ナガセの相談
「ナガセ! お待たせしました!」
翌日、呼び出したサクラは、上機嫌で俺の部屋を訪れた。その出で立ちは、バイオプラントで見た時と異なり、ぐっと女らしくなっている。ローズ手製の上下が一つになったドレス(ワンピースとか言うらしい。安直な名前だ)を着こなして、ほんのりと石鹸の香りを漂わせている。たった一日の休みだが、酷使された彼女の身体には効いたらしい。油を落とした髪はさらりと流れて、その隙間から見える顔は血色がよくなっていた。髪の毛はまだ褪せた黄色のままだ。染めが似合わないと言われたことが余程こたえたのだ。彼女は俺に新しい髪が生えるまで待ってほしいと、懇願したのが記憶に焼き付いて離れなかった。
サクラはまず俺を見て頬を染めた後、その対面で椅子に腰かけるアジリアとプロテアに気付き、邪魔そうに目を細めた。
「ってアレ……何であなたたちがいるのよ……」
アジリアとプロテアはライフスキン姿で、俺の向かいにある三つの椅子うち二つに、それぞれ腰かけている。二人とも仕事が控えているところを、無理を言ってきてもらったのだ。俺の真剣な表情と物思いに沈んだ瞳を見てか、アジリアとプロテアは緊張に身を強張らせ、不安に落ち着かない様子だ。その空気はすぐにサクラにも伝わり、彼女の表情は引き締まった。
プロテアは身体を俺の方に向けたまま、背もたれに大きく寄り掛かかって上体を仰向けに反らす。そうして部屋の入り口で佇む、サクラの方に顔を向けた。
「俺も呼ばれたんだよ」
アジリアはサクラの方を見ようともせず、俺から視線をそらさぬまま、不機嫌そうに鼻を鳴らすだけだった。
「とにかく座ってくれ」
俺は中央にある、空いた席をサクラに勧めた。サクラは戸惑いつつも椅子に腰を下ろし、姿勢を正して俺に向き直った。
「それで用事とは何だ? 今度はバイオプラントが欲しいから、また戦って欲しいのか? 一人でやれ。お前ならできるだろう?」
アジリアが吐き捨てて、ここにいるのも我慢できないように、足をソワソワさせていた。俺に対する敵意と憎悪は、偵察前よりもかなり増しており、少しでも隙を見せれば飛び掛かられそうだった。彼女が昨夜、ヘイヴン内を泣きながら徘徊しているローズを保護したのだ。話を聞けばローズは、俺が出ていってから徐々に弱り、精神も不安定になっていったらしい。アジリアは大切な『仲間』を、もう壊されたくないのだろう。
「アジリア。口の利き方には気をつけなさい」
すかさずサクラがぴしゃりと言い放ち、横目にアジリアを睨む。
「お前こそもう少し自分を見つめ直したらどうだ? 見てられないぞ……」
「何? 良く聞こえないわ? もう一度いってごらんなさい」
「恥知らずめといったんだ。聞こえたかアホウ」
「良く分かったわ。ナガセもいらっしゃることだし、決着をつけましょう。表に出なさい。もうあなたの好きにはさせないわ」
アジリアとサクラが共に席を立ち、連れ立って部屋を出て行こうとする。どうやら俺の審判の元で、どっちが強いか白黒つけるつもりのようだ。俺のように、強い方が正しいとは限らんのだがな。
俺は二人の首根っこを抑えつけるため、腰をあげようとした。しかしそれより早く、プロテアが背もたれから身を起こし、ギシリと椅子を軋ませた。
「お前ら黙れ。ただでさえクセェのに、雰囲気ぶち壊してんじゃねーよ。んで? 言いたい事があるなら言えや。俺だって暇じゃねーんだよ」
プロテアはややきつめの口調で遮り、要件を早く済ませるように俺を急かしてきた。プロテアが俺に向ける視線に敵意はなく、ただ真実を探るように鋭かった。俺がいない間にかなり成長したらしい。ヘイヴン奪還作戦で喚き散らすだけだった女とは、別人とすら思えるほどだった。
プロテアのおかげで、アジリアとサクラの動きがとまった。俺はすかさずテーブルを指で鳴らし、二つの空席に流し目を送った。
「二人とも座れ」
サクラはさっと椅子に座り直した。だがアジリアは立ったまま、ドアの前から動こうとはしなかった。賢しい彼女のことだ。サクラを挑発して会合をお流れにし、俺に何もさせたくないのだ。よしんばサクラが挑発に乗らなくても、アジリアは自分がドームポリス内で占める役割を理解している。アジリア抜きでは俺が話さないのを理解しているだろう。
だから俺は、部屋の外を指した。
「嫌なら出ていけばいい。ただドアは閉めろ。他に聞かれたら困る」
アジリアはあっさりとはしごを外されて、考え直すように視線を上向かせた。やがて彼女は鼻で大きく息を吐いて、席に戻った。
「すべて話す。心して聞いてくれ」
俺は一同を見渡した。そして俺たちが置かれている状況を、包み隠さず伝えた。
俺たちが島にいること。偵察衛星を起動したところAEUに破壊され、彼らがそう遠くない北にいること。そのさらに北に、異形生命体のもう一つの策源地があり、目的地である天嵐との間に立ちふさがっていることを。
AEUの接触と、異形生命体との対決が不可避であることも――
俺が語り終え、コップの水を一口含む頃、三人の女たちは眉間に皺を寄せて、深刻に思い悩んでいた。
プロテアが顎に手を当てながら、手を挙げた。
「要約すると――お前が来たアマカゼってところが、この島の最北端にある。そこに行けば俺たちは安全だから、メデタシメデタシと。だけど道中には、危ないかもしれない人類と、異形生命体の策源地がある訳だな」
「そうだ。それで俺たちはどうするべきか。お前たちの意見を聞きたい」
彼女たちは命令を下されると思っていたのか、俺の質問にたじろいだ。アジリアは目を丸くし、恐らく吐こうとした否定の言葉を飲み込んでいる。サクラは「そんな事私に思いつくはずがない」と、弱々しく首を振っていた。プロテアは前乗りの姿勢のまま、間の抜けた顔になって俺を凝視していた。
「どうしたいって……それが貴様の仕事じゃないのか? お前が今まで決めてきたことだろ?」
アジリアが嘲笑混じりに呟く。俺はハッキリと首を振って見せた。
「いや。お前たちの進路だ。だからお前たちに聞く」
俺は彼女たちの気を引き締めさせるため、テーブルを強くノックした。
「手段は俺が講じる。だから忌憚なく言ってくれ。お前達はどうしたい?」
問われて三人は、俺の背後にあるこの島の地図と、偵察で得た資料を舐めるように眺める。そして物思いに沈んで俯き、沈黙した。
十数分がたち、おもむろにプロテアが口を開いた。
「片道耐えればいいんだろ? お前のおかげで俺ら全員戦えるし、強行突破でいいんじゃねぇの? いつぞやみたいにゼロを曳航して、北を目指せよ。アマカゼ目指そうぜ」
「曳航のノロさは知っているだろう? 格好の的だ。ショウジョウの投擲に耐えられるか分からんし、燃料も持つかどうか。そしてAEUを刺激して、交戦状態に陥った場合、確実に撃沈される」
次いでサクラが、標的Xを収めた写真を示しながら挙手した。
「標的Xねぇ……これ人攻機の人工筋の所が、異形生命体になっているんですね。知能レベルはいかほどでしょうか? マシラやショウジョウと変わらないのであれば、頑丈になっただけの的です。さほど警戒する必要もありませんわ」
「交戦した訳ではないので、詳細は分からん。分かっているのはショウジョウと同じように、道具を使うことだ。ただこいつらが使うのは戦歩ライフルだがな」
アジリア、サクラ、プロテアの表情が、一斉に凍りついた。銃の威力は、使っている彼女たちもよく知っている。遠くからでもショウジョウを穿ち、マシラを抉り、ジンチクを粉砕できるのだ。逆も然り。ドームポリスに穴を空け、人攻機を破壊し、人体を肉片に変えられる。
「俺がビビる理由がわかっただろう? 撃たれたらもうおしまいだ」
俺が事実を強調すると、三人は認識を改めるように、もう一度思考に沈んだ。
ふとアジリアが俺に視線をくれた。その眼付きには頼るまいとする意固地な光が宿っていたが、自信のなさに弱く揺らいでいた。
お前は正しい。自立する心を失ってはいけない。しかし自分の弱さを無視してはいけない。そのどちらの想いが、勝ることも負けることなく共存できた時、初めて正しい判断が下される。
サクラとプロテアが俯いて思案に暮れる中、俺とアジリアは無言で見つめ合った。
やがてアジリアが軽くため息をついて、俺を顎でしゃくった。
「お前が思う最善策は何だ?」
「これはあくまで、意見だが――」と前置きした。
「手前の問題を一つずつ片付けた方が良いと思っている。手始めにバイオプラントと、AEUだ。AEUと合流できれば、もう何も怖くない。異形生命体を蹴散らしながら北上するだけだ。だが奴らは俺たちの偵察衛星を撃墜した。友好的と断ずるには躊躇わざる得ない。彼らとどう接するかの方針は、バイオプラントの取り扱いで決まる」
俺は背後のホワイトボードに貼られた、バイオプラントの写真を指で弾いた。
「バイオプラントを手土産に交渉するか。それともAEUを全面的に信用して接触し、在りかを教えるかだ。そこで聞かせてくれ。お前たちはどうしたい? 俺はお前たちに、責任を丸投げしたいわけではない。これからの方針は、俺ひとりが下した判断で付き合わせることの方が、無責任だと反省した。遠慮なく言ってくれ」
ジンルイ――同じ人間と戦わなければならないかもしれない。その事実は重く、彼女たちの心に圧し掛かった。三人は目の前の現実から逃れるように、一斉に塞ぎ込む。異形生命体と戦うのとは違う。同じ姿をして、同じ言葉を話し、同じ生活をする生き物と戦うのだ。
ロータスの反乱はまだ記憶に新しい。同種と戦うのは後味が悪く、負けると悲惨な結末を迎え、勝ったとしても何も得られないことを、彼女たちは体感している。偵察前、俺が危惧していたままに、彼女たちは進むことを躊躇い、変わってしまうかもしれない自分に恐れていた。
鉛のように重く、深海のように暗く冷たい空気が、狭い部屋に充満した。
「俺はよ。もうたくさんだ。仲間うちでギスギスするのはよ!」
いきなりプロテアが大声をあげて、椅子を蹴って立ち上がった。彼女はその勢いのまま俺に詰め寄り、早口でまくし立てた。
「先にAEUに接触した方が良いんじゃねぇのか? バイオプラントを確保した後だと、後ろめたいものがあると勘繰られそうだろ。俺たちよりバイオプラントの方が大事なのかーとか、仲間になろうと言ったくせに交渉で優位に立とうと仕掛けてくるのかーとかさ。テーサツエーセイ撃ち落とされたのもそれだろうよ。それあれだろ。クソ広い範囲見られる監視カメラなんだろ。じゃあ気分悪いわ!」
プロテアは天井の隅で、こちらを冷たく見下ろす監視カメラを指した。
「オメーらンなもん起動して、俺らと喧嘩すんのかーって思われたんだろ。会って話そう。そうすりゃ分かってもらえる。AEUも悪い奴らじゃねぇはずだ」
プロテアの意見は分かった。確かに偵察衛星を起動すれば、動向を逐一チェックできるし、ミサイルや大砲の照準にも活用できる。それに我々は国連の管理外でユートピアに目覚めた集団だ。AEUが俺たちを領土亡き国家だと誤認し、先手を打たれまいと撃墜したと考えることもできるのだ。
「サクラ。お前はどう思う」
サクラは名前を呼ばれて、ハッと顔をあげた。彼女は軽く唸って考えをまとめてから、口を開いた。
「私はバイオプラントを抑える方を推します。誓って私の失態を補うための提案ではありません。取引の余地が生まれるもの。AEUには私たちにない戦力を持っています。なら私たちも彼らが持っていない何かを持つべきです」
プロテアが肩越しにサクラを振り返り、非難するように睨み付けた。
「そういう考えが、喧嘩の元だろーがよ」
「もしAEUがロータスみたいな奴の集まりだったらどうするの? ナガセはそうなったら勝てないから、私たちに優しく教えて下さっているのよ」
プロテアがまた俺に向き直る。そして縋るように、悲痛な声で聞いてきた。
「ナガセ。お前の探していたジンルイって、そんな事するクソッタレなのか?」
何を今更。お前は避難所で殺し合あった人類の亡骸を見て、ロータスの反乱を経験し、快楽に溺れて狂う俺と対峙したはずだ。
そもそも人間の業が深いからこそ、俺もお前達もここにいるのだ!
「今年の夏にあったことを、もう忘れたのか?」
「ホラ。じゃあ違うんだ。安心だな」
プロテアはすぐに俺に背を向けて、同意を求めるようにサクラとアジリアの方を向く。プロテアの言葉に反し、その背中は不安で陰っていた。肩は悄然と垂れて、背中の筋は細かく震えていた。
アジリアは、プロテアが俺から隠したかった表情を見たのだろう。頬を引きつらせて笑った。
「お前の顔はそう言っていないぞ……プロテア……」
プロテアが図星を突かれて固まった。彼女はがっくりと項垂れると、自分が座っていた椅子を、爪先で軽く蹴った。
「うるせぇよ……そうさ……正直ジンルイを、信じられねぇ……ジンルイが……どっかのバカが……俺の信頼を踏みにじるからさ……」
プロテアは小声でそう漏らすと、ライフスキンの袖で顔を激しく拭いだした。それから椅子に乱暴に腰を落とし、パイプが軋んだ音を響かせた時には、彼女はいつもと変わらぬ相貌で俺と相対していた。




