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Crawler's  作者: 水川湖海
二年目 休暇
114/241

ナガセの葛藤

『おー。見せつけてくれてんじゃねーよ。さっさと中に入れ』

 プロテアが不機嫌そうに、ダガァから叫ぶのが聞こえた。唐突に自分の世界から引き戻されて、俺の体は小さく跳ねた。アカシアの背中に回した手から力を抜く。そしてその手を彼女の肩に置くと、やんわりと離させた。

 アカシアは今までの必死さが嘘のように、あっさりと身体を離してくれた。俺が抱きしめたことで、満足してくれたのだろう。普段なら絶対しない行動だけに、効果が大きかったようだ。彼女は瞳に滲んだ涙を拭おうともせず、顔を真っ赤にして俯いたっきり、何も言わなくなってしまった。それから胸の前で指をもじもじさせて、何かを期待するように俺を見上げてくる。アカシアは何かを欲するように、しっとりとした唇を震わせていた。

 残念だが、これ以上俺に出来ることはない。そしてこのまま、たむろしている訳にもいくまい。俺は片膝立ちのまま放っておかれている、五月雨を顎でしゃくった。

「話しは後で聞くから、五月雨を片付けて来い。邪魔だ。尻も診てもらった方がいいぞ……」

 アカシアは少しだけ残念そうに、表情を曇らせる。だがすぐに明るく笑うと、俺の胸に手を当てて名残惜しげに撫でた。

「どこにもいかないでね……片付けているうちに、またどこか行っちゃうのは駄目だよ……」

「分かった、分かった……」

 俺は苦笑いを浮かべながら、頷いてやった。

 アカシアはほっと一息つくと、改めて俺をまじまじと見つめだした。そして出発前と比べて、随分と軽装になっていることに気付いた。俺はたくさんの銃弾と食料をリュックに詰めて、オストリッチ三体を引きつれていった。それが資料とサンプルだけ詰まったリュックだけを持ち帰り、一体のオストリッチに跨って帰ってきたのだ。

「またひどい目に合ったんだね。オストリッチが一体しかないや」

 俺は首を振った。確かに弾丸のほとんどは、異形生命体の生態を知る威力偵察や、自衛のために使い切ってしまった。だがオストリッチ自体は、戦闘で損失したのではない。

「オストリッチは偵察先の森に隠してきた。またあそこに赴く事になるからな」

 アカシアはそれを聞いて、鼻息を荒くした。胸の前で握り拳を固め、自らを鼓舞するように軽く揺すった。

「ナガセが見つけたバイオプラントの近くだね。任せて。今度は僕も戦えるから」

 アカシアは立ち上がり、打ち付けた尻をさすりながら、よちよち歩きで五月雨へと戻っていく。俺は遠ざかる背中に向けて、ポツリと呟いた。

「アカシア……すまない……」

 アカシアがぴたりと足を止めて、俺を振り返った。決して大きな声ではなかったのだが、耳に届いたようだ。彼女は何を謝られたのか分からなかったようで、顎に指を当ててしばらく考え込む。そしてハッとすると、優しく微笑んでくれた。

「んーん。いったでしょ。べしって叩いたの。怒ってないって。痛くなかったし、もうそんなこと忘れてね」

 アカシアは陽気に手を振ってくる。そしてよちよち歩きを、やや軽快なステップに変化させて、五月雨のまたぐらへと潜り込んでいった。

「戦って……欲しくないんだよ……馬鹿が……」

 俺は今度こそ誰の耳にも届けぬように、口元を手でおおって呟いた。彼女たちに殺しを教えようとした自分が、この上なく(よこしま)な悪魔に思えた。俺は早くも、現実を見据えた決断よりも、理想を夢見る結論を選択しようとしていた。

 俺はオストリッチを立たせ、シャッターを潜りぬけた。ヘイヴンの倉庫は、俺がいた頃と比べてかなり整頓されていた。片付け切れていなかった、異形生命体の死体と機械の残骸は、今や跡形もなく消えている。床は綺麗に磨かれ、ゴミ一つ落ちていない。壁に染みついていた血も綺麗におとされて、倉庫の壁は照明の光を眩しく反射していた。

 倉庫を入ってすぐの所には、アラートハンガーとなる人攻機の駐機所が四つあった。うち二つが空になっていて、俺の後ろからついてきたダガァと五月雨は、駐機所の格子に身体を預けて格納された。

 アラートハンガーのすぐ左手には、やや広めの駐車場があり、キャリアが三台停めてある。それぞれ装備が異なり、二つは荷台に幌が張られた機動戦闘車で、一台がシェルターを載せた指揮車だった。どうやら俺が調整したキャリアを、そのまま使い続けているようだった。機動戦闘車は出撃を繰り返しているのか、車体に傷が目立ち、恐らくマシラの殺害数を数えて落書きがしてあった。比べて指揮車は放置されて久しいようで、うっすらと埃をかぶっていた。

 指揮車を使っていないということは、小競り合いしかしていない証拠だ。俺がキャリアを眺めていると、ダガァの格納を終えたプロテアが駆け寄ってくる。

「異形生命体の大規模な侵攻はなかったようだな……」

 俺がプロテアに聞くと、彼女は腰に手を当てて頷いた。

「だから言っただろ? 甲一号を殺してから、マシラ共はめっきり見なくなったって……」

 甲一号の破壊が、異形生命体の減少に直結していると考えて間違いないだろう。つまり奴らは自然に存在する生き物ではない。ドームポリスに寄生し、数を増やしているのは間違いないようだ。加えて武装していた異形生命体――標的Xのことを考慮に入れると、進路上にあるアメリカの機動要塞は、領土亡きに国家の手に落ちたと考えるのが妥当かも知れない。そこがもう一つの、異形生命体の策源地だ。

 人類同士でいがみ合っている場合ではないな。AEUドームポリスの連中と協力して、戦う事ができればいいのだが。

 さらに倉庫には、気になる事があった。プロテアはマシラをめっきり見なくなったと言ったが、それにしては待機させてある人攻機が多すぎる。倉庫にはアラートハンガーとなる入り口近くの駐機所以外にも、碁盤状にたくさんの駐機所が並んでいる。その半分近くが人攻機で埋まっていたのだ。

 ダガァ、五月雨はもちろんのこと、弾平、レイピア、カットラス、シャスクまで。さらにダガァのエリート仕様であるミスリルダガァや、エコノミー仕様であるキドニーダガァなど、ヘイヴンに保管されているほぼ全種類の人攻機が、動態で格納されていた。

 俺は駐機所内で、項垂れて降着姿勢をとる鉄の巨人たちに、ざっと視線を巡らせた。

「マシラがいなくなったにしては、ずいぶんと賑やかだな……どれが使いやすいか試しているのか?」

 プロテアはここで初めて、困ったように額に手を当てた。

「リリィが片っ端から人攻機を起動してやがるんだ。使いもしねぇくせによ」

「何でそんなこと? 誰かから命令があったのか?」

「知るかよ。ヘイヴンでの仕事が落ち着いたら、急に狂ったように人攻機を弄り出したんだよ」

「サクラは知っているんだろうな? 人攻機のセットアップには電気を使うし、何より大事な備品だ。こんな勝手は許されんぞ。サクラがとめるべきだ。あの馬鹿は何をしている?」

 俺が口調に非難の色を込めると、プロテアは声を詰まらせて黙り込み、視線を地面に這わせた。どうやらサクラを助ける、言い訳を考えているらしい。仲間想いは良い事だが、俺は任命したものとして知る権利があるし、罰する責任がある。「答えろ」とプロテアをせっつき、話さなければ同罪だと逃げ場を塞いだ。

 プロテアは観念したように、鼻から大きく息を吐いた。そして

「サクラを助けてやってくれ。あいつは頭が固いし厳しいけどよ、やることはやってるし、おかげで随分暮らしもよくなった。だから悪いのはあいつじゃねぇ。ちょっかい出したアジリアだ」

「それはどういう意味だ?」

「自分の目で見てきな。だがこれだけは確かだ。サクラは悪くねぇ」

 プロテアはそう言って、視線を上向かせた。俺もつられて見上げる。天井には鉄骨が網目状に組まれて、背の高いヘイヴンの足元を支えている。それを透視して、階上にある施設を思い浮かべていく。居住区、研究施設、サブコントロール、そして――バイオプラントか……。

 確か出かける前に、バイオプラントの修理を頼んだな。直せなかっただけでへこたれるタマじゃないから、大方壊しちまったのだろう。別に壊れたオモチャを、スクラップにしたところで何とも思わん。それにバイオプラントは、新しいのを見つけたしな。

 俺はプロテアを招き寄せて、人攻機をさして指示を出した。

「無駄に起動されている人攻機の片付けを頼めるか? 人攻機の数は六躯だけでいい。二躯をアラート待機状態にして、二躯を準待機、残り二躯をパーツ取りに出しとけ。躯種はダガァとシャスクの3:3で揃えろ。種類が違うと整備が煩雑になる。ただレイピアとミスリルダガァは残してくれ」

「レイピアとミスリルダガァ~? そんなものどうするんだ? みんな乗ったことないぞ」

「ミスリルダガァはお前が乗れ。違いは後で俺が教える。レイピアは後々習熟訓練を行う。シャスクのパーツ取りがもう限界で、じきに運用できなくなるからな。俺はバイオプラントに行ってくる」

 俺はくるりと踵を返すと、エレベーターに向かってオストリッチを歩ませた。後ろからぐいと肩を掴まれ、引き留められる。頭だけで振り返ると、プロテアが笑いつつも、怒りで額に血管を浮かべていた。

「もう行くのか? ひとまずオストリッチから降りろ」

「何だ……?」

 別段急いでいないので、言われた通りにオストリッチの背中から離れて、地面に立つ。プロテアは怒りで歪んだ笑みのまま、俺ににじり寄ってくる。

「お前さァ……ホントーにいっぺん死んだほうがいいぞ」

 そしておもむろに俺の背中に手を回すと、強い力で抱きしめてきた。

「何をする! やめんかバカモノ!」

 判断を迷っていた時とは違い、今は俺の意識がハッキリしている。彼女を切り裂こうという思いは微塵も浮かばない。ただ後ろめたさが胸を付き、悪寒が背筋を駆け抜けていった。

 プロテアと自分の間に、つっかえ棒のように手を入れて、決して弱くない力で彼女を突き飛ばした。プロテアはよろけて後退った後、表情から笑みを消して怒りをあらわにする。

「何だよ! アカシアは良くて俺は駄目なのかよ!?」

 当たり前だ。アカシアは起伏に乏しい体で、子供みたいなもんだ。お前は全然違う!

「アカシアはパギみたいに可愛いもんだ! だがお前は……その……せ、セクシーすぎて……困る……んだよ……分かるか?」

 ああ……また女を知らないガキみたいな口調になっている。みっともないが仕方がない。俺は女が苦手だ。もうあんな思いはしたくないんだ。鼻孔に微かだが、煙草の香りがかすめた。

 プロテアは理由を聞いて、ひとまず怒りを治めてはくれた。だが笑みは戻ってこないままで、表情はとても寂しげだった。

「一応聞くけどよ……髪の色が黄色いからとか、肌の色が白いからとかで、贔屓している訳じゃないんだな……?」

 俺の視線は鋭くなった。

「誰がそんな事を言った? 事と次第によっては許さんぞ。俺は言っているよな。見た目で人を判断するなと」

「お前の態度だよ! だからみんなそう思ってる!」

 プロテアは癇癪を起こして、床を強く蹴りつけた。それだけでは治まらないようで、俺にずいとつめよると、指を胸元に突き付けてきた。

「だってよ、お前ロータスはヒッデェ目に合わせたのに、ローズとリリィはお咎めなしなんだぜ! 同じく殺そうとしたのによ! それにどーみたってアジリアとアカシアを贔屓してるだろ! アジリアは好き勝手にさせてるし、アカシアにはでっかい銃をやったじゃねぇか! サクラがどんだけ頑張っても褒めねぇ! 俺だって……俺だって……さっきもそうだろ……さっきだってよぉ! そりゃ悪いうわさもたつわ!」

 俺は初めて見る、プロテアの駄々に驚いた。プロテアは感情を抑え込まずに、正直に露わにするタイプだ。激しくとも、内容は明快で、筋は通っていた。しかし目の前の彼女は、言葉にできない想いを発散するように、曖昧で支離滅裂なことを、喚き散らすだけだった。

「俺は不公平をしたことはない。適正を考えて区別をするが、差別をしたことは一度たりともない。ロータスに対して俺がやったことは取り返しのつかないことだ。だがアジリアが俺にしようとしたことは俺に何の影響も与えていない。この違いは分かるな?」

 俺は簡潔に、プロテアを論破した。だがそれは火に油を注いだ。

「話をそらすなこのボケ! お前はここのリーダーなんだからさ、きちっとしてくれないと困るぜ。おかげでお前がいなくなった後大変だったんだよ。やれナガセ派だのアジリア派だのウンザリしてんだ。俺たちは仲良くやりたいんだ。だからもうちょっと公平に俺たちを扱え! という訳で俺をハグしろ!」

 プロテアは無茶苦茶な事を言って、諸手を広げる。正直無視したいが、それはプロテアに消えない傷を残すような気がした。俺はプロテアと視線を合わせないように、俯きながらその胸に身を預けた。

 相変わらずデカい女だ。俺の頭は、ちょうど彼女の胸の位置にある。それで猪を絞め殺せそうな力で抱き付くのだから、たまったものじゃない。俺は不貞腐れながら、自分からは決して抱き返さず、されるがままにしてやった。

「去年の冬も……同じことしたよな……何でそんな嫌そうなんだよ……傷つくだろ……去年はもうちょっと気持ちよさそうにしてただろ? アカシアは自分から抱き返しただろ? お前俺の事嫌いだったのか?」

 今にも泣き出しそうな声が、俺の頭上から降り注ぐ。俺は罪悪感に唇を噛んだ。

「すまない……」

「ごめんな……謝ってほしい訳じゃないんだ……」

 プロテアは一度しゃくりあげた。

「お前が変わっていくから……外に出かけるたびに、良くないもの見つけてきて、どんどん怖くなっていくから……だから心配してんのに、お前はクソ馬鹿だからよぉ……」

 プロテアの言葉に、俺はショックを受けた。核心をつかれて、ぐうの音も出なかった。

 俺がユートピアの土を踏んだ頃は、夢みたいな新天地に狂喜していた。

 異形生命体を見つけた。彼女たちを武装させ、奴らを殺させた。

 ヘイヴンを見つけた。彼女たちに苛烈な訓練をして、より苦しめた。

 制圧した。ついに我慢ができなくなり、ロータスを、みんなをいたぶった。

 今日帰ってきた。領土亡き国家の存在が色濃くなり、AEUとの接触を控え、俺は殺しを教えようとしていた。

 俺は彼女たちの良心と良識を育み、自ら良いものを見定めて、自由に生きてもらうために教育を施してきた。それがどんどんずれていき、どのようなことをしてでも生き延びるために、穢れを押し付けようとしている。

 状況はどんどん悪い方向に転がっている。ここはユートピアのはずなのに、地獄のような過去の戦いが、再び始まろうとしていた。

 プロテアは立ち尽くす俺の頭を鷲掴みにして、ぐいっとと自分の胸に押し付ける。俺には抗う気力すら残っていなかった。

「お前気付いているか? お前が変わったのは、去年の遠征と、越冬、そしてヘイヴン奪還作戦の時なんだぜ。お前は独りにすると、勝手に思いつめるんだ。そして俺たちの目をそらすために、物や自由、栄誉をくれるんだ。信頼とか言うクソみたいな名目をつけてな!」

 分かっている。俺は物で釣って、誤魔化している。俺から与えられるものは何もないから。お前たちにはのびのびと生きていて欲しいから。俺とお前たちは違うから。

 確かに俺は変わった。

 この世界が本当に、ユートピアなのか信用できない。

 この世界の人間の、良心と良識を信用できない。

 この世界で彼女たちが、生きていけるのか信用できない。

 俺は疑心暗鬼を穢れという形で、彼女たちに押し付けようとしていたのだ。

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