釣果報告
「みんなぁ~、ご苦労さまぁ~!」
ヘイヴンに帰還すると、妙に甘ったるいサクラの声が出迎えた。妙に上機嫌のようだ。ナガセがいなくなってから不機嫌だったあいつが、何をトチ狂っているのかは気になるところ。だけど今の無様なアタシを見られるのは避けたい。
キャリアが一階倉庫の東側にある、駐車場に止まった。釣果隊がぞろぞろと降りていく中、アタシは荷台に留まってこっそりと逃げる隙を窺った。パンジーはアタシに興味がないようで放置だ。サンは唇に人差し指を当てて、静かにするようジェスチャーを送ってくる。お前の助けなんかいらねぇよバーカ。デージーは「そんな事してもばらしてやるから無駄だからね」と吐き捨てた。お前、あとで覚えておけよ。
プロテアが運転席から降りる気配がする。そして怪訝そうな声を上げた。
「お前どうしたんだその髪。悪いもんでも食ったのか?」
髪の毛? ナガセの気にしすぎで禿げたのか? アタシは幌の隙間から、そっと外を覗き込んだ。
駐車場には作業着姿のサクラとリリィがたっていた。修理用具と点検機器の満載されたカートを引っ張っていることから、出迎えついでに整備を済ませるつもりなのだろう。
肝心のサクラの髪の毛だが、抜けた様子はない。ストレートのミドルヘアだ。しかし髪の色が、しっとりとした黒から不自然な金色に変わっていたのだ。いや――そもそもあれは金色っていうのか? 黒から色を薄めて、無理やり黄色にしたような感じだ。アジリアやアカシアが持つ生粋の金色と比べると、かなり汚く映った。
プロテアは髪を指すことを戸惑うように、腰と肩の間で腕を彷徨わせる。しかしサクラは気付いてもらえてうれしかったようだ。見せつけるように髪をかき上げて、まるでナガセを相手にするように、気どったポーズをとった。
「染めたのよ。どう? 似合っているでしょ」
似合っているわけがない。黒い髪の方がしっくりきていたのに、何を考えてんだ? くそ~。こんな格好じゃなかったら、飛び出して笑ってやるんだけど。もったいないことをした。
プロテアはまじまじとサクラの金糸を見つめる。慎重に発する言葉を選んでいるのか、彼女にしては長い沈黙を守り、褒めるところを探しているようだった。やがて褒めるのが難しいと気付いたのだろう。プロテアは引きつった笑みを浮かべた。
「アジリアの真似か?」
最悪の答えじゃねぇか。
「うっさい! 黙れ! デブリーフィング始めるわよ!」
サクラは作業用のデバイスを取り出すと、苛立ちをぶつけるように画面をペンで突っついた。
「ちょっと待ってくれ……ロータスの手の骨がイっちまってな……治療してからでいいか?」
「ああそうですか! さっさとしなさい!」
サクラはカートを思いっきり蹴りつけると、ぷりぷり怒りながら駐車場を離れていった。
「お~……怖ェ……」
プロテアは軽くおどけると、懐から煙草を取り出して咥えた。いつものリラックスタイムだった。
アタシもそろそろ逃げなきゃ。これ以上ここに留まっていたら、何をされるか分かったもんじゃない。手の骨が折れたぐらいなら、自分で何とでもできる。サクラがいないうちに、そろりと荷台から降りる。そしてキャリアの陰に隠れるようにして、エレベーターへと駆けだそうとした。
「おい」
呼び止められる。この声はクソ奴隷だな。無視だ無視。
「無視すんなおら。逃げるな!」
さっきよりも大きな声でリリィが凄む。『逃げるな』と挑発され、アタシの足はその場に縫い付けられた。誰がお前みたいな雑魚に逃げるもんか。お前なら今のアタシにだって勝てるんだ。
ありったけの怒りと敵意を視線に込めて、リリィを振り返る。彼女はいつの間にかキャリアの傍らに立っており、リモコンを手にしていた。その指がスイッチを押すと、キャリアはまるで踊るように地面を跳ねた。
「怖かった?」
リリィが意地の悪い笑みを浮かべながら聞いてくる。アタシは答えられない。怖かっただなんて口が裂けても言えない。虚勢を張ったら、現場を見ている釣果隊に責められるだろう。アタシは何も言えず、いじけた子供のように睨むしかできなかった。
あれ?
瞳から涙が滲む。
アタシ――リリィごときに負けそうになっている!
「怖かったかって聞いてるんだよコノヤロー!」
リリィが両手をきつく握りしめ、全身を強張らせながら叫んだ。いつもなら嘲るだけの絶叫は、確実にアタシを責め立て、追い詰めていた。
堪え切れず、ついにアタシの瞳からボロリと涙がこぼれた。頬を伝って、顎を滴り落ちていく感触がする。アタシはとうとう、リリィに泣かされてしまった。
リリィはこれを見ている。みんな見ている。みんなどう思うだろう。もうめちゃくちゃだ。
「うるせぇ怖くなんかねぇ! 怖くなんかねぇぇぇ!」
地団太を踏んで、喚き散らす。涙は止まらない。後から後から溢れでてきて、コンクリートの床に斑点上の染みを作った。
「ちくしょう……ちくしょう……! ちくしょう! 怖くなんかねぇ……こわくなんかねぇ……」
涙を乱暴に拭う。それでも止まらない。代わりに地団太が止まる。涙を拭うことに気を取られて。顔を懸命に擦る。こんな情けない顔、削り落ちてしまえばいいのに。頬が雫に濡れそぼる。目を拭う手で、強引にまとめて擦る。折れた手がずくずく痛む。でも気にもならない。
アタシはずっと、棒立ちになって両拳で涙を拭うのは、ぶりっ子のキモい奴だけだと思っていた。今はっきりわかった。あふれる涙と、頬を濡らす雫を拭うには、これが一番やりやすいのだと。必死に表情を取り繕おうとすると、地団太を踏んだり喚き散らしたり余裕すらなくなるのだと。
ぐいと胸倉が掴まれて、身体をかがめさせられる。目の前には頭に血が上って、真っ赤になったリリィの顔があった。
「私も同じぐらい――いや! もっと……もっと怖かった! 寒くて! 誰もいなくて! お前が笑っていたからもっと怖かった! 分かったかコノヤロー! 覚えておけチクショーが! その恐怖はナガセが与えた奴とは違うぞ! この私がアンタに与えたんだからな! 同じ目に合いたくなかったら悪口言うのやめろ! 暴力振るのやめろ! もうやめろ!」
リリィは叫びつつ、ぼろぼろと涙を流しだす。そして責め立てる立場なのにもかかわらず、堪え切れなくなったように視線を俯かせた。
「もう……こんなことさせるな……」
アタシはされるがままだったが、ふと胸中にふつふつと怒りが込み上げてきた。
お前ごときが、何アタシに手をかけて、ガンくれてやがんだ……。お前なんか本当は、アタシより弱くて、惨めで、哀れなんだ。そんなお前がアタシに何をしてくれてんだ。アタシから何奪おうとしてんだ。
反射的に握り拳を作り、振り上げる。横っ面を、思い切り殴り飛ばしてやろうとする。
だけど……だけど……。
ここで殴ったら、もう何もかもが、吹っ飛んじまうような気がした。
アタシの振り上げた拳から怒りが抜けていき、だらしなくぶら下がった。程なくアタシ自身もいたたまれなくなり、胸倉を掴まれたまま、いまだ流れ続ける涙を拭う気力すらなく立ち尽くした。
リリィは突き放すようにアタシの胸元から手を離す。彼女は眼に滲んだ涙を、作業着の袖で乱暴に拭った。そして荒くなった呼吸を整えるように、浅い息継ぎを繰り返すと、落ち着いた口調で言った。
「許す」
リリィはくるりと踵を返し、キャリアへと歩み寄っていった。運転席を覗き込んだ彼女は、車内に充満する異臭に気付いたようで、露骨に顔をしかめた。シートの汚れに気付くのにも、そう時間がかからなかった。
「海水で濡れてるね。綺麗に掃除しとくよ」
リリィはシートをさっと手の平で撫でると、大声で言った。わざと。絶対わざと。
アタシのメンツはそれで救われ、逆にプライドは復元不可能なまでに破壊された。
正直ここまで来ると、アタシは「アタシが何なのか」すら、良く分からなくなってしまった。今まで虚勢で作り上げた自分がなくなり、隠していた自分が明るみに晒されて、二つが互いに自己を主張して意識を掻き乱している。居住区に逃げることすら忘れて、呆然とその場に留まったのはそのせいだろう。アタシは、アタシという人間は、これからどうすべきなのか、見当もつかなかった。
「キャリアに何か気になることあった? 見ておくから言って」
リリィがシートを雑巾で拭きながら声をかけてくる。アカシアのバカ野郎のことを思い出す。
「グローブボックス……アホがガムを捨ててる」
「わかった。任せといて」
リリィは運転席に飛び乗り、シートに四つん這いになった。すぐにグローブボックス内の噛んだ後のガムを見つけたのか、怒りと悲鳴がないまぜになった絶叫が聞こえた。
「医務室に行くぞ」
プロテアがアタシの背中を軽く叩き、前に進むよう促してくる。アタシは覚束ない足取りで数歩踏み出した。
「今日の献立なんだっけ……?」
サンとデージーがプロテアの隣に並んで、世間話を振った。不思議なことに、二人からはアタシに対するよそよそしさと、軽蔑の色が薄れている様な気がした。
「野菜と肉のスープと硬い板パン。練肉のハンバーグ」
プロテアは不安混じりに呟く。デージーが表情を曇らせた。
「うげぇ練肉って何だよ……何の肉だよ……金属みたいな味のする変なのじゃないよな……」
「ま、それはお楽しみだわな」
アタシたちはそろって、倉庫の医務室へ向かう。プロテアたちが談笑を楽しむ中、アタシは押し黙っていた。治療を受けるのはアタシだけなのに、何でこいつら一緒にきているんだ? 皆といると気まずい。だが自分を見失っている今、プロテアたちから離れてしまうと、迷子になってしまいそうで恐ろしかった。
「ロータスさァ、試食会に参加してたでしょ? あの金属の味のするお肉何だか知ってる?」
医務室のドアの前で、不意にサンがアタシに話題を振ってきた。アタシは素っ頓狂な悲鳴を小さく上げて、戸惑う様に一同を見渡した。皆、答えを待ち受けるように、足を止めて期待の眼差しを注いでいる。いつもだったら怒鳴り散らすところだが、この時ばかりは、雰囲気を壊してのけ者にされるのが嫌だった。話題を流すためしばらく黙り込むが、それは余計プロテアたちの期待をあおったようだ。
「何か知ってるなお前ェ……」
プロテアがニヤリとわらい、
「あーっ! 教えろ教えろ教えろ! じゃないとお前がちびったってばらすぞ!」
デージーが畳みかけてくる。
あの肉ね……士気が下がるし運用に支障が出るから、サクラに言うなって口止めされている。だけどだんまりが許されるような雰囲気でもない。あいつの理論より我が身の方が大事だ。
「ミミズだよバーカ……」
プロテアたちが色めき立つ。一際強く反応したのがサンで、嫌悪感に目を細め、えづくように口元を抑えた。
「ミミズって……あの蛇みたいなうにょうにょ!? あンなもの食べさせられてたの!?」
「そろそろピオニーから料理権限取り上げよう取り上げよう取り上げよう! あいつそのうち取り返しのつかない事するよきっと!」
デージーがアタシに詰め寄ると、両肩を掴んで揺さぶってくる。何でアタシにそんなこと言うのよ。仕事の裁定に何の権限も持たないっつーの。うっとおしかったので、やんわりとデージーの両手を振り払い、軽く頭を叩いてやった。
デージーは軽く「痛ッ」っと悲鳴を上げたものの、アタシを睨もうとせず、暴言すら吐かなかった。いつもだったら、さっきより弱く叩いても、憎悪の眼差しと棘のある言葉が飛び出た事だろう。あれだけアタシを嫌っていたデージーが、アタシの行動を許しているのだった。
「良くサクラが許したな……下手したらピオニーを射撃の的にしてたんじゃねぇのか?」
プロテアが腰に手を当てつつ、苦笑いを浮かべた。
「うるせぇなボケ。サクラが一番乗り気だったのよん……」
アタシはいらいらしながらも、会話の楽しみに微かに心躍る自分を感じていた。わざと情報を小出しにして、プロテアたちが食いつくように仕向ける。自分で自分の行動が信じられない。ひょっとしたら今までアタシの立場が壊されたから、新しいアタシの居所を求めているのかもしれなかった。
「何があったのか教えてよ!」
デージーが興味しんしんと言った様子で、再び近づいてくる。お前は食いついてくんじゃねぇよ。ちびった時笑いやがって、信用できないアホが。弱めの力で突き飛ばして、さっと医務室に入った。
ナガセがテントで作り上げた長方形のスペースは、中央で四分割されて運用されていた。一つは薬品の棚が並び、一つは手術台が置かれ、一つは毒のサンプルや抗体などの資料室となっている。残った区画――入ってすぐの場所が診察所で、白衣姿のアイリスが、デスクでうたた寝をしていた。アタシはアイリスが腰かける椅子を軽く蹴って、起こしてやった。
「やーよ。長くなるし……メンドクセーし……」
「そう言わないでさぁ! サクラは絶対話してくれないでしょ!? でしょでしょ!?」
デージーがアタシの背中へタックルするように、医務室へなだれ込んでくる。
「私も気になるなァ……他にも変なもの食べさせられてたら、ちょっと……キレそう……」
少し暗い声で呟きながら、サンが続いた。
「サクラにはチクらないから吐いて楽になれよ」
プロテアが笑い混じりに、医務室の扉を閉めるのが聞こえた。
新しい自分が、少しずつ育っていく感覚が胸にあった。バイオプラントで種が育つように、弱々しい芽吹きだが、確実な成長を想わせて。アタシはさんざん踏みにじることを面白がったが、今は大事にしたい気持ちでいっぱいだった。すごく、不本意だけど。
アタシは、失くしたアタシが好きだった。自分に正直で、自分の価値を主張して、自分を守ってくれるから。
アタシは、昔のアタシが嫌いだった。相手に臆病で、相手に媚びるだけで、相手に縋っていたから。
アタシはようやく、二つの自分と向き合う事ができた気がする。過去から逃げずにじっと見据えると、そうしないと生きて行けなかったって思う。すると仕方ないやって、自分の弱さを許せそうになった。もう自分への怒りを、相手にぶつける必要もないんだって。
アタシは、これからのアタシを好きになれるだろうか? 正直自信ない。弱い奴らのこと考えて、頭の悪い奴に合わせて、やりたい事も言いたい事もぐっと飲みこまないといけない。ストレスで死ぬんじゃないかと思う。
だけど受け入れなきゃ。そうしないと生きていけないから。変わらなきゃ。
クソみたいだけど、良いこともある。
きっと今日は、安心して眠れるだろう。




