釣果隊 東へ行く その4
アタシは鈍い足取りでキャリアに戻った。その銃座ではパンジーが警戒をしつつ、アタシの方へしきりに視線を投げかけている。どうやらアタシと交代で、パンジーが休憩を貰えるようだ。代わりにプロテアが銃座に上がるようで、彼女はキャリアの車体に背中を預けて、アタシを待ちつつ煙草をふかしていた。
ということは、またアタシが運転席で待機か。ヤだなァ……アタシの丸いぷりぷりおけつが潰れちまうじゃないのよ。それに正直もうちょっと遊んでいたい。アタシはキャリアから離れた場所で足を止めると、気だるげに両肩を落として疲れをアピールした。
「ねェ。アタシさ、ここまで運転してきてあげたのよん? もう少し遊ばせても罰は当たらないんじゃないの?」
「お前がヘイヴンで馬鹿な真似をしなかったらよ、愛する仲間の為に多少はワガママを許してやってもよかったんだがな」
プロテアは吸いかけの煙草を投げ捨てると、早く来いと言わんばかりに手招きをした。
アタシは聞こえるように大きく舌打ちする。そして地面に唾を吐き捨てて、せめての抵抗にキャリアまでの歩みをいっそう鈍いものにした。
数分かけてキャリアにつくと、パンジーが待ちきれないように銃座から飛び降りる。彼女はナガセがいないのをいいことに、作業着を下着ごと脱ぎ捨てて真っ裸になった。そしてアタシに嫌味をいうことすらせず、潰れた咽喉で歓声をあげながら海へと走っていった。
おやおや。パンジーも随分と鬱憤を貯めこんでいたようで。根暗なアイツが活発にはしゃいでいるところを見るとなんか腹立つ。アタシはパンジーを見送りながら、自分の頭を指でコツコツと叩くジェスチャーをした。
「あいつイッちゃったんじゃないの? ねープロテア?」
プロテアはパンジーと入れ替わりに銃座に腰を据える。そしてリングマウントに取り付けられた機関銃を弄りながら苦笑した。
「人のこと言えないだろお前。うわぁぁぁって叫んでただろ」
アタシは恥で顔が熱くなるのを感じた。いちいち見てんじゃねーよクソが。うるせー。
小声で悪態をつきながら運転席に腰を掛ける。助手席にはアタシが脱ぎ捨てたライフスキンが置いてある。誰かが畳んでくれたようだ。アタシは身体に潤滑油を塗りたくり、さっとライフスキンに袖をとおした。それからすっかり慣れた手つきで、監視装置を兼ねるチョーカーを首に締めた。
アタシはハッとした。自分で何の抵抗もなく首輪をつけるだなんて。ちくしょう~。すっかり奴隷生活が板について来ちゃったじゃないのよ~。こんなはずじゃないのに~(サクラのマネ)。しかも昔は滅茶苦茶ムカついて物に当たっていたのに、今じゃそんなに怒りもわいてこない。こりゃ重症だわ。
アタシはやや焦りながら、親指の爪を噛んだ。このままだとヤバい。アタシが名実ともに最下層に落ちてしまう。それだけは絶対ダメだ。それだけは避けなければならない。アタシはゴミじゃない。アタシはゴミじゃないんだ! 殺しであぶく銭を稼いで、犯される毎日に戻りたくないのよ!
どうしたらアタシはゴミじゃなくなる? 簡単よ。アタシより『下』。一匹でもいいから『下』がいるだけでいいのよ。そうすればアタシはゴミじゃなくなるんだ。
でもアタシに何ができるのよ。監視下の今はとにかく弱い立場だし、もう一度反逆したら殺されちゃう。ナガセはまだ帰って来ないし、許されたか聞いてくるに決まってる。
他に何か道は――顎に手を当てて、首をひねる。そして妙案が浮かんだ。
そうだわ。こうなったら自分より弱い奴を、徹底的に苛め抜くしかないわね。アタシの脳裏に、赤髪で小柄な女の顔が想起される。
リリィ。一度思い知らせてやった、アタシよりも劣っている事を熟知している雌豚だ。
アタシは両の手をすり合わせてニンマリとほくそ笑んだ。帰ったらみっちり上下関係を分からせてあげなきゃ♪ 燻る嗜虐心に、期待が膨らんでいった。
ヘイヴンに戻ってから、リリィをどう調教してやろうかねぇ。縛り付けて足の裏をくすぐり続けるのもいいし、いつぞやみたいに配管に押し込めてやってもいい。シンプルにケツをぶっとばすのもありだ。
アタシがあれこれ考えていると、不意に運転席の天板が明けられた。プロテアが中を覗き込み、アタシを一目見ると笑いかけてきた。
「午前中はずっと運転で疲れただろう。寝ていればいいぞ。マシラが来たら起こしてやる」
アタシはプロテアの行動に、何か引っかかりを覚えた。なんか今日のプロテアはアタシに優しすぎるぞ。来るときも逐一サポートしてくれたし、自由行動もさせてくれた。こいつアホだが、やっぱり何か企んでるかもしれないな。
タダでくれるものは全てタダだが、それが獲物か餌かはキッチリと見分けないといけない。何をしようとしているかは知らないが、アタシを担げるなんて思わないことね。
「やーよ。あんた頼りねーし、弱いからぁん。おちおち任せて寝てもいられないわん」
いつもの調子で突っぱねてみる。プロテアは直情的だから、当てが外れれば落胆を露わにするはずだ。
プロテアはアタシの拒否を、特に気にした様子はなかった。
「じゃあ、頼むぜ相棒」
彼女はあっさりと引き下がると、それっきり何も言わなくなった。
おかしい。何かを企んでいるにしては、駆け引きをしている緊張感がないのよねん……。耳を凝らして、姿の見えないプロテアの動向に気を払う。銃座からは、一定の周期でリングマウントが回転する、金属の擦れる音が聞こえてくる。これを聞く限り真面目に見張りをしているようだ。
「ケ。クソ面白くないわね……」
何となく、サンとデージーの動向が気になった。アタシは二人の姿を探して、何気なくフロントガラスから海を覗き込んだ。浜辺の向こうには海が一面に広がっているが、一部には浅いところがあり、海面を突き破って岩礁が微かに見えていた。サンとデージーはそこを足掛かりに、沖の方へと釣り糸を垂らしていた。
サンはセパレートの水着に着替え、荒いプラスチック繊維を編み込んだ不思議な帽子(ナガセいわく、麦わら帽子というらしい。どこの何が麦なんだか)を頭に乗せて、岩礁にゆったりと腰を下ろしていた。釣り場は沖に近く岩場の少ないところで、本人が豪語しているように大物を狙っているのだろう。彼女は海面に糸を垂れる大きな竿を、時おり揺らしながら大きな欠伸を繰り返していた。傍から見るとサボっているようにしか見えないわねぇ。
デージーはというとなぜかライフスキン姿で、長靴と厚手の手袋を着用し、浜辺に近い岩礁をせかせかと動きまわっていた。垂らした釣竿を細かく何度も上下に揺らし、反応を窺うように海面を覗き込む。そして急にしたり顔になったかと思うと、思いっきり竿を引き上げるのだ。すると竿の仕掛けには、小さな魚がたくさん食いついているのである。どうやらデージーは撒き餌で小魚を呼び寄せて、釣り糸に仕掛けたたくさんの針を食わせているようだ。デージーは鼻歌を奏でながら、仕掛けにびっしりと食いついた魚を一匹づつクーラーボックスに放り込んでいた。はは~ん。針に自分を引っ掛けないために、ライフスキンを着て、長靴でゴム手袋な訳か。
「はっはっは~! とれたとれたとれたァ! 今日は私の勝ちで決まりだな」
デージーが高笑いしながら、サンに流し目を送った――瞬間、その表情が凍った。
何だ? アタシもつられてサンの方を見る。そして驚きの余り、運転席から跳ね起きた。
岩礁にのんびりと腰を下ろしていたサンは今や颯爽と立ち上がり、両手で竿を抱くように持っていた。その竿の先端はかかった獲物の大きさを表すように、今にも折れんばかりに大きくしなっていた。サンはリールを巻き上げながら、竿を右へ左へと振り回す。そう時間がをおかずに、海面下から大きな魚影が浮かび上がってきた。
サンは岩礁に座り込み、竿を尻に敷いて固定する。それからタモを差し入れて、海中から魚影を引きずり上げた。
アタシは吃驚した。でけぇ! 何だあれ!? 70センチぐらいあるんじゃないか!?
魚は黒い鱗をもち、頭部から尻尾まで直線をかく、綺麗な体型をしていた。太く大きな尾と広いヒレを使って、タモ網を突き破らんばかりに跳ねている。魚は死にもの狂いで海に還ろうとしていた。しかしサンがエラに指を突っ込んで抑えつけると、すぐに抵抗を弱めた。
「やったぁ! 多分この種類で今まで釣った中で一番大きいんじゃないのかなぁ! 写真撮らないと……」
サンは黄色い声ではしゃぎながら、どこからかカメラを取り出して撮影を始めた。
デージーはサンとデカい魚を交互に見やり、表情を青ざめさせる。だがすぐに気をとりなすように頭を振ると、甲高い哄笑をあげた。
「はァーっハッハッハ! 写真なんかとっている内に、私がどんどん引き離しちゃうよ! サンさァ、まだ二匹しか釣っていないでしょ! これはもう私の勝ち勝ち勝ち!」
デージーはああいってるけど、虚勢だろうなァ。あんだけ動き回って、たくさん釣っても、サンの釣った一匹で恐らくトントンになってしまったんだもの。
サンはその事実を分かっているようだ。チロリと舌を出してあっかんべーをすると、勝ち誇った笑みを浮かべた。
「いーっだ。今日は重さで勝負だから、いつもより余裕があるんだよ。デージーこそもっとたくさん釣らないと私に勝てないよ。まぁ……雑魚をいくらつっても無駄だけどね。どう? 今謝るなら、罰ゲームのこと忘れてあげてもいいよ」
デージーの焦りに青ざめた表情が、羞恥と怒りで真っ赤になった。彼女は目にもとまらぬ速さで釣り針にかかった魚をクーラーボックスに放り込む。そして撒き散らすように餌を海に放ると、海面に仕掛けを叩きこんだ。
「後で吠え面かくなよ! かくなよ!」
デージーは竿を揺らしながら待つが、魚の食い付きは悪いようである。そこで彼女は今まで以上に、忙しなく岩礁を動き始めた。ま、そうなるわよね。あいつの釣り方は、釣り場の魚を根こそぎ攫うようなものだ。一度釣り上げたら、釣り場に魚はいなくなる。だから獲物を求めて岩礁を行ったり来たりしているのだろう。
デージーはやがて沖よりに釣り場を定めて、撒き餌をして釣り糸を垂らす。そのスポットは手付かずだったようで、数分とかからず仕掛けいっぱいに魚が食いついた。負けるのが余程嫌なのか、彼女は釣れた魚を碌に見もせず、片っ端からクーラーボックスに投げ込んでいった。
眼福。眼福。アタシに劣るクソ共が、必死になっているところを見下すのはおもしれーわ。アタシは支配者だったころを思い出しながら、ゆったりとデージーの奮闘ぶりを眺めていた。だがそれも束の間、デージーがせかせかとクーラーボックスに入れている魚を見て、アタシの表情は引きつった。
お前……さっきからクーラーボックスに投げ込んでるの……すげぇカラフルだったけど食べれるのん? アタシも食い意地の張ったバカが、血反吐を吐き散らして死ぬのを見てきたから分かる。あの魚は全身で、『俺を喰ったら死ぬぞ。だから手を出すなボケ』とアピールしている。
「それナガセの作ったリストに載っているよ。毒だから勝負から除外だよ」
サンが目ざとくカラフルな魚に気付き、非難の声を上げる。やっぱ毒だったか! 眼を離すとすぐこれだ! ナガセ早く帰ってきて! この低能共に殺される!
「釣ったものは釣ったものだ! 口を出すな出すな出すな!」
デージーはサンの忠告を取り合わず、次の釣り場を探し始める。
「ちょっとぉ。それじゃルール違反だよ。食べれるものを釣りに来たんだから」
サンは唇を尖らせると、釣りの手を止めてデージーの方に詰め寄ろうとする。だがデージーは海面に糸を垂れたまま、逃げるようにサンから距離をとった。
「勝負は重さでつけるんでしょ? ならいいじゃないか! 釣ったんだもん!」
おう。バカガキみたいな駄々は止めろ。そしてこれは見過ごせないわねぇ……メニューが注文方式から献立方式になった今、アタシも日によって魚を食うことになる。異物混入を見過ごして、毒を食らう羽目になるのはごめんだ。
そう言えば釣りをしている間は、サンとデージーは武装解除をしているはずだ。銃に海水が入ったら痛んじゃうもんね。つーことは……これはまたとないチャンス。そうよ! チャンスよ! これは事態の収束を計るため、仕方ないことなのよん! 争いを治めなきゃ! 日頃の鬱憤をぶちまけてやる!
アタシはデージーの頭をぶん殴るため、キャリアのドアを開けようとした。
「目的は食いモンの確保だ~。デージーお前それを食えよ~。したらカウントしてやる~」
銃座からプロテアの、のんびりした声があがった。それは鶴の一声となって、サンとデージーは言い争うのを止めた。
デージーはキッっとキャリアを――恐らくは銃座のプロテアを睨み付けた。
「外野は黙っててよ! これは私とサンの勝負なんだから!」
キャリアが小さく揺れた。どうやら銃座のプロテアが、リングマウントから身を乗り出したようだった。
「うるせぇな。駄弁ってばかりで、釣りは終わりか? なら帰るぞ~」
プロテアのこれ以上の問答はしないという、最後通牒だった。
デージーは身のうちで膨れ上がる憤怒を現すように、竿を握る両の手をきつく握りしめた。やがて彼女は涙で軽く潤んだ瞳を、手の甲で乱暴に拭う。そして竿を叩き付けるようにして岩礁に放り出すと、クーラーボックスに屈みこみ、毒々しい魚たちを海に投げ捨てだした。
「うるさい馬鹿馬鹿バーカ! ボーリョク女! 馬鹿マッチョ!」
「おう。応援しているから頑張れ~」
銃座でプロテアが腰を下ろす気配がし、再びリングマウントが緩やかに回転する、金属の擦れる小さな音が再開した。
アタシは不本意ながら感心して、キャリアの天板越しにプロテアを見上げた。行きの車内で勉強させてもらうと言っていたが、本当に学習してら。こりゃ分かったツラしてエラソーにしているアジリアよりも、上に立つ資格があるかもねぇ。
ま。アタシ以上の逸材なんていないんんだけど。
アタシはシートの背もたれに身体を預けると、釣りに熱中するサンとデージーの観察を続けた。デージーは涙目でぐずりながら、竿を振り回しており、何とか挽回しようと躍起になっていた。サンはそんなデージーを横目で盗み見しつつ、苦笑いを浮かべている。そして釣り上げた巨大な魚の記録に、必要以上に時間をかけているように見えた。分からんね。勝てる勝負なのに、手を抜いているようだった。
アタシは軽く鼻を鳴らすと、見張りのために丘の方へ視線を移す。そして折を見ては、仲がいいのか悪いのか分からない、サンとデージーの様子を窺った。




