釣果隊 東へ行く その3
それから三十分ほど車を走らせて、アタシたちは海にたどりついた。問題は何もなし。異形生命体に出くわすこともなく、誰一人欠けることもなかった。つまんねーの。空気読んで荷台から落ちろよパンジーさんよぉ……。
キャリアを砂浜の手前で停車させる。アタシの目の前には僅かな砂浜を置いて、遥か彼方まで続く海が広がっていた。海は小波に刻まれ白い縞を描き、大きなうなりとなってアタシの方に押し寄せている。
アタシは思わず生唾を飲んだ。全てを忘れて、この流れに身を任せられたらどれだけ気持ちいだろうか。毎日毎日鉄の壁に囲まれて暮らしてるんだ。せっかく開けた世界に出られたなら、羽を伸ばしたいものよねん。でもきっとアタシはセンサーポスト代わりに見張りをさせられるんだろうな。アタシは虚しくため息をついた。
アタシの落胆を余所に、サンとデージーが狂喜の笑みを浮かべながらキャリアから飛び出した。彼女たちは竿を担ぎ、クーラーボックスを肩にかけて、海に突撃しようとした。
アタシの隣で、けたたましくホイッスルが鳴った。アタシが驚いて振り向くと、プロテアが笛を咥えていた。
ナガセの訓練でよく使われるだけあって、効果はてきめんだ。サンとデージーは釣り具を放り出して、ピンと背筋を伸ばして直立不動の姿勢をとった。
「おいコラ。まだ許可を出していないぞ。勝手に動くな」
プロテアはやれやれといった様子で額に手を当てる。そして遠くで棒立ちになるサンとデージーに手招きをした。プロテアは二人がキャリアまで戻ってくると、嗜めるように少しだけ睨んだ。
「まずぐるっと回るから、お前ら好きなスポット見つけたらいえ。そこを中心に陣地組むからよ。んで大事なことな。熱中するな。守るのに責任は取る。だが限界があるんだ。俺はナガセと同じ仕事はできねぇ」
プロテアはここで、無力を感じるように軽く唇をかんだ。それを誤魔化すように言葉を続ける。
「もひとつ。変なもの見つけたら、触らずに報告な。勝手に行動するのはさっきので最後にしてくれよ」
デージーはうるさいと言いたげに、上目遣いでプロテアを睨み返す。しかしサンは意外に冷静で、反省して悄然と肩を垂れた。サンは反省の色を見せないデージーの頭を軽く小突くと、そのままデージーを引きずって荷台に戻っていった。
「へぇ、アジリアの指揮よりいいじゃん」
「そ、そうか?」
アタシの御世辞に、プロテアは嬉しそうに頬を掻く。しかし賞賛に酔う前に、ハッと表情を引き締めると、コホンと場をとりなすように咳を払った。
「海岸線沿いに適当に転がしてくれ」
「あいよー、隊長殿」
アタシは言われるがままに、アクセルを踏んだ。
しばらく浜を走り回り、大体の目星をプロテアはつける。やがてアタシはキャリアをなだらかな草原の上に停めることになった。草原から浜辺や内陸への傾斜が緩く、とても見渡しがいいため見張りやすいのだ。ここなら丘に遮られて遠方の異形生命体を見逃すこともないし、海から逃げてくるサンとデージーを回収しやすいというわけだ。
サンとデージーはパギの様なはしゃぎようで、荷台から飛び出してくる。だが今度は助手席の前で足を止め、じっとプロテアの指示を待った。
「たくさん釣ってきてくれよ。俺がうんめぇ干物にしてやるからな」
サンとデージーは大きく頷くと、腕をぶんぶん振り回しながら海へと走っていく。
「じゃあスタートね! 用意スタートね! 勝負開始! どっちが多く釣るか勝負勝負! 負けた方がナガセの私物に悪戯ね!」
「はいはい……うえぇ!? 罰ゲーム重すぎない……!」
「ははっ! 負けるのが怖いんだろ! バーカ! バーカ!」
デージーちゃんよぉ……お前なんでそんなに攻撃的になってんの……?
「いや……私はいいけど……デージーさぁ、文字書けるの? 遺書残さないと後々大変だよ?」
改めてサンとデージーの会話を聞いたけど、こいつら本当に仲がいいんだろうか?
アタシは気色の悪いボケ二人が、浜辺に向かっていくのを複雑な気持ちで見送る。プロテアはそんなアタシに気付いたのか、からからと笑った。
「長いこと量か数でもめてたからな、仲がいいからこその悪口だよ」
プロテアは笑顔のまま、アタシの顔をじっと見つめてくる。不躾にみられるのは気分が悪い。アタシはムスッと鼻を鳴らすと、ややピリピリした声色でいった。
「何見てんのよお前」
プロテアはおかしそうに、声には出さず、鼻をクスクスと鳴らして笑った。そして顎先で浜辺の方をしゃくった。
「行けよ。俺の権限だ。自由にしろ」
アタシはプロテアの言葉が理解できず。真顔になる。今なんつった? 行けって? どこに? それに何を自由にしろって? 普通に考えたら、アタシに浜辺で自由にしてもいいってことだろう。だけどそんな事して何のメリットがあるってんだ。
考えるうちに、あることに思い当たる。アタシは意地の悪い笑みを浮かべた。
「ははーん。分かったわヨ。そうやってアタシがぶらついている内に、置いてきぼりにするつもりね。厄介払いするために」
プロテアはまた鼻で笑った。だが今度はさっきの笑みとは違い、軽い嘲笑が混じっていた。
「人を疑っている内に時間が無くなってくぞ。ああ、釣りバカ共の邪魔をするなよ。そしたらお前のどてっぱらに一発くれてやるからな。どけ。俺が運転席に座る」
プロテアは脇の下に吊るしたホルスターを軽く叩くと、アタシにキャリアを降りるように急かしてきた。
うそ。でもプロテアは人を謀るほど賢くないし、そういう卑怯な手は嫌がる。アタシは戸惑いつつも、座席から重い腰を上げた。
アタシはおずおずとキャリアを降りると、草原を踏みしめる。そして海を臨んだ。頬を撫でる潮風が、鼻に浜の香りを運び、耳には心地よい小波のうねりを届けてくる。アタシは今いる場所を実感するように、大きく息を吸ってはいた。
アタシの頭は真っ白になった。
いざ自由になると、何をしていいのか分からない。何をしてもいいといわれると、出来る事としたい事と、ここでしかできないことが一気に押し寄せてきて、どれを選ぶのか迷う。しばらく呆然としているうちに、アタシはとにかく海の中で暴れたくなってきた。
「下着が濡れちゃう……着替えかなんかない?」
上の空で呟く。プロテアは銃座で見張りをするパンジーとやり取りをしつつ、アタシに素っ気なく言った。
「裸でぶらついてるとキレる奴もいないし別にいいだろ」
ナガセならわからないわよん。ひょっとしたらここまで見張りに来ているかもしれない。でもそれならそれで、裸でぶらつきゃああいつに対する挑発になるでしょ。
「……それもそうね」
アタシはチョーカーを外して、ライフスキンを脱ぎ捨てて裸になった。
う~ん。やっぱりアタシってばナイスバディ。メリハリのあるボディにすらっとした四肢、そして火の光に眩しい小麦色の肌。おっと、太腿のどす黒い痣を見るのはナシね。おい見てるかナガセ。これはお前がやったんだからな。
おっと、いけない。いやな思い出がよみがえる前に、さっさと楽しいことをしよう。
アタシはまず諸手を広げて、海から流れてくる風を一身に抱きしめようとした。風が身体をすり抜けていき、去り際に身体の末端をくすぐっていく。アタシは抱きしめられなかった風を追い求めるように、海へ一歩を踏み出した。
裸足が草原の草を踏み、背筋が震えるような感触が足裏に走る。二歩、三歩と感覚に酔う様に足を進めていく。程なくして足裏は、冷たく張り付くような草ではなく、ざらつきまとわりつく浜辺の砂を踏んだ。食い込むような硬さと、包み込む柔らかさを併せ持つ不思議な砂の感触。アタシはもう我慢ができなくなった。
腹の底から訳の分からない雄叫びを上げながら、がむしゃらに腕を振り回して海へ突撃する。浜に打ち寄せる波を、砂ごと思いっきり蹴飛ばす。飛び散る飛沫が太陽光を反射してきらめく。とても綺麗だった。今まで腐るほど見た、機動要塞の金属粉が蛍光灯に照らされるのは違う。あれが裸の豆電球とするなら、海の飛沫はシャンデリアだ。
アタシは夢中になって、浜の浅いところで小波を蹴り続けた。
それに飽きてくると、海に腰までとっぷりとつかる。冷たい水の感触が、腰から這い上がって背筋をゾクゾクとさせた。アタシは軽く身震いすると、それから気が狂ったように水面を殴り、奇声を上げて、海の中を跳ねまわった。
十数分後、疲れたアタシは身体を大の字に広げて水面に浮かび、波に身体を遊ばせていた。
すごく気持ちがいい。まるで。アタシの過去が流れていくよう。
見上げる空は高く限りなく、アタシの持つ不安や不満を、いくらでも吸い上げてくれる。
ああ、アタシは空っぽになった。
浮かぶ海は不動で揺るぎなく、アタシの体を優しくしっかりと抱きしめてくれる。
ああ、アタシはここにいるんだ。ここにいてもいいんだ。
こんなに単純な事で、こんなにも幸せになれるものなのね。
不意にアタシの瞳から、涙がこぼれ落ちた。眼に海水が入って染みたのだろう。アタシは目を指先で拭う。だけど涙は止まらない。後から後からこぼれ落ちていく。結局アタシは両手の平で目を覆い、まるで子供のように泣きじゃくってしまった。
「あれ? なんでだろう……嘘だろ……とまれよ……みっともない……」
アタシのそんな情けない言葉をきいてすら、空は悲しみを吸い上げ遠くに解き放ち、海は慰めるように身体を揺らしてくれるのだった。
涙が枯れたころ、アタシはすっきりとした頭でふと思った。
アタシはなんで、ここにいるんだろう。
アタシは他の女と違って体力があるし、頭もキレる。他に集められた雌豚と違って、明らかに浮いているのだ。ひょっとしてアタシはあの雌豚を飼育管理するために、ここに連れてこられたエリートなのかもしれない。だとしたら前はどこにいたのだろう。
でも――アタシは唇を軽く噛み締める――前はもっと胸糞の悪いところにいた気がする。
何でもいいから人を殺して、稼ぎを黒くてデカくて怖い奴にとられて、そいつにカラダを好き勝手にされてた――はずだ。
でも黒くてデカいのって何だっけ? マシラかな? いや、見た目はあそこまでキモくないし、馬鹿でもない。それだけに中身が醜悪で、遥かに恐ろしい存在だった。ナガセのような奴? 姿形は似てるな。だけどあいつらはナガセより怖かった。ナガセは怒ると怖い。あいつらはいるだけで怖かった。だって――いつ怒るか分からないんだもの。弄ぶ時に、殴ってくるんだもん。
アタシは知るはずがない嫌な感覚に、きつく目を閉じた。
まぁ、黒くてデカいのが何かなんて、もうどうでもいいか。アタシはそこから上手く抜け出せて、今ここにいるわけ。きっと記憶をなくす前に、うまいこと地獄から抜け出せてここに来れたのだろう。
マンカス共が気に食わないが、アタシにはナガセがいる。あいつ特有の激甘ルールでそのうち何とかなるでしょ。怖いものも、脅かすものもなんにもない。
アタシは水に浮いたまま、大きく伸びをした。
「あ――」
アタシはその時、忘れていた恐怖を思い出し、双眸を見開いた。
黒くてデカい奴より、怖いものがいた。
アタシの意識が、アタシじゃないアタシの、旧い記憶に吸い込まれていく。
コニーに作戦概要を見せられた時、インテリの考えそうな三流芝居だと思ったよ。
リリスが積荷を奪取し、回収者をコンテナに残していく。アタシはそれを偶然見つけたって立場で、『箱舟』まで連れて行くんだ。ユウにコンドームくれてやったな。あいつ『彼が来る』って発情してたから。
つーか、積荷ごと回収者を連れて来ればよかったのに、どうしてわざわざ分けたんだっけ?
ああそうだ。複製場所を知られたくなかったんだ。だから箱舟に連れてって、そこで回収者がユウとファックしまくっている内に、全てが終わるはずだった。
だけどさ。聞いてなかった。
回収者が、あんなに凄まじい奴だなんて。
縛られていたはずなのに自由に歩き回ってたし、ライフスキンの活動限界を超えても普通に生きていた。弾切れなんて気にしない。死体のを拾ったり、ブービートラップを仕掛けたりして。あいつは生き延びるためというよりは、殺すために何でもした。
どこまでも追いかけてくる。
逃げられない。
奴の声が聞こえる。
『出て来い!』
怒声というより悲鳴を上げ、
『いるのは分かっている!』
満身創痍のくせに逃げもしない、
『積荷を返せェェェ!』
そうして積荷を持ち逃げした四人を、一人ずつ殺していった。
四人全員をころしても止まらない。
あいつの怒りと憎悪は尽きることを知らないようで。
取引相手のアタシたちにも襲い掛かってきた。
逃げられない。どこまでも追ってくる。
このままだと箱舟が壊される。だから反撃に出た。アタシと、ヘイリーと、あの六人で。
そっから先は――覚えてないや。プッツリだ。
うー。肝心なところを覚えていないのは、何か気持ちが悪い。アタシは波に揺られながら、賢明に思い出そうとする。だけどおぼろげに浮かぶのは、六人と会話した僅かな時間だけだった。
「あの六人……結局殺されちゃったのかな……」
あいつらが生きてたら、今ここにいるはずだものねん。今頃肉の塊になって、どっかに転がっているのだろう。
普段なら何とも思わないが、この時ばかりはアタシの心がチクリと痛んだ。ナガセがそうしているように、アタシもあいつらを埋葬してやりたいと、少なからず思ったからだ。
「あいつら優しかったな。ヤりたいのかと思って誘っても、アタシのこと買わなかったな」
そこだけはナガセに似てる。でもナガセと決定的に違う所がある。
「殺すのが好きなんじゃなくて、好きな物のために仕方なく殺してるって奴らだったな……」
ナガセは人間にアタシたちを会わせるっていっていた。アタシたちが会うことになるのはどっちだろうな。ナガセはアタシが知らない所から来た。あいつの故郷は、仲間は、どんな奴らなのだろうか。
黒くてデカくて、イキながら首を締めてくるクソッタレか……。
あの六人のような奴らか……。
「ニンゲンに……会いたくないなァ……」
アタシは溜息に混じるよう、そんな言葉を思わずつぶやいてしまった。
「おいロータス。交代だ。キャリアに戻れ」
浜辺の方からプロテアの声がする。クソッタレが。ご褒美はもう終わりかよ。
アタシは身体を丸めて、一度水中に沈んだ。アタシらしくないセンチな感情、思い出したくもない過去、そしてこれからの不安をごちゃまぜにして、海に流してしまいたかった。
アタシは再び水面に上がる。そして大きく息を吸うと、プロテアに向かって怒鳴った。
「うるせぇぞ馬鹿マッチョ! 今行くから大人しくまっとけ!」




