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Crawler's  作者: 水川湖海
二年目 休暇
111/241

釣果隊 東へ行く その6

 アタシは理解した。媚びるのは無意味だ。だったら好きなようにさせてやるしかない。両手で頭を抱え込み、シートの上で膝を丸めて蹲った。

 早く終れ。

 心の中で呪詛のように繰り返し、震えのとまらない身体を抱きしめた。

『死亡判定。シミュレートモードを終了します』

 電子音声が聞こえた。気にする余裕がない。次の暴力に備えてきつく目を瞑る。しかしいつまでたっても、マシラの追撃が来ない。アタシは恐る恐る、頭を抱える指の隙間から、フロントガラスを覗いた。

『車体ダメージ超過 走行不能 状態:大破 敵:1 撃破数:0 評価:Fマイナス』

 フロントガラスをディスプレイにして、そのような文字が表示されていた。

 え……なに? どういうこと……?

 マシラがいて、襲いかかって来て、キャリアが動かなくて、殴られまくって、死にそうになって――それでなんだコレ? 恐怖でマヒした頭では、それだけの感想を思い浮かべるのがやっとだった。

 今までみんなに見せていたアタシが引き剥がされて、アタシだったものが引きずり出されたのだ。アタシだったものは、あまりにも無力で、無防備で、無気力だった。ゴミの様なアタシを知られたからには、もう取り繕うことは無意味だ。アタシは肌蹴た胸を隠すことも忘れ、呆然とシートの上にへたり込んだ。

 外から運転席のドアがノックされる。焦点の合わない眼をドアに向けると、プロテアがいた。顔には人を謀った時の優越感や、取り乱したアタシへの嘲りはない。何故かアタシより気まずそうで、恥ずかしがっているようだった。

 彼女はマシラがいる時は開かなかったドアをあっさりと開けて、キャリアのタラップに足をかけた。

「おう。上手いこと引っかかったな」

「マシラが……今いたのよん……」

 アタシは上の空で呟いた。

「ディスプレイで映像流しただけだよ。アジリアとマリアが交戦記録から作成した。シミュレーターのプログラムは、サクラがどっかから引っ張り出してきた」

「衝撃……」

 アタシはフロントガラス越しに、ボンネットを見た。マシラに叩き潰されたはずのシャーシは、何事もなかったように緩やかな曲線を保っており、太陽光にきらめいていた。

 アタシは答えを求めて、再びプロテアに視線を戻す。彼女はキャリアのドアを、身体で押さえるようにして、車体にしがみ付いた。そしてポケットからリモコンを取り出すと、無造作にボタンを押した。

 突然、キャリアの前方が、軽く跳ね上がった。アタシは咄嗟にハンドルにしがみ付く。全身を包み込む浮遊感に、軽い悲鳴が上がった。キャリアは僅かな時間宙に浮いた後、地面に着地した。

 プロテアはリモコンをしまうと車体を叩いた。

「リリィが徹夜でハイドロ車に改造したんだ。お前のためだけに」

 ハイドロっていうと、車のサスペンションに手を加えて、車体が跳ねるようにした車のこよね。アタシはハイドロの動きを、マシラの攻撃による衝撃と勘違いしたってワケ? ああ、分かった。だけど――

 一体何のために?

「だっさー!」

 プロテアの背後から、嬉々とした声が上がる。やがて背負った竿とクーラーボックスをガタガタいわせながら、デージーが駆け寄ってきた。デージーはプロテアをタラップから押し退けて、目の前に立つとげらげら笑った。

「アッハッハッハッハ! ばっかでー! 映像相手に怯えまくってるー! あれ? お前ひょっとしておしっこ漏らしちゃったの!? きったなーい! アハ! アハハハハハ!」

 言われて視線を座席に落とす。白い革張りのシートに、黄色い水がはじかれて、水たまりを作っていた。言い返す余裕なんてない。アタシはただ本当だと思った。

 デージーに続いて、サンとパンジーが帰ってくる。サンは興奮して悪罵を連ねるデージーを、そっと背中を撫でる事でなだめた。だがその顔には、ありありと優越感が浮かんでいて、声を押し殺して笑っていた。

「デージー……その辺にしとかないと後が怖いよ……クスクス……」

 パンジーは遠巻きにアタシを眺めて笑っている。パギの寝ションベンを見るような、温かみのある笑みではなかった。今までのアタシが高慢で、見栄っ張りの世間知らずだと言いたげに、徹底的に蔑んでいた。さらに歪んだ口の端からは、汚物を撒き散らしたアタシへの嫌悪すら匂わせていた。

 そういうことかよ。アタシから尊厳を奪おうとしてるんだ。

 でも仕方ないことだって分かるよ。だってそうしないと、自尊心なんて保てないじゃん。アタシたちは誰もが違って当たり前。その違いで争いが生まれて、優劣を決める事になるじゃない。負けたらゴミとして、無かった事にされる。勝てば価値あるものとして、尊厳が生まれるんだ。

 アタシ意外、全部差別しなきゃいけないじゃない。そうしなきゃアタシの尊厳なんて守れないじゃない。お前は違うと否定して、徹底的に卑下して、アタシが正しいって主張しなきゃ、生きていけないのよ。

 もう、どうでもいいや。こうなった以上、これからアタシがしてきたように、差別されるだろう。一度ゴミになったからには、もう抜け出すことは難しい。皆がみんな自分の尊厳を保つために、嘲り、蔑み、罵声を浴びせ、一斉に足蹴にしてくるに違いない。

 アタシは無意識のうちに、落涙していた。何か自分の中で、決定的な何かが壊れたような気がする。多分ナガセが帰ってきても、それは直らないような気がした。

 絶望に視界が暗くなっていき、闇の中を笑い声が反響した。

 誰かが肩を掴んで軽く揺さぶり、アタシの意識を現実へと引き戻した。アタシは虚ろ気な目をあげる。多分、目の前にいるのはプロテアだろうか? 頭がぼんやりしていてよく分からない。ただ分かるのは、目の前にいる誰かは、クスリとも笑っていなかった。

 そいつは何をいおうか戸惑って、俯かせた視線を左右に泳がせている。やがて意をきめたように。軽く息を吐いた。

「俺さ。お前が一人で逃げるだろうから、メッタクソに笑ってやろうと思ってた」

 そいつはアタシの肩を掴む手に、より力を籠めた。

「ごめんな。本当にごめんな。できたらもう一回だけ、俺の事を信じてくれ。次奴らが来たら、ちゃんとあいつらをぶっ殺すからよ……」

 ぴたりと、周囲の笑い声が止んだ。真っ暗だった視界が、ほんの少し明るさを取り戻す。そしておぼろげにだけど、目の前にいる奴の――プロテアの顔が見えてきた。

 真っ直ぐな目、引き締まった口元、そして自責に震える肌。そこにはアタシに対する同情は欠片もなくて、ただ自分の選択を悔やんで視線を伏せていて、なぜかアタシの方が気まずくなってしまった。

「もう帰るか……」

 アタシは視線をそらして、子供のように膝を抱えた。

「荷台に行きな。帰りは俺が運転するよ」

 プロテアがアタシの肩を撫でる。無視して蹲っていると、アタシの膝のしたと、背中に腕が差し入れられる。尿で汚れているのに、いやがる素振りも、躊躇う様子もなかった。そのままプロテアは身体を抱きかかえて、荷台へと連れていき、すみっこの方に降ろした。

 プロテアはふとアタシの折れた手を取る。すぐに手は布で優しく包まれた。

「帰ったら診てもらおうな」

 プロテアが荷台から降りるのと入れ替わりに、サンとデージーが上がってくる。二人の視線を感じる。プロテアに流されて笑いはしないが、嫌な目で見られているのだろうか。確かめるのが怖かった。

 キャリア内に通電音が響き、一度大きく車体が揺れる。そしてヘイヴンに向かって走り出した。

 聞こえてくるのはタイヤが大地をはねつける音と、風切りの音だけ。ヘイヴンで甲一号目標をぶっ殺したことは、異形生命体の繁殖に大打撃を与えたようだ。平和な帰り道だった。

 サンとデージーの視線が外れた気配はない。まだ見られているのだろうか。いい加減ウンザリして、アタシは膝の隙間から顔をあげた。思った通り、遠巻きにこちらを眺めるサンと目があった。彼女は感情を押し殺すように、うっすらと目を細めていた。

「何見てんだよ」

「別に」

 気のない返事だが、視線をそらそうとはしない。腹が立つ。

「そんな目で見るなよ」

「どんな目? 私、どんな目をしている?」

「眼ン玉ほじくり出して見せてやろうか? あ?」

 頭にきて、幼稚に吼えてしまう。でも自分を抑えられない。

 サンはふいっと視線を外す。この時、彼女がまるで死にかけの獣を見るような、この上ない憐れみの表情をするのを見逃さなかった。食ってかかりたいが、アタシには腰を浮かせる気力すらなかった。

「許すよ」

「え?」

 サンの言葉に、デージーが耳を疑う様に聞き返した。

「もう十分笑った。あなたがどんな人かもわかった。だからもういい」

「え? え? サン。嘘でしょ!? 私は許さないよ! 絶対! 私たち何を決めるのも一緒だよね! だから反対! 反対反対!」

 デージーがいきり立ち、取り消すようにサンに迫る。どうやらサンとデージーは方針を共にするよう、約束でもしているらしかった。

「そう? じゃあ今日の勝負の話をしようね」

 サンは意地悪く微笑むと、傍らに置いてあるクーラーボックスを開けた。中には大きな魚が四匹、ぎゅうぎゅうに詰め込まれている。デージーも自分のクーラーボックスを横目に見る。だが勝敗が決している事を分かっているのか、開けようとはしなかった。

「私の勝ちィ……」

 デージーはさぁっと、顔色を青くする。それはすぐに緊張に呼吸を止めることで赤くなっていき、息の限界と共に感情を爆発させた。

「やだよぉ! ナガセの部屋に悪戯なんてヤダよォ! 殺されちゃう! 絶対に殺されちゃうだろ! サンも見たでしょマジギレナガセ! サクラと一緒にズッタズタにされちゃうよ!」

 デージーは考えを改めるようにサンに縋る。サンは取り合わないよう、首を軽く振った。

「ダメだよ。アジリアも言ってるでしょ。『チップをかけ、サイを投げ、結果が出たら、もう取り消しはできない』って。賭けは賭け、負けは負け、落とし前は落とし前だよ」

「だからってこれは――」

「デージーさぁ、ロータスの命令を、ほとんど修理に逃げていたの知ってるよ。大した被害受けてないじゃん」

 真実なのか、デージーが言葉に詰まった。

 そうだっけか? ぼんやりと過去を振り返ろうとしたが、急に憂鬱になってやめた。アタシがしたことは、アタシがされることのリストだ。もう思い出したくもなかった。

「ほざいてろボケども」

 投げやりに叫び、抱えた膝に再び顔を埋める。自分の世界に引きこもる。

「ホラこれだ! やっぱ許さない!」

 デージーが金切り声をあげた。

 サンが嗜めるようにクスクスと鼻を鳴らして笑う。そして独りごとのように、ぼそりと呟いた。

「私ね……ナガセの机から、お仕事の紙を全部燃やせちゃったら、どんなに気楽な明日が来るのかなって、ずっと思ってたの……」

 デージーが唸り声をあげる。歯を食いしばったまま、咽喉から声にならない声を絞り出しているのだろうか。首を締められた人間の断末魔に、よく似ていた。やがて声が途切れるとともに、キャリアの床が殴りつけられた。

「くそがぁぁぁ! 許せばいいんだろォがぁぁぁ!」

 デージーは泣き叫ぶと、それっきりぐずるだけで黙り込んでしまった。

 荷台はしんと静まり返る。聞こえてくるのは、銃座から吹き込む風切りの音、タイヤ巻き上げる砂塵の音、そして運転席銃座から聞こえてくる、パンジーの調子の外れた鼻歌だけとなった。

「本気でね……」

 サンは誰にも聞かれていないと思ったのか、ポツリとこぼした。

 あいつから仕事を取り上げるのか。そうしたらあいつはキレるだろうな。

 ああ、だから燃やせないのか。あいつにとって仕事は、生き甲斐みたいなもんだから。変な奴だ。糞みたいな仕事を好んでやっているなんて。きっとあいつはここに来る前も、仕事に明け暮れていたに違いない。

 あいつって、仕事以外で何かしたことあるっけ? そういや見たことないな。皆は手芸だのおしゃれだの、釣りだの料理だの狩りだの泳ぐだの探検だの機械だの好きなことがある。

 あいつは――あいつは――

 アタシの過去を思い起こそうとした時とは異なり、ナガセの描いた血の軌跡は、するりと出てきた。

 要塞を作り、銃の撃ち方を教え、軍隊を組織し、敵を蹴散らして、内陸へ、ひたすら内陸へ。

 サクラやアカシア、プロテアにホレてられていようが、気にした様子もない。

 アジリアやローズ、パギに嫌われようが、気にかけた様子もない。

 アタシたちに見えない何かを見ている。あいつしか知らない何かを求めている。

 思うに、あいつは自分が経験した過去を、忘れられないのだ。ここにそれがないから、探しているのだ。そして自分の過去しか知らないから、ひたすら繰り返すのだろう。

 乾いた笑いが漏れる。

 きっと――戦いたくて仕方がないのだろう。戦うっていうのは、負けるとこんなに惨めな思いをする、とても恐ろしいことなのに。それを求めるなんて、やっぱりあいつはおかしい。

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