしい。二人は俺の傍に駆け寄り、両脇から肩をさすってきた。
「おい……大丈夫かナガセ……」「ナガセ? お具合が宜しくないのですか……?」
今ならわかる。
彼女たちは強い。優しさを人に向けられるほどの余裕があるからだ。俺よりも遥かに。
パンジーが俺を弱いと罵るはずだ。俺は彼女たちを気遣ったが、それは優しさからではなく、目的のためだ。北へ連れて行くというエゴを満たすためだ。
俺は変わりたい。彼女たちのように。強く生まれ変わりたい。
「失礼した。もう大丈夫だ」
俺は顔を覆い隠す手を離して、両肩をさするサクラとプロテアの手を、やんわりと振りほどいた。戸惑う彼女たちに席に戻るようにいい、アジリアの意見を真っ向から否定した
「それは駄目だ。今のところ動きはないが、AEUは俺たちに気付いている。奴らが敵の場合、いつ奇襲を受けるか分からん。味方だとしても、接触が遅れるほど向こうは疑心暗鬼になる。俺も報復にAEUの衛星を壊したからな。故郷に帰っても放っておかれることはない。追撃を受けるだろう。あそこの防御はヘイヴンより脆いし、海に囲まれて逃げ場がない。もう引けないんだ」
「では、血を流して戦えと?」
「いや。どう進むかだ」
アジリアは組んだ腕の中で、拳を強く握りしめた。やがて彼女は答えを受け入れたように体の力を抜くと、虚しい吐息と共に浅い首肯を繰り返した。
「バイオプラントを抑える方に賛成だ。テーサツエーセイをふっ飛ばされたように、我々がふっ飛ばされたら困る。戦うつもりはないが、言いなりになるつもりもない。うちに化け物は一匹でたくさんだ」
アジリアは言い終えると、犬歯を剥き出しにして凄絶な表情をする。視線をキッと尖らせて、俺を射抜いた。
「進むからには女たちに手を出すな。進むとはそういうことだ。ローズがいったように、帰れなくなる。きっとお前は私たちとは違う所に進む。それだけは忘れるな」
プロテアはアジリアの剣幕を困ったように見ていたが、同じ気持ちなのか柳眉を下げた。ただサクラは願ってもないと、口元に笑みを浮かべていた。
「別にいーわよ。私一人がいれば」
サクラが口の中で呟いた言葉は、静まり返った室内に響いた。
プロテアはサクラとアジリアがまた喧嘩を始める前にと、手の平をうちあわせて大きな音を立てて場の空気を改める。そして背もたれに腕をかけて、頭を乱暴に描いた。
「二対一か。ならしゃあねえな。俺もバイオプラントを抑える方に賛成だ」
「多数決は最も愚かな採決法だ。三人で議論を重ねろ」
安易な採択に釘を刺す。プロテアは苛立ちに頭を掻く手の動きを、いっそう激しくした。
「そんなに俺にジンルイは信頼できねーって台詞を言わせたいのか?」
「意見でないなら、余計なことをいうな。賛成とその理由だけ口にしろ」
プロテアは「ケッ」っと吐き捨てると、さっと席を立ってスライドドアに手をかけた。
「じゃあ俺は他の奴らと行軍訓練をするよ。ナガセは必要な知識と技術を教えてくれや。アジリア。後で訓練計画ねろーぜ」
「わかった。サクラ。計画が出来次第、必要な装備を申請する」
アジリアもプロテアに続く。サクラは椅子に座ったまま、二人に簡単に手を振って返事をした。
「二人とも待て」
俺は慌ててアジリアとプロテアを呼び止めた。二人は足を止めて、やれやれといった様子で俺を振り返る。その顔には、『やはりこれで終わるはずない。何か命令するつもりだな』と書いてあった。
「用事は済んだはずだろ。それともまだ何かあるのか?」
「お前らにはまだ仕事がある」
刺々しく突き放すアジリアを無視し、俺は苦笑しながらリネンを裂いた真っ白な布を投げた。アジリアとプロテアは、覆い被さるリネンにすっぽりと包まれてしまう。二人はリネンを押し退けようとしゃにむに手を振り回して、シーツ製の稚拙な幽霊のようにふらふらと動いた。
あまりに滑稽な姿に、サクラが吹き出す。同時にプロテアがリネンの端を踏みつけて、足を滑らせた。プロテアはアジリアを下敷きにして、床に倒れこんだ。
凛々しい姿を見せたかと思えば、この体たらく――本当に可愛らしい奴らだ。
「旗を作れ。お前達の象徴となる、シンボルを描いてな」
床に広がったリネンから、不貞腐れた顔のアジリアとプロテアが這い出てくる。アジリアが立ち上がり埃を払う中、プロテアは寝そべったままリネンを掲げた。
「それに何の意味があるんだ?」
「人類と合流するのに、我々の呼称が『我々』だと、さすがに格好がつかんからな」
口ではこう言ったが、本当は帰属意識を高めるためだ。人類と接触した時、敵味方どちらの場合でも、手練手管で女たちを惑わすかもしれない。彼女たちは仲間を傷つけるのは躊躇うだろうが、コミュニティを壊すことを何とも思わないだろう。自分たちをただの集まりとしか考えていないからだ。しかし我々が戦うには、コミュニティという結束が必要だ。だから帰る場所として、『我々』という定義を明確化する必要がある。
プロテアは納得し、一転してリネンを丁寧に持ち直す。そしてアジリアと協力して、綺麗に折り畳み始めた。俺は作業を見守りながら、ずっと気になっていたことを聞いた。
「そういえば、ロータスの件はカタがついたのか?」
彼女たちの動きが、お互いを探るように固くなる。アジリアは過去に流したらしく、あっけからんとしている。サクラは興味がないのか、どこ吹く風といった様子だ。ただプロテアは硬直して、リネンの白い布地に視線を落としていた。まだわだかまりがあるようだ。
「あいつが何かしたのか?」
アジリアが慎重に囁く。
「さァ? 私は知らないわよ……プロテア? あなた何か知ってる?」
サクラもこの時ばかりはアジリアに同調し、プロテアに話しをふった。
プロテアは手に力を込めて、くしゃりとリネンを握りつぶした。
「俺……忙しくて、あいつと殴り合うの忘れてたわ……」
杞憂だったようだ。
「ナガセ。倉庫で殴りあいしてもいいか? したら許してやるからさ。頼むよ」
プロテアはアジリアにリネンを押し付けると、俺に手を合わせて頼み込んできた。プロテアなら加減を知っているし、必要以上にロータスを傷つけることはしないだろう。だがロータスは不安だな。目つぶしや指折りを平然と行うかもしれない。お目付け役が必要だ。
「サクラ。審判についてやれ」
「でも……私……」
サクラはこの場を離れることを嫌がって、椅子から腰をあげようとしなかった。サクラに会うのも一か月ぶりだからな。空いた時間を埋めるため、俺と過ごしたいのかもしれない。だが焦らなくても季節は冬。春まで時間に余裕がある。
「ヘイヴンがどう変わったか、お前にゆっくり案内してもらいたい。明日一日空けるから、今日は悪いが引き取ってくれ」
「分かりました! では私はこれで失礼します! いくわよプロテア!」
サクラは飛び跳ねるように立ち上がる。そして俺に敬礼すると、スライドドアまで速足で歩き、急かすようにプロテアの背中を押した。
「よぉし見てろよあの勘違い女め。ぼっこぼこにしてやる」
プロテアは意気揚々と腕を振り回し、首をひねって肩を鳴らした。
「程々にな。血を流すとローズとアイリスがうるさいからな……」
アジリアは畳み終えたリネンを抱えると、ため息交じりに呟く。そして三人は連れ立って、俺の部屋から出ていった。
さて、話すべきことは話した。俺も仕事をするか。
偵察でいない間、たまりにたまった報告書に手をかける。暗い話題が続いたから、気分転換に楽しい内容から片付けるか。この『注文方式から献立方式への変更報告』なんか良さそうだ。昨晩新しいメニューを食べさせてもらったが、かなり質が向上していた。パンは缶詰の物と間違うぐらいフカフカだった。野菜も種類と量がかなり増えていて、ハンバーグまでこしらえるようになっていたから驚きだ。ただ分からんのは、調味料に使われている茶色い粉だ。エビみたいな味がしておいしいのだが、材料が何か分からん。報告書にかいてあるかもしれないな。
報告書に目を走らせて、留意点にアンダーラインを引いていく。合間にピオニーの入れてくれたお茶を啜り、ページをめくった。そのうち俺の机に、乱暴に資料の束が叩きつけられた。視線をあげると、しかめっ面で仁王立ちになるロータスが目に入った。
「ホラ。ちゃんと分類して日付順に並べたわよん」
また隣の部屋で資料整理をやらせていたのだが、全てすんだようだ。俺はねぎらいの言葉をかけて、塔のようにそびえる資料の先頭を適当にめくった。
「俺とアジリアたちの話は聞いていたな」
「当たり前でしょ。つーかそのためにアタシに仕事やらせたんでしょこの馬鹿」
「分かっただろ? 誰もお前を殺したくないんだ」
「どうだか」
「俺だってそうだ」
「嘘つけ」
「それだけを、分かってくれればいいんだ。お前はここで安心していいんだ」
俺は資料をめくるのを止めた。全部確認した訳ではないが、綺麗にまとめてくれたようだ。素晴らしい働きをしたからには、お礼をしないといけないな。俺はデスクの引き出しを開けて、一丁の拳銃を取り出した。女たちの標準装備である、9ミリ拳銃だ。銃身を持つと、銃把の方をロータスに向けた。
「これからもよろしく頼む」
ロータスは目を丸くして、差し出された拳銃をじっと見つめていた。昔の様な血に飢えた喜悦の表情はそこにはない。ただ彼女はその力を手にしてもいいのかと戸惑っていた。
人間はここまで変われるのだな。彼女たちは本当に偉大だ。ユートピアはだからこそ美しい。
俺も変われるのかな。そして人類も。
ロータスがおずおずと銃把を握りしめる。そして銃口を上に向けて構えた。銃器を上手く使いこなしていたはずの彼女は、まるで初めて触れるような初心さで銃を手にしていた。
多分――いや、きっと、殺すのには慣れているが、守るのは初めてなのだろう。
ロータスは少しの間、銃を構えたままぼんやりとしていた。やがてにへらと相好を崩すと、猫なで声を発した。
「アタシグロックが良い~」
「良い子にしていればな」
「そうやって誤魔化すんだろ」
ロータスがジト目になって、唇を尖らせた。俺は鼻で笑うと、追い払う仕草をした。
「俺はマジだ。行け」
ロータスは拳銃を握りしめたまま部屋を出ようとしたが、何かに気付いて俺の所まで引き返してきた。彼女は何を思ったか、机の上に拳銃を置いた。
「あ、そうそう。後で取りに来るから、ちょっと預かっててねん」
ロータスは自信ありげにウインクしてくる。
「あのデカパイ、アタシに勝てると思ってんのかねぇ――ぶっ殺してやる」
彼女は両拳を小気味良く鳴らし、元気よく外へ駆けていった。




