萌芽‐2
俺が採集を終えてドームポリスに戻ると、女たちが一斉に出迎えた。
サクラは純粋に俺の帰還を喜んでいる。はたきを放り出して、俺の名を叫びながら駐機所に駆け寄って来る。しかし他の女たちは俺の持ってきた、植物や果物の方が目的のようだ。人攻機の尻の方に集まり、俺が中を開けるのを待っていた。アジリアはというと、俺が入ってきた時、倉庫から出る後姿がちらと見えただけだった。
俺が躯体から降りる。抱き付こうとするサクラを軽くいなし、頭を撫でて落ち着かせる。
「いつものを頼む」
「あ~い」
サクラがコクピットに上っていく。何か特別な手伝いをしたいと言うので、簡単な整備――というよりコンディションのチェックを任せている。いずれ人攻機に乗せるのだから、いい経験になるだろう。
俺は躯体の後ろに回り、ボックスを開けた。
女たちが騒めいた。ボックスの中には例の赤い果実や黄色の果実――俺は面倒なので、赤いのはリンゴ、黄色いのはレモンと呼ぶことにした――の他にも、緑色の果実や、棒状の野菜、見た事のない山菜が詰まっている。
今日は少し遠出をし、狩場を探しながら採集をした。サクラが教えてくれた狩場からは、最早水しかとることが出来ない。機動要塞のバイオプラントでは、次から次に食物が採集できたが、全く同じとはいかないようだ。
それに最近気になることがあるのだが、森全体が萎れてきたような気がする。感覚でしかないが、少しずつ活気が損なわれてきている様な気がするのだ。何かよからぬことの前触れでなければいいが。
俺の気持ちを余所に、女たちは勝手に盛り上がり始める。
「くだものたくさん! わ~い!」
「そっちのは! みたことないの! おいしそ~!」
俺は勝手に果物を取ろうとする手を払いのけると、それらをバスケットの中に入れてキッチンに運んだ。
キッチンでは黒長髪が唸り声を上げながら、中華鍋を見つめていた。
「ピオニー。新しい食料だ。管理を頼む――どうした?」
黒長髪――もといピオニーは、アジア系の長身長髪の女性である。すらりとした体躯をしているが、ローズと違いふくよかで、母性を感じさせる女性だった。ピオニーはリリィと仲がいいらしく、彼女を助けてから俺を信頼してくれている。そこで食物の管理をある程度任せることにした。
彼女は俺が女たちを引き連れて入って来ると、顔を上げた。
「おかえりナガセ。いまね~このおなべみてたんだけど、なんかひっかかるんだよ~」
ピオニーは中華鍋を裏返すと、お玉で底を叩いて、楽器のように鳴らした。
「何か思い出せそうなのか?」
「ん? ぜんぜん。でもむずむずする」
そう言えば、記憶が無い理由も以前わからないままだった。しかしこの様子だと、なにも経験しないままここにいたわけではなさそうだ。何らかの理由で忘れてしまったのだろう。そこにきっと、このドームポリスの秘密もあるに違いない。
しかし中華鍋か。
「中国人なのかねぇ?」
「チューゴクジン?」
ピオニーが興味深げに顔を寄せた。俺は慌てて口をつぐんだ。
「まァ気にしなくていい。ここはユートピア。人々が国家や人種のしがらみから解放してくれる場所だから。二度と過ちを犯さぬように、手を取り合って生きていくところだからな」
俺は笑うと、今まで女達が食べたことのある食物だけを、ピオニーに渡した。
「あ……ナガセ……そっちにもたくさんあるけど……」
ピオニーが困惑したように、手元のバスケットを指す。中には果物が少々とたくさんの山菜が入っている。しかしこれは食えるものかどうかわからない。
「これは駄目だ。危ないかもしれない」
『え~!』
俺の後ろから一斉に非難御声が上がった。
「それだけあればおなかいっぱいになれるよ!」「そ~だよ! それもみんなでたべようよ!」
「ナガセいったよね! みんなでものをわけるって! それもわけようよ!」
俺は喚きだす女たちを、溜息をつきながら振り返った。
「俺のことはいい。それよりお前たち、食後の運動はしたのか? それにちゃんと持ち場があるだろう? 掃除は? 釣りは? 物を探すのはどうした?」
「ナガセだってしてないじゃん!」
ローズが俺に指差して、大声を上げた。女たちが同意に首を激しく振った。
「俺にそんな暇はない。俺が出来ることで、やることがたくさんある。だからお前たちにも自分が出来ることをして欲しい」
「なんでそんなことするひつようがあるのさ! ナガセはきょじんにのってごはんをとってこれるんでしょ! だったらそれでいいじゃん!」
リリィが続ける。それに勇気をもらったか、プロテアも声を上げた。
「そ~だよ! ナガセつよいんだからさ! わたしたちよわいんだからしかたないよ! できるひとができることをすればそれでしあわせだよ!」
『そ~だ! そ~だ!』
女たちが一斉に喚きだす。そして俺の手から山菜の入ったバスケットを奪い取ろうとした。俺はバスケットを彼女たちの手の届かない場所まで持ち上げる。女たちはそれでも俺からバスケットをもぎ取ろうと、周りで飛び跳ねはじめる。
俺はやれやれとかぶりを振る。アジリアやサクラと一緒に作業していたはずだが、そこから何も学べなかったようだな。こういうのは難しい。付きっきりで見てやることが出来ればいいが、そんな暇もない。
俺は教え子にはどうしていたか、思い出すことにした。だがすぐ止めた。存亡の危機の中に生きていた子供たちだ。聞き訳が良く、従順で、自我などなかった。それに、こんなに生き生きとしてはいなかった。
時間はないが、気長に分かってもらうしかない。
俺がキッチンを出ようとすると、ピオニーが俺を引き留めた。
「ナガセ。みんなのいうとおりだよ。ナガセはつよいんだから。だからちゃんとたたかえないひとのためにたたかわないと」
俺はちょっと心から溢れた虚しさに、深く息をついた。そしてつい我慢できず、小声で言ってしまった。
「俺だって弱いんだ」
俺はハッとした。いつの間にか声が震えて、恐怖に冷や汗を浮かべていたからだ。これではいかん。
俺は女たちに見切りをつけて、自分の部屋に戻ることにした。相も変わらず女たちは俺の後ろについてくる。
「それとナガセ! びりびりやめてよ! あれいたいんだよ!」
「ちゃんとやることをやっていれば、ビリビリしないだろ」
「だからなんでやるひつようがあるんだよ! ナガセつよいんだからそれぐらいいいだろ!」
「とにかく、ここでお喋りを続ける奴は、ビリビリしなきゃな」
俺は足を止めて、女たちを刺すような眼つきで見た。
女たちは言葉を詰まらせると、すごすごと退散していった。
*
その日の夜のご飯は、果物と焼いた魚、少しの鶏肉だった。このお家には、みんなが入れるほどの大きな部屋があって、ご飯はそこで食べることになっている。私たちはそこに集まって、ピオニーとナガセがお皿を運んでくるのをじっと待っていた。
「これだけ~!?」
私の隣でデージーが不満の声を上げた。そして私の皿を覗き込んできて、ナガセが贔屓してないか確認している。私の魚は他の子たちの魚よりちょっとおっきかった。
「サクラのちょっとおおいぞ! ずるい!」
「おああ! ピオニーのさかなもおっきいぞ!」
すぐにデージーが私の魚を指して席を立った。ピオニーの皿を覗き込んだローズがその後に続く。ナガセは全く動ぜずに言い返した。
「ずるいも糞もあるか。サクラはちゃんと仕事をしたから色を付けた。お前らには最低限の食事を与えている」
「じゃあアジリアはなんでだよ! ナガセのいうことぜんぜんきかないのに!」
今度はプロテアが立ち上がった。彼女はご飯の乗ったトレイを手に、部屋を出て行こうとするアジリアに向かって言う。アジリアの魚は私のよりおっきかった。鶏肉も一個多かった。私はちょっと不満だった。私はナガセのいうことちゃんと聞いてるのに、そんな私よりもアジリアが可愛がられているのは腹が立った。
「お前らにできない仕事をしているからだ」
ナガセはこのドームポリスにあった、光る板を指で叩きながら淡々と言った。その板はけいたいたんまつとか、さぎょうようでばいすとか、説明してくれたけど、私には意味が分からなかった。
「じゃあそのしごとをするからもっとくれよ!」
リリィが串に刺さった小さい魚を振り回す。
「今できることもまともにやらないで何ほざいてんだか」
ナガセはちょっと怖い声で言った。何というか、化け物に向かって言うような口調だった。多分怒っていた。それはリリィにも伝わったんだと思う。
「びりびりはやめろよ!」
彼女はすぐに席に座った。
ナガセは全員がいただきますをしたのを聞くと、光る板に目を落としたまま部屋を出て行こうとする。
「あれ? ナガセのは? ごはんたべないの?」
私はナガセが手ぶらで出ていくのに気付いて聞いた。
「俺のは別にある。お前たち、それを食ったら、食器を洗い、掃除をして寝るんだ。いいな」
ナガセはそれだけ言うと、私たちの返事を待たずに部屋を出ていった。
「ナガセはひとりじめしてるんだよ。あたらしいごはん。ナガセがへやにもってはいってた。だからいらないんだ」
私の隣でデージーが果物をかじりながら呟いた。
「ナガセはそんなことしないよ。きっとあんぜんかたしかめてるんだよ」
私は魚を食べながらそれを否定する。
「だったらナガセ、ちをどばーとはいてしんでるよ。あんぜんだとわかっていているんだ」
「それは……」
私が口をつぐむと、サンが頷いて同意して見せる。サンは雪の様な肌をした女の人で、珍しい蒼色の髪を持っていた。
「ナガセはずるいよね。つよいのにひとりじめしてさ。それにわたしたちにしごとさせなくてもいいのに。ナガセがつよいぶん、ナガセががんばるべきだ」
『そ~だそ~だ。ナガセはなまけている!』
全員が同じ意見に声を揃える中、私は気まずそうに魚の骨を噛んだ。
「ナガセからごはんをとりもどそう!」
ローズが果物を掲げて私たちに呼びかけた。私以外の子は皆立ち上がり、みんな食べかけの果物や、串やらを持ち上げて、それに賛成する。
一人座っている私に気付いたデージーは、私の腕を引っ張って立たせようとした。
「サクラもいやだろ! ナガセがひとりじめするの」
「わたしがいやなのは、ナガセがアジリアをひいきすることかな……」
「だったらナガセにわからせればいい」
「でもナガセにかてないよ」
私が言うと、その場が静まり返った。皆が頭を抱え、良い考えを捻りだそうと考え始める。やがてリリィが手の平を打った。
「じゃあアジリアにたのもうよ!」
「え~。でもあいつナガセよりよわいんじゃん」
すぐにプロテアが嫌そうな顔をする。しかしローズはその案に賛成のようだ。
「わからせればいいんだから。アジリアはナガセにきにいられているから。だからたくさんごはんもらえているんだよ。アジリアがいえばきっときいてくれるよ」
私はその話を聞きながら、きゅうっと唇を噛みしめた。よくわかんないけど、胸がすごく痛かった。
アジリアは倉庫の二階にいた。そこは倉庫を取り巻く形で内壁に設置された廊下で、彼女は魚をつつきながら、倉庫で作業をするナガセを遠巻きに眺めていた。ナガセは何をしているのかは分からない。ただ弾がたくさん出るでっかい銃を、一心不乱に組み立てていた。
アジリアは私たちが集団で歩いてくると、とても嫌そうな顔をしてトレイを持って立ち上がった。慌ててローズがアジリアを呼び止めた。
「ちょっとまってよ! はなしをきいてよ」
アジリアは軽く鼻で息を吐くと足を止める。そして私たちと向かい合った。
「ねぇ。アジリア。ナガセにいってよ。ごはんみんなでわけて、びりびりはやめて、しごとさせるのをやめるようにって」
最初アジリアは何を言われたのか理解できなかったらしく、目を白黒させて後退った。
「なんでわたしが?」
「ナガセがきにいっているから」
その言葉を聞いて、アジリアは噴き出した。それだけでは収まらず、腹を抱えだし、倉庫に響き渡るような大声で笑った。倉庫で作業しているナガセがこちらに気付いて顔を上げた。私はナガセにばれるのが怖くて、女の子たちの中に身体を潜めて、見つからないようにした。
突然笑い出したアジリアに、女の子たちは不愉快そうに口をいの字に広げる。アジリアは笑いすぎて、目に浮かんだ涙を指で拭った。
「おまえら。ナガセがきてからいっそうばかになったな。ふしぎだ」
ローズは肩を怒らせて、アジリアに掴みかかろうとする。同時にプロテアも動き出した。ローズとプロテアはその時動きを止めて、お互いの顔を見合わせた。そして強気な笑みを浮かべつつ、アジリアににじり寄っていった。
「いいか。こっちはたくさんいるんだぞ」
「かずくらいかぞえろばか」
アジリアは呆れたように言う。そして虚空に向かって呼びかけた。
「あいあんわんど」
私たちは固まった。それはナガセのみが発することを許された、魔法の言葉だからだ。そして驚くべき返答が帰ってきた。
『マム。ご命令をどうぞ』
あの声が天から降りそそいできたのだ。
「こいつらはぼうとだ。ちんあつしろ」
私たちは息を飲んだ。すでに何人か脱兎のごとく逃げだしてる。私は動けなかった、というより動かなかった。知りたかったのだ。ナガセはアジリアをどこまで贔屓しているのか。
『マム。サーに許可を求めます』
天からの声はそう言う。
「最低レベルのみ許可する」
ナガセはそれだけ言うと、私たちから目を離した。
『マム。許可が下りました。レベル一までで執行可能です』
「やれ」
アジリアは冷たく言い放った。
『マム。イエスマム』
私の背中からお尻にかけて衝撃が走った。私は激痛に身を捩じらせ、その場に這いつくばる。他の女の子たちも、絶叫しながらもんどりうって倒れた。
アジリアは地面に倒れ伏す私たちを跨いで、悠々とその場から離れていった。
去り際に彼女は、振り返った。
「わたしはべつにつよくなってはいない。ただつかえるようになっただけだ。あいつもそうだ」
そしてにやりと笑った。
「いずれかてる」
残された私たちは、激痛にのたうちまわっていた。それが治まると、誰もが悔しそうに歯ぎしりをし、地団太を踏んだ。そして天を見上げて、皆が叫んだ。
「あいあんわんど?」「あいあんわんど!?」「むしするなあいあんわんど! いうこときけ!」
だが返事は帰ってこない。私も試しに呼んでみる。
「あいあんわんど……」
同じだ。返事は帰ってこない。私は今まで感じた事のない痛みに心を貫かれた。そしてアジリアに対して、とてもむかむかした。
「むししないでよナガセ……」
私は作業を続けるナガセを見ながら、ぽつりと呟いた。
その日の夜。私たちはキッチンの対面にある部屋の中で、息を殺してじっと待っていた。僅かに開いたドアの隙間から外を見張っている。そして誰もが一番乗りできるように、その小さな隙間に十人くらいが身を寄せ合っていた。
他の子は寝た。ナガセが怖いのと、ナガセの配る食料で満足しているからだった。
「きっとこっそりりょうりするはずだ。そこをみつければきっとわけてもらえる」
プロテアは自信たっぷりに言うと胸を張る。私はこくりと頷き返すが、プロテアは心配そうに私の肩を叩いた。
「どうした? げんきないぞ? おなかすいたか。それともよわいのにまけたか?」
「べつに」
「よわいのだったらわたしにちかよるなよ! うつるから!」
ローズが私を軽く突き飛ばす。私はむっとしてローズの手を叩いた。
「いたい! なにすんだよ!」
「なんでそれぐらいでおこるんだよ!」
だってナガセはアジリアに魔法を使わせたのに、私には使わせてくれなかった。私はいう事聞いて頑張っているのに。すごいむかむかする。ナガセに対してじゃない。アジリアに対してむかむかする。
「うるさい! ナガセが……ナガセが……」
私はライフスキンを引っ掻いて、この言いようのしれない気持ちを処理しようとした。
「ナガセきた!」
プロテアが小声で叫んだ。皆がドアの隙間に集まる。見るとナガセが山菜のたくさん入ったバスケットを片手に、キッチンに入って行くところだった。
リリィが部屋から飛び出そうとするが、ピオニーがそれを止めた。
「まだ。りょうりしてから、じゃないとれーぞーこにいれてにげられちゃうから」
私たちはナガセの行動に注目する。ナガセは浮かない顔をして、キッチンの床に腰を下ろすと、バスケットから植物を一つ取り出した。
「りょうりするのかな……?」
「でもおかしいよ。ほーちょーもなべもないよ」
ナガセはまず、チョーカーを外してライフスキンを脱いだ。上半身裸になり、右手首に巻きつけた包帯をはがし始める。私は少し心配になった。ナガセ怪我したのかな?
だがどうやら違うようだった。ナガセが包帯を解くと、はらりと植物の葉が落ちた。どうやら包帯で葉っぱを手首に押し付けていたらしい。一体なんのためにそんな事をしているのだろう。
その疑問はナガセが左手首の包帯を解いたときに明らかになった。ナガセが左手の包帯を解くと、またもや葉っぱがポロリと落ちる。そしてその下からは赤く腫れた皮膚が露わになった。
私の脇で、ローズがウっと悲鳴を上げた。
「あ~……何かチクっとしたと思ったんだよな……これは触れてはいけない奴か」
ナガセは溜息をつくと、光る板に何かを書きこみ、危ない葉っぱを脇に除けた。ナガセはそれが終わると、安全な方の葉っぱを取り上げ、よく洗ってからナイフで刻み始める。そしてそれを唇の上に乗せて、しばらくじっとしていた。
「たべないのかな?」
私たちが見守っていると、ナガセはようやくそれを口の中に入れた。そして噛まずにそのまましばらく待った。さっきより長い時間をかけていた。それが終わると噛み始める。だがすぐにナガセは顔をしかめた。唾と一緒に葉っぱを吐きだし、水道に取りつくと素早く口をゆすいだ。そして光る板に何かを書きこみはじめた。
「げっ!」
プロテアが短い悲鳴を上げる。ナガセの吐いた唾には赤いものが混じっていたのだ。
「爛れた口に染みる……何だこの植物は?」
ナガセは水の滴る口を拭いながらそうぼやいた。そして次の植物に手を伸ばす。
『サー。サーの勤務時間は、三十時間を超えています。休息をお勧めします。食事も碌にとっておりません』
天からあの声が聞こえた。ナガセは最初それに気づかなかった。声のする部屋から対面の場所にいる私たちすら気付いたのにだ。あいあんわんどはもう一回ナガセに呼び掛ける。ようやくナガセは空を仰いだ。
「じゃあ代わりに可食性テストをやってくれ。これが済むまで飯を食う訳にもいかん」
『サー。申し訳ございません。私には簡単な検査装置しかありません。サー。判断力が低下しているようです。御自愛下さい』
ナガセはそこで体の力を抜いて、表情を和らげた。
「悲しいねぇ。心配してくれるのが人工知能のお前だけとはな」
『サー。恐れ入ります。睡眠をとられてはいかがでしょうか?』
ナガセはじっと手元の新しい植物を見つめていた。そしてふっと笑った。私には何が面白くて笑ったのかは分からなかった。
「アイアンワンド。十四人だ。十四人の命が俺の肩にかかっているんだ」
『サー。しかしサーの仕事率は、生存者全員を生かすのには足りません』
「罰を増やせと? それとも生かす奴を選べと?」
『サー。それは質問でしょうか?』
ナガセは天を睨み付けた。まるであいあんわんどが、何か隠しごとをしているのを咎めているようだった。おかしなナガセだ。あいあんわんどは、良く分からないけど、ただナガセが足りないと言っただけなのだ。それに対して、罰を増やすとか生かす人を選ぶとか言ってるのはナガセ自身なのだ。
私はナガセがまるでもう一人の自分と話しているように見えた。
「アイアンワンド。ここはユートピアだ。ここにあるのは自由と公平と平和だ。俺が暴力を振るい独裁することは簡単だが、それでは意味がない。せっかく生き残ったんだ。思うがままに彼女たちを生きさせたい。出来る範囲でな。罰はおイタをしたときにしか使わん。俺も癇癪に気を付ける」
ナガセは別の植物をナイフで刻んで、唇に乗せた。それを口に含み、噛みしめる。そして嬉しそうに手の甲で口を拭った。
「これは大丈夫そうだ」
その言葉を聞いても、誰も部屋を飛び出そうとはしなかった。そしてナガセに食べ物を貰おうとしなかった。
「ナガセ食えばいいのに……」「ナガセつよいのにくたくた……くたくた……」「ナガセ。じぶんにわけてない」「はやくたべればいのに」
皆じっとナガセが植物を食べるのを期待していた。そうすれば、強いナガセが弱い私たちに、余った果物を与えていることになるから。それならずっとこのままでいられるから。
だけどナガセはその植物を、また選り分けた。そして危ない植物を捨てると、バスケットを抱えて立ち上がった。
「このまま八時間か……」
『サー。八時間の経過を待ち、異常がなければカップの四分の一杯を食して下さい。それで八時間の経過の後、異常がなければその植物は安全です』
「八時間後が待ち遠しいよ」
ナガセはそう言って流し台から水を飲んだ。彼はそこで苦笑する。私たちが食べた食器が、そのまま片付けてなかったからだ。
「洗っておけと……言ったんだがな……ここまで苦労するなら嫁が欲しい……そしたらまだ可愛げが出て来る」
『サー。慰安用ガイノイドを御用意下されば、ある程度のご要望にお応えできますが?』
「冗談だ。まともにとるな」
ナガセは食器を洗い始める。いきなりナガセはふらついた。皿が床に転がり、スポンジが水溜に浮いた。彼は流し台の縁につかまって倒れまいとする。だが、足から力が抜けて、流し台に寄り掛かるようにして倒れた。
『サー?』
「やかましい! 眩暈がしただけだ!」
ナガセはそう吠えると、薬を懐から取り出して口に放り込んだ。
「あれ……よわいのやっつけるくすり?」「なんで? ナガセつよいのに」「ナガセよわくなってる?」「ナガセ……ナガセもよわいの……?」
私たちは部屋から出て、キッチンへと近づいていく。純粋にナガセが心配だった。
だがその想いを切り裂くように、あいあんわんどが声を上げた。
『サー。森から侵入者を確認。猿型四。ムカデ型三。肉袋型六です。サー。作業効率化のために対象にコードをつけることをお勧めします』
ナガセは素早く立ち上がると、注射器を取り出して腕に何かを注入した。そしてライフスキンをまとい直した。
「呼び名なんざ後で考えるさ。今洒落なんか考えつくほど冴えていないんでな。それに情報を共有する奴なんざここにいない。俺は独りだ」
ナガセがキッチンから飛び出したところを、私たちとバッタリ鉢合わせてしまった。ナガセは最初とても驚いた。近くにいたリリィを羽交い絞めにして盾にする。そして拳銃を抜いて私たちに向けた。
「のわぁぁぁぁぁああ!」
リリィが悲鳴を上げて、ナガセの手の中を暴れた。そこでナガセも私たちだという事に気付いた。ナガセは本当に弱っていた。考える余裕がないほどに。
ナガセは気まずそうにリリィを解放すると、親指で私たちが寝る部屋の方を指さした。
「何をしている。さっさと寝て明日に備えろ」
私たちは全員俯いて、何も答えることが出来なかった。このまま寝てしまう事はできない。ナガセは寝ることすらできないからだ。それなのに私たちだけが寝るのは気が引けた。皆何かしたかった。
「ナガセ……あの……」
私は何か手伝えることはないか、ナガセに聞こうとした。だがナガセは、私ののばした手を振り払い、身体を突き飛ばした。
「邪魔だ! どけ!」
ナガセは廊下に倒れ伏した私を残して、走っていく。
私たちは、しばらくその場で動かなかった。キッチンにはナガセが忘れていった、食物の入ったバスケットがある。だけどそれを食べたいとはもう思えなかった。
やがて私は立ち上がると、倉庫へと向かった。私の後をぞろぞろと女の子たちがついてくる。
倉庫の扉は開かれており、巨人の数が一体減っている。そして草原では、化け物たちと戦う巨人の姿があった。
巨人は銃を撃って、猿を二匹仕留めた。そしてムカデを踏みにじりながら銃を一旦離し、腰に吊った鎖を振り回した。鎖は蛇のように波打ち、肉袋を打ち付ける。肉袋は体液をまき散らして死んだ。鎖は肉袋の体液に触れても、溶けることはなかった。巨人はそうして三匹の肉袋を潰し、鎖を投げ捨てた。地面からは肉袋が二匹、空中からは猿が飛び掛かって来たのだ。
「やられちゃうよ!」
「たすけなきゃ……」
「でもなにもできないよ……」
私たちが騒ぐ中、巨人は離した銃を拾い上げ、猿の頭を吹き飛ばした。そして落下する猿の腕を引っ掴むと、それを振り回して地面の肉袋を叩き潰す。最後に巨人は痙攣する猿の背中に弾を撃ち込み、止めを刺した。
巨人は化け物たちを始末すると、その死体を引きずって、森の方へと歩いていった。
「ナガセ……ナガセもよわいんだ……たすけなきゃ」
私はその後姿を見送りながら、ぽつりとこぼした。
森から銃声が聞こえる。ナガセが命懸けで戦っている。私は……私たちは……何ができるのだろう。何もできない。巨人を動かして、助けに行くことはできない。ただ、ここにいることしかできない。
できることと言えば――
「わたし……しょっきあらってからねる……」
プロテアが小走りでドームポリスの中に戻っていった。
「わたしきょうまかされたそうじしなきゃ……」
ローズが倉庫の道具入れから箒と塵取りを出した。
「かくしてあるごはんだしてくる」
リリィが海側の見張り台に向かった。
他の女たちも自分の意思でてきぱきと動き出す。私も箒を握ると、ドームポリスの部屋の中に戻っていった。
俺は一仕事終えて、ドームポリスに戻った。森の化け物どもに死体を与えて、ドームポリス側へ来れないように、木を幾つか倒しておいた。気休め程度にしかならないが、無いよりはましだ。
「二度と使いたくないものだな。薬は己を失わせる」
俺は向精神剤の空の容器を、苦々しく真っ二つにへし折ると、倉庫内のダストボックスに投げ捨てた。
『サー。睡眠をとられては?』
「そうする。もうすぐ薬も切れる。森から何かが来たら、鎮圧用の端末を使って俺を起こせ。起きるまで鎮圧レベルを上げ続けろ」
『サー。イエッサー』
ベッドに戻るのも億劫だ。俺は倉庫の壁に寄り掛かると、そのまま力を抜いた。薬が切れて、意識を保つのも困難になる。泥沼に沈んでいくように、俺の意識は身体から抜けていった。
ふと目に眩しい物を感じて、俺は目を覚ました。倉庫の日光取り込み口から差し込む陽光が、俺の眼に当たっている。どうやら朝まで眠ることが出来たらしい。
「ヤクの副作用で寝た気がしねェ……」
俺は目を擦りながら、のそりと起き上がる。未だ惰眠を貪ろうとする脳を、頬を引っぱたくことで無理やり目覚めさせた。
女たちに朝食を与えなければ。脚を引きずりながらキッチンに向かおうとする。
思い出した。そう言えばバスケットを置きっぱなしだ。女たちが食べたら大変なことになる。俺は足をもつれさせながらキッチンに駆け込んだ。
「ナガセ。おはよう」
キッチンではピオニーが、戸棚に何かをしまっている。まずい。遅かったか?
「ピオニー! このバスケットの食べ物は――」
「たべてないよ~。だいじょうぶ~」
俺はほっと息をついた。自分でもバスケットを確認して見るが、手を付けた痕跡もない。しかしあのがっついた女たちがよく我慢する気になったものだ。俺は気になってピオニーに聞いた。
「すまん。部屋から戻ったら食事にしよう。皆はどうした? お腹空いたって喚いていただろ?」
「みんなしごとしてるよ~」
「は?」
どういう事だ? あれだけ仕事をするのを嫌がっていただろう。それが一体どうして、仕事に励んでいるのだろうか? 俺は改めてピオニーが片付けているものを見直す。それはドームポリスの備品であろう、非常食のパックだった。
「お前……それどうした? 食い物だぞ?」
ピオニーは戸棚に入れていたビスケットの包みを、俺の目の前に差し出した。
「うん。リリィがみつけた。みんなのもの。だからかたづけてる」
当たり前のように言う彼女に、俺は酷く困惑した。いや、だから今までのお前らだったら、包みを破いて食っているだろう?
「そ……それはいい事だ……いい事だ……何か変なものでも食ったか?」
俺は納得がいかず、ついそんな事を口走ってしまった。ピオニーが地団太を踏んで怒り出す。
「ナガセひどい! わたしたちバスケットにはてをだしていない! しんじないの!?」
「す……すまん。悪かった。じゃあちょっと待っててくれ」
俺は頬を膨らませるピオニーをキッチンに残し、バスケットを片手に自室を目指した。途中女たちと何度もすれ違う。彼女たちは箒を片手に走り回り、鼠を追いかけ回し、廊下に物資を運び出していた。
ローズが俺の元に走り寄って来る。彼女は蜘蛛の巣まみれになりながら、自分の腹をさすった。
「ナガセ。おなかすいた! しごとしたからおなかすいた!」
「分かった今飯にする――それはどうした?」
俺はローズが元いた場所に積み上げられた物資を、遠巻きに見ながら聞いた。その物資はパッケージの色や、大きさ、形などに分類されて置かれている。後の確認作業が楽になりそうだ。
「サクラががんばった。だけどわたしのほうががんばった。ごはんたくさんくれ」
俺はローズに適当に頷き返しながら、サクラの姿を探した。彼女は皆が集める物資を整理しながら、まとめる仕事をしていた。彼女は俺に気付くと、笑いながら手を振ってきた。
俺はぼんやりと手を振り返す。そして彼女の働きっぷりをしばらく眺めた。サクラは女たちに、自分が仕事をしやすいように、あれこれ指示を出しているようだ。しかし女たちはあまり細かい事に気にした様子ではない。
彼女の統率力はアジリアよりは低い。経験のなさと、強制力のなさが原因だろう。だが、自ら進んで分別という仕事を始め、その効率化のために指示を出したとすれば、それはかなりの進歩である。
ゆくゆくはアジリアの補佐役になってもらいたいものだ。
俺は自室に戻り、バスケットを床に置いた。窓の外から声が聞こえる。俺は窓を開けて外を覗き込んだ。
「つれろよー! きのうあんなにつれたじゃんかよー! なんできょうはくいつかないんだよー! ふざけんなよー!」
海側の見張り台で、デージーが竿を振り回して喚いていた。彼女は喰い付きの悪い竿を戒めるように、海面に何度も打ち付けている。あいつ意外と短気なんだな。
「デージー。竿を垂らして気長に、落ち着いて、ゆったりと待て。それじゃ魚は喰い付かん」
俺が声をかけると、デージーは涙目になりながら、竿を持ち直した。
「だけど~! やることやってるのに~! ごはんふえない~!」
「立派に仕事している。ちゃんとお前の分は増やすぞ」
「ほんとかぁ! ナガセ!」
そこでデージーの竿が大きく引いた。デージーは満面の笑みを浮かべながら、竿を大きく引く。どうやら大物のようだ。一緒に釣りをしていたサンが、自分の竿を投げ捨てて、彼女の補佐に回った。
二人いれば大丈夫だろう。俺は彼女たちから目を離し、そっと窓を閉めた。
「女は……分からん……」
部屋を後にする俺の耳に、デージーとサンが、濡れる何かを引きずって、ドームポリス内に駆け込む音が聞こえた。