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Crawler's  作者: 水川湖海
二年目 休暇
115/241

ナガセの失敗

 俺はプロテアの胸から顔を離す。だが彼女の顔を見ることができずに、視線は俯いた。

「誰かにそう吹き込まれたのか?」

「自分で考えたんだ。あんまし馬鹿にすんなよ」

 プロテアが俺の頭に、弱めの拳骨を振り下ろした。そして軽く鼻をすすると、パギを相手にするように、俺の髪の毛をクシャクシャと撫でた。

「だからちょっと、安心したかったんだよ。お前がお前のままで帰ってきたって、確かめたかったんだよ」

 プロテアは何かに怯えるように、微かに肩を震わせていた。彼女は竹を割ったような性格で、思ったことを率直に表現する。それが自分の胸の内を、上手く吐き出すことすらできなくなっていた。

 俺が信頼と言い訳して誤魔化しているから、彼女は何を信じていいのか分からなくなっている。人の誠意も、善意も、本質も、目に見えるものではない。だから彼女は目に見える違いに、答えを逃げようとしている。差別が始まる前触れだ。

「離れろ」

 俺の口調は、つい冷たくなってしまった。プロテアはショックを受けて目を見開いた後、初めて猜疑に濁る眼で俺を見下ろした。俺が不安を与えることで、プロテアをここまで変えてしまったのだ。

 俺はふと、自分の手の平を見つめた。穢れている。俺は彼女たちに必要とされてはいけない。過去を引きずっている。彼女たちに良くない影響を与える。戦いで果てたい。彼女たちを巻き込むわけにはいかない。

 しかしそれでも、彼女らに安心を与えられるのが俺しかいないというのなら、何かを与えなければ。

 人を愛するにはどうしただろうか? 久しく人を愛していない。戦場では様々な出会いがあって、刃を交え、言葉を交わし、互いの心に傷を残して、すれ違った。

 戦いに埋もれた過去から、温かいものを掘り出そうと躍起になる。

 アロウズの時は……思い出したくもない。リタも同様。

 過去を遡るうちに、ふと泉を掘り当てたように、胸に温かいものが込み上げてきた。

 織宮――そして愛しき教え子たち――俺が教師で、まだ戦いを知らなかったころだ。

 君たちの明日を願って戦った。なのに君たちには会えない。この手に抱くことも、言葉を交わすことも、何もかもが過去に埋もれて、叶わないだろう。俺たちが再び出会うには、離れすぎて、変わり果てて、そしてあまりにも時間がかかってしまった。

 君たちに返せなかった想いを、少しだけプロテアに捧げよう。

 俺はプロテアの肩を掴み、無理やり後ろを振り向かせる。彼女の膝の裏に蹴りをくれて、無理やり屈ませた。乱暴だが、気恥ずかしさに負けてしまったのだからしょうがない。プロテアがしゃがむと、ちょうど彼女の頭が俺の胸の位置にくる。俺はその頭を腕に抱えると、かつて教え子にしたように、わしゃわしゃと髪の毛を掻き混ぜるようにして撫でた。

 プロテアは暴力を振るわれるとでも思ったのか、しゃにむに手を振り回して俺を突き飛ばそうとする。だが俺が頭を撫でていると分かると、困惑したように抵抗を身動ぎに変えた。

「何してんだよお前……」

 無視して撫で続ける。真っ直ぐな人間には、理屈よりも接触の方が効果的だった記憶があった。

「おい。俺はガキじゃねぇんだ。やめろ」

 プロテアは鬱陶しそうに、撫で続ける俺の腕を払いのけようとする。俺は頑として撫でるのを止めなかった。やがてプロテアの方が根負けして、されるがままになった。それどころか、勝気な彼女が発したとは思えない、か細い羞恥の呻きまでもが聞こえてくる。

 でも嫌悪感は、獣の刻印のように消えない。自分の子供を殺したのだから。罪の意識が、不快感となって胃を下から突き上げる。

 このまま罪を吐き出せたらいいのに。このまま俺の過去が流れてしまえばいいのに。俺がそう思えば思うほど、死への願望が強くなり、赤い竜が首をもたげる。

 誰か俺を(ころ)してくれ。

 ひとしきり撫で終え、プロテアがそわそわし出す頃、俺は彼女の頭から腕を解いた。プロテアは俺を振り返り、じっと見つめてくる。猜疑の色は払拭できなかったものの、薄れてはいた。

「急にどうしたんだよ……」

「お前がそうしたいといったんだろ……もう満足だな? 俺はバイオプラントに行くからな。ついでにオストリッチの整備も頼む」

 俺はプロテアにオストリッチの手綱を投げて、プロテアに背を向けた。

「昔に戻ったな……だけどさ……やっぱお前……誤魔化しで欲しいものくれてるよ……」

 プロテアが引き留めるように呟く。俺の歩みが少し鈍った。それは違うと理性が発狂する裏側で、本能が見抜かれたことに戦慄していた。

「俺は誰かの……代わりなのか……? 他に好きな奴が――」

「うるさい」

 俺は吐き捨てると、やや大股でエレベーターへと歩いて行った。

「おーい! ナガセが帰ってきたぞー!」

 倉庫中に、プロテアの大声が響き渡った。倉庫にいる彼女たちに、呼びかけているようだ快活だが、どこか寂しさを含んでいた。。帰ってきた。その一言が強く耳に残った。

 俺はエレベーターで居住区に上がり、管理区画へと足を向けた。そこにバイオプラントへ直通するエレベーターがある。

 道中、並んで歩くローズとパンジーに、バッタリと出くわした。二人は世間話をしているようだが、様子が少しおかしい。パンジーは碌に声が出せないのに、しきりにローズに話しかけている。しかしローズは上の空で、曖昧に頷き返すだけだった。視線も俯きがちで、具合が悪そうだった。

 二人とも勤務外なのか、ライフスキンでも作業着でもなく、ひらひらした妙な服を身に纏っている。よくよく見ると、シーツを裁縫して作られたシャツと、作業着を改造してできたズボンのようだ。俺にとって服の裾は、外気を入れないために閉じてないといけないという認識がある。だが彼女たちの服の裾は広く、それが空気にはためいて、妙な印象を俺に与えた。まぁ布の遊びが多い分、身体のラインが浮き彫りになる事もない。健全といえば健全だし、リネンの備蓄はあるから咎めなくてもいいだろう。

「ん。ご苦労」

 軽く手を挙げて挨拶をする。ローズとパンジーは、声をかけられてようやく俺に気付いた。二人は俺を一目見ると、驚きに目を丸め、互いに抱き合って絶叫した。

 うむ。これが正しい反応だ。プロテアにも見習ってほしい。そうすれば俺の手間も減る。何も与えなくてもいいのに。

「はしゃぐのも程々にな」

 特に用事もないので、さっさと二人の横を通り過ぎた。

「いつ! 帰って! きた!?」

「ちょっと! 待ちなさいナガセ! どこに行くつもり! そっちには壊れたメインコントロールルームしかないわよ」

 何を思ったのか、ローズとパンジーが慌てて引き返し、俺の行く先を塞いできた。

「バイオプラントに用事がある。直通のエレベーターがあるだろ」

 俺の言葉に二人の顔から、さぁっと血の気が引いていった。

「ダメに! 決まってる! バカ!」

「それもいいけど、せっかく帰ってきたんだから……ネェ!? 冒険譚を聞きたいんデスケド! ちょっと談話室で、ゆっくりしていきなさいよ!」

 ローズとパンジーはまくし立て、執拗に俺を足止めしてくる。俺が無視して押し退けようとすると、二人は後退ってなおも壁となって邪魔してきた。サクラを庇っているのか、それとも俺がキレることを恐れているのか、その両方か。だがこの様子だと、バイオプラントの状態が最悪だということだけは、ハッキリと分かった。

「壊れたんだろ? 現場の確認はしないとな」

 俺がいうと、ローズとパンジーは本心を探るように俺の瞳をじっと覗き込んでくる。俺が面倒臭そうに溜息をつくと、パンジーの方はほっと胸を撫で下ろす。だがローズは何かが引っ掛かるようで、眉根を寄せた。そして俺の変化を欠片でも見逃すまいという意気込みを臭わせて、少し近づいてきた。

「それで……サクラをどうするの……?」

「どうもしない。あのバイオプラントは随分痛んでいたし、あってもなくてもいいようなものだからな。お前らが無事ならそれでいい。怪我人はでなかったか?」

「全然。みんな無事。火傷もしなかった」

 パンジーが朗らかに答える。だがその隣では、ローズが俯き、肩を震わせていた。

「へ……へぇ~……無事ならそれでいいのね……無事なら……無事なら……」

 彼女は俯いたまま、病気の人間のように弱々しく首を振る。そして俺の言葉を咀嚼するためか、何度も何度も口の中で繰り返した。

 次の瞬間、ローズが勢いよく顔をあげ、怒りと憎しみに細った眼で俺を睨み付けた。そして右腕を振り上げて、強かに俺の頬を張り飛ばした。顔が僅かに横にぶれて、小気味のいい音が廊下に響いた。

「サイテー!」

 ローズが金切り声をあげる。彼女はビンタで振り切った手を、握りしめて拳を固める。そしてハンマーのように振り回して、俺に叩き付けた。

「そう思ってるならッ……本当にそう思ってるならッ……他にすることがあるでしょう……あのコはあなたのために……あなたのために……自分を変えてまで……そうしてまで取り組んでいたのに!」

 ローズの拳が、何度も何度も俺の胸板に叩き付けられる。訓練したとはいえ、貧弱な身体つきで、腕を振り回すだけの打撃だ。肉体的にはちっとも痛くない。だが俺の意識は、霞むほどの衝撃を受けた。

 あのローズが誰かを守るためではなく、ただ暴力を振るっているのだから。

「それがどうでもいいんだ! あんなに真剣なのに! オモチャで遊ばせている感覚なのね!」

 俺はローズの殴打を、微動だにせず受け止めた。彼女はそれが腹立たしかったらしい。俺の襟首を掴むと、まだ効果のあった頬の張り手へと攻撃を変えた。

「何で平気なのよ! 多少は痛がりなさいよ! サクラみたいに傷つきなさいよ!」

 ローズは不安がる彼女たちを置いて、偵察に出たことを責めている――のでいいのだろうか? 俺は彼女たちを守るために偵察に出たし、それが唯一できることだ。それにサクラが俺のために変わったって……変わった? 不安の余り、差別に傾いたプロテアが脳裏に甦る。

 ローズも俺が、ここまで変えたというのか? 俺はローズに何も与えていないぞ! そして何も奪っていない! 自由にさせてやったはずだ!

 頬を打たれ続けながら考えていると、急にローズの攻撃が止まった。何事かとローズを見ると、彼女は殴りつけていた、自分の手を見つめていた。その双眸は驚きに見開かれ、自嘲に歪み、最終的に嫌悪に引きつった。彼女は汚物を払いのけるように、俺を突き飛ばす。そして突然、自分を痛めつけるように、壁をめちゃくちゃに殴り始めた。

 俺は幻だと思って、壁を砕かんばかりに拳を叩きつけるローズを見ていた。だが壁に赤い花が咲き、次々に開花していくと我に返った。

「やめろ! どうしたいきなり!」

 ローズを後ろから羽交い絞めにして、壁から引きはがす。止めに入るのが遅かったせいで、ローズの拳からは涙のように鮮血が滴っていた。普通の出血じゃない。骨が折れて手の甲を突き破ったかもしれない。早くアイリスに見せないと危険だ。

「落ち着け! 何故自分を傷つける!?」

「うるさいわね! こんな手壊れちゃえばいいのよ!」

 ローズは俺を振りほどき、壁に殴りかかっていこうとする。俺は必死にローズを抑えつける。パンジーもローズの足にしがみ付き、動きを鈍らせてくれた。俺はその隙に、ローズの耳元で叫んだ。

「おい……何でそこまで怒る。俺はお前達を第一に考えている。何が不満だ!?」

 ローズがぴたりと、暴れるのを止めた。そして肩越しに俺を見つめる。その横顔からは、怒りが最初から無かったように流れ落ちて、感情で色付けされていない素のままの顔があった。人間の無垢な表情とでもいうべきだろうか。彼女の瞳は透き通り、吸い込まれてしまいそうだった。そのローズの無垢が、見る見るうちに内面から溢れ出る憎悪で、塗りつぶされていく。

「は……は? え? 何とも……まだ何とも思わないの!?」

「何って……何が! 言いたい事はハッキリと言え!」

 訳が分からん。お前たち以外に、何を想えというのだ。俺は問題の提示されない、テストを受けている気分になり、ついかっとなって声を荒げた。

 いつもならローズは、俺の剣幕に怯んだ。しかし今回は暴れるのを止めるどころか、怒鳴り返してきた。

「いっても聴かないじゃん! だから戦うのは止めてっていったのに! そうすれば……そうすればまだ戻れたかもしれないのに! 大事な時にそうやって逃げるんだから! 私たちのためとか言って! 私たちを都合よく使ってるだけじゃない!」

 違う。俺はそんなつもりはない。お前たちを道具として使おうなどと、出来るはずがない。

「ローズ、俺は――」

 懸命に話しかけるが、ローズは抵抗を止めない。ひとまず拘束して落ち着かせるか。後は椅子に縛り付けてでも、聞き出せばいい。掴んで抑えていたローズの手を、捻りを加えることで関節を極める。そしてローズを腹ばいに地面に伏せさせて、その背中を膝で抑えつけた。はは。憲兵の手が足りない時は、こうやって良く暴漢を――おい待て……俺は何をしている?

 何故懐かしがっている。何故安堵している。何故こんなことをしている。

 俺は目の前で苦しむローズを見ていない。過去の幻想に酔いしれている。

「ホラ! 戦うことならすぐできるのね!」

 ローズが怒りに嘲笑を混ぜた。

「揚げ足をとるな! お前が暴れるからだぞ!」

 拙い言い訳に、俺の声は情けなくなった。

「触らないで! 穢れる!」

 咽喉が裂けんばかりの悲鳴に、俺の腕から力が抜けた。するりと手の中からローズが抜けだし、泥の中をもがくように何度も足を滑らせながら立ち上がった。彼女はあまりに勢いよく立ち上がったため、壁に激しく頭を打ち付けた。大きくたたらを踏み、上半身をふら付かせる。慌ててその身体を支えようとしたが、ローズは俺に触れられるのを拒むように踏ん張り、姿勢を立て直した。彼女はもう俺を見ようともせず、廊下を駆けてこの場から逃げていった。

 自立している。一人の強い人間に育っている。自分の道を歩んでいる。

 俺が望んだことだ。

 だが喜びを感じることができなかった。

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